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自己紹介 After shutting down my former blog, I'm writing some boring stories at new site. Anyone who's interested in, come along if you'd like to.

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【製作国 : スウェーデン 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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1.  ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女 《ネタバレ》 スカパーで、長尺を4話に分割してドラマ放送されたものを見ました。たぶん、内容は同じはずです。 …う~ん、正直言って、見なくても良かったかな。 見ても見なくても良かった、ではなく、見なくても良かった、かな。 この原作者のヒトはヘビースモーカーのうえ不健康な生活で若死にしましたが、なにか、そういう「無茶」な感じが、「お話」にも流れている…ように思いますね私は。 リアリティつーもんが、これっぽっちも、ないがな。 キャラクターの誰一人として、現実に居そうではない。 起こった出来事も、有り得なさ過ぎるうえ、必然性を感じさせるようなテクも別にない。 なんかこう、地に足が、ぜんぜん、着いとらん。 「突飛」すぎ…はっきりいって、誰に対してもシンパシーを感じないし、「こんな出来事が起こるかも!」「こんな出来事が本当にあったかも!」とも、1ミリたりとも思えない。 これは「女性を憎む男たち」にまつわる話ということになっていますけど、もうそれがその、「露骨」すぎるんだよなあ。当然のように近親相姦あり、当然のように連続レイプ殺人があり、エロいオヤジは当然のようにレイプする。リスベットは主人公とサッサと寝る。 目を背けたいシーンも、はっきりすっきり全部見せる。 なんか、あけすけなんだよなあ。 これが北欧流…ということなんでしょうか。もともとは海賊が住んでたような野蛮なとこ?ですし。よくわかりません。 全体的に、ショッキングな事件に対するタメが足りないし、事件の衝撃度に比べて関係者のリアクションも足りない。 私はこういうのって、どうも拒否反応が出ちゃってダメですね。 1話ものと割り切った使い捨ての犯罪ドラマなら、なんでもなくスルーするところですが、れっきとした原作者つきの大作しかも3部作でしょう。それでコレなのか。 「好きじゃない」だけでなく「ダメである」と思う。 3部作の第2~3作目も放送予定ですが、私はもういいや。[CS・衛星(字幕)] 3点(2011-02-27 23:13:39)(良:1票) 《改行有》

2.  アフター・ウェディング 《ネタバレ》 最近、こういうずっと揺れてる映像ツラくて仕方ないですわ。みなさんヘーキですか。ちっとは年寄りのことも考えてほしいよなあ。だいたいコレなんか若者向けってわけではないでしょうに。 さてヨルゲン役のデブ俳優さんは、あの体型で刑事ドラマの主役を張ってたりしますから、むこうでは売れっ子みたいです。…あのようなブヨブヨ状態の役者が重宝されるというのは文化の違いを深~く感じざるを得ません。 それはともかく、コレなあ、本当に女性のカントクさんが撮ったのかなあ、と私は疑いますね。 かいつまんでいうと、2人の男の人が、「守るべきもの」をめぐって悶々とした人生を送る(一人は死ぬ)ということですね。 ここでは、「守る」の対象は「女子供」ということになっていて、「グローバルな自然環境」とかではありません。「女」と「子供」をいとも簡単にひとくくりにすることも「?」なら、「女子供」=「保護の対象」というそのあまりに迷いのないスッキリした姿勢が…現代女性が監督したものとは到底信じられぬ。 もしかするとこういう根強い思想ってのは、狩猟民族に独特なものなのかもしれませぬなあ。 しかし、時代は現代なのである。シガニー・ウィーバーがリプリーをやってから20数年たっているし、ヨーロッパなら女だって首相になる国もある。デンマークにも「時代」は訪れているはず…? ああなのに、なのにこの作品では男たちは「守らなきゃ!!!」といってほとんど脅迫神経症みたいになっているのである。40過ぎた美人のニョーボと、もう結婚している18歳のムスメを誰が守ってくれるのだ!!!そうかそれならボクに後をまかせなさい!!!……ヘンだよなあ、やっぱり。 そんな感じの、とってもヘンな話でした。共感も感動もとくにありません。ラストのシーンだけは、ジェイコブの「守りたい脅迫症」が自己満足であったことを示しているのかなあ、と思われますが、そのシーンにたどりつくまでにジェイコブやヨルゲンがそれを自覚するようなシーンに欠けていますから、このシーンだけでは締まりが悪いです。[CS・衛星(字幕)] 5点(2010-02-15 21:43:16)《改行有》

3.  酔いどれ詩人になるまえに 《ネタバレ》 運よくブコウスキーのドキュメンタリーと続けて見ることができたために、作り手の意図もよくわかったし、ディロンが良く勉強して役作りしたこともわかった。 ブコウスキーオールドパンクとセットで見て初めて良さを感じる作品ですたぶん。 とにかく似ている!ディロンが似ています。肩をすくめたような姿勢といい、穏やかで人を食った物言いといい。 この映画だけを見ると、「ここに至るまでのブコウスキー」と「この先長い人生を生きたブコウスキー」が無いために、社会不適応者でアル中の30男の日常、というだけなのであんまり面白くはない。 が、「6歳から11歳まで父親にムチで殴られた少年」が、「天才詩人としてカルト的人気を集めて74歳で白血病で死ぬことになる」までの「中間」の風景をそのまま切り取ったものであるとして見てみて初めて価値を持つのだと思う。被虐待児の成長後の姿ともいえるし、また天才の不遇時代の姿でもある。その意味では映画としては未完成、ブコウスキーファンにしか消費されない…ともいえる。 「まだ何者にもなっていない時代のある男性」として見ることで、ブコウスキー本人が言っていたように「種火を消さないことこそが重要」という人生訓として見ることができなくもないが(本人は成功訓とか人生訓とか垂れるわけはないが)。実際、滅茶苦茶な生活をしていてもチナスキーが作品を出版社に送り続ける(ポストに入れる)場面は一貫して挿入されている。 さて現実のブコウスキーのしゃべり方は「ブルー・イン・ザ・フェイス」で見たルー・リードにそっくりであった。これは逆で、ルー・リードが真似たというのが正しいのだろうたぶん。出身地も生息地も全然違うのに、話の内容も似ているし、目をつぶっていたら間違えそうなほど似ていた。ルー・リードが故意に真似ていないとしたらとても不思議だけど、共通しているのは「諦観」のようなものだ。 ミッキー・ローク主演作のあまりの不出来ぶりに腹を立てていたブコウスキーに見せたかったディロンのそっくりさんぶり。おっさん喜びすぎてあの世で心臓発作でも起こしかねないな。[CS・衛星(字幕)] 7点(2009-03-09 14:44:15)(良:1票) 《改行有》

4.  やかまし村の春・夏・秋・冬 《ネタバレ》 前作では、ほとんどが子供中心の描写で、極力大人を描かないように意識して撮られたように思った。 続編では、けっこう大人が出てきたりセリフも少しある。あくまでも、「子供の耳に聞こえた大人の話し声」としてではあるけれど。 私はリサのお父さんが大好きなのです。あのもったりした口ヒゲの。 なんというか、大人の男性が備えていなくてはならない美質をちゃんと持っている、という感じがする。 吹雪の帰り道、リサたちが偏屈な靴屋の家に避難していたとき、お父さんがソリで現れる。 子供たちは火のそばにも勧められず、温かい飲み物も提供されず、ただ、屋根の下を借りていただけの状況で、扉の開け閉めにも靴屋に怒鳴られていた。…現れたお父さんは、一瞬のうちにそんな状況を察していただろう。 けれど、「子供に対してひどいじゃないか」とか「もっと手厚くしてもバチは当たらん」とか「あんたは冷たい」とか一切文句を垂れずに、お父さんはただこう言うのだ。「グドー、グドー(こんにちわ)」と。 これは、優しくない靴屋に対して「あなたは、共同体のメンバーとして最低限の事はしてくれた。子供たちに軒を貸してくれただけでも、じゅうぶん感謝していますよ。ありがとう。」という意味である。そして、相手が非礼だからといって、己も非礼を真似することは潔しとしない、という子供たちへの教育にもなっている。なおかつ、「あなたが優しくなくても、私はこうしてあなたに対して礼を尽くしますよ。それに対してあなたの態度は恥ずかしくありませんか?」という相手への一撃でもある。…そして、グドー、グドーと言われた靴屋は、それ以上何も言えなくなってしまう、というワケだ。 ああお父さん、あなたはすばらしい。すべての大人の男性のみなさんよ、お父さんを真似ましょう。そして平和な世の中が…やかまし村にしか存在しませんね、やっぱり。 「やかまし村」は、ハルストレムがフィルムに焼き付けた人類の理想郷だった。もしかして監督は、「宇宙へのメッセージ~私たちの地球ではこんな暮らしをしています」といって、無人ロケットに搭載するような気持ちでこれを作ったのではないかしら。あながちマチガイではないと思う。[CS・衛星(字幕)] 8点(2007-12-13 20:14:45)《改行有》

5.  秋のソナタ 《ネタバレ》 自らも娘を捨てた過去をもつバーグマンが、あえて挑んだ母親役なのだと思う。バーグマンが見て欲しかった相手は、捨てた娘だけであろう。 娘役のウルマンはどこまでも母を責め、母のバーグマンは一応は許しを乞うがまた元の生活に戻っていく。接近した惑星どうしが、また遠ざかっていくような感じがある。 娘というのは母親に完璧を求めるもので、特に母親が「女」を発揮すると一生許さない。娘にとって、母親は「女」であってはならないのだ。 娘は「あんたはこんなにひどかった」と言いつづけてネタに事欠かないが、それは「こうであってほしかった、ああであってほしかった」という際限の無い要求の裏返しで、ヨソのお母さんと比べたらひどいということではなく結局のところは「母親として完璧でなければ許せない」なのだ…けれど、完璧な母親が存在しないということはいくらなんでも娘もわかっているだろう。どこの世界でも、娘は妥協して生きている。 けれど、エヴァにはヘレーナが居た。かつてヘレーナが母親の恋人に恋したとき、母親はあてつけに4日も早く旅立って恋人を取り戻した。意地悪をして、ヘレーナの恋心を踏みにじったのだ。それが原因でヘレーナの病状が悪化したとエヴァはいう。もともと母の恋人だろうが、母は娘であるヘレーナに対し「成熟した女」としてまともに威力を発揮してしまった。これは大マチガイだ。母親が娘と張り合ってはいけない。母が女を発揮するだけで娘は許せないというのに、これは最悪だ。だから、許せない。幼少の頃から構ってもらえなかったとかいうことだけなら、たぶんエヴァもヘレーナも母を許せたのだと思う。 そんな情けない母親でも、エヴァは過去を直視してほしい、少しでも母親らしくなってほしいという希望を捨てられない。無視しきれないのだ。けれど、作り手ベルイマンも、演じ手バーグマンも、こう思っているのではないかと思う。「母親に何かを期待するのは無駄である。」と。 完璧な母親はいない、すべての母親はシャルロッテほどひどくはなくとも足りないところがある、そして母親であろうとも一人の女として好き勝手に生きていく。娘は母親の人生に対して干渉しようにも完全に無力であり、それを傍観せざるを得ないのですよ、という意味のエンディングだと思う。 それにしても、リブ・ウルマンという女優さんは首が太くて肩もガッシリしてごついなあと思った。[CS・衛星(字幕)] 6点(2007-12-13 19:42:45)(良:1票) 《改行有》

6.  やかまし村の子どもたち 《ネタバレ》 われわれが普段よく見ている映像世界では、「平穏無事な風景」というのは、その後の異変の前ふりであるのが常である。よって、平和な風景を見ながら、「来るぞ来るぞ」という予感に捕らわれているのがいつもの状況だ。 「やかまし村」のような作品を作ったということは、そういう「緊張感ある映像」に対するハルストレムからの「異議申し立て」という意味があると思う。曰く「幸せや平和が続いてもいいじゃないか」。 緑あふれるスウェーデンの風景の美しさ、そこに住む人間の性質の良さ、ひたすら癒される。癒されるのだが、「やかまし村」を見る際に、無視できないことがある。「己との落差」である。 世界中の観客が「やかまし村」を見るだろうが、見たときに感じる思いは、国や地域によってかなり違うのではないかと思う。 「やかまし村」は、あまりにも平和で幸福で美しいために、見る者は「やかまし村と自分の間の距離」を意識せざるを得ない。よって観客自らの「幸福からの距離」を確認するための最適なツールとなる。たとえばマイケル・ジャクソンなら、まさにこのような幼年時代を送りたかったと嫉妬にかられることだろう。犯罪者に見せたなら、このような幼年時代を送れていれば、犯罪者には育たなかったのに、と思うだろう。北朝鮮で飢えている人民に見せたなら、同じ地球上の出来事とは思われず、よその星のこととしか思えないだろう。アメリカで家庭に銃を備えている人々に見せたなら、「やかまし村」の無防備さに不安を感じるだろう。 映画「やかまし村のこどもたち」とは、見る人の幼年時代や社会状況が「やかまし村にどのくらい近いか」を測ることにより、「案外自分の幼年時代も悪くなかった」なり「自分はこんなに不幸だったのか」と気づかせたりする作用がある。おそらく地球上に、「やかまし村」以上に幸福な幼年期を送れる場所はないからだ。…罪な映画である。 「将来もこの村で暮らしたいから、村の男の子と結婚するの」…すごいことを言わせる。これこそが、共同体における究極の理想だ。 犬を貰い受けるエピソードが印象的。お父さんは、どうやって偏屈な靴屋と話をつけたのかが非常に気になる。「やかまし村」では、「金や物」で話をつけるはずはない、と思うからだ。[CS・衛星(字幕)] 8点(2007-12-02 18:37:22)(良:1票) 《改行有》

7.  エヴァとステファンとすてきな家族 《ネタバレ》 例によって殺人も起きず、ゾンビも幽霊も宇宙人も出てこない映画である。例によってというのは…スカパーを導入したことにより、チャンネルの選択という必要不可欠な行為を通して、自分自身の好みというものをはっきり認識せざるを得なくなってきたからです。で、殺人も起きずサバイバルもせずゾンビも幽霊も宇宙人も出てこない映画というのは自分にとって異物(数ある映画のジャンルの中で)なのだなあ、という前提のもとに見てみる。 殺人も起きずサバイバルもせずゾンビも幽霊も宇宙人も出てこない映画としては、なかなかうまい見せ方である。話の省略の仕方もおおむねよい。父親のシャワーシーンあたりはくどいが。 子供の描き方もうまい。子供ながらもステファンが父親ゆずりのマチズムをすりこまれていることを、「女の靴か男の靴か」でさりげなく見せたり、浮かれる母親の影で鬱屈がたまっていくステファンの様子を自然に描いている。 当然ながら、ムーディソンというのは映画の中で「ジャッジ」をしない。 口下手な夫に手を上げさせるまで追い詰めたと思われる未熟な母親も、口が重いから先に手が出てしまい、逃避に走って酒びたり、の父親も、優柔不断を「自由」と思い込んでいる叔父さんも、幼児なのに酒タバコを覚えたテトとそれを教えた大人も。 特に、母親の描き方が非常に微妙である。 無一文で子供を連れて家を飛び出す割には、弟に頼るという依存心、他のコミューンのメンバーへの迷惑を承知しながら、口をつぐんでいるずるさ、家を出た開放感でいっぱいのあまり、子供のメガネが壊れたことにも気付かず浮かれ遊ぶ中年太りの母親。 私は、他のメンバーよりもなによりもムーディソンは「母親」の変化を描きたかったのだと確信する。 この状況では、父親の謝罪を受け入れ夫婦が和解し、迎えに来た父親と一緒に一家が帰っていく、というのが普通である。 だからこそ、母親が「あなたを愛しているけど帰らない、育児と家事に縛られるのは二度と嫌だ」と言い放つところこそが、衝撃のラストだったのである。なんだかほんわかムードでごまかされて終わるけどもー、ここは「家族学(そんなものがあれば)」的に考えればショッキングな場面なんだ本当は。 そして、ムーディソンはさらにすごいことをほのめかす。「パパがここに住めばいいんだ」。 それが「TOGETHER」の意味なのか。…私はちょっとムーディソンがこわい。[CS・衛星(字幕)] 6点(2007-08-23 12:29:36)(良:1票) 《改行有》

8.  アンビリーバブル 《ネタバレ》 ホアキンは出すぎではないだろうか。一時のニコール・キッドマンに感じたような「見飽きた」感がそろそろ湧いてくる。 売れっ子ホアキンにしてみれば箸休め的な参加とも思われるこの作品、余裕の表情で語るホアキンに比べ、クレア・デインズはかなり消化不良でストレスがたまっているように見うけられた。不条理には向かない女優さんかもしれない。 しかし、見るほうにしたってこれを消化するなどということはほとんど無理。消化など考えずに「雰囲気」だけ味わうのが無難である。 監督・脚本のヴィンターベアが飛行機で世界中を飛び回るという地に足の着かない生活を送るうちに、このアイディアを思いついたという。 それは何かというと「この世界が自明のものではなくなるのではないかという漠然とした不安」であり、それを映像化したということだ。「不条理」である。 「孤独になると心臓が悪くなって死ぬ」も「7月に雪」も「ウガンダで人が飛ぶ」も「妻のそっくりさんが3人出現」も、それ自体に大した意味があるわけではなく、すべて「漠然とした不安」の現実化なのである。しつこいようだが不条理なんである。 がここに、「不条理」と「退屈」は紙一重である、という危険がある。 例えばスコセッシの「アフターアワーズ」では、「不条理」を描いて「退屈」を遠ざけるに足る「芸」が凝らされていたと思う。「不条理」を描くには「だからなんなの」と観客に言わせない「芸」を必要とする。 残念ながら、「雰囲気」は充分出した本作だが「芸」があったとは言えない。 「スケート」という要素にしても、「なぜスケートでなければならないのか」を観客に納得させるだけのものがなく、「単なる思いつき、監督の趣味」の範疇を出ない。 「孤独になると心臓が悪くなって」の部分などは、それこそ邦画「回路」のパクリとしか思えぬ。 「回路」のテーマは「生きてる人間は助け合え」で、本作の場合は「愛こそすべて」。…似たり寄ったりである。 全体としては、「回路ヴィンターベアバージョン」といっていい作品である。が、やはり経験不足ということなのか、資質の問題か、己の思いつきを適当に散りばめたのみ、という結果。おしゃれな店などで、バックグラウンドに流しておくにはいいかも、という程度。「不条理」から「退屈」を遠ざけるには、この監督さんには荷が重過ぎた。[DVD(字幕)] 5点(2007-03-10 00:01:21)(良:1票) 《改行有》

9.  歓びを歌にのせて 《ネタバレ》 もうちょっと違う展開を期待して見たのだった。 ダニエルは音楽のプロだ。 究極のプロと素人以下の村人合唱団。この二つが出会った時の驚きとか、ダニエルの力によって有り得ないほど底上げがされるとか。 ところが話はほとんどどうでもいいような村人のプライベートなもめ事で埋め尽くされ、音楽に力が割かれていない。ダニエルの音楽家としての素晴らしさが描かれない。それじゃつまらない。 そんで一番若くてきれいな女の子とエッチまでして、あーあ、指導者としての矜持はどこへ。 結局一番描きたかったのはなんなのかよくわからない。興ざめ。 [DVD(字幕)] 4点(2006-09-23 16:38:30)《改行有》

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