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1. ゼロの焦点(2009)
《ネタバレ》 原作やオリジナルを知らずに、本作を単独で評価すれば、5点か6点かという評価になるだろうか。松本清張原作作品なので、ストーリー自体の面白さは保証されている。
しかし、オリジナルを見てしまうと、本作は“酷い”としか形容のしようがない。途中退席をしようかと考えるほど、“憤り”を覚えたので、正確にジャッジできているとは思えないが、カラクリを全て知ってみると、ネタの出し方、編集や構成、脚色全てにおいてバランスが悪く、ことごとく裏目に出ていると感じられる。観客に“驚き”を与える気持ちが感じられず、ストーリーを単に流しているだけ。自分の頭に血がのぼっていたので、女優陣のせっかくの熱演も『茶番だ』としか感じられなかった。
現代において、当時の北陸を再現することは難しいが、冬の北陸を上手く表現して活かしているとも思えない。
こういうことになるのは分かっていたので、オリジナルを見るのは本作鑑賞後にする予定だったが、偶然オリジナルを見る機会が先に来てしまったのが問題だった。
松本清張の原作を読んでいないので、自分の批判が適切なものかは分からない。
ひょっとするとオリジナルが原作とかけ離れており、本作が原作に沿っているのかもしれないが、オリジナルの良さをことごとく消し去ってくれている。
オリジナルはただの殺人事件を描いたわけではないのに対して、本作はただの殺人事件を描いたに過ぎない。
オリジナルは“時代”や“過去”に翻弄された同情すべき悲しい事件なのに対して、本作は同情の余地が一切ない、自分勝手な人たちが巻き起こした事件となっている。
監督・脚本を兼ねている犬童監督はオリジナル作品をきちんと見たのだろうか。
もしオリジナルを見ているとすれば、彼の才能を高くは評価できない。
しかし、逆に穴が空くほどにオリジナルを見たのかもしれないとも感じられた。
オリジナルとは180度と言っていいほど、完全に真逆の作品に仕上がっているからだ。
単にコピーして劣化版を作成するのではなくて、自分の“オリジナル”作品を仕上げるという壮大な狙いを込めたのだろうか。その壮大な狙いが失敗しただけなのかもしれない。リメイク自体は否定するつもりはなく、自分としては歓迎をしているが、比べられる対象があるだけに、製作するサイドとしても、鑑賞するサイドとしてもリメイクというものは本当に難しいものだと感じさせた。[映画館(邦画)] 2点(2009-11-16 23:05:00)《改行有》
2. ゼロの焦点(1961)
《ネタバレ》 “北陸”という場所が非常にマッチした映画に仕上がっている。
冬の北陸へは数度しか行った事はないので、個人イメージというところもあるが、鉛色の空が似合うちょっと寂しい感じの街だった気がする。
本作において、新婚旅行のときだろうか電車に乗っている際に、金沢への憧れを表す妻と金沢に対する嫌気を表す夫のやり取りが印象的に残っている。
夫にとっては、金沢という場所は想像以上に孤独で寂しい場所だったのではないか(鵜原だけではなくて、社長夫人や久子も含めて)。
ハイヒールを履いて雪の上を歩く妻の姿を見れば、その憧れは単なる憧れであり、現実が分かっていなかったこともよく分かる。
そのため、“北陸”という過酷な地において、それほど好きではない久子とその孤独のスキマを埋めざるを得なかったのかなと感じられた。
それがこの“悲劇”の始まりだろうか。
本社復帰を何度か断ったというセリフはあったが、いったん泥沼にはまると抜け出したくてもなかなか抜け出せないというのはよくあることだ。
パンパンという言葉を初めて聞いたが、当時としては相当な差別対象だったと想像される。
どんなに偽っても、どんなに誤魔化してもそういった“過去”というものは消えず、“過去”は付きまとい、“過去”という亡霊に怯え続けるざるを得ないのだと思い知らされる。
また、人を愛するということは、その人の全てを知りたいと願うことなのかもしれない。
妻はたった7日間の結婚生活だったけれども夫を愛していた。
社長は妻のことを愛していた。
人から愛される度に“過去”というものが浮かび上がってきてしまうもののようだ。
人を愛さなければ、人から愛されなければ“過去”というものは問題ならないのかもしれない。
“過去”というものが非常に厄介なものだということも思い知らされる。
“謎”自体はそれほど複雑で面白みのあるものではないが、それがまた何かを感じさせるものとなっている。
一瞬の感情や偶然によって、事件が複雑に絡まってしまっているだけであり、真実はそれほどドロドロしいものでもなければ、計画的な残酷性があるわけではない。
それが悲しみを引き立てる効果となっていると感じられた。[DVD(邦画)] 8点(2009-11-16 23:02:57)《改行有》
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