みんなのシネマレビュー |
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ネタバレは禁止していませんので 未見の方は注意です! 【クチコミ・感想】
11.《ネタバレ》 確かに溝口らしくない部分もあったけど、女が好き勝手やって自滅するという図式は溝口作品屈指の出来だと思うんだ。 ネオンが光る夜、朝には光が消えて静まり返るファースト・シーン、家族の食卓で始まるところ。漬物をポリポリ噛む音を楽しめるのはトーキーだからこそできるね。 時折ギラリと輝く父ちゃんのメガネで吹くわ。 ヒロインの綾子が夜遊びに進む過程。 良い歳した中年おやじが若い娘の胸元に名刺を差し込む辺り・・・溝口はこういうのが本当上手い。 ガラス越しの電信での会話、綾子の手紙の文字、戸をガラッ開けて“男”を見せつける場面と。 クローズアップも結構多く、要所要所の挿入は印象に残る。 山田五十鈴が若くてキレイだなー。 暗闇で家に入る人影、妹さんそんなところに「ぬうっ」といたらホラーだよ(演出が完全に怪談じみてた)。 遊び好きの活発な女性が男二人引っ掛けて、どちらとも「おまえはそんな女だったのか!」と失望されて家に帰ったら「そなアホな女家族や無い!出て行けや」と勘当。 あんなに笑った溝口映画は初めてだ。兄貴、妹の素っ気ない返事のワンツー・パンチがまたツボ。この殺伐とした空気が最高だぜ。オマケにあれだけ高慢なヒロインも流石に落ち込むだろ・・・と思ったらまったくヘコたれてない(爆)もう何なんだよこの女wwwwwwww「不良少女」どころじゃないよもう。 山田五十鈴の演技が最高すぎる。 梅村蓉子夫人とのやり取りも最高だった。人形浄瑠璃の劇場に不倫相手の男と一緒。 そこに嗅ぎつけた奥さんがズンズン乗り込んできて「何してんやアンタ!」と問い詰める。奥さんの剣幕に逃げ出す男どもがまた面白い。 そして地味に志村喬が出ていたり。この頃から刑事やってたんだなー志村さん。後ろ姿だけでもカッコ良いのは何故だ。 またラストシーンが良いねー。 例の名刺を川面に向って投げ捨てる。暗闇ながら水面の美しいこと。 過去との決別だね、ハッキリした女だ。 それで通りかかった男に「あたい“不良”ちゅうビョーキなんや。ねえ“お医者さん”、どないしたら治るやろか?」と聞く場面。 ただの通りがかりの男を医者と呼ぶこのセリフの面白さ、解ったもん勝ちだね。 「祇園の姉妹」は丁寧だったけど、パンチが足りなかった。この作品は少々荒いけど、パンチが効いてるからコッチの方が好み。 【すかあふえいす】さん [DVD(邦画)] 9点(2014-12-17 07:34:43) 10.すいません、一瞬ながらも初見と勘違い。 実際には数年前のFilm ForumでのFive Japanese Divasイベントを通して鑑賞済みでありながらもまたこうしてbig screenでの鑑賞の機会に恵まれた次第。それ故につい裏の意味を探ってしまいがち。 しかしながら二度目とはいいつつも社長役の俳優と藤野役の進藤英太郎の区別がつかず、そもそもこの進藤英太郎が何度かお見かけしていた人らしいということにたどり着くとまたもやペコリと頭を下げたくなる。「祇園の姉妹」「西鶴一代女」「山椒大夫」「赤線地帯」が該当作。 出直しです。 【kei】さん [映画館(邦画)] 5点(2014-05-26 12:41:51) 9.《ネタバレ》 我が身を犠牲にして尽くした相手に裏切られる。恋人はともかく家族の冷たさが堪えます。誰のおかげですき焼きを食べていられるのか! それでも一滴の涙も流さぬアヤ子。犬と朝寝をしている社長夫人共々女性陣の逞しさに魅入ります。それに引き替え男性陣ときたら・・・心斎橋そごうのエレベーター、地下鉄淀屋橋駅(?)当時の最先端の街並みが興味深かったです。 【The Grey Heron】さん [DVD(邦画)] 6点(2011-08-13 20:53:23) 8.《ネタバレ》 なかなか観るチャンスに恵まれなかったのが、ついに望みが叶った日は特別なものだった。照明だけでも凄い。山田五十鈴が無力な恋人と歩く薄闇の移動撮影のなかでふと顔が浮かび上がったりするのが哀しい。見終わったとき完璧だと思えた。 【ひと3】さん [映画館(邦画)] 9点(2011-03-16 19:24:31) 7.考えてみればこれ完全に「傾向映画」というジャンルに含まれる作品なんだなあ。題名「何が彼女をさうさせたか」だっていいんだ。ただヒロインが一方的に受難するのではなく、彼女なりに企て、対決しようとする。そこらへんで「傾向映画」というジャンルから抜け出たか。ヒロインが決断するところを飛ばすのがいい。会社からも家からもいなくなって、モダンなアパートに移る。昔の恋人がアパートを訪れるシーン、カーテンの外から山田を捉えていたカメラが下がり入り口の男、そのまま階段を上がっていくのを追い、もとの窓までワンカット。『祇園の姉妹』では、ちょっとラストが取って付けた気分になるんだけど、こっちのラストはしっくりくる。署に引っ張られ、情けない男は逃げ、家に帰れば、自分が金を工面してやった兄、妹にうとまれ、実情を知っている父も黙ったまま。社会も家庭も大きく壁として立ち塞がってきて、それと拮抗するぐらいにヒロインは不貞腐れる。それまでヒロインの“闘争”を観てきた者にとって、戦いに敗れた後に彼女ができることは「不貞腐れること」しかないと納得できる。ぜんぜん「いじけ」た気分のない不貞腐れ。こうならねばならない、という道を突き進む迫力。転落することのエネルギーが満ちている。これって面白いことに、がむしゃらに成り上がる話とどこか気分が似ているんだ。 【なんのかんの】さん [映画館(邦画)] 8点(2010-01-10 12:11:09) 6.↓「よし坊」さんにほぼ同意。というか、自分がレビューしたかった事を全て的確に書いて頂いている(笑)DVDジャケットに使われている、薄情な男をじっと見据える鬼気迫る若き日の山田五十鈴の表情、これに尽きますね、この映画は。とにかく僕はあらかじめ文献等でこれが戦前の溝口健二監督の名作であるという噂を聞きすぎ、耳年増になってしまっていたみたいです。山田五十鈴が囲われる高級マンション(当時としちゃ億ションか?)内部をほぼワンカットで捉えた、かの有名なシーンにしても「ああ・・・これがあの有名な・・・」と感心はしたものの、教科書をおさらいしているみたいでそれほどの衝撃はなし。やっぱいけませんよね、こういう映画の見方は。反省。 【放浪紳士チャーリー】さん [DVD(邦画)] 7点(2008-10-17 14:48:42) ★5.《ネタバレ》 この映画を未見のときから山田五十鈴の何ともいえぬ横顔を映し出したスチール写真が印象深かった。しかし実際にこの映画を鑑賞すると、それは“印象深い”なんて言葉ではすまされない場面であると痛感する。壁を隔てた取調室で、自らが結婚を懇願した男が耳をふさぎたくなる様な泣き言を供述する。カメラは水平に移動し、隣の部屋を映し、その供述を聞く若き山田五十鈴の横顔を捉えて迫る。この息づかい、そう、まさにこのシーンだ。女の情念と悲しみと怒りと絶望と・・・すべてを包括した横顔を数秒間アップでとらえる。そしてこの鬼気迫る横顔は、この世のものとは思えないほどに美しいのだ。僕はこの映画を構成するすべての要素が、ただこの1シーンを際立たせるためだけに注ぎ込まれているようにさえ思えてくる。 【よし坊】さん [DVD(邦画)] 7点(2008-08-28 06:18:50)(良:1票) 4.溝口健二の代表作の一つにして、『祇園の姉妹』と双璧を成す、溝口の作品の中でも“初期の傑作”と呼ばれている作品。 主演は山田五十鈴。 彼女は本作出演時には20歳になったばかりだったらしい。 この年齢にしてあの演技。 確かに凄い。 さて、溝口健二の代表作の一つということで気合いを入れて鑑賞した。 でも実はそんなに期待もしていなかった。 何故かと言えば、同時期に作られた同じく代表作と言われる『祇園の姉妹』が、世間で言われているほどには感銘を受けなかったからだ。 実際、本作についてもそれは同じだった。 本作はとかく、日本映画で初めて“リアリズム”というものを高いレベルで表現した作品ということで高い評価を受けている。 社会的に高い地位にいる人を中心に描いた作品ではなく、社会の底辺にいる人を中心に描き、観る者の共感を得た歴史に残る作品なわけだ。 しかし、そんな歴史的経緯よりも、少なくとも私の様な一映画ファンにとっては、鑑賞してみて実際に楽しめるかどうかが重要な意味を持っている。 個人的には、溝口作品としては『祇園囃子(1953)』や『山椒大夫(1954)』や『雪夫人絵図(1950)』等の1950年代の“溝口後期作品”が好きである。 ただし1930年代の作品でも『残菊物語(1939)』は好きだったりもする。 そういうわけで、溝口初期作品としては“『残菊物語』に続いて『浪華悲歌』が二つ目のお気に入り作品になるのか?!”と期待して鑑賞したわけだが、残念ながらそうはならなかった。 まだ修行が足らないせいだろう、日本映画、海外映画を問わず、いまいち1930年代中盤以前の作品には感動できないでいる。 いつか1930年代中盤以前の作品でも感銘を受けることができるようになれればいいのだが・・・ 【にじばぶ】さん [ビデオ(邦画)] 6点(2007-09-02 22:43:56) 3.祇園の姉妹同様、山田五十鈴が演じるアヤ子に圧倒された。本作も判り易い物語なのだが、溝口作品は題名で手が出し辛い面がある。本作もそうで、僕はこれまで「ろうがひか」などと勝手に脳内解釈していた。実は「なにわエレジー」というなんともおしゃれな題名だったと知り、手に取ることとなったのだが、いや素晴らしい。アヤ子の切り替えの早さに追いていくのがやっとだった。家族の為とはいえ、権力を持つ男たちを手玉に取り、啖呵を切って見せる反面、進に会う前は少女のようにソワソワしてみせる。痛いくらいの現実とメルヘンを行ったり来たりする。ラスト、空元気を見せるアヤ子を迎えてやれない家族が悲しすぎた。 【カリプソ】さん [DVD(邦画)] 7点(2007-05-05 18:09:44) 2.いやあ~流石ですわ!溝口健二監督、この監督の描き出す女の世界、女としての人間の本質、哀しさ、その全てを僅か一時間半にも及ばない短い時間の中でここまで徹底的に描いている。本当に凄いです。とにかくこの映画、全編、構図の巧みさ、溝口健二監督らしい、いや、言い換えればこれはもう明らかにこの監督さんにしか撮れない見事なまでのショットの数々、溝口健二監督お得意の長回しによる画面構成、そして、勿論、役者の芝居、台詞回しから動きまで何もかも見事に決まっている。山田五十鈴と梅村蓉子の二人の大阪弁による台詞の応酬がこれまた凄い。凄すぎる。何とも冷たい男達とそんな男達に振り回される山田五十鈴の演技の素晴らしさと相成って物凄いほどのドラマが展開される。これは男と女、人間の本質をリアルに描き出した傑作間違いなしの作品です。 【青観】さん [DVD(邦画)] 9点(2007-03-08 20:48:36) 1.後の『残菊物語』(39)と比べるとカットはやや多めですが、ワンショットはかなり長く、平均的なものと比べれば非常に極端なロングテイクを多用しています。クローズアップもほとんど無く、引きの画が全編を支配していて、いわゆる「引きの長回し」という、溝口のスタイルがはっきりと確認できます。殺伐とした客観的な引きのショット、そして芝居に合わせておもむろに横移動し出す美しいキャメラワーク。これらはクローズアップを多用したTVドラマなどに慣れてしまった時代から見れば、極めて奇妙に映るかもしれませんが、一度はまってしまえば止められません。「同一空間は同一構図の中で」↓(失礼します)という、評が気になって『祇園の姉妹』(36)なども観直してみましたが、なるほど、キャメラが数カットを挟んでもう一度同じポジションに戻ってくる箇所がいくつかみられました。これはむしろ小津作品で顕著にみられるキャメラワークだと思いますが、小津はまず構図ありきで、構図にお芝居を当てはめる取り方。対して溝口は芝居に合わせてキャメラを動かす監督。にもかかわらず、小津同様にこれを達成できたのは、構図に先に決めようが、お芝居を追っていこうが、劇映画におけるもっとも的確なキャメラポジション、ベストな構図はやはりひとつしかないということの証拠ではないでしょうか。そう考えれば、技巧的にみえる溝口のキャメラワークも実にシンプルかつ明瞭なもの。キャメラをパン、移動させながらこの一つしかないポジションをなぞっていくという単純な作業に終止したということでしょう。もちろん、これを長回しで達成するとなると相当難しいのでしょうが。。。ラストシーケンスは『祇園の姉妹』のラストへと継承される「女の強さ」。この激しさはまさに映画でなくては表現しえない堂々たるもの。自分を犠牲にしながらも男に尽くす女性。これが溝口が終生描いたテーマですが、この本質が恋だの愛だのと言った男女の恋愛関係にあるわけでないことは第一映画時代に作られた本作と『祇園の姉妹』(36)を見れば明らかでしょう。表向きは女の悲劇であっても、さにあらず。これは女の強さと活力を高らかに謳い上げた演説映画の金字塔。男の存在はどこまでも情けなく、あくまでも飾りにすぎない。優しい二枚目が登場する新派劇を一蹴した溝口のリアリズム。その前衛性がものの見事に現れた傑作です。 【スロウボート】さん 9点(2004-06-12 00:02:10)(良:2票)
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