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【製作国 : アメリカ 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順12
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1.  グレン・ミラー物語 《ネタバレ》 前半がミラー・サウンドができるまでの苦闘時代、後半でその展開と、第1部が芝居・第2部がヒットパレードの、新宿コマ劇場演歌歌手公演を思わせるような構成だけど、後半にも映画としての工夫があり、飽きさせない。戦時下の英国での“イン・ザ・ムード”の野外演奏シーンなんか、並行して敵機の襲来、撃墜、聴衆が伏せて立ち上がる、というドラマも織り込み、それが曲の強弱と重なるように工夫されていて、ミュージカルのような効果をあげていた。音楽だけに映画を譲り渡してなるものか、という映像職人の意気込みを感じた。前半に伏線を揃えておいてから後半に移っているので、それらの曲を聴いているとき、観客は前半の具体的な映像(J・スチュアートが電話を掛けているシーンや、質屋で真珠の首飾りを見ているシーンなど)を思い起こせるのだ。映画全体が記憶とともに湧き返ってくる感じ。転換点となる“ムーンライト・セレナーデ”の編曲が仕上がっていくシーンなんか、ホントにうまい。J・スチュアートってアメリカ人の理想像なんだと思う。こんなであったらいいなとアメリカ人が思い続け、しかし現実にはそうはなれなかった、はにかみ屋でナイーブな自画像なのだろう。大袈裟かもしれないけど、私はこの映画にアメリカのエッセンスを感じてしまうんです。/2013/3/2追加。最初のデート、グリークラブが歌う「茶色の小瓶」が聞こえてくる場で、ヘレンが「感動すると首の後ろがゾクッとするの」てなことを言う。首の後ろに手をやる仕種は、その後も映画の要所要所に置かれ、そしてラストシーン、彼女が静かに微笑んで首の後ろに手をやる。ラストの感涙必殺技は音楽とジューン・アリスンの微笑みのダブルパンチに加え、この抑制された仕種も効いてるんだ。[映画館(字幕)] 9点(2008-10-05 12:16:16)(良:1票)

2.  靴をなくした天使 《ネタバレ》 人間ってのはいいもんだ、と人は思いたがっているのだけど、シラけずにそう思わせるにはある種の技術がいる。その技術を洗練させるのに最も成功したのは、実はアメリカ映画なのではないか。チャップリンやキャプラや、面白いことに外国から渡ってきた作家によって生まれた作品群に洗練の極みが見られるが、本作もイギリス生まれの監督によってその伝統が受け継がれている。まずどうしようもなく卑小な人間が造形される。バーニーというコソ泥。自分の裁判の最中でもつい手が動いてしまう男。別に世間に反抗してやろうなんて積極的な意志を持ってるわけではなく、食えりゃいい、というところ。息子には「目立たないように生きるんだ」と教訓を垂れている。次に出てくるのがゲイルというテレビの女性レポーター。彼女はニュースなんて自由に演出できると思っているやり手で、世間を自分の手のなかで動かせるのが楽しくてたまらない。この正反対の二人が、飛行機事故で一瞬の接触を得てドラマが動き出す。バーニーがついゲイルの救出者になってしまうのだ(ちゃんと財布を抜き取っていくところが頼もしい)。ここからマスコミの狂騒ぶりがイキイキと描かれていく。消えたなぞの救出者の捜索を一大イベントに仕立て上げていく。ここに三番目の登場人物ジョンが関わる。タイプとしてはバーニー側の人間だが、彼ほど枯れていない。チャンスがあるなら、世間の中でほどほどの成功はしたいと思っている男。そこで救出者としてマスコミに名乗り出る。そのあと彼が祭り上げられ、理想化・聖化されていく過程がコメディとして見応え十分のところで、とうとう本人たちによる再現ドラマまで企画される。ジャーナリズムが今ではイベント屋になってしまったとこへの徹底した笑い。しかしこう人間の集団に対する幻滅や不信をたっぷり描きながら、映画は個人の中に存在しているであろう人間性に対する期待を静かに引き出してくる。つまりここがアメリカなのだ。他人たちがぎっしり詰まった社会の中で、最後は個人を信頼していくしかない、という健全な個人主義がここにある。ヒーローになってしまったジョンの感じる疚しさ、つい善行をしてしまった自分に戸惑うバーニー、百パーセントの善人も百パーセントの悪人もいない、そういう個人たちで出来ている社会だと認識すること、これらのアメリカ映画に感じる気持ちのよさは、そういった認識の潔さなのだと思う。[映画館(字幕)] 8点(2011-08-28 09:39:23)

3.  グッドモーニング・バビロン! 《ネタバレ》 タヴィアーニにしてはちょっとノリが悪いか、と思っていたが、森の中のシンバルあたりからか、ぐんぐんのめり込んでいき、前半のいちいちが生きてくる。船の中で一つの皿を食べ合っていたのが、ラストで一つのカメラで写し合うシーンになるように。大きくイタリアとアメリカの対比があり、共同体の微温的宇宙のなかにいられたイタリアと、個人主義の厳しいアメリカが、常に両極にあって兄弟を操作している(アメリカの摩天楼が少年時代のクリスマスツリーに重なるの、その時はちょっとダサいなあと思ったが、この対比こそが本作の核心だったのだ)。そしてそれぞれの誇り、映画という現代の聖堂を築き上げたグリフィスの誇り、かたやレオナルドの末裔としてのオメロ・アントヌッティの誇り、ステッキのシーンなんか、いい。『イントレランス』のどんなスペクタクルシーンよりも、炎上する象のほうがスペクタクルだったのではないか。そして映画が「写して記録するものである」ということが、ここで生き、さらにラストの伏線になっている。本作がいいのは「映画史」に閉じてしまわず、世界史に向かって開かれていること。[映画館(字幕)] 8点(2010-04-13 11:58:39)

4.  グッドフェローズ 《ネタバレ》 この監督、どうしようもない奴を描くのが好きで、そのどうしようもなさがクッキリ出てくる腕前は大したものだと思うんだけど、でもこんなにまでして「どうしようもなさ」を描きたがるその根本のエネルギーがどこから来るのかがわからん。こういう奴がいるんだということを言うために、2時間半の映画を作ってしまうその動力源が。仲間うちの感じなんかがすごくうまいの。「俺のどこがファニーなんだ?」と急に絡んでくるところなんか、こういう連中の空気が本当に良く出ている。カタギの人間の気持ちが不思議でたまらない。“マフィアになろうと考えない”人間がいるってのが理解できない。そういう狭い仲間内だけで閉じているいやらしさ。レイ・リオッタ、いいすね。こういう世界の中だけで成長した幼さみたいのがある。眼が現実を見てない。逮捕の日のシーン。怪しいヘリコプターが頭上をしつこくついてくる。まるで幻覚のような不気味さ。けっきょく真っ当な生活とまるで触れ合えずに保護監察下で毎日を潰していくラストの苦さ。つまらない男のつまらない人生を描く監督の手つきだけが、つまらなくない。[映画館(字幕)] 7点(2014-02-26 09:42:26)(良:1票)

5.  クラッシュ(2004) 群像もの。善人でも悪人でもない人々の小さな気分の揺れが、大きな善になったり大きな悪になったりすること。やくざな警官が必死の救助者になったり、正義感ばりばりの新入り警官が人を撃ってしまったり。そういう社会なのだよ、という諦めを語ったのか。希望を語りたい・夢を持ちたい、という前提で社会を点検してみたら…、というスタンスなのか。妖精のマント。昔のアメリカの「社会もの」は、白人と黒人との対立だけですんでいたんだけど、いまは複雑で、アラブ人と間違えられて襲撃されるペルシャ人もいる。少数民族は優遇されすぎてるという白人の不満も高まっている。希望や夢を持つことが難しい状況が蔓延している中で、何か手探りしようとしている意志を感じる。希望そのものを歌うより、希望を持とうとする意志を模索していることに希望を持とう、と控え目な控え目な夢を語っているような。[DVD(字幕)] 7点(2013-10-31 09:39:32)

6.  グロリア(1980) 《ネタバレ》 これ『クレイマー、クレイマー』の翌年の作で、あっちの記憶が残ってるうちに観たので、比較してしまった。あっちは父親の女性性の回復というテーマだったんだろうが、その後でこっち見ると、とっくに女性は男性性を回復してるんだ、と言ってるみたいでおかしかった。男のようなヒロインが次第に女心を膨らませていくという、意地よりも子どもの命が大事、という心のドラマがあって、こっちは少しややこしくなっている。冒頭の夜のニューヨークの空撮が美しいが、見応えという点では、ジーナ・ローランズの顔だね。なんか日本の仁侠映画のやくざの顔にも通じるものがある。アクションと人情が重なる場、たとえば子どもを突き放そうとしてたところへ悪漢が来て撃ってしまうところ。バンバンと向きを変えて撃つほうだけを撮ってて爽快。いつも不意に発砲するのがいい。[映画館(字幕)] 7点(2012-06-04 09:57:49)

7.  グランド・ホテル 頽廃の匂いと言うほどではないが、アメリカがヨーロッパ・とりわけドイツに抱いている世紀末的な雰囲気への憧れが感じられた。子どもが大人に抱くような視線。滅びや衰退ってものの厳粛さへの過剰な評価。死が近づく病人、人気下降気味のバレリーナ、崖っぷちの会社、それらがウィンナワルツをBGMに旋回していく。当然のように犯罪も入り込んでくる。歴史を重ねてきた都市だけが醸し出せる「大人」の雰囲気。アメリカ映画が持てなかったヨーロッパ的なものを、とりわけ大事そうに画面に塗りこんでいるところが、いじらしくも楽しかった(ドイツの小説をアメリカで戯曲にしたのの映画化と聞いている)。この様式が拡大されたのが、アルトマンってことか。『グランド・ホテル』にはアメリカのヨーロッパへのコンプレックスが感じられるが、アルトマンがそれをより発展させ、混在国家アメリカに文化にしてしまった。最後に「事件」を置いてキュッと全体を締める手法なんか、『ナッシュビル』でより大規模に再現してくれた。そのアルトマンの映画が、ヨーロッパでより高く評価されたってあたり、旧世界と新世界の相互の「憧れ合い」が微笑ましく見えてくる。この手のドラマでは、人々がそれぞれの人生を担って同時に生きていることを示すため、当然のように長回しの手法が生かされてくるんだ。[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-03-18 10:02:32)(良:1票)

8.  黒い罠 《ネタバレ》 嫌な感じに包まれている街、夜の街、この雰囲気ね。パッとポスターに掛けられる硫酸、向かいの部屋から向けられる懐中電灯、モーテルの騒音、音楽、若者たちの小ばかにしたような薄ら笑い。そしてO・ウェルズによる殺しの場。悪があたりに瀰漫していて、そこかしこで結晶している、いうような世界をとにかく作り上げたとこが力量でしょう。冒頭の長回しは二つのカップルがもつれながら国境を渡っていくわけで、これがラストの上と下での橋渡りと対になっているんだろうね。テープの声がエコーかかりだすあたりの映画ならではのサスペンス。この導入の事件はヘストンとウェルズを出会わせるためのもので(それにしても奇妙な組み合わせだ、こういう奇妙な組み合わせも何かのきっかけで平然と起こり得るってとこ、実に映画の魅力です)、この「変なところにさ迷いこんだ」って構造は、五年後の『審判』につながっていくようでもある。フレームアップの怖さとしてはあまり伝わってこなく、もっと抽象的な「嫌な感じ」として拡大されているとこが、ウェルズ映画としての成功なのかサスペンス映画としての失敗なのか。血で汚れた手を一度は洗うが、ふたたび橋の上の友の指先から垂れてくる血によって汚されていく、って。[映画館(字幕)] 7点(2011-11-20 12:11:48)(良:1票)

9.  クレイジー・ハート 《ネタバレ》 破滅型の話かと最初は思ってしまった。時代遅れのアル中のカントリー歌手で、なにしろ車の長旅から出てきて、小便を捨てるシーンからという登場の仕方。「それでも歌に殉じて滅んでいく」っていう芸術没頭型の破滅へ向かう話だな、と思っていたら、そうでもなく破滅しないの。かつての後輩の前座をやるか、ってマネージャーの電話に、イエスと答える。恋人の愛を取り戻すために、禁酒会にも参加する。かっこいい破滅より、じたばた生きるほうを選択していく。そこにけっこう心動かされてしまった。恋人との会話の中で「子どもを失ったら生きていけないわ」というようなことを言われて「でも実際は生きていけるんだ」と言った。それでも生きていく、と言うとなんか力こぶを込めたようなイメージになってしまうが、人生に勝ったとか負けたとかいう基準の外に広々とした世界があるんだ、ということを本人が見せてくれた。ある種の柔軟さ。もちろん当人は傷だらけだが、悲壮ではない。破滅に飛び込まないで生き続けていく主人公を肯定的に描いて、気持ちのいいラストだった。[DVD(字幕)] 7点(2011-04-28 10:03:50)(良:1票)

10.  グリード(1924) 単なる金の亡者ってんじゃないの。倹約狂とでもいうか、腐りかけた肉を買って釣銭をもうけるあたりの壮絶さ。しかもきっかけが宝くじを当てた、ってのが面白い。ちょっと視点がずれれば落語の「芝浜」ふうの美談にもなるところが、あちらだと「悪」とか「妄執」とかいったもののエネルギーを発見していってしまう。醜いものそのものが、もう社会批判の材料といった役割を越えて、作品の動機になってる。性悪説というのとも違うんだろう。コッテリした肉食民族だなあ、としみじみ思う。旧約聖書といまだに通じている。それでいて情熱を描きながら、なんとなく冷ややか。海岸にたたずむ人々の荘重な構図。あるいは殺しの場、クリスマスツリーが両脇にあって、真ん中のドアを押して奥へ行き、左から斜めの光が二三本はいってて、惨劇の装置としてこの上ない。市井の事件が、まるで神々の物語のように昇華されていく。そしてラスト、地平線も定かでないように、世界全体が白く光っている。箱庭的な日本文化と一番遠い世界だろう。[映画館(字幕)] 7点(2010-11-13 09:57:20)

11.  空中レビュー時代 《ネタバレ》 アステアの陽気な脇役時代。レビューショーの映像化から映画独自のものが生まれてくるミュージカル史が分かって面白い。ホテルショーってのが必要条件だったよう。だから主人公はだいたい芸人に設定され、メインは個人芸よりも群舞になる。キャリオカ。ピアノをつないで円形の小さな舞台を作るの。ナンバーの中で画面を平気でワイプでつなげる。みんながいろいろ踊っているんだよ、という感じで、流れの不自然さはあまり意識してないみたい。さて見どころは題名にもなっている空中レビューだ。ダンスよりも、まだ見世物的要素が強かったことが分かる。みんなニコニコ笑いながら翼の下で空中ブランコやってくれるのには爆笑。落っこちて、別の飛行機の翼に引っかかったり、というオマケもつく。まだサイレントコメディ時代のスペクタクルな味わいを残している。そのスペクタクル性は群舞ともつながり、その中から個人のタップ芸に焦点が当たりつつあった過渡期ってことなんだろう。製作者サイドが、ああいう個人芸でも「華やかさ」を出せそうだな、と発見しつつあった時点。[映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2010-11-03 10:00:27)

12.  クイズ・ショウ 《ネタバレ》 しょせんテレビってこんなもんさ、とか、娯楽なんだから、という言葉の下に、ある種の倫理の頽廃を描いている。こういう大衆時代の腐臭を嗅ぎ取る敏感さがアメリカの最良の部分で、本作のような映画が生まれる限り、あの国をなかなか見限れない。決して倫理的に低劣だったわけではない主人公が、インチキに引きずり込まれていく怖さ。俺の知ってた問題なんだから、から、答えを自分で調べる、になって、なら結局教えてもらっても同じだし、となっていく。父の時代にはあった真っ当な倫理観「教わったことを答えて金を貰ってたのか」、が「こんなもんさ」に堕ちていく。有名になりたいという欲望、しかし有名になると大衆は脅威になっていく。ラストシーンで笑い続ける大衆が、主犯であり共犯であり、被害者であり傍観者である。そういう社会像を突きつけた映画。すべて台本と演出の時代。委員会での懺悔に続く拍手をロブ・モローが何かしっくり来ずに立ち会っている場が印象的。何でもすぐに「感動のドラマ」の演出になってしまい、さらに次のドラマが用意されるのだろう。タトゥーロが向かないってことを「ラジオ・フェイス」と言ってたな。[映画館(字幕)] 7点(2010-04-03 11:59:24)(良:2票)

13.  クイック&デッド 《ネタバレ》 早撃ち大会トーナメントという趣向。つまり決闘シーンが繰り返されるわけだが、そこにいろいろ趣向を凝らすのが見どころ。最初は「立っていられなくなったら負け」だったのが「死ぬまで」にエスカレートしていく。タマが一発しかなくて相手が生き返っちゃったりとか、親子かも知れぬ、とか、その次々の趣向でけっこう見せちゃう。時計台のある広場で、死を刻み続けていた時計台がラストで爆発するのも正しい。そうそう、馬車につないでおいた悪漢が、車を引きずって生きているのもおかしい。ジーン・ハックマンが自分の影を見ると胸のところに光が丸く開いている、といった昔話やホラ話を語っているような調子の演出で、なかでシャロン・ストーンひとりが大マジメに演じていた。[映画館(字幕)] 7点(2009-12-14 09:07:14)

14.  グリーンマイル 《ネタバレ》 そうか、キリスト伝説みたいな話になってるのか。いえね、彼、冤罪じゃなくて、大きな罪を犯したために癒やしの能力が罰として降りかかってきた、って話かと初めのうちは思ってたもんで。なんかそういうほうが面白いと思いません? 愛を使って悪を為した、という罪のテーマもあって、なんかドストエフスキー的なダイナミックな構造が、もうちょっとで現われそうなとこだった。どうしても死刑を執行したい執念を持つ敵役を、三枚目っぽく造形してるのが、かえって怖い。しばしば悪は、おどけの面相をして登場する。感動的なのは、闇に差し込む光として映画を捉える場。『トップ・ハット』! I'm in heven と見守るJ.C.の頭上に、後光のように映写光が輝いていた。[映画館(字幕)] 7点(2008-10-03 12:14:00)

15.  グッドナイト&グッドラック 再現ドラマ的で、ニュースフィルムを使った部分の興奮を超えるところはなかったけど、時代の気分は味わえた。それはつまり赤狩り時代の気分であり、後世にとってはこの21世紀初頭の記録になっている(つまり赤狩り時代を検証したくなる社会情勢だったということ)。アメリカ映画はよくテレビ界をテーマにしており、単に映画界のライバルとしてのやっかみを超えて、大衆批判としての意義を持っている。あれは偉い。本作でも、ついにマッカーシーに勝った番組を持ち上げるものの、それもクイズ番組には勝てずゴールデンアワーを追われていくの。[DVD(字幕)] 6点(2013-10-18 10:02:28)

16.  グレムリン 製作総指揮がスピルバーグで、当時はその名前の牽引力は強く、それが全然スピルバーグの世界と違うところにいろいろ発見もありました。全体ヒステリックな感じ。ネバネバドロドロ志向。とにかく気色悪さのほうを選ぶ。ジュースにしちゃったり、電子レンジでの爆発とか。プールでの大増殖から乱痴気騒ぎになるのはスピルバーグも好きだが、こっちは陰性の活気なんだ。騒いでいるのが小悪魔なんだから仕方ないんだけど、ヒステリー志向と関係あるんじゃないか。ディズニーの「ほのぼの」からはずいぶん遠くまで来たなあと思い、こういうのが悪いと言い切る自信はないけど、ヒステリーの忘我状態を楽しむ・暗いはしゃぎの世界ってのはその後増えましたな。スクリーンを引っ掻いてやってくる一瞬は面白かった。[映画館(字幕)] 6点(2013-07-29 09:33:42)

17.  グリーン・カード 《ネタバレ》 本当は夫婦でない二人が、出会いから結婚して現在に至るまでの来歴を作っていくあたりがミソ。スキー抱えた写真やら、アフリカとの間で往復した手紙やらを捏造しつつ、その歴史を追体験するように、だんだんその気になっていってしまう。まず多民族の都市ニューヨークをスケッチして始まり、入国管理の非人間性を描いた社会派映画でもあるわけ。ラストもニューヨークに住めぬ二人はフランスで落ち合うことを暗示して、これがオーストラリア人監督の見たアメリカ。自然保護運動を絡めたのはちょっとうるさかった。パーティの席でピアノを弾かねばならなくなったときの切り抜け方が楽しい。二人に愛が生まれるまでの間に、もっと何度も揺り戻しがあっていいんじゃないか。面接室へ走るとき、公園の中のグリーン地帯をたっぷり通過させる趣向。自然を通って、喧嘩した二人も浄化され、愛は蘇るのよ。[映画館(字幕)] 6点(2013-07-18 09:22:42)

18.  蜘蛛女のキス 話の本筋よりも、中に出てくるナチ映画の印象が強く残っている。善玉としてのナチ、悪玉としてのレジスタンス。そういう設定ってのは観たことがなかったんで、ああそうか、ナチの側からすれば、こういうのいっぱい作ってたんだなあ、と実に新鮮な驚きの面白さを味わった。といって「歴史は相対的なものでなんでもアリなのだ」と思ったわけでもなく、「ナチが正しかったかもしれない」と説得されたわけでもない。ただけっこう深いところで自在感を味わえ、私の中で貴重な体験となった。でも映画でそういう体験をすることはときどきあり、『国民の創生』には善玉としてのKKK団が出てきた(実は映画ではぼやかしているが「風と共に去りぬ」の原作にも出てくる。主要登場人物の某が後半善玉のKKKとなって、読んだときはビックリした)。その点日本の国策映画はあんまり「敵」に興味がなく、いかに日本の兵隊さんが苦労をしてるかってところがポイントなんで、そういう驚きはあんまりない。『支那の夜』には怪しげな抗日運動家が出てきたなあ。おっと脱線。で、このことと映画『蜘蛛女…』のモチーフの「裏切ること」ってのとどう関係があるのか、私には分からなかったけど、「思想」というものの不確かさってとこで何か通底していそう。スパイとスパイダーって、語源的になんか共通してるのか。[映画館(字幕)] 6点(2010-05-30 12:06:28)

19.  雲の中で散歩 《ネタバレ》 労働シーンが生き生きと描かれる映画は、このころではもうかなり珍しくなっていた。もっともこれはどこかノスタルジー的であって、理想化された労働の姿。現代の諸問題の解決にはならないが、一つの基準を提示してはくれる。かつて家庭と労働と社会とが、過不足なく絡まりあっていた時代があった、と。『赤い薔薇ソースの伝説』のときと同じ、黄濁した画面。室内もいいが、海沿いの道路の場など大変美しい。この愛の解決の仕方はアステアの『有頂天時代』をちょいと思い出させた。こういう解決に至るドラマって、好きなんです。好きな男優二人が出てて、ジャンカルロ・ジャンニーニが怖いお父さん、アンソニー・クインはカドが取れたいいおじいさん。まだ遺作じゃなかったのか。[映画館(字幕)] 6点(2010-04-02 11:59:40)

20.  グラン・トリノ 《ネタバレ》 最初はただ人物像を出すため程度の設定と思っていた朝鮮戦争の戦歴が、東洋人への複雑な思いの源と分かってくるあたりの厚み。この結末は彼にとっての東洋人に対する決着だったんだな。元ダーティ・ハリーにしては考えた結末かも知れないが、ちょっとかっこよすぎないか。服を新調し、懺悔を済ませ、まるで唐獅子牡丹が流れ出すような気分。仁侠映画ならそれでもいいが、現実的な市井の映画と思って観ていたので、このかっこよさは素直には味わい損ねた。かっこいいってのは、ちょっと間違うと、あのチンピラ連中と同列になってしまうもので、もっとみっともなくていいから、ニコニコ笑って終わらせられる手立てを講じてほしかった。でも考えてみればイーストウッドの映画なのだから、悲劇に傾斜するのは予想していてもよかったんだ、ガンコ老人ぶりのユーモアにうっかり忘れてしまっていたのだった。ただそのユーモアも、“男の訓練”を床屋でさせるとこなんか、私はそれほど笑えなかった。たぶんああいう男同士を過剰に誇示した付き合いってのが、こっちが苦手という個人的な理由によるのだろう。その彼らの古風さをも笑ってるシーンであるのは分かるんですけどね。[DVD(字幕)] 6点(2009-12-21 12:01:33)

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