|
1. ムーラン・ルージュ(2001)
《ネタバレ》 音楽のチカラは偉大だと感じた。
あまり馴染みのない古典的な音楽を用いることよりも、時代感を無視して馴染みのある音楽を用いた「挑戦」も大きなプラスに出たと考えてよいだろう。
さらにバズラーマン監督の独創性に溢れた映像美も素晴らしかった。
しかし、なぜかこの映画に対して緊張感が感じられなかった気がする。
本来ならば、①映画の中の劇中において、サティーンは公爵に指示されたようにラストでマハラジャを選ぶのか。それとも公爵を無視して貧乏なシダール弾き(実際のクリスチャン)を選ぶのか。
②サティーンを巡るクリスチャンと公爵の激しいやり取り、嫉妬、憎しみ。
といった緊迫感を得られても良かったはずだ。
なぜ、このような緊迫感が得られなかったかというと、冒頭でほとんどが種明かしされているからではないだろうか。
冒頭においてクリスチャンは生きており、サティーンは死んでいるということが明かされてしまっては、あとはただ単に確認するだけのことになってしまう。
よく映画では、冒頭とラストがくっつくような手法が取れられているが、この映画においては、あのような冒頭は不要というか、蛇足に過ぎない。むしろ映画の良い部分を壊してしまってはいないか。
また、サティーンの「病」というのも、何らかの古典がベースになっているのかどうかは分からないが、あまりよろしくない要素の一つだ。「もう病が進行しており助かりようがない」と観客が分かっていれば、当然サティーンが死んでも観客は驚きはしない。あれでは悲しみも半減だろう。
この映画が「愛」について描きたいのならば、むしろサティーンはクリスチャンを公爵からかばって死んだとした方がよいのではないか。究極の「愛」とは自己を犠牲にしてでも相手を守ることではないか。
だからこそ、冒頭でクリスチャンが生きていることが分かっていれば、ラスト間際にクリスチャンに公爵の魔の手が差し向けられたとしても緊迫感がなく、また、サティーンの病死に対しても「愛」のために殉死したと思えないのではないか。病死では、貧しくても幸せという「愛」を選んだ二人に訪れた悲劇という共感を覚えない。[DVD(字幕)] 7点(2006-04-09 20:01:51)(良:1票) 《改行有》
|