みんなのシネマレビュー |
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ネタバレは禁止していませんので 未見の方は注意です! 【クチコミ・感想】
185.鼻で笑っちゃうような観念映画。視覚的なリアリティを排除したことで、より観念ドラマを強調したかったんでしょうな。まあ、それは別にいいんだけど。この監督、気の毒な人だなー、とつくづく感じた。人を信じられないのね、基本的に。だから、信じてももらえないわけだ、きっと。人間の醜さを鋭くえぐる・・・みたいな一般評ですが、そーかなぁ? 一般世間じゃ相手にされない、ただの僻みオヤジの妄想じゃん? とことん意地悪に描いたり見せたりするんだけど、所詮、「頭の中で考えられること」の域を出ていない(レイプなんてその最たるもん)。現実に起きていることなんて、もっと凄惨だし醜悪だよ。好みの問題だけど、観念ドラマ見せられたって、「はー、そーですか」としか思えないじゃん。展開も読めちゃうし、ラストも想像通りで、つまらん。人間ってのは、理屈じゃないところで動いてしまうことがあるからドラマになるのにさ。構成的にも冗長で散漫。「どーだ、オレ様ってスゴイだろう!」って言いたいのだけは、しっかり伝わってきたよ、と監督に言ってあげたい。 【すねこすり】さん [DVD(字幕)] 1点(2009-06-22 11:20:01)(良:4票) 184.《ネタバレ》 私たちが最も嫌いなのは、「凶悪殺人犯」ではなくて、「偽善者」だと思う。ドッグヴィルの村人たちは、グレースを裁こうとしました。またグレースのほうも、自分の正当性を出張して、父の力を借り、村人の連中の裁きを断行します。よく考えるとドッグヴィルも、グレースも、お互いが相手の罪を指摘し、お互いが相手を裁こうとしていることが分かります。そして、ドッグヴィルはグレースを裁くことに失敗し、グレースは裁くことに成功した。その違いがあるのみです。グレースは子供の殺し方まで命令した。だからこそ、すべての人間は「罪を持った愚かな生き物だ」というメッセージが明確になったのです。もし、グレースが中途半端なことをして、観客に同情されてしまったら、この映画は、間違いなく失敗作で終わったはずです。監督が私たちに、分からせたかったことは、「人間は自分の罪には鈍感だ。しかし他人の罪には敏感なのである。」と、いうことに尽きると思います。それなのに「偽善者のトムが一番むかつく!」と、私たち観客が言い出したら、せっかくの監督の苦労も水の泡ですね。 監督はこの映画で、何度もこう叫んでいるのです。「世の中には、自分は善良な人間だ!と思い込んで、他人を裁こうとしている者が多いのだよ。それはドッグヴィルの連中であり、グレースであり、そしてあなたたち観客なのです。 みんな自分の罪を棚上げして、他人の罪を非難しているのです」 この映画をみて、自己嫌悪に似た嫌な気持ちを味わった人は、正しい見方ができた人だと思います。反対に、「僕は悪くないもーん。グレースは悪いやつだなー。いや、トムのほうがもっと悪いかな? やっぱり監督が一番悪党だなー。けしからんぞー」と考えている人は、虚無感を感じない正義感たっぷりの幸せ者です。そういう人には、トリアーの魔法も効かないでしょう。 【花守湖】さん [映画館(字幕)] 9点(2005-01-23 19:39:18)(良:4票) 183.私が考える、全ての露悪がありました。村人の偽善の破綻があり、そこから露呈するグレースの醜悪な傲慢があり、そしてその傲慢の表出をカタルシスと感じてしまう、救いようのない観客の脆弱がありました。私の中の愚劣の暴露がありました。全ての人間に対する、監督の嘲笑がありました。やってくれました、あの極悪人。でも爽快だった。だって私は薄っぺらい偽善は虫唾が走るほど嫌いだけれど、薄っぺらい偽善の破綻はたまらなく好きだから。たとえその悪意が私に向けられたものだとしても、甘んじて受けよう。観ながらここまで心が饒舌になり、高揚した映画は久しぶり。ビバ!尊大な露悪師、ラース・フォン・トリアー。私は今日も、自分の中の脆弱や愚劣、汚らしい「犬」を抱えて生きてるよ。 【ひのと】さん 10点(2004-08-14 14:10:18)(良:3票) 182.《ネタバレ》 最高に気持ちのよい映画だった!面白い! 虐げられ、犯され、裏切られ、最後に大反逆の町人皆殺し! 私は歓喜しました。なんて単純明快な復讐劇でしょうか。 「ソドムの市」でファシストたちを撃ち殺せなかったフラストレーション を、この映画はサクッと解消してくれました。 白線で構成されたセットは、演劇を意識したものかと最初は思ったけれど、 途中から古いコンピューターゲームを連想。ドラクエのように、壁の向こうに 誰がいるのか丸わかり。しかし役者たちはその見えない壁を意識しながら 自分を演じる。まさにそれは我々の姿だ。なんという発想! 奇跡のように美しい二コール・キッドマンの首に鎖を繋ぎ、犬のように扱う背徳。 抵抗できない彼女に男は肉欲を露わにし、女は嫉妬を歪ませる。嗚呼、なんて醜い。 改心する機会は幾らでもあった、奥底では間違いにも気付いていた、 それでも変わらない、変えようとしない人間なんて、犬以下だ。 人を許すことは時に、自らの救済に繋がる。人を許すことで、自らは優位に立つ。 自分は別の、良いものになれたような錯覚に酔える。 しかし衝動は消えることはない。外に向かわないものは、しっかり内に蓄積される。 投げられた球は投げ返せ。やられたらやりかえせ。そうして人間は当たり前の 距離感を手にしていくんだ。その行動が善か悪かなんて問いはやめておこう。 私はたとえ悪であっても、やる時はやるぜ。その時は装ったりなんかしない。 純粋に牙を剥くだけだ。そう、ラストシーンの二コールのように。 【337】さん 10点(2004-07-23 07:21:06)(良:3票) 181.ラース・フォン・トリアーに告ぐ!「ダンサー・イン・ザ・ダーク」といいこんなことして楽しい?人間、大嫌いだろ!人を喜ばそうという気持ちが無いだろ!3時間近くもかけて人間の嫌な部分しか見せないそのやり方、己の自己満足でしかないようなものを作る。ラース・フォン・トリアー信者だけ集めてそういう人達の前だけで公開してくださいという気持ちである。変態は変態でもお前の変態にはもう付き合いきれない。日本にも変態映画や人間の醜い部分を徹底的に描いて見せる監督もいる。例えば増村保造監督がその代表例であるが、増村映画には観ていて、主人公に対して愛情みたいなものを感じるし、主人公に対しても同情出来たり、応援したくなったりと感情移入出来たり、脇を固める人達も同じように感情移入してしまうものがあるが、この監督の作品に出てくる人間には誰一人として感情移入出来ない。そんなこの監督、本当に見ていてうんざりです。この映画を支持している人は同じ監督の他の作品もきっと支持するだろうし、反対に受け付けない。支持しない人は徹底的に受け付けないであろう!私は断然、支持出来ない派です。もう二度とあんたの撮る映画は見ない。さようなら!ラース・フォン・トリアー! 【青観】さん [ビデオ(字幕)] 0点(2009-07-12 18:10:25)(良:1票) (笑:1票) 180.映画とひとことでいっても色んなジャンル、タイプがあるわけで、表現の自由っていうある意味やっかいなモノもあるわけで・・・でもあえて言わせてもらうならコレは映画じゃないでしょ、なにも映画にしなくてもどっかの小劇場でやればいいんじゃないの? 「人間の本質」とか「集団」なんでしょうけど、映画にするなら映画らしくしてほしい。 ある程度のキャリアを築いた役者にとっては、是非やってみたいと思う作品なのかもしれないですけど。たぶんニコール・キッドマンが出ていなかったら観る人も減っていたんじゃないかな、だって「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の後だもの(私はあの映像とビョークに耐えられず30分でギブアップしました) ラース・フォントリアーという人、物凄い変わり者のドSなんじゃないの?そして女の私が感じるのは、彼は絶望的に女にモテない人。 この人ってワケあり、薄幸な女をさらに痛めつけどん底に叩きつけるのが好きなの??そんなもの人に見せてどうしたいのよ。コレって続編もあったんじゃない?もういい加減にしてほしい。人間の邪悪で残酷な部分を見せるだけ見せて、だからなんなの?その矛先がいつも女なの、暴力的なセックスをさせるの、なにそれ。人間に対する希望も愛もない、ただただ人間を否定し信じない人に何ができるというのか。 芸術的才能はあっても人間性に疑問有り過ぎと感じる人です。 【envy】さん [CS・衛星(字幕)] 0点(2007-08-26 11:58:29)(良:2票) 179.《ネタバレ》 奇抜な演出だけの作品かと思っていました。とんでもなかった… とてつもなく重い。 作り手は、ドッグヴィルの住人の、つまりは人間の傲慢さ、残酷さ、醜さを描きたかったのでしょうか。いや、当然町の人々だけではなく、グレースや彼女の父親も含む全ての登場人物について同じ視点で描きたかったのでしょう。そうに違いありません。 ただ、私には、そのことを作品の内部でのみ表現しているのではなく、観ている私達観客の心の中にまで拡大して表現しているように思えます。何故なら、このラストシーン、支持しますか?スッキリしましたか?もしかしたら、「早く殺せっ!こんなヤツラは殺してしまえっ!」なんて思いませんでしたか?ラストで彼女が町に残るか、はたまた町を消すか。これだけの長編なのに、僅か数分のラストで作品全体の方向性さえ変わりかねません。 最後の選択を支持するのも傲慢、支持しないのも傲慢。結局人間とは、まだまだその程度の心しか持ち合わせていないのだ、そんなメッセージを観客の心の中に直接生じさせているのだと受け止めました。そして、一匹の犬だけが、全てを客観的を見ていた証人だったのでしょう。全てが消え去り、観察者は姿を現しました。 ちなみに、殺風景なスタジオなのに、途中から(実際には目の前にない)風景が脳裏に浮かび始めました。優れた表現力を持って書き上げられた、そんな小説を読んでいるかのような錯覚におちいったのは、私だけでしょうか? 【タコ太(ぺいぺい)】さん 9点(2004-10-10 00:42:32)(良:2票) 178.《ネタバレ》 かなり監督の意図的な「挑発」が見える映画。人間社会の縮図としてのドッグヴィルには、負の人間性を象徴するような出来事ばかりが起こる。閉ざされた共同体に入り込む「異物」としての主人公。異物を受け入れることで、他者からの見返りを期待する村人たち。その彼女を受け入れさせたりと、他者を説得する行動自体が自己目的化する男。その善意が彼女のためではなく、内側に向けられた自己満足であることにも気付かない愚かしさ。そして、期待が裏切られたという一方的な思い込みから、その感情を相手に対する憎しみに転化させる自己正当化と自己欺瞞。 監督は人間社会で起こりうる典型的な人間性の露悪を、壁の無い舞台セットを使って文字通り「劇的」に描こうとする。そしてラストにおける「粛清」こそが、この作品を見ている我々に対して向けられた挑発であり、監督が最も言いたかったことであろう。 私自身がそうであるように、誰でもあの虐殺シーンを見て少なからずカタルシスを味わってしまうという脚本構成が曲者。詰まるところ、それは自分が見てきた村人たちの「罪」に対する「罰」として、今度は彼女の立場に一方的に同調して「殺されて当然」と殺人をも許容している自分自身の人間性と向かい合う構図になっている。良くも悪くも嫌らしい作品である。 【FSS】さん 7点(2004-09-12 04:07:32)(良:2票) 177.《ネタバレ》 演劇のような映画で、こういう作品は初めて。 作り手の挑戦的な姿勢には好感が持てる。 ニコール・キッドマンのこの作品での美しさは、思わず見とれてしまうほど。 それと対比的に、天使に甘えて牙を剥き、エゴの捌け口にしていく人間の醜悪さに不快感が募っていく。 集団で一人のよそ者という弱者を奴隷化していく過程が見事に描かれる。 理不尽な行為を正当化して善人を装う人々に虫唾が走る思い。 力を持たない者に対して露呈した傲慢な残虐さ。 その捌け口になった弱者が実はマフィアの父という恐るべき力を持っていた。 圧倒的な暴力によって報いを受けるラストは、なるべくしてなったもののようにも感じる。 同監督の「ダンサー・イン・ザ・ダーク」もそうだが、人間のダークな部分をえぐり出すのが実に巧み。 3時間の長尺で、前半は少し退屈で先が思いやられるが、村人たちのエゴがさらけ出される後半は引き込まれて時間が短く感じる。 ニコール・キッドマンが妙にハマっていて、他の女優だとここまでうまくいかなかったような気がする。 【飛鳥】さん [DVD(字幕)] 9点(2014-05-10 22:57:04)(良:1票) 176.《ネタバレ》 田舎の人は良い人?ハァ???何幻想抱いてんだコラ!!!てな映画。相変わらずこの監督の放つ捻くれたメッセージは強烈です。しかし二コール・キッドマンが美しいと思ったのはこの映画が初めて。何の変哲もない村が、徐々に「グレースとやろうよ どうぶつの森」に変貌するのも無理はないかもなと思う程でした。 【njld】さん [DVD(字幕)] 6点(2008-12-18 22:53:25)(笑:1票) 175.《ネタバレ》 集団の中で人は人を助け、受け入れ、許して生きていくべきなのだろう。が、保身という本能から他者との間に壁を作り、弱者を虐げる事で自分を守ろうとする。弱者をみつけ、その弱みをみつけ、そこにつけこんで住民達が欲望を満たしていく様はまさに犬のようである。実際には存在しない壁をそこにあるかのように振る舞う住民達が生活するあのセットは人間の本質を表しているようにも見えた。俳優陣の演技、絶妙のストーリーテリング、深いメッセージ性に魅せられる、必見の人間ドラマである。 【サムサッカー・サム】さん [CS・衛星(字幕)] 9点(2008-01-23 23:55:17)(良:1票) 174.まず最初のシーンで猛烈に引き込まれてしまった。 舞台形式?映画じゃない?そんなの気にしません! 映画館で上映したら映画だと思ってますから。 なんといってもこの映画、 白線しかないこの世界が途中から脳内で建物とか見えてくるんですよ。 きっとこういう風景なんだろうなとか想像できるんです。 主人公が動いてる間、他の人は同じ時間に何をしているかがわかる。 リアルじゃないですか。 どんな作品でも主人公が何かしている間、同じ時間が過ぎて行き何かしら行動しているんですよね。 そういうのを狙っているのかなと思ったりします。 あとチャプターごとに別れており、この上映時間にして全く気にならない。本当凄い。 まぁ最初から心掴まれたのだから、もう監督にしてやられた感じですね。 章で別れた展開がラストまで引っ張るのに覆いに役立っている。 うーん、この監督とは肌があうんだろうな。 とりあえず舞台形式というだけで壁を作ってしまった人はもったいないなぁと感じますね。 あ、ただ一つ。 犬は実際の犬でも良かったんじゃないかなと思う。 【非映画人】さん [DVD(字幕)] 8点(2007-12-20 16:38:40)(良:1票) 173. 奇をてらったように感じるスタジオセットでの撮影ながらも、3時間もの長尺を、飽きさせることなく見せる演出力は、この監督の認めるべき才能だと思います。多くの方が指摘されているように、演劇・小説・映画を融合させた実験は、成功したと言ってもいいのではないでしょうか。また、グロテスクな描写を排したり、ニコール・キッドマンを主役にキャスティングすることなどで、メジャーな商業映画の枠内に滑り込ませるという、バランスの取り方も巧妙だと思いました。実際、120を越えるレビュー数は、決して少なくない人たちが観賞した証だと思います。 しかし、残念ながらこの映画を見た後で、心に感じたこと、残るものはほとんど無いという印象を持ちました。3時間ものボリュームに加え、人間の暗部を描くという重苦しいテーマにも関わらず、見終わった後に観客に対して、考えさせるものがほとんど無いという、肩透かし感を強く覚えました。 その原因は、作家=監督の意見・考えが見えてこないからです。人間の醜さや、心の闇の部分、自己中心的なふるまいなどが次々と映画の中で描かれていきます。しかし、それに対しての監督の見方は決して描かれません。「人間の暗部をえぐる」といった言い回しが使われますが、えぐりとったものを監督がどう料理するのかが、本当のドラマの部分なのではないでしょうか。言い方を変えれば、人間の暗部を提示するだけなら、誰にでもできるはずです。 「どうです、人間って醜いでしょう」と提示したテーマに対して、例えば「でも、人間にはいい所もあるから好きだ」とか「だから、醜くならないように、努力して生きよう」などの監督なりの考え方の提示が必要だと思います。観客は、そこに共感や違った意見などを感じるのであり、それこそが映画における「対話」なのではないでしょうか。 才能はあるが、対話はない。映画としては、物足りない出来であったと思います。 【塚原新】さん [DVD(字幕)] 2点(2007-02-09 18:55:42)(良:1票) 172.《ネタバレ》 たしかに下手な偽善よりは露悪の方が良い。この映画における様々な露悪は一つ一つでは理解できるし、ラストは積み上げた露悪を焼き尽くすあの壮絶なカタルシス以外ありえなかった。だけれど納得できない。なぜかと考えるに、そもそもこの監督自体が好きではないのだと気づいた。こういう考え方をして、それを映画に撮り、他人に披露する、そういう人間が僕は嫌いだ。と、これでは映画のレビューになっていないけれど、映画を撮るのが人間である以上、それはしょうがないじゃないか。 【小塚】さん [DVD(字幕)] 0点(2006-12-27 18:02:50)(良:1票) 171.ただ白線を引いただけのセット。あたかもそこに家があるかのように、壁があるかのように、ドアがあるかのように役者が演じる。その不自然な様を我々は知らぬ間に受け入れる。家を想像し、壁を想像し、ドアを想像し、無いはずの背景が我々の頭の中で作られる。観客は映画を自分流に解釈する。それを逆手に取った手法といえる。そして観客はすべてを見ることが出来る唯一の存在としてトリアーの投げかける「人の行い」を直視する。目の当たりにするのは資本主義のいびつな形。何かを与え何かを得る、のではなく、何かを得るために何かを与える。見返りというものを常に念頭に置いた行いが露呈される。この異様なセットのように自分本位な醜態がさらけ出される。主人公の善意はこの自分本位の資本主義の世界に翻弄される。しかし主人公の善意もまた見返りが前提としてある。その見返りが無かったとき巨大な力が発揮され解決という名の終焉がもたらされる。アメリカ三部作の1本目は強大な力を持つアメリカ、自由の国アメリカが、出来得る限りの皮肉を込めて描かれる。 【R&A】さん [DVD(字幕)] 7点(2006-12-18 14:33:03)(良:1票) 170.俺様、何様、ラース・フォン・トリアー様節、絶好調。でもヤダ。 【mimi】さん [映画館(字幕)] 5点(2005-09-27 01:53:08)(良:1票) 169.《ネタバレ》 街の人間、生活模様をさらけ出したような舞台設定はおもしろい。下手したら低予算のインディー映画に思われるかもしれないけど、この映画はそんなことはなかった。んでもって、見てみればグレースという一人の部外者に対する街の警戒心、防衛本能はいささか敏感。ほぐれたかと思いきや疑惑が生じれば、疑われるのはやはりよそ者のグレース。人間とはこんなものか。田舎者の無言の連帯感は恐ろしい。しかし、ラストのグレースの慈愛に満ちた心から一転した傲慢パパ直伝のスパルタンな仕打ちはもっと恐ろしい。普通の映画ってこういう仕返しシーンを見たら、気分がスカッとするはずなんですがね。そして、トムよ。お前は自分の本の題材にしたかっただけなのか。 【カーマインTypeⅡ】さん 7点(2005-03-06 16:19:31)(良:1票) 168.《ネタバレ》 どうして観ちゃったんだろう。こんな嫌な、いいや、嫌とも違うな、こんなどうにもならない怒りを覚えるのがわかってたら観なかったのに。トリアー!出てこい!スクリーンの後ろで超然としてねえで!何が人間の醜さだ!弱さだ!アメリカの暴力だ!権力だあ?性欲だあ?嫉妬だあ?猜疑心だあ?偽善だあ?答えがないだあ?バカにするな!この変態野郎!出てこい!誰の手も届かないところで隠れていながら”にんげん”や”せかい”を無表情で描くな!ふざけんな!いや、ふざけろ!はぁ、はぁ、はぁ。観た直後の僕はを文字にするとこんな感じです。映画は凄まじい完成度と言っていいでしょう、たしかに。うわさのセットも役者陣の素晴らしいお芝居も、照明や撮影の繊細さも。観ている側を否が応でも映画の(いや、映画が示してみせる世界観の、か)内側に取り込んでいく映画作家としてのトリアーの技術には舌を巻くしかありません。でも僕は許せないのです、きっとひとりの人間としてのトリアーが。マウスの実験を冷徹に観察するかのような彼の目線が。もちろん彼の目線はしばしば、トムという仮面をかぶって映画のなかにも降りてきているのでしょう。いや、そういうことではないのです。”人間性に対する共感がない”なんて安っぽい批判をするつもりもありません。所詮、人間なんてみんな自分の目線から見たようにしか世界を見つめることが出来ないもんです。いや違うな、自分の言葉の知らなさに苛立つばかりです。素晴らしい。けど許せない。この映画の転がしてみせる世界のあり方には、僕は絶対に組したくない。この世界にはきっともっともっと怒りが満ちあふれているから。それなのにこの映画は誰一人怒りを表さないから。僕はそれが許せないんだと思います。彼の立ち位置が。 【am】さん 0点(2005-01-11 04:13:12)(良:1票) 167.トムが諸悪の根源のような気がする。グレースに愛情を感じていたのは真実だろうけど、グレースを不利な状況にある逃亡者として捕らえていた一番の人物だと思う。トムはグレースが町にい続けるには見返りが必要だと感じていた一番の人物だからだ。確かにトムの意図は違うところにあったのだろうけど、結果として住人はそれによって徐々にグレースをそういう存在だと捕らえるようになっていった。だからといってトムは住人にガツンと言ってやる事もできず、ただただ傍観者であるだけ。理屈を考えているだけなのだ。それでは行き着くところにたどり着いてしまうのも当然のことだ。その上、グレースに自分の弱点を見透かされて、それを認めることもできず、マフィアに通報してしまうとはあまりにも情けない。所詮トムは小賢しく、弱いドッグヴィルの住人でしかなかったいうことだろう。またグレースはマフィアの家に育ってきたことに起因するのだろうか、逆説的に相手を理解し、そして慈悲深く、献身的で、自己犠牲的であることを正義だと感じるようになった。それに住人が甘え、つけこんでしまったのだ。グレースの父はマフィアとして生きてたからだろうか、それで生きていけるほど人間は理解的で、慈悲深く、献身的でも自己犠牲的でもないことを知っていたのだろう。むしろその他の住人のほうが一般的なのである。ドッグヴィルにひとつの理想や夢を感じていたグレースは皮肉にもドッグヴィルで真実に気付くのだ。それに気付いたグレースも極端だった。怒りや憎しみ恨みを理由として住人を殺すのではなく、世界のため、正義のために住人を殺すのだ。グレースの視点はある意味神の視点だ。それは父の言うとおり傲慢であり、独善的なんだろう。権力を手にしたグレースは今後どう生きていくのかが気になる。ひとつ映画が作れそう。北斗の拳のケンシロウのように正義のために問答無用で非情に悪に鉄槌を下すような、パロッた映画とか面白そうかな。「法で裁けない人間は私が裁く。神に替わっておしおきよ!」みたいな。あのグレースのキャラならゴッドファーザーを超えれそう。 【りょう】さん 7点(2005-01-03 09:19:12)(笑:1票) 166.《ネタバレ》 ここのほかの人の評価を観て、いかに自分が想像力のないひねくれた馬鹿な奴だってのを理解しました。だって正直なところ、別になにも感じなかったもん。最後のところは当然のごとく村人やっちまえって思ったし、そーゆうラストを迎えても、あー俺って醜いよね、人間って醜いよね、うん わかってる、いっぱいそんなの観てるから映画でも現実でも。で、おしまい。いたって冷静。どれくらい冷静やったかとゆーと、俺がアノ場にいても村人敵にまわして絶対グレースに味方するって!って自信をもっていえるくらい冷静(美人に弱いってゆーか馬鹿マルだしですんません)。でも、それはこの一種実験みたいな演出のせいかもしれん。だってどーしてもリアルに思われへんねんもん。ドアノブないのにまわしてたり、線だけの体育館みたいなところでドタバタやったり、あと綺麗すぎるレイプとか、グレースの人柄とか、所々の描写がどーもディフォルメチックで現実にひきもどされてまう。これ俺だけ?ねー俺だけなの?他にはいないの?俺は想像力ないの?ただこれを普通の映画でもっとリアルにやられたら、ひょっとしたら冷静ではいられへんかったかもしれん。どっかリアルじゃないところに救われたんかも。俺にとって監督はひょっとしたら慈悲深い人なのか?でも慈悲深さも傲慢なんよねーっていってしまってます。そしたら冷静ぶってる俺も傲慢なんやろね。てゆーかこの世は傲慢だらけなんやろね。章じたてで観やすく、ずっと映画に集中できたけどそんなにくるもんがなかった。けどやっぱり実験的な感じで冷静に観ることすらもあの演出にのせられた感があるので満点。 【なにわ君】さん 10点(2004-12-14 09:16:17)(良:1票)
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