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プロフィール |
コメント数 |
73 |
性別 |
男性 |
ホームページ |
http://6018.teacup.com/337/bbs |
年齢 |
54歳 |
自己紹介 |
心の機微が感じられる作品が好きです。 絵に携わる仕事をしていますが、映画を映像面から語ることが苦手です。 映画の社会的道徳は常に考えますが、基本的にエンターテイメントを冒涜するようなツッコミはしないのが観客のモラルだと思っています。 全体のバランスよりも、ただのワンシーンにノックアウトされたい。 |
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1. ドッグヴィル
《ネタバレ》 最高に気持ちのよい映画だった!面白い!
虐げられ、犯され、裏切られ、最後に大反逆の町人皆殺し!
私は歓喜しました。なんて単純明快な復讐劇でしょうか。
「ソドムの市」でファシストたちを撃ち殺せなかったフラストレーション
を、この映画はサクッと解消してくれました。
白線で構成されたセットは、演劇を意識したものかと最初は思ったけれど、
途中から古いコンピューターゲームを連想。ドラクエのように、壁の向こうに
誰がいるのか丸わかり。しかし役者たちはその見えない壁を意識しながら
自分を演じる。まさにそれは我々の姿だ。なんという発想!
奇跡のように美しい二コール・キッドマンの首に鎖を繋ぎ、犬のように扱う背徳。
抵抗できない彼女に男は肉欲を露わにし、女は嫉妬を歪ませる。嗚呼、なんて醜い。
改心する機会は幾らでもあった、奥底では間違いにも気付いていた、
それでも変わらない、変えようとしない人間なんて、犬以下だ。
人を許すことは時に、自らの救済に繋がる。人を許すことで、自らは優位に立つ。
自分は別の、良いものになれたような錯覚に酔える。
しかし衝動は消えることはない。外に向かわないものは、しっかり内に蓄積される。
投げられた球は投げ返せ。やられたらやりかえせ。そうして人間は当たり前の
距離感を手にしていくんだ。その行動が善か悪かなんて問いはやめておこう。
私はたとえ悪であっても、やる時はやるぜ。その時は装ったりなんかしない。
純粋に牙を剥くだけだ。そう、ラストシーンの二コールのように。10点(2004-07-23 07:21:06)(良:3票) 《改行有》
2. ダンサー・イン・ザ・ダーク
この映画でトリアー監督が見せたかったのはビョークという歌姫であり、脚本から救済の要素を(不自然なくらいに)排してしまったのは、彼女を浮かび上がらせるための仕掛けの一つだと私は受け取りました。映画はフィクションであるからこそ楽しめる側面があり、観客には場面に応じて主観と客観を行き来する自由がある。私はこの映画を観ている間、ビョークのステージを堪能するためにずっと引いた視点で通しました。
全てが悪い方向へ転がり落ちていく現実のシナリオ。対比するのは、ジーン・ケリーやアステアが見せてくれた幸せなミュージカル映画の世界。くっきりした明暗、だからこそビョークの歌声に何かが宿るのを感じられた。しかしメジャーな興行にのせたために多くの純粋な観客を傷つけたことを思うと、手放しに賞賛することが憚られる。手持ちカメラで撮られた現実は三半規管への刺激を蓄積。追い討ちをかける生理的にショッキングな結末。現実のシナリオはひたすらに嘔吐を誘発する。監督が意図して人体の錯覚を利用しているような気がしないでもない。
観る人を選ぶ大人の童話。支持も不支持も、間違いなんかじゃない。 ただ一つ、ミュージカルとしてはダンスのスキルが物足りなかった。8点(2004-01-10 15:40:51)《改行有》
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