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【製作国 : アメリカ 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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1.  マルホランド・ドライブ 困った。映画見たときは、これはいいと確信した記憶があり、確認のためDVD見たら、よく分かんない映画になっていた。そういう時は最新の観賞記録で登録するようにしているのだが、今回は9点のほうを生かしたい。たんにナオミ・ワッツが好きなだけなのかも。ハリウッドに出てスターになる、という夢を持った女の子の物語。常に嘘が忍び込んでくる。オーディション二態。あるいは深夜の劇場での音楽。青い箱までが提示部で、そのあと役がすれてくる。ベティがダイアンに、リタがカミーラに。どうやらハリウッドを夢見た女の子の滅びの物語だと分かってくる。スポンサーの横やりによってヒロインの座を盗られた女の子の物語。『マルホランド・ドライブ』って『サンセット大通り』の裏通りなのでは。ハリウッドに到着したときに励ましてくれた老夫婦が、嘲笑とともに訪れるラストへと至る(期待の重さ)。この監督の映画で唯一澄明な哀切を感じた作品。[映画館(字幕)] 9点(2014-01-07 09:40:58)

2.  マーニー 《ネタバレ》 ヒッチコックが好んだ「心の闇」もののサスペンスはこれが最後となった。掉尾を飾るとはいかなかったが、味わいはある。いいとこが一つでもあれば可と思っており、これは三つはある。①無人となった会社で金を盗むとこ。画面を壁で分割し、左側に掃除婦が入ってくる緊張。ずっと無音のところ、ポケットに忍ばせた靴が落下。入れ替わりに入ってくる男とマーニーがぎりぎりですれ違う。彼の掃除婦への呼びかけの声の大きさで、掃除婦耳が遠かったと分かる。そんなシーン。②旦那の家のパーティに次々に客が訪れ、カメラがゆっくりゆっくりドアに近づくと、最初の事件の会社の経営者が立つ。これはもうヒッチお得意の段取りで、昔はチック症のドラマーに迫ったりしてた。いいんだ、この「じわじわ接近」。③終盤の怒鳴り声の応酬で盛り上げた頂点で、マーニーが突然子どもの声になるとこ。彼女のトラウマを一瞬のうちに提示し、女の子に母の愛を奪われたと嫉妬していたシーンなども思い出させ、ドキドキしつつ哀切。[CS・衛星(字幕)] 6点(2013-05-09 09:22:01)

3.  マイ・プライベート・アイダホ いろんな要素がまぜこぜになってて、私の中でまとまってくれなかった。「ヘンリー四世」がベースになってるらしいんだけど、シェイクスピアを下敷きにすれば、あっちでは格が出るんでしょうな。あたしは木下の『太陽とバラ』をちょいと思い出してた。それと「母恋い」いうか「家庭を求めて」って感じもある。実家の電灯のピースマークがラストでアイダホの空に描かれるんだけど、あれは家庭のイメージなんでしょうか。ナルコレプシー(だったっけ? 嗜眠症)のモチーフも中途半端に見えたが、ストーリーを中断させる面白さはあった。あの眠りが、安堵・安らぎってことで「母」につながり、「家庭」に向くとだいたいまとまるんだけど、そうやって無理にまとめてみてもつまらない。ロードムービーとして雲が飛び続ける風景を眺める楽しさのほうが大事だったな、きっと。[映画館(字幕)] 5点(2013-04-24 09:33:29)

4.  マルタの鷹(1941) 《ネタバレ》 ハードボイルド映画では、事件をクリアに理解できたことがない。ボーッと見てるわけでもないつもりだが、途中で理解困難になる。なんでだろう。本格推理ものよりは映画に向いてると思うんだけど、せりふの洪水に溺れてしまう。謎の女性の依頼によって始まる探偵の捜査、って導入は大丈夫だった。その後の展開もしばらくはキビキビと快調、P・ローレの怪しさも申し分なく、今回は大丈夫そうだと思えてたんだけど、「太った男」の登場あたりからかなあ、また不必要に膨張してきて、ラ・パロマ号の火災シーンでは、ああいつもの「渾沌」に突入してる、と肩を落とした。船長が鷹の像を持って瀕死でやってくると、もう寂しく笑うしかなかった。ただ終盤の「全員悪人」的な室内の緊張は分かる。若造がいるんで状況が立体的に膨らむ。自分を犯人に仕立てる相談の脇でじっと佇立している彼、おそらく内心ではカッカしてるその無表情ぶりがなかなかハードボイルドである。その若造とサムのクールぶり(「まったく度胸のいい男だ」)が呼応し合っているようで、サムのクールも、同僚を殺した奴は許すことが出来ない、という内心の熱を最後の最後に感じさせる趣向があり、ここらへん一番ハードボイルドの芯に触れた気がした。中の熱をくるむ外のクール。[CS・衛星(字幕)] 5点(2013-02-19 09:33:41)

5.  街の灯(1931) これって長谷川伸の股旅ものとつながってるよね。しがない渡世人=浮浪者のささやかな善意と、それが報われるドラマ。「日本人にしか分からない」とか言われる人情の機微って、思いっきり世界普遍のものだ。眼が見えない=正体が分からない、という仕掛けを十分に使ってドラマを展開し、ラストの控え目な対話だけでサラリと終わらせる鮮やかさは西欧のものだけど。娘に対しては慈善紳士と浮浪者がチャップリンに重なり、金持ち紳士に対しては、絶望から救った親友と見知らぬ浮浪者が重なる。はっきり見えているのはどちらにも浮浪者としてのチャップリンのみ、しかし二人の心の世界に存在していたのは慈善紳士と親友だったわけだ。食べられないものを食べるギャグは、ここでも紙テープや石鹸が登場した。ボクシングシーンでさっとレフェリーに重なる動きの見事さ。動きと言えば、大したギャグではないのに、歩道の背後で上がり下がりするエレベーターの縁でハラハラさせるのなんか、彼の体技で魅せてくれた。落ちそうで落ちないってギャグ、チャップリンの好きなモチーフだ。[CS・衛星(字幕)] 8点(2013-01-08 09:54:10)(良:3票)

6.  マイ・ガール このちょっと前だったか、『カーリー・スー』ってホームコメディがあって「おちゃめでかわいいスーを天才子役アリサン・ポーターがユーモアたっぷりに好演」ってな宣伝文句に騙されて、歯ぎしりした記憶があり、ハリウッドの「かわいい」には疑心暗鬼になっていた。これもその伝ではないか、とさほど心躍らせずに淡々と見たのだが、ちょっと躍った。そりゃハリウッドの枠内だからアナ・トレントは無理だけど、アンナ・クラムスキー嬢、なんか少女の潔さみたいなものが出てて、いいの。ゴーカートで父の恋人にぶつかっていくときの昂然とした表情なんか、口をキッと結んでてときめいた。死体は単にコメディの要素だと思ってたら、後半になって重くなってくる。生き残ったものは生き残ったもの同士でやっていこう、ってな話になっていく。マコーレ・カルキン君の、『ホーム・アローン』の次のお仕事だったのかな。[映画館(字幕)] 6点(2012-07-28 09:57:48)

7.  マイ・スイートファミリー 朝日新聞社提供の映画って、なにか似たトーンがあり、この邦題もそれを示唆していてこわごわ観に行った。学者小僧なんてキャラクターにもオロオロさせられ、都会との対比の湖畔なんてのも、やんなっちゃうんだけど、でもこの湖畔に舞台が移ってからは、まあ映画に一応リズムを合わせることはできた。ヒロインがカメラに語りかける趣向。物語には人間関係をややこしくすることの愉しみってのがあり、「やれやれ」って気分がおかしみに移っていく。複数の父と複数の母たち。こういうふうにして家庭ってものが輪郭をぼやかして世間へ溶け込んでいくっての、これからの理想的な個人と社会の関係になっていくかも知れないなあ、なんて思った。ヒロインは2000年までに地球の3分の1が家族になるって言ってた。そうなっているようには思えないが、そういう義理の家族集団としての人類を想像できた20世紀末。[映画館(字幕)] 5点(2012-04-27 09:45:18)

8.  マンボ・キングス/わが心のマリア 《ネタバレ》 このお兄さんのアーマンド・アサンテがいいですな。ニヤケきって自信満々な人間の色気っていうんでしょうか。ベットリと弟=家族への愛に生きてて、弟の嫁さんへのほのかな愛をこらえている。ちょっと変換すれば寅になっちゃう。家族愛という拘束、兄は弟を拘束し、弟は妻を拘束していて、こういう背景にはラテン音楽が似合う。マンボだけじゃなくて、ルンバにチャチャチャもあるよ。ただ泣かせどころのはずの「わが心のマリア」ってのが、あんまりどうってことのない曲なのが惜しまれる。ルーシー・ショー出演の編集の妙。最初の店でドラム叩いて喝采浴びるあたりのノリはラテンならでは。記念写真が死を招くのは映画のルール。中南米はカトリックということでイタリア映画の人懐っこさにも通じるんだな。ラストがちょっとズルズルしちゃったが、感じのいい映画。[映画館(字幕)] 7点(2012-02-16 10:18:55)

9.  マチネー/土曜の午後はキッスで始まる キューバ危機の不安の中のアメリカの一断面。あの「イキイキと不安だった季節」はアメリカにとっても特別な日々だったよう。なにか浮き足だっていて、それが子どもにとっては祭りのようなハレのはしゃいだ気分に通じている。パパが戦争に巻き込まれつつあるかもしれないという不安と、パパのいない解放感。漠然とした核の不安を、B級ホラー映画が「恐怖ごっこ」に変えてしまう。ガールフレンドになる子、こんなこと(核対策)したって意味ないわよと醒めてる子、健全映画を観る会、詩を書く不良、これらの人々が土曜の午後へ向けて一歩ずつ世界を織りなしていく。バックには懐メロが流れ。核の恐怖に取り付かれている劇場支配人。満員の二階席。シェルターに残った二人っていうのは、世界に二人だけになってしまうという恋する若者の甘い夢でもあり、時代の不安の悪夢でもあり。[映画館(字幕)] 8点(2011-10-25 10:15:46)

10.  魔人ドラキュラ 恐れる村人たち、迷信を笑う若者、霧が流れて古城へ向かう道、と何度も見てきたような筋運び。でもこれがドラキュラとしては一番最初なんだろ。伯爵家のセットがなかなかよい。高い天井、右からさす月光、走り回る怪しのネズミ。蜘蛛の巣を通り抜けてしまう伯爵。このゆっくりとしたしゃべりと歩きは何なんだろう。もうほとんど能の世界。死ぬことを許されぬ者は、世の東西に関わらずこうなるのか。「ゆっくり」のモチーフは手の動きも支配する。常に最初に出てくるのは手なの。棺から出てくるのもまず手から(フランケンシュタインの怪物で最初にピクピクし出すのも右手だった)。手は「つかむ」に通じ、ゆっくり追い詰めていく手、って感じが怖いんだろう。おそらく人体の中では最も速く動かせるものが手で、それが相手に気づかれぬようにゆっくりつかむ準備をしている、って怖さか。もう確実に確保し終えてしまっていて、あとはゆっくり賞味するだけだ、という感じもあるな。それと怪人ものでは、特色ある弱点がいい。魔除けの草、十字架、昼の光、等々。弱点ではないが、鏡に映らない、ってのも大事だね。[映画館(字幕)] 7点(2011-08-16 10:08:37)

11.  マルコムX この監督は最初のころは、ホームドラマ的な部分に冴えを感じていたので、そちらを伸ばしてほしかったんだけど、ま、これはこれで熱気が感じられます。ただマルコムのカリスマ性みたいなものが、D・ワシントンだとあまり感じられないな。スパイク・リーが出ると画面がイキイキするんだけど、後半彼の出番がなくなったぶん生真面目になってしまった。対象化しづらくなったってことか。かえって面白いのは、彼がブラック・モスレムに入ったあたりのところ。現実なら一番人間味のないところがかえって面白く、悪友どもが笑ったり、狂ったかと言ったりする。師からの裏切り後こそ、一番マルコムいう人のポイントになるとこだと思うんだけど、そこがちと物足りない。まだ映画化するにはナマすぎる人物だったんだろうか。白人が『JFK』作ったんなら俺たちゃマルコムだ、って気合いが先行しちゃったって気もする。けっきょく穏当な人だったって結論ぽくなり、これじゃキング牧師と同じになっちゃうな。アメリカ映画の限界か。[映画館(字幕)] 6点(2011-07-11 12:12:33)

12.  迷子の大人たち 葬式で始まり結婚式で終わる、ってことでコメディ。豪華キャスティングはどれも狂気を秘めてる役者で、S・マクレーンのヒステリー、M・マストロヤンニの夢遊、K・ベイツは『ミザリー』の記憶、J・タンディは『鳥』の記憶、まっとうそうなM・ゲイ・ハーデンが息子ともども半分狂った役で、いわゆる「ちょっと風変わりな人々」もの。それぞれに見せ場を与えてあるため、それぞれに少しずつ物足りなさを感じる。心の傷を乗り越える勇気、ってのはアメリカが繰り返し描くモチーフで、アメリカ文化を構成している底辺なんだろう、みんな立ち直って人生を生き始める。一人の男の登場が、ドローンと淀んでいた女子どもたちを生き返らせるの。それも強い男ではなく柔らかい男ってのが、この20世紀末の映画なんだな。時代設定は60年代末なんだけど。アポロ月着陸も歴史になったのか、と当時は思ったものでした。メッツ優勝なんてのも向こうではもっとピンと来るんだろう。時代を表すのに歌は使わなかった。「ミセス・ロビンソン」以外。[映画館(字幕)] 6点(2011-07-08 10:06:24)

13.  マイ・ライフ(1993) 《ネタバレ》 『ゴースト』や『ジェイコブス・ラダー』のシナリオの人だってんで期待したけど、それほど凝った話ではなかった。生まれてくる子に、末期ガンのパパが生前に作るビデオ、って趣向。ヒゲの剃りかたや、自動車の修理の仕方や、せがれにしたいことが、圧縮され、意識化される仕組み。「普段」の暮らし、というもののかけがえのなさが迫ってくる(なんか日本のほうがこういうの得意そうだけど、ソーントン・ワイルダーの芝居「わが町」ってのもそうで、アメリカにはけっこうこういうウェットな面がある)。超音波画像で子どもを出産前に見られるようになったし、こうして死後に向けた画像も残しておけるようになったし、「映像画面」というものを通して、今まで不可能だった出会いが可能になる拡がりが起こった。ある意味では人生の拡大。しかしその進歩を謳歌するだけにしないのが、あの一見合理万能の国の「気の弱さ」みたいなところで、そういう「人生を拡げる」科学に対する「人生を深める」もの、ってのを持ち出してこないと落ち着けない。それがあいかわらず東洋の神秘なんだなあ。それとホスピスの看護人が黒人と、アメリカ映画では精神面は有色人種が担うという絶対の定理がある。いつもそうやって釣り合いを取ってると、もうただの様式になっちゃって、そういう「気の弱さ」の本体を一度ちゃんと突き詰めてみたほうがいいんじゃないか、と老婆心ながら思ったりする。[映画館(字幕)] 6点(2011-01-15 10:33:41)

14.  マンハッタン殺人ミステリー 《ネタバレ》 これなんか別にテーマを掘り下げるとか言うんじゃなく、ほんとに軽く作った感じなんだけど、うまいよね。D・キートンの倦怠主婦のイキイキぶりが眼目で、「巻き込まれ型」ならぬ「強引な自分からの巻き込ませ型」ミステリー。現代生活における最大の謎は「隣人」ということで、『裏窓』の匂いもある。忍び込んでしまうあたりの、やり過ぎによるイキイキぶり。眼鏡をベッドの下に忘れる、いうオチもついて。死んだはずの夫人を目撃してから第二幕。エレベーター、追跡、溶鉱炉というトントン拍子の展開も何かおかしい。この人の映画では「4人」というのが一番安定するみたい。男2女2で、それぞれ線が引かれあう。そして最後に『上海から来た女』のスクリーン裏で、さらに鏡を使ったシーンで、視覚的なポイントを作っている。[映画館(字幕)] 8点(2010-12-13 10:09:23)

15.  マイ・ガール2 まあ「幻滅を越えて」というやつで、母に対する抽象的な神格化が、具体的な愛着に落ち着いていく経過。移民の街としてのロスが描かれる。日系人にブダペスト自動車修理所。このアンナ・クラムスキー嬢、前作でちょっと気になってたんだけど、少女から娘へと成長してましたが、なんか微妙に味わいは失われていた。ここらへん変わるお年頃なのね。少女のときに見せた味わいを持ったまま、娘に成長していくってのは難しいもんだ。あらためて少女スター出身のスターの偉さ、あるいは彼女らがそこを乗り越えるときにあっただろう葛藤を思った。相手のオースティン・オブライエン君てのには、もう少し見せ場を作ってやっても良かったんじゃないか。歴代大統領でニクソンぐらい安心してからかいの対象になるのはないな。[映画館(字幕)] 6点(2010-10-22 10:06:25)

16.  マーヴェリック 《ネタバレ》 西部劇の遺産がたっぷり。その遺産を食い潰しているだけで、新味を盛り込めないところが弱点といえば弱点だが、遺産があるだけいいさ。最後の場以外は不必要な殺人が一つもないのが正しい娯楽の姿勢。カタギの人間は殺されない。老人は天寿を全うする。かつての西部劇黄金期との違いでは、インディアンの扱いが難しくてネックになるのだが、これは成功。ただのイイモンでなく人間味を出せた。最初のポーカーのときの早撃ち男のような、不気味な顔を適度に配置して、コメディの隠し味にする。主役二人の騙し合いの楽しさ。崖でヘルプと言わねばならぬ、ああいったコント、二枚目半の主人公ものの味って好きです。脚本は『明日に向って撃て!』の人。終わりがちょっとダラついたが、楽しめた。[映画館(字幕)] 7点(2010-09-17 09:31:42)

17.  マスク(1994) 《ネタバレ》 あくまでマンガをフィルムにする、という点でのSFX。あごがガクンとなったり、目が飛び出したり、といったマンガ的表現を実写にする楽しみ。突然哀訴したりする「断絶変化」がジム・キャリーの持ち味なんだろうが、ちょっと笑いとして荒々しいというか、躁病的な過剰さが感じられ、やや不気味なタッチ。たぶん意識的に薄っぺらな笑いを狙った最初の男優というところに、彼の映画史的意義があるんだろう。このころから「意図的な薄さ」ってのをしばしば映画で感じるようになる。警官隊を前にルンバをやりだすあたりは笑えたが。悪女風と善玉女風とでヒネリが一応シナリオに用意してある。犬の使い方も、鍵を取ってこさせたり、フリスビージャンプで仮面をさらうなど定型だがソツがない。犬自身が変身してしまうのも悪くない。爆弾の処理で飲み込んじゃうってのも、馬鹿にしてていいなあ。なんだ、けっこう楽しんでたな。ハイ、すみません、薄っぺらな笑いって本質的に好きなようです。[映画館(字幕)] 6点(2010-06-03 11:56:12)(笑:1票)

18.  マックス、モン・アムール 《ネタバレ》 愛とは拘束なのか、いう問題を大島はずっと追い続けていて、夫は妻を拘束したい、妻はマックスを事実上拘束している、って図式。面白くなってくるのは誕生パーティのシーンからかな。カリエール好みの状況。犬の鳴き声で種類を当てているところにマックスの鳴き声が。上流社会とチンパンジーの取り合わせがカリエール的。シークエンスの終わりをアッサリさせてすぐ次につなげてうまさを出しているところが多かった。『戦場のメリークリスマス』ではフェイドアウトを多用していたと思うけど、今回はなかったんじゃないか。演出スタイルがどんどん変わっていくのが、まあこの監督のスタイルで、長回しの『日本の夜と霧』があれば、短いカットの『白昼の通り魔』もやってみる、といった感じ。探偵の二度目の登場「相手はサルでしたよ」がおかしい。鍵穴から覗けばいいのよ、と言われた夫も含めてすべて鍵穴に消えていくラスト、何かずるいって気もしましたけどね。[映画館(字幕)] 6点(2010-05-10 11:57:42)

19.  マン・オン・ワイヤー この手の人は、単に「目立ちたがり屋」と思っていただけだったが、その「目立とう」という意志はハンパではなかった。芸術の根源を見た気がする。だってこれ、金になるわけでなく、あとには逮捕が控えているだけ。そこで幾多の困難を乗り越えてプロジェクトを進めていくのは、目立ちたい、という強力な意志がなきゃ出来ない。義務でなく、公言したわけでもなく、いつでもやめられる、という状況下で、決行にまで至る。目立ちたい、もここまでくれば芸術衝動と言っていい。ただの土器に凝って火炎の縁を付けたのだって「目立ちたい」だっただろうし、引っ込み思案な役をやらせると天下一品という俳優だって、目立ちたくて養成所の門を叩いたのだろう。「目立ちたい衝動」は芸術の根幹を成すんだな、と思いを新たにした。再現映像が多い、純粋なドキュメンタリーではないが、中心にある「人への興味」が生きているので、これでもいい。綱渡りに至る準備が見どころ。映画ではいっさい触れてないが、どうしても裏に同時多発テロの記憶が揺れ、彼らの細緻な準備と対照的に、飛行機で突っ込むという大ざっぱな行為で消えていったこの舞台を、皮肉に思い返す。政治と芸術の力関係の落差に暗澹とした気分になりながらも、政治の大ざっぱより芸術の細緻のほうに加担せねば、と改めて思わされた。[DVD(字幕)] 7点(2010-04-16 12:00:52)

20.  マディソン郡の橋 メロドラマで好きなのは、まだ二人が親しくないころ、丁寧な言葉づかいをしながら意識しあってく出会いのあたりと、別れのとこで、愛が成就してるあたりはつまんないの。これもそう。出会い、車中でのくどいほどの切り返しの後に橋の場になって、歩き回るカメラ(ステディカム?)がイキた。キンケイドが出ていく場も、カメラがねっとりと追いかけていく。外は闇。明け方のほうが美しいけれどそれじゃ人に見られてしまう。映画としての山場は雨の町。カッパのように頭髪を張り付かせたイーストウッド。信号待ちで二台の車がつながる。バックミラーにかけられたペンダント。ドアノブにかかるフランチェスカの手。追いすがるように追い求めるようにカメラがキンケイドの車を捉え続けようとする。ホロリ。不倫の噂で村八分になっている女を置いて「世間」というものがより濃密になった。この人の映画はいつもちょいと長い気がする。現代の子どもらを入れる必要があったかなあ。[映画館(字幕)] 6点(2009-11-17 11:59:21)(良:1票)

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