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プロフィール |
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自己紹介 |
奥さんと長男との3人家族。ただの映画好きオヤジです。
好きな映画はジョン・フォードのすべての映画です。
どうぞよろしくお願いします。
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人生いろいろ、映画もいろいろ。みんなちがって、みんないい。
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1. 映画ドラえもん のび太と緑の巨人伝
《ネタバレ》 声優が一新されてからのドラえもん映画は、常に「のび太」という11歳の少年のメンタリティに寄り添うかたちで創られている。この少年の、11歳という年齢だけが持つ「まっすぐさ」、たぶんそれだけを(とは、まぁ極論だけれど)描こうとしているのだと思う。
そして映画の中で、のび太は、自分にとって“何より大切なもの”のために、11歳の男の子としてのありったけの努力と勇気をふりしぼって、その“大切なもの”を守り抜こうとする。その時ジャイアンやしずかちゃん、スネ夫たちもまた、のび太といっしょにがんばり抜き、最後まで行動をともにするだろう。彼らは、「友だちであり続けること」というもうひとつの“大切なこと”のために、やはり「まっすぐ」がんばるのだ。そう、友だち同士(=同志!)として。
だからドラえもんも、映画では、“頼れる存在”というよりあくまでコメディリリーフ的役割というか、のび太たちを「あたたかい眼(笑)」で見守る立場だ。特に今回の映画では、ひみつ道具すらあまり登場しない。その分、のび太たちの「まっすぐ」ながんばりがクローズアップされることになる。・・・そのことに、いいトシをした親父であるぼくは感動し、不覚にもナミダしてしまう。
確かに、植物星人たちが地球を攻撃する後半は、いささか状況が分かりにくいかもしれない。でもその中で、のび太がキー坊を懸命に助けようとする姿と、それを見た植物星のお姫さまも手助けしようとする、この場面にこそ、映画版ドラえもんを貫く主題ーーと言って大層ならば“精神(ハート)”があるにちがいない。そう、ドラえもんの道具でも、悲壮感たっぷりのヒロイズムでもない、「ぼくにはこれしか出来ないから…」と大切なものを守ろうとする11歳の少年の「まっすぐさ」こそが、世界を救うことになるのだ。その、何という清々しさ・・・。
そうした「11歳の心(ハート)」を、「まっすぐさ」という彼らの〈倫理〉をドラえもん映画が失わないかぎり、ぼくもこのシリーズを見続けていこうと思う。どんなにトシをとろうとも、のび太たちの「まっすぐさ」を見守り続けることは、子どもたちにとってはもちろん、大人にとってもまちがいなく大切なことだから。
以上、レビューというよりひとり語り、スミマセン・・・。
<(_ _)>[映画館(邦画)] 10点(2008-03-12 19:22:10)(良:2票) 《改行有》
2. 映画ドラえもん のび太の恐竜2006
…夜明けとともに、のび太が懸命にあたため続けた恐竜のタマゴがふ化する。光があふれる窓を背景に、逆光気味に捉えられたのび太と恐竜ピー助。この瞬間、彼らはお互いに「かけがえのない存在」であることを全身で受け止めている。そして見ているぼくたち観客にも、その“思い”は、ハッキリと伝わってくるのだ。
だからこそ、その後の冒険の中で、のび太が決してピー助を見捨てようとしなかったこと、しかし最後はピー助のために別れなければならないことの「感動」がより際だったのだと思う。さらに、ジャイアンやスネ夫たちまでもが、のび太を最後まで裏切らないことの「心意気」に胸を打たれたのだと思う。
「愛するものを見捨てない」「友だちはかけがえのないものだ」「相手を思いやること」・・・この映画が描こうとしているのは、コトバにしてしまうと、とても単純で気恥ずかしいものだろう。しかし本作の作り手たちは、驚くほどの熱意と才能のありったけを注ぎ込んで、そういう「単純でありふれているけれど、何より大切なこと」を観客であるこどもたちに“説得”しようとする。そしてその真摯で心情のこもった映像には、オトナの観客をも心から説得されるに違いない。事実、あの時映画館にいた誰もがのび太たちを「あたたかい目」で見守り、それぞれが「かけがえのないもの」へ思いをはせていたのだった…。
『クレヨンしんちゃん』のように、登場するキャラクターだけを“口実(エクスキューズ)”にして「作家主義((!)」に走るのではなく、ジブリ作品のようにオリジナルな映画づくりを謳歌するのでもない。あくまで「ドラえもん」の世界に忠実でありながら、それを“超える”のではなく“深める”ことをめざした本作。・・・今さら「ドラえもん」なんて、と言わないで、ぜひ見てください。きっとアナタも、誰もが「あたたかい目」になっている映画館の幸福な“空気”を体験できますから。そして、ラストに流れるスキマスイッチの歌・・・ああ、また見たくなってきた。
《追記》↑なるほど、【トト】さんのようにオリジナル作品のファンから見ると「辛口」な評価になるんですね…。ただ、のび太を「男(ヒーロー)」というより、あくまで等身大の「11歳の少年」として描こうとした新「ドラえもん」は、藤子・F・不二雄先生の意志に反するものじゃない…と思うのですが、どうでしょう? ついでに点数も9→10てことで![映画館(字幕)] 10点(2006-03-16 13:32:13)(良:4票) 《改行有》
3. PNDC-エル・パトレイロ
赤茶けた荒野を貫くハイウェイ。石と泥土の家並み。峡谷に架かる吊り橋。そして、突発的に繰り広げられる銃撃戦…。どこまでもドライでありながら、ここには「西部劇」への愛、「メキシコ」の地への愛が満ち満ちている。若く正義感に燃えた新米パトロール警官が、またたく間に“堕落”していく姿を、アレックス・コックス監督は一見ノンシャランないつもの「軽さ」と醒めた眼差しで追う。が、そこには、これまたこの監督独特の冷笑(シニシズム)と厭世(ニヒリズム)を超えた“叙情(リリシズム)”がかすかに、しかし確かに画面から漂ってくるかのようなのだ。だからぼくたちは、この主人公に対してコックス作品としては例外的(!)に感情移入できるのだろう。彼の抱える虚無感や閉塞感は、この現代を生きる我々にとっても実にリアルかつストレートに迫ってくる。その中で、なお人間性を見失わずに「生きる」ことは可能なのか…。単純で薄っぺらな「アクション(なんて言えたもんじゃありませんが…)映画」のようで、実に様々な“思索”へと見る者を誘う、これは小さな大傑作だ。…少なくとも、小生にとって。10点(2004-03-03 12:25:50)
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