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アララトの聖母

Ararat
2002年【カナダ・仏】 上映時間:115分
ドラマ
[アララトノセイボ]
新規登録(2004-12-15)【リーム555】さん
タイトル情報更新(2005-08-12)【rothschild】さん
公開開始日(2003-10-04)


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監督アトム・エゴヤン
キャストシャルル・アズナヴール(男優)エドワード・サロヤン
マリ=ジョゼ・クローズ(女優)シリア
ブルース・グリーンウッド(男優)マーティン・ハーコート
イライアス・コティーズ(男優)アリ
クリストファー・プラマー(男優)デヴィッド
エリック・ボゴシアン(男優)ルーベン
脚本アトム・エゴヤン
音楽マイケル・ダナ
撮影ポール・サロッシー
製作アトム・エゴヤン
ロバート・ラントス
配給ギャガ・コミュニケーションズ
編集スーザン・シップトン
字幕翻訳松浦美奈
あらすじ
映画監督のサロヤンは、聖なる山アララトの麓で起きたアルメニア人虐殺を映画にするためにカナダにやってきた。彼は虐殺で母を亡くした画家ゴーキーを映画に登場させるために、ゴーキー研究家のアニに顧問を依頼する。難解すぎる人間関係がサロヤンの映画がクランクインする後半に一挙につながりをもちはじめる。

花守湖】さん(2006-06-11)
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【クチコミ・感想】

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7.《ネタバレ》  ヒトラーはユダヤ人虐殺を決める際に「誰がアルメニア人虐殺を憶えている?」と語ったと言われていますが、この映画はその「アルメニア人虐殺」について劇中劇という形を取りながら現代に伝えている映画です。

 劇中劇という形式をとることによってこの問題について説明を加えながら話が進んでいくので、殆ど知識が無くても理解しやすい内容になっています(プロパガンダ的な感じもしますけど)。まあ、例えれば「パッチギ!」の設定をトルコとアルメニアに置き換えたみたいな感じと言えばわかり易いですかね(作風や内容はぜんぜん違うので、暴論かもしれませんが)。

 しかしまあ、日本も同様の問題を抱えていて決して他人事ではない話なんですよね。未だに「憎しみの連鎖」を断ち切れずにいる人類の現実には目を背けたくなります・・・・・。

 非常に、白黒つけるのが難しいテーマであり、いろいろと考えさせられる映画でありました。
TMさん [DVD(字幕)] 8点(2007-10-06 22:29:17)

6.《ネタバレ》 たしかにアルメニア人大虐殺を史実だと訴える側面を持ってはいるものの、あくまで側面である。メインは愛する者の死に何らかの意味を見出そうとする男女の物語であってアトム・エゴヤンの一貫したテーマを追求している作品である。暗殺者として死んだ父の死を自分の中で消化させるためにビデオカメラを持って旅に出る。父の自殺を受け入れられない娘は受け入れられないがゆえに母を憎む。そこに時代を遡り画家ゴーキーの、母の絵を通した母の死の受け入れ方が示され、さらに虐殺された人々の死を生き残った者の子孫がどう受け止めるべきなのかという同じテーマを持ち合わせたサイドストーリーにリンクさせる。愛すべきものの死、、忘れることも無視することも無かったことにすることも、受け入れたことにはならない。十八番の過去の挿入のうまさはここでも健在。残念なのはアルメニア人大虐殺がクローズアップされても仕方のないほどのインパクトを持ってしまっている点。
R&Aさん [DVD(字幕)] 6点(2006-10-05 15:36:10)(良:1票)

5.(ちと長文) 前年度には、やはりトルコ軍の悪逆無道振りを描いた「ダスト」という映画も作られており、どうにもここ最近のこれらの作品には、トルコのEU加盟に反対する政治的匂いを感じる。我が国が国連常任理事国入りの運動を活発化させると、中国・韓国が反日運動を活発化させる様なもんでしょうか。何千年も昔の遺恨が原因で戦争してる所もある位ですから、高々百年足らずの過去の恨みを忘れられないのも理解できます。しかし特定の民族が残虐なのではなく、イスラエルやチベットを見てみれば、かつての被害者であるユダヤ民族も中華民族も同様に残虐なのは明白。要するに、人間という種が残虐なのです。私としてはその部分こそ重要。製作サイドはトルコに対し、アルメニア人虐殺を認めさせたいのでしょう。「事実」を劇中劇という形で提示し、麻薬密輸容疑者の話を「信じる」という行為から、自分達の訴えを無条件で信じて欲しいという気持ちは窺えます。では、それを信じたとして、南京大虐殺を認めたとして、彼らはその後の関係をどうしたいのか? たぶん千年後も同じ問題が持ち出されることでしょう…、5点献上。 sayzinさん [CS・衛星(字幕)] 5点(2005-08-26 00:09:00)

4.《ネタバレ》 日本人がこの映画をみて頭に浮かべることは、いまだに中国から「嘘」か「本当」か分からない南京虐殺事件を責められていることだと思います。 興味深かったのは、アルメニア人大虐殺映画に主演してしまったハーフのトルコ人役者の心の葛藤です。 これは日本人が中国に行って南京虐殺映画に主演するようなもの。たとえ役者としての出世がかかっているにせよ後悔の念や自己嫌悪で苦しんでいる様子が随所に伺えます。 憎しみから何も生まれないとはよく言います。歴史認識に関しては疑問はありましたが、アルメニア人の両親をもつエゴヤン監督にとってこれは、自分のルーツを確認するための映画なのかもしれない。 しかしこの映画は歴史を扱っただけの映画ではなく私は再生の物語だと感じました。 これだけは絶対に言いたいことですが、この映画は時間軸の使い方が非常にうまく、3つの時間の流れと、2つの家族が丁寧に描かれています。 これほど完璧な構成力を持った映画にお目にかかることは1年に1度あるかないかだと思う。 登場人物では、父親の死に対する悲しみを義母への怒りに変えてしまった娘や、どうしてもゲイの息子を認められない堅物の父親(税関の仕事をしている)が特に印象的でした。 娘の悲しみが怒りに変わる心理はアルメニアの歴史と似ている。 そしてこの2つの壊れかかった家族が、アルメニアの主人公をきっかけにして再生していく─。 娘の刑務所のシーンや車のシーンがそれに当たります。 ところで取調室で主人公の少年を救ったのは税関検査官ですが、本当に救われたのは税関検査官だと思う。 赦すという事が理解に変わり自分が変わることもある。 そしてアルメニアの画家ゴーキーが時間軸を越えて現在の義母の前に現れたあの瞬間、監督がこの映画に望んでいた本当の目的が見えてきました。これはアルメニアに深い想いを抱く監督が作った執念の傑作です。なんと素晴らしい構成力を持った映画でしょうか。 花守湖さん [DVD(字幕)] 10点(2005-08-22 19:56:51)(良:1票)

3.《ネタバレ》 「負の連鎖」という言葉がある。虐げられた怨念が攻撃に変わり、攻撃された側はまた怨念を蓄積させて攻撃する。いつまでも終わらない戦争の根底には、この「負の連鎖」があると思う。この映画の中で、トルコ大使暗殺未遂で殺された父親、映画を観ていて大使役を憎むラフィなど、「負の連鎖」がまだまだ続いているんだなと感じた、そして、何より
この監督にはそれに対する問題意識があるのかな?平和を望んでいるのかな?と疑問に思った。この映画には被虐はあっても、それを先につなげる意志がない。なんだか、進歩のない映画だと思ってしまう。
戦争という題材はとても難しい。どうしても片方の立場から描くことになるし、他に伝えたいことがあっても、歴史考証的な部分に間違いがあればなんだか威力不足となる。一方的に他者を非難するような描写を行ってしまった場合は、観てる側に違和感を残す場合が多い。そういう目で観た場合、やっぱりこの映画は失敗なのではないだろうか。
トルコに対して一方的に非難しており、歴史考証も「映画の映画」という手段で切り抜けており、説得力がない。(アララト山が見えないという会話は、「この映画の戦争シーンはフィクションですよ!という告知なのだろうか?」)本当は戦争とは違うことが言いたいのかもしれないが、それすらはっきりしない。
「映画の中に映画がある」という入れ子構造もあまり意味をなしていない。監督にとっては非常に身近なリアルな世界なのかもしれないが、観るものにとっては、それも普通のフィクションであり、観る側と作り手側に意識の差が生じている感覚がある。
最後まで、監督が何を示したいのか、何をアピールしているのかわからなかったこともあって、この映画にはちょっと失望した。もう一度観ればよくなるものなのかもしれないが、もう観ないと思う。 feroさん [DVD(字幕)] 5点(2005-06-27 14:05:23)

2.[好きなところ]----1. 歴史というのは過去と現在の対話の中で成り立つのだという視点がしっかりしていること。2. 税関吏のじいさんと主人公の対話。そしてじいさんが異質なものの存在を承認するところ。カナダの多文化主義の状況が少なからず伝わってくるし、それとアルメニアの問題を結びつけ、現在と過去の対話がはかられるところはさすがだと思った。3. トルコ人総督役と主人公の対話。私たちは過去の文化をどれだけ請け負っているのかについて考えさせられる。4. アララト山のきれいなこと。、、、、、、[嫌いなところ]----1. トルコを告発する姿勢を保っているところ。トルコを告発する映画になってしまうと、この映画の存在価値はほとんどないと思う。2. 音楽に想像力をいまいち感じないところ。3. 原題は「アララト」なのに、「アララトの聖母」という邦題をつけたこと。これはもちろん配給会社の問題で、映画自体に関係はない。、、、主人公の父親も、義妹の父親も死んでしまっている。=父親の不在=神の不在、それを税関吏との対話で、主人公は父の魂=神、を感じたといっている。聖母というのはあくまで神への媒介者にすぎない。母なるものを尊ぶ農耕日本教的発想をこの映画に持ち込むと、大事なところを見誤ってしまう危険があると思う。
王の七つの森さん 8点(2005-03-26 00:02:58)

1.《ネタバレ》 この作品は1915~22年に起きたとされるアルメニア人大虐殺を素材にしているが、よくあるナチスのユダヤ人迫害モノのように「こういう悲惨なことが実際にありました、酷いですね~、悲しいですね~」というだけの映画ではない。一個人にとっての民族のアイデンティティ、そして歴史とは何か、という事を、例えば父親を義母に殺されたと思い込んでいる少女を配する事で観客に訴えているし、或いは劇中劇と回想シーンを意図的にダブらせることで(劇中劇の方は英語が、回想は現地語が話されている)、「解釈」と「事実」の間の曖昧さを表現している。・・・・・・と、思ってたのよ、途中まで。要は色々な要素を入れることで作品を膨らませ、広げようとしたんだろう、とは思うのだけれど、なんか終盤は尻切れトンボな感じに思えてしまった。結局なぜゴーキーは自分の絵の母の手を消してしまったのか、とか主人公のラフィはトルコで何を見出したのか、とか(そもそもなぜトルコへ行ったのかもイマイチ曖昧)なぜ彼の父はテロ事件を起こしたのか、とか、税関のデヴィッドはなぜ(それと知らずに)ヘロインを持ち込もうとしたのか、とか、多くの不可解な点が謎として残ってしまった。良く言えば「観客に解釈を委ねる」ということかもしんないけど、僕には「風呂敷を広げすぎて畳めなくなっちゃったもんだから投げ出した」ように思えてしまったぞ。もちょっと馬力出してくれ、アトム。 ぐるぐるさん 7点(2005-03-04 20:11:02)

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【点数情報】

Review人数 7人
平均点数 7.00点
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