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プロフィール |
コメント数 |
304 |
性別 |
男性 |
自己紹介 |
つたない文章力で自分なりのレビューを心がけます。映画館で観た作品は自然と評価が高くなりがちです。 |
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1. 沈黙 ーサイレンスー(2016)
《ネタバレ》 弱さや醜さの象徴となっているキチジローの存在(踏み絵はすぐ踏むが、神は信じていて、その都度自責の念にかられる弱き者)が、現代の日本に生きる自分に一番近いような存在に感じた。
この話では一人浮いている彼がいる事で、この物語が遠い世界の話ではなくなった。
それは言葉で言ってしまえば簡単である、「信じ抜く事」の困難さを彼を通じて改めて見せつけられるという形にも繋がっていた。
オープニングとエンディングを自然の音(人間の営みに振り回されず、存在する意味に悩む事も語る事もせず、ただそこに存在する海、鳥、風、草など)で包括したのも興味深い。
牢屋の柵を使い限定された視野を通して、ロドリゴそして観客が拷問を見せられるシーンは、視界が良好でない彼の心情描写にもなっていただろう。
気になる点で言えば、ロドリゴが踏み絵を行う場面。第三者(神かロドリゴの内なる声か)のボイスオーバーを被せる、足のクローズアップ、スローモーションで地面に倒れこむという一連の流れは少し鈍重で直接的すぎる表現だったように感じた。
ラストの十字架への極端なクローズアップも、意図的すぎるように思える。[映画館(字幕)] 6点(2017-01-29 00:48:56)《改行有》
2. ちはやふる 下の句
《ネタバレ》 個で戦おうとする千早に対して、個人戦であってもチームとして支えようとする瑞沢高校の面々。
ノートを渡すという形で思いを繋ぐ北央学園。
一人で戦うのではなくチームで戦うという事を伝えようとし、繋がりを尊重としたいというのは理解できる。
ただそのメッセージを強調すればするほど、対比として個で戦う若宮を悪としようとしすぎなのではないか。
原田と新の会話、若宮と新の会話からは説教臭さ、団体=善、個人=悪という構図をどうしても感じとってしまう。
自分がかるたを誰よりも純粋に好きであり、みんなで何かをしたいという手段がかるたであるに過ぎない、という若宮の主張も自分には理解出来る。
そしてその主張は今の日本におけるハロウィンの現状やサッカーのW杯においての騒ぎ方に対する居心地の悪さに通ずるものも感じる。
だからより一層、二元論的な決めつけに違和感を覚えた。
ただ緊張と緩和のコメディー要素、若宮の圧倒的な存在感は素晴らしく、若宮と千早の対決は動作の一つ一つが美しくも迫力がありとても見応えがあったし、二作合わせて観れば青春映画として素晴らしい作品である事は間違いないと思う。[DVD(邦画)] 5点(2017-01-07 00:47:03)《改行有》
3. ちはやふる 上の句
《ネタバレ》 前置きとして原作も下の句も未見です。
ちはやふるという映画、少なくともこの上の句に限って言えば、この映画は千早の物語ではなく、太一と机君の物語となっている。
千早という天真爛漫で太陽のように光り輝く存在に照らされ周りを回る衛星のような存在である太一。
才能、実力では新には及ばす、かるたに対する情熱、直向きさでは千早には及ばない。そして自分の思いも千早には届いていない。
心に常に揺らぎを持ち、悪く言えば芯がない不安定な存在。
しかしだからこそ、同じ様な悩みを抱える自分と重ね合わせ感情移入をしてしまう。そして彼が魅力的に思えてしまう。
机君の心情を誰よりも早く察知し、そこに寄り添えたのは、机君と同様に彼が揺らぐ存在であったからこそだろう。
そして彼らは、それぞれが抱える負の側面(太一は卑怯者である自分、机君は他者との関係を断絶し自分の殻に籠る自分)を超える。
その自分との戦いにこそ感動し、持たざる者の私は勇気づけられる。
持っている者、主人公の視点で進む青春映画が多い中、持たざる者に焦点を当て丁寧に精神的成長を描く物語は貴重であると思う。
かるた競技中の静と動、緊張感のある間の取り方もメリハリがあり素晴らしい。
下の句には太陽である千早の物語をどう描くかを期待したい[DVD(邦画)] 7点(2017-01-06 19:14:29)《改行有》
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