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201.  マンボ・キングス/わが心のマリア 《ネタバレ》 このお兄さんのアーマンド・アサンテがいいですな。ニヤケきって自信満々な人間の色気っていうんでしょうか。ベットリと弟=家族への愛に生きてて、弟の嫁さんへのほのかな愛をこらえている。ちょっと変換すれば寅になっちゃう。家族愛という拘束、兄は弟を拘束し、弟は妻を拘束していて、こういう背景にはラテン音楽が似合う。マンボだけじゃなくて、ルンバにチャチャチャもあるよ。ただ泣かせどころのはずの「わが心のマリア」ってのが、あんまりどうってことのない曲なのが惜しまれる。ルーシー・ショー出演の編集の妙。最初の店でドラム叩いて喝采浴びるあたりのノリはラテンならでは。記念写真が死を招くのは映画のルール。中南米はカトリックということでイタリア映画の人懐っこさにも通じるんだな。ラストがちょっとズルズルしちゃったが、感じのいい映画。[映画館(字幕)] 7点(2012-02-16 10:18:55)

202.  映写技師は見ていた 《ネタバレ》 もうちょっと短く出来るかと思ったが、でも悪くなかった。単に終わった体制の悪口を安全な時代になってから言ってるってだけじゃなくて、ある種の普遍的な独裁者願望のパターンがちゃんと出てた。これの同時代で言えばホメイニ下のイランに置き換えることも可能。純真さ・ナイーブさが独裁を支える構造そのものを見ようとしている。怖いのは主人公がこの体制を恐怖しつつも肯定しているとこで、ここに権力というものの不可思議さがあるんだろう。会話が聞かれることに怯えながらも、スターリンへの敬愛は変わらない。エライさんたちに出会うあたりの緊張する雰囲気、リアリティあった。やさしいスターリン。感激の極みであります。これと妻カーチャへの愛とが並行するの。このカーチャがラストでやっぱりスターリン一途になって登場するあたりに凄味。妻を愛するのかスターリンを愛するのか。カーチャへのカーディガンが取り出される。妻を演じたロリータ・ダヴィドヴィッチ、『ブレイズ』のときも、プロレタリア色のある女優さんでハリウッドでは貴重だなと思ったが、やっぱあの資本主義国で主役級を生き抜くのは難しかったか。[映画館(字幕)] 7点(2012-02-08 10:28:46)

203.  恋の掟 《ネタバレ》 社交術ってのは、ゲームの教育ってことか。無垢で純粋な小娘への教育、彼女を駒として使うゲームでもあり、そのルールを更新していく残酷さもある。ゲームを終えたふりをして次の手に進むあたりのタノシミ。生きることそのものがゲームであった時代、頽廃なのか洗練の果てなのか、ゲームは戦争となり、同じゲームをしている者同士の共感が、騙し合いのゲームの果ての孤独に追い詰めていく。田舎でのディナーのそれぞれの表情を、話者と話者以外の者とのカットの積み重ねで描いていくあたりなんか好き。せっかく若い恋人たちのために妖しい雰囲気を作ってやるのに、ハープの練習をして「AじゃないBフラットだ」なんてやってるお笑い。A・ベニングは好きなんだけど、ちょっと線が細すぎたか。ゲームの相手も失う極北で、カンラカラカラと豪快に笑ってほしい気もする。[映画館(字幕)] 7点(2012-02-03 10:05:11)

204.  プリティ・リーグ 《ネタバレ》 姉妹で急ぎ足になる帰り道のとことか、スカウトが妹の肩の筋肉に触って「いけるかも」と思う変化とか、走りながら列車にカバンをホイホイ投げ入れていくとことか、至って職人的な腕を持った監督で、もう「女性監督」という肩書きで売りにする時代じゃないな、と思わせた映画。当時のニュースで彼女らを紹介していったシーン、マーラのとこでロングになるのが傑作。クソガキを登場させるつなぎ方とかね。テーマは「戦争と女性の社会進出」のお話で、男がいない時代のつなぎとしての・二流の・副次的な・キワモノとしての女性野球。ミニスカートをはかされ、屈辱的とまではいかないまでも、オアソビ的な設定。これに対してヒロインたちはマッスグに反発するんじゃなく、「よーし、それならその中でやってやろうじゃないか」となる女性ならではのしたたかさが見どころ。適度に男の顔も立てながら(ライフの写真)、自分たちのほうへ引きずり込んでいってしまう。酔いどれ監督も次第に生き生きしてくる、というわけ。ワンシーンだけど、実力はあってもどうにもならない黒人女性への目配りも欠かさないところに膨らみがある。後半旦那の帰還あたりから、ちょっと甘くなったか。今の日本なら女子サッカーを念頭に置いて観ることが出来そうだ。[映画館(字幕)] 7点(2012-01-25 10:09:46)

205.  1492/コロンブス 《ネタバレ》 原題は「楽園の征服」。多数の合意のもとに歴史が変わったことはない、ってなことをアタマでコロンブスが言ってた。先を行くものの不幸と栄光。ラストでコロンブスが財務長官に「私とあなたは決定的に違う、I did,you didn't」って言う。コロンブスは未知の世界を憧れたんだけど、そこも見つけるそばから既知の秩序なり習慣なりが素早く浸食していってしまう。けっきょくスペインの延長された領土になってしまう幻滅。大陸発見五百年記念のフィルムだが、ただの“ご祝儀映画”で終わらせず、一応しっかりしたテーマを据えてあるのは偉い。スペインでは顔を背けた処刑をここでは自分で執行しなければならなくなる(全体『アラビアのロレンス』を手本にしてなかったか? 意識してはいただろう)。歴史上の人物ということでまったくの創作人物のようには個性を付けられないもどかしさ・彫りの浅さみたいなものは感じられたけど、いいほうじゃないか。女王に歳を聞き返すあたり面白い。[映画館(字幕)] 7点(2012-01-15 10:17:19)

206.  二十日鼠と人間(1992) 《ネタバレ》 映画の評価に原作の力が入ってくるのはある程度仕方なく、原作がいいとやっぱいい。少なくとも原作を殺してない、ってだけで評価していい。スタインベックの映画化では『怒りの葡萄』『エデンの東』の二大名作があるけど、話としてはこれが好き。なんか山本周五郎の「さぶ」思い出したりして。登場するみなが夢や憧れを持ちながら孤独に沈んでいて、自分の孤独な夢を守るために互いに傷つけ合ってしまう。ここで行われる殺しには、憎しみはない。老犬を殺させるキャンディ、仔犬を殺してしまうレニー、女を殺してしまうのも、鼠の死骸の延長上で、そしてリンチの前に友を殺してしまうジョージ。レニーと生きることを許さない社会、自分の中のレニー的なものを分離させないと生活していけない社会、そのやりきれなさ。アメリカ南部って心の傷がよく似合う。レニーが一度仔犬を連れてきたふりしてジョージをからかうあたり、あとになって思い出すとしみじみしちゃう。常にジョージの顔色をうかがっていたレニーに向こう(夢の家の方角)を向かせ、二人の視線が互いでなく、はるかかなたで重なるラスト。[映画館(字幕)] 7点(2011-12-28 12:15:52)(良:2票)

207.  不法侵入 普通は無邪気な笑顔ってのはロビン・ウィリアムズみたいにいい人を演じるときの看板なんだけど、このレイ・リオッタは無邪気な笑顔を見せて怖がらせる。なんつうんだろ、口の中央だけで笑うような感じ。必要以上に表情が澄んでいってしまう。純粋の怖さ、純愛の怖さ、一途の怖さ。この時代、純愛を描くとすると、まるでそれしかないようにサイコ人間のクレイジーな物語になってしまうんだな、ってところが一番怖かった。理想の女性への献身と、邪悪な世界への暴力。正義は己れだけにあるんだ、って義務感の裏打ちがある。ほどほどならいいんだけど、それがドン・キホーテ的な滑稽止まりならいいんだけど、やがてそれをも乗り越えると恐怖映画になってしまう。ストーリーとしてはカードが使えなくなるあたりの鈍い怖さ。この世のシステムがそっくりヤツの側にあるんだ、ってあたり。「健全な社会」ってあくまで夫婦が単位で、独身者はそれを脅かす存在なんだなあ。最後に忍び込んで料理を作っているのも怖いけど、独身者は人に料理を提供するのが夢なんだよなあ。[映画館(字幕)] 7点(2011-12-12 10:23:10)(良:1票)

208.  ハネムーン・イン・ベガス 《ネタバレ》 ニコラス・ケイジのコメディってけっこういいんだ。あの人の困惑顔ってサイレント時代のコメディにも通じたものを持っている。優柔不断の男が勇気を出す、って設定がそうなんだな。スカイダイバーたちの間での彼のおどおどした表情が傑作。パラシュートの引くひもの順番を黄色・赤、黄色・赤と心に刻み込もうとしていると、間際になって「それは逆だ」と言われて、さらに「ジョークジョーク」といなされる。おいおい、最初に言ったほうがジョークなの、今の逆だって言ったのがジョークなの、とパニックになっている間にもみなはどんどん降下していってしまう、なんてギャグが一番好き。あとは敵役を憎めなく設定することも大事。亡妻の想い出を引きずりつつ、ハワイの観光めぐりをするJ・カーン、作戦とは言えけなげである。ま、これはポーカーでカモに一度勝たせる手口と同じようなものなんだけど。プレスリーナンバーが背景に使われている面白味は、もひとつピンと来ない世代でした、私。[映画館(字幕)] 7点(2011-12-08 10:11:15)

209.  許されざる者(1992) 開拓時代をはるかに過ぎた19世紀末、ついには現われない絶対の聖女が初めと終わりを締める。登場人物すべてが心に棘を刺してるんだけど、主人公にとってはこの妻ね、あるいは妻の不在。伝説を終わらせていた彼女の不在によって、一度だけ伝説が戻ってしまうって話。この映画では死んでいく者の気分が強調されている。「血が止まらない」とか、便所での哀願とか、「こんな死に方をするのか」とか。これは殺す側のむなしさに移っていく気分でもある。フリーマンが捕まったことを知らせる女の馬が、チラリと見えかけたところで焦らすようにマニーと若造のむなしさに関する会話を長く入れるんだよね。でマニーが伝説の人間に戻ってしまうわけ。幽霊のように。もうお能。店の親父を、丸腰の親父を殺しちゃう。だって鬼なんだもん。そして伝説の側に消えていってしまうの。生きてるってなんて哀しい哀しいことなんでせう、という気分だけが残る。野のシーンでは風の音が聞こえ続けていた。[映画館(字幕)] 7点(2011-11-29 09:39:35)(良:1票)

210.  風と共に去りぬ 前半あんなに面白いのに後半急にしぼむのが気になって、原作読んでみましたよ。そしたら原作がそもそもそうなんだな。前半ではスカーレットやバトラーが「個人」として実に生き生き描かれているのに、後半では「我々南部人」の物語に埋没してしまっている。それも典型的な歴史修正主義のレベルで、困ったもんです。驚いたのは、なんとなく曖昧にボカされていた部分が、原作でははっきりKKK団として登場していることで、これは『国民の創生』の時代ならともかく、30年代後半ではそのままKKKを善玉として映画化できないわなあ。そういう苦慮による屈折が映画の後半の不自由さを招いていたよう。あとで黒人俳優にオスカーを贈ったのも、何らかの配慮が働いたのかもしれない。それにしてもこういう反動的と言ってもいい原作をモダニズムの時代に発表できたアメリカの懐の深さは、皮肉でなく立派(原作出版は30年代半ばで、たとえば推理小説を古い邸宅から都会に引きずり出したエラリー・クイーンの『Xの悲劇』のほうが古典なの。時代関係で言うと、幕末を舞台にした「鞍馬天狗」がモダニズムの時代に書かれていた日本と似ている。だからこのフィルムも、国民古典文学の映画化じゃなくて、ちょっと前のベストセラーの映画化ってわけだった)。やがて敗戦国となる同時代日本の、予言的な映画として見ると興味深いです。[DVD(字幕)] 7点(2011-11-28 09:54:14)(良:1票)

211.  アメリカの影 芸人、それも受けない芸人というモチーフは、監督のデビュー作から登場していた。慣れないジョークの練習をする。歌も本格的すぎて重く、ハショられてしまう。客との関係をうまく演じ切れない芸人。「演じること」へのこだわりは、監督の作劇法にも根ざしていて、おおむね役者に任せたって言うじゃない。演出するってことで(映画の)観客の期待におもねってしまう意識が入り込んでくるのを拒否したかったのか。観客との齟齬を感じる芸人を描くにあたって、そのドラマの演出から姿勢を決めてきている。ステージから降りても、人の暮らしは「演じること」に満ちている。「演じてしまうこと」と言ったほうが正確か。突然現われてくる人種偏見の凄味。妹が黒人青年にダンスパーティを巡って示す高慢な態度、これも「演じること」だろう。他人の存在になにやら作用を受けて、その当人が動かされてしまう。当人が動くというよりも、動かされる・演じさせられる。そういうふうに社会を眺めている監督なのだった。[映画館(字幕)] 7点(2011-11-25 10:02:24)

212.  ア・フュー・グッドメン 冒頭の規律正しい動きの美しさと気味悪さで、すでに作品の雰囲気が決まる。「軍はもうキューバを撤退するよ」というジョークを何の疑いもなく打電に行きかける兵士のエピソードなどでも「軍隊」を垣間見せる。ほかにも正装して自殺する軍人や、無罪になったのに除隊処分される兵士など、軍隊というものをじっくり観察していく演出。殺された兵士の視点に密着させなかったことで(邦画だったら彼の側にもっと情緒的につくだろう)、乾いたトーンが出た。殺した側の弁護でスタートさせるとこが憎い。T・クルーズが成長していくときのD・ムーアの役割りは、恋人というより正義の女神みたいなもん。前半は旗を振り、後半は後押しをする。キューバでJ・ニコルソンがテーブルで若造をコケにするあたりの「常軌を逸した社会での権力者」って感じが、やはりうまい。人間関係の調節などにまったく気にせずにやってこられた男とその環境。その尊大さ・横柄さだけなら、たぶんM・ブランドのほうが一つ上だろうが、その興奮しやすさ・馬鹿さもくるめて「軍人」という人種を嬉々として演じるとなると、ニコルソンだ。アメリカ映画でいいのは「超人」の正義でなく「僕たちの勇気」によって光りだす正義を描くとこ。法廷もの映画が流行る国には、それなりに正義を追求してきた歴史がある。[映画館(字幕)] 7点(2011-11-23 12:48:29)(良:2票)

213.  黒い罠 《ネタバレ》 嫌な感じに包まれている街、夜の街、この雰囲気ね。パッとポスターに掛けられる硫酸、向かいの部屋から向けられる懐中電灯、モーテルの騒音、音楽、若者たちの小ばかにしたような薄ら笑い。そしてO・ウェルズによる殺しの場。悪があたりに瀰漫していて、そこかしこで結晶している、いうような世界をとにかく作り上げたとこが力量でしょう。冒頭の長回しは二つのカップルがもつれながら国境を渡っていくわけで、これがラストの上と下での橋渡りと対になっているんだろうね。テープの声がエコーかかりだすあたりの映画ならではのサスペンス。この導入の事件はヘストンとウェルズを出会わせるためのもので(それにしても奇妙な組み合わせだ、こういう奇妙な組み合わせも何かのきっかけで平然と起こり得るってとこ、実に映画の魅力です)、この「変なところにさ迷いこんだ」って構造は、五年後の『審判』につながっていくようでもある。フレームアップの怖さとしてはあまり伝わってこなく、もっと抽象的な「嫌な感じ」として拡大されているとこが、ウェルズ映画としての成功なのかサスペンス映画としての失敗なのか。血で汚れた手を一度は洗うが、ふたたび橋の上の友の指先から垂れてくる血によって汚されていく、って。[映画館(字幕)] 7点(2011-11-20 12:11:48)(良:1票)

214.  チャイニーズ・ブッキーを殺した男 《ネタバレ》 いっぱしワルぶっている小悪党がズルズルとはまっていく穴。そう悪人ってわけでもないんだ。ストリップクラブのオーナー。やっと自分の店となって、一国一城の主だ、といい気分。そこでポーカー賭博ではしゃぎ大負けしてしまう。このだんだんヤバくなっていくところを、黒人の愛人の表情で見せていく。街の騒音と街の光。白人と黒人と東洋人とがもつれあう。やはり「ステージ」「芸人」「演じること」「気楽になること」といったモチーフがぐるぐると巡っていく。自分が憎んでもいない男を殺しに行くまでの経過。道路の中で車を止め、犬用のハンバーガー、タクシーを呼び、店にショーの進行を尋ねる電話をいれ(俺がいないとダメだ)、ここらへんの逼迫感。この悪役俳優監督は夫婦の確執をフィルム・ノワールのようなタッチで描いたが、実際の犯罪を描いたのは少なく、これは正真正銘のフィルム・ノワール。[映画館(字幕)] 7点(2011-11-18 10:33:55)

215.  リバー・ランズ・スルー・イット 《ネタバレ》 兄弟ってのは分身なんだなあ。こうであったかもしれない自分、こうでありたかった自分。だから変えることが出来ない、助けることが出来ないんだ。弟ポールの陰りのなさが透明すぎて、すでに危うい。夭折するしかないような。釣りの冴えが神技に近づいている、もうあとは転落するしかないほど。この弟の造形が本作の味わいのすべて。誰かに甘えられない体質、人に頼ることが絶対に出来ない芸術家肌タイプ。だから釣りが芸術の境地にまで行っちゃうんだけど、そういう人物に対しては周りのものは何も出来ない、ただ愛してやることが出来るだけ、ってのが結論。ジェシーの兄の俗物と対照される。三人で釣りをした川に、今や老いて一人竿さし、なんてほとんど漢詩の世界である。最後の釣りがもっともっとたまらなく美しくあるべきなんだけど、でもいい方かなあ。[映画館(字幕)] 7点(2011-10-17 12:20:44)(良:1票)

216.  四十二番街 ジェットコースターの滑り出しのように、カタカタとポテンシャルエネルギーを蓄積していって、ラストのショーで一気に奔流として押しまくるミュージカルの型は、ここらへんで確立されたのかな。そのショーが何しろ見せ場。サーッと開いて列車になるあたりからラストまで、ウキウキしっぱなし。車掌と新婚さんとの三人がツツツと右に滑るようにステップを踏むあたりでニンマリだが、まだここらはステージショーの中継といった感じでカメラは慎んでいるのだけど、次第にじっとしていられなくなり、ダンスの中に・ステージの上に乗り込んでいってしまう。このノメリ込んでいく勢いがすごい。「これはいちおう舞台のシーンなんだよ」という前提を放棄していくまでに節度を失っていく。二重の回り舞台を使った振り付けなんかになると、ステージかどうか怪しくなる。真上から見下ろしたときにのみ効果のある振り付けで、ついにはカメラが並んでいる脚の間をくぐったりすれば、もう「ステージを観ている観客」は無視されてしまっているようなもんだ。ヒロインが乗ってた車が走り抜けていったり、向こう側の車も停まっていたりすると、もうここは舞台じゃない。女性が襲われそうになる室内セットなんかは、もう完全に映画のそれ。カメラは窓から退却していく。そして摩天楼のセットが浮き出て、てっぺんで笑っている二人となる趣向。ステージものであったのが、「映画」のミュージカルに乗っ取られていく、その暴力的な奪取の爽快感。[映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2011-09-19 09:59:25)

217.  バス停留所 《ネタバレ》 このカウボーイの「世間知らずの田舎の純朴青年」カリカチュアを、どこまで受け入れられるかが評価の分かれ目でしょうな。コメディとは言えいささか過剰気味で、迷惑なジコチュー男として引いてしまうところもあり、微妙。ときにハチャメチャやってるジム・キャリーに見えてしまった。対比はクッキリしていて、カントリーソングと酒場女の歌。モンタナの牧場の夢とハリウッドの夢。童貞男の一途と経験豊富女のいなし。そこらが噛み合ってくるとイキイキいしてくる。リンカーンの演説を寝床のモンローに語りかけるのが笑えた。中盤のロデオ大会が映像として活気づき、映画の一番の見せ場である終盤のバスストップでのしみじみした味わいへの、いい踏み台になっている。あわてて防寒具を着て殴り合いを見物する女主人の安定感が終幕の芯になっており、人情劇の一場を支えていた。雪の効果が絶大で、それは恋と自意識にノボセ上がった男を冷やす雪であり、また女にとっては「ふしだら」な過去をすすいでくれる雪。親友バージが勘所のシーンではずっとギターを伴奏に奏でているのもおかしい。ドラマとしてはバージが若い二人に遠慮して去っていくのもわかるんだけど、あの二人の今後を思うと、まだ二転三転ありそうなんだから、落ち着くまでときどき背後でギターを鳴らすために残っていてほしい、と現実ならばそう進言する。ロデオの場で「彼がイカれている」ということを伝えるのに、モンローは頭の横で指をくるくる回す。クルクルパーってのはアメリカから来たのか! 日本古来の表現じゃなかったのか![CS・衛星(字幕)] 7点(2011-09-18 12:17:17)

218.  アフリカの女王 《ネタバレ》 話の大枠は冒険ものだけど実質は「流れ下る室内劇」で、男女二人のドラマを楽しむ味わい。船という密室空間でほかの男女に出会えない状況なのだから、ロマンスの成長だけが見どころになり、それを二人の名優がたっぷり見せてくれる。とりわけキャサリンはピタリの役どころで、宣教師の妹の英国淑女が自分の流儀を保持した態度をとりつつ、けっこう過激な提案を荒くれ男の船長に提示していくあたりのおかしさ、ひとたび結ばれると自分からお茶を「旦那さま」に運んでいくかわいさ、などなど。ときに思い出したようにドイツ軍の銃撃があったり急流があったりするが、ほとんど二人の心理劇だけで運ぶ前半はなんとも鷹揚で、映画黄金期の観客はそれをゆっくりと見物する大らかさを持っていたのだろう。しかしのちの「映画がコセコセする時代」になってからの映画ファンである私にはいささか大らかすぎて物足りなく思っていると、終盤、その大らかさの味わいが私などにも分かってくる。船が隘路に入って身動きが取れなくなってしまい、二人は絶望し神に祈ったりしている。そのときカメラはそっと上昇し、すぐ先に湖への出口があることを観客にだけ知らせてくれるのだ。そしてスコールが訪れ、船は動き出し湖に出て行く。後の映画だったらそれは伏せといて、脱出の驚きの効果を優先するのではないか。でも監督は手の内を見せて、観客にゆっくりと見物させるほうを選ぶ。そのとき生まれるユーモアの味わい。あるいはラストのひっくり返っているクイーン号に静かに近づいてくる敵艦のカット、これも先に起こることを観客に知らせておいてゆっくり見物させる手法だ。そのカットの生み出すユーモアこそ、後のコセコセした時代の映画が失ったものだろう(晩年の監督作『女と男の名誉』では飛行機が飛んでるカットだけで笑わせた)。なんか第一次世界大戦の映画ってノドカでいいんだよな、もちろん殺し合いをしてたには違いないんだけど。[CS・衛星(字幕)] 7点(2011-09-16 10:09:19)

219.  狼の血族 《ネタバレ》 夢を紡ぐのも物語をするのも全部女性。少女に限らず、老婆を含む女性たちの物語。少女の成長の話だが「女性」の物語になっている。「これこれこういう話だから、こういう映画になった」というより「こういう雰囲気の映画を作りたくて、こういう話を選んだ」って気もする。監督が男だし。三つのエピソードで、次第に狼が恐怖の対象でなくなっていくの。加害者であった狼も、終わりのほうでは「狼にされる」という被害として扱われる。また「狼が人になる」ってのが何かの恵みのように見られる視点もある。「狼」のイメージが多岐に膨らんでいく。ラスト、赤ずきんの話で復習するよう。ばあさんを「殺してくれた」狼と一緒に狼の血族に入っていく。そして現代、もう眠っている場所は子ども部屋ではない。と窓を破って躍り込んで来る狼。フロイト流に見ればかなり露骨な象徴で、なんかつまんなくなっちゃうんだけど、これが男が作った「女の映画」の限界か。というより、女性たちに「男はこう考えてますが」とこわごわ「おうかがい」をたてている映画なのか。[映画館(字幕)] 7点(2011-09-13 09:43:00)

220.  イースター・パレード ミュージカルシーンとしては、冒頭のおもちゃ屋とか、ステッキ持ってのスローモーションとか(ステッキの回転が美しい)、アステア一人の場に見どころ多し。それにしてもこの人は燕尾服が似合う。二人が成功を収めた乞食のダンスは、それほどだったかしら。かえって最初の下手なときのほうが、見事な芸になっていて堪能できた。首を絞めちゃったり、腕のヒラヒラでアステアの顔隠しちゃったり、止まるきっかけが分からなくなっちゃったり。戦前のロジャースとの『有頂天時代』でも、アステアがわざと素人のふりをする、ってのがあったけど、こういうのがミュージカルのひとつのパターンとしてあるな。別れた相棒を見返してやるつもりがいつのまにか…、若い男への恋心もいつのまにか…、と主人公同士の愛が育っていく展開。ラストが贅沢で、ほんのわずかなシーンのために時代を再現しきっている。CGでない時代。邦画だと、こういう場面を作ると「金かけたからじっくり見てってください」と、長々と未練たらしく映すが、サラッと見せて幕にしちゃうのがイキ。[映画館(字幕)] 7点(2011-09-07 10:12:44)(良:2票)

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