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プロフィール
コメント数 202
性別 女性
自己紹介 閲覧&良票を入れて頂いた皆様ありがとうございます(*^-^*)
良票を頂けると励みになります!作品に対する意外なヨミと、読んでいて楽しいレビューを心がけています。楽しんでいただければ幸いです☆

ジャンルを問わず鑑賞していますが、ホラーを観るときは手で目を覆って指の隙間から観ますw

★好きな俳優★
M.ファスベンダー、E.マクレガー、J.ロウ、D.クレイグ、O.ブルーム、ジョナサン・リース=マイヤーズ・・・・・はい、そうです。イギリス俳優好きですw
さらには、ドナルド・サザーランド、S.ブシェミ、M.フリーマン、フランコ・ネロ、B.ウィリス、H.ジャックマン、C.イーストウッド、女性では、ユマ・サーマン、M.ジョヴォビッチ、C.セロン、A.セイフライド・・・などが好きです。

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【製作国 : アメリカ 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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121.  死霊館 《ネタバレ》 家に棲みついて悪さをしてるのは、子供を悪魔にいけにえにした結果魔女裁判にかけられ恨みを家に遺して自殺した魔女。 でもどうも、その本丸である魔女よりも 「彼女がやらせたのォー!」といってリストカットした手首を見せたと思ったらいきなりガーっと飛び出してきてドツいてくるメイドの幽霊とか、「かくれんぼしよう~♪」っていきなり真っ暗闇の地下室にひきずりこんで電気割って暗闇から手をのばしてくる少女の幽霊とか、ボヨ~ンと主人公一家の子供の背後に立ってちゃっかり写真に写りこむローリー少年の幽霊とか、魔女より幽霊のほうがなんかチョイチョイ たちの悪い怖がらせをしてくるやんって感じで 「魔女がこわいのか、彼女の犠牲者の幽霊がこわいのか、どっちかにせい!」とツッコミをいれたくなる展開であった。 さらにいえば、主人公一家の妻が魔女にとりつかれて暴れ出したので、神父がくるまで待てないってことでエドがとりいそぎ悪魔ばらいをすることになったが 最終的に魔女を追い出す方法が、十字架や聖水や悪魔ばらいのセリフなどではなく 魔女にのっとられた妻本人に「がんばれ!もどってこい!家族の思い出をさぁ思い出して!魔女を追い出して!」とみんなで励まし エスパーなエド夫人がハンドパワーで、主人公一家が海辺でワハハハと笑い転げ走るステキな思い出の記憶を注入! 最終的に”妻VS魔女”という、妻ボディの内側におけるガチバトルを妻が制して魔女を追い出す・・・という 「だったらもうこれからは、バチカンの許可もらってエクソシストの神父を出張させて 十字架だの聖水だのといった小道具や”神と子と精霊の名において・・・”なんてまどろっこしい悪魔ばらいをしなくたって のっとられた本人をみんなで励まして思い出のアルバムの写真なんかを体にペタペタはりつけて、本人と悪魔を戦わせる手法でええやん」 と思わせるような、<悪魔ばらい師不要論>が噴出しそうな、ぶっとんだ内容であった。 そして何よりも、個人的にいわせていただければ、悪魔憑依の作品は、バッドエンドでなくてはならない。 そうでなければ、ハッピーエンドにみせかけて、最後の場面で「まだまだ悪魔健在ですよ・・・フフフ」というワンカットを入れて、エンドロール・・・でなくてはいけない。 この作品については、個人的には、主人公一家が救われたものの、魔女がエド夫人に移動してしまいエド夫人が娘の背後にハサミをもってしのびよる・・・みたいなラストシーンであってほしかった。 (そう、だいたいエクソシストが登場する作品では、悪魔と奮闘したエクソシストのほうが最終的に被害こうむって終わるっていうのが王道だ) でも実話であるなら、それ以上は言うまい。 実話の映像化としては、きちんと基本をおさえて上手に撮られた作品ではある。そして、ファーミガ女史のあのなんともいえない、崩れていそうで崩れていない絶妙な均衡で美しさを構築している古典的な顔だちは、この時代のエスパー女として、当たり役であることは間違いない。[CS・衛星(字幕)] 7点(2016-07-12 10:25:08)(笑:1票) 《改行有》

122.  ローマの休日 《ネタバレ》 これまで、この映画を 「プリンセスの逃避行物語」 「王女と記者の身分違いロマンス」あるいは 「アン王女の成長ストーリー」 だと思っていた。でも、昨日あらためて見て、気づいた。 この映画はそんな軽いものではなく、全世界の人々が抱いている人生観そのものに訴えかけるものなのだ。。 アン王女は、それまでの窮屈な生活に耐え切れず、夢を叶えるべくローマ市外へ飛び出した。 ジェラード食べ歩き、カフェで飲食し、タバコを吸い、美容院でお好みのヘアスタイルにして 無免許運転でベスパをすっ飛ばし、船上パーティーでダンス…。 彼女がやってみたかったことは、ことごとく叶えることができて、彼女はそれで満足したはずだった。 彼女がやりたかったことが、それだけなのであれば、心おきなく王女生活に戻れるはずだった。 だが、思いがけずジョーを愛してしまう。 それは、彼女がこっそり街へ抜け出してしたかった夢のリストにはなかったこと。 そう、彼女がやってみたかったことは、食べ歩きや船上パーティ...のような娯楽だと思っていたのに、 実は自分が恋した相手とずっと幸せに暮らすことだったのだと、ジョーと川辺でキスをして彼の部屋に戻ってから気づくのですね。 私は今までそこまで深く考えずに見ていて、ジョーとの恋はジェラードや船上パーティーと同じカテゴリーの”彼女が体験した非日常”の1つとしてカウントしていたのだが、それはとんでもないミスだった。 ジェラードや船上パーティーなどの自由行動は、これからの未来、王女として戻って彼女の人生の中になくてもそれはそれであきらめはつけられるレベル。 でもジョーとの恋は、あきらめつかない・・・。 ”自由気ままに楽しいことをする”じゃなく”たった一人の愛する人と共に過ごす”ことこそが、彼女にとって本物の夢だった。 そしてようやくつかみかけたその本物の夢は、彼女が手離さなきゃいけないもの。これ以上に苦しいことがあるだろうか? 彼の部屋に戻っての会話。アン王女「何か食事作りましょうか?」ジョー「台所ないんだ。食材もない。いつも外食さ」 アン王女「それでいいの?」・・・その後にジョーが言うセリフに、全てが集約されていて、心がしめつけられた。 「Well, life isn't always what one likes・・・is it? 」 (人生っていうのはいつも、望みどおりにならないもの・・・そうだろう?) その言葉を受けてアン王女も「そうね・・・」と答える。 「人生が望みどおりにならないだろう?」 というセリフは、独り身のジョーの心情だけでなく、アン王女のその時の「愛するひとと結婚してご飯を作ってあげたいのにできない」という心情でもあり、 そして、この映画を見ている人達が常に、日々心に抱いている心情でもあるだろう。 何十回も見てきたこの映画。実はこのセリフがナンバーワンの名ゼリフではないだろうか? あなたもきっとこの映画を見たら、人生思い通りにいかない自分の姿をアン&ジョーに重ねて、共感することマチガイナシ。[CS・衛星(字幕)] 10点(2016-05-05 20:37:18)(良:2票) 《改行有》

123.  エリジウム 《ネタバレ》 この作品でひっかかったのが、マックスの幼馴染の女性の、白血病にかかった娘が「森に住んでる強い動物が木の上のエサを全部食べちゃって、小さな動物が死にそうになったけど、カバの背中に乗って木の上のエサを食べることができたのよ」って思わせぶりにマックスに話す場面。 弱った小動物=自分 カバ=マックス といいたいのだろうが、マックスがそれを自覚して「カバは何のトクがある?」ときくと「友達になれたわ」と答える娘。 てことはなんだオイ、娘は「さぁさぁ私を助けなさい。そうすれば私が友達になってあげるわよ?さぁどうなの?フフッ」って言いたいわけか。 なんたる、こまっしゃくれた娘(笑) 血さえつながってはいないものの、今まで一緒に遊んだよとか、昔娘に助けてもらった恩があるよとかならともかく ついさっき会ったばかりで言葉も交わしていない間柄なのに、マックスの包帯をマキマキしてあげてマックスに純真そうな上目づかいでカバ話をすれば、無料でエリジウムに連れてってくれて病気を治してもらえると思ってのことなら、なんとまぁ計算高い娘よ(笑) ゆえに、マックスが自爆ボタンとなるキーボードのエンターキーをポチンと押してカクンとなっても、「命無駄にしたな」としか思えない残念な展開。 そもそも主人公を自爆させるってのは、映画的にはハイリスクハイリターンだ。 オチのネタバレになるのでタイトルは伏せるがジャン・レノ主演のアレとか、ブルース・ウィリス主演のアレで描かれた”自爆して愛するものを救う!”は、私てきには、しっかりとしたプロットのおかげでハイリターンになっていると思っている。 ということで、それなりの脚本・映像・音楽を主人公のために用意ができないままマックスを自爆させちゃったのは最大の誤算。 ・・・といいつつ、「第9地区」を思い出させるホコリくさい画面に引き込まれたのも事実(自爆)[CS・衛星(字幕)] 6点(2016-04-11 20:44:39)《改行有》

124.  パワー・ゲーム 《ネタバレ》 ゲイリー・オールドマン。 悪役俳優としても有名。 でも本人は「悪役ばっかりはイヤ!」と、悪役オファーを断るようになったものの、自身が製作・脚本・監督を担った渾身の「ニル・バイ・マウス」を作ったものの大コケしてしまった後は、その借金を返すためにその後連続3作(フィフス・エレメント、エアフォース・ワン、 ロスト・イン・スペース)で悪役を演じる辛酸をなめた。 だが彼も年齢を重ね「悪役は絶対イヤ!」とゴネることもなく、来るもの拒まず・・・というスタンスなのか、悪役もぼちぼちこなしている様子。 そんな近年の悪役作品が「パワーゲーム」だ。 しかし、年齢を重ねたゲイリーの悪役は、渋みと重厚な雰囲気のみで、若かりし頃に見せたあのエキセントリックでサイコちっくな悪役の彼はそこにはいない。 FBIに逮捕され、パトカーに押し込まれる彼のラストシーンは、若かりし頃に見せたあのインパクトの大きな退場シーンと比べてなんと印象の薄いことか。 私は間違いなくゲイリーには、若い頃の作品で見せたような”爆弾の束で爆死”、”パラシュートに首をからませて落下死”とか”流砂に吸い込まれてフェイドアウト”といった、まぶたに焼き付いて離れない強烈なラストシーンを求めていたのだろうと思う。 ・・・といいつつも、「パワー・ゲーム」においては”権力を牛耳る悪いオジイサンたち”として、かつて「エアフォースワン」で敵対しあったゲイリーとハリソンの戦い第2ラウンド!ということで、「今回の勝敗はいかに!?」という視点で楽しむことはできた。 (結果は引き分け) 「権力やカネよりも、”家族”、”友情”、”恋人”が大事ダヨネ!」 というもっとも至極なことを、大御所俳優を駆使して大作仕上げになっているし、実際のところ面白く見ることはできた。 ただ、イケメン主人公が会社をクビになった仲間同士と、どこからカネをひねりだしたのか高層ビルの一室に事務所を設立して、 カノジョともヨリを戻してビルのエントランスでイチャイチャチュッチュなんていう 「ボクにはハッピーエンドな未来しかありません♪」 …的な終わり方はちょっと都合が良すぎるのではという不愉快さ。 せめてあのイケメン主人公が、下町のさびれたスーパーでエプロン姿でうなだれながらレジ打ちをしているところにカノジョが現われ「まずはお客と店員からはじめましょうか」くらいの、明るい未来を暗示する程度の場面で終わってほしかったところである。[DVD(字幕)] 5点(2016-04-11 08:17:12)(良:1票) 《改行有》

125.  スケルトン・キー 《ネタバレ》 弁護士ルークは見るからに怪しくて、絶対あとで悪者キャラを全開させると分かってはいた。 だが、まさかジャスティファイが何人もの人間にとりついてきたその最新バージョンの姿だとは想像もできなかった。 あの屋敷があやしさ100%なのに、なんであのオバアチャンは無理にそこに住んでいるのかなぁ・・・と、不思議に思ったけれど、つまりはあの屋敷でコキ使われていた黒人の召使いが「お屋敷ごと乗っ取ってやったぞ、クワッハッハッハッ!」ってことなのですね。 屋敷の子供たちの体をのっとって身代わりとして殺させたり、屋敷の主の夫妻を死においやった時点で彼らの恨みは晴れたのだから、その後もああやって延々と若い体に乗り移り続ける理由はよく分からなかったのですが、ディズニーの「プリンセスと魔法のキス」もニューオリンズが舞台で、ママ・オーディという200歳設定のブードゥー教の呪術師が登場していたことから想像するに、ひょっとするとニューオリンズの呪術師は”長生き願望”が強いのかもしれませんね? でもそうなるとギネスの長寿世界一は、常にニューオリンズの呪術師さんってことになって面倒ですね?笑 その「プリンセスと魔法のキス」でも、ブルースが頻繁に出てきたり、黒人、沼地、ワニ、そして呪術が出てきたりしていたのだけど、実際に「スケルトン・キー」で同じものがリアル映像として出てきて、実際のニューオリンズのジメっとした質感が分かって、なかなか興味深かった。 それにしても、あの呪術が載っている本。英語で「パパ・ジャスティファイのレシピ本」と書かれていて、なんだか、のどかな料理本みたい笑 「フードゥー」じゃなくて「マーボードーフ」のレシピとか載ってそう。[CS・衛星(字幕)] 8点(2016-03-16 19:34:59)(良:1票) 《改行有》

126.  コンスタンティン この映画、大天使ガブリエルのティルダ・スウィントンと、ルシファー(サタン)のピーターストーメアの2人だけが記憶に残った。 この二人はキワモノ演じさせたら、ドンピシャリな役者だ。 人間離れしたお顔のティルダは「ザ・ビーチ」の怪しい集団のリーダーや、「オンリーラヴァーズレフトアライヴ」のスタイリッシュなドラキュラや、「スノーピアサー」のクレイジーなおばさんといった、ミョウチキリンな役が本当にピッタリだ。 そして今回は、ゲスな大天使役で私の心をわしづかみである。さらに目をひいたのはそのファッションだ。 初登場シーンでは180cmの長身にマニッシュなブラックのパンツルックでモード系なガブリエルかと思いきや 終盤で表れたときの彼女は、病院で患者の腕につけるリストバンドを何連にもつけレースアップのパンツのすそとクラッシュ加工のオフホワイトのタイトな衣装が終末感漂うポスト・アポカリプティック系なガブリエルだったり。 なんともファッショナブルなガブリエルで、お洋服が大好きな私にはかなりのツボである。 そもそもガブリエルは聖書でも男か女かはニュートラルなキャラなので、中性的なティルダにはまさにピッタリだ。 そしてサタンのピーター・ストーメア。彼も「マイノリティ・リポート」の怪しすぎる眼科医や、「8mm」の怪しすぎるAV監督のように、ちょろっと数分出ただけでもうその存在感が主役さえ圧倒するキョーレツな個性の役者だ。 そんな彼、期待を裏切ることなく、今回も数分間だけの登場でキアヌの存在感すら圧倒する怪しすぎるサタンを演じきってくれた。 正直、ガブリエルとサタン以外は、憑依モノによくある流れなのでどうでもよく、実際、CS放送で録画したこの作品を見終わったあと、”編集”を使ってガブとサタンの登場シーン以外は削除した。 ガブ&サタンのPV映像としてこれからもたまに見て楽しむ。[CS・衛星(字幕)] 5点(2016-03-16 19:12:05)《改行有》

127.  ジャンゴ 繋がれざる者 《ネタバレ》 私はバイオレンス映画を好まない。タランティーノの代表作キルビルシリーズも見てはみたものの、ユマサーマンが美しいこと以外は、「やっぱりバイオレンス映画=血を好む人種のための作品」という既成概念をさらに固定化させただけだった。 しかし「イングロリアルバスターズ」を見た時からタランティーノは何かを持っている、と感じた。 その予感は、イングロリアルバスターズの次に作られた今作で、確信となった。 私が思うに、タランティーノも若い頃はただ「いかに残酷なバイレンスシーンを描くか」にだけこだわっていたと思う。悪役も、どこかマンガちっくなフィクションのキャラだった。 しかし、若い頃は何かテレくさくて隠していた、あるいは潜在意識の底で眠っていた”まっとうな正義”を、堂々とさらすことに抵抗感がなくなったお年頃に、彼もようやくなったということではないだろうか。 ナチスという悪を批判する「イングロリアルバスターズ」、そして黒人奴隷制・黒人差別を批判する「ジャンゴ 繋がれざる者」という”2大歴史上の悪”を、彼らしいバイオレンスの世界にサラリと落とし込み、見事に彼なりの”正義感”を表現した。 私はこの2作を「タランティーノ風味 社会派ドラマ2部作」とあえて言わせていただきたい。 彼らしいやり方で、”歴史上の悪”(ナチスと黒人蔑視の白人)に怒りの制裁を加える作品であったという共通点以外にも、これら2作では、面白い共通点があと2つ。1つは「イングロリアル~」ではヒトラーのいる映画館を、タバコの火で着火させたフィルム爆弾で業火で焼き尽くした。「ジャンゴ」では、ムッシュキャンディの手下達のいる邸宅を、パイプの火で着火させた爆弾で業火で焼き尽くした。タランティーノ式でいけば、極悪人は地獄の炎に焼かれて死ねということなのだろう。 もうひとつは、クリストフヴァルツが、この2作でアカデミー助演男優賞を手にしていること。同じ監督の2部作(だと私は思っている)で、連続受賞とか、かなりスゴイことだ。実際のところ、今作も彼の存在感は素晴らしすぎて、その話だけでこのコメント欄を埋め尽くすことが可能なくらい。敵との言葉での駆け引きのシークエンスは毎度見事で、彼の演技とタランティーノの脚本の華麗なるハーモニーといったところ。 「ジャンゴ」で描かれる黒人への残酷な虐待描写も、<タランティーノ=バイオレンス畑>という先入観で見れば「なんて残酷な!」と感じるだろうが、実際のところ黒人奴隷への虐待は、描写されているそのとおりの話であって、史実どおりの表現をしたまでのことであって、残虐なのはタランティーノではなく歴史上実際に奴隷をいたぶった白人達である。 ちなみに「当時は奴隷達がこんな目に合わされていたのか・・・」と、映画を見て知るという側面については、今作に限らず、たとえば「それでも夜は明ける」のように淡々と奴隷への虐待を描かれる作品でも知ることができるが、あちらは実話をもとにした映画がたまに陥る”脚色不足によるダラダラ感”が目立ち最後も”痛快なオチ”でもないわけだが、「ジャンゴ」のほうがやはり作られたストーリーであるがゆえに、飽きることなく鑑賞でき、”学び”と”面白さ”の一挙両得な作品で、黒人奴隷問題を描くものとしては、私は「ジャンゴ」が現段階でナンバーワン!だ。 そして劇中でシュルツの馬車を襲撃するために集まった白人達が、たいまつを持ち穴をあけた袋をかぶっているのだけど、穴のせいで前がよく見えないからかぶろうか外そうかでショーモナイ言いあいをしているシーンは、間違いなくKKKに対するタランティーノ式の風刺w[CS・衛星(字幕)] 10点(2016-03-02 19:12:27)《改行有》

128.  スラムドッグ$ミリオネア 《ネタバレ》 何度も見ましたが、いやー何度見ても泣ける。どこで泣くかっていうとラストのジャマールとラティカの感動の再会。 ギューって抱き合って、そして普通ならそのあとの展開はクチビルでブチュッ・・・と思いきや、ジャマールがクチビルを寄せたのが、ラティカがちょっと前にワルにつけられた、ほっぺたの”ナマ傷”だってところで泣きます。 いやーもう、泣くね。泣く。ほんと泣く。 ラストシーンのキスなんて、私はひねくれてるんで、感動の対象じゃないんですが、この映画のこのキスシーンは感動がはんぱないです。 その傷にチューしたあと、映像が一瞬元に戻るっていうか逆走するんですが、そこでまたさらに泣けてくるんです。 彼女がワルにほっぺたにナイフで傷をつけられるところから、どんどん逆走して、ワルにつかまるところになって、さらに逆走して、つかまる前に電車の駅で、2階にいたジャマールを見つけた1階のラティカが、彼を見上げて、はじめて素直な輝くような笑顔を見せるんです。 それまでのラティカはいつも「どうせワルから逃げられない」っていうアキラメ心に支配されていて、ジャマールとうまく一瞬会えたときも、曇ったような困ったような顔しか見せていなかったのですが、そのときは、それまでインド各地のワルい人達にタライマワシにされるがままの、抵抗もせず運命に流されるがままだった彼女が、生まれて初めて自分の意思で、ジャマールに会うために、がんばってワルから抜け出して待ち合わせ場所に来た、そんな彼女の、ほんと素直な、こぼれんばかりのキラキラした笑顔だったのです。 なので、ほっぺたのナマ傷にチューをしたジャマールは、心の中で「ボクの中にいるキミは、あの駅で最後に会えたあの君の笑顔の、傷のないきれいなままのキミだよ」って、やさし~く言ってる気がしまして うーーーん、なんてマロヤカな男なんだチクショー!って、感動して泣いちゃうんですね。 まぁここまでに至るまでに、何度再会してはワルのせいで離ればなれになってしまったか・・・っていう、彼の悲惨な人生の積み重ねがあったので、それゆえ、感動もひとしおなのですが。 でもやはりこの映画のすごいのは、そういう感動を最後にもってくるための、それまでの”悲惨な人生ドラマ”を、チンプな作品のように、ただダラダラと見せるのではなく、クイズミリオネアの問題の答えが、たまたま”悲惨な人生ドラマ”の中で偶然得た経験の中にあって、昔を思い出すだけでどんどん正解を重ねていくという。。。なんともシャレた表現の仕方だということです。 あなたは小学生時代に初恋のひとがいたとして、運命が何度も二人を割いてもなお思い続け、大人になって成就するなんて経験ありますか?(同窓会で再会してそのままホテルへGOとかそういう下世話な例を除く) ないでしょう、だからこそ、この二人のラブストーリーに泣けてきちゃうのですね。 あ・・・そうそう、シャレたといえばもう一点。 冒頭で「なぜジャマールはクイズミリオネアで正解することができたか」っていう問題が文字で出てきて、実際のクイズみたいに A、答えを知っていたから B、ラッキーだったから って順番で表示されて、最後に D、運命だったから って出てくるのですが ラストシーンのキスのカットで、画面が時間停止したあと、左下に小さな文字(冒頭に出てきたときと同じサイズの文字)で D、運命だった って出てくるんですよーーーーあーーーーもうソコ思い出しただけでまた泣けてきたーーーやばいーーーーーボイルやばいーーーーw このラストのコレを見て初めて「そうか!この物語は、スラムドッグの無学の男がクイズ番組で全問正解して大金もちになるサクセスストーリーじゃなく、幼い頃に出会った初恋の少女との恋が成就することが“運命だった(it is written)"ことを描いていた作品だったのだな!」 と、頭がゴッチーーーンとやられちゃいました。 ついでにそのD、It is writtten という文字がだんだんフェイドアウトするんですけど、Dって文字だけ残って、そのDがDirected by Danny BoyleのDになるという・・・ くーーーーッなんて策略家なんだ・・・くーーーーッくーーーーッ!!ボイルめーーーッ!!!(隣にいたら、100回くらいヒジテツ食らわしたい) ちなみにワルになっちゃったお兄ちゃんもね、最後の死にざま、かっこよかったです。あの画面作りは誰にもマネできない。あまりにも鮮やかすぎて。私もお札風呂にゆっくりつかりたいものです。 そしてエンドロールでかかる「らりほー♪らりほー♪」って歌はサイコーです。[CS・衛星(字幕)] 10点(2016-02-26 13:25:03)(良:1票) 《改行有》

129.  イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密 《ネタバレ》 中学時代に母親にシネスイッチ銀座へ連行されてイギリスのホモ映画「モーリス」を見て以来、イギリス人のホモ文化には違和感のない私。 いやそれ以前に、小学生からリアルタイムファンだったボーイジョージもジョージマイケルも同性愛だったし(ファンとまではいかないがクイーンのフレディもエルトンジョンもそうだし)大学の卒論でとりあげた英文学者モームも同性愛(厳密に言えば両性愛だが)だし(ついでにオスカー・ワイルドも同性愛だし、「モーリス」書いたE.M.フォースターも同性愛だし)とにかくイギリスは同性愛者で成り立ってるんじゃないのかとさえ思うほどにイギリスの同性愛に違和感のない私。 そんな私から見ると、この映画は、”叶わぬ初恋を引きずり、亡き恋の相手の後を追ったホモ男の生涯”という見方もできる。 学校で初恋をした、暗号が得意な男子生徒クリストファーは心打ち明ける前に病死 ↓ そのトラウマを引きずりながら大人になると、手がけた暗号解読マシンに亡き初恋のクリストファーと名づけ彼の幻影を復活させる ↓ 戦後にそのマシンが極秘作戦の証拠として残らぬよう破壊を命じられたが「ボクのクリストファーを殺さないで!」と言わんばかりにコッソリ自宅保管 ↓ ホモ有罪判決を受け「服役で部屋にいるクリストファー(というマシン)と離れるのイヤ!」と言わんばかりに、服役代わりのホルモン治療の刑を受け入れる。 ↓ でもやっぱりホルモン療法で同性愛癖が消されたとして、それでクリストファーへの想いまで消えてしまうなら、「今クリストファー(というマシン)と共に命を絶つほうがマシ!」と言わんばかりに自殺し、天国にいるクリストファーのもとへ昇天 といった流れである。 この物語は 「へー、エニグマ解読マシンてのがあったんだー」 「へー、開発して有効利用されるまで紆余曲折があったんだー」 という表面的な”しらなかったー”、”おもしろかったー”だけではすまさせない、開発者が同性愛であるがゆえの、もうヒトヒネリなドラマ性が、単調で終わらない面白さを生み出していると思う。 この映画がただの暗号解読マシン開発者の奮闘話だったら5点だったけれど、同性愛要素が入ってひねりがきいていたので7点である。 ちなみに映画冒頭で盗難にあった彼の部屋で彼が青酸カリを掃除してる場面があったので、ひょっとして自殺は青酸カリかな?と思って調べてみると興味深いことにやはり青酸カリで、しかもベッド脇にかじりかけのリンゴがあったことや、彼が「白雪姫」の毒リンゴを模した自殺をほのめかしていたことから、リンゴに塗った青酸化合物を口にしたのではという分析があるらしい。 とすれば、彼は同性愛の男としては”女役”(同性愛でもやはり男役と女役の役割分担がある)として、自分をいじめから守ってくれた”男役”クリストファーを愛していたのだろう。 「リンゴをかじって死んで、次に目覚めたときには目の前に王子様(クリストファー)がいるはずだわ」なんて、乙女な思考だったに違いない。 アランはリンゴを口にする前に、暗号解読マシン(クリストファー)にそっと最初で最後のキスをしちゃってたかもしれない。[CS・衛星(字幕)] 7点(2016-02-22 14:17:04)(良:1票) 《改行有》

130.  マイノリティ・リポート 《ネタバレ》 今年から数えれば14年前のSFながら、シャープでクールなハイテク機器がかっこよく、予知夢で犯罪予防とかユニークな設定だし、展開もトントン進んでかなり引き込まれた。 しかし、結局はジョンの息子は誰がさらってどうなったかは分からずじまい。ラストシーンでジョンが妻の8ヶ月目サイズの妊婦腹をさすってニンマリして、ハッピーエンドですよと言われても、ぜんぜんこっちはシャクゼンとしない。 プリコグのアガサの母が殺害された真相の解明にばかり皆が奔走していて、アガサがきらいなわけじゃないが、なんでアガサばっかりーって思ってしまう。 息子のことも解明してやれよーと。 途中まで引き込まれていていろいろな穴に気づいていなかったが、こういうオチをみせられると 「別にわざわざラマーが自らの手を汚してまでアガサの母を殺さなくても、1番目のおとりとして雇った人間がいたなら、自分じゃなくて2番目の本番の殺害用にもう一人ひとを雇えばよかったじゃん」とか 「そもそもアガサは、自分の母が不当に殺害されていたことに感づいてたなら、ジョンをいきなりガバって抱き寄せて『あれが見えるぅ!?あれが見えるぅぅううう!?』なんて半狂乱でわめかないで『お母さんはワナにはめられて殺されたのよー!』ってハッキリ言いなさいよ」とか 「ジョンと外を歩いているアガサがいきなり通行人の女性に『あなたは浮気がバレる』とか教えたり、そのうち雨がふることを予知して『傘をとって』とか教える余裕があるなら、ララの家にジョンと隠れている時に、警察に突入される直前にいきなり「ルァアアアアアアーーーーーーーン!(逃げて~)」なんて叫ぶんじゃなくて、1分くらい前に『警察がくるわ』って普通に教えてあげとけよ」とか 「予知夢による犯罪防止対策は、個人のプライバシーを侵しませんとか宣伝するわりに、街頭や店内を通りがかるたびに看板が網膜スキャンで本人確認できちゃって、所かまわず「アンダートンさん、お洋服はいかがっすか」「アンダートンさん、車はいかがっすか」みたいなノリで不特定多数の人前で本人の実名をバンバン大声で発するというプライバシー侵害しまくりの未来図ってどうよ」とか 「3人の予知夢でたまに1人の夢が一致しないこともあるという不確定さがある犯罪予知システムだっていうのに、それで捕まえた”加害者予定者”を裁判ナシでいきなり刑務所カプセルに入れるとか、テキトーすぎるんじゃないの。」とか 「ララがジョンと別れた理由は、『あなたと一緒にいると息子を思い出すから』だと言ってたわりに、なんかドサクサやってるうちに、妊娠してまたジョンと仲良しになってるってあなた前に言ったセリフ忘れたんかい」とか 「ジョンはラマーにハメられたあの現場に散らかっていた幼児の写真の中に息子の写真を見つけて『誘拐されてからずっと、2つのことを考えてきた。1つは息子が生きていたら今どうなっていただろうということだ。そしてもうひとつは、犯人をどうしてやろうかということだ。』なんて殺気立った顔つきで言ってたわりに、息子の誘拐事件が解明されて犯人逮捕されたとか息子が生きていたとか何かしらのフンギリがついているようでもないのに、妻と次の子作りとか、なんという安易な心変わり」とか 穴という穴をつっつきまくりたくなる。 でも、ピーターストーメアーがブっとんだ目医者で登場していたので、それで加点して6点。 彼って、「8mm」でブっとんだAV監督で登場したり、「アルマゲドン」でブっとんだロシア人宇宙飛行士で登場したり、中盤でいきなり現れてものすごいインパクト残してく役者だなぁ・・・[CS・衛星(字幕)] 6点(2016-02-17 20:33:45)(良:2票) 《改行有》

131.  12モンキーズ 《ネタバレ》 この地下世界は私好み。ネオヴィクトリアン。SFのサブジャンル、スチームパンクってやつ。 あのシューシューと白くわきたつ蒸気、体に装着する器具に革ベルトが何連もついちゃってるとか、タイムマシン関連の計器がデジタルじゃなくって時計針で数字の間をユラユラ動くとか、セピアな色合いとか・・・もう、たまりません。 科学者たちの様子もどことなく科学者ではない感じが面白い。 過去から戻ったコールを寝かせた医療用ベッドでコールにかけてあげる毛布がクマちゃん柄で、医療現場っぽくないのが面白い。 実際のところ科学者軍団の紅一点(笑)ジョーンズが、実はただの”保険屋のオバチャン”であることが最後の最後のセリフ「I'm an insurance.」で明かされることで、そもそもあの科学者軍団は科学者ではなく、全員どこのどいつかも分からん馬のホネかもしれないというかなりキツい冗談設定だと分かる。 だからこそ、そんな科学者もどきな彼らが、コールを過去に送るたびにミスしまくるのも「当然」という説得力もあるし、さらにはそうやってミスを繰り返してくれることで、キャサリンがコールは本当に未来から来たのだと理解するに至る(戦争中に撃たれた弾の解析のエピソードや当時の戦争写真など)カギが作られるし、なおかつ見ているこちらも、あちこちに散乱したパズルが、じょじょに集まり完成していくワクワク感を高めてくれる。 ありがとう、怪しい科学者もどきの皆さんたち(笑) それにしてもこの映画、SFという手法を用いた、壮大かつ切ないラブロマンス映画だとお気づきですか。 コール少年はあの空港で出会った金髪のキャサリンと目があい、そして笑顔で見つめられ、その記憶は彼の脳に痛烈に記憶された。 その後ウィルスの影響ですぐに人類は滅びるが、コール少年は何かのきっかけで生き延びる。 そして、これは私の解釈だが、生き残った人類はすべて、例の科学者もどきの軍団によって犯罪者であろうがなかろうが”囚人”として収容され、過去に送る要員(ボランティア)としてずっと管理されてきた。 つまりコール少年はあの空港でキャサリンと出会った後すぐに”囚人”として収容されて40過ぎのおじさんにまで成長する。 そして40過ぎのおじさんになったコール少年は、再びまた過去に戻され、そこで再びキャサリンと出会いつかの間の愛をはぐくむのだ。(しかも最後は死がふたりを分かつ) これは偶然か?いやこれは運命なのだ。 コールにとって最初で最後の、運命の女キャサリン。 そしてコールは、これから未来えいごう、何度も何度も、45年前と45年後の世界を、何度も何度も何度も何度も往復し、そして何度も何度も何度も、愛する人との出会いと別れを経験するのだ。 こんなに切ない一生が他にあるだろうか。 彼は1996年でウィルスによる人類滅亡を生き抜いたその時から、過去に送られて最終的に死ぬまで、何度あの空港でのキャサリンの夢を見たのだろうか? (1996年から2035年は39年間なので、それだけの長い間、何百回とあの夢を見たのではないか。) コールが空港の夢を見る場面は劇中に何度か挿入され、そのつどコール少年の顔のアップも何度も出るが、ラストのシーンでコールが空港で撃たれて倒れた時にキャサリンと目があったコール少年の目には、涙がこぼれていた。 それまでの夢シーンではあえて涙目をふせられていたが、最後の最後に、その涙が映し出された。 「会ったことのないこのひとの様子を見て、なぜ涙が出るの・・・?」 コール少年は涙を流しながらそう思ったかもしれない。 でもそれは、彼女がコールの無限ループの中に生きる運命の女性だから。 中盤あたりで、安ホテルでコールがキャサリンに「I want to be stay here,this time・・・with you」と言ったセリフにあった「this time」は今回こそは」という意味で、それは再び未来の世界に戻りたくないというだけでなく、再び無限ループの中で彼女と別れを繰り返すのはもう終わりにしたいという思いもあったのではないか。少なくとも彼は自力でウィルス拡散を止め、1996年に留まり彼女と永遠にずっと一緒にいたかったことは間違いない。 しかし運命は・・・・ そこを心に刻みながら、あの最後の空港の場面で涙を流すコール少年を見たら・・・おのずと私の目からも涙がこぼれてきた。[CS・衛星(字幕)] 10点(2016-02-16 11:55:13)《改行有》

132.  アバター(2009) 《ネタバレ》 100デシベルで叫ばせて頂きます。 「私は公開時に劇場で3Dで見たときは映像にのけぞっただけだった。 しかしあれから7年・・・ TVで2Dで見たら、不覚にも泣いて中味に感動しまくったじゃないかぁ~~!!」 はい、そうなんです。劇場で見た時は、ただただパンドラ星のユニークさや3Dで存分に楽しめるように計算されつくした映像にのけぞっただけでした。 しかしTVで、小さな画面で2Dで見ることで、そうした映像にいい意味で気が行き過ぎず、内容に集中できたようです。これは予想も期待もしていなかった状況。 見終わって思い返してみれば、この映画で語られているのは ●「自然破壊をするのはアカン」というメッセージ。 さらに話し合いによる共存主義者(グレイス博士グループ)VS軍事力で制圧・支配主義者(大佐グループ)の対立を描く事で ●「話し合いをせず、武力で解決しようとするのはアカン」というメッセージ。 さらにさらに人間達が戦闘機で先住民ナヴィの女子供も無差別に殺戮していく展開は ●「テロによる市民への攻撃およびその居住地域への侵略はアカン」というメッセージ。 このようにいたってシンプルで当然至極なメッセージばかり。それらは、これまで作られてきた映画で既にイヤと言うほど語られてきて、使い古されたメッセージでもあります。 なのに! なぜこうも激しく心を揺さぶられるのか?劇場で見た時より、TVの小さい画面で2Dで見た時の方が、涙腺を緩めさせられるのか? おそらく小さいTVで2Dで見る事で、映像にだけ気がとらわれなくなり、そうしたメッセージをダイレクトに感じ取れるようになったためだろう。 私だけではなく多くの人達が「分かってはいるけど、やっぱ便利なほうが快適」と思って数々の直接的あるいは間接的な環境破壊を招く暮らし方をしている。 そして、話し合いより武力を重視している国が存在していて、それらの国の脅威をどこかで感じはいるけれど「とりあえず自分は巻き込まれてないし、今日という日を楽しく過ごせればオッケー!」と思って自分の周囲5m以内の平和を満喫している。 そうした『分かってはいるけど、とりあえず見てみないフリ』している問題は、おカタい人達がコメントしているニュース番組で語られていると、心に住む悪魔によって良心が仮眠状態にさせられていて、真正面から受け止めることはできない。 しかしその『分かってはいるけど、とりあえず見てみないフリ』している問題が、娯楽映画ゆえに自らすすんで軽い気持ちで乗り込んだこの「アバター」の世界で、鮮やかに突きつけられることで、「ニュース番組じゃないから今大丈夫ね」と悪魔がのんびり油断していたために良心はハっと目覚め、心が揺り動かされるのではないだろうか。 難しい歴史の勉強も、分厚い教科書を読むとなるとやる気がうせるが、面白いマンガで描かれるとグイグイ引き込まれ、理解し、楽しめる構図と似ている。 さぁあなたも アバターのユニークな世界に乗り込んで 良心の扉を開けてもらい、心を揺り動かしてもらいませんか? (鑑賞するなら最初は2D、その後3Dの順番が絶対オススメ) 補足①:ジェイクが最後、人間をやめてナヴィとなった4つ理由。 1)ネイティリとずっと一緒にいたいから (そりゃ当然だ) 2)自由な脚で駆け巡ることもできるから(あなたがもし不自由な体なら、その動機を否定できないはず)  3)軍人出身なのでつい『武力で解決』という大佐側についてしまい、ナヴィの村を襲わせるきっかけを作ってしまった。それを悔いているからこそ、ナヴィの敵である”人間”を完全に離脱することを選んだ  4)だってエイワが彼を選んだから(ネイティリが彼を木の上から矢で射ようとした際に矢の上にエイワが留まった時、エイワは「この男はナヴィを率いる者となるであろう」と言っていた。(たぶん)) 補足②:革新的な要素やユニークなものが沢山つめこまれたこの傑作映画が、アカデミー賞では、「ハートロッカー」のプロデューサーが作品賞に投票する審査員たち(これまでアカデミー賞で作品賞を取った映画のプロデューサーたち)に「アバターではなくハートロッカーに投票してくれ」という裏工作のメールを送信していたことにより、不当にあの駄作「ハートロッカー」に票が集まり、最優秀作品賞を奪われたことは、本当に許しがたい事件である。 アカデミー賞の前哨戦であり、アメリカ、アジア、ヨーロッパの映画記者による”客観的かつ公平な評価”で賞が与えられるゴールデングローブ賞では、監督賞、作品賞ともに「アバター」であることを、ここでしっかりと明記しておきたい。[CS・衛星(字幕)] 10点(2016-02-14 12:51:36)《改行有》

133.  ザ・ウォーク 私、第81回アカデミー賞授賞式が大好きでDVD録画したものを何度も見返しています。で、見るたびに発見があって面白い。先日も見ましたら、今年の授賞式を「主要部門に黒人が入っていないのは差別だ」としてボイコットを奥さんが呼びかけて一緒にボイコットする予定のウィル・スミスがちゃっかり登壇してて「あ~この時はボイコットしていなかったのだなぁ」とか。 で、長編ドキュメンタリー部門が今回、大発見でした。長編にせよ短編にせよドキュメンタリー部門にはハリウッド俳優や女優が出ていないのである意味地味で印象に残らないので、今まで何度も見直してもそこは半スルーぎみだったのですが、今回見た際、オスカーとったのが「マン・オン・ワイヤー」っていう作品だというのに気づいて「あれ?」って思った。 「あれ?これって「ザ・ウォーク」みたいですけど!?」と。 早速調べてみるとご名答。やはり「ザ・ウォーク」同様、フランス人大道芸人がツインタワーを綱渡りした話の作品でした。(もちろんドキュメンタリーなので現場でご本人を撮影したもの) http://www.espace-sarou.co.jp/manonwire/ (ちなみにマン・オン・ワイヤーの公式サイト) 授賞式のスピーチでは、プティご本人が登場。コインを消す手品とかオスカーをアゴに乗せてバランス芸・・・とか。いやぁこんな面白い場面あったかなと、これまで半スルーぎみだったのは不覚でした。 ということで、モチベがあがったところで「ザ・ウォーク」をとりいそぎ鑑賞。 今は亡きワールドトレードセンターをCGで復活させ、俳優を使って、ドキュメンタリー映像では映せないようなアングルからの映像もあったりと、映像的にはスキのない安定した面白い仕上がりでした。 ただ、ドキュメンタリーのほうは、ガチンコ本番ですよ。しかも現在はテロで消えたあのワールドトレードセンターが本物の状態で出ている。 当然、演技でもなく、当然、CGもなし。リアルに綱の上で踊り、寝る。ちょーリアル。 だから、演技でCGで描かれたゼメキス版は、3D使って映画館鑑賞をすればドキドキ迫力の画面ですが、DVDになってもドキドキするっていえば、リアル映像には、叶わないのでは。 なので、今回のアカデミー賞ではどの部門にもかすりもしなかった。どんなに3Dがすごいっていっても、「視覚効果賞」すらかすらなかった。アカデミー会員のなかには、かつて「マン・オン・ワイヤー」が受賞したことが記憶にあって、あえて「ザ・ウォーク」への投票を控えたひともいたのかもしれないですね。 でもゼメキスは嫌いじゃないです。扱うテーマを間違っちゃったかな。 「マン・オン・ワイヤー」と「ザ・ウォーク」。せっかくなので両方見比べてみるのも面白いかも?[映画館(字幕なし「原語」)] 5点(2016-02-02 09:53:24)《改行有》

134.  スター・ウォーズ/フォースの覚醒 《ネタバレ》 ルーカスが無名時代SWを作る際、映画会社に「給料はいらないから、続編を全てを作らせてくれる確約をくれ」と言ったほど、彼の頭で作り上げられたストーリーは完全なものであり、彼が愛し、伝えたかった物語だ。 つまりEPは1~6をもって幕を下ろしたわけで、今さら「フォースの覚醒」といわれても、無理やり覚醒させるなよと、「寝た子を起こすなよ」と、思うわけである。 ディズニーの手に堕ちた今作は、”差別撤廃”をポリシーとするディズニーによって、マイノリティーである”女”と”黒人”をドまんなかに据えられた。 しかしだ。 私は人種差別主義者ではないが、SWは白人男子が主役のジュブナイルでなくてはならないと断言する。 4~6の幕開けとなる4でルークが主役だったように。 1~3の幕開けとなる1でアナキンが主役だったように。 周囲の思慮深い大人達に囲まれて、自らの宿命に従って時に戸惑いながらも成長していく少年や青年の物語でなくてはならない。 今回のような、すっかり成人の、女性と黒人。これはもうSWではない。 またSWには”イケメン枠”が必ずあるべきだ。 3~6では「キャンディキャンディ」(たとえが古くてすみません)の、まろやかイケメンのアンソニーにあたるのがルークであり、不良系イケメンのテリーにあたるのがハンソロである。 王道2タイプのイケメンがセットされていた。 1~3では、ユアンマグレガー、熟男リーアムニーソン、青年期のアナキン。いろいろなタイプのイケメンがセットされていた。 しかし今作ではメインキャラにイケメン枠がなく、パっとしない男ばかりである。 また”イケメン枠”と同時に”姫枠”も必須だ。 3~6ではレイア姫。 1~3ではアミダラ女王。 「強い女」がウケると勘違いされている現代だが、姫を守るイケメン男という構図はSWの”形式美”といってもいいほど重要なものである。 現在のディズニーは、ウォルト時代の「白雪姫」「眠れる森の美女」といった、姫とそれを救うイケメンという構図を「古い!」と切り捨ててばかり。 だから昨今のディズニー映画では、姫が登場しても男まさりでイケメンの活躍に期待しないタイプが多い。 カエル女も、ラプンツェルも、アナ雪も、ヒロイン達は男の活躍をさしおいて、むしろ男をリードしちゃってる。 SWは、時代が変われど、姫と彼女を助けるイケメンという古きよき夢物語を具現化することで、人々の心に「あぁ何かなつかしい。何か落ち着く」というノスタルジーをかきたててくれるのだ。 ジェダイ・ナイト(=騎士)というワードもそれを象徴している。 実際ルーカスは「子供に聞かせるおとぎ話として作ったのがSWのきっかけ」と語っている通り、SWは騎士と姫を軸に愛と冒険が繰り広げられるおとぎ話であるべきなのだ。 対するディズニー版SWは、各所にSWらしさを散りばめてはいるものの、”白人少年のジュブナイル”や”姫とそれを守るイケメン”という枠を超え、不文律を冒してしまった。既にアウト。 さらに「今後は同性愛キャラも否定しない」と、公の場でエイブラハムはシレっと言い放っていたので今後は一層SW本来の軌道から外れていくのだろう。 結論をいえばディズニーは [SWの世界観が面白いからそういうSF作りたいけどパクリだと言われたくないんでカネにものいわせてルーカスから権利を買い取り堂々と合法的にパクリ映画を作ります♪] ということであり [パクリ映画を作るにあたっては白人少年ジュブナイルとか姫とそれを守るイケメンという枠はとっぱらって我々のポリシーである差別反対の象徴でもある”女”と”黒人”を前面に出してまいります♪] ということである。 そしてその”女”。姫どころかゴミ集め屋・・って、ディズニー映画「ウォーリー」の設定のリサイクルかよ。 制作ドキュメンタリーも見たが「CGでは砂粒一つの表現にこだわってより現実感を出した」と何かのチーフが自慢げに言ったけど、大事なのはやはりストーリーなのだ。 4は、どんなに古臭いチープな特撮であっても、何度見ても引き込まれる。 こうして幾つもの大事な事を忘れた今作は、当然アカデミー賞主要6部門どれひとつかすりもしなかった。 最後にBB-8について。 あの動きがムダに多くてクルクル回転する映像で目を疲れさせるだけの雪だるま、ほんとダサイ。監督のデザインらしいですが、大失敗。 名前もあの雪だるま型を意識してBとか8を使ったのだろうが、「BBクリーム」や「チョコラBB」とかの製品名とかぶってるから、名前までダサイ。[試写会(字幕)] 1点(2016-01-19 22:13:51)(良:9票) 《改行有》

135.  ビッグ・アイズ 妻の絵はビッグアイズ。 その夫はビッグマウス。 そういうこと。[DVD(字幕)] 4点(2016-01-19 21:29:34)(笑:1票) 《改行有》

136.  ベイマックス 《ネタバレ》 ベイマックスが自分がこの世から消えるのを承知でヒロを生かすために身を滅ぼすシーンで、次女(小6)が号泣していたが、私はそれほどでもなかった。 ベイマックスって、かわいいが、しょせんロボットやんという冷めた心があったのかも。 ベイマックスのする事なすことはすべて、ヒロの兄がディスクに書き込んだプログラムによる作動でしかないし、優しさやスキンシップも大切なひとを失った人のケアの仕方をパソコン経由で自主バージョンアップしたり、つまり、ヒロにみせるすべての言動は、ベイマックスの感情ではなく”感情風”なのだと思うと「面白~い」とはおもえても「泣けるぅぅぅ」とまではいかない。 あと日本語ではベイマックスはケアした後に「あなたは大丈夫ですか?」と聞くのだけど(そしてケアした相手が「大丈夫だよ」と言うとミッションコンプリートになって充電用ケースに戻るのだけど)英語で視聴すると、ベイマックスは「Are you satisfied?(あなたは満足しましたか?」って聞き、ヒロが「I'm satisfied」と言うとミッションコンプリートとなる。 私の場合、その”満足”っていうワードが、CMでよくある「顧客満足度ナンバー1!」みたいな、サービス業者みたいな感じで、どうも安っぽく、企業的なノリのベイマックスに感情移入することに違和感があったのもあるだろう。 使用後のご感想は1から10で言うとどれに該当しますか? アンケートのご協力ありがとうございます。 今後の顧客サービス向上のためこのデータを利用させていただきます。的な。 ベイマックスはいったん滅ぶものの最後の場面では、ヒロを救うために放った自分の”ロボ手”にハードディスクを握らせてあって、ヒロがベイマックスの外側を作り直して、そのハードディスクを入れて、はいベイマックス復活♪みたいになっちゃったのも、少ししらける。 「ローマの休日」のアン王女と新聞記者が、最後はそのまま駆け落ちして二人の愛をまっとうしちゃったみたいなストーリーを見せられたような気分だ。 ピクサーは、「インサイド・ヘッド」でリンボンを、命を賭して友を救うという泣けるキャラを投入する勇気があるのだから、ベイマックスを復活させないという筋書きの選択肢は不可能ではなかったと思う。 リンボンはサブキャラだから消してもいいけど、ベイマックスはメインキャラだから消せないという判断だったのだろうが、結果としては私は復活前提で消えたベイマックスでは泣けず、二度と戻れないのを覚悟で消えたリンボンは毎度見るたびに号泣、である。 それに「リメンバーミー」でもほら。。。(ネタバレになるので自重) ベイマックスはベイマックスが主人公のようでいて、実際の原語タイトルは「Big Hero 6」なのだから、あくまでもベイマックスは主人公ヒロの相棒であって、どうしても途中で抹殺しちゃいけないキャラではないはず。 命は1回きりだからこそ、身を滅ぼして誰かを救うことに価値があり、人を感動させるものではないだろうか? そして、あれだけ泣いた次女だが、見終わったら 「でもヒロたちは仮面男をやっつけるのにあんな面倒なパワースーツとかベイマックスのバージョンアップするより、マイクロボットを倍の数作って対抗すればよかったじゃんね?」と、これまた冷めたことを言っていた。 私としては、キャラハンの娘を危険にさらし、キャラハン教授を鬼に変え、ヒロの兄が巻き添え爆死する状況を作った、そのそもそもの大凶源クレイが、結局そんな大打撃受けないまま終了しているところに”これでいいのか”感がいっぱいである。 とはいえ、全体としては無難にまとめたダイナミックな映像。 結局ディズニーピクサーはどんな話でもこういうアクション的要素はどこかにすべりこませてくるので、チカラワザで7点をつけさせられた感はいなめないが。 最後に。ゴーゴー・トマゴという名前が「キルビル」のゴーゴー・ユウバリを彷彿させたのだが、英語圏ではゴーゴー・ナントカっていう名前がけっこうあるのだろうか?[DVD(吹替)] 7点(2015-12-02 12:11:03)(良:2票) 《改行有》

137.  ゴーン・ガール 《ネタバレ》 話しが進むにつれて 「妻がダンナを犯罪者に仕立て上げてハメるための偽装工作じゃねえか! 」 ってなって 「だったらダンナはかわいそうだな・・・ 」 ってなったと思ったら 「ダンナは浮気してたんじゃねえか! 」 っとなって 「だったらケンカ両成敗だな・・・ 」 ってなって 終盤になってくるとこれはもう 『ゴジラVSキングギドラ』的な、どっちもどっちでどっちもヤバイみたいな、やばいもん同士の戦いという様相になっていくわけなのだが それはそれで面白かったと思う。 善VS悪ではなく サイコ悪(妻)VS世俗悪(ダンナ) という図式は、それなりに新鮮であった。 だが、この映画の脚本がアウトだったのは 妻の浮気夫への復讐が、偽装工作(穴だらけで超へたくそ)をして失踪し、夫を殺人犯として逮捕させて、最後は死刑にさせる(ひょっとしたら死刑にならないかもしれないのに)というかなり面倒くさい遠回りな復讐方法であったことだと思う。 「彼女はそういう面倒くさい復讐方法をするひとなんです」 って言われたらそれまでなのだが 脳内短距離スプリンターな私(つまりまどろっこしいのは苦手)からすると 「どうせバレる偽装工作して詐欺罪で捕まるようなリスクをおかすより、家も車も浮気夫の妹のバーの名義もぜんぶ妻名義なのであれば、名義人の特権をいかして全部売却しちゃって、家ナシ車ナシのスッテンテンにして追い出しちゃえば、そのほうが簡単・確実かつ即効性のある夫への一番の復讐になるんじゃないの」 としか思えなかったのだ。 ラストシーンも、夫か妻のどちらかがどちらかを殺すとか、白黒ハッキリさせて終わることなく 「これからこの夫婦どうなるだろうね~」 というモヤっとした終わらせ方であったが、こういう”後の事は観客に丸投げ方式”は、制作側にとって無難かつ手抜き(なのになんか思わせぶりで秀逸な終わらせかたに見せられる)な終わらせ方だとあえて言わせていただきたい フィンチャー監督作品は、「セブン」「エイリアン3」「ベンジャミンバトン」「パニックルーム」など好きなものも多いが、この「ゴーンガール」「ゾディアック」「ゲーム」など、おもいっきり私としては落第点な映画もあり、明暗のギャップがかなり激しい。 ということは、これはもう監督がワルイのではなく、とりあげる作品のネタがワルイとしたほうがいいのかもしれない。 ゴーンガールは映像やテンポはとてもよかったので、うん、きっとそうだ、ネタが問題ということにしておく。[CS・衛星(字幕)] 2点(2015-12-02 11:56:11)(良:1票) 《改行有》

138.  ポセイドン・アドベンチャー(1972) 《ネタバレ》 海洋パニック映画における "脱出の際必ず一度は水中にもぐらないといけない” という黄金ルールをつくったのがこの映画なのではないだろうか。 さらには、どの場面でも役に立っておらず、奮闘もせず、誰かを助けもせず、ネガティブオーラ全開で、難所にくるたびに「私はもうムリー!」「私はここにいるー!」などと、いちいち面倒発言を連発するヘタレ歌手のノニー(足手まとい度200%)が生き残り組に入っているのだが 脱出系映画における ”脱出成功して生き残るのは、意外と、どーでもよいキャラ” という黄金ルールを作ったのもこの映画ではないだろうか。 「神なんてくそくらえ!」な牧師も小気味よく、仲間が死んでも「神の御許へ安らかに・・・アーメン」なんて言わずに 「どうしてこんな良い人を!」とか「何人いけにえがほしいんだ!」とか、まっこうから神とバトルしている。 かなりパンチのきいたキャラで、このアウトサイダーな牧師のダークヒーローっぷりは 「神父なのに!?」「脱出作戦のリーダーなのに!?」というギャップを生み出し、この作品をより印象的なものにしているだろう。 ところで、この映画は何十回も見てきたけど今回初めて気づいたのが、最後の難関エリア突破の場面(牧師がハンドルをまわして蒸気をとめてストンと落ちるあの場面)で、奥さんが死んで呆然として、もう脱出なんてどうでもいい・・・みたいになってた刑事のおじさんに向かってマーティンが「それでも刑事かよ!」と、言いたい放題のことを言って発破をかけたとき、刑事のおじさんが上目づかいにマーティンをにらみつけ 「オゥケイ、ジュー!」(OK、ユダヤ野郎!)って言ってたことに気づいて いくらシナリオとはいえ、ユダヤ人差別はなはだしいな・・・と思ってふと調べたらマーティンをやった役者は本当にユダヤ系アメリカ人だった。(よけいやばくないか)[DVD(字幕)] 8点(2015-11-13 16:26:44)(良:1票) 《改行有》

139.  運命のボタン 《ネタバレ》 なんやなんや! この世界で欲深で誘惑に弱く自制がきかなくって自己中心的なのは女やといいたいんかー! アダムとイブが楽園追放されたのもそもそもイブが悪いっていいたいんかー! イナズマがあたったあのオジサンが”あの方”の部下になって、人間達をボタン使って”試す”とか、なんか新約聖書のニオイぷんぷんやないか! 神はヒョウ(気象現象のほうの)とイナズマを送って地上に火を放った(出エジプト記9章より)的な、懲罰っぽい設定とか! そういえば時期設定がクリスマスで外にしょっちゅう雪ふってたけど、それがヒョウと関連づけてるんやろ! そうや、それにあのボタン赤かったから、赤いリンゴのかわりなんやろ!え? で、それを手にしちゃうのは、夫婦のうちのいつも奥さん(女=イヴ)だといいたいんやろ! じゃぁあの”あの方”の手下のヤケドしている男は、いってみればヘビみたいなもんかいな!   なんやなんや!私も女やけど、ボタンおすのは毎度女のほうでわるかったなー! そんな、ボタン押したら100万ドルもくれるなんていわれたら、いつも家計がギリギリでサイフとニラメッコしていつも頭かかえて気にもんでいる主婦のほうが、押したい衝動にかられるのは当たりまえやないかー! あの箱配るのは勝手だがなー!たまには「100万ドルの札束なんてお尻ふき用に使えるわねホホホ」程度にしか思わない大富豪の家に配ってみれや! ”あの方”がどこのどやつかしらんけどなー!宇宙人だか神だかしらんけどなー! 99%の貧困層の上にいる1%の富裕層が支配するこの格差社会の地球上で、弱小市民が経済的に追い詰められる状況を、神か宇宙人かしらんが、おまいたちに分かるんかー! カネに左右されない世界に住んどるおまいたちに、オカネの苦労がわかるんかー! ビンボー人の気持ちが分かるんかー! 消費税8%が10%になるのに軽減税率がコメだけ対象だとエンゲル係数ハネあがって日本に中間層が消滅するとかそんな問題抱えてヒィヒィいっとるワレワレの気持ちがわかるんかー! そうやそうや!おまいたちに、弱小市民に「他人の死かカネか」を選択させる権利などあるんかー!  神が宇宙人かしらんけどなー! 堂々と出てこいやー!! まじこの作品、世界中の一般家庭の主婦を敵にまわしたな。[DVD(字幕)] 2点(2015-11-12 19:58:29)《改行有》

140.  インターステラー 《ネタバレ》 娘の部屋の本棚にある本の奥はブラックホールの中でしたってのは、のび太君の部屋の机にある引き出しの向こうはタイムマシンでしたっていうのと同じくらい、奇想天外な世界観。 本棚の裏からトンツートントンツーも面白かったが、それ以外に面白かったパートは2つ。 マット・ディモンが来ていた星は住めない星なのに、無駄に信号を送って呼び寄せたあげく、マコノヒーを殺して生き延びようとするという、まさかの展開と NASAの偉い人による「ゴメン…住める星なんてないんだ」発言からの、ラストでアンハサウェイがたどりついた星でヘルメット脱いで普通に呼吸しちゃって重力も通常な感じでトコトコ歩いてるっていう「えっ…ここに住めるやん笑」というまさかの展開である。 ただ、地球を救う系の作品って、小惑星がドーン!とか派手な理由が多いが、こちらは地球環境変化というリアルな理由で、年を追うごとに悪くなる一方…ってところは、昨今の海水温度の上昇で日本列島に強烈な破壊力の台風が必ず規模の大きさを毎年更新しながらやってくる…っていういやぁな現実と重なって、地味に暗い気持ちにはなる。 とはいえ、地球救済映画は、だいたいにおいて主人公は死ぬのだけど、この映画では死なないっていうところはスゴイ。 娘はおばあちゃんになったがギリギリ生きててマコノヒーと再会できちゃったし。 アンハサウェイに至っては、成り行きでカレシが先に行っていた星でカレシと再会できてるっていうオチだったし、しかも立派ななコロニーまでちゃっかり出来てる景色のシーンを見せて終わるものだから、ここまでハッピーエンド祭りな地球救済映画はなかなかないと思う。[DVD(字幕)] 7点(2015-10-19 11:41:23)《改行有》

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