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【製作国 : アメリカ 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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1.  シザーハンズ まずFOXタイトルのとこに雪が降っている。子どもに昔話を語る老嬢、窓の外に古城。一転してピンクやイエローのカラフルなおもちゃのような非現実的な町。古城だけでなくそれを際立たせる世間の造形がちゃんとある。抜けるような青空。そしてD・ウィースト。うまい人だなあとは思ってたけど、「単純」を的確に演じられるうまさってあんまりないよ。化粧品のセールスに荒れ果てた古城に入っていく人を自然に演じられる。でエディの登場。他人に触れることが出来ない、一種の加害妄想の現実化なわけ。社会適応の訓練。学校で紙切りやるのなんか楽しい。その彼が盗みを手伝わされちゃうとこからフランケンシュタインの怪物的哀しみが出てきます。武器を捨てて出てきなさい、って言われたってね。群衆によって化け物にされていく。芸術家の不幸の話でもあるか。人に触れる手の代わりに、創造するハサミを得てしまった男。寓話の映像化として最良の成果。[映画館(字幕)] 9点(2013-07-31 09:40:03)(良:2票)

2.  知りすぎていた男 トーキー初期作品をリメイクした本作は、音が明晰になった喜びが随所に踊っている。主に二つの音が重なること。次第に靴音が二つになったり、賛美歌に合わせた会話、銃声とシンバル、ケセラセラと口笛、などしばしば観客は耳を澄ます喜びを味わえる。一つのものが無理に二つに分けられる緊張と、二つの異なるものが無理に一つに合わされることから来る緊張。一つであるべき靴音が二つに分離していく驚きから、無理に二つに分けられていた母子が一つのメロディで重なっていくまで。本作や『北北西…』など、とにかく盛りだくさんにした作品がヒッチにはあり、『裏窓』のような集中していく作品よりは軽く見られがちだが、この満腹感もそうとうなもので、同じくらい好きです。[映画館(字幕)] 9点(2012-12-25 10:04:03)

3.  十二人の怒れる男(1957) アメリカ映画の好きな裁判ものだが、やる気のなかった国選弁護士の代わりに一人の陪審員が奮闘する法廷後の話になっていて、次第に覆っていく面白さは裁判ものの常道だが、「それで食ってる」弁護士でなく、本来ならチャッチャッと済ませてすぐ帰りたい「面倒ごと」に付き合わされてる一般人にしてあることで、「正義とは」というテーマがより際立った。そして意見を持つことの大変さ、それを表明することの大変さというテーマも浮き上がり、そっちのほうが本作のキモではないか。別に無罪を証明しなくてもいいんで、「有罪にするには合理的な疑いがある」って比較的低いハードルでも、11人の反対者の22の冷たい瞳に囲まれると、私だったら…と自信がなくなりそうな場。そういう逃げようと思えば逃げられる場で自分の少数意見を表明すること。こういう勇気を賞揚するのが、アメリカのいいところだ。おとぎ話とか、お涙頂戴とか、こういう場面で来そうな反発がいちいちいリアルで、観てるほうの心のなかで動く反対意見をちゃんと残りの11人が表明していく。議論の質を落とさない。そして少しずつ同調者が増えていく。ここも大事なところで、なぜかとりわけ日本では「ブレる」ということが、さも悪事のように言われがち。でもそれがなくては議論する意味がないわけで、反対意見に最大限想像力を働かせ、自分の意見と闘わせた上で、それでも意見を変えない・あるいは変える、というのは同質のことのはず。悪いことではない。日本の「ブレない政治家」ってのは、反対意見に耳を塞いでるだけで(ラスト近くのリー・J・コッブのように)、あとは「おとぎ話」「お涙頂戴」と切り捨てるのなんか、まったく映画と同じですな。というわけでアメリカ映画の最良の部分がここにある。室内劇でありながら夏の暑さを描いた映画としてすぐに思い出されるってのも凄いことだ。[CS・衛星(字幕)] 9点(2012-10-11 10:11:32)(良:1票)

4.  JAWS/ジョーズ 水面上でのはしゃいだ世界と水面下の低音弦がうごめく世界、この対比って以後の監督の作品でもしばしば見られ(恐竜ランドの柵のあっちとこっち)、遊園地のはしゃぎが恐怖に転換するのが好きで、またそれがうまいんだ。そもそもが最初の犠牲者が海面ではしゃいでいるとツーッと横に動くのが、なにか新式の遊具のような不思議さがある。遊ばせていた犬が戻ってこない、捕まえようとしつらえた罠のエサが桟橋ごと持っていかれる、どれもレジャー気分が恐怖に転換する。その裏返しのようにふざけた子どもの偽鮫が銃で囲まれたりもする。海開きのはしゃいだ気分が(はしゃがねばいけないような気分が)恐怖の背景として最適。後半は舞台が海に移って社会が恐怖に対面する装置はなくなってしまうが、ドレイファスとショウの「男の張り合いもの」で楽しめる。これもアメリカ映画の好んだ設定だ(あるいは『黄金』など、男三人ものか)。ショウが空缶を片手で潰すと、ドレイファスも紙コップを潰す。船のなかでの傷自慢も楽しい。冒頭の若者たちの描写に、70年代の映画だったな、と思った。[CS・衛星(字幕)] 8点(2013-11-11 09:43:39)(良:1票)

5.  ジェイコブス・ラダー(1990) 《ネタバレ》 どの自分がどの夢を見ているのか怪しくなっていく、って話だが、似た設定の『トータル・リコール』が後半面倒になったのか活劇に逃げたのに対し、こちらはじっくりその怪しさを楽しんだ。まずベトナムで始まり、それが地下鉄での目覚めになり、通り過ぎていく列車の窓に見えるあやかしの人々…って順にたどっても大変なので、一番不気味な振動する顔のイメージに行きましょう。気色悪いですな。ベーコンの絵のイメージだそうで(『ラストタンゴ・イン・パリ』のタイトルで覚えた画家)、表情がうかがえない・何かにとりつかれて振動させられてるって感じがある。映画はだんだん死体のイメージが漂い出してくる。頭に腫れ物のある病院の受付。病院の廊下は次第に廃墟になっていく。天使に導かれてヤコブの階段を上っていくんだな。さあ往生しなさい、って。うらみつらみなしで従容と上っていくところに傷ましさが湧き上がる。本人があまり無念と思ってないところ。このころアメリカ映画は死への興味・死後への興味が盛んだったんだ。[映画館(字幕)] 8点(2013-08-14 10:01:43)

6.  真実の瞬間(1991) こういう敢然と闘いましたって話より、転向した者の苦衷とか、波に乗って告発して回った者の内面を描くほうが意味があるのではないか、などとブツブツ思いながら観ていたが、でも公聴会のシーンでは興奮しちゃった。アメリカ映画は、やっぱりこういう切り口が一番合う。狂った流れを止めようとする者の勇気は、何度でも何度でも賞揚しなければならない。流されたものの分析よりまずその目の前の勇気を褒め称える、これがアメリカ映画。ここから勇気が広がっていくことに希望を持つ。楽天主義かもしれないが、なんらの説得をも含まない強制させるだけの言葉の冷たさがクッキリ描かれているから、この楽天主義の必死さも伝わってくる。アメリカの楽天主義が説得力を持つとき、その裏には必死さがある。狂った正義は怖いけど、それを止めるのも正義感しかない、ということを繰り返し学んでいるからだろう(繰り返しても身に付かないってことか)。[映画館(字幕)] 8点(2012-11-17 09:51:01)

7.  シンデレラ(1950) 小さな仲間・助力者ってのがディズニーアニメの特徴で、小さなものと大きなものの対比が作品を膨らませている。小さなものから見た家と、シンデレラから見たお城が比例関係になっている。ネズミが階段を鍵持ち上げていくとこなんか、お城の階段を縮尺している。猫とネズミによって脇で語られる小さなギャグが、本筋でのイジメに話を自然に戻している。それがどうしたって言われても困るんだけど、そうやってスケールの違う二つの世界で話を往復させることによって、物語の世界構造をしっかりとさせてたんじゃないか。ディズニーアニメにおける悪役ってのはいつも魅力的だが、とりわけ本作の継母はピカイチ、助演女優賞ものだ。アニメは性格や役割りをここまで純化できるって見本。王様と家来のベッドでの弾みながらの会話もアニメならではの楽しみ。泣けるのはネズミたちが作った衣装を(製作過程も素晴らしいのだが)、小鳥が扉開いて見せるとこからで、妖精ばあさんが奇跡を次々に起こしていくあたりが頂点。考えてみるとあのばあさんかなり唐突なんだけどね。[映画館(吹替)] 8点(2012-04-15 09:53:00)

8.  白雪姫 動きの滑らかさには圧倒される。この丁寧さがアニメーションにとっていいことだったのかどうかは分からないが、とにかく「すごい」と思わせられる。特に白雪姫の動作・表情は完全に役者のそれで、動物たちと絡むシーンで面白い。あと、井戸の底の波紋とか小人たちの洗濯シーン、魔女のリンゴに垂れる液、眠った姫のまわりの雨および涙とろうそくの涙、など水・液のイメージが鮮烈。固いものより柔らかいものを描くときにアニメは独特の味が出る、継母のマントとか(『くもとチューリップ』の波紋や、『話の話』のテーブルクロスや、アニメにおける柔らかいものの表現ってのは研究に値する)。そうか、小人の家の掃除を見て今になって気がついたんだが、『略奪された七人の花嫁』の前半はこのパロディだったんだな。あと小人たちのダンスシーンなど見せ場があるのだが、どうも締めの取ってつけたようなハッピーエンディングへの移行が少々物足りない。ま、あえてアニメで見せる部分がないので、これでいいのかも知れないけど。[映画館(吹替)] 8点(2011-05-24 09:53:22)

9.  ジョイ・ラック・クラブ 《ネタバレ》 女たちのひとりごと・愚痴の集大成、といったおもむきのある、四組の母娘それぞれのお話。一つ一つはインパクトに欠けても、それらが交響されて味が出てくる。女たちの愚痴は、もっぱら母との関係・夫との関係に集約されていく。いつも母さんの顔色をうかがってた、とか、母が寄せる娘への期待の重たさ、とか。ピアノの特訓、チェスの天才。母と衝突した後、才能が消えているのに気づく。ついつい(白人の)夫に尽くしすぎてしまう娘もいれば、現代風に何でも折半でやっていくのもいて、でもどちらも結婚生活に失敗していく。母の世代では戦争の悲惨があり、そのまた母の世代になると、旧制度の悲惨がある。それらの時代を超えた女性史が、彼女らの中で「愚痴」として漉され、棘を抜かれ、また美しい撮影もあって、男には覗けない世界を魅力的に見せてくれている。それにしても母と娘ってのは、男には謎中の謎、特殊な親密さを感じさせる世界だなあ。父と息子ってのは、もうちょっと吹き抜けてない?[映画館(字幕)] 8点(2011-01-06 09:06:46)

10.  ショート・カッツ 《ネタバレ》 アメリカ国旗を思わせるヘリコプターより降りそそがれる農薬の下の街。一皮剥けばののしりと軽蔑が波打っている社会、その悲しさを笑おうとする。悲しさの軸になっているのは、少年の死と歌姫の歌。この監督では「歌うこと」ってのが「一皮剥く」方法としてポイントになっていることが多い。ののしりや軽蔑という激しい感情の対に、無関心もある。ジャック・レモンは息子との関係回復にのみ心が走って、孫への関心が湧いてこない。アニーも、隣人の子どもの死に心が動かない。逆に過剰な関心が寄せられると、パン屋のいたずら電話になる。つまりどれもこれもマットウな距離が測れなくなってしまった人たちなの。医師は妻への疑いを普通の声で確認することが出来ない。水死体の脇での鱒釣り。遠慮と無関心。一方に偽の暴行、偽の(テレホン)セックスがあれば、一方に唐突に女を石で殴り殺す男がいる。すべて距離の混乱。最後の締めは、この見事な大伽藍の後ではちょっと物足りなかった。回想シーンなし、すべて時間順に綴られている。個人の内面に深入りしない(一人でいるシーンは長くやらない)。もちろんモノローグなし。そういう文法で綴られるのは、私たちがもう他人とのマットウな距離を測れなくなってしまっているという現実。ばらばらにされた家具の中でピカピカにきれいにされたカーペットの空間、あの空虚感がこの映画のテーマだろう。[映画館(字幕)] 8点(2010-09-11 09:54:03)

11.  ジュラシック・パーク この映画の怖さのポイントは「舞台がテーマパーク」という設定だと思う。かつてのモンスターものは、怪獣たちが日常生活に闖入し蹂躙していくのが定番だった。私たちは、日常生活が破壊される恐怖と、日常生活が破壊される快感を同時に味わえた。私たちが私たちの世界に怪獣を迎え入れていた。しかし本作では、私たちが恐竜の世界に入っていく。もちろんこれは初めてのことではなく『ロストワールド』も『キングコング』もあったわけだが、それは「探検」の物語だった。だがこれは「探検ごっこ」である。この「ごっこ」の部分にとても現代性が感じられる。完全に制御されたスリルの場としての遊園地、日常と冒険とが奇妙にねじくれながら絡み合っている場としての遊園地、どんな危険も「ごっこ」の中で牙を抜かれてしまっていたはずのところで、不意に危険と私たちの境の網が破られてしまう。最初の襲撃のシークエンスが白眉だろう。テーマパークに入っていくときの浮き浮きした気分をたっぷり描き、おとなしい草食恐竜だけを見せて、肉食の方は気配だけに抑える。そして素早く「ごっこ」の部分を抜き去ってしまう。ヤギが消えていたり、コップの水が振動で揺れたりのスピルバーグお手のものの演出。しかし何よりも主人公たちが剥き出しにされている感覚、心理的に恐怖にじかに晒されている感覚が怖い。人類はひ弱だが知恵がある、という我々最大の自信が、つまるところ金網一枚だけで支えられていた程度のものだった、という発見が怖いのだ。[映画館(字幕)] 8点(2010-02-07 12:07:14)(良:1票)

12.  JFK 「…ということを決して声高にではなく描いた秀作」ってのは多いが、声高に言わねばならないと思っていることを声高に叫んだ映画、ってのもあってほしい。これがそうだった。作者に言いたいことが過剰なまでに溢れているってことは、こんなにも気持ちのいいことだったのか。3時間、がなり立て続けるストーンは魅力的だ。証言が現われるごとに何度も繰り返される暗殺シーン、一本の作品としての流れなり盛り上がりなりを計算していく気持ちはまるでなく、手に入った絵の具からどんどんキャンバスに塗り重ねていく。その積み重ね自体を映画の魅力にしてしまっている。「あれはおかしい、これもおかしい」と、スクリーンに証拠を陳列していき、説得というより「これだけ疑問点があっても委員会の言うことを信じられるのか」と大声で脅されている気分。そのパッパと陳列していく手際でこちらも釣り込まれてしまう。この監督、役者の演技というものにも全く興味を見せてなく、ただセリフをしゃべるマシンか何かと思っているのだろう。ドナルド・サザーランドのような癖のある名優も、ただしゃべりまくらされる。監督が興味を見せるのは、証言の散文的な内容だけだ。一個の事件の周囲に、人がしゃべることによっていろいろなものが付着したり剥がれたりしていくその変容に面白味を感じているのであって、役者が本当は一番見せたい表情や仕種やらの微妙さは無視されてしまう。そういう微妙な味わいこそ映画の楽しみである、という“上品”な映画鑑賞法も一緒に無視されてしまう。「私はこれこれこういうことが面白い、こういうことにのみ興味を感じている」という自分の守備範囲をはっきりさせ、その中で好き勝手をやり、そのこと以外には媚を微塵も示さない。ストーンの映画に感じるのはその小気味よさである。自分のやってることに確信を持っているものの明朗さがある。[映画館(字幕)] 8点(2009-06-19 12:07:19)(良:2票)

13.  シカゴ(2002) アメリカってショービジネスを描くと、ノリにノる国。マスコミが犯罪とショービジネスを同格にしてしまう。どちらも有名になること・脚光を浴びることで同じなの。話題を提供し続けないと生き残れないショービジネスの世界なら、裁判という脚光もイタダキだ。こういう「あたりさわりのある話」をエンタテインメントにしちゃう底力が、まだこの国にはあります。濃い主役3人のキャラクターを、うす~い亭主のミスター・セロファンが際立たせていた。ミュージカルとしては、水滴からリズムを刻んで入るタンゴのかっこよさ(例の如くちょっとカットを割りすぎるのだが)。キャサリン・ゼタ=ジョーンズのヴェルマの悪あがき「一人じゃできない」のナンバーが笑わせる。この人『トラフィック』のときは、なんか太った人っていうぐらいの印象しかなかったんだけど、器用な人だったんだな。[映画館(字幕)] 8点(2008-05-26 12:20:36)

14.  地獄の英雄(1951) 《ネタバレ》 他人の事故で盛り上がる大衆の物語。生き埋め事故に遭遇したジャーナリストが、その救出をドラマチックに演出していくの。それに乗ってくる大衆の興奮のエスカレーションぶりが、さりげなくもすさまじい。現場に集まってくる野次馬たち。そのうち入場料を取るようになり、人混みの向こうでは風船売りが仕事を始める。列車で次々と「人の不幸を黙って見ていられない心優しいアメリカ人」たちが訪れ、一番乗りした人はそれを強調する。救出現場のそばに遊園地ができて人は遊び、助からなかったと知ってはさめざめと泣く。これはまだ新聞がメディアの中心だった時代の話で、現在のテレビ時代はもっと過激にカーニバルが展開している。これだいぶ昔に見たんだけど、この辛辣さが強烈だったんで、その後ワイルダーの喜劇を見ても、どこかひんやりしたものを常に感じてしまうのだった。原題が「THE BIG CARNIVAL」で、ひどい邦題付けたなあと思ってたら、ワイルダーの付けた題「ACE IN THE HOLE」を、不入りで会社が変えたのだそう。邦題はけっこう忠実に訳していたわけだ。ワイルダーは対談本で「ノータリンめが」と題の改変を憤慨してたが、凡人の私には「ビッグ・カーニバル」のほうがいいように思うけど。[地上波(吹替)] 8点(2008-02-07 12:24:46)

15.  白い恐怖(1945) G・ペックがひげ剃ろうとするクリームのドロッとした白を見せるとこから次々に白が襲ってきて、教授がミルクをとりにいくシーンを経て、ついにカメラがコップのミルクにふさがれるまで、ここはもうまさにヒッチコックでしたなあ。具体性ということか。テーブルクロスの筋のように、恐怖の対象が極めて具体的にそこにあるの。なんでもないはずのものが、ヒッチに指摘されることによって恐怖の対象になる。彼と深層心理学って、何か結びつかない気がしない? ヒッチの明晰さと、心理学の晦渋さ・曖昧さ。はっきり指させる恐怖と、どうとでも言いつくろえそうな解釈の世界。それが補い合ってるから面白いのかな? 私が観たフィルムの字幕は、後ろの画面が白いとほとんど読めなくて(昔はこういうの多かったんです)、白の恐怖であった。[映画館(字幕)] 7点(2012-12-11 10:26:20)(良:1票)

16.  ジャングル・フィーバー この監督の面白さはホームドラマにあるのかも知れない。一組の男女から、しだいにそれぞれの背景、家族から民族まで広がっていくドラマを、会話で綴っていく。「わだかまり」の根本を見詰めようとする姿勢は正しい。残業の会話でジョークジョークと言いながら、黒人の上司と白人の部下という関係のわだかまりをためつすがめついじり回す楽しみ。女たちの討論会。黒人男はどこかで白人女を求めてるのよ。イタリア系の店での差別論議。今回は人種差別に性差別も絡んでくる。主人公のカップルの裏に、タトゥーロ青年の黒人女性への恋が肯定的に置かれていた。後半麻薬のモチーフがグッと出てくるのがもひとつピンと来なかったんだけど、今のアメリカで家庭を考えるとき避けられないテーマなのでしょうな。道を散歩するシーンがなぜか滑らかな移動で描かれるのが面白い。フィーバーではあるけど、すべて中途半端な情熱になってしまう哀しさみたいのがある。警官に強姦していると思われそうになるとき「恋人と言うな、友だちと言え」なんてあたりに、今黒人が置かれている状況が分かる。タテマエは平等ということになってても、実際に心に生まれてくる「わだかまり」はどうすればいいのか。[映画館(字幕)] 7点(2012-11-07 09:44:43)

17.  シャレード(1963) 《ネタバレ》 旦那の葬式の場、次々と見知らぬ男たちが現われて、本当に死んでいるのを確認していくとこがおかしい(最初は鼻に鏡を当て、次はあっさり刺してみる)。こういう「殺伐としたユーモア」でいくのかと思っていると、中盤からはロマンチック路線主体になり、サスペンスコメディの線はやや減退。ロマンスものの随所に襲撃やら殺人やらのスリラーを挟む、という姿勢。一応C・グラントに謎めいた役割を与えてはいるものの、まあ彼が悪役で終わるとは思えず、そこらへんは作る側も折り込みずみで、安定したロマンチック路線の上で二転三転を楽しんでください、ということなんだろう。女性観客のための「オードリーのオシャレ映画」としての枠も考えなければならない。セリフもシャレていて、たとえばガラーンとした葬式のとき、誰も来ないのね、というのに応じて「ベッドで死んでたら警部もいなかったわ」。電話で脅迫してくるJ・コバーンが、どこにいるんだ、というグラントに応じて「俺を見つけたいんなら、後ろを振り向け、いつもお前に張り付いてるからな」なんてのもいい。終盤でまたサスペンスの線をハッキリさせ、盛り上がった気分で終わらせている。[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-08-06 10:05:58)

18.  シティ・オブ・ジョイ 国際規模に拡大された『赤ひげ』って感じ。インドから見れば「いい気なもんだ」ってなとこもありましょうが、「逃げ出すか、傍観するか、飛び込むか」という「とにかく行動せよ」いう姿勢、「そのことが悪いはずはない」という確信の強さ、には一目置きます。そういった信念が歴史上多くの悲惨も生んでいるんだけど、歴史を動かしてもいるわけで、たとえ人の職を奪うようなことになっても正義を貫く、根本的に悪に立ち向かおうとする、という一途さをヨシとするのが、西洋の原理なんでしょう。青臭い青年と二人で分担させたっていうのも手ですな。でもやっぱときどき小声で「いい気なもんだ」とは思っちゃうんですが、こちらもアジア人なもので。マックス君の心の傷がちょっと弱いんじゃないか。説明が少女を死なせたってだけでは。だから施療院手伝わないとこなんか、ただのダダッコに見えちゃう。ま実際そうなのか。人力車は「リキシャ」って言うんだよね。馬のようにいななけ、なんて言うの。モリコーネの音楽、ラストに合唱が入るのは『ミッション』のタッチ。こういう弱者が圧制者に立ち上がるって話に弱いもんで、点は甘くなる。[映画館(字幕)] 7点(2012-03-31 09:44:36)

19.  シンドラーのリスト 主人公が成金狙いのうさんくさい男ってとこに味がある。たくみに軍に取り入っていくあたりのとこ、リーアム・ニーソン、いい。それでもラスト近くのヒロイックな描かれかたには、やや抵抗が残るが、たとえば間違ってアウシュビッツに送られてきたのの扱い、彼はやはり「自分の」ユダヤ人たちを救おうとする。ここらへん、彼も「選別」しているわけで、ちょっと引っかかったんだけど、ああそうか、そこがポイントなのかも知れないな。抽象的な正義感よりも、自分の家族のように顔を知っている・名前を知っている人々を救いたいって気持ちのほうが強くなれるわけで、そういう具体的な顔や名前に足場を求めないと、狂った抽象的な理想に対抗する正義ってのは発揮できないんだ。ゲットー解体シーンはやはり迫力。ほんのささいな分かれ道で、生き延びられるものと生き延びられないものと違ってくる。音楽はまたJ・ウィリアムズ、ユダヤ人作曲家マーラーの交響曲8番に似たモチーフの部分があるんだけど、偶然だろう。[映画館(字幕)] 7点(2011-01-05 20:11:48)(良:1票)

20.  シリアル・ママ 《ネタバレ》 模範的家庭をパロディにする、ってのもアメリカ映画の重要なジャンルか。しかもだいたい朝食シーンから始まるんだ。模範的にパチリとハマリすぎていることの気味悪さに敏感ってことか。中流アメリカは市民社会として安定してるがゆえに、その「市民」が成り立っている「きわどさ」にも敏感。市民であることの面倒くささ、シートベルトを締め、ゴミを分別し、借りたビデオはちゃんと巻き戻し、そういうあれこれの些細な厄介さの上に、市民社会は存立している。殺人が徹底してないのが不満、やはりこれは「公共的正義」のみにおいて狂うべきで、個人的なもの(学校の先生とか)が入ってくるのは不純。もっと分別をしっかりしてほしい。シートベルトを締めない男を追いかけるときには、ちゃんとシートベルトを締める。「あなたはリサイクルしてましたか?」ってのが裁判の決め手になるのが、当時のアメリカ社会の皮肉になってるよう。「正義」という保証を与えられた狂人が一番怖いという話。火掻き棒で刺すと肝臓がついてくる。[映画館(字幕)] 7点(2010-07-08 11:54:47)

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