みんなのシネマレビュー
なんのかんのさんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

◆検索ウィンドウ◆

◆ログイン◆
メールアドレス
パスワード

◆ログイン登録関連◆
●ログインID登録画面
●パスワード変更画面

◆ヘルプ◆
●ヘルプ(FAQ)

◆通常ランキング◆
●平均点ベストランキング
●平均点ワーストランキング
●投稿数ランキング
●マニアックランキング

◆各種ページ◆
●TOPページ
●映画大辞典メニュー
●アカデミー賞メニュー
●新作レビュー一覧
●公開予定作品一覧
●新規 作品要望一覧照会
●変更 作品要望一覧照会
●人物要望一覧照会
●同一人物要望一覧照会
●関連作品要望一覧照会
●カスタマイズ画面
●レビュワー名簿
●お気に入り画面
Google

Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 2336
性別

投稿関連 表示切替メニュー
レビュー表示レビュー表示(評価分)
その他レビュー表示作品用コメント関連表示人物用コメント関連表示あらすじ関連表示
コメントなし】/【コメント有り】
統計メニュー
製作国別レビュー統計年代別レビュー統計
要望関連 表示切替メニュー
作品新規登録 / 変更 要望表示人物新規登録 / 変更 要望表示
要望済関連 表示切替メニュー
作品新規登録 要望済表示人物新規登録 要望済表示
予約関連 表示切替メニュー
予約データ 表示

【製作国 : アメリカ 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
41
投稿日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
41
変更日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
41

201.  チャップリンの黄金狂時代 《ネタバレ》 前半で社会批評、後半でメロドラマ的要素と、二段構えになっているのが多いね、この人。争っている猟銃の銃口が常に逃げ回るチャップリンを追っているとこ、ズボンをステッキで引っ掛けながらのダンス、相手を倒したと思い込み意気揚々と引き上げるとこ、傾く家から飛び出すタイミング、などなどで笑ったが、極限状況を笑うとはどういうことなのか。単純に食卓と靴という組み合わせのシュールリアリスティックな面白味がある。それも上品なマナーで食べるおかしさ。悲惨と滑稽が隣り合わせなのは、何も極限状況に限らないのかも知れない。相棒の目に鳥に映ってしまうって悲惨の極みの恐怖だが、そう見えてしまう人間の弱さは私たちの日常にもともとあるような気がするし、「極限状況」ってのはそれを拡大するレンズなんだろう。自分の弱さを笑えるのは、人間の貴重な利点だ。[映画館(字幕)] 8点(2012-09-16 09:26:16)(良:1票)

202.  アパッチ砦 男たちの世界への朗々とした讃歌であり、また挽歌でもある。仲間うちの世界に、H・フォンダが闖入してくるわけだ。楽園の終わり。彼も悪役なのではなく、格下げされたことにコンプレックスを感じていて、それが裏返されて厳格さを強調することになる。繰り返される「ノークエスチョン?」。階級差と士官学校出か否かのズレ、も男の世界の味わいを出す。営倉の男の歌も味。整列のだらしなさの指摘と、全員が一歩出て振り返る態度。こういった男の世界のドラマが話の芯で、それと比べるとアパッチはさほど重要でない。騎兵隊にとってフォンダが闖入者であったように、インディアンにとっては騎兵隊が闖入者だったわけで、その疚しさがあるとドラマが膨らむけど、この時代の西部劇はそういう複雑さで邪魔してはいけなく、常に画面に雲が大きく占めるあの晴れ晴れとした気分を白人男性の気持ちで味わうべきなんでしょう。[映画館(字幕)] 7点(2012-09-14 10:09:52)(良:1票)

203.  バートン・フィンク 《ネタバレ》 ハリウッドにも庶民にも受け入れられなかったよそ者の話。彼本人は庶民の理解者のつもりだった。でも彼のイメージする純粋な庶民ってのにはついに出会えない。あるいはレスリング映画の観客としてイメージするきっかけはあったものの、彼はラッシュ見ただけでウンザリしてしまう。そういった庶民の反対側に、酒びたりのハリウッドがあるんだろう。唯一の庶民と思っていた隣人は、最後に「俺の場所に踏み込んできてうるさいだと!」と怒る。庶民というより「他人」と広げてもいいかもしれない。でもこのホテルではチャーリー以外他人は姿を見せない。気配は靴音以外にもたくさんあるんだけど。このホテルの雰囲気を味わうのが本作の中心で、廊下にはブィーンという低音が響いているし、暑さで壁紙は剥がれていくし、唯一外界のイメージは海岸の女性の絵で、屋内に立ち込めていた暑さは、ラストで火に凝集していく。社長の部屋は『シャイニング』を思い出させ、そういえば廊下もそうだな。あちらが「恐怖の寒さ」だったのに対し、こちらは「不安の暑さ」か。そういう映画。[映画館(字幕)] 7点(2012-09-11 10:37:37)

204.  ローマの休日 《ネタバレ》 「公人」としての王女と「私人」としてのアンの葛藤を底に秘めつつ、初デートのういういしさを描いたロマンスや、逆シンデレラ(最初の謁見シーンで靴を脱いだ)としてのおとぎ話の要素も織り込んだ豊かな映画。ラストの記者会見で泣けてしまうのは、やはり公人と私人のテーマが生きてるからだろう。王女は公人の窮屈さから逃亡し、休日を得る。でも彼女は責任は捨てられず、自分の義務に戻っていく。ここに彼女の人としての成長がある。それは痛ましくもあるが、人として大きくなったことを描く記者会見が付く。あくまで公の会見でありながら、そのなかに恋人同士の「対話」を織り込んだシナリオが秀逸で、一番思い出深い都市はローマときっぱり宣言する晴れ晴れしさ、公人に戻っても私人は消えていないことを告げる輝かしさがいい。会見の始まりで、二人の視線が合った瞬間にあたりのざわめきが消え完全な静寂が訪れ、「公」の場に「私」の回路が生まれたことを知らせる優れた音響演出も忘れてはならない。それにしてもオードリーはモノクロからカラーに変わる絶妙のタイミングでスクリーンにやってきた。本作や『麗しのサブリナ』や『昼下りの情事』がもしカラーだったら、彼女は妖精とは呼ばれなかったのではないか。カラーのオードリーも美しいが、あくまで地上の美女であり、色でなく光で描かれた彼女こそ妖精と呼ばれるにふさわしい。[CS・衛星(字幕)] 8点(2012-09-09 09:15:07)(良:4票)

205.  ミッシング(1982) 戒厳令下の街を撮らせると、この監督の右に出るものはない。兵士のいる風景の凶々しさ。あの臨場感だけでまいってしまう。移動した末に兵士たちが見えてくるという図がいいんだ。「人民のための軍隊」など決してあり得ないことを知っている者の視線。戒厳令下の夜、白い馬がジープに追われて走っているシーンの美しさといったらない。字で書くといかにも象徴という感じだけど、白い馬=自由という図式を経て頭に来るのではなく、即、胸にジーンと来る。それまでの息苦しさや重圧感が、観ている者にしみ込んでいるから、あの馬の跳躍に憧れを感じ、ガンバレヨと声援を送りたくなるのだろう。理想肌だがお坊ちゃんの息子と、保守だが自信のある父に、アメリカの二面を代表させ、こちらはちょっと図式的だったか。『Z』以下の三部作に比べると集中力はやや劣るも、社会派でも面白い映画は面白いんだ、ということを周知させた監督だった。[映画館(字幕)] 7点(2012-09-07 09:49:02)

206.  西部戦線異状なし(1930) 《ネタバレ》 ドイツの話だから自由に軍隊批判を出来た、ってことより、やっぱりこれ当時の世界的ベストセラーの映画化ってことで描けたんでしょう(日本ではこの映画より先に斎藤寅次郎が『全部精神異状あり』なんてパロディを作ってる)。ペンタゴンから文句言われても、原作があるんだから仕方ない、って言える。エピソード集の形をとって、反軍のメッセージが込められたシークエンスが展開し、群像ものとしても見られる。長靴が兵士の死を渡っていくエピソードなんかいい。塹壕の中で初めて敵を殺した兵士のヒステリックに赦しを請う態度から、翌朝「戦争とはこういうものなのさ」と“正しい兵士”へ“成長”していってしまう怖さ。そして突撃シーンの壮絶、無駄に死んでいくことがただただ強調され、勇敢さは微塵も感じられない。煽り立てている教師のところに戻って訴えるシーンなぞいいのだが、この映画が作られた後にも、原作の国と映画化の国とで第二次世界大戦が起こり、さらに朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争、その他その他が繰り返し起こっていることの脱力のほうが、重い。戦争は嫌だなあ、という不快感は万国民共通のはずなのに、それがちょっと「国のメンツ」を突つかれると、たちまち「戦争やむなし」の大合唱になってしまうんだ。/確認のため年を調べたら、原作の発表が1929年で、斎藤の映画と同年だ。原作発表すぐに翻訳が行なわれ、すぐにパロディが作られたのか。それとも話題作ということで題名がまず伝わり、それだけで一本のパロディ映画を作ってしまったと考えたほうが、当時の活力あった邦画界にふさわしいな。[映画館(字幕)] 9点(2012-09-04 12:35:06)

207.  三悪人 姫を守る三人の騎士の話をアメリカ西部に持ち込んだよう。三人は最初から姫と結ばれる資格がないことは了承ずみで、ただ「尽くす」ことに男意気を見せるわけ。一番の見せ場は正午を期してみながワゴンで走り出すやつ。のちにトム・クルーズの『遥かなる大地へ』でもやったランドレースっての。行けたところまでの土地が自分のものになる、って豪快な競走。カメラ自身も走ることの躍動感が凄い。そういう持続する動きの迫力と、もう一つ、妹との再会の場に現われた悪役の顔のアップの、白目がギラギラしている瞬発の迫力もある。ピストルの発射の突発性なんかもね。ぶら下がっているカメ(?)を撃つところや、ラストの対決でも瞬発の魅力がある。テントの中でタマが跳ね返ったりもするんだ。これ、アメリカのフィルムセンターから借りたものも含めた「大フォード回顧」ってんで見て日本語字幕なしだったが、スクリーンで見る迫力でモトは取った。[映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2012-09-03 09:43:51)

208.  ヘンリー/ある連続殺人鬼の記録 純粋殺人者って言うんですか、実在した殺人狂なんだけど、彼なりの心得がちゃんとあって、同じ手口は続けない、首を絞めた次はピストルとか。場所も変えていく、そうじゃないとつまらないから。なんか分かるのは、関わりが周囲に知られている者には手を出さない。用心のためもあるんだろうが、彼の「心得」の一つ。憎い相手でも手を出さず、親切に車の修理を見てやろうとした行きずりの他人で代用する。ここらへんの(彼ならではの)世間との緩やかな関わりが、なんか分かる。世間を代表させた「他人」を一人ずつ殺しているんだろう。母を殺した手段をしばしば言い間違う、何通りもの手段によって、何通りもの殺しが繰り返されていく。そして究極の孤独へ向かって突っ走っていくヘンリー、おそらく孤独というものを理解できずに。殺人ってのは、濃密な人間関係とそれからの解放を同時に果たす、あと腐れなくサッパリと。まだ多少人間味のあるオーティスを主人公にして、ただのチンピラがどのように「開発」されていったかを辿るという手もあったが、この映画は、この世には「われわれ」とハッキリ断絶している人間がいるんだ、ということの凄味で勝負した作品なんだろう。[映画館(字幕)] 7点(2012-08-29 09:28:17)

209.  ラスト・ボーイスカウト 《ネタバレ》 初めはいいのよ。まず社会的な大事件をポンと置いて、次にうらぶれた主人公へのつまらなそうな依頼があって、それがだんだんつながっていく段取りね。古風なハードボイルド風の気の利いたセリフもあり、キザと悪趣味のギリギリの線で面白く、でも展開がザツなんだな。こういうのではよくあるんだけど、主人公以外はあっさり殺すのに、主人公だけは手をかけて拉致するだけで、あとで逆転されてしまう悪漢、とかさ。良かったのはしつこい殺し屋か。テープ早回しすると絡まっちゃうってのはおかしかった。これトニー・スコットか。自殺記事ではもっぱら“『トップガン』の”と書かれていたが、『トゥルー・ロマンス』が面白かった記憶。[映画館(字幕)] 6点(2012-08-27 09:47:16)

210.  シティ・スリッカーズ 休暇が義務になってしまっている現代、この神経症の時代の正しい休暇とは、という話。彼らが思い起こす最良の日ってのが、みんな父親絡みなの。初めて野球に連れて行ってもらった日、父親を追い出して家長になった日、結婚式のとき親父がウィンクしてくれた、なんてのが実にいい。こういった男たちのファーザーコンプレックスが凝り固まると、アメリカの場合、開拓時代に向いていってしまう。カウボーイ体験ツアー、というシステム化された枠のなかってとこに苦みがある。ジョン・ウェインの時代ではなくなっている。現代で男らしい父親は「体験ツアー」みたいなもので無理にこねあげないと出来ないものになってしまったと言うことか。B・クリスタルのうつろな喜劇役者顔、くさいのギリギリのとこだけど、私は嫌じゃなかった。J・パランスのカウボーイぶりも、コミカルなタッチにしないと画のなかに入り込めない時代。そしてみんなは家庭に帰っていく。牛たちは食肉会社へ。[映画館(字幕)] 6点(2012-08-25 10:02:33)

211.  ステッピング・アウト ドラマとして何一つ予想外のことが起こらないのはいいとしても、ミュージカル映画としても「舞台の制約からどんどん逸脱していってしまう面白味」がない。その舞台も、ライバルががっかりするほど見事なものには見えなかった。ステッキを回しても、隠し芸をうまくやったって感じで、そういう隠し芸の時代になってしまったんだ、とシミジミ思わされた。主婦業と仕事の葛藤ってのもあるけど、暴力亭主のよろめき主婦の展開のほうが興味あったなあ。「目的に向かったイキイキ生きる、くすんでなんかいられない、ブルーな日々よさようなら」って簡単に前向きされると、そう簡単じゃねえだろ、とついムッとしてしまう。[映画館(字幕)] 5点(2012-08-21 09:51:25)

212.  愛と死の間で 《ネタバレ》 新聞の見出しのみで事件の展開を見せるタイトルはいい感じ。ト音記号の門の印象のつけ方とか。で現代編に入っていき、ハサミのイメージが繰り返され、ラストのヒロインの部屋で花開くわけ。過去と現在とが少しずつ進行していき、ラストで解決編として重なる趣向。カラーと白黒とで。少年が絡んでくるあたりにイギリスの雰囲気がなくもない(映画の国籍はアメリカだけどね)。犯人が最後どもり出す、ああいうとこが好きだな。キャスティングは贅沢で、テレビ見てる母親が某有名ドイツ女優だったりする。『ヘンリー五世』を重厚にやった次にK・ブラナーがサスペンスミステリーに挑んだ、ってところが注目だったけど、純粋なミステリーじゃなく、中で起こる転生は本当だったりする。こういうところが平気なのが、アメリカと違い重い過去を持つヨーロッパ人の世界観なのか。[映画館(字幕)] 6点(2012-08-19 09:41:14)

213.  ミステリー・デイト 《ネタバレ》 もしかして拾いものか、という匂いを入り口でかいだような気がしたのだったが、やっぱどーでもいい映画でした。ミソとしては「一晩もの」ってとこか。だらだら日にちが延びるのより、ピッと一晩の物語になっている。怪しい雰囲気作りは東洋人におまかせ、ってとこは気になります。悪者の部下たちがちょっとトンマすぎるのは、東洋人差別でしょ。トランクのなかからの発砲、すでに排ガスで死んでいて、死後硬直でたまたま引き金が絞られた、だと思わなかった? 追われているときにあんな目立つ車で走り回るかよ。[映画館(字幕)] 5点(2012-08-16 09:45:13)

214.  フォー・ザ・ボーイズ 《ネタバレ》 アメリカ人にとってはジーンと来るものがあるのかも知れないけど、もう少し批判精神があってもいいんじゃないか。90年代の作品なら軍隊慰問ってもののイカガワシサを描くのかと思ってると、そういう映画じゃなかったのね。ベトナムで受けないところで、やっと対象化するのかと思ってると、ベット・ミドラーの「イン・マイ・ライフ」で一同しんみりしちゃう。爆撃で息子の死につなげて、彼らは裁かれない。J・カーンがカメラを気にする、なんてのもちょっと面白く膨らませられそうなモチーフなんだけど、ただ彼の性格のイロドリに終わっている。赤狩りの扱いも単純すぎて、やはりイロドリ程度。でもこういうのを褒め称えるってとこにアメリカ精神の一典型がハッキリあるとは確認できる。ミドラーは全編気持ちよく歌っており、懐メロで綴るアメリカ戦争史と思えば、大味も気にならぬ。[映画館(字幕)] 6点(2012-08-14 09:47:58)

215.  おしゃれ泥棒 《ネタバレ》 夜の公共施設って誰でも夢見たことがあるんじゃないか。美術館以外でも、学校とかデパートとか劇場とか、夜中にふと目覚めたりすると、昼間にぎやかだった「あそこ」は今どんな感じなんだろう、と想像してみること。そういうロマンが本作の底にはあって、そこにさらに「異性と一緒だったら」と想像を広げれば、恋愛のロマンスも自然に絡んでくる。見どころはいかにして美術品を警備の厳重な美術館から持ち出すかで、ブーメランやら鍵の位置の計測など、いったい何やろうとしてるんだろう、というハテナを前もって観客に提示しておいてから、盗みの夜を迎え、ひとつひとつ種明かしをしていくという趣向。壁を這い進んでいく鍵など楽しい。二人が潜む階段裏の物置が、盗みの支度部屋と恋愛の密会部屋の重なる空間となり、出ていくときにオードリーが記憶にとどめとこうと見回すのがいい。本作で主役の二人は、役者としてよりも映画スターとしての華やかさや洒脱さを前面に出しており、だから観客は、トイレはどうしてたんだろう、なんて心配してはいけないのだ。[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-08-13 10:09:59)

216.  アザー・ピープルズ・マネー ダニー・デヴィートの六頭身ぶりは少々誇張してるのか、ほとんど畸形に見える。経済問題がらみの話だと必ず日本への言及があった時代だった(今なら中国か)。それがまた判で捺したように釣り合いが取れている。「そのうちクリスマスも買うんじゃないか」というジョークが一方にあれば、もう一方でやけに真面目な顔になって「見習うべきところは見習わねば」となる。この両論を立てるだけって姿勢はあんまり建設的ではない。そういう釣り合いがラストの演説でもあるわけ。でもこっちのほうは聴き応えがありましたな。グレゴリー・ペックが、伝統やら情やらに訴える演説をしたあとで、デヴィートが理に則ったのをする。善悪の対立でなくなっている。本当ならこの対立をタタキ台にして、そこからドラマを生んだほうが正しい道だった。[映画館(字幕)] 6点(2012-08-09 09:40:48)

217.  タバコ・ロード 《ネタバレ》 どん底の人々をユーモアで描く。いやユーモアと言うよりドタバタだな。だから農民の底力なんて前向きのものより、そのヤケクソと脱力のほうが迫ってくる。銀行に土地を取られ、その地代の百ドルを借りようと銀行に行くと、土地を取ったのと同じ人物が出てくる、なんてユーモアと言うには苦すぎ、農民の虚脱感ばかりが漂う。それらを貫くのが賛美歌で、それも「信仰の力」というより、ドタバタ的ヤケクソに聞こえてくる。その場をしのぐためにとりあえず歌の場にしちゃう。そうしてはしゃぎ回った果てに、とうとう救貧農場へ行くしかなくなり(紡績工場よりはまだ馴染みがある)、老夫婦が黙って支度する場がいい。そのあとの農場へ歩いていく場もいかにもフォード的に美しいが、家の中で必要な品を揃えているシーンが、胸に迫った。どん底の暮らしぶりのアナーキーさも描かれており、娘が嫁いだ先のDV亭主が妻に逃げられたと蕪を齧りながら愚痴を言いに来ると、代わりに妹をあてがったり、車キチガイの子どもは新車に乗れるってだけでハレルヤおばさんと結婚しちゃうし、土地を去ったときにおばあさんが消えちゃってて、森にでも行ったんだろう、ってだけで探さないとか。いや待てよ、あのおばあさんは謎だな。背後のほうにいたりいなかったりしてて、庭でしか現われなかった。実在の人物だったのか。タバコ・ロードが賑わっていたときの幻影というか、先祖を含めた亡霊たちの集合体というか。登場人物たちが演じたアナーキーなドタバタの背後に、このおばあさんの視線が隠れていた気がする。[CS・衛星(字幕)] 6点(2012-08-08 09:41:57)(良:2票)

218.  シャレード(1963) 《ネタバレ》 旦那の葬式の場、次々と見知らぬ男たちが現われて、本当に死んでいるのを確認していくとこがおかしい(最初は鼻に鏡を当て、次はあっさり刺してみる)。こういう「殺伐としたユーモア」でいくのかと思っていると、中盤からはロマンチック路線主体になり、サスペンスコメディの線はやや減退。ロマンスものの随所に襲撃やら殺人やらのスリラーを挟む、という姿勢。一応C・グラントに謎めいた役割を与えてはいるものの、まあ彼が悪役で終わるとは思えず、そこらへんは作る側も折り込みずみで、安定したロマンチック路線の上で二転三転を楽しんでください、ということなんだろう。女性観客のための「オードリーのオシャレ映画」としての枠も考えなければならない。セリフもシャレていて、たとえばガラーンとした葬式のとき、誰も来ないのね、というのに応じて「ベッドで死んでたら警部もいなかったわ」。電話で脅迫してくるJ・コバーンが、どこにいるんだ、というグラントに応じて「俺を見つけたいんなら、後ろを振り向け、いつもお前に張り付いてるからな」なんてのもいい。終盤でまたサスペンスの線をハッキリさせ、盛り上がった気分で終わらせている。[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-08-06 10:05:58)

219.  パリで一緒に オリジナルはデュヴィヴィエの映画だそうで、私は未見。デュヴィヴィエよりクレールって感じがしたが、ともかくいかにもフランス映画のエスプリは感じられ、それをうまくアメリカ映画のユーモアに変換すればいいわけだったんだろうが、なんかうまくいってない。この設定を本気で生かそうとしてない。想像の中の「エッフェル塔を盗んだ女」のタイトルのあたりなんかは、結構、いや相当ワクワクした。ちゃんとタイトルがそれらしく出ていき、シナトラ歌う主題歌が流れ、オスカー獲ったら「影の功労者」たちの名を挙げよう、と脚本家の妄想が広がっていくあたり、とても楽しい。しかしその映画の展開がギクシャクし、もちろん「なかなか書けない」という話なんだからその方向はいいんだけど、この『パリで一緒に』という映画そのものがギクシャクしていってしまった。大スターたちを使ってオワライ映画でいいんだろうか、ってな踏ん切り切れない姿勢が、いろんなジャンルを渡っていくだけの安易な展開にし、かえって笑いの水準を下げてしまったということはないか。T・カーチスの「チョイ役」役なんかはかなりおかしいんだけど。[CS・衛星(字幕)] 6点(2012-08-04 09:54:32)

220.  ティファニーで朝食を 《ネタバレ》 不幸の影のある過去、離れた家族(弟)への愛情、囚人の連絡係に知らずになってしまうお人よしというか少々オツムの弱い「可愛い女」、といったもろもろは、どちらかというとモンローの世界だった。モンローが亡くなるのはこの翌年。なんか時代が決定的に移ろったことを思わせる作品だ。一番それを感じたのはファーストシーン。早朝のニューヨーク、ひとけのない街角に車から降り立つオードリー、開店前のティファニーを覗きながらパンをかじる。まだ名前のつけられていない野良猫のようなヒロインを画面に収めながら、ムーンリバーが流れていくあのシーンで、アメリカ映画は60年代に入っている。このトーンは70年代にもつながっていく。しかしモンローの50年代とははっきり質が変わったように思う。都会生活者のコメディってのはずっとあったが、人間主体でどこの都市でもかまわないようなものだった気がする。しかし60年代になって都市そのものにも重心が掛かってきたんじゃないか。これはニューヨークの安アパートが舞台でなければならない映画だ(『アパートの鍵貸します』も60年)。相手役のG・ペパードってのがつまらないとか、M・ルーニーの“ゆによし”さんが一人で40年代やってる、とか不満はいくらもあるが、時代が変わったことを告げる冒頭シーンの抒情は捨て難い。それと猫で収めていくラストの情感、きっとあの猫にも名前がつけられることだろう。[CS・衛星(字幕)] 6点(2012-07-31 09:44:38)

全部

Copyright(C) 1997-2024 JTNEWS