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プロフィール
コメント数 2162
性別 男性
年齢 57歳
自己紹介 実は自分のPC無いので仕事先でこっそりレビューしてます

評価:8点以上は特別な映画で
全て10点付けてもいいくらい
映画を観て損をしたと思ったことはないので
酷評しているものもそれなりに楽しんで観たものです


  *****

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241.  (ハル)(1996) 相手の顔も素性もわからないままにコミュニケーションをする主人公たち同様に文字からその文字を書き込んだ状況を我々も想像するという楽しみを与えられる。パソコンに映し出される文字だけを映画が映し出すことで。『電車男』がやるべきはこういう演出だったのだ。ヒロイン深津絵里がほとんどしゃべらないのでより効果的に「文字」の力が発揮されている。ストーリーは正直寒いものがあるし、なされる会話はもっと寒いし、バーでデートとか実に寒いのだけどそれらはまだ許せる範疇にある。でも宮沢和史演じる死んだ女を愛し続けるためにカタチだけの結婚をしようとする御曹司というキャラの登場は遭難しそうなくらいに寒かった。この古臭いというか青臭いというか、いちいちこういうのが顔を出すから見てるこっちが小っ恥ずかしくなる。あそこを削ると深津絵里の和服姿も見れなくなってしまうので削れないのだが・・。春樹の本も1回ならこの子ハルキストなんだとか本棚が美しいとかまあいろいろ思考もめぐるもんだが、何回も何回も映し出されるとクドイとしか思えなくなる。ストーカー男も要らんと言えば要らんのだが、アイツがいるから深津絵里のコスプレが拝めるからやっぱり要る。[ビデオ(字幕)] 5点(2008-11-21 13:03:56)(笑:1票)

242.  インストール 現代的なお洒落さと虚無感が同居したような世界観で繰り広げられるライトなコメディ。コメディであることで非現実感が倍増されていい感じ。ただ軽すぎないか?登場する人物たちは皆一様にそれぞれの事情を抱えているのだが、その事情は「語り」で語られるだけで人物には照射されていない。その深みの無い人物像がこの虚無感漂う非現実世界に合っているからいいと言えばいいのだが、どうにも映画とはあまり言いたくないこの作品の面白さはせっかく出来上がったいい感じの世界観には無く、はたまたストーリーにも無いようだ。けっきょく深みの無い人物像のおかげで主人公の女子高生になりきらない上戸彩が上戸彩のままにエロいことをやらされるという部分が一番のウリの作品。ませた小学生になりきれない神木隆之介が神木隆之介のままに上戸彩の胸を触る図というのはある意味衝撃的である。[DVD(字幕)] 3点(2008-11-20 13:46:59)

243.  電車男 オタクの冴えない男と容姿端麗の女の恋愛劇にはなんの新鮮味も無い。普通にこれ以上の劇的な恋愛劇は現実世界にいくらでも溢れかえっている(実際、私のはもっと凄いぞ)。社会現象化までしたのは恋愛劇でもオタク少年の成長話でもなく「2ちゃんねる」という新しい装置の上に展開されたことにある。私は「2ちゃんねる」どころかインターネットやIT全般に疎く、いまだに偶然行き着くことが無い限り「2ちゃんねる」を覗くことが無いので、かなり時代に乗り遅れている身分ではあるが、当時、これが書籍化されたときにヨメが購入して一人で爆笑していたので私も読んでみたのだがこの世界に全く疎い私ですら爆笑できました。もちろん書籍は実際の掲示板でなされたことのダイジェストであって面白い部分を凝縮しているのだろうけど。要するにこの現象の面白さは「2ちゃんねる」に寄せられる「ことば」にあるように思うんです。あるいは掲示板に出現する「絵」にあるんです。だからこの現象の面白さを映像で表現するのはほぼ不可能。分り易い例だと「衛生兵!」あたりを実写として映し出すとここまでつまらなくなるのかと思うほど貧相だ。そして映画はその現象に参加していただろう不特定多数を特定の数人にしているところで「成長話」の色を濃くするかわりにインターネットの怖さでもあり魅力でもあるものを覆い隠してしまう。つまり話題だけ借りたどこにでもある恋愛話と成長話でごまかしたコズルイ作品ということ。そのコズルさを全否定はしないが。[DVD(字幕)] 4点(2008-11-19 13:09:40)

244.  ルパン三世 カリオストロの城 大人になって見直したことはないのだが、見る度に心底楽しんだことは間違いなく覚えている。もしモンキー・パンチの漫画しか知らずにこれを見たら戸惑いもしただろうが、宮崎ルパンはテレビで何度も見ているのでじゅうぶん受け入れられる。そもそもテレビアニメの後期ルパン(赤いジャケットのやつ)よりも初期の宮崎ルパンが好きだったし。というか後期のはパッチリ目の峰不二子がイヤだった。ただ、この作品のルパンは同じ宮崎ルパンであってもテレビ版よりも遥かに優しくて大人。だらしなさやスケベな面にこそキャラクターの面白さが現れていたテレビ版とは打って変わる。そこに「ルパン三世」としては物足りないものを感じるわけだが、言い換えればすでに培われたキャラクターに頼ることなく面白いものを作り上げたともいえる。実際この映画の面白さはルパンや次元や五右ヱ門のキャラにあるのではなくアクションシーンにある(クラリスは例外)。このアクションの一つ一つが心底楽しいのだ。ラストの銭形のセリフには感動しないどころか気持ち悪いとさえ思ったのだが、それはやっぱりテレビ版との違和感がそう思わせたのだろう。それでもあえてそうすることで1本の完結した映画として昇華させているのだと思う。[ビデオ(字幕)] 7点(2008-11-05 17:32:11)

245.  御誂治郎吉格子 貴重なフィルムということらしいが全く古さを感じなかった。お話はありがちではあるんだけど場面の展開がスムーズというか・・、ある場所からある場所への移動シーンが端折られていて、そのうえサイレントにありがちな説明字幕も入れずにそれでも混乱させずに見せてしまうってのは相当に練られた脚本と編集の賜物なんじゃなかろうか。会話字幕も簡潔にして出すタイミングも出されている時間も適当に良く、こういうところでも映画のリズムを作っているんだろうかとすら思った。一階から二階に続く階段がまさに一階と二階のシーンをうまく繋ぎ合わせる。と同時に二階の部屋から出るにはその階段を使う以外は窓から出るしかないということを分りやすく提示してもいるのだが、その二階の窓から出るという状況をも何気に二階からの眺めを時折挟むことで観客に示唆しているのだ。と思う。そういう細やかな配慮があるからフィルムの劣化を超えて映画を楽しめるのだと思う。[映画館(邦画)] 7点(2008-11-05 17:26:34)

246.  犬猫 どこにでもありそうなストーリーのうえに心に響くとか画に圧倒されるとか全く無いのになぜか満足感を得ることができる映画。動かないカメラの前を犬とともに横切る女。同じ構図で横切れない女。同じことをやらされて、でも全然同じにならない二人の差異を面白おかしく見せるこのような古典的にしてシンプルな構成で作品は覆われている。この作品は純粋なまでに映画であろうとする映画である。映画とは関係の薄いところから抑揚を取り入れれば万人受けもするだろうに。しかしそこに映画はこうじゃなければいけないといったような「頑なさ」というものはあまり見えない。監督にはあるかもしれないけど見えない。それがかえって作風にもマッチしていていい。[DVD(字幕)] 7点(2008-10-31 13:46:42)

247.  こま撮りえいが こまねこ 《ネタバレ》 こま撮りとは思えないスムースな動きに驚いた。映画内映画がはっきりとこま撮りなので余計にそう感じたのかもしれない。光も室内と屋外の差はもちろんのこと、朝と昼にも差がちゃんとあるし、光の当て方でこまちゃんをより立体的にも見せている。こまちゃんのおじいさんはどうやら映画監督だったらしくおうちには猫型オスカー像がありました。映画ポスターも貼ってあったんだけど、じっくり見たいなあ。物足りない点はマジメに子供向けなのはいいんですが、ちょっと毒がなさすぎってところ。こまちゃん、純粋すぎ。その中でラジ坊とカラスの対決に見るラジ坊の良い子を装った策略の毒気がなかなか良い。子供はこうじゃなくっちゃ。[映画館(邦画)] 6点(2008-10-28 13:12:27)(良:1票)

248.  大いなる幻影(1999) 《ネタバレ》 『ニンゲン合格』同様に、生きることの根源としてある自己の存在価値についての葛藤が描かれているのだと思う。女はカーテンで隠された郵便窓口で働く。外部との接触を阻まれた世界で外部との接触を切望しているふうでもある。彼女の地図に日本は存在しない。自分が今いる場所において自らの存在を確立できずにいる。男は対人関係のわずらわしさから逃れるためにあえて自ら存在を希薄にしてゆく。この世界に存在すること自体に苛立ちを持ちはじめる。そして本当に体が透き通ってゆくのだ。恋人たちが公園で遊ぶ。男と女のあいだをボールが行き来する。ボールを通してそれぞれの存在を確認することで女は喜び男は苛立つ。そういった構図はなんとなく理解できるのだが、なんとなく意味ありげなシーンに埋め尽くされた映画は大きな展開があるのかないのかすらよく分からないままに淡々と静かに過ぎ去ってゆく。ちょっと厄介な映画。これもまたずいぶん前に観たものだが、再見の意欲が湧かずにいる。観たら観たで何か発見できるかもしれないのだが。ラストは唯一大きな展開を見せてくれるので安堵と混同した感動がある。郵便窓口の境界線を突き破って女は自らの位置(存在)を確立する。男は存在を消してしまったにもかかわらず存在を消した状態ごと女が受け入れたために存在を消した男として存在するという存在証明を手にする。書くとややこしいな。まあ、どうとでもとれる映画でもある。[ビデオ(邦画)] 6点(2008-10-24 16:39:04)

249.  ニンゲン合格 自らがこの世界に存在する意味や価値を問う。『大いなる幻影』『叫』そして『トウキョウソナタ』へと繋がるテーマの源流がここにある。あるいは『アカルイミライ』を経て『トウキョウソナタ』に結実する「家族」という特別な人間関係の本質が描かれる最初の作品でもある。その方法として黒沢清は主人公を10年間眠らせる。10年間存在を消す。10年間家族からひとつのピースを削る。家族の見た目の崩壊と再生が繰り返されることで最初から崩壊も再生もしていないことが露呈されてゆく。黒沢清が描く現代の家族はフォードや小津の映画のような父が守り続ける家族とは対称の位置にある。しかしその悲しい現実を黒沢映画は深く受け入れる。深く受け入れたところから今を描く傑作が生まれるのだ。「オレ、存在した?」この直接的な問いかけが心に染みる。この場合、問いかけというより確認かもしれない。ちゃんと存在したことを確認できた者はそれだけで人間として合格なのだ。[ビデオ(邦画)] 7点(2008-10-23 15:28:38)

250.  蜘蛛の瞳 『蛇の道』は一目でとんでもない傑作を見てしまったという感慨に襲われたが、この、『蛇の道』とは別個の話でありながら姉妹品のような位置を持つ『蜘蛛の瞳』にはただひたすら戸惑うのみであった。北野武映画の常連が占めていることもあってかどうも北野映画の模倣のような印象があって、しかも微妙にはずしている。違和感という言葉がしっくりくる。この作品を観てからずいぶん経つが、この違和感がどうにも気になってしょうがなく、いつのまにかこの違和感こそがこの作品の魅力なんじゃないかと思うようになってきた。違和感の最たるシーンが哀川翔と菅田俊の追いかけっこなのだが、「追いかけっこ」という躍動する動きを全く無視して、追いかけっこする二人が黒い点になるくらいの超ロングで撮っている。通常ではありえない撮り方。そういえばその後の『カリスマ』『ドッペルゲンガー』でも型にはまらない、というよりあえて型に合わない演出をしてみせている(『ドッペルゲンガー』のレビューにも以前書きましたが)。これは映画はこう作らなきゃいけないという間違ったルールへの反抗なのか。とにかくところどころのこういった違和感、あるいは破綻がオリジナリティへと変貌し、独自の魅力を発散している。菅田俊が化石を「一度死んだものが別のものとなって生きる」と評する。ここは『蛇の道』で描いた死者が別の場所で生者となることに通じている。そして黒沢清が描き続ける「幽霊」のとらえ方が表れている。[ビデオ(邦画)] 7点(2008-10-22 13:54:23)

251.  スウィートホーム(1989) 『ポルターガイスト』が82年だから、これはやっぱりショボイです。でも体の切り口だとか溶け具合だとかのグロさは今流行りの血しぶきが大袈裟な低予算スプラッターと比べても引けをとらない大袈裟スプラッターぶりを見せてくれるうえに、湯気があがる肉塊のおどろおどろしさは他に類を見ないインパクトを持っている。当時は『タンポポ』『マルサの女』と立て続けにヒットを飛ばす伊丹十三がホラーを作ったみたいな宣伝だったと記憶してます。レベッカのNOKKOや古舘伊知郎といった異色のキャスティングもさすがは従来の邦画にはなかったエンターテインメントを作り出す伊丹十三だと感心したものでした。でもあらためて(それでも数年前ですが)観てみると、商品としての価値をあげる伊丹の演出と作品の中でのホラー演出とが妙にチグハグしている印象を残しているような気がします。風に揺れる影の演出はなるほど黒沢清だと思った。ラストのファンタジーな展開はかなり浮いている。そしてそこが一番ショボイ。怖いけどムリヤリな感動が邪魔をしている。[ビデオ(邦画)] 4点(2008-10-21 14:16:31)

252.  トウキョウソナタ 《ネタバレ》 黒沢清は目に見えぬものを見えたかもしれないと思わせてしまう。それはホラーというジャンルにおいてじゅうぶん発揮されてきた。しかし『アカルイミライ』という傑作がホラー以外でもその力を発揮できることを証明してみせた。だから黒沢清の非ホラー映画を心待ちにしていた。この待ちに待った黒沢清の新作が傑作であることは当然なのだという、作品にとっては非常に酷な期待を持って観たのだが、全く期待は裏切られることなく、そして期待を裏切られないということがこんなにも幸せなことなのかと感動した。『トウキョウソナタ』に登場する家族のそれぞれは、これまでの黒沢映画が描いてきた人物同様に、自らの存在価値を見出せずにもがいている。この世界に自分は必要なのか。この家族に自分は必要なのか。「お母さん役もそんなにいやな事ばかりじゃないよ」と小泉今日子が演じる佐々木恵が言う。そこに「お母さん役の人」はいるが「佐々木恵」という個人はいない。お母さんでいることから外に出て何かを見る。真っ暗な夜の海辺にオレンジの薄明かりに照らされる小泉今日子の顔が映し出された瞬間に、あぁ黒沢清の映画だぁと何かがこみ上げてくる。圧巻はラストにも訪れる。希望という目に見えないものが間違いなく映されるのだ。ドビュッシーの「月の光」を主人公である少年が奏でる。その美しく優しい音色と少年を照らす光と決定的なカーテンのゆれ。このカーテンのゆれはゾクゾクっとした。神懸かっている。神懸かっているにもかかわらず、それはやっぱり当然なのだ。なぜならこれは黒沢清の映画なんだから。[映画館(邦画)] 9点(2008-10-20 18:37:32)(良:2票)

253.  うなぎ いつからか邦画というと、ストーリーはマジメに進行しながらも何気にコメディタッチというものが多くなったような気がする。シリアスな中にユーモアが顔を出すといったものじゃなく、あくまで全編でコメディタッチ。この軽さがどうも苦手で、この作品もこの系統に属すると思うんだけど、他の多くのこの系統の駄作とは異なりコメディの部分にあざとさがなく、ちゃんと作品の世界に馴染んでいる。「軽い」というより「ゆるい」。このゆるい感じを損なうような無理な笑いとか無理な感動とかは入れない。ゆるい笑いとゆるい感動があるだけ。この押さえ加減が良い。今村監督の初期作品のようなエネルギッシュさは無いかもしれないが、こういうのもたまにはいい。[ビデオ(邦画)] 6点(2008-10-10 16:54:45)

254.  殺しの烙印 安っぽいアメリカのハードボイルドの雰囲気を醸すも主人公はハードボイルドとはほど遠いご飯の匂いフェチ。とことんウラをかいてくる。さらに日活解雇の逸話からも想像できる美しい映画文法の破綻がそそる。生活感を一切感じさせないモダンな部屋のカットがセックス描写の合間に挿入され、そのセックス描写も後の『陽炎座』において芸術の域にまで達した感のあるデフォルメされたカタチを映すのみで性的な臭いは一切ない。唯一性的な臭いを感じるのが、本来生活感を感じさせるはずの炊飯器という観客のイメージをも混乱させるつくりに驚きと喜びがこみ上げる。イメージといえば、主人公の中で雨とともにイメージ化された女を、常にそのイメージのまま(雨とともに)登場させることにも驚いた。実体感の無い女を見事に演出していた。つくづく思った。鈴木清順は凄い! きっとこの人は我々を驚かすことだけを考えてこんなことをやっているのではないと思う。ただ映画が、テレビや演劇でもない、ましてや小説でもないということを誰よりもよく知っているだけなんだと思う。[DVD(字幕)] 8点(2008-09-16 18:10:39)(良:2票)

255.  エリ・エリ・レマ・サバクタニ 冒頭の無造作に死体が転がるどこだかわからない異国感溢れる風景にとんでもなく引きつけられるのだが、そんな終末ワールドとは不似合いなペンションに場を移すと岡田茉莉子が岡田茉莉子としてそこにいるとしか思えないぐらい、ペンション同様にこの映画の世界に溶け込まない存在感を発揮しながらしゃべりかけてくる。コメディか?と思う間もなくコメディでしかあり得ないようなキザな格好をした探偵が現れ、とあるバーにて『ガルシアの首』だったか、聞き込みをしていると女が色仕掛けで寄ってきたかと思うといきなり殴り倒すというシーンをそのまま真似して見せ、やっぱりコメディなのか?と思ってると筒井康隆がなんだか腰を低くしてしゃべり続ける様がどう見てもコメディでしかないと確信を持たせてくれるのだが、こちらがやっとコメディの心構えができ、黒沢清とは全く違う終末ワールドのそのゆるーい感じに浸っているとフラッシュバックで浅野の元カノのビデオ撮影とか自殺とかが映され、せっかくのゆるーい感じを遮断してしまう。いったいなんなんだ。正直、面白くない。のだが、ついていけないから面白くないのだろうから、それじゃ悔しいので、その後、日を置いて2回、つごう3回鑑賞してみたのだがやっぱりよくわからん。ただ、初見時の不快感にも似たイライラはなくなって、むしろこの映画、べつにイヤじゃないって思うようになった。またいずれ見る機会がくるような気がする。というか、見たいかもしれん。[DVD(字幕)] 6点(2008-09-11 12:31:45)

256.  復活の日 ハリウッドに負けないような娯楽大作を目指したのだろうが、邦画が大作を作ろうとすると、なぜかお話自体がやたらスケールのデカイものをもってきて、お話のスケールがデカイゆえに要らないシーンがてんこ盛りになって、なぜかいつもオールキャストで、オールキャストゆえの要らないシーンがてんこ盛りの映画になってしまう。この作品も例に漏れずで、冒頭、潜水艦から草刈正雄に廃墟と化した日本を覗かせるという『渚にて』へのオマージュらしきシーンから入ってゆくのはいいが、そこから時間が戻って延々と別に無くてもいいようなドラマを見せられる。いちいち書くのも面倒くさいほど要らないシーン(エピソードごとごっそり要らないのもいくつもある)だらけ。いっそのことガリガリにやせ細った草刈正雄が太陽をバックに歩くシーンから始まって、時々フラッシュバックでオリビア・ハッセーのキレイな顔を映して、あとはひたすら草刈正雄がフラフラと南下してゆくだけでいいような気がするが、そんな映画に金出さんはな。と、こき下ろしたが、この無駄だらけのショボイ映画にけして心地の悪いものではない懐かしさを感じてしまうのは何故だろう。そういう年代か?[ビデオ(邦画)] 4点(2008-09-08 17:57:47)

257.  マリー・アントワネット(2006) ソフィア・コッポラが女性をキュートに撮ることのできる監督であることは『ヴァージン・スーサイズ 』と『スパイダーマン』シリーズのキルスティン・ダンストを見比べればよくわかると思うが、この『マリー・アントワネット』がとどめをさしてます。ただ、『ヴァージン・スーサイズ 』がそうだったようにいかにも写真家さんらしい画の中でのキュートさであり、キルスティンの困った顔も可愛い笑顔もあきれた顔もそのカットごとのキレイさとかキュートさとかは巧く撮れているのにそこからの拡がりがないというか、ただキュートなだけ、ただ可愛いだけという感じ。もちろんその、「ただ可愛いだけ」を撮るのには彼女の写真家として培われたであろう例えば顔に当てる光の角度とか強さとか色とか、あるいは化粧とかカメラの場所とか一瞬の表情を導く信頼関係の作り方とかそれを見逃さない臭覚だとかという技術と感性の賜物であってやっぱりこれも才能なのだとは思う。その才能と映画がうまく結びつけば面白いものが出来るんじゃないだろうかとデビュー作『ヴァージン・スーサイズ 』は思わせてくれたのだが、まだ映画ではなくキレイな画で終わっている。しかも、お菓子を美味しく見せるまさに写真のような画の挿入を見るに、デビュー作よりも写真の世界に近づいてるような気が・・。でもキュートな女の子が好きだからもう少し様子を見よう。[DVD(字幕)] 5点(2008-07-07 17:58:23)

258.  トゥモロー・ワールド 《ネタバレ》 この作品を面白くないと言われる方のレビューを読んでなるほどなるほどと思えるところもあるんだけど、やっぱり擁護したい。子供が地球上にいないということがどんなに絶望的なことか。数十年で人類が滅びるということがどういうことか。学校も公園も子供の笑う声も無い世界がどんなものか。映画は映画なりにそのことを描こうとしている。でもあまりにも突飛で、その反面現実的すぎて想像しにくいだけなのだと思う。もっともっと想像力を駆使してこの作品の世界に浸ってほしい。どうして命懸けで赤子を守ろうとするのか。それは赤子が貴重だから?たしかにこの世界での赤子の命は貴重という次元を超えている。しかし人は簡単には何かのために自らの死を覚悟しない。主人公は自分の子供をインフルエンザで亡くしている。その事を主人公の父は、信念を持って生きていたが運命に負けたと評する。主人公は自分の子供のためにできなかったことを必死でしようとしているだけなのだ。信念が運命に打ち勝つように。別れた妻も同じだったに違いない。ヒューマンプロジェクトは全世界でイギリスだけがかろうじて政府組織が存在するという危ない世界で、しかもその政府が政府を維持するためにしか機能していない状態だからこそ、国家ではなく人類のことを考える組織が存在する可能性はある。以上、設定やストーリー自体への擁護をしてみました。圧巻と言われる長回しは冒頭の爆破シーンが一番良かった。車が襲われるシーンや銃撃戦のシーンは、おそらくカットを割ったほうが良かったかもしれないが、こういうお遊びと言ったら失礼だろうが、出演者、スタッフらが力を合わせて行っただろう撮影風景を想像すると楽しくなってくる。絶賛は出来なくても応援はしたいと思わせたのはこの長回しのせいだと思う。ラストは暗転後に子供たちの笑い声が響き、エンディング曲が全て終わったあと、もう一度子供たちの笑い声を入れて締める。全編が暗い世界観で占められた世界を少し明るくしてくれた。そしてなにより、なんの説明もないトゥモロー号が紛れもなく希望の光だったのだと教えてくれた。[映画館(字幕)] 7点(2008-06-23 16:13:04)

259.  完全なる飼育 愛の40日 回想形式にしたのは事件を引きずり続ける被害者の何かを見せたかったからなのだろうが、何かが映されたようには見えず、ただ時間軸をずらしたかっただけのようにしかみえない。一作目のレビューでもちょっと触れたが、この二作目は女が犯人に好意を寄せてゆく過程が不自然。UFOだの宇宙人だのと空想めいたことを言う女は社会からの逃避願望やら現代人の抱える孤独感やらといった問題を根底に抱えていることを訴えていて、それが女の恋愛感情への伏線としてあるように描いているが、こういったわかりやすすぎなやり方でしか根底の諸問題を訴えられないのかと思うと情けなくなってくる。だいたいここで社会派チックなことをすること自体どうなのかと思うが、やるならやるで徹底的にしてほしい。主演の女の子の棒読みはかなりひいてしまったが、回想時の語りが棒読み具合がひどく、演技を伴ったときはまだマシだったので、おそらく催眠術にかかっている状態を彼女なりに演じてのことなのだろう。それでOKを出す監督も監督だと思うが。[DVD(邦画)] 3点(2008-06-16 12:48:59)

260.  完全なる飼育 原作がどうなのか知らないが少なくとも小島聖の心理描写はストックホルム症候群のソレとは大きく異なるように思う。原作のせいかシナリオのせいか。犯人のけして暴力を振るわない監禁はストックホルム症候群を起こしうる条件を満たしている(次の「愛の40日」はそういう意味ではお話が崩壊している)ので、小島聖の舞台劇のようなメリハリのあるセリフまわしのせいかもしれない。ところどころで喜劇調になるのだが、なりきれていないというか、、、とくにアパートの住民たちのユニークなキャラが活かしきれていなくて残念。だってこれ、コメディですよね。[ビデオ(邦画)] 5点(2008-06-10 15:17:12)

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