みんなのシネマレビュー |
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ネタバレは禁止していませんので 未見の方は注意です! 【クチコミ・感想】
7.《ネタバレ》 ノラの余りの身勝手さに開いた口が塞がらなく胸糞悪いことこの上なし。「私が愛した4人の男」の中に3番目の夫が含まれていないのにとどめを刺される。切れ味に欠けるダラダラした語り口の監督との相性悪さが極まれた本作。マチュー・アマルリック出演なればこそ我慢を重ねた鑑賞が報われた異端児の矜持が胸に沁みる「・・・・間違えるのはとてもいいことだ。 必ず答えがあるわけじゃない。思う以上に刺激的で意外なのが人生なんだから」 【The Grey Heron】さん [DVD(字幕)] 3点(2019-02-03 22:42:50) 6.《ネタバレ》 狂人扱いされていたイスマエルがエピローグでは“父親”となり、息子と同じ目線で語り合っていたのが凄く良かった。 彼の楽団員との諍いや、主人公である母親の男遍歴や家族問題など、まどろっこしいものが渦巻くような物語の中、彼の真摯な姿によってそういったものを全部消し去ってくれたような気がしました。 このエピローグの博物館の色々な場所で色々な話をする場面ですが、同じ場所のシーンでも細かくカットを割ることでリフレインの効果が出ていて、演出的にもここは大好きなシーンです。 しかし、カトリーヌ・ドヌーヴ扮する女医との問診のシーンやその他においても同様の細かなカット割りがあったりしてやや意図が見え辛い箇所が見られたり、また突然音量が大きくなったりとか、必要以上にカメラを揺らして撮っていたりとか、気になる所もいくつかあったと思います。 ところで、癌で死んだオヤジのモノローグ。 語り掛ける内容だったことから、とても独り言とは言い難く明らかに娘に向けてのものであった訳ですが、遺言というよりもはや戯言と言うべき内容でしょう。 自分の責任とハッキリ言っておきながら、代わりに死ねとのたまう偏屈さ。 生きてる間に話し合っていればある程度は解決に向かったかもしれないのにそれもせず、面と向かって直に言えずコソコソと影で言うことしか出来ない人間の小ささ。 同じ男として軽蔑の念しか出て来ず、当然あのような紙切れなど受け入れる必要は全くないし燃やして正解でしょう。 一方のイスマエルの父親と言えば、こちらもまた家族間でいざこざを抱えていたようでしたが、物凄い勢いでウエイトトレーニングをしていたりする姿(←ここ笑うとこ)を見てしまえば、全然微笑ましくすら感じてしまいました。 他にも「あなたは正常な狂人として認められました」とか、地味に面白くて好きです。 【もっつぁれら】さん [映画館(字幕)] 7点(2015-01-26 23:39:31) 5.《ネタバレ》 素晴らしい!重厚な世界観に逃げることもなく、大きな歴史の渦をえがいて見せ場を創るわけでもなく、弱い人間たちの世界を実に丹念によく描いてる。監督の体験を素にしたとのこと。そうだろう。地味な話である。それを前半をサスペンスタッチで2人の男女を描き、それが交わった時、思わずこの作品を「素晴らしい!」と心の中で喝采した。弱い人間たちであるが、要所要所に強者を配してる。そうだろう、それじゃなきゃ、破綻している人たちだ。しかし、それが「普通」なんだね。最初から強い人なんていないもの。それでも生きていき、見守られながら、愛されながら、皆落ち着いていく。そのことが最後の詩で見事に謳いあげられる。とても好きな映画です。でも10点ではなく、9点が似合いそうなので、この点数にしました。 最後の詩 「水はのどの渇きが 陸は越えてきた海が 恍惚は苦痛が 平和は戦いの物語が 教えてくれる 愛はその記念碑だ もはや渇きはない 2本の脚で大地に立ち 今、私は安らぎのなかに」 【トント】さん [DVD(字幕)] 9点(2013-06-14 01:08:19) ★4.《ネタバレ》 一見明るそうで、でもこれ人と人との不和をめぐる映画だ。別れた夫婦が・仕事の同僚が、ニコニコしながら辛辣な言葉を投げ合う。極めつけは父が娘に遺す呪詛のすさまじさ、フランス映画の中に突如ベルイマンがはめ込まれたようで、あそこで一気に引き込まれた。親子であることの難しさがテーマの一つか、この父と娘、さらにその娘にとっては息子との問題、さらに実子と養子の話も絡む。喜劇を装った悲劇を、さらに悲劇を装った喜劇にまで見通そうと足掻いているようなところがとてもフランス的。ただ、これを100分以内で描くのがフランス映画の小粋さではなかったか。 【なんのかんの】さん [DVD(字幕)] 6点(2007-11-11 12:15:53) 3.小説と映画の最大の違いは何か。 それは「ページをめくる行為」にあると思っている。小説はいつでも読むのをやめられるし、スローダウンも後戻りも自由自在。しおりだって好きに挟めるし、余白に傍線引いたりメモも取れるし、その気になれば気に入らない場面の改変も(さほど)難しくない。 小説(というか物語)は「考える力」「想像する力」に依拠している部分が多いのだ。手短に言えば受け手主導のエンターテインメント。時として「洗脳装置」と揶揄される映画との最大の違いだろう。映画はどちらかと言うと演劇や音楽の流れであり、元をたどると祭事に行き着く文化だ。「その場にいるみんなで感じる/みんなで考える」のが映画の正しい接し方だと思う(DVDとビデオ鑑賞はまた別だけど…)。 んで本作。完全に《行間を読む》映画。その徹底ぶりと作劇の力は認めるが、その強引な「小説」ぶりにには辟易。完成度と反比例して好きにはなれない映画だった。 冒頭、ギターソロでつまびく「ムーン・リバー」が入る時点で、猛烈に世界が狭くなる。「これからしばらくは主観の映像です。本気にしないで下さい。でも人物像はよくわかりますよ」…と監督に囁かれているような感じ。 で、どこからこの物語に第三者の視点が入るかと思ったら、全然入らない。話の裏側は相当に陰惨で、憎悪と嫉妬が渦巻く犯罪ドラマのはずなんだけど、最後の最後まで二人の主人公である「うそつき」と「きちがい」の視点から語られるので、話は穏やかに、時としてエキセントリックに、明るく、オシャレに綴られていく。 そんな話を見るくらいなら、ヘンリー・ジェイムズの『鳩の翼』や『ねじの回転』を読み直すよオイラは。映像に行間は求めたくない。 DVDで自由に好きなだけしおりが挟めて、余白に書き込みもできて、表面を見ただけでどこまで鑑賞したか即座に見て取れる時代になったら、少しは印象が変わるかもしれないが…。 ●追記: 本作は受け入れられないが、同じ大嘘映画『サンキュー・スモーキング』は楽しく受け入れてしまっている自分に気付く。これが「男である事」の限界なのか…映画レビューにおける、極めて微妙なボーダーを踏んでいる感じです。 ●追記2: 完全にネタバレになるので小ネタ欄に入れますが、これ監督の私事で、かなり実体験入ってるじゃん…。 【エスねこ】さん [映画館(字幕)] 1点(2007-02-03 23:38:11)(良:2票) 2.《ネタバレ》 なんでここに「余貴美子」がいるのか? それでまあ、この女優さんはどっからどうみても主役級の美人には見えないわけだ。ごつい輪郭に寄りすぎた目、への字を描いた口。 ところが作品中では、なぜか絶世の美女であるかのようにチヤホヤされ続けているわけで。 こんなブスが主演女優で、カトリーヌ・ドヌーブをチョイ役で出すというのは、どういう間違いだ。 それで「私はへの字口は嫌いなんだぞおー!」と叫んでみたりする。 ノラという人はブスなうえにめちゃくちゃ性格が悪いですね。 この人の言っていることはほとんど嘘八百。そのうえ常に計算づくで男性に迫る。 「画廊を始めてみたけど、とても楽しいわ」ってそら、カトリーヌ・ドヌーブが言うならなんとも思わないが、余貴美子が言ってはいかんでしょう。「さっさと切符をとってちょうだい!」とかって、男性マネージャを当然のようにコキ使っているあなたは何様のつもり。 きわめつけは、「男(ジャン・ジャック)と楽しくつきあうために、息子を父親に預けっぱなし」ですね。そら、「仕事があるから」てな言い訳をしたのでしょうが、実際は違うでしょうが。子供を手放す親なんてのは、どんな言い訳をしようが自分のほうが大事だからに決まってます。(うちの母のうけうりだ) そんなブスで性格の悪いノラに、後半、〝父の手紙〟という強烈パンチが襲います。 この父の手紙については、解釈が分かれるところでしょう。 1.ノラが自分の死によって落ち込むことを少しでも和らげたいという親心で、ウソをつきまくってみた。 2.本心だった。 3.病気で頭がおかしくなってしまったため。 3である場合には、「病気による苦痛や、死の恐怖は、人格まで変えさせる」という描写を目的とする以外にはあり得ませんね。ところが、これは病気メインの映画ではない。1の場合は、自分の死後必ずノラが読むように、何らかの工夫をするはずですね。なので私は2しかあり得ないと思うのだ。 ということは、〝嘘で固めた人生を送り己の見てくれも省みずお嬢さんぶっている傲慢なノラに罰が下る〟という話かと思いきや、ラストは「私の心は今平和なの」みたいなことをつぶやいて終わってしまう。「私を通り過ぎた男たち(父を含めて)」みたいなノリである。まあ、そんな題名でもあるが…これでいいのか。「ミュンヘン」のルイが出ずっぱりとなっているのもいまいち意味不明である。 【パブロン中毒】さん [DVD(字幕)] 6点(2006-11-23 16:32:48)(良:1票) 1.ムーンリバーの調べに乗って、ゆったりした色調のパリの街並みが流れる。何だかいい感じである。というかちょっと泣ける。カメラは一台のタクシーに近づき、タクシーはそのままゆっくりと停車する。ドアが開き、お約束といわんばかりに車内からスッと出てくる女性の足を、そして顔を捉える・・・ここで「あき竹城」というキーワードが不意に出てしまうと、その後の約150分は大変だろう。というのもこの映画は、あき竹・・・もといエマニュエル・ドゥヴォスという女優の存在に賭けたところが非常に大きく、この、一度見たら忘れられない女優にどう接するかは結構重要なポイントであるような気がするからで、というのも自分はヒッチコックの「めまい」は非常に好きなのだが、どうもキム・ノヴァクが苦手で、なんだかとても損をしている感じがするのである。まあそれはそれとして、この映画はかなり良く出来ており、その面白さは保証できる。一発の忘れがたいショットとか、緊張感の持続を強いるような強度があるわけではないが、登場人物の一人一人のバックグラウンドを緻密に構成し、それらを適切な場所へ配置させることで、とんでもなく複雑な関係を生じさせる。まさに人間ドラマの坩堝。しかし、それだけでは説明できない歪みがさらにあるようにも思う。それは、この映画が方法として非常に意識された映画であり、その根底としてアメリカ映画という偉大な方法が乗っかってるからかもしれない。そしてそれを、自然発生というより自然発生の人工による再現で、普通の映画として偽装しているというか、要するに凄く複雑なロジックがこの監督の頭の中には蠢いている様に感じられ、もっとシンプルにしちゃえばいいのに、と思うのだが。 【Qfwfq】さん [映画館(字幕)] 8点(2006-08-07 20:44:17)(良:2票)
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