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【製作国 : アメリカ 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順1
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1.  その土曜日、7時58分 《ネタバレ》 この手の時間シャッフルものの趣向も珍しくなくなったが、でもやっぱり面白い。なんか映画ならではの面白さに根差しているようなのだ。舞台での芝居も映画も、客が座席に座って出来事を眺めるという点では同じなのに、芝居ではまず時間が順に進んでいくのに対し、映画は平気で逆に戻ったりあっちこっちする。不思議じゃないですか。時間を自由にあっちこっち出来るという発見が映画の文法をかなり豊かにしているはずだ。昔は回想は回想らしく画面をゆらゆらさせて入っていくというような決まりがあったが、もうそれも必要なくなり、こうキビキビとシャッフルそのものを楽しめるようになった。一度あったことが主観を替えて再び現われると、どうしてあんなにワクワクするのだろう。映画の秘密と関わっている気がする。それとこの映画のもう一つの手柄はフィリップ・シーモア・ホフマン。鈍感そうな外観とナイーブな内面の取り合わせの魅力なのか。上機嫌に弟に強盗話を持ちかけるあたりは、この人ならでは。このチグハグさがこの人が演じると納得いくんだな。『M:i:Ⅲ』のように完全な悪役になってしまうとあんまり面白くない。今回のように大物ぶりとナーバスさが同居している役だと、その大物ぶりのウツロさがひときわ生きて、いいのだ。この人のことを最初にノートに記録したのは『ブギー・ナイツ』だった。「小デブは『ビッグ・リボウスキ』の秘書か。いいな」となっている。やはり軽く生きているようでいて、自殺してしまう役だったと思う。[DVD(吹替)] 7点(2009-11-20 12:07:06)

2.  訴訟 父と娘の親子喧嘩が、公的な法廷と私的な場で往復する趣向。でもこの二人、五分と五分じゃないだよね。一方的に企業のほうが悪くて、そのまま父が正しいってなっちゃう。娘はまだまだ世間知らず、60年代を通ってきた父は偉い、となる。アメリカ映画における父親像は、屈折を経ながらもいまだに健在。企業が「計算」してみせるとこは、やっぱりゾクッとくる。安上がりの計算、効率のみの思考。しかも私たちも社会はそれで動いていることを半ば納得してしまっているところが怖い。これはもっと突っ込めるテーマなんだけど、あんまり突っ込むとアメリカ社会の二重基準を直視しなければならなくなるからなあ。彼女の職業意識(依頼者への責任)みたいなことは、彼女の中で決着がついたんだろうか。[映画館(字幕)] 6点(2013-04-06 09:36:23)

3.  捜索者 西部劇ではずいぶん荒野の一軒家を見てきたはずだが、本作のファーストシーンで初めてその孤絶ぶりを感じた。戸を開けるともう荒々しい「外」がそこまで来ている。開拓者たちの心細さがひしひしと伝わるカット。だからこの映画でのコマンチは、単にインディアンというだけでなく、コヨーテや砂嵐や開拓者を脅かす新世界のあらゆるものを代表して存在しているんだろう。主人公たちの一行に、砂丘を並行して進むコマンチのシーンも、「開拓される側すべて」の警戒の象徴として彼らを見たほうが迫る。今までの騎兵隊ものではインディアンはただ駆除されるために存在していただけだが、本作では憎しみの対象になっている。そのためには悪玉を白人が演じなければならないところが、ハリウッドの限界だろうが、格上げされたことは確かだ(自分を妻と思い込むコマンチ女など、まだまだ差別描写は多い)。というわけで、これ異色西部劇としての価値はあろう。ただアメリカでの絶賛は分からない。今回で二回目の観賞で、前回より大きめの画面でその自然描写には堪能できたが、フォードの最大傑作というには躊躇させられる。初めて見たときの疑点(さらわれた姪への殺意にまで膨らむイーサンの執念の根拠とか)はそのまま残った。[CS・衛星(字幕)] 6点(2012-11-24 10:46:46)

4.  ソーシャル・ネットワーク D・フィンチャーの新作を観てみる、というより、「フェイスブック」ってものが分かるか、という興味のほうで観た。“アラブの春”のとき、ニュースや新聞でさかんにフェイスブックについての解説はあったが、も一つよく分からなかった。プライバシーにうるさい社会で、自分をサラケ出すような仕組みがヒットするのか、という点が疑問だった。映画はそれの成立の話で、中身はやっぱよく分からない。ネットのバーチャルな世界という安心感からサラケ出せるのか、あるいはそれほどまでに現代人はつながりたがっているのか、そこらへんのほうが面白そうだったが、なんせ旧世代の人間なので、とんでもない勘違いをしているのかもしれない(でも考えてみればこのサイトだって、映画をダシにして自分をサラケ出したがってる面があるようでもあり…)。この映画をちゃんと味わうには、私は基本知識が欠如してたよう。21世紀の『市民ケーン』と観たが、それでいいんでしょうか。ラストの味わい(エリカ)まで含めて。今までの映画だったら単純に対比されるものが、微妙にズレて向き合わないところが面白かった。主人公のネットかじりつきオタクとボート部の上流階級。きれいに対比されそうなものが、現代では単純な対立物になれず、適度に噛み合ってはズレていく。そして主人公はどんどん裏のほうへ・虚のほうへ掘り進んでいく感じ。何も創造しない虚業と言えば虚業だけど、でもそれが“アラブの春”という現実の変革の立役者になったところに、世界の在りようの「単純でなさ」をしみじみ感じた。私にはもう実感として理解できない世界だが、たぶん21世紀初頭の記録として残る作品となるんだろう。ビートルズの“ベイビーユアラリッチマン”が流れたところで旧世代の人間は、これなら俺の守備範囲内だ、と嬉しかった。[DVD(字幕)] 6点(2012-01-29 10:28:20)

5.  ゾンビランド かつてアメリカ映画は、心置きなく殺戮できる敵ってのを持っていた。西部劇ならインディアン、戦争映画なら相手国の個性のない兵士たち。しかしそれもベトナム戦争までで、自分たちの正義が疑わしくなってくると、どこからも文句を言われずに安心して殺戮できる敵は、宇宙人とゾンビだけになってしまった。今ゾンビ映画がやたら作られるのは、かつての大量殺戮の爽快感を忘れられないアメリカにとって、最後のテーマパークだからだろう。実際本作には西部劇の余韻が残っていて、登場人物たちは西部に楽土を求めていくわけだ(民芸品店で暴れたのは現実のインディアンを殺せなくなった白人どもの代償行為?)。ちょっと面白くなれそうだったのは、主人公の青年がいわゆる「引きこもり」で、他人をゾンビのように避けて生きてきたため、今回の災厄で生き残れたという設定。箇条書きされたマニュアルに沿い、用心に用心を重ねてきた。その彼が恋のために勇気を奮い立たせヒーロー的行動をとる、ってところでアメリカ映画の常道に戻ってしまうんだが、もっと彼の臆病を臆病として生かせなかったか。ゾンビランドとなったアメリカは、衣食住に関してそれほど困惑しているようでもなく、トゥインキーなるお菓子(?)を熱望するぐらい。ハリウッドの某俳優の豪勢な家で寝泊まりできるし、普段はよく停電していた西部なのにゾンビの国になってから電力事情は良くなったらしく、遊園地まで動かせる。やっぱり日常からちょっと立ち寄るだけの、テーマパークとしてのゾンビランドなんだな。まあ映画ってそういうものなんだけど。[DVD(字幕)] 6点(2011-07-23 10:10:37)

6.  それでも恋するバルセロナ 例のごとく、登場人物たちはふらつく。一つのキャラクターからはみ出そうと、反発と親和を織りなしていく。いつもだとそれがなんらかの着地点を見いだすのだが、今回はそのまま人間関係を広げていって、茫漠とした霧になって終わる。南欧的と言えば南欧的。アルモドバル的暖色が満ちる。ただひとつ残るのは、自分が「望まないもの」だけ、という話。ステレオタイプなスペイン人の描写は、ニューヨーカーの凡庸さの背景として意図したものかもしれない。観光名所的なロケとあいまって、誇張の効果。アメリカ人の会話にはうんざりだが、スペイン人のホットさにはついていけない、って。そのふらついていく一瞬一瞬には皮肉な面白さがあるのだが、一本の作品としては、とりとめなさの印象のほうが強くなってしまった。主要人物4ないし5人に、脇系の人が中途半端に絡んでくるのが、おい、本舞台に出るのか出ないのかはっきりしろ、といらつかされる。[DVD(字幕)] 6点(2010-04-07 11:59:07)

7.  その名にちなんで 《ネタバレ》 人が異文化に溶け込んでいくさまを、ビーカーの水にたらしたインクが拡がっていくのを観察するように見つめていく映画。アメリカに渡ってもベンガル人だけのつきあいで閉じていた母の世代。でも子の世代になると、金髪娘とつきあい、親の決めたベンガル生まれの妻の心はフランス人に流れ、妹はアメリカ人と結婚、とゆっくり拡散していく。アメリカの寒さに震えた親の世代に対し、子の世代はインドの暑さがこたえる。アメリカ‐インドを両極とする軸に、もうひとつロシア人作家の名が絡んでくるところが膨らみになっていて、血でなく精神の受け渡しが描かれる。自分のアイデンティティを、血や土地と関係のないよその国の昔の作家に求めてもいいんじゃないか、と思えば、なんとなく気持ちもほぐれていく。見ている間は、ちょっと話があちこちしてダラダラしてるかな、という印象だったが、終わってみれば、言うべきことを言い尽くしていたのかも知れない。[DVD(字幕)] 6点(2008-11-03 12:12:27)

8.  ゾディアック(2007) 《ネタバレ》 主人公の漫画家ギレンホールの言う「とにかく犯人の目を見てこいつだと確信したい」っていう気持ちに、こちらも同化する。最初の事件のなんともいやらしい車の動きぶり、あれだって覆面しているようなもので、それ以来ずっと、こういうことする奴はどういう顔してるんだろう、いう興味がつのっていく。容疑者リー・アレンに警察が会うシーンが、この映画で一番ドキドキした。やってることはどうってことないんだけど、こいつかもしれない、こいつでないかもしれない、そういう宙ぶらりんの気持ちのまま、こいつかもしれない容疑者の顔を見つめることの緊迫。こういうシーンで映画としての充実を覚えたのは珍しい。この映画、犯人の分析や事件の社会へ与えた影響などにはあまり関心を示さず、犯人に関心を示した人たちへの関心を持ち続ける。ラストに主人公が犯人(というか濃厚な容疑者)の目を見つめるシーンが置かれるのも、その流れだろう。首尾一貫してはいるが、これだけの長尺を持ちこたえるには、ちょっと物足りなくもあった。[DVD(字幕)] 6点(2008-02-05 12:23:35)(良:2票)

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