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641.  ダイアリー・オブ・ザ・デッド もうこの手の主観手法もちょっと手垢にまみれてきて、ましてこれは音楽入り、映画専攻の学生が撮ってるってところで、演出っぽいものが入ってもいいように逃げを打ってある。でも確かにそこが本作のポイントで、カメラを覗いていると当事者が傍観者になってしまうという、現代の一面は突いていた(たとえば秋葉原事件のように)。冒頭のミイラ男の劇映画の撮影とラストの襲撃を撮影してるのとが対になっている。パソコンがあると、異常事態下で知人に連絡を取るよりも、まず映像を編集してマスに発信したくなる。映像ってのはもともと客観的なもののはずだったのに(百聞は一見に如かず)、主観映像で溢れかえった社会が生まれつつあるんだなあ、とはしみじみ思った。そのモチーフが作品に有機的に生かされてはいなかったんだけど。州兵のゾンビ狩りにイラクの反対勢力掃討のイメージを重ねていたようだったが、これもまあ作品に深そうな感じを付けるって程度。前から思ってるんだけど、ゾンビのぎくしゃくとした歩き方って、心の深層で身体障害者のイメージとつながってるってことはないか。この世ならぬ者の感じ(これは偏見で見下すってのとはちょっと違うんだけど)をどこかで抱いていて、それが投影されてるってことはないかな(これ読んで不快を感じられた方にはごめんなさい、でも気になってるんです)。[DVD(字幕)] 5点(2009-08-06 12:02:13)

642.  カジノ モノローグ映画というか、やたら字幕を追うのが大変でした。ナレーションが多いと、過去の出来事という感じは強くなる。それにしてもこの監督ノーブルな顔して、どうしてこう真っ当でない・唾棄すべき嫌な人間たちの話が好きなんだろう。ギャンブルの天才でありながら、妻や友の裏切りにあっていく男。ラスト1時間ぐらいになってやっとノッてこれた。世の中なんにも信用できねえのさ、という一匹狼的な恍惚感があるわけでもない。虚飾の街と、その裏の地味な金勘定の部屋、その裏から表を見て、荒涼としてるんだけど充実がある。つまり現代における“充実”とは、愛やら友情やらを捨てていった荒涼の中にしかないということか。ラスベガスを取り囲む広大な砂漠。日本人はタオルを持って帰る。ラストに「スターダスト」が流れ、おそらくある年代の人は「シャボン玉ホリデー」を思い浮かべ、しみじみしたことと思う。[映画館(字幕)] 6点(2009-08-05 11:59:37)

643.  ストレンジャー(1996) 今ではちょっと下火なのかな、20世紀末からしばらくサイコホラーってのが流行って、でも考えてみれば映画ってものがそもそも精神分析と同じころに誕生した兄弟だったわけで、『カリガリ博士』の時代にすでに心理学ブームはあり、このころは二度目の流行りと言えようか。表面だけを記録していくフィルムの機能が、かえって幻想を描くと生きてくる。これなんか一つのアイデアだけが命のホラーで、弦楽器のネットリした音楽が雰囲気をつないで、とりあえず一本の時間を退屈させずに見せてくれている。もっとじらしてほしいところもアッサリしてたりして、演出にコクがないけど、基本的にサイコホラーってのは凡作でも何か映画のポイントをつかんでるみたいなんだ。フィルムにおける内面の不可視ってことと関係があるんだろう。原題は「知らない人と口きいてはいけません」って。[映画館(字幕)] 6点(2009-08-03 11:56:41)

644.  サドン・デス(1995) 《ネタバレ》 娯楽映画の悪漢はどこまで殺人が許されるのか、という問題は難しく、悪人を悪人たらしめるためには殺人は必要なのだが、その被害者がただ殺されるだけではなく、誇りを持って殺されるなどの手を打っておかないと、映画そのものが殺伐になってしまう。人質を殺すのにも難しい基準があるのだ。本作はそこらへんが雑。それとこの手の映画ではよくあるのだが、悪漢が主人公と向かい合うときのみすぐには撃たないで反撃されてしまうのも阿呆である。捜査官が一味というヒネリも、それならもっとやりようがあっただろうが、という脱力感を与える。追われてキーパーに変装というユーモアは悪くないが、近くのチームメイトが気づかず、遠くの悪漢にばれるってのが無理。やたら高いとこで飛び跳ねるところにのみ爽快感あり。[映画館(字幕)] 6点(2009-07-31 11:58:11)

645.  フロム・ダスク・ティル・ドーン 《ネタバレ》 好意的に見れば「一本で二本楽しめる」で、前半は逃走もの。タランティーノのすぐ人を殺しちゃう弟が気味悪くおかしい。で悩める牧師の車をかっさらってメキシコへと走る、とここまでは普通の映画の範疇。牧師ってとこに伏線があったんだけど、見てて分かるわけがない。メキシコの怪しい酒場が後半の舞台で、ダンサーが蛇女に変わっちゃうところでノケぞる。きっとこれは夢だったってことで元の話に戻るんだよね、とはかなく思い続けている間も、スクリーンでは吸血鬼との戦いは続き、どうもこの時間経過からみて本気らしいぞ、と認めざるを得ず、そうかこういう「えっ!?」という瞬間がタランティーノは好きだったんだっけなあ、と遅れて気がつくのであった。ドンチャン騒ぎとしては『ブレインデッド』に劣る。[映画館(字幕)] 6点(2009-07-29 11:56:30)

646.  フィオナの海 伝説・言い伝えなどを話の中に織り込みつつ、映画全体がラストへ向け、しだいに伝説・昔話の中に溶けていく、アザラシや海鳥を媒介にして。ケルト音楽も伝説っぽいし。そもそも弟の揺り籠が流されていくところからリアリティは薄いのであって(だって海で暮らす人があんな波打ち際に置いておくとは思えない)、そこらへんからもう半ばオハナシの世界にはいっている。じいさんばあさんと子どもってのも昔話の準備だし。つまりとうさんかあさんは近代化のほうへ向いてしまうのね、じいさんばあさんに子どもが昔の島へ戻っていく、伝説ともども封じられに。おそらくアイルランドという土地ならではの風土が生きているのだろう。アザラシの映像の使い方がうまく、変に擬人化させるのでなく、アザラシのまま意味を持たせるのに成功している。[映画館(字幕)] 6点(2009-07-26 09:15:15)

647.  KIDS/キッズ すべて字体が異なるタイトル。個性の主張なのか、それぞれの孤立なのか。現代の「甘い生活」は10代なんだな。現実から浮遊して、でもそれを現実につなぐのが、実にプライベートなものである“病い”ってところに現代の特徴があるんだろう。感染を止める聖女たらんとして町をゆくが、彼女がさらなる感染へと道を開いてしまう。ひと月の物語をドキュメンタリータッチで綴っていき、もっぱら表情が雄弁だった。仲間うちで、常に観客であろうと様子を探りつつ浮かべるやや強ばりかけた笑い顔。排除されるのが怖く、付かず離れずの位置をキープする。人種問題ってのがなかったのは意図的なのか現実なのか、現代では民族よりもさらに小グループへの所属感のほうが強いのかもしれない。とにかく頭で作ったんじゃないリアリティがあった。全体が狭いほうへ狭いほうへと向かい、そして眠りに閉じていく。[映画館(字幕)] 6点(2009-07-19 12:03:05)

648.  ノートルダムの鐘 これすらもハッピーエンドにしてしまうまでに、もう型が出来上がっている。ハッピーエンドにしとかないと、障害者の社会進出の面からどうのこうの言われる、って心配もあったからかな。主人公を支える小さなものたちもちゃんと登場するし。これでいいのは、フロローのキャラクター。ディズニー作品の出来不出来はだいたい敵役の出来不出来に左右され、これはよかった。ちょっと『セブン』の犯人にも通じていくような。でも彼がラストでエスメラルダに言い寄るのは勇み足だろう。赤い僧服の裁き手たちがズラリと現われ、影がサーッと立ち上がっていくあたりがヤマ。道化祭りのエピソードは本当に怖い。な、世間とはこういうもんなんだぞ、とフロローの言葉を証明する。障害者と世間の関係を残酷に示し、下手なメッセージより濃く、差別のむごさを見せつける。鐘楼のテーブルの上の小さな町、閉じ込められているカジモドのほうがパリの道筋に詳しくなってるってのも、けっこう障害者の在り方の一面をよく見せていた。[映画館(字幕)] 6点(2009-07-17 12:01:56)

649.  ファンタジア これはまさにファシズムの脅威のさなかに作られた作品なんだ。ラストの「はげ山の一夜」から「アヴェマリア」の祈りに移っていく構成は、おそらくそれを意識したものだっただろう。しかしそれだけでなく、おそらく意識しないで表われたところ、たとえば繰り返される洪水のイメージなどに、時代の空気をより感じることができる。「春の祭典」、壮大なスケールを持った作品で、地球の誕生から恐竜の滅亡までをナマの体験のように繰り広げてくれる。しかしここに哺乳類は現われない。恐竜が滅亡に向けて行進した後、不吉な日蝕が始まり、地震が襲い洪水が地を覆う。このイメージが浮かんできたとき、時代の影響はまったくなかっただろうか。肉食恐竜が暴力で支配したあと死に絶え、次の哺乳類の時代を暗示させることもなく幕が閉じられる。この暗さ。進化論の世界に天地創造神話が割り込んできたような大洪水は、過去のものとしてではなく、近未来のものとして切実に予感されていたのではないか(洪水はあと「魔法使いの弟子」があるし、「田園」でも葡萄酒が)。『ファンタジア』中の最高傑作「花のワルツ」、咲き乱れる花を描いた春ではなく、滅びへ向かう秋から冬が描かれる。落葉も、さやから出てくる種も、それを吹き飛ばす風も(映画館で観たときここで泣けた)、氷結する水面もどれもこれも実に美しいが、その美しさはどこか鋭角的な手ざわりのある美しさで、春に向かう気分はどこにもない(「春の祭典」に哺乳類が登場しないように)。すべてが厳しい冬へなだれ込んでいく。こんな美がほかのディズニー作品にあっただろうか。あるいは深読みに過ぎるかも知れないが、「魔法使いの弟子」で次第に増殖し、一つの命令だけを守って行動する顔のないほうきたちの群れに、ファシズム社会を見ることはできないか。この曲の映像化はディズニーの若い頃からの夢だったそうで、だからこの楽しい音楽物語を政治的な連想で汚してしまうのは不本意なのだが、あのほうきの切れ端が立ち上がってくるところの怖さは、当時の時代の雰囲気とまったく無縁に作られたとは思えないのだ。さいわい現在の私たちはこの傑作を純粋に音と映像のアニメーション作品として楽しむことができる。ささいな動きにまで気が配られている丁寧さに感嘆していればそれでいいので、野暮なことに頭を回す必要はないのだが、時代の記録としてもやはり傑作だということを言っておきたくて。[映画館(字幕)] 9点(2009-07-13 12:31:38)

650.  ツイスター このころ流行った災害もの。映画が物語りに寄りすぎてしまった歴史を反省し、スタート時の見世物の力を取戻そうと、原点に帰ろうとする姿勢はいいのだけれど、でも見世物だけで一本の映画の時間を埋めるってのは非常に難かしかろう。こっちも列車の到着で驚く百年前のナイーブな観客ではなくなっている。やっぱり一本の作品としての時間のうねりがなくてはならず、見せ場をつなげばいいってもんじゃない。それに竜巻ってのは、ただ大きさの大小があるだけで違いを作れないしなあ。けっきょく見せ場をつなぐためにはデキアイの人間ドラマをはめるしかなく、全体がいくつかのボソボソとした塊になってしまった。SFX作る楽しみにのめり込んで、気配で楽しませる努力がおろそかになった。逃げ込んだ納屋に刃物がずらりある、みたいな場をもっと欲しい。渦の真ん中から青空がほの見える、ああいうのアメリカ人好きなのね、音楽もコーラスになって宗教がかる。好きというより、まとめやすいんだろうな、「そうか、神のようなものか」でたいていは納得できてしまう。アメリカ映画では中年女性が活躍するのが多いのは偉いと思うんだけど、あれは何か深い意図があるのかな。[映画館(字幕)] 6点(2009-07-07 11:59:52)

651.  ウォンテッド(2008) 《ネタバレ》 イスラム過激派のリクルートを思った。そこらへんを意識してたんじゃないかな。惨めな日常にうんざりしている若者に、君は選ばれた者だという暗示を与え、厳しい訓練を課し、絶対者が悪と認定したのだからと迷わず見ず知らずの人物を暗殺できるまでに、組織に信頼を寄せさせる。この先にあるのは自爆テロリストへの道だろう。でもアメリカ映画のいいところは、組織に歯向かう個人のドラマになるとこで、途中の訓練の描写などの陰惨さ・ドギツさには不健全だなあと閉口させられたが、話の大枠はいたって健全であった。そしてなにより馬鹿馬鹿しさが救っている。最初のビルを飛び越える男が、廊下の奥のエレベーターから助走をつけるあたりで、すでに作品のトーンが決まり、以下馬鹿馬鹿しさが輝いているシーンのベスト3を順に挙げれば、まずアンジェリーナ・ジョリーが車で仰向けになって撃ちまくるとこ。次に、彼女の車が特急に追いつくとこ。特急の車掌も、あそこでは急停車させず、わざわざ崖の上の陸橋に来てブレーキをかけるという、事態を悪化させるのに協力的な態度をとるところが嬉しい。そして最後の二丁拳銃での殴り込み、ほとんど新体操の運動を見ているよう。そもそも気合いを入れれば曲がる弾道ってのが、根性ものの野球マンガに出てくる魔球みたいで、馬鹿馬鹿しくも懐かしかった。みなさんは絶対まねをしないでください、とテロップでも入れたいところ。[DVD(吹替)] 6点(2009-06-23 12:06:14)

652.  JFK 「…ということを決して声高にではなく描いた秀作」ってのは多いが、声高に言わねばならないと思っていることを声高に叫んだ映画、ってのもあってほしい。これがそうだった。作者に言いたいことが過剰なまでに溢れているってことは、こんなにも気持ちのいいことだったのか。3時間、がなり立て続けるストーンは魅力的だ。証言が現われるごとに何度も繰り返される暗殺シーン、一本の作品としての流れなり盛り上がりなりを計算していく気持ちはまるでなく、手に入った絵の具からどんどんキャンバスに塗り重ねていく。その積み重ね自体を映画の魅力にしてしまっている。「あれはおかしい、これもおかしい」と、スクリーンに証拠を陳列していき、説得というより「これだけ疑問点があっても委員会の言うことを信じられるのか」と大声で脅されている気分。そのパッパと陳列していく手際でこちらも釣り込まれてしまう。この監督、役者の演技というものにも全く興味を見せてなく、ただセリフをしゃべるマシンか何かと思っているのだろう。ドナルド・サザーランドのような癖のある名優も、ただしゃべりまくらされる。監督が興味を見せるのは、証言の散文的な内容だけだ。一個の事件の周囲に、人がしゃべることによっていろいろなものが付着したり剥がれたりしていくその変容に面白味を感じているのであって、役者が本当は一番見せたい表情や仕種やらの微妙さは無視されてしまう。そういう微妙な味わいこそ映画の楽しみである、という“上品”な映画鑑賞法も一緒に無視されてしまう。「私はこれこれこういうことが面白い、こういうことにのみ興味を感じている」という自分の守備範囲をはっきりさせ、その中で好き勝手をやり、そのこと以外には媚を微塵も示さない。ストーンの映画に感じるのはその小気味よさである。自分のやってることに確信を持っているものの明朗さがある。[映画館(字幕)] 8点(2009-06-19 12:07:19)(良:2票)

653.  ニクソン この人の映画は締まりがいいほうではなく、ブワブワと始まるが、語っていくうちに熱を帯び、ゴチャゴチャしながらもある感動の時を迎える、ってのが多いけど、これもそうだった。『JFK』の時のように、言いたいことがあってそれに集中していくのではなく、なんとかニクソンという魅力的な人物を掴まえたいが掴まえ切れない、という悪戦苦闘ぶりが面白い。まず、ケネディコンプレックスがある。ほとんど『アマデウス』のサリエリのようで、ラスト、ケネディの肖像を見つつ「国民はケネディには理想のみを見、私には現実のみを見る」って言わせるのが一つの結論。理想の最たるものはリンカーンだったが、映画は南北戦争の死者とベトナム戦争の死者とを重ねて、彼にも皮肉な目を向けていた。そしてベトナム戦争は、ハト派のケネディによって始められタカ派のニクソンによって終わったという事実もあるわけだ。あるいは、成り上がって失墜していく『バリー・リンドン』的な悲劇として捉える見方。制御できぬ野獣のごときものとしての権力の不思議さを、遠くから眺めた映画でもある。時間をあちこちするシナリオだったけど、これなんか時代通りに順にやったほうが良かったのではないかな。[映画館(字幕)] 7点(2009-06-16 12:02:01)

654.  ティン・カップ スポーツでは、走るもの(球技を含む)と格闘するものがやはり映画に向いており、歩行して棒振るだけのゴルフは難しい。スポーツとは言えないが、走りも格闘もしないビリヤードがけっこう映画向きなのは、キューを構えるポーズが美しいのと、狭い室内ってのがいいんじゃないか。ゴルフは広くて、そういう緊迫感狙いは無理。でこれ、アルマジロ歩く田舎の濃いめの人情世界と、都会的な紳士のスポーツってのをぶつけたあたりがミソか。克己心の話。己れの才能をフルに発揮しようとしないヤツをアメリカ映画は嫌って、チャレンジする話が好きなの。スピード感のないスポーツを見せる工夫として、木の後ろからトイレにぶつけてグリーンに乗せる、とか、刻んでいくヤツと豪快に池越えするヤツとを対比したりとか、苦労してます。[映画館(字幕)] 6点(2009-06-14 11:56:47)

655.  バードケージ オカマコメディってのには、微妙にいらつかされる。これってテレビなんかのオカマタレントにも通じるもので、差別だ偏見だって言われるとそれまでなんだけど、何と言うか、自意識過剰ぶり、チヤホヤされたがり、が引っかかる。男社会が「女性的なもの」として抑圧してきたモロモロを臆面もなく噴き出しているんだから、男社会への批評としては意味があるはずなのだが、他者の視線を意識しすぎた存在となる自分を許してしまっているところが、人の在り方として正しくない気がして仕方がない(同性愛そのものじゃなくて、それの誇示のことだよ)。でもこのいらつきを延長していくと、社会的少数者は自己主張するな、っていう“良識の壁”につながっているのかもしれず、そこはこちらの反省点。それはともかくこの映画、元は舞台劇かなんかなのか、そんな雰囲気。普通にしてくれ、と懇願する息子の向こうで、普通でない男が普通でない格好でモップを動かしてる、なんてあたりはやっぱり笑えた。ジーン・ハックマンの女装より、ダイアン・ウィーストの変身のほうが笑えた。[映画館(字幕)] 6点(2009-06-05 12:02:12)

656.  ハプニング 《ネタバレ》 人々が立ち止まっている光景ってのが好きで、なにか異変が起こりかけてる雰囲気がいい。一つの拳銃が次々と渡りながら、自殺が伝播していくとこもよろしい。何かが殺しに襲ってくるのではなく自殺が伝染していく、ってアイデアはいいのだから、そこをもっと詰めてもらいたかったんだけど、けっきょく危険は外部から描かれるばかりで、もったいなかった。自分がどうかなっちゃうんじゃないか、という不安、自分の体調に過敏になっている描写があれば、もっと新鮮な緊迫感が描けたのに、風や変人といった外部にばかりサスペンスが託されてしまう。あと映画のせいではないけど、DVDのパッケージでかなり見せどころがバラされちゃってて、知らずに見てたらけっこう効いたのになあ、と思う自殺も多々あった。テレビが「当局による防衛線が張られました」と言ってたけど、そういうものが無効になる事態の恐怖を狙ってたんじゃなかったのか。“当局の防衛線”って具体的に何なんだ? それと主人公が植物原因説を採る根拠が薄弱なので、木や草がざわめいても「こちらも本気で怖がっていいのだろうか、後で引っ繰り返される仕掛けがあるかもしれないから中途半端に怖がっておこう」と用心した気分で見ることになり、もひとつのめり込めない。でも「いったい何が起きてるの?」って不安は、アメリカのトラウマになってるんだなあ、とは思った。ヒッチコックの『鳥』の、シナリオにあって最終的には使われなかったネタに、車のルーフの引っ掻き傷ってモチーフがあるんだけど、それをイタダいたのかな、あそこ。[DVD(吹替)] 6点(2009-06-04 12:05:09)(良:1票)

657.  D.N.A. 動物保護運動に押されてアメリカを出たモローが、日本がリゾート化に失敗した島にやってきて…、と百年前の原作を現代風にアレンジしている。でも基本にあるのが、人=理性、獣=本能という、百年前の単純な二分化で、現在この話を描くのなら、やはり主人公を獣人側に据えて語るぐらいの視点変更が必要だろう。百年前だと、獣人たちの“父”への復讐、ってのに共産主義の脅威を重ねて見る気分があっただろうが、今だともっと根源的な、創造主への殺意という「フランケンシュタイン」以来の怪奇ものの伝統にのっとった深みに迫れたはずである。まあこの頃はもう、マーロン・ブランドがB級映画界のシンボルと化していた時代で、その期待されるB級精神に誠実に沿って作られた作品ではある。ショパンのポロネーズを弾くシーンなぞに味わいはあったが、タイトルの、リズム打楽器に乗って単細胞やら多細胞やら目やらがアップしていくとこが、一番興奮できた。[映画館(字幕)] 5点(2009-05-28 12:00:23)

658.  リチャードを探して lookingにkingが隠されてる、という原題の趣向。脚注映画というか。「リチャード三世」をダシにおしゃべりをする楽しさ。いささか啓蒙的な姿勢がなくもない。アメリカのヨーロッパコンプレックスってのは、自分たちでも自覚しているようで、それでもやはり憧れてしまうってとこが可憐である。ちょっと思ったんだけど、英語圏の俳優は、原作そのままでしかしゃべれないので可哀想だ。リズムの決まりがあるんでしょ、それに縛られてしまう。そこいくと日本はじめ外国語圏は、演出によって幾多の翻訳の中から選べるって利点があるわけ。でも、アン王女を誘惑していくあたりの言葉のうねりは、きっと英語ならではの味わいなのだろう。「リチャード三世」を日本に移し替えるとしたら、戦国武将よりやくざの世界がいいかもしれない、などと思った。[映画館(字幕)] 6点(2009-05-27 11:58:09)

659.  パラノイドパーク 《ネタバレ》 美少年がシャワー浴びたり着替えたりしているのを、舐めるように観察している監督に付き合わされた映画という気がしないでもないが、いちおう表向きのテーマとしては、しだいにヤバい感じが迫ってくる少年の心理スケッチってとこか。おどおどした気分と、そこから脱出したい願望のようなものが、絡まり合って並存している。ヤバい感じを迫るのは、桜金造似の東洋系刑事だったり、テレビの黒人アナウンサーだったりするのは偶然だろうか。イラク戦争の実感がピンと来ないという白人少年の周囲を、有色人種がゆっくりと固めていく。スケボーの上下にうねる画面と、静かに滑るような水平の移動撮影が対比的に登場する。うねる画面のときにのみ少年らは生き生きとし、学校の廊下をゆっくり移動で捉えたシーンは『エレファント』の惨劇につながっていくようなおぞましさがある。そして実際、大がかりな水平移動である貨車で惨劇が起こるわけだ。音楽が、ラジオをザッピングしているような変な使用法で、事件のときにはベートーヴェンの第九、モールを移動しているときはフェリーニの「魂のジュリエッタ」、ガールフレンドと喧嘩別れするときは、彼女の声が消えて「アマルコルド」が流れ出す。この全然合わなさが狙いなのか、分からない。フェリーニの時代の牧歌的な悪童と対比してるって感じでもなさそうだし。[DVD(字幕)] 6点(2009-05-26 12:08:15)

660.  ダージリン急行 《ネタバレ》 移動撮影が、対象を追って動くというより回り舞台的な効果を狙っていて、特徴。こっちで何かしていて、それであっちのほうは…、というふうに、対象以外にヨソミをするような移動やパンなの。横に長い列車を行ったり来たりする、そのキョロキョロしている感じがちょっと面白い。インドでの子どもの葬式が終わって、帰りのバスを待っているところ、90度のパンで、前方、横手、後方、とキョロキョロ見晴らす。でそれがなんだ、と言われると困るけど、ちょっと面白かった。しかしあくまで「ちょっと」なのであって、一本の映画としては、私には物足りなかった。それぞれ疑心を抱きながらインドを旅する三兄弟って設定はまずくなく、もっと愉快に作れそうなのだが、下手に突っ込むよりオシャレにまとめるほうを狙う監督らしく、トボケた味の笑いをつないでいくだけ。でも最近の傾向ってこれなんだよね。サラサラした触感を重視する。やたらはしゃがれるよりはいいけど、物足りなくもある。でも好みの時代の変化じゃ仕方がない、とも思う。エンディングの「オー・シャンゼリゼ」は、冒頭の短篇にまたつながっている、と考えていいんでしょうか。ビル・マーレーは日本からインドと、ここんとこアジアを歴訪しているようだ。[DVD(字幕)] 6点(2009-05-20 12:04:10)

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