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【製作国 : アメリカ 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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1.  チャップリンの殺人狂時代 戦前『独裁者』を撮ったチャップリンとしては、戦後反対方向から眺める必要を感じたのだろう。あの時代の狂気を生み出した責任を独裁者一人に負わせてはいけない、それの協力者であった我々社会の“妻や子を養うための「ビジネス」”を分析しよう、という姿勢。この態度は間違いなく正しい。撮影当時始まっていた冷戦下では、資本主義への疑いは当然レッドパージに引っかかるものとなった。本作で一番とんがった部分は、かつて貧困から救った娘が軍需会社で立ち直っている、という皮肉だったと思うんだけど、そこを描くチャップリンの切れ味が弱いんだ。裁判を彼女が涙ながらに傍聴しているシーンが入り、センチメンタリズムに流されてしまう(彼の映画で繰り返される「美女に感謝される」というモチーフは、切り捨てられないほど心の根になっていたらしい)。そもそも最後の演説から逆算して作られたような映画で、いつもの切れ味がなく、会話体のシナリオがうまく書けない欠点もハッキリした。結婚式場での逃げ隠れの出入りなど、サイレント的な部分でのみイキイキする。作品評価としては悪くなるが、テーマに対する作家の誠実さも考慮するなら、点数はもっと上げなければならない。[CS・衛星(字幕)] 5点(2013-05-15 09:43:58)

2.  チャップリンの黄金狂時代 《ネタバレ》 前半で社会批評、後半でメロドラマ的要素と、二段構えになっているのが多いね、この人。争っている猟銃の銃口が常に逃げ回るチャップリンを追っているとこ、ズボンをステッキで引っ掛けながらのダンス、相手を倒したと思い込み意気揚々と引き上げるとこ、傾く家から飛び出すタイミング、などなどで笑ったが、極限状況を笑うとはどういうことなのか。単純に食卓と靴という組み合わせのシュールリアリスティックな面白味がある。それも上品なマナーで食べるおかしさ。悲惨と滑稽が隣り合わせなのは、何も極限状況に限らないのかも知れない。相棒の目に鳥に映ってしまうって悲惨の極みの恐怖だが、そう見えてしまう人間の弱さは私たちの日常にもともとあるような気がするし、「極限状況」ってのはそれを拡大するレンズなんだろう。自分の弱さを笑えるのは、人間の貴重な利点だ。[映画館(字幕)] 8点(2012-09-16 09:26:16)(良:1票)

3.  チャイニーズ・ブッキーを殺した男 《ネタバレ》 いっぱしワルぶっている小悪党がズルズルとはまっていく穴。そう悪人ってわけでもないんだ。ストリップクラブのオーナー。やっと自分の店となって、一国一城の主だ、といい気分。そこでポーカー賭博ではしゃぎ大負けしてしまう。このだんだんヤバくなっていくところを、黒人の愛人の表情で見せていく。街の騒音と街の光。白人と黒人と東洋人とがもつれあう。やはり「ステージ」「芸人」「演じること」「気楽になること」といったモチーフがぐるぐると巡っていく。自分が憎んでもいない男を殺しに行くまでの経過。道路の中で車を止め、犬用のハンバーガー、タクシーを呼び、店にショーの進行を尋ねる電話をいれ(俺がいないとダメだ)、ここらへんの逼迫感。この悪役俳優監督は夫婦の確執をフィルム・ノワールのようなタッチで描いたが、実際の犯罪を描いたのは少なく、これは正真正銘のフィルム・ノワール。[映画館(字幕)] 7点(2011-11-18 10:33:55)

4.  沈黙の戦艦 《ネタバレ》 S・セガールって人、どうも魅力がわかんない。B級なのは別にいいのよ、B級ならではの臭みでも出てくれればまだ引っかかってくれるんだけど、悪いんですけど、ホントのっぺりしたデクノボーって感じで。コックが似合わねえしなあ。シナリオとしても、なにか『ダイ・ハード』みたいな弱みを与えるとかさ、オリジナルな仕掛け、個性的な危難みたいなもんが欲しいわなあ。ただ立て籠もればいいってもんじゃない。犯行も低レベルで狙いがはっきりしない。悪玉が馬鹿に見えたらこの手の話はオシマイよ。味方の攻撃をいかに防ぐかなんてところで面白くなれそうなんだけど、それはトマホーク自爆させて、みんなヨカッタヨカッタって拍手して終わりになっちゃうの。情けない。最後に主人公が軍服着て敬礼するところに、この映画の根本的な勘違いがはっきり出ていたと思いません?[映画館(字幕)] 5点(2011-11-11 10:22:38)

5.  チート 東洋人にあちらが感じている「表情の読めない冷たさ」の行き着く先は、やはり「冷酷な悪人」で、本作で完成したってところか。自分の持ち物にトリイの焼印を押す金貸しの日本人が、借金のカタに人妻を誘惑し背に焼印を押しちゃうんだもん。東洋美術もすべて陰気な気分に導く道具となる。こんなころはまだアメリカの東洋人はみんなビンボーだと思ってたんだけど、金貸しをするような人物も生まれていたのか。少なくとも映画に登場させても不自然ではない設定だったのか。黄禍論てのは低賃金労働者がたくさん入り込んできて社会の混乱を招くってところから生じたんでしょ、あるいは未来にはこう東洋人に金を借りるようになるかも知れんぞという不安のイメージだったのかな。そういう設定でありながら「悪の魅力」ってのが雪洲にあるのが映画の不思議なところ。それは認めても、やはり異邦の人間への警戒感に乗った話で、群衆が激昂し正義に燃えて雪洲に詰めていくあたりは、後味悪い。別にこちらが日本人ってことと関係なく、興奮する正義とそれを肯定する雰囲気ってものが気色悪い。[映画館(字幕)] 5点(2011-10-13 09:57:21)(良:1票)

6.  チャイナタウン 《ネタバレ》 アメリカンニューシネマの看板俳優二人が共演して、アメリカ映画の大事な柱であるハードボイルドものをやったってところに、伝統の伝承と言うか、当時の意義があったんでしょうな。ラストのクラクションへ向けてゆっくりゆっくりネジを巻いていくようなテンポが心地よく、そうなんだよな、今のハリウッドではアレグロの映画しか作られないが、もっといろんなテンポの映画があったはずなんだ。ビデオやDVDや映写時間を見る側が操作できる時代になって、ゆったりやってると飛ばされちゃうという心配に製作者は突き動かされ、どんどんテンポが上がってしまったんじゃないか。あと70年代の映画らしいところは、主人公が中盤でずっと鼻にバンソーコーをつけてること。私たちの時代はもうボギーのころとは違うんです、と自己批評しているように感じたが、違うかな。J・ニコルソンはリンチまがいの仕打ちを受け、F・ダナウェイは車で銃撃を受ける、とそれぞれの代表作を回顧しているようなところがあるのは、まあ偶然でしょう。私はどうもハードボイルドものの展開を理解するのが苦手らしく、『三つ数えろ』もけっきょくどういう話だったのかを説明することが出来ないくらいで、本作も事件の全容を理解できたのか心もとない。社会的悪の背後からヒロインが受けた別種の悪が浮かび上がってくるところを味わえればいい、と勝手に思ってるけど、やっぱり何か味わい残した気分。[CS・衛星(字幕)] 6点(2011-09-23 10:24:12)

7.  チャーリー(1992) 伝記ものってのは、すでに巷間に流布しているイメージから、いかにナマなものを削り出してくるかってとこが勝負。といってただ裏返しただけの偶像破壊もつまらない。けっこう難しい。これだけ大きな人物を対象にすると、やはりビビってしまうのか、けっきょく当たりさわりのないものになってしまった。「愛されるチャーリー」「センチなチャーリー」はある一方、初期の作品に見られる「単なるからかいを越えた悪意を感じさせるチャーリー」「凶暴で殺伐としてさえ感じられるチャーリー」は割愛されてしまった。この両者の兼ね合いにチャップリンの魅力はあったのに。おもだった作品に触れていく中で『殺人狂時代』には言及しない。あれはチャップリンの女性遍歴(少女遍歴)のネガとして興味深い作品だろうになあ。はじめてセネットのとこを訪ねて、編集というものの面白さと怖さを知るエピソードはなかなかよかった。ヒットラーとの対比なんかもっと執着しても面白かったのでは。20世紀の二人の独裁者として。チャーリーの名場面集で幕にするってとこに、偶像に寄りかかってる情けなさが現われている。大部の「チャップリン自伝」を2時間半で読めたと思えばオトク。[映画館(字幕)] 6点(2011-09-02 10:04:19)

8.  チャップリンの独裁者 あんなにもトーキーに抵抗しパントマイム芸の優位を説いていたチャップリンが、ただ顔のアップだけでしゃべり続けること。そのことの衝撃も、広い意味での「芸」であろう。おどおどしたものが勇気を出す、という、キートンやロイドとも共通したアメリカ理想の型を使って、演説に持っていった。なにより感心するのは、このときアメリカはまだドイツと戦争していないのだ。そしてドイツは一番威勢のいいときなのだ。もしこのままドイツがヨーロッパを圧伏したら、アメリカはドイツと外交交渉によってその後の世界を探っていく可能性もあった。そのときこんな映画を作っていた作家は、困難な立場に追い込まれたことだろう。それでも発言した勇気、これは開戦後に「安心」して量産された反ナチ映画と一緒にしてはならない。この勇気の前には、作品としてどうこう言うのもはばかられ、とにかく映画史が持った偉大なフィルムであることは間違いない。ただ映画芸術史の流れで捉えると、なんか、音楽史におけるベートーヴェンの「第九」に相当するんじゃないかと思うことがある。純粋な律動を楽しむ芸術であった西洋の器楽曲、しかし第九のラストに演説のように登場する合唱で、不純な言葉=意味が入り込んできた。そしてバロック・古典派という、天上の世界を写し取って頂点に達していた音楽史は、ロマン派という作曲家個人の心の内面を歌う地上の世界に下降してくる。映画史も、このラストの演説を切り替えどきにしたように、天上のパントマイム芸から地上のセリフ芝居へと移ろっていく。もちろんそれでいいのだ、歴史とはそういう変化を受け入れ展開していくものなのだから、それでいいのだけれど、あの無垢な無声の時代がやたら懐かしくなるときも当然あるわけで。[映画館(字幕)] 8点(2010-12-16 10:03:43)(良:1票)

9.  沈黙の要塞 《ネタバレ》 ワルが政治絡みでも犯罪組織でもなく、ただただ利潤を追及する経済活動のゆえに裁かれる、というのは娯楽系の映画としては珍しいか。もちろんエスキモーを殺したり派生的に悪いことはしてるんだけど。今までだと別に悪の根源があって、企業のふりを装ってるって展開になるんじゃないかな。これは社会派映画の一歩手前、企業活動そのものを悪としている。話は粗い。悪人が家捜ししても見つからなかったフロッピーがひょっこり鞄の底から出てくる、というギャグ映画の一歩手前。自然を守ろうとしているこの主人公も、かなり自然に悪いことしてるみたいだったし(アメリカの「正義」のパロディのつもりだったら立派なんだけど)。悪い企業に勤めてたからって従業員を危険にさらしてもいいのか。発電所のガード撃ち殺しちゃった。またこういうのの悪役って、主人公にトドメを刺さないで引っ繰り返されちゃうんだ、必ず。ラストの演説は、その通りだとは思うんですけど、圧倒的にシラける(やっぱりパロディなのかな)。[映画館(字幕)] 5点(2010-10-16 10:08:05)

10.  チャンドニー・チョーク・トゥ・チャイナ 《ネタバレ》 インドと中国って、同じアジアの古代文明発生地でありながら、文化の質感がまるで違う。石の文化と竹の文化、その合わなさが強引に引っ付けられている面白さ。カレーラーメンの味。映画そのものは変拍子のインドの感触。トーンの唐突な切り替えが特徴で、たとえば敵地から脱出のサスペンスからパッとザッピングしたように、傘で浮遊するロマンチックな歌のシーンに切り替わる。活劇とミュージカルが同居するってのは映画として正しいし、サスペンスの後にラブシーンが来るのも定型なんだけど、心構えする数拍の余裕なく接続され、観ていてつまずく感覚。でも、このぎくしゃくした変拍子こそがインド映画の味わいなのだろう。けっきょくこちらが慣れてないってことなのか。ただし純粋なミュージカルシーンとしては、中国到着のとこぐらいで物足りなかった(あそこでかなり期待してしまったので)。悪役が懐かしい007の某作品を思い出させてくれる。北条ってのは中国人の名前じゃないよな。アジアの悪役東条の影はいまだにあるのか。[DVD(字幕)] 5点(2010-02-27 12:00:27)

11.  散り行く花 映画はまず現実の記録として始まったが、逆に現実にない幻想世界を築く方向へも進んでいった。本作なんか素材として東洋趣味を盛り込み、まさに幻想としての物語で、お話の無理をぼかしている。帽子のリリアン・ギッシュなんて半分幻想の存在としか思えない。極端な骨組みだけの設定が、サイレントだと豊かに膨らんでくる。半ば観客の想像に頼る仕組みがいいのだろう。暴虐な父と可憐な娘という陳腐でさえある設定が、いわば神話的な原型として観客に働きかけてくるんだ。野蛮なアングロ・サクソンに仏教を伝道しようとやってくる主人公の設定がちょっと面白い。遠藤周作の宣教師の裏返しで、彼もロンドンという沼の中にぶくぶくと沈んでいってしまう訳だ。東洋に旅立つ宣教師も登場させてちゃんと釣り合いを取る。といっても、何も自分たちの膨張主義を批評・批判してるわけではなく、ちょっと気取ってるだけ。東洋人の猫背男の純情が話の芯、でもあんなに猫背かなあ、我々は。それともあれはただ身長に低さを表現してたのだろうか。[映画館(字幕)] 8点(2009-11-14 11:52:39)

12.  チェンジリング(2008) 《ネタバレ》 おびえる子どもたちが、おびえながらも何らかの勇気ある行動を取るところがいい。たとえば犯人の側の少年が、荒れ果てた牧場で遺体を埋めた場所を掘るところ。刑事がもういいと言っても掘り続け、泣き崩れる。あるいは被害者のほうの少年が、黙っていたことに自責を感じ、名乗り出る不安におびえて何年も耐えてたと分かるところ。(ふてくされていた犯人も、絞首台の上でおびえ、子どものように「きよしこの夜」をふるえ声で歌い出す。)子どもたちは恐怖と自責に取り巻かれ、しかしそれを何とか乗り越えていく。彼らの世代はやがて『父親たちの星条旗』や『硫黄島からの手紙』の兵士になって、さらなるおびえと戦わなければならなくなる訳だ。この陰惨な世界の中で、どこかでおびえ続けている子どもを探し通す母が映画の芯になる。バスから最後に息子を見送った窓辺の位置が何度も反復され、刑務所の犯人と対決するのも窓辺、ラストの取調室を覗くシーンでは、子どもではなく反射する自分の顔と向かい合っているのが痛ましい。ただ映画としては、サスペンス・社会派・法廷もの・犯罪者の心理ものと間口を広げすぎて焦点が拡散してしまった。精神病院のエピソードなんか、もっとあっさりしてても良かったんじゃないか。マルコヴィッチが意外と面白くない。[DVD(字幕)] 7点(2009-10-30 12:00:08)(良:1票)

13.  チョコレート(2001) 男三代のカチカチの家の息苦しさ。とりわけ祖父の重さ。伝統。しょうがない女だったと言われているが、母の不在が大きい。子を愛していたことに遅れて気づき、父を愛していなかったことに遅れて気づく不幸。椅子の血の汚れと、車の座席の血の汚れ。これはすでに崩壊した家のホームドラマでもある。しかし差別の意識はこんなにも簡単に拭われるものだろうか。すべて祖父一人に、伝統に、過去に責任を押しやって、主人公をきれいにしすぎた気もする。南部ジョージアの匂いをさらりと出しているのはいい。[映画館(字幕)] 6点(2008-06-23 12:12:23)(良:1票)

14.  血と砂(1922) この監督は活劇で名を成した人のはずなのに、闘牛シーンがぜんぜん面白くなくて、盛り上がらない。あるいはいいところをカットされた版で見てしまったのか。イタリア系であるヴァレンチノの異国情緒をかもすスター性にだけ頼った映画。しかしただ美貌だけをウリにしてたスターってのは、時代が過ぎてしまうと辛いものがある。すねた不良って感じを含んでるところがウケてたのか。ヴァレンチノって同時代の日本のオペラ歌手藤原義江にちょっと似てることを発見した(って言っても若い方は知りませんか。溝口の初期のなんかにも出てる人。こんな名前だけど男よ)。藤原義江も異国情緒の人だったし、時代のそういうエキゾチック趣味を確認することはできた。[ビデオ(字幕)] 5点(2008-02-26 12:16:15)

15.  父親たちの星条旗 《ネタバレ》 国債を買いましょうとコーラスガールの歌が流れ、はりぼて製のスリバチ山に旗を立てる再現ショーを強いられるあたり、フェリーニだったら戦時下の民衆のグロテスクを哄笑するようにもっとコッテリ描いたとこだろうが、イーストウッドはなにしろ常に「悲痛」がベースにある人だから、若者たちのやりきれなさのほうに焦点が合う。はしゃぐことが悲痛につながっていくのは、すでに硫黄島へ向かう艦隊から海に落ちる兵士のエピソードがそう。意気込む若者たちの愉快な一挿話と見えたものが、自分たちが消耗品であることの自覚の始まりになる。笑いがしだいにこわばっていくあの描写に、戦場とそれ以外の世界との落差が、圧縮されて表現されていた。[DVD(字幕)] 6点(2007-09-21 12:13:42)

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