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プロフィール |
コメント数 |
253 |
性別 |
男性 |
自己紹介 |
直接的に「内容」に向かうのではなく、「スクリーンへの現れ方」を語る言葉(技法論的な言葉)をなんとかめざしたい。 |
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1. 犬神家の一族(1976)
当時ものすごい宣伝で、ついそれに負けて観たが、まったく駄目だった。それ以来、宣伝には警戒心を抱くクセがついた。市川崑(いい作品もあるのだが)の内容空疎な唯美主義にも警戒するようになった。[映画館(邦画)] 2点(2011-03-24 20:31:47)
2. 稲妻(1952)
食べることの交通だけを取り上げてみても豊饒である。娘高峰秀子が母元の「有象無象」と共に蕎麦を食べるシーン、これが爽快で、蕎麦を食べることが「有象無象」の陰気な会話に風穴をあけ、さらに高峰は蕎麦を二階の貧乏女子学生(自立への知的ないざない)へと運ぶ。蕎麦が取り持つ縁である。縁といえば、下宿の大家さんがながーい蕎麦を打ってくれる(女性の団結)のがなんとも微笑ましい。葡萄を食べる時間というのも素晴らしい。引越し荷物を取りに親の家に帰って、仏壇の葡萄を食べながら母と会話、その際、葡萄の皮を庭にすてる律動的な運動は、庭という「外」との交感であり、葡萄を食べ終わればさっさと立つ鳥である・・・成瀬巳喜男の瑞々しさの面!
[映画館(邦画)] 10点(2010-12-01 21:57:23)《改行有》
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