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【製作国 : 日本 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順1
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1.  ブタがいた教室 《ネタバレ》 動物好きの小学生相手に、哺乳類に「名前をつけるな」というのは、まず無理なんじゃないかと。中学生でも無理な気がする。高校生なら、なんとか名前なしで、家畜としての哺乳類を世話できるかも。 ペットとして育ててしまった豚を、食べる、食べないと論争になってしまった。それでいいじゃないかと私は思う。もし家畜として育てたのなら、そもそもこんな論争になっていない。花火大会に豚を連れ出したりしないし、楽しい思い出をわざわざクラス単位で作る必要もない。教師だって、それを許さずに「餌やりと掃除だけしなさい」と命じなければならない。それで、本当に食育になるのだろうか。いや、食育以前の問題だと思う。「命」という概念を、これだけ真剣に子供たちが自発的に考えることができたのは、名前をつけて、愛情をかけて、一生懸命に育てたブタを、名づけ親である自分たちが、殺さなければならないから。このことの、何が間違っているのだろう。現実に、子供たちは、Pちゃんの命に責任を持つことで、命の重さ、尊さを、いやというほど学んだ。3年生に世話を委ねようとしたり、反対意見を言う相手に全身でぶつかっていったり、失敗、希望、挫折を、何度も何度も繰り返した。その悩みの深さ、出口の見えないしんどい思いを、半年近くも引きずってきた。社会人顔負けの悩みっぷりだ。その半年間で、彼らがどれほど精神的に成長したことか。ブタを飼育せずに過ごした無難な小学生ライフと比べて?  人や動物を問わず、救うことができない命があるという不条理な真実を、彼らは苦しみながらもしっかり学んだ。 また、Pちゃんがブタだったからよかったのだ。魚釣りでは、完全にエンターテインメントになってしまうし、ふだん私たちが食べない(食べる国もあるけれど)犬や猫なら、そもそも命を奪うわけにはいかない。人が食べる動物を、「可哀そうだ」と言って通らない残酷な世界があることに、子供たちは気づかなければならない。そこを乗り越えないと、感謝して命をいただき大切に生きる、ということが理解できないし、謙虚な心が生まれない。この作品では、どの子供たちもPちゃんの短い命を思って涙を流した。いっぱい泣いて、他者が受ける痛みを肌で感じて、子供たちは強くなればいい。[インターネット(邦画)] 9点(2019-03-30 00:21:40)(良:1票) 《改行有》

2.  フラガール 日頃の入力生活がたたりドライアイのひりひり痛む目で鑑賞。泣ける映画はストレスの浄化作用に加えて二重にお得。[DVD(邦画)] 9点(2014-11-10 20:49:12)

3.  ファーストラヴ(2021) 《ネタバレ》 『髪結いの亭主』に出てくる少年は、ふっくらと丸みを帯びたやわらかい胸の、なまめかしい年上の女性を見て陶酔するというのに、本作の少女(環菜)は、男性の裸体や視線に囲まれて性的虐待を受けてしまう。比較が少し過ぎるかもしれないけれど、少年が女性の肌に母性をイメージするのと、女の子が男性の裸体に未知の恐怖を感じるのとを合わせ考えれば、「性」の神秘さ、複雑さ、難しさを感じずにはいられない。 また、『スポットライト 世紀のスクープ』では、カトリック神父たちの信徒への性的虐待を扱った実話。こちらはもう被害が甚大で、少年であっても生涯消えないトラウマを抱えてしまったり、自殺者も多数出ているという。『ファーストラヴ』を見終わった後、性つながりでいろいろな作品を連想して、深く考え込んでしまった。 単なるサスペンス、謎解きのエンターテインメントと割り切って楽しむには、あまりにメッセージ力の高い作品だった。環菜の供述が二転三転するのも、事件が起こるずっと前から受けていた両親からの抑圧があってこそだったり、腕の傷も、世間にありがちな自傷理由に加えて、父からのある要望を受けずにすむ魔除けのようなものだった。いろいろな点で自然な整合性がとれていて、うならされた。実際に起こった事件を下敷きにしているのではと思うほど。 タイトルの「ファーストラヴ」というのは、異性との愛ではなく、生まれて初めて子供が受ける親の愛情を指すのではないかと思う。環菜や由紀、迦葉は、両親からのファーストラヴを過不足なく受けることができなかったため、自己肯定力が低く、常に誰かから傷つけられるのを恐れてしまう。3人とも、笑顔はどこか引きつっていてぎこちない。作家が同じような心の傷を持つ登場人物を意図的に寄せ集めたというよりは、たとえば朗らかな者は周囲に陽気な仲間が集うように、似た者同士が自然に引き寄せ合った結果のようにさえ見える。終盤では、彼らは前を向いて、それぞれの道を歩もうとしている姿が映し出されることが、何よりの救い。[インターネット(邦画)] 8点(2021-07-30 15:30:59)(良:1票) 《改行有》

4.  舟を編む 《ネタバレ》 タイトルの「ふね」は「船」ではなく正しく「舟」だ。軽くてもろく、孤独な舟で言葉の海を渡るのだから、本来なら「舟で編む」が正しいのでは?と思うところだが、「に」を「を」にするだけで、単なる説明ではなく詩的な深みが出るのだから、言葉というものはつくづく油断がならないと思う。馬締君や西岡君の成長ぶりを見ていると、辞書とともに編集者たちも年月とともに練られている。だから、辞書作りの現場や空気感、人間関係、作業の成果などひっくるめて、「舟を」になるのかなと思う。ただ、時の流れを表すのに、キャラたちの髪型だけでは辛い。もっと明確に、10数年たったという背景映像が欲しかった。 それと、バーガーショップでのシーンではたと気がついた(このシーン、かなり好き)。ラーメンや税金、スーパーなど1つのテーマをとことん追究して面白い作品を撮った伊丹監督なら、「辞書の男」とでも名づけたんじゃないかと。彼の作品だったら、煙草の煙が充満した編集室になり、かぐやさんはくわえ煙草のミニスカートで登場したかも。伊丹バージョンの「舟を編む」 できることなら見てみたかった。この映画は個人的にはすごく好きだが、ユーモアが中途半端だった。原作は笑いどころがいっぱいあるのに、それだけが残念。[DVD(邦画)] 8点(2014-02-13 13:55:13)《改行有》

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