みんなのシネマレビュー |
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ネタバレは禁止していませんので 未見の方は注意です! 【クチコミ・感想】
3.あまりにも生々しい家族の姿。もとより大学生の卒業制作、映像も音もほぼ加工無しの生の状態で、制作の理由もいたって素直。リアルな家族の姿がくっきりとした表情でそこにある。私の場合、画面の向こうは自分の知らない別世界…というスタンスが常なので、画面から投げられる直球が中盤からだんだん辛くなる。撮影される(する)ことで、3人それぞれの心の内もずいぶん変化があったように思える。お母さんの千鶴さんや息子である監督への表情、息子と対決し、やがて息子に対して持っていた自身の思いと対決した親としてのリアルな姿は、今まで見てきたどんなドラマよりも力強く、勢いを持って胸の内に飛び込んできた。点数は一応平均にしてあるだけで、本当は付けたくない。他の映像作品とは質の違うパワーを持っている。 【のはら】さん [映画館(邦画)] 7点(2012-04-16 22:15:15) 2.その聡明さはインタビューでの応答の姿に明らかでありながら、カメラの前で気取りも衒いもなく「家族」を生きてみせる母:赤崎久美さん、そして娘:千鶴さんが素晴らしい。 二人が仲睦まじくソファに並んで寝そべるショットや、散歩の途中の木陰で二人が寛ぐショットには淡い切なさ以上に穏やかな幸福感が充溢している。 カメラを前に二人が取っ組み合うシーンにおいても、打擲や噛み付きのコミュニケーションに強く滲むのは二人の「絆」のほうだ。 新しい家族・バナナと初対面し、恐る恐るその存在と触れ合い、受けとめていく千鶴さんの感動的な身振り。 散歩中、見知らぬ通行人に向かって突然駆け出す彼女を、手持ちのDVカメラが慌てて追いかけ画面は大きく揺れる。すると、彼女はカメラの方を向いてからかうように笑いかける。 その天真爛漫な笑顔は観客を魅了し揺さぶらずにはおかないだろう。 『ちづる』は作り手の意図やテーマや主張を越え、概念や一般的属性をも越え、その人間固有の具体的魅力を以って迫ってくるのが何よりの映画的美点だ。 監督自身を含めた家族4者を、時に引いた固定ローポジションで、時に被写体に寄り添うハンディでと、絶妙の距離とフレーミングで捉えていくカメラの柔軟な感性の賜物でもある。 【ユーカラ】さん [映画館(邦画)] 8点(2011-11-19 16:56:02) 1.《ネタバレ》 妻投稿■「相手のありのままを見つめる」という事はどういう事なんだろう。この映画で20歳の知的障碍者で見た目は美人女子大生で仕草もかわいいちづるはお母さんのお金を盗む。愛する人がそういう事をしたとき、私はどうすればいいんだろう。そりゃ、インターネットで知的障碍者が犯罪を犯したニュースを見たとき、私なんか「こいつ牢屋に閉じ込めるべきだ」(罪を犯した知的障碍者に対する同じ知的障碍者からの目線は、自分が犯罪者とひとくくりにされてしまう分、健常者の世論以上に厳しい)と言うだろう。でも、この映画はそういうある種インターネットユーザー的な簡単な「断罪」とは別の方向に作品を持っていこうとする。■映画でお金を盗んでお母さんとバトルするちづるがカメラに向かって話しかけるシーン。これによって、作品はマイケル・ムーアのドキュメンタリーにあるような「カメラがただそこに存在しているだけ」というものではなく、「カメラを通じて観客がそのコミュニケーション世界に存在する」映画なのだという事に私は気づかされた。そのうえで「相手と向き合うという事はどういう事なのか」という一生答えの出ない命題に悶々と観客に突き合わせるコンセプトは、画面の前で観客が安穏とできない分、かなり怖いことなのかもしれない。■そして多分、「人と向き合う」という事はどういう事か」監督も明確な答えを出していない。しかし、ちづるを「障碍者」「かわいい20歳の女の子」という記号で受け取る(監督の自省にも受け取れる)という事をまずやめてみよう…という意志は感じさせる。人間を何かでひとくくりにすることは複雑な社会では仕方がないのかもしれないし、それに「盗み」が関わるならむしろ記号化はしなければいけないと思う。しかし、「記号化こそ真理」というような世の中は爬虫類の世界だ。そういう考えが蔓延している昨今、この映画はスパイスとして十分な効能を持っていると思う。 【はち-ご=】さん [映画館(邦画)] 8点(2011-11-16 02:53:02)(良:1票)
【点数情報】
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