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プロフィール
コメント数 731
性別
自己紹介 奥さんと長男との3人家族。ただの映画好きオヤジです。

好きな映画はジョン・フォードのすべての映画です。

どうぞよろしくお願いします。


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人生いろいろ、映画もいろいろ。みんなちがって、みんないい。


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【製作国 : 日本 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順1
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1.  アフロ田中 いや~、笑った笑った。フィルムとDVDでもう10回以上は見たけれど、そのたびにナミダを流しながら笑わせていただいた。そしてそのナミダには、笑いすぎてと同時に“感動の涙(!)”すら交じっているのだった。劇中の田中ではないが、ソレッテ、凄イコトナンダヨォ~と、声を大にして申し上げたい。この映画は単なる童貞男子のドタバタ悲喜劇でありながら、それ以上に【ザ・チャンバラ】さんがおっしゃる通り極めて「知的」な批評性と、何より男たちへの“友愛(!!)”に満ちあふれたものなのである・・・  この映画が描くのは、徹頭徹尾「男子」というものの“恥ずかしさ”であり“生きにくさ”であるだろう。高校中退のブルーカラーで生まれてこのかた女性にモテたことのない、すべてにおいて“負け組”な主人公・田中。だが、それゆえに彼の意識内は、無意味な虚栄心と自己卑下、焦燥とあきらめ、期待と疑心暗鬼・・・その他もろもろの両義的な感情に常に引き裂かれている。本人にとっては切実なこのアンビバレントな感情の“ずれ”を、そのつど田中のモノローグ(というか、独りごと)で語らせる時、第三者にとってそれが実に滑稽であること。そのことに作り手たちは、ハッキリと自覚的だ。しかもその笑いは、世の男たちにとって大なり小なり自嘲をともなった苦さと“共感”とともにあるんである。そして、そうしてとった行動が、結局ことごとく裏目に出てしまう・・・そんな主人公を、同じ男子たるもの誰が愛さずにいられようか!  主人公の内面をコトバにして語らせる。一見それは、単なるコントめいた安易な手法と受け取られかねない。けれどこの映画は、その葛藤や“ずれ”を具体化することによって、そこに「笑い」を生み出すことに成功している。下手な「アクション映画」なんぞよりもっとスリリングな“(感情の)めまぐるしい動き”によって、見る者を笑い(と、共感)の渦へと巻き込んでいくのだ。そして、その脚本や演出意図をくみ取った主演・松田翔太の快(怪?)演や、彼のいかにもな友人たちを演じた共演者たちの素晴らしさ・・・  以上、特に前半に見せた過去と現在を自在につなぎ合わせる語り口の才気も含め、この映画は2012年の大きな収穫だとぼくはかたく信じるものであります![映画館(邦画)] 10点(2012-12-26 14:48:33)(良:2票) 《改行有》

2.  明日への遺言 連日、厳しく罪状を追及してくるアメリカ人検事に、主人公はある朝、こんな風に声をかける。 「おはよう、検事殿」 あくまで何気なく、何のふくみもない平凡な朝の挨拶。それに対して検事は、思わずニッコリと微笑むのだ。 時間にして1秒にも満たないかのような、検事の微笑。そこから、全編が裁判所内というこの映画のなかの「空気」は、少しずつ“軽さ”をーーあるいは“すがすがしさ”へと変わっていく。それは、「裁く/裁かれる」という対立の構図ではなく、かつては(あるいはその時も)敵同士だった者たちのあいだに、連帯が、むしろ〈友愛〉そのものがうまれたからである。 そう、藤田まこと演じる主人公の岡田中将は、何も部下たちを救ったからだとか、日本人としての「品格」とやらを示したから称賛されるのではない。この映画はそんな程度のもの(と、言ってしまおう)を描こうとしているのではあるまい。ここには、戦争犯罪人という立場でありながら、日本人とアメリカ人、原告と被告、敗戦国と戦勝国、正義と悪といった対立軸を超えて、この法廷をただ正々堂々と戦い抜こうとする岡田中将と、同じく正々堂々と戦うアメリカ側という〈構図〉があるばかりだ。その〈構図〉を、フェアネスな“空気”を実現してみせたことにこそ、岡田中将という人の真の偉大さがあった。 映画は冒頭で、醜悪で悲惨な戦争の非人間性を記録フィルムで観客に示す。そのことで、岡田中将の“もうひとつの「戦争」”が、むしろ「人間性」をあらためて信じ、取り戻すためのものであったことを、この映画は見る者の心に鮮明に焼きつける。そう、この映画は人を(あるいは国家を、歴史を)裁くのでも、告発するのでもない。日本側・連合国側を問わずこの法廷にいる者たちは、人間というものの持つ真の「崇高さ」のために、共に共闘しているのだ。そういった姿を通して、人間というものの「美しさ」を、ただそれだけを映し出そうとしたものだったと、今ぼくは確信している。  確かに、一見すると地味で派手さのかけらもない、「映画的」ですらないと思われもするかもしれない。しかし、映画がここまで「人間」の美しさ、その精神の「崇高さ」を見つめようとしたことにおいて、本作は、ぼくにとってたとえばジャン・ルノワールの作品に比するものだ。 ・・・最後に。小泉堯史監督、貴方の映画と同時代の観客でいられて、ぼくは本当に幸福です。[映画館(邦画)] 10点(2009-02-03 19:23:13)(良:1票) 《改行有》

3.  あの夏、いちばん静かな海。 北野武監督作品でも、最も美しい映画。冒頭近く、真木蔵人のボードをさりげなく持っていっしょに大島かおりのガールフレンドが歩くシーンで、早くもナミダが溢れてしまった…。日本映画史上に残る恋愛映画の永遠の名作だと、本気で信じています。10点(2003-05-26 13:02:54)

4.  愛のコリーダ 日本による中国侵略という時代背景が、なぜこの映画の中で強調されるのか。あるいは大島渚は、男(=吉蔵)を大日本帝国の、女(=阿部定)を中国のメタファー(!)として見ていたんじゃあるまいか。男=日本は、女=中国を侵略(強姦!)し、植民地とする。だが、支配していく中で、男は女の果てしない性欲の前に疲弊し(中国の長征だ…)遂には敗北していく…。そういった性=政治的な視点が、この映画を極めてラディカルかつ崇高な”女性賛歌”に仕立て上げたのだと、小生は信じとります。…にしても、藤竜也、真冬の場面であの真っ黒に日焼けした肌にビキニパンツの跡は、アカンやろ…(苦笑)。10点(2003-05-20 11:41:59)(笑:1票)

5.  愛妻記 う~む、書きたかったことはほぼ全て青観さんに書き尽くされてしまったので、それ以上付け加えることもないんだけど・・・まあ、小生もちょこっとコメントさせていただきます。 それにしても、この映画の司葉子は本当に素晴らしい。女学生時代の友人をたよって郷里の金沢から東京に出てきたという彼女は、まさに天真爛漫でいながら、それがたまらなくコケットリー(誘惑的)だ。しかも、そのことに彼女自身がまったく無自覚であること。その“無垢[ウブ]”なところが実に実に良いのであります。たぶんそれは、この昭和初期にあってもじゅうぶんに魅力的だったんだろう。だからこそフランキー堺の主人公が魅かれ、一緒になろうと決意したことも、素直に納得できる。そして、こんな貧乏作家のところに喜んで嫁いでくれる彼女のような奥さんと出会えた主人公に、大いに「嫉妬(笑)」してしまうんである! そんなふたりが、はじめて“結ばれた”シークエンスも忘れがたい。とはいえ、もちろんベッドシーン(というか、この時代じゃ“床入り”か)があるわけじゃない。司葉子がフランキー堺の下宿にやって来て、彼の部屋で朝を迎える。その明け方の場面。おたがいきちんと着物姿でありながら、それまでになかった彼女の恥じらいを含んだ様子ひとつで、ふたりがその晩に結ばれたことを、ぼくたち観客はハッキリと知ることになる。案の定、そこでフランキー堺は(貧乏作家のくせに!)「所帯を持とう」と切り出すのだ。・・・このあたりの“奥ゆかしさ”こそ、本作の美質であり、久松静児という監督の持ち味なんだろう。 ともあれ、まだ戦争の影がさしていない昭和初期の生活風景をていねいに素描しつつ、これほど魅力的なヒロイン像を造型し得ただけでも、ぼくにとってこの映画は忘れられない1本になったです。記録よりも、記憶に残り続ける映画。・・・そう、ひとりの映画ファンにとって、それこそが真の「名画」であり、宝物なのだから。 《追記》ユーカラさんのおっしゃる「軍国化」のくだりは、え、そうだったの? と思いもよりませんでした。さすがスルドイ。ただ木下恵介ならともかく、この映画の場合、ああいう兵隊たちや警察の横柄さも含めて当時の日常というかあたりまえの「空気感」であるという、それ以上の含意はないのでは・・・とも思うのですが、どうでしょう? でも、この映画って愛されてるんですねぇ。シミジミ[CS・衛星(邦画)] 8点(2008-08-21 13:48:08)(良:1票) 《改行有》

6.  アラカルト・カンパニー パリの地で、邦人相手の「便利屋」をこなしながら、デラシネ(根無し草)のように生きる主人公たち。尾美としのり、今井美樹、嶋大輔が演じる彼らは、何ものによっても連帯せずひとりひとりバラバラでありながら、その「独り」であるという意識において“連帯”している。そして、そんな彼らのゆるやかな結びつきこそが、この映画の、コミカルすぎずシリアスすぎない独特の「空気感」を醸し出すものに他ならない・・・。 これが劇場用映画の監督第1作となる太田圭は、自身のパリ滞在体験をモチーフに脚本を書き上げたという。その前の世代のように、海外滞在に何の特権性も希少価値も付加できず、その後の世代のように「自分さがし」の口実にすらならない、「ただ、何となく」といういい加減さというか中途半端さに、彼はじゅうぶんに自覚的だ。そこには希望も絶望もなく、自由も不自由すらもない。その中間をふわふわと浮遊する自分たちの、昨日に続く今日が、そして同じような明日があるばかり。たぶんそれは、パリじゃなく、これが東京でもニューヨークでも同じことだったろう。あの頃の「ぼくたち」は、本作の主人公たちと同じようにただ“浮遊”していた。漂っているという、意識だけがリアルなものとしてあった。この映画は、そんな「気分」をフィルムに定着してみせた、ほとんど唯一のものだと、あらためて思う。 そう、これは時代がバブルに突入する直前の、ぼくたちが「新人類」と呼ばれたあの頃の、ほぼ完璧な〈自画像〉だ。主人公たちの「ダメさ」を自嘲的に笑い、チクチクと胸をさす“痛み”を共有しつつ、この傑作でもなんでもない、けれどこの、ぼくでありキミやアナタの精神的ドキュメントを「見た」ことの記憶は、ムラカミハルキとミヤザキツトム(!)の“間”という、真の意味で「同世代人」の表現者=作品を持ち得なかったぼくたち1960年前後の者にとって、この上なく貴重なものだと、今更ながらというか、今だからこそ思うのだった。 最後に、この映画の今井美樹は本当に素晴らしい。彼女が見せる喜怒哀楽の表情こそ、ただ息をつめて見守り続けるしかない最高の〈スペクタクル〉だ。その記憶においてだけでも、ぼくにとってこの映画は“永遠”です。 《追記》劇場公開以来ずっと再見を果たせていない映画だけど、やっぱり深く愛着ある映画なので「7」を「8」に変更。ああ、見たいなぁ~。[映画館(邦画)] 8点(2008-02-12 17:22:43)《改行有》

7.  青い山脈(1949) その全盛期には“社会派の「巨匠」”と呼ばれ、黒澤明や小津、溝口以上に批評家から称揚されていた、今井正。そして今やすっかり忘れ去られようとしているこの監督さんだけど、改めて見直す時、最良の今井作品とは常に「少女(たち)」を描いたものであったことに気づかされる。『ひめゆりの塔』しかり、『純愛記』しかり、そしてこの『青い山脈』しかり…。そこには、戦前までの封建社会において抑圧されていた女性性と、戦後社会になってなお残る社会の諸矛盾を、彼女たちを通して浮き彫りにしようという意図があったのかもしれない。けれど、それ以上にこの「巨匠」が少女たちそのものを、ある特別な眼差しで見つめている気配が、その作品から伝わってこないだろうか。この『青い山脈』のなかでも、杉葉子演じる女子高生と女教師である原節子がほとんどチークダンス(!)のように身体を寄せてダンスする場面に漂う、何とも言えない“妖しさ”はどうだ…。なるほど、これは戦後民主主義を謳歌する若い世代を明るく肯定することで、未だ残る戦前的価値観(その象徴である男性教師たちの滑稽さときたら!)へのアンチテーゼたらんとした…という「意図」なのだろう。が、そんな「良識的」な主題以上に、今井正は、女子高生が美しい女教師を慕うそのエロチシズムにこそ、自身が魅せられているのじゃあるまいか。そして、そういった一種の《倒錯》をあらわにする瞬間に、この監督の「本質」があるのだと、ぼくは思う。彼の謳う「正義」や「教条主義」はもはやほとんどタイクツかつ偽善的でしかないけれど、その「少女愛(!)」に満ち満ちた眼差しは、現在においてもなお生々しく見る者に迫ってくる。そう、大いなる肯定と賞賛を込めて、今井正作品は偉大な“ロリコン”映画なのだと、ぼくは断言したいと思う。8点(2004-02-23 18:28:05)(良:1票)

8.  アフリカン・ダンク 世間的にはともかく、小生的には『クール・ランニング』よりもこちらを買うね。万事に定石通りな展開ながら、アフリカの見事なロケーション効果と現地の役者(?)たちの得難いキャラ、それにケビン・ベーコンのイヤミのない爽やかさがマッチしている。何より、カメラワークが実に良い! 確か、イギリスのマイク・リ-監督とのコラボレーションで知られる撮影監督じゃないかな。真冬のアメリカ小都市の雪景色から一転して、アフリカの緑と土の鮮やかさをとらえた色調・構図とも、さすがに見事ですぞ。8点(2003-06-23 18:53:04)(良:1票)

9.  OUT(2002) 勢いに乗っている監督ならではの、”熱気”を感じさせてくれます。何より主演女優それぞれに存分な芝居をさせ、それを1本の作品に束ねていくあたりの手腕こそ、平山監督の真骨頂。女たちによるハードボイルドとして、個人的には『愛を乞うひと』よりも好きだな。ただ、佐竹のキャラクターだけは、あまりに薄っぺらなのではないでしょうか。一種の”ターミネーター”に仕立てたかったにしても、もうちょっとこの悪党の背景を描き込んでほしかった。間寛平がガンバってたんで、余計に惜しいです。8点(2003-06-11 17:39:43)(良:1票)

10.  あひるのうたがきこえてくるよ。 ええっと、とりたてて椎名氏のファンというわけじゃないのですが、この映画に関しては、そんなに悪くないんじゃないか…と思いますですよ。何より、シネマスコープで撮られた風景が正しく日本の田舎していて、登場人物たちの奇妙なズレ加減も、氏の小説よりもエッセイに通じるものがあるし。次の『白い馬』は意あまって力足らずという結果だったけど、この、等身大の気軽さで撮った本作は、良質のプログラムピクチャーという感じで、実はちょっと気に入ってます。7点(2003-09-16 14:21:29)

11.  愛する(1997) この映画のあらゆる欠点について、他の皆さんのコメントにうなづきつつ、ただ一点において、ぼくが本作を否定しきれない理由。それは、これが熊井啓監督の撮った「遅れてきた日活青春映画」だからってことだ。デビュー作から硬派のモンダイ作ばかりで、同時代の日活アクションや青春ドラマから背を向けていたこの日活出身の監督が、酒井美紀を吉永小百合か和泉雅子に、渡部篤郎を浜田光夫に見立てて遂に創った往年の「日活映画」…。そんなナイーブさが、なんかいぢらしいっていうか、かわゆいっていうか。7点(2003-05-20 10:58:22)(良:1票)

12.  愛の新世界 う~ん、鈴木砂羽はと~っても良いんだけど…。片岡礼子さんも健気に頑張ってるんだけど…。何か作り手であるオジサン世代が、こういった刹那的に生きる若い世代にヘコヘコと媚びている図が浮かんでしまう(つまり、援交オヤジそのもの!)。世の中、そんな甘いもんじゃないって、むしろ反時代的に説教するか、バカな奴らだと冷笑するってくらいの矜持を見せなよ、高橋伴明カントク!5点(2003-05-20 11:53:43)

13.  アイアン・メイズ/ピッツバーグの幻想 この時期、結構脱いでたブリジット・フォンダが、本来ハダカにならなきゃなんないシーンでも肢体を見せてくんなかった。ああ、やっぱり彼女は日本人監督だからってこの映画を軽蔑してるんだ…。と、いろんな意味で落胆させられました。彼女とムラカミ・ヒロアキの絡みがあれば、それだけで満足(笑)できたのになあ。3点(2003-05-20 10:44:19)

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