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【製作国 : アメリカ 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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1.  キング・コング(2005) ふと思ったのだが、これポーの某代表作の拡大でもあるわけだ。開拓民であったアメリカ人にとって、いつか大猿(自然の象徴)に殺されるという根源的な不安があったのでは。「白鯨」の話も、つまり外部の自然への畏れだよね。アメリカ文学の始まりには、いつもそういう不安があった。「良い人だけど犠牲になる有色人種」ってのがアメリカ映画にはよく出てくるが、キングコングだってその線だったんだ。そして白人のみが生き残る。異界を安心して安全地帯から見ていた白人に、その異界が襲い掛かる。常に外で行なわれていた戦争のあとで、9・11が来た不安みたいなものか。記録し続けようとする監督の業が、ちょっと面白く、あれ拡大してみてもよかった。合成があんまり合ってなかったような。映画のリズムとしては、島の部分が長すぎた。[DVD(字幕)] 6点(2013-12-10 09:47:22)

2.  虚栄のかがり火 冒頭のB・ウィリスの長回しの印象がどうしても強い。酔いどれてホテルに到着してから会場に行き着くまで。カートに乗ったりエレベーターに乗ったりしつつ、わざと失敗を許されないようなアクションばかり織り込んでいる。お盆を引っくり返したり、ケーキを手づかみで壊して壁に投げつけたり、「長回し」というドキュメントを見ている感じで、これでいいのかな、とか思ってるうちにT・ハンクスの物語に入っていき、やがてウィリスも絡む。検事や黒人宗教家をもっと膨らませ、全体をグツグツ煮立ってる「虚栄の都市」として笑い飛ばせればよかったのに、あんまり笑いが弾けてくれない。デモのふりして自宅に帰ったところのパーティシーンなんかけっこう良かった。猟銃撃っても、みんなただ笑うばかり。判事までは笑い飛ばせなかったところが弱点。「裁く人」になっちゃって、説教しちゃう。B・ウィリスは良かった。どこか一途になりきれない雰囲気があり、人物にゆとりが生まれてる。[映画館(字幕)] 6点(2013-08-03 09:54:19)

3.  キンダガートン・コップ シュワルツェネッガーが幼稚園の先生をやってるってとこに、面白味の大半がかかってて、面白くなくはないんだけど、だいたい予想の範囲内ってとこね。笛吹いて鍛えてくってのには閉口。そしてリンカーン演説でアメリカ精神を真っ直ぐに謳いあげていく、非常時の娯楽映画って感じで、そういう気分だったのか、当時のアメリカ。犯人が子への愛ゆえってとこが、切ない。というよりも、孫への愛に狂う母親の影響ってとこ。狂えるママって怖い。だいたいほかにも脇の若くない女優陣がよかった。中年以降の女優ってアメリカ映画はうまく使える。邦画はうまく使おうとしない。もったいない。途中幼稚園シーンに、も少し犯人側の動きを入れてもいいんじゃないか。コメディとアクションが、うまく融けあってくれてなかった。[映画館(字幕)] 6点(2013-07-15 09:37:21)

4.  キャデラック・レコード ~音楽でアメリカを変えた人々の物語~ 民俗音楽の研究家が南部黒人農夫の唄を収録する。レコードとはもともと記録のことだったわけで、とりあえず記録する目的で収める。農夫はそのことで自分の唄が価値を持つことを知り、町に出てくる。「レコード」の歴史として正しいスタート地点。アメリカ黒人ポップス史の年表を繰っているような映画だ。適度に当時の黒人の扱われ方の描写を織り込み(警官には殴られる・レストランを借り切っても給仕してくれない)語っていく。もっと「人間」が描かれたら、と思うものの、そしたらたぶん音楽史を背景にした普通のドラマになってしまい、時代が発酵しているような気分を捉えられなかっただろう。年表を繰る楽しみに限定した。ウルフなど次々と現われてくる癖のある男たちもいいが、中盤で登場するエタのビヨンセに聞きほれた。前半のフツフツ発酵する濃すぎる時間で、こちらが自然にノビのある女声の歌を求めていたのが分かる。言葉の正確な定義を知らないので間違っているかもしれないが、男たちがブルースの路線で自分たちの音楽を広げていたのに対し、エタはゴスペルの晴れ晴れしさを行ったのか。[CS・衛星(字幕)] 6点(2013-06-12 09:43:57)

5.  キッド(1921) 終わり間近「夢の国」の場になる。登場人物たちが羽根を生やして失楽園を演ずる。いちおう子どもを失ったチャップリンの内面世界ととれるが、ジェラシーとかイノセントとか、それまでのストーリーからは浮いていて、現代人の目にはとてもヘン。これは活動写真が見せ物だった時代の名残りと思うのが一番いいのではないか。ワイヤーアクションで舞台の芸人が飛びかっているような見せ物。古いミュージカル映画のラスト近くにも、筋から自由になった長めのダンスの見せ場がよく置かれる。私は勝手にカデンツァ(協奏曲のコーダ近くにある独奏者の見せ場)と呼んでいるのだが、あれも映画が見せ物だった時代の名残りではないかと想像している。映画がストーリー(筋)に屈伏させられないよう抵抗しているようでもあり、ああいう無意味が氾濫する場を終盤に用意するのは、もと見せ物客だった観客に対するサービスだったのではないか。日本の昔の村芝居では義経が人気だったので、ストーリーに関係なく「さしたる用はなけれども」と言いながら義経が舞台を通り過ぎた、という話はよく聞く。決して無意味が無価値ではなかったかつての演劇の活力を、映画は受け継いでいたはずなのだ。舞台が意味に覆われてしまったイプセン以後の近代演劇のほうが異常なのである(いま思ったのだが、植木等の「およびでない」のコント、大好きだったが、これと関係してないか)。[CS・衛星(字幕)] 7点(2013-05-25 09:36:48)(良:1票)

6.  極北の怪異 《ネタバレ》 カヌーから次々と家族が出てくるところ。海岸のセイウチ猟、腹這いになって近づき向こうが気づくあたりの緊張、仲間のセイウチが沖から心配そうに見守っているところ。家づくりのシーン、ナイフ一丁で窓まで作っちゃう。小さな穴を通してロープで引っ張り合う。向こうから犬ぞりが来るその広さ。などなどが面白かった。今では異文化の暮らしはテレビによってさして珍しくないものになったが、止まった写真ぐらいでしかなかった知識が、動く映像で見られるリアリティは大きな違いだったろう。そのことは人々の世界観を大きく変えたはずだ。フィルムは民族を熱狂によって閉じることにも使われたが、打ち破って広げていく方向にも使われた、そっちを信じたい。モンゴルの遊牧民の映像なんかでも思うのだが、ああいう簡単に移動できる社会で、家族単位の次の地域社会ってのはあるのだろうか。なんかその方向に「地域で閉じない新しい社会」のありようの可能性が秘められているようにも思えるのだが。で本作、あくまで生活中心に追っていく。生活の厳しさは主に犬によって表現されていた。飢えて吠える犬、ブリザードの中で真っ白になっての遠吠え。[映画館(字幕)] 8点(2012-12-23 09:52:21)

7.  キング・オブ・コメディ(1982) 《ネタバレ》 この主人公モロに『タクシードライバー』の子孫で(シナリオは違う人)、行動の過激さ・対人距離の不安定・憧れの女性の存在、など揃ってるが、あっちほど神経症的でなく、けっこう好き。ラストの裏返しが決まってるんだな。どうしようもない気違いだなあ、と思わせといて、今までのドラマだったら、あのトークショーは客に受けないはず。紙の観客相手に練習してたりするのなんかは、だいたい「受けない」のの伏線だと思うわけ。ところがこれが受けちゃうんだな(本当のこと言ってるのがジョークになっちゃうおかしさ)。男の狂気に集中していくようにドラマが展開していって、ラストでくるっと裏返って、世間・マスコミの狂気がサーッと広がっていく怖さがいい。逃げたJ・ルイスが街でそのテレビを見たときの表情もいいし。[映画館(字幕)] 8点(2012-10-04 09:58:18)

8.  キートンのセブン・チャンス 《ネタバレ》 感謝するのは、若いころリバイバルが盛んだったことで、今から思えばビデオ化の波が近づき、それに対処する権利の問題でも絡んでいたのか、映画史の名作をずいぶん大スクリーンで見ることができた。そんな中で圧倒的な迫力だったのがキートン、これと『蒸気船』の名画座での二本立てに魂を抜かれた。プロポーズできない優柔不断男が花嫁の大群に追いかけられるという悪夢が大スクリーンに展開する。前半は「誰でもいいから7時までに結婚する」という必死な男を巡る「心理」的な笑いで、しかしその心理がだんだん「状況」に非現実的に投影されて世界ににじみ出てきてしまう。床屋の首あたりから、悪夢の濃度が濃くなっていく。いつも警官に追われていたサイレントコメディの主役が、花嫁たちに追われるという異様な悪夢(警官の大群に追われる短編『警官騒動』が併映されたので、とりわけ印象的に対比された)。パニック映画の様相も出てきた。満点は一人の監督(映画人)に関して一作、と私は勝手にルールを作っているので『蒸気船』とどっちにしようかと悩んだが、休みなく走るこっちを取ろう。斜面を転げ落ちてきた岩石群が詰まって止まりホッと一息入れられたと思ったら、ゆっくりとまた動き出し始める緩急のリズムのつけ方。たまらない。[映画館(字幕)] 10点(2012-07-16 08:57:28)

9.  キスへのプレリュード 《ネタバレ》 魂が男女の間で移動するってのは、日本でも『転校生』があったが、これは性別よりも歳の問題(でも相手がお婆さんだった場合を考えると、やはり違いはあるわな)。冒頭は壁を伝わって伸びていく蔦を追ってボールドウィン君へ、その眼鏡に映る時計台、と御伽噺的な雰囲気を与え、また時がテーマであることも確認する。ストーリーが動き出すまでの、結婚式の部分までのほうが演出は生き生きしてた。パッと老人のほうに話が変わって結婚式場へあわててくるあたりはワクワク。結婚式の誓いの言葉も「時」を含んでいる。「どんなに年取って、歯が黄色くなっても愛してくれる?」ってモチーフ。で魂が入れ替わる。新婚旅行で妻に何か未知のものを感じること。この場合、「相手」を未知のものを持っている妻に見るのか、未知の姿に変えられた魂に見るのか、ここらへんの不安定感。細かいところでは「アゲイン」を口ずさむとか。日記によって、妻になりきったふりをするとこで、見抜いてしまうボールドウィン君。泣き濡れていたバーでの魂のリタとの再会。ここらへんグッとくる。ボールドウィン君は、こういうヤサ男やると悪くない。老人が若さを憧れたっていうだけじゃなく、リタも一瞬、もう選択する不安のない老いの安定を望んだってとこが面白い。ヒロインはニヒリズムに、老人はガンに冒されていたわけで。[映画館(字幕)] 6点(2012-01-27 10:20:01)

10.  キートン西部成金 《ネタバレ》 キートンはアメリカにおけるヒーロー像をひとつひとつ自分流にパロディにしていったってところがあるが、これではカウボーイ。牛を移動させるのがカウボーイの仕事、キートンは真赤な悪魔の格好をして牛の大群に追われつつ走る(もちろん画面は白黒だが)。笑った笑った。まずあの単純さがいい。牛を早く進めるためには赤いものを動かせば良い、という知識から、直線的に悪魔の衣装に飛躍してしまえる身軽さ。単純さを望んだがためにかえってヤヤコシイ目に遭ってしまうパターン。それは一途さと言ってもいいわけで、牛のブラウン・アイへの純愛も最後まで貫かれる。一途ってことは人の迷惑を気にしないことでもあり、町中を牛の大群を連れて歩くことに関する社会的配慮を、いっさい無視できる感覚でもある。それでいて特定の女性の視線は気にしてしまうんだけど。つまり特定のものだけが見えて社会全般が見えなくなってしまうのか。だから「世間知らず」ってことにも通じて、牛の乳しぼりで缶を置いたまま向き合って座ってたりするわけだ。変に執着するってのもあるな。いつも食事に遅れていた彼が、真っ先に駆けつける執念。いろんな要素があって、しかしそれらが総合されるとキートン的としか言えない存在にちゃんとなってるんだ。[映画館(字幕)] 7点(2011-07-28 09:56:32)

11.  キートンのラスト・ラウンド 世間知らずのいいとこのボンボンが、恋のためにその安逸の世界から思わぬ状況に挑まねばならなくなる、ってパターンがキートンでは多いんだけど、そのときの当惑して心細そうに直立してる姿を見るだけで、もう嬉しくなっちゃう。まずお坊ちゃんぶりの山の生活で笑わせるが、ヒロインが登場し二人でテーブルで肘を突いて話しこんでいると、次第にテーブルがめり込んでいって、普通のピクニックのような自然な腹這い状態になる。ヒロインが現われることによって生活が変わっていくであろう予感。嘘からトレーニングをしなければならなくなる。何しろ拳闘選手。練習のシーンだったか、スカンスカンと空振りしながら相手と組んでいるときの動きなんか最高だった。手の動きと目線とが食い違ってて、もちろん相手とも合っていない、悲劇的で滑稽なダンス。で、最後はコケにされていたことが分かると憤然と名誉のために頑張ってしまえるパターンで、他の傑作群と比べると後半がちょっと弱かったけど、でもいいんです、あのお顔とお姿を見られればそれでもう。[映画館(字幕)] 7点(2011-07-14 09:57:19)

12.  キートンの大学生 《ネタバレ》 晴れたカリフォルニアの字幕の後に雨の卒業式。青白きインテリの坊ちゃんといった優等生を喜劇の主人公に据えるところがキートンの世界。運動の害についてのスピーチをしていると体が前傾し、後ろの教授たちもそれにならって傾く。まったくどんな深読みも許されぬただ荒唐無稽なだけのギャグ、これが実におかしい。キートンにおける「姿勢」ってのはじっくり考える必要があるかもしれない。で彼がメアリーの心を捉える目的で、「スポーツをするために」苦学生として大学へ行くとこになる設定。野球をやれば一人でスリーアウトになる。陸上競技のいろいろが単発ギャグの連続で面白いけど、もひとつ盛り上がらぬということはあるか。円盤投げで自分の頭上に落ちてくるのではとビクンとする、とか、ハードルを全部倒して走り抜けるとか。ボートのコックス役でどんな出番を作れるのかと思っていると、人間舵になった。で恋敵からメアリーを奪い返すために、すべてのスポーツが繰り返されるという趣向で、走る走る、垣根を越え、物干し竿で二階に飛び込み、投げ、撃ち、撃退。ここらへんの爽快感がやはり醍醐味。結婚で終わるかと思っていると、その後の二人を墓場まで追っていく。一体これは何なんだ。なんという不意打ち、ギャグと言うには難解すぎます。それでいてひどくキートン的だなあ、という感じはするのですが。[映画館(字幕)] 8点(2011-07-09 10:19:29)

13.  キートンの空中結婚 突然化け物屋敷で始まり、スーッと滑り台で外の道へ出てくる。悪夢と日常が「滑るように」つながっている。で次のデブのオバサンが出てきたとこで潰されたりもする。美女につられてボートの洞窟めぐり、ヒジテツ食ってぼろぼろ。次にまったく脈絡なく気球に引っかかったまま飛んでいくことになり、自分の撃った猟銃で墜落。で川になるのか。ここで先の女性といろいろあるわけ。つまりね、どんどん話の設定は脈絡なく展開していくんだけど、なにか持続するものもあるの。女性とか、猟銃とか、あと気球も最後に出てくるし、デタラメなりのルールが敷かれていて、統一感を維持していく。大袈裟な類推をすると、現代芸術の苦労ってのが感じられるのよね。たとえば20世紀の無調音楽も、デタラメやってるようでいて、なんか終わりでは終わったなって感じを出せるようになっている。磯崎憲一郎の小説も、どこに連れられていくのかと心配になるが、終わりでは終わったな、って思える。固定された形式を壊した後の芸術の展開の方式ってのは、それぞれが独自に案出しなければならなく、生まれたばかりのコメディ映画も、それなりの話法を生み出す試行錯誤があったのだろう。…なんてことを思うのは、まあ後の人間で、穴のあいた魚籠に永遠に魚を入れ続けている間に、せき止めた川の水位がどんどん上がっていったら面白いだろうなあ、といった喜劇人の本能的なカンをつないでいっただけなんだろうけど。[映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2011-07-03 12:12:28)

14.  ギルティ/罪深き罪 《ネタバレ》 弁護士ものってのをアメリカ映画が好きなのは、正義というテーマがもともと好きなところに、契約社会と人情のズレ、って話で持って行きやすいからなんだろう。ドン・ジョンソンの気味悪さがなかなかで見どころ。自信たっぷりでありながら、変に神経症的でもあり。二人の仲を同僚に怪しませていくあたり。洗濯物を届けたり、離れていた場所からだんだん言い合って迫ってきたところに秘書が入ってくるとか。ヒロインが、狂気が自分に向けられていたんだと分かるあたりが怖い。単に仕事の対象としての狂気だったはずが、自分に向けられて持続していたんだ、って。ラブ・ストーリーの変種と見てもいい。締めが弱い。ドン・ジョンソンにガラリとすがるような演技をさせたらどうだったんだろう。デモーネイは、ヒラリー・クリントンを意識してたな。[映画館(字幕)] 6点(2011-06-11 09:51:56)

15.  北国の帝王 大恐慌期という背景が、あんまり生きてない。ホーボーと車掌という無職と職持ちの争いが、賭けの対象になるような・ゲームのような、ただの意地の争いになってしまっている。社会の背景を思えば、「意地」なんてきれいごと言ってられないレベルでの迫力ある闘争を描けたはずだ。ホーボーは生きる地を求めて必死なはずだし、車掌だって鉄道会社に有能であることを示さないとこっちがホーボーになってしまう不安があったはずだ。そこが抜けているので、ただのサディスティックな看守みたいな厚みのない存在になってしまっている。おそらくこの映画が作られた70年代の空気が、ヒッピー的な楽園をホーボーに重ねて見てしまったのだろう。若造の存在も邪魔である。黒澤の師弟的な普遍性は得られたかもしれないが、男の対決という話の芯は緩くなってしまった。ただ、貨車の上を歩くシーンはそれだけで楽しい。特に進行方向と逆に進むときの、ムーン・ウォークのような空中ダンス的浮遊感は、わけもなくウキウキする。(わっ、ずっとこれ「ホッコクノテイオウ」だと思ってた。なんか急に北島三郎の演歌になってしまったような)[CS・衛星(字幕)] 6点(2011-03-31 10:04:36)

16.  危険な年 《ネタバレ》 白人が無力にアジアから退場していって幕になるってところが、この作品の眼目でしょうな。もう自分の正義を振り回せない。西洋人がアジアを見るときの戸惑いが、そのままフィルムに定着しているようなところがある。変にビクビクしてしまうところ。昔の西洋映画のアジア観とは、ずいぶん違ってきた(といってもオーストラリアってのが微妙な位置にある西洋人社会で)。しかしなんといってもビリーね。あのキャラクターの印象は強烈。いい意味での憂国家なの。俺はここで生きるしかないんだ、という切実さがある。記者仲間のドローンとゆるみきった雰囲気、ベトナムへ行きたがっているわけ。よその「もっと面白いところ」へ行ける連中。けっきょくそれは帰る安全な場所があるからなわけで。群衆デモシーンに迫力があった。共産地区の田舎の風景と不安が重なるあたりのうまみ。メル・ギブソンが友情のために走ってくるが間に合わない、っつうのは出世作のラストと同じ。友情を描く作家なんだなあ。[映画館(字幕)] 7点(2011-03-09 12:28:02)

17.  危険な遊び(1993) 《ネタバレ》 向こうは悪は悪としてきっぱり断罪するからなあ。あの母親、これから一生クヨクヨ悩まなくちゃならなくなるんだろうな、と後味悪い。主人公のほうが精神的に危なくみられてるあたりがミソ。最初の木のぼりで、カルキン君がイライジャ君を宙吊りにして助け上げるのが伏線。妹への殺意がいま発動したってのに無理はないか、という気にもなるが、イライジャ君の登場で均衡が破れたってことなんだろう。アヒルのおもちゃが出てくるところは、もう少し何か出来なかったか。いい仕掛けなのだが、も一つ迫力がない。最後ぶら下がって、両手で僕を助けてよ、と言う。欧米人はこういうふうに悪魔はささやくと見るわけだ。キリスト教世界の厳格さ・容赦のなさは、つねづね映画を見ていて、我々のナアナアでやってきた世界と一番違いを感じるところ。ナアナアの世界も悪くないよ。ま、この映画の現在での価値は、『ホーム・アローン』後のカルキン君と、『ロード・オブ・ザ・リング』前のイライジャ君の、選手交替期のすれ違いを目撃できるってところか。[映画館(字幕)] 6点(2011-01-24 09:59:05)(笑:1票)

18.  キリング・ゾーイ 《ネタバレ》 殺伐としてますなあ。実人生ではもちろん、あんまり映画でも会いたくないタイプの人間てのはいるもんで、でもたしかにこういう連中は世の中にいるなあ、とは思う。退屈すらしていない連中、怒ってもいない。世間との共通の土俵をまったく見出せない連中。たとえば深作の『仁義の墓場』なんかもそれに近かったが、あそこにはニヒリズムがあった。それすらない。だからダチ公的な友愛が描かれるわけでもない。このとにかく否定文でしか表わせない人種を描くことには成功している。でももちろん観ててスッキリとは全然しないわけで。銀行の外の警察を描かないのは、演出意図か、予算の都合か。人質が殺される、ってのは、この映画に限らず、どうも観ててすごく嫌になる。範囲は狭くとも、絶対的権力を握った者による権力の行使だからだろうか。[映画館(字幕)] 5点(2010-11-18 10:17:11)

19.  ギルバート・グレイプ 《ネタバレ》 よくできたスモールタウンもの、と思って観ていたが、ラストがいいので、ワンランクアップする。ずっと水のモチーフで展開していたのが(給水塔はおいといても、プール、キャンピングカー横の池、風呂場、ともっぱら凶々しいイメージ)、ラストに至って火を迎える。監督の母国の神秘主義にも通じていくような象徴性が感じられ、カメラも『処女の泉』や『サクリファイス』のスヴェン・ニクヴィストで、水と火の対比はお手のもの。また屋外に出される家具、ってのがなぜか映画では興奮させられるのだ。家と一体になっていた母を弔う方法。最初はただ恥ずかしいという受動的な思いだったのが(近所の子どもを窓から覗かせてさえいた)、彼女を笑いものにさせないという能動的な決断に至るわけ。アメリカの青春ものではあるけれど、どこかちゃんと高緯度の風が吹いている。[映画館(字幕)] 8点(2010-11-14 10:20:29)(良:1票)

20.  気まま時代 《ネタバレ》 字幕なし・あらすじ配布なし、という苛酷な条件下での鑑賞だったが(アテネ・フランセ)、かつてはほかに観る手段がなく、ヒアリング能力が劇的に劣る私でもミュージカルだと楽しめるから嬉しかった。最初の見せ場はゴルフ場、クラブやボールを小道具に使ってフル回転、パッとポーズを決めるのだが肝心のジンジャー嬢はすでにベランダから姿を消しているというオチがついている。ジンジャー嬢の夢、スローモーションになったりする。ミュージカルでわざわざ夢を入れるのは野暮みたいなものだが(現実が変形するから面白いはず)、この場合は精神分析に絡んでいくからいいの。一番の見せ場は、板敷きのホールみたいなとこで、部屋から部屋へまわりながら踊り続けるシーン。いやあ堪能堪能。ほかの部屋へ踊りながら移れる、ってところにミュージカル映画の楽しみの核がありそう。視点の身軽さってことかなあ、もっと映画の本質と関係がありそうなんだけど。あとは婚約発表のときの催眠術的振り付けによるシーンか。オカシくなってるジンジャー嬢が街をさまようあたりが楽しい。ガラスを割りそうでいてなかなか遂げられず(スパナを握ると梯子の上の職人さんに、どうもと受け取られる)、お巡りさんの警棒のスイングであっさり割っちゃうとことか。射撃場でのパニック。女性が銃を構えると、たいていピシッと決まるのはなぜなんだろう。ラストはかなり強引ながらもメデタシメデタシ。[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2010-09-15 09:58:17)

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