みんなのシネマレビュー |
|
【製作国 : 日本 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
1. 十三人の刺客(2010) 作品のテーマとしてはおそらく封建社会や武士道の矛盾や欺瞞を暴くことを目指しているのでしょうが、結局は稲垣吾郎演ずる殿様の頭がおかしいだけで侍たちを含めた他の人間をその犠牲者以上のものとして描けているようには思えません。劇中の台詞にもあったように下が支えなければ上は成り立たないですから、その共犯関係をちゃんと描かなければ社会風刺としては不十分でしょう。伊勢谷友介演ずる山の民がもうちょっと侍社会を相対化する視座として機能すれば良かったのですが、それもコメディリリーフ程度の存在で終わってしまっています。映画としての最大の欠点は登場人物の人となりからその心情、戦略に至るまでとにかく一から十までご丁寧に全部台詞で説明してしまっているところです。一応本格時代劇の体裁を整えるよう努力はしていますが、やはりこれは当時のテレビ局製作の日本映画の限界が見えてしまっていると言わざるを得ません。そんな中松方弘樹だけはその人物像がろくに説明されないにも関わらず立ち振る舞いや顔つき、台詞の発声だけでこの人は何か違うと思わせる異様な迫力を漂わせています。何をやらせても様になっており若い頃に自分がどう動けばカメラに一番カッコよく映るか相当訓練されたんでしょうね。この映画が存在する一番の価値は松方弘樹の殺陣をある程度まともな一本の作品の中で後世に残したことでしょう。[DVD(邦画)] 3点(2023-08-14 23:46:29)(良:1票) 2. 仁義なき戦い 序盤の戦後の闇市の様子の再現は良いです。山守親分はこういうタイプの親父いるなあと思いますし、個々の台詞やキャラクターのインパクトはあります。しかしこの映画は正直音楽が酷いと思います。殺人シーンに毎度例の曲が流れるのはほとんどギャグみたいな演出です。また本来は粗製濫造されたプログラムピクチャーの一本に過ぎないので撮影も美術もチープと言わざるを得ません。それが戦後日本の貧しさと猥雑さを表現できていると言えなくもないのですが、役者のアップを多用したカメラで誤魔化しているのも苦しいところです。脚本もこれで良いのでしょうか、事実をベースにしているとはいえ登場人物の出番をうまく整理できていないように感じます。ドキュメンタリータッチといえば聞こえはいいですが、気がついたら人物が仲良くなっていたり死んでいたりするのでこっちの感情の持って行き場がありません。海外ではこの映画の評価は必ずしも高くなく国内と異なり日本映画の代表作とは認識されていません。それはやはり描かれる世界の狭さと劇映画としての完成度の低さが原因だと思います。[インターネット(邦画)] 5点(2023-07-24 23:07:09) 3. 七人の侍 七人の侍というタイトルでありながらこの映画のキモはメインの侍たちにむしろ侍らしくない人物が揃っているところです。勘兵衛(志村喬)は僧に擬装した坊主頭、平八(千秋実)は初登場シーンで薪割りをしておりいざという時には人を斬らずに逃げ出すとまで公言する、勝四郎(木村功)はまだ未熟な子どもで花畑で少女のように花を摘みさえする、菊千代(三船敏郎)は勘兵衛に侍なら正気を失うほど酔いはせんと言われたそばから泥酔している、この彼らの侍らしくなさこそがむしろ時代と国を超えて多くの人間に愛される要因ではないでしょうか。まあ久蔵(宮口精二)はいかにも侍らしい侍ですけど、周囲が侍らしくない人物に囲まれているからこそかえって彼が魅力的に見えるのだと思います。しかし七人は金にも出世にもなるわけでもないのに戦う理想化された人物で彼らこそ本当の侍であるような描き方になっているため、結果としてこの映画は侍という神話を再生産する作品になってしまいました。悪役が野武士であり、農民が侍を雇うプロットを見ても本来ならば侍なんて飯を食うために仕事をしているだけで立派でもなんでもないただの人間だという侍という神話の解体がこの映画のテーマになるはずなのに、黒澤明は劇中の侍たちを人間として好きになりすぎているんですよね。いくら台詞で農民を持ち上げたところで侍側こそ真に偉大だったという印象が残ってしまいテーマと人物描写が食い違ってしまっています。そのためこの作品はキャラクターが魅力的なだけの娯楽映画以上のものになれていないと思います。そのことがこの映画の人気に繋がっているのでしょうからこれはこれで正解なのかもしれませんが、私は黒澤明監督作品を、そして映画という表現をただ面白ければいいエンターテインメントとしてのみ評価する見方はしたくないのです。[インターネット(邦画)] 6点(2023-07-01 16:57:45) 4. シン・仮面ライダー もちろん駄作なんですが、庵野秀明の作品の中では最もまともに鑑賞する価値のある作品かもしれません(実写アニメ両方含めて)。今までと異なりこの映画は何より役者の演技をちゃんと撮ろうとしています。何度も繰り返される仮面の着脱、無機物でしかない仮面にどう表情を宿らせるか、間違いなくこれは実写映画でしかできない試みです。フォトジェニック以上のものではないですが撮影も今までで一番良かったです。この映画の不幸は擁護する意見でさえ過去の作品へのオマージュの側面ばかり取り上げられるところです。自身がそのように読み解かれるよう自己演出を続けてきた庵野秀明の自業自得ではありますが、鷲巣詩郎の音楽やいつもの明朝体(シン・ゴジラで一番ゲンナリした要素です)が封印されているのは今までとは違うものを作ろうという精神の現れです。エヴァンゲリオンではメタフィクションに逃げ、シン・ゴジラは震災を描くように見せかけて帰ってきたウルトラマンのプロットを流用したに過ぎず、シン・ウルトラマンに至ってはノスタルジー以上の価値を見出せませんでした。今回庵野秀明はかつてないほど真剣に現代的なテーマを扱ったストーリーを語ろうとしているように見えます。最大多数の最大幸福ではなく最も絶望している者の救済、疫病による人口削減、人にも自然にも負担をかけない奴隷制度の復活、エネルギーの奪い合い、絶望を多幸感で上書きする洗脳。それでもショッカー側のキャラクターはワンパターンの快楽殺人鬼ばかりだったり、最終的には肉親の不幸に収束するスケールの狭さもあってまともにテーマを処理できてはいません。だから最終的には駄作と判断せざるを得ないのですが、この映画って言わばまともにストーリーが完結しているエヴァンゲリオンじゃないですか。そう考えるとシン・エヴァンゲリオンなどよりはるかに凄い達成だと思います。[映画館(邦画)] 5点(2023-03-30 20:52:56)(良:2票) 5. シン・ゴジラ この映画の良いところはゴジラへの愛がないところです。愛なんてろくなもんじゃありません、くだらないこだわりでしかないです。既存の作品のイメージにこだわらずに震災のイメージを借用し現代的な作品として再構築することに成功しました。その上で言います、この映画の悪いところはゴジラへの愛がないところです。庵野秀明という人はエヴァンゲリオンというアニメーション作品においてキリスト教の要素をあちこちに散りばめておりましたが肝心のキリスト教がどういう思想かという点には全く興味を持っておりませんでした。あくまで表層的に言葉のカッコよさだけで引用していたわけです。この映画ではゴジラは日本神話に登場するヤマタノオロチになぞらえられております。しかしこれがまさに表層的にしか物事を理解していない人間の陥る誤りなのです。ゴジラは日本の作品である、ゴジラは神のごとき存在である→日本神話の中から何かを引用しよう→日本神話に出てくる怪獣といえばヤマタノオロチだ、こういう思考の流れだと推測します。しかしゴジラはヤマタノオロチではなく、むしろそれを退治したスサノオに近くはないでしょうか?高天原(≒東京)を荒らした後、地上に降りヤマタノオロチ(≒キングギドラ)を退治し英雄となるような存在なのです。スサノオのように複数の顔を併せ持つことがゴジラが愛されてきた理由ではないでしょうか。この映画はその点の解釈で致命的な誤りを犯しているためシリーズにおいて異端でしかあり得ません。そしてその方が一個の作品としては正しいとも言えます。[インターネット(邦画)] 1点(2023-03-11 23:28:04)(良:1票)
|
Copyright(C) 1997-2024 JTNEWS