みんなのシネマレビュー |
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ネタバレは禁止していませんので 未見の方は注意です! 【クチコミ・感想】
★5.《ネタバレ》 フォーク界のプリンス、ボブ・ディランの音楽伝記ドラマ。アメリカンドリームを夢見て、1本のギターを手にしてNYに降り立つオイラ。あふれる才能でのし上がっていき、若者の代弁者と崇拝される一方で、自由奔放にして協調性に欠けるために周囲とぶつかることも多いオイラ。ラストのライブもオイラのヤりたいようにヤってやったぜい。歌声はもちろん、ボブが内に秘めた陰と陽を両立させる名演のティモシー・シャラメ。グラサンにトリ頭、くわえタバコなどその風貌もよく似せていた。脇役も名優ぞろい、みんな歌ウマ。 【獅子-平常心】さん [映画館(字幕)] 6点(2025-03-12 01:02:46)★《新規》★ 4.《ネタバレ》 ティモシー・シャラメは、ボブ・ディランによく似ている。彼の顔、声、眼差し。昔、ドキュメンタリー映画で観た若き日のボブ・ディラン、その雰囲気がよく出ている。そして、ギター、ハープの演奏も素晴らしい。ジョーン・バエズと寝起きのベッドに座りながら歌う『風に吹かれて』は爽やかで且つ生々しかった。 私がこの映画を観て改めて認識したのは、ディランという存在の凄さである。全編通して流れる初期ディランの曲。映画はディランの歌を主旋律として描かれている。主役は彼の歌だと言っていい。そこにドラマが重ねられていく。 ディランの2ndアルバム"The Freewheelin'"は初期の代表作で、私の愛聴盤でもある。そこには、世界の在り方(『風に吹かれて』)があり、政治(『戦争の親玉』)があり、戦場(『はげしい雨が降る』)があり、ロマンス(『北国の少女』)があり、別離(『くよくよするなよ』)がある。彼の人間ドラマが歌詞となっており、映画はそれを辿るように描かれる。 彼は自分が何者かよく分からない(Complete Unknown)と言う。分からないことが自明であるが故に、そのことを常に(風の中に)放置し自由に転がり続けるだけだ(Like a Rolling Stone)と言う。こう表現すれば単純だが、映画の最初の方のシルヴィとの会話でも、彼女の考え方と決定的な違いが分かる場面があった。社会的であろうとする彼女に対して、ディランは常に自分の気持ち、信念を優先する、文学的なのである。 彼が歌詞の中で操る自己と社会を表現する言葉は観念的で利己的であったが、且つその言葉は美しく世界に響いた。それは世界がまだ自己に傾いていた時代だったから。彼は社会と2人の女性の間を自由に行き来し、時に強く、時に弱かった。そして、彼は常にダークサイドに居て、そこから見ていたのだ。 明かりで照らしても無駄なことさ たとえ今まで見たこともない明るさでも 僕は道の暗がり(ダークサイド)に居るから ボブ・ディラン『くよくよするなよ』 映画のティモシー・シャラメ演じるディランにそういった人間的複雑さ、暗さを感じることは難しい。時代の違いもある。自己が世界に沈んでしまった現代。そこでディランを演じること。弱みを見せない仮装、それがディランのパブリックイメージであるように彼を演じてみせる。そうであるが故に、ティモシー・シャラメ演じるディランは、彼の歌を歌いながらも、彼の歌を作った人物のようには見えない。でも、それは仕方がないこと。ディランを演じることは出来ても、ディランそのものにはなれないのだから。その文学性を身に纏うことは、現代において至難の技だろう。 しかし、ディランを演じる、ディランの物真似として、ティモシー・シャラメは素晴らしく適任だったと思う。映画後半のあの髪型でサングラスを掛けたティモシー・シャラメは、ボブ・ディランにしか見えなかったし、演奏する姿も彼そのものだった。 ニューポートでエレキギターを携えてロックを歌ったディランは、観客の罵声を浴びてステージを降りる。彼は涙を浮かべて“It's All Over Now, Baby Blue”を歌ったとされている。今や、YouTubeでそれらの映像を簡単に観ることが出来る。ディランにはそういう弱さがあり、それが彼の文学性を生んだ。映画の中で弱さを表現することも出来たはずだが、その方向には行かなかった。映画の中の彼は決して涙を見せず、その代わりに「歌」で全てを表現した。それはそれで映画の在り方として有意だし、ディランの歌ならそれが出来る。様々な人々(ディランのファン達や彼の曲を全く知らない人達)に映画が受け入れられる方法論として。 これまで、私はティモシー・シャラメが好きではなかった。ティモシー・シャラメはウディ・アレン監督作『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』に主演した後、アレンのスキャンダルの件で記者にアレンとの絶縁を迫られて信念なくそれに従ってしまったり、風見鶏のポピュラリストなのだと思っていた。だから、それとは真逆の信念の人であるディランを演じるのは違うと思った。単なる器用さ、物真似だけでなく、人間として滲み出るものがなければ、ディランを演じられないと思った。 アレン好きな私にとって、当初、本作品は批判の対象でしかなかったが、その考えは観賞後にすっかり変わった。『名もなき者』は傑作映画であり、ボブ・ディランの歌の素晴らしさ、その歌が紡ぐドラマ、彼の文学を堪能できる。彼がノーベル文学賞を獲得したことが至極真っ当であることを理解できる。そういう映画としての新しさを感じたし、とにかく観て良かった。 【onomichi】さん [映画館(字幕)] 8点(2025-03-10 19:01:52)★《更新》★ 3.これは伝記ではない。ティモシー・シャラメの音楽映画だ。荒っぽく言えば、描いているのがボブ・ディランでなくても構わない。ディランのことを知りたければ本を読めばいい。曲を聞きたければCDを買えばいい。これはシャラメがギターを弾き、歌い、ブルースハープを吹き、曲を書き、人を愛し、人に怒る映画だ。 シャラメは、スクリーンの中央にいる時はもちろん、はしっこでも、あるいは映っていない時でも、物語のすべてを支配していた。申し訳ないが、ほかの登場人物はシャラメを引き立てるためだけに存在する。彼らの彼を見る眼。男の、女の、子どもや観衆の瞳や視線が、シャラメの魅力をさらに輝かせている。 好演の二人、恋人役エル・ファニングが誇らしげに、あるいは悲しみいっぱいに舞台を見る表情も、ウディ・ガスリーのスクート・マクネイリーが思いを託すようにを見つめる姿も、シャラメの才能を我々に伝えるために使われている。 当然ながらボブ・ディランの偉大な楽曲がなければ、そもそもこの映画は存在しえない。シャラメの演奏もすべてのエピソードも、その上に成り立っている。それでもこの2時間余の時間の中で、シャラメはディランを超えている。 ラストのフェスのシーンで、IMAXの力を初めて存分に知った気がする。 長尾謙杜が吉田拓郎を演じる日は来るのだろうか。 ディラン大好きな方々、怒らないでください。 【漣大五郎】さん [映画館(字幕)] 8点(2025-03-08 16:53:07)(良:1票) 2.《ネタバレ》 ただの音楽オタクだった名もなき金もなき若者が、「音楽で食えるようになりたい」という当初の目標も早めにクリアし、あっという間にフォーク界のプリンスになる。 彼がやりたい音楽は別にフォークに限らず、カントリー、ブルース、ロカビリー、ロック、彼の心を揺さぶるものであればそれは何だってよかった。頭の中に湧き上がる言葉とメロディーは、ジャンルの枠に収まらない。彼を縛り付けることも、溢れる音楽を堰き止めることも誰にも出来ない。作中でも押し寄せる音楽の嵐には圧倒されるばかりだった。 フォークのカリスマというレッテルを張られ、音楽もプライベートも自由を奪われ、馬でもないのに他人の荷物を背負わされ、がんじがらめになるのだが、そこに悲壮感はあまりない。 風に吹かれて転がる石のように、変わる時代を俯瞰で見渡す。それが普遍的なものを生み出す。 ティモシーシャラメがボブディランを演じたその努力というか意気込みを、感じさせないくらい自然にボビーになっていて、そのオーラまでもちゃんとコピーされていた。すごい俳優です。 【ちゃか】さん [映画館(字幕)] 9点(2025-03-05 13:51:37)(良:1票) 1.洋楽好きにはたまらない映画になっていました。フォーク全盛期と言っていいのでしょうか、すごいパワーの時代を感じさせてくれています。出演者の熱の入れようがすごく伝わってきます。皆良い演技でしたし、演奏と歌は全部自分たちでやってるんじゃないでしょうか。ただ、音楽好きじゃない人、ボブ・ディランを知らない人にとって、楽しい映画かというと、そうではない気がします。 【shoukan】さん [映画館(字幕)] 8点(2025-03-02 22:21:30)
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