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プロフィール |
コメント数 |
160 |
性別 |
男性 |
年齢 |
60歳 |
自己紹介 |
メインストリームでは無いが映像プランナー/ディレクターを生業としています。 映画を観たのは小・中学時代がテレビの吹替えで。高校・大学時代は映画館で年間300本ほど…好きな作品はリピート鑑賞。ニューシネマより王道の娯楽作品を好みます。 吹替えの演技で好きになった映画も多数。広川太一郎、羽佐間道夫、大塚周夫、中村正、若山弦蔵、石丸博也は個人的に人間国宝に認定したい。 |
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1. DUNE デューン/砂の惑星(2021)
《ネタバレ》 遅ればせながら鑑賞。
だいたい思ったことはレビューされてますので、短かめに感想を。
新生デューン、SF映画として観て最高でした。
架空の世界をどれだけリアルに描けるか・・・
その点において、複数の惑星の環境、民族性、政治、文化が見事に具現化されて、その情景は名画のように美しい。
映画芸術の極みとも思えるほどでした。ただ・・・
描き出される世界は、緻密で壮大で深遠。しかし、その芸術性と引き換えに登場人物の演技をはじめ、総てに衝撃が無い。
あえて、感動を押しつけないヴィルヌーヴ監督の演出は「ブレードランナー2049」で評価されたけれど、ブレードランナーという傑作SF映画のビジュアルインパクトが前にあって、それとの対比で評価された側面もある筈。
果たして「デューン」という砂の惑星に、大衆を引きつける引力がどれほどあるだろうか・・・
特にMCU(マーベル映画)の密度・スピード・過剰サービスで育った若い層が、どうヴィルヌーヴ演出を見るか?そこが運命の分かれ道かも知れない。
当然、続編も同じクオリティで、よりスケールアップした形で観たい!だからコケて欲しくはない。
そこで、我は声(ボイス)で命じる!“若者ヨ、投票シロ!”もとい“デューンヲ、見ロ!”
おおっ!早速パート2の製作が決まったようだ・・・まぁ、若者にウケたかは知らんけどね(笑)[映画館(吹替)] 7点(2021-10-31 19:14:55)(笑:1票) (良:1票) 《改行有》
2. ディック・ロングはなぜ死んだのか?
これは、落語の滑稽話(こっけいばなし)みたいな映画でしたね。
滑稽話とは、他人の馬鹿馬鹿しい行いや、失敗の顛末を笑い話にする演目のこと。
落語と違うのは「落ちが無い」ことで、映画で言えば、感動のハッピーエンドでも、恐怖のバッドエンドでもない。
ましてや、どんでん返しなど有る訳もない「なるようになる」物語です。
じゃあ、何が笑えるのか?
それは語られる出来事が、地上の英知を気取る我々人間の馬鹿っぽさ=霊長類の“馬鹿あるある”だからです。
劇中の出来事は「有りそうにないけれど、無いとは言い切れない話」であればあるほど妙に笑える訳です。
例えば、やらかして謹慎くらう芸能人とか、うっかり発言でSNS大炎上とか、盗撮趣味で逮捕される教師などなど・・・
馬鹿な本人には悲劇だけれど、客観的に見れば喜劇。
「ディック・ロングはなぜ死んだのか?」で起きる失敗も「有りそうにないけれど、無いとは言い切れない話」。
ポイントは、滑稽話はあくまで、笑う為の「お話」と知って聴くから笑えるという点で、これを真剣に受け取ったら笑えない。
(コメディでは無いので、出来事はリアルに描写され笑わせる為の露骨な演出はされていない)
英語圏の人なら、原題“The Death of Dick Long”で、笑い話だと察しがつくはず。
スラングに疎(うと)い人でも、劇中で説明されて気がつき、わかってしまえば、アメリカ版ポスターなんて爆笑ものです。
日本人には、映画の事件がピンと来ないかも知れませんね。
でも、映画ファンなら「羊」の例を知ってるはず。映画のタイトルはあえて、沈黙(笑)
人間だから、馬鹿やって大失敗することもあるし、それを誤魔化したくなる弱さもある。
厳しく責める人もいるし、発覚の恐怖や、辛さから逃げたくもなる。
その結果、失うものも沢山ある・・・でも
わかってくれる友だちもいて、自分がわかってやることも出来る。
自分なりに、自分らしく生きていく道もきっとある・・・
正しく完璧に生きることを強要され、些細なミスで吊るし上げられ脱落してしまう。
そんな社会で生きてると
こういう映画を観て、何故か、ほっとするのだ。
評価は6点だけど、好きな映画でした。[映画館(字幕)] 6点(2020-09-02 23:06:59)(良:2票) 《改行有》
3. デッドプール2
《ネタバレ》 何がしたいかよく解らない話。という声もあるようですが、私には凄くよく解る話でした。
以下【ネタバレ】を含みます。
今回は、ダニエル・クレイグ版007を強く意識した話だと思います。カジノロワイヤルに始まってスペクターに至る《大切なものを守れなかった男》が、何か(ボンドの場合は女性)を守りきることで自分を取り戻すまでの物語。
(自分と同じ境遇の)孤独な子供を守る設定は、勿論「ローガン」からのパクリ・・いやいや、インスパイア。
だから、映画の冒頭のローガンいじりとMVみたいなタイトルバックは、ローガンと007へ「デップーより愛をこめて」的な、今回はそんな話だぜ!っていう一種の事前の宣言なんですよね。
相変わらず下品なジョークを言いつつもヴァネッサを失って心が空っぽになったデップーは 死のうとする。が、何故か天国のヴァネッサから啓示を受け、現世での使命を与えられる。
これは、ブルースブラザースでもあった「罪深き者が神の啓示で良き行いをし 仲間を得て蘇える」(BBの場合は音楽に帰る)のと同じ。
デップーもラッセル(ファイヤー・フィスト)を救う使命を得て、仲間(エックスフォース)を集めて使命を果たし、ヴァネッサを失った(空虚な心)が救われる。という物語・・・普通ならば。
しかし、これは第四の壁を破る映画『デッドプール』なので、物語が決着したついでに、ヴァネッサの死をはじめ 嫌な過去をぜーんぶ改ざんしてしまう。つまり、予定調和(御都合主義)的な映画自体をポストクレジットシーンで自虐的に笑って、これ映画だし!嘘だし!ヴァネッサも死なないよ~ん!と全部チャラにしている訳だ。
そういうウルトラCみたいなオチをつけるところが、やはりデッドプール! スゲーの観た!って気持ちで帰れる素晴らしさです。[映画館(吹替)] 8点(2018-06-02 11:16:20)(良:2票) 《改行有》
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