みんなのシネマレビュー |
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ネタバレは禁止していませんので 未見の方は注意です! 【クチコミ・感想】
3.《ネタバレ》 「痴呆になると、知能のレベルは落ちる。しかし情緒のレベルはそのままである」 「心を大切にする介護を続ければ痴呆は治らないが、症状は軽減できる」 (作中における病院長室伏医師の話より) ドキュメンタリー作家として女性の視点から数多くの作品を 手掛けられている羽田監督。ジャンルとしては芸術・福祉 、あと(女性の)人権問題等に秀作が多いが、個人的に 印象深かったのは岩波ホールで鑑賞したこの作品。 痴呆症患者=人格を失った者であり、他者への迷惑を 防止する為に行動制限を徹底して行う事が最適な対処方法 として行政や世情世論がまかり通っていた80年代。そんな中 「あくまでも人間として尊重し、残りの人生を実りある様にする」 「患者に寄り添い、失った人格をも肯定してゆく」事を 方針とした国立病院内の痴呆症施設を2年間に 渡って描いたドキュメンタリー。 「個人の尊厳を尊重する」「QOLの質を高める」事を 介護上教えられる流れは現代では当たり前のこと。 なので昨今の認知症を取り扱う映画に比べ、 目新しさや啓蒙させられる点は薄いのは否めない。 ただこの映画が優れてるのは認知症に関する知識が 少なった当時、フィルムに映し出された不安・焦燥感は ドキュメンタリーとは言え劇場用映画よりも印象強い。 そしてこの映画に出てくる彼女らはもしかしたら 未来の自分達なのかもしれない、という点で 後世に与えたインパクトは大きかったのではないか。 (但、私自身はこのラストに関しては「正しい知識をもって 認知症に対応すればきっと社会はより良くなる」という 希望を感じさせて好きです) どうすればよいか、皆それぞれ考えてみよう。 機会があれば是非。長文失礼しました。 【Nbu2】さん [映画館(邦画)] 7点(2022-01-12 15:07:07) 2.干し固まっていたような痴呆性老人、その豊かな内面が突然広がりだすところに感動がある。タオルの畳み方を皆に教える。あるいは餅つきで、アンコを包んでキュッと絞り切るあたりの手際のよさ。いつもムッツリしてたお婆さんが、孫の面会で別人のように穏やかな顔になる。自分の名前もよく言えなく、旦那が生きているのか死んでいるのかも分からないサダ子さんが、百人一首を上の句の五文字を与えられただけですらすら後を言えるとこ、彼女が百人一首に熱中していた少女時代までが急に匂い立ってきて、ズーンと奥行きが出てくる。子どもに会いにと風の中を歩いていくお婆さんだって、自分の子どもが幼かったころの壮年期が湧き返っているわけだ。彼女たちが生きてきた時間が「過去」から解放されて溢れ出す。時代の氾濫とでも言いましょうか。もう「痴呆性老人の宇宙」。この豊かな何層にもなった時間の渦を肯定的に捉えている。もう「痴呆性」という部分はさして関係なくなってきて、老人一般のドラマになっている(お爺さんはどうなんだろう、という疑問は湧くが)。たまたまこういう症状が出たおかげで、その宇宙が外に表われた、そこのところを作者は手際よくキャッチした。クリスマスプレゼントでチャンチャンコを一番喜んでいるところに女を見る作者も、女性であります。お正月が終わって送りにきた付き添いが、お婆さんがほかのことに熱中している間にこっそりと去っていくシーン、去った戸口からパンしてお婆さんを捉えるのが切ない。さらにもっと切ない二年後が続くんだなあ。 【なんのかんの】さん [映画館(邦画)] 8点(2010-10-11 10:06:36)(良:1票) 1.念願叶って、やっと観る機会を得たドキュメンタリー映画。 川崎市民ミュージアムにて鑑賞。 東京都内地区を抑えて、川崎でこのような貴重なドキュメンタリー映画を観られるなんて、なんか複雑な気分だ。 内容は、題名の通りで、老人性痴呆症、現代においては認知症と呼ばれる病気に焦点をあてた作品だ。 老人ホーム内の廊下に、ひれ伏すおばあさん。 意味不明なことを話し続けるおばあさん。 行くあてもないのに、やたらに外に出たがる徘徊癖おばあさん。 とにかく、おばあさんおばあさんのオンパレードで、おじいさんがほとんど出てこない。 これは間違いなく、羽田澄子という女流監督ならではの意図的な内容構成だろう。 特に胸打たれるエピソードがあったわけではないが、なかなかためになる内容だった。 認知症の患者とどう向き合えばよいのか模索する当時の介護・医療の現場を見ることができたのが良かった。 【にじばぶ】さん [映画館(邦画)] 6点(2010-02-17 22:08:50)
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