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プロフィール |
コメント数 |
1047 |
性別 |
男性 |
年齢 |
30歳 |
自己紹介 |
とにかくアクションものが一番
感想はその時の気分で一行~何十行もダラダラと書いてしまいます
備忘録としての利用なのでどんなに嫌いな作品でも8点以下にはしません 10点…大傑作・特に好き 9点…好き・傑作 8点…あまり好きじゃないものの言いたいことがあるので書く |
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1. それでもボクはやってない
《ネタバレ》 「シコふんじゃった。」や「Shall we ダンス?」みたいな痛快な映画と比べると、この映画はそういった楽しさが徹底的に削がれてしまった印象を受ける。
ビルを走る一本の電車。その密室では、突然尻をなでてくる者の手が“恐怖”へと変わるし、手を掴んだり密告される瞬間も恐怖と化す。
その恐怖を知る者は、その領域に入った瞬間に両手をあげて命乞いをする。まるで拳銃や刃でも突きつけられている様に。それを知らない者は、出会ったばかりの赤の他人に殺されてしまうのだ。社会的に。
この物語は、そんな社会的に殺されかけた男の孤独な闘いを描いていく。途中挿入されるわずらわしい音楽(最初から無音なんだから最後まで音楽の挿入はして欲しくなかった)も、監督がこの男に同情するが故だろうか。
絶望を語る筈の独房も妙に白いし、照明まで彼を暖かく照らすように明るすぎるのではないだろうか?
「どうしてこうなった」と無言で泣く男の姿だけで充分です。
動く密室の次は、取調室という密室で数人の男に尋問されるという恐怖。常に同じような事件に振り回される男たちの苛立ちは、捕まってしまった人間にブチまけられる。
捕まった人間にとっては「知ったことか」である。誘導尋問、脅し、レッテル貼り、疑心暗鬼、偽善、指紋。
そこに人権とか、偽善がどうとかといった感情は消えていく。あるのはブタ箱にブチこむという“作業”の繰り返し。
何度も何度も何度も「アナタハ痴漢ト疑ワレマシタ。ナノデ逮捕シマス」という具合に延々と同じ言葉を繰り返す。そのしんどさ。二度と見たいと思わない退屈さ。音楽まで似たようなBGMを繰り返しやがる。
あの気の遠くなるような説明は本当に早送りしたくなった。
主人公も感情が消えかけ嫌気が差しているのだから。この辺は社会派映画の悪いクセです。
独房の中で出会う常習犯たちの奇妙さ。それは事件の捜査に疲れて荒んだ警察も、態度をコロッと変える管理人にも、興味本位だけで犯罪を追っかけまわす男たちにも共通する。
痴漢被害に遭ってきた筈の少女の姿にも奇妙さが目立つ。彼女の親は何故裁判所に来ないのだろう。親は既に亡くなってしまったのだろうか。
だとしても、代わりに先生がくるとか、友達が来るとか。そういうのが描かれていないのが不思議だ。
壁に覆われて、主人公やその支持者たちも背中すら見る事が出来ない。主人公も、自分を警察に突き出した女性と一度キリしか会っていない。
そんな奴らに「貴様は犯罪者だ!悪魔だ!」と言われてみなさいよ。誰だって怒りますよ。憎みますよ。ガラスを叩いたり鉛筆を砕きたくもなりますよ。ピーポ君を傘でしばきたくもなりますよ(あのやり取りだけ唯一といってもいいギャグシーン)。
女子高生の視点を知るのは観客だけだ。観客だけがその映像に誘導され、揺さぶられるのである。
それとは対照的に、家族や友人たちはその奇妙さが消え去っていく。真実を知れば知るほど彼らは主人公を支え、一緒に闘うようになっていく。元カノも“信じている”からこそ体を張る。
最初は疑っていたからこそ、それに対する贖罪と共感・共に戦うからこそ得られる頼もしさ。
事件の再現から突破口を開こうとする瞬間、ここで初めて違う音楽が観客の心を洗い流す。様々な人間の視点や感情が真実を探り希望を見出し始めるのである。
それを嘲笑う社会の闇。
小日向文世を殴りたくなったのは初めてだ!素晴らしい演技!予告の躍りかかる主人公のように、あのにやついた顔面をブチのめしてえええっ
裁判のクライマックス。
そこには「それでもボクはやってない」と頑強に戦う覚悟を決めた男の表情だけがある。
主人公が一度挫折し、そこから立ち上がり成長していく姿は「シコふんじゃった。」や「Shall we ダンス?」にも共通している。
怒り裁判所を出て行った友人も、また彼のために戻ってくるのだろう。それでもカレはやっていないと信じているのだから。[DVD(邦画)] 8点(2015-06-02 20:01:18)《改行有》
2. そして父になる
《ネタバレ》 最近(2013年)、生まれて60年を過ぎてから病院で「取り違え」が生じていた事が話題になっていたので、いつか見たいと思っていたこの作品を見た。
個人的には家族に「血の繋がり」は関係ないと思う。
「家族」というのは一種の共同体。
例えば養子。
血のつながりが無くとも、引き取る側が「家族」、引き取られる側が「家族になりたい」と言うならそれで家族だ。
「サザエさん」というアニメがあるが、あそこに婿として磯野家に納まっているマスオという男がいる。
この男もサザエと出会う前は「赤の他人」だった。
それがサザエを愛し、子供をもうけ磯野家に迎えられた・・・。
このように家族とは「別の血を流す者どうしが心で結ばれる」事で出来上がるのだ。
そこに子供がいなくともだ。
サーカスなら曲馬団どうしの絆、村なら村ぐるみの絆・・・「人類みな兄弟」という言葉は当たり前の考えとさえ言える。
「義弟」やら「義母」ならいくらでもなれるワケだし。
ただそこに心の通い合いが無い家族は家族とは言えない。それだけは確かであろう。
だ今回の件は事情が少し違う。
「親は誰?」という話。
産みの親が亡くなっているなら育ての親の元でそのまま暮らせるが、今回は産みも育ても健在と来たもんだ。
実にありふれたテーマ、実にシンプルかつ複雑な話。
親の心と子の心の違い。
男と女の心の違い。
そこら辺をシビアに描いたからこそ、この作品は評価されたのだと思う。
むしろこんな時代だからこそ、改めて普遍的なテーマに挑んだからこそ良いのだ。
一番良かったと思うのが、子供が産みの親の家に「戻る」というところだ。
親にとっても子にとっても複雑な心境、居心地と嫌悪感、ただそれが慣れれば・・・。
ラストの「父になった」結末は中々考えさせられる幕引きだった。[DVD(字幕)] 9点(2014-12-16 21:38:33)《改行有》
3. その夜の妻(1930)
《ネタバレ》 「朗かに歩め」に続く小津の暗黒街もの。完成度は「非常線の女」なのかも知れないが、俺はこの作品の方が好きだ。
オスカー・シゴールの「九時から九時まで」が原作と、この頃の小津はアメリカナナイズドされすぎ(良い意味で)。
溝口健二の「瀧の白糸」で岡田時彦のファンになって以来、岡田時彦が主演と聞いてこの作品も見た。
「朗かに歩め」や後の「非常線の女」でもそうだが、小津の同じパターンを繰り返すストーリー展開はこの頃から完成しつつあったようだ。
しかし上記二つの作品とは一味違う。
小津作品してはガンガン印象付けようとするカットが多い。
最初こそ強引に見せつけようという感じがするが、劇中で徐々に自然でさりげないカットになっていく。
洗練されていない荒っぽさが逆に良い。
手袋から別の手袋に繋がるカット、居並ぶ警官隊の雰囲気、伏線だった冒頭の「強盗」・・・銃を何処から入手したのかは解らないが、当時の恐慌で金も無くなり「アレ」を救うため仕方なく強盗に興じる・・・。
自首しようとする夫、夫を逃そうとする女。
後年の「非常線の女」とは逆というのも面白い。
「もう逃げない」と覚悟を決める男、警官とのツーショットが一番印象的かも。
八雲恵美子の着物姿も艶かしい。
地味に常連な斎藤達雄の医者も面白い。
笠智衆もこの頃は端役ながら活躍。
この後小津は「エロ神の怨霊」という言うまでも無く黒歴史を撮った。脚本すら無いのだから相当「やらかした」作品に違いない。この頃の小津はやんちゃすぎる。[DVD(字幕)] 9点(2014-03-30 19:52:15)《改行有》
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