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321.  ホーム・アローン2 これはいくらヒットしても続編は難しいだろうと思っていたら、よく考えますなあ。一人になることを「楽しさ」として捉える視点は同じ。この大家族の鬱陶しさってのは、おそらく疎外がテーマになる今のアメリカ人の大多数にとっては過去の話だろうが、そうでもないのかな。前作と同じパターンでいきそうになって、でも空港までは大丈夫、ここで違う便に。ここらへん丁寧に出来ている。ニューヨークに来てしまう。リッチなホテルとプアな公園で光と影。それぞれが、一人でいられることの解放感と一人でいなければならないことの心細さにつながっていく。ビデオの声をつかったギャグは、この前もたしかあったけど、まあ笑える。で脱獄二人組におもちゃ屋へと話が広がって。おもちゃ屋でいろいろあるのかと思ってたけど、それはナシ。廃屋での闘争が見せ場だけどイマイチだった。トムとジェリーなんかのアニメのノリを実写でやられると浮いちゃう。サイレント時代だとこれでいいんだけど。鳩に花火にクリスマスツリーと祝福的気分、そういえばおもちゃ屋の主人はなんとなくフランク・キャプラ的だったなあ。病院の子どもと窓越しに見て手で合図しあうあたり丁寧。[映画館(字幕)] 6点(2011-12-06 09:47:35)(良:1票)

322.  ドラキュラ(1992) 影の使い方とか、ラブシーンを孔雀の羽根で隠してその眼がトンネルになっていくとか、首の傷跡が狼の目になっていくとか、意識的に一昔前のタッチを多用してある種の古典的雰囲気を醸そうとはしているみたいなんだけど、あんまりそういった趣向に切実さが感じられない。とりあえずサインしてるって感じで。いいのは、ルーシーが庭に導かれるところとか、コッポラお得意の惨劇と儀式が交互に現われるあたり。邪悪な結婚と聖なる結婚の対比ということか。ドラキュラ伝説ってのは、愛が宗教によって聖なるものと淫らなものに引き裂かれた結果生まれたんでしょうな。引き裂かれた両者がドラキュラを介して捻じれてまたつながっているような感じが面白い。ドラキュラの想いってのは、死者への想いだから高度な純愛であって、永遠に満たされることなく、永遠に渇いたまま生き続ける、ってところがポイントなんだろうなあ。[映画館(字幕)] 6点(2011-11-30 10:24:43)

323.  許されざる者(1992) 開拓時代をはるかに過ぎた19世紀末、ついには現われない絶対の聖女が初めと終わりを締める。登場人物すべてが心に棘を刺してるんだけど、主人公にとってはこの妻ね、あるいは妻の不在。伝説を終わらせていた彼女の不在によって、一度だけ伝説が戻ってしまうって話。この映画では死んでいく者の気分が強調されている。「血が止まらない」とか、便所での哀願とか、「こんな死に方をするのか」とか。これは殺す側のむなしさに移っていく気分でもある。フリーマンが捕まったことを知らせる女の馬が、チラリと見えかけたところで焦らすようにマニーと若造のむなしさに関する会話を長く入れるんだよね。でマニーが伝説の人間に戻ってしまうわけ。幽霊のように。もうお能。店の親父を、丸腰の親父を殺しちゃう。だって鬼なんだもん。そして伝説の側に消えていってしまうの。生きてるってなんて哀しい哀しいことなんでせう、という気分だけが残る。野のシーンでは風の音が聞こえ続けていた。[映画館(字幕)] 7点(2011-11-29 09:39:35)(良:1票)

324.  風と共に去りぬ 前半あんなに面白いのに後半急にしぼむのが気になって、原作読んでみましたよ。そしたら原作がそもそもそうなんだな。前半ではスカーレットやバトラーが「個人」として実に生き生き描かれているのに、後半では「我々南部人」の物語に埋没してしまっている。それも典型的な歴史修正主義のレベルで、困ったもんです。驚いたのは、なんとなく曖昧にボカされていた部分が、原作でははっきりKKK団として登場していることで、これは『国民の創生』の時代ならともかく、30年代後半ではそのままKKKを善玉として映画化できないわなあ。そういう苦慮による屈折が映画の後半の不自由さを招いていたよう。あとで黒人俳優にオスカーを贈ったのも、何らかの配慮が働いたのかもしれない。それにしてもこういう反動的と言ってもいい原作をモダニズムの時代に発表できたアメリカの懐の深さは、皮肉でなく立派(原作出版は30年代半ばで、たとえば推理小説を古い邸宅から都会に引きずり出したエラリー・クイーンの『Xの悲劇』のほうが古典なの。時代関係で言うと、幕末を舞台にした「鞍馬天狗」がモダニズムの時代に書かれていた日本と似ている。だからこのフィルムも、国民古典文学の映画化じゃなくて、ちょっと前のベストセラーの映画化ってわけだった)。やがて敗戦国となる同時代日本の、予言的な映画として見ると興味深いです。[DVD(字幕)] 7点(2011-11-28 09:54:14)(良:1票)

325.  ナイト・アンド・ザ・シティ だいたいの人は「いまの俺は世を忍ぶ仮の姿だ」と思いながら生きて、そのまま年取っていっちゃうわけだけど、ときに一寸の虫の五分の魂が爆発する人もいる。人っていじらしい、それにひきかえ社会っていじらしくない。やくざな弁護士がボクシング興行に唐突に夢をかける。もう夢を持つ年齢でもないか、という照れを越え、もう夢をかなえるなら最後だ、という焦りに乗って。デ・ニーロのセリフ量の多さでは出演作中一番かもしれない。それがちょっとモタれる。それと彼だと陰影がなにか高尚に出すぎちゃって、惨めたらしさにまでいってくれない。深みがついちゃって。J・ダッシンのオリジナル(未見)ではR・ウィドマークが演じたそう。彼の夢とJ・ラングの店の夢が対になり、あと老ボクサーの夢もあり、そういった構図。らせん階段を延々と下りて外に出て行くまでの長回しがあった。[映画館(字幕)] 6点(2011-11-27 09:42:36)

326.  アメリカの影 芸人、それも受けない芸人というモチーフは、監督のデビュー作から登場していた。慣れないジョークの練習をする。歌も本格的すぎて重く、ハショられてしまう。客との関係をうまく演じ切れない芸人。「演じること」へのこだわりは、監督の作劇法にも根ざしていて、おおむね役者に任せたって言うじゃない。演出するってことで(映画の)観客の期待におもねってしまう意識が入り込んでくるのを拒否したかったのか。観客との齟齬を感じる芸人を描くにあたって、そのドラマの演出から姿勢を決めてきている。ステージから降りても、人の暮らしは「演じること」に満ちている。「演じてしまうこと」と言ったほうが正確か。突然現われてくる人種偏見の凄味。妹が黒人青年にダンスパーティを巡って示す高慢な態度、これも「演じること」だろう。他人の存在になにやら作用を受けて、その当人が動かされてしまう。当人が動くというよりも、動かされる・演じさせられる。そういうふうに社会を眺めている監督なのだった。[映画館(字幕)] 7点(2011-11-25 10:02:24)

327.  ライムライト チャップリンというとペーソスとかセンチメンタルとかウェットな印象がまず来るが、個々の作品を見ると、『キッド』や『街の灯』のような作品でもけっこうシャープでドキッとする悪意を含んでおり、ベトベト甘いだけの作家ではなかった。でもセンチメンタルなものが嫌いだったわけではなく、一度そういうものにドップリ漬かってみたかったのではないか、そんなことを感じさせる映画だ。この作品に意義があるとするなら、その「湿っぽいもの」へ思いっきり身を投げ出している彼のいさぎよさだろう。本作で、もしシャープな悪意を求めるとするなら、主人公の「老い」だろう(テリーがサクラを雇ったってのが残酷の要素になるんだけど何か中途半端で、あれ最初はサクラの笑いだったのが本物の笑いに呑み込まれていった、ってことなのか)、しかしここで描かれるのはあくまで「老愁」であって「老醜」ではない。それはチャップリンの任ではないのだ。だから歯止めをなくしたセンチメントはただただ溢れ返っていく。C・Cを敬愛する私たちは、困ったことになったな、と思いながらもそれを呆然と受け止め続けるしかない。いささか臭い人生訓を語り続けるC・Cにも、前半生であれだけ沈黙していたのだから好きなだけ語ればいい、と思う。ステージの袖で立てなくなったとパニックになるテリーのエピソード挿入のぎごちなさも、見ない振りをしよう。それぐらいの義理は、彼の前半生の傑作群への利息として払う用意がある。ああそうだ、この映画で唯一感じられた悪意は、キートンにヴァイオリンの足枷をはめて走れないようにしたいたずらか。[CS・衛星(字幕)] 6点(2011-11-24 12:19:09)

328.  ア・フュー・グッドメン 冒頭の規律正しい動きの美しさと気味悪さで、すでに作品の雰囲気が決まる。「軍はもうキューバを撤退するよ」というジョークを何の疑いもなく打電に行きかける兵士のエピソードなどでも「軍隊」を垣間見せる。ほかにも正装して自殺する軍人や、無罪になったのに除隊処分される兵士など、軍隊というものをじっくり観察していく演出。殺された兵士の視点に密着させなかったことで(邦画だったら彼の側にもっと情緒的につくだろう)、乾いたトーンが出た。殺した側の弁護でスタートさせるとこが憎い。T・クルーズが成長していくときのD・ムーアの役割りは、恋人というより正義の女神みたいなもん。前半は旗を振り、後半は後押しをする。キューバでJ・ニコルソンがテーブルで若造をコケにするあたりの「常軌を逸した社会での権力者」って感じが、やはりうまい。人間関係の調節などにまったく気にせずにやってこられた男とその環境。その尊大さ・横柄さだけなら、たぶんM・ブランドのほうが一つ上だろうが、その興奮しやすさ・馬鹿さもくるめて「軍人」という人種を嬉々として演じるとなると、ニコルソンだ。アメリカ映画でいいのは「超人」の正義でなく「僕たちの勇気」によって光りだす正義を描くとこ。法廷もの映画が流行る国には、それなりに正義を追求してきた歴史がある。[映画館(字幕)] 7点(2011-11-23 12:48:29)(良:2票)

329.  フォーエヴァー・ヤング/時を越えた告白 プロポーズは決めたときにすぐやらないと、ヤヤコシイことになる、という教訓つき。人間の冷凍保存もの、ってのがこの頃ちょっと目に付いた時期でしたなあ(『レイト・フォー・ディナー』ってのが前年にあり)。この手の趣向では、世代のズレを見せるのが面白味なんだけど、これは別にそうでもなかったか。留守番電話に戸惑ってた。少年を配置して繰り返されることを強調。軍の上層部がこのことを知ってたのなら保管がずいぶんいい加減だし、よーく知ってたのならもうとっくにハリーのノートなんか入手してたように思うんだけど。「日本を襲う台風のように」なんて比喩が使われてたな。まあ全体ブツブツ言いながら見てたんだけど、ラストの再会シーンではホロリとしてしまった。こういうのに弱いんだ。意が通ずる、というか、よかったよかった、って空気。ウミカモメが浮遊してて。[映画館(字幕)] 5点(2011-11-21 10:20:53)

330.  黒い罠 《ネタバレ》 嫌な感じに包まれている街、夜の街、この雰囲気ね。パッとポスターに掛けられる硫酸、向かいの部屋から向けられる懐中電灯、モーテルの騒音、音楽、若者たちの小ばかにしたような薄ら笑い。そしてO・ウェルズによる殺しの場。悪があたりに瀰漫していて、そこかしこで結晶している、いうような世界をとにかく作り上げたとこが力量でしょう。冒頭の長回しは二つのカップルがもつれながら国境を渡っていくわけで、これがラストの上と下での橋渡りと対になっているんだろうね。テープの声がエコーかかりだすあたりの映画ならではのサスペンス。この導入の事件はヘストンとウェルズを出会わせるためのもので(それにしても奇妙な組み合わせだ、こういう奇妙な組み合わせも何かのきっかけで平然と起こり得るってとこ、実に映画の魅力です)、この「変なところにさ迷いこんだ」って構造は、五年後の『審判』につながっていくようでもある。フレームアップの怖さとしてはあまり伝わってこなく、もっと抽象的な「嫌な感じ」として拡大されているとこが、ウェルズ映画としての成功なのかサスペンス映画としての失敗なのか。血で汚れた手を一度は洗うが、ふたたび橋の上の友の指先から垂れてくる血によって汚されていく、って。[映画館(字幕)] 7点(2011-11-20 12:11:48)(良:1票)

331.  戦場にかける橋 《ネタバレ》 川の小さな滝のところで銃撃が起こると鳥がいっせいに飛び立つ。その銃声に驚かされて飛び立ったというより、血で汚された地を嫌って空へ向かった、って感じ。無数の鳥の影がジャングルや川面を走り巡る。この映画では最初から鳥の視点が批評的に地上の愚かな戦争を眺めていて、ラストむなしさが広がるクワイ河をしだいに鳥の視線になってカメラが上昇していく。脱走しヘトヘトになってたどり着いた地でW・ホールデンは、まず自分を監視している鳥に怯えるが(倒れた彼の上を鳥の影が通り過ぎていく凶々しさ)、やがてそれは凧の鳥に変わる。狂った地上を鋭く監視する鳥から、子どもの遊び道具となっている鳥へ。狂気の地からマトモな暮らしのある地へとたどり着いたことが、鳥の裏表で示された。その女こどもが暮らすマトモの地から狂気の地へ戻っていくときに女たちが付き添うのは、彼らの作戦が男たちの狂気に呑み込まれないよう、少しでもマトモな世界の空気を注入しようとしているのだろうか。この映画は英日米の軍人気質の違いを見せてはいるが、主人公はあくまでもアレック・ギネスだ。軍人としてどうあるべきか、をまず第一に考える精神主義者。ダラケていく自軍の兵士を見ることより、敵に協力しても誇りを持ってイキイキすべきだ、と考える。精神主義者として敵であるサイトーのほうに近しいものを感じてしまっている。橋の完成のためにはついに自軍の傷病兵まで繰り出そうとするあたりのノメリ込みの凄味。あからさまな狂気の描写でないだけに、彼の心に「まったく屈折のないこと」が怖く迫ってくる。「立派な軍人」というもののあるべき姿を煮詰めていくと、この狂気に必然的に行き着くだろうというところが一番怖い。[CS・衛星(字幕)] 8点(2011-11-19 10:26:47)

332.  チャイニーズ・ブッキーを殺した男 《ネタバレ》 いっぱしワルぶっている小悪党がズルズルとはまっていく穴。そう悪人ってわけでもないんだ。ストリップクラブのオーナー。やっと自分の店となって、一国一城の主だ、といい気分。そこでポーカー賭博ではしゃぎ大負けしてしまう。このだんだんヤバくなっていくところを、黒人の愛人の表情で見せていく。街の騒音と街の光。白人と黒人と東洋人とがもつれあう。やはり「ステージ」「芸人」「演じること」「気楽になること」といったモチーフがぐるぐると巡っていく。自分が憎んでもいない男を殺しに行くまでの経過。道路の中で車を止め、犬用のハンバーガー、タクシーを呼び、店にショーの進行を尋ねる電話をいれ(俺がいないとダメだ)、ここらへんの逼迫感。この悪役俳優監督は夫婦の確執をフィルム・ノワールのようなタッチで描いたが、実際の犯罪を描いたのは少なく、これは正真正銘のフィルム・ノワール。[映画館(字幕)] 7点(2011-11-18 10:33:55)

333.  お気にめすまま もうちょっと前半テキパキしてくれたら、くたびれ男の恋愛ものとしてそう悪くない味わいになったと思う。妹の騒動の顛末が、けっきょく単なる痴話げんかに終わってしまい、この主人公カップルもヘリコプターから痴話げんかと見られてハッピーエンドに閉じていくあたり、いちおう対になっている構成。痴話げんかで納まる夫婦もあれば、痴話げんかをするまでになれた恋人同士もあり、まあ人間、情けないもの同士仲良くやっていきましょうや、というちょいとしみじみしたハッピーな気分。エレン・バーキンはクラシック系の歌い手には見えないな。「イオウジマ」なんて苗字は、まずないぜ。[映画館(字幕)] 5点(2011-11-15 10:38:17)

334.  沈黙の戦艦 《ネタバレ》 S・セガールって人、どうも魅力がわかんない。B級なのは別にいいのよ、B級ならではの臭みでも出てくれればまだ引っかかってくれるんだけど、悪いんですけど、ホントのっぺりしたデクノボーって感じで。コックが似合わねえしなあ。シナリオとしても、なにか『ダイ・ハード』みたいな弱みを与えるとかさ、オリジナルな仕掛け、個性的な危難みたいなもんが欲しいわなあ。ただ立て籠もればいいってもんじゃない。犯行も低レベルで狙いがはっきりしない。悪玉が馬鹿に見えたらこの手の話はオシマイよ。味方の攻撃をいかに防ぐかなんてところで面白くなれそうなんだけど、それはトマホーク自爆させて、みんなヨカッタヨカッタって拍手して終わりになっちゃうの。情けない。最後に主人公が軍服着て敬礼するところに、この映画の根本的な勘違いがはっきり出ていたと思いません?[映画館(字幕)] 5点(2011-11-11 10:22:38)

335.  ジャック・サマースビー 《ネタバレ》 南北戦争後の南部が舞台。ミステリーふう。戦争から帰ってきた夫は本当に夫か、ってな。彼と彼女の間のヘンな雰囲気を丁寧に描写していく。ひげを剃るときの緊張。J・フォスターがキスを誘うのにR・ギアが気づかぬ振りして避ける。など、日常の細かい振舞いに潜んだ緊張を楽しめる。靴のサイズ。貴金属拠出のとき「妻のあたしが言うのもなんですが」って言ってブローチを出すあたりがニクイわけ。彼はここでサマースビーとして生きようとする。黒人や子どもの期待、期待をされることのしっかりとした手応え。ゴロツキにさっと右手でナイフを構えるジャックを、ロングで見てしまうローレル。でまあ、KKKもあって、裁判になる。アメリカ映画は本当に裁判が好きだ。南軍負けてもうすぐに黒人の判事が来てたのか。裁判の過程で愛の物語が明らかになってくるの。それまでのローレルの結婚生活の惨めさ、ジャックの改心、などなど。粋な判決を下すのかと思ってたら、愛の伝説になりました、って終わらせ方だった。あれなら裁判の後、あまりじらさないですぐ墓場にしたほうがサッパリしたのに。[映画館(字幕)] 6点(2011-10-31 10:11:18)

336.  ホット・ショット2 《ネタバレ》 前作はけっこうパロディを突き抜けた「無意味」自体の輝きを感じた部分があったんだけど、今回はパロディの枠を抜け出られなかった。チャーリー・シーンやヴァレリア・ゴリノといった非喜劇的人物がドタバタをやるという取り合わせの新鮮さも、二度目となると慣れてしまう。個人的に好きなのは、背景でなんかやってるギャグで、タイのシーン、手前でハーレーを巡るドラマが展開している向こうで、セクシーなミシェルの前に坊さんが並んで、犬が立った芸を見せてるとこ。あの手のが好きだなあ。フセインを出したのが、ナンセンスものとしては不純になってしまった。敵地で鍵を盗み取るのにやたら音をたててしまうギャグ、その鍵を木の檻から体を出してつかみ取るギャグなど。[映画館(字幕)] 5点(2011-10-30 12:13:49)

337.  PNDC-エル・パトレイロ 理想に燃えた警官が社会に出て汚れていく。ついに矛盾に耐え切れず職を辞し、妻にこきつかわれ、愛人には「養ってくれるわね」と釘を刺され、ああ、これが人生か(ちょっと「砂の女」を思い出した。男を待ち構えている女という落とし穴)。愛の理想も現実に汚染されていく。仕事の嫌な感じを丹念に積み重ねていくあたりに、手ごたえ。怪我をしたとこに父の幻影が現われるのなんか、中南米の匂い。そしてドン・キホーテのように最後の一花を咲かせようとするわけだ。やはり中南米って、どこかスペインの影を引きずっている。[映画館(字幕)] 6点(2011-10-27 09:56:07)

338.  マチネー/土曜の午後はキッスで始まる キューバ危機の不安の中のアメリカの一断面。あの「イキイキと不安だった季節」はアメリカにとっても特別な日々だったよう。なにか浮き足だっていて、それが子どもにとっては祭りのようなハレのはしゃいだ気分に通じている。パパが戦争に巻き込まれつつあるかもしれないという不安と、パパのいない解放感。漠然とした核の不安を、B級ホラー映画が「恐怖ごっこ」に変えてしまう。ガールフレンドになる子、こんなこと(核対策)したって意味ないわよと醒めてる子、健全映画を観る会、詩を書く不良、これらの人々が土曜の午後へ向けて一歩ずつ世界を織りなしていく。バックには懐メロが流れ。核の恐怖に取り付かれている劇場支配人。満員の二階席。シェルターに残った二人っていうのは、世界に二人だけになってしまうという恋する若者の甘い夢でもあり、時代の不安の悪夢でもあり。[映画館(字幕)] 8点(2011-10-25 10:15:46)

339.  大脱走 しばしば目に入る抜けるような空の青さはスポーツにこそふさわしい。この映画に満ちているのはスポーツの気分。逃亡するのが義務と心得ている連合国側捕虜と、それを阻止するための特別の収容所を開設したドイツ側との、攻守がはっきりしたチームスポーツ競技を観戦する気分だ。マックィーンの小道具としてのボールも、そういう気分をかもすのに役立っている。逃亡するための資材を調達していくあたりの、息のあった連携プレーが楽しい。役割りによって分業体制を敷いているのも団体スポーツの味わい。またその中にコンビの友情をいくつも仕込んでおいて、全体をまとめるのをイデオロギーにしていない。小さな友情が集まって大きな団結を構築している。一匹狼だったマックィーンも失われた友情への復讐心からチームに参加していく。本作の気持ちのいい明るさは、この友情を下敷きにしているところから来ているんだろう。悪役側も、ドイツ軍とゲシュタポとを区別し、ドイツ軍そのものはスポーツ競技の相手役としてサッパリとさせている。もちろん実際の戦争はスポーツではなかったわけで、それだけははっきりとさせとかなくちゃならない暗い部分はみなゲシュタポに任され、青空ではない曇り空の下の銃殺によって代表させる。暗い戦争を明朗なエンタテイメントに仕立て、しかもそれを「敵」をやっつけて溜飲を下げるレベルのものでなく成功させたところが、この映画の一番の手柄。[CS・衛星(字幕)] 8点(2011-10-22 10:08:53)(良:2票)

340.  アラジン(1992) 小さな猿と巨人の吊り合わせなぞ、いかにもディズニーの好み。ただこのエノケン似の猿は後半象になってキャラクターを生かしきってはいない。巨人ジーニーの変身ギャグはあまり好きではない傾向のものだが、そのヘンにはしゃぐ「朴直な大男」ぶりは悪くない。陽気にはしゃいだ後、でも自由じゃない、とショボンと変化するとこは笑えた。ランプの住まいは窮屈だ、って。洞窟で登場する「魔法のじゅうたん」の擬人化のうまさはディズニーのお得意のとこ。飛行シーンは宮崎のほうがうまいけど。世界中を飛び回り、スフィンクスの顔が欠ける。エジプトも中国も「オリエント一般」でひとくくり。西洋には飛ばないのだ(おそらく魔法圏外の文明地ということなのだろう)。ランプが悪玉ジャファーの手に渡って次々と力を得ていくあたりの畳み込みぶりがいい。心ならずも命令をきくジーニーの打ちひしがれぶり。ダンボやピノキオなど旧作へのオマージュもある。「世界一の魔法使いになっても自由を奪われたらおしまい」という教訓付き。私にはちと目まぐるしすぎた。[映画館(字幕)] 6点(2011-10-21 09:58:58)

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