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【製作国 : アメリカ 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
1. オブリビオン(2013) 《ネタバレ》 テッドの形や、テッド関連施設(スーツについたマークや監視施設のドアボタン)が、三角であったことに注目。 それら三角のマークは、この物語で描きたかったことをシンボライズしているのだ。 すなわち、ジャック、彼女の妻ジュリア、そして同じ職場の女クルーのヴィカ・・・NASAに努めるこの3人は、60年前、三角関係だった。 ヴィカは、ジュリアを愛するジャックに片思いをしていたということだ。 家に置かれた”夫婦2ショット”風の額縁入り写真も、60年前に宇宙人に拉致させる寸前に、宇宙船の中でジュリアが別室に入ったチャンスにヴィカかジャックに突然顔を寄せて、強引に撮影した2ショット自撮り(ジャックは「ちょっ・・・いきなり なんだよオイ?」と、ヴィカのほうに顔を向けた瞬間のショット)したものにすぎない。 60年後の現在、記憶操作をされたクローンのトムとヴィカは夫婦として監視役のチームとなっているが、途中でNASAの睡眠保管ケースにいた妻を見つけたトムがそのケースを基地に持ち帰ったとき、ヴィカは透明の扉を開けずに、彼を見て無言で涙を流す。 またヴィカは、ジュリアが目覚めたら彼女に謎の注射(ひょっとして恋路を邪魔する女を消すための筋肉弛緩剤か!?)を打とうともする。 ジャックもヴィカも60年前に宇宙人に拉致された際、記憶を消され、宇宙人と人類の敵味方の記憶を逆転させたクローンにされた。しかし、二人の心の奥に記憶された恋という感情は、クローンになった現在も完全に消すことはできなかったんですね。 ヴィカはジャックが夫という設定であることは、彼を愛する彼女にとっては受け入れることは容易、いやむしろ大歓迎なものだったのだろう。 だからこそジャックへの片思いの記憶が削除されて、ジャックと夫婦とされたリプログラミングもスムーズに成功していていて、ジャックとは違い、置かれた状況をありのままに積極的に受け入れている。 ひょっとしたら、ジャックが片思いの仕事仲間であることや、発見されたジュリアがかつての恋敵だと悟ってしまう瞬間があったかもしれない。 (特に透明扉で涙を流すあたりとか) が、それを頭の中で懸命に否定し<ジャック=任務を共同で行う夫><ジュリア=任務を邪魔する外敵>として認識することで、彼女は自分の女としてのプライドを保とうとすらしていたかもしれない。 しかしながらジャックは記憶を消されてもなお妻への愛情までは消せなかった。宇宙人のハイテク技術をもってしても消せなかった、その強固な思い。 この3人の恋模様に注目してね、ってことで、あの”▽”マークなのだ。 そう、だからこの映画は、SFの世界観で描いた、時空を超えるせつないラブストーリー。 レビューで、「ストーリーがよくわからない」という人達の多さに驚く。 こんなにシンプルなのに?なぜ? ちなみに全てが解決してからラストで何食わぬ顔でヒョッコリ出てきたジャックのクローンである52番君。ジャックが時間をかけて築いたあの楽園の家と奥さんをそっくりそのままオイラがイタダキーって、ずるいけど、なんかにくめない。 まぁ亡くなったもともとのジャックもそもそもクローンだから、オリジナルのまま人工睡眠機に入っていたジュリアにとっては「まぁ、どっちでも同じかな♪(どっちもクローン)」ということで、見る側もなんか納得。[CS・衛星(吹替)] 9点(2014-11-07 11:31:54)(良:1票) 《改行有》 2. オール・ユー・ニード・イズ・キル 《ネタバレ》 エミリーブラントは「メリーポピンズ・リターンズ」とか「プラダを着た悪魔」みたいに、華やかなお洋服も着こなせるのに、今作や「ボーダーライン」みたいに土で薄汚れた女兵士も演じられるのが魅力。 ルーブル美術館での最後の自爆攻撃で、エミリーブラントとトム・クルーズが死んじゃって「ああああ…」ってなったけど まさかのハッピーエンドでトムの白い歯が輝く笑顔が見られて幸いです笑 調子のよすぎる展開だけど、この主役の二人が輝きすぎて、いろいろ許せてしまう。 ちなみにルーブルでエミリーがトムに「あなたをもっと知りたかった」と言ってチュってするのは、とっさのエミリーのアドリブだったそう。 トムは「キャラ的にキスする女じゃないから撮り直そう」って言ったそうだけど、このままでGOっていうスタッフの意見が多数だったとか。私はGO派だったので、これも幸い。 ライトノベルらしい、ライトなストーリー展開で、ライトに軽く見られる映画ですね。[DVD(字幕)] 7点(2021-01-18 17:14:00)《改行有》 3. 女と男の観覧車 《ネタバレ》 ヒロインの女性、元3流舞台女優という設定だが、そこがすごくウマイと思う。 芸術に関わる人間っていうのは、人間として魅力的だが、同時に”わがまま”で、”自己中心的”で、”感情的”で、そして、”倫理観に乏しい”。 でも、それが実は魅力でもある。 芸術家たちに破天荒なひとが多く、同時に異性のエピソードが多いのはそのせいだろう。 (ピカソとか、ゴーギャンとか、クリムトとか、・・・) ヒロインは、最初の結婚時に、不倫をして、夫を悲しませて子連れシングルマザーとなった。 釣りなんて興味なんてないのに、今の夫と結婚するために興味あるふりをして再婚した。 そのようなムリのある結婚がうまくいくわけもなく、彼女は海のライフセーバーの男が劇作家志望だと知って、あっというまに年下男に打ち解けて、将来の再婚相手とさえ妄想に走ってしまう。 夫への罪悪感なし。 ライフセーバーが夫の娘に気があるのを知ると、彼女に嫉妬の炎を燃え上がらせる。 彼との再婚を望む気持ちが前のめりになり、高価な誕生日プレゼントを渡して引かれてしまえば彼の前でブチギレる。 息子の放火グセを治そうとカウンセリングに通わせるが、そのお金は夫のお金を盗んで使う。 ライフセーバーとのデートの約束優先で、息子をひとりでカウンセリングへ行かせちゃって、息子は二の次に。 こうして整理してみれば、この映画の中でヒロインはどうしようもないほどのクズっぷりであるが、なんだろう、この女性像の悲壮感。 これだけダメダメ女房なのに、ケンカしたあとに自分から折れてやった夫は彼女に「今度釣り一緒いくか?」と声をかける。 彼女は、いろいろもがいてきたけど結局このパっとしない話しも合わない中年夫とうまくやっていくのが残された唯一の道なんだと悟って「YES」と答えるのかと思いきや、それでも「NO」とつきつけて、この映画は幕を閉じる。 「あぁ、こうして彼女はこの狭い土地の中で、これからもずっと、話しの合う若い男性と出会って不毛な関係を結んでは、また相手を失って偏頭痛とお酒とヒステリーを繰り返すんだな・・・」と、なんともいえない閉塞感。 でも、とても現実的な話で、彼女の家の前で来る日も来る日もグルグルと回る観覧車のように、こういう出会いと別れのパターンをグルグルと回り続ける無限ループに囚われもがき続ける人たちはこの世界にたくさんいるのだろう。(特に芸術家タイプ) だからからこそ、このような作品が生み出され、共感する人も多いのだと思う。 ウッディ・アレンのリアル恋愛劇は、いつもヒリヒリさせる。[ブルーレイ(字幕)] 6点(2019-02-10 18:32:24)(良:1票) 《改行有》 4. オデッセイ(2015) 《ネタバレ》 SF大好物な私であるが、「オデッセイ」に関しては、ズバリ、私とは相性が悪い。この主人公の、取り残されたことが分かったときの落ち着きっぷりが、どうしようもないのである。 宇宙飛行士たるもの、いかなる非常事態にも冷静さを保てる強靭なハートを持つものであることは重々承知。 NASAの宇宙飛行士の訓練の9割が非常事態に対応する訓練だということも承知。 だが、何が起きても数秒間だけオーマイガッなポーズをとってみせた後からのただちに解決策をシュクシュクと行う場面も、何度も繰り返されるばかりでは、ワンパターンで単調なのである。 火星で穴があいた宇宙服のヘルメットの前面をガムテをペタっとはるだけで修理完了!とか 吹っ飛んだ小屋(アレは何という名前でしたっけ)も巨大なビニールシートをガムテをペタっとはるだけで修理完了!とか 「火星ってそんなにガムテだけで生きていける場所なのだろうか?」と、そのあたりのイージー感も没入感がそがれた理由だ。 宇宙に一人取り残されるというテーマでは「月に囚われた男」が傑作なのだが、主人公は企業の社員であって、宇宙飛行士ほどの訓練は受けていないしメンタルも弱いという相違点はあれ、「オデッセイ」と比べたら”ひとりだけ取り残されたもののココロ”がヒリヒリするほど伝わってくる。 (地球との交信もリアルタイムではなかったり、そもそも地球に帰還させてもらえる前提すらないところも、ヒリヒリポイントだ。) ならば「オデッセイ」はサバイバルに徹した作品として優良かといえば、よくよく考えれば、帰還計画についてはNASAの陣営のほうが尽力しているところが多く、実際NASA関係者がアーダコーダと話し合っている場面が、ダラダラするくらい長い。 「主人公が全然出てこないよ!」っていう場面が長すぎて、これはNASAのキャラが主人公なのではと思うくらいである。 かといって、たとえば「アルマゲドン」に登場するNASA陣営のビリーボブ・ソートンのような、個性がきわだつキャラがいるかといえば、まったく没個性の、上司&部下の”イカニモ”な顔ぶれがワラワラ出てきてアーダコーダと三流の企業ドラマのごとき帰還計画のやりとりをしているだけなのであるから、褒めようがない。 唯一心が揺さぶられたのは、マットディモンが前半ではムキムキマッチョの肉体だったのが、後半のシャワールームから出てきた場面ではゲッソリやせほそった体になっていたという、体重の増減も自由自在な役者根性のみ。 ところでコレを書きながら今ふとすごいことに気づいちゃったのだが、SF映画において、宇宙空間で主人公のサバイバルを描く場合、その主人公は、「オデッセイ」のように宇宙飛行士のようなプロではダメなのかもしれない。 思い起こせば、「アルマゲドン」は、ただの掘削屋だった。 「月に囚われた男」は、ただの社員だった。 あの「ゼログラビティ」は、ただの博士だった。 宇宙における危機トラブルに関する豊富な知識や経験を持ち合わせていないセミプロが主人公だからこそ、何かあったときの、取り乱し方も、それを乗り越えて、解決したときの鑑賞者の感動も、ひとしおなのだ。 いずれにしても作品としてのデキがよろしくなかった「オデッセイ」の中でも一番ワケがわからなかったのは、イモの水をあげるために爆発事故起こしてまで苦労して手作りの水発生装置を使って水を作っていたのに、後半あたりでシャワールームから”水”で洗いたての濡れた頭をフツーにタオルでゴシゴシしながら出てきた場面。 だったら最初から風呂場から水もってこいよ。[CS・衛星(字幕)] 4点(2017-05-11 09:25:17)(良:1票) 《改行有》
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