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プロフィール
コメント数 3885
性別 男性
年齢 53歳

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281.  野良猫ロック 暴走集団’71 シリーズ第5作、この最終作に至っても結局、何がノラ猫で何がロックなのか、分からなかったけど、まあ、そんなことはおいといて。 公開日の関係でタイトルには「'71」が入っているとは言え、映画の最後には「1970.12.23」という日付が入っていて、1970年という年の中を、5本が走り抜けたこのシリーズ。最終作は残念ながら(?)第2作目と同じく藤田敏八がメガフォンをとっていて、同一シリーズとは言え、第1,3,4作の長谷部監督作と第2,5作の藤田監督作とは、テイストが異なります。前者が「若者vs若者」の衝突であるのに対し、後者は若者が社会と対立、挑戦するような内容、いわば「若者vs大人」の構図。女性よりも男性の方が映画の中心にいて、特にこの第5作では、これまで中心にいた梶芽衣子の存在も影が薄くなり、いかにもビンボー臭い容貌の原田芳雄が、映画の真ん中に腰を据えている。むむむ。やっぱり、一体何がノラ猫で何がロックなんなんだ、と。 と言う訳で、ロックというより、だいぶフォークのニオイがする作品となっています。一応、ザ・モップスとかいうバンドで、モップ頭で歌う鈴木ヒロミツなんかも登場して、ロックに詳しいヒトにはもしかしたらタマランのかも知れませんが、私は疎いのでよくわかりません。むしろマチャアキが歌ってるシーンもあったりするもんだから、どちらかというと、漂っているのは昭和歌謡ムード。あと、乱交チックな場面を挿入して、多少アナーキーなところも見せたりしてます。これが、ロック? で、それが終盤には、銃やらダイナマイトやらでの闘争に発展。その舞台となっている背景のセットを見ても、いかにもマカロニウェスタンな世界。なんじゃ、こりゃ。 このぶっ飛び具合が、何となくハリキリ過ぎの作為めいたものを感じたりもするのですが、それもまた、今の観点でのうがった見方なのかも知れませぬ。この勢い。華々しい、シリーズの幕引きでした。[インターネット(邦画)] 6点(2021-04-17 09:36:57)《改行有》

282.  斬、 池松壮亮演じる主人公も、塚本監督演じる浪人風の男も、どちらも剣の腕前は超一流、滅法強い。後者は、普段は穏やかで冷静ながらも、いざ剣を抜くべき時には剣を抜く、実に頼もしい男。であるのに対し、前者の主人公はと言うと、人に向けては頑なに剣を抜こうとしない、過剰なまでの煮え切らなさが、何とももどかしい。 しかし、結局は、二人が剣を持ち、そして強すぎるが故に、理不尽な戦いに向かわざるを得なくなる。それは、この二人だけではなく、主人公の弟分にも当てはまるかもしれない。 という筋立てに対し、登場人物たちが現代的な台詞回しで話すのを聞いていると、これは一種の寓話なんだろう、と思えてきます。国家が武力を持つが故に、戦争が起こって悲劇を迎えざるを得ない、ということ。 それが頭に浮かんだ瞬間、若干、鼻白んでしまうのも事実なのですが、しかし。 冒頭の刀鍛冶のシーンに始まって、劇中、刀を抜く、或いは鞘に収める音を克明に捉えてみせる、剣のイメージ。肉体損壊を伴う、凄惨な殺傷の描写。といったものが、山奥の静かな村で展開される、その様は、寓話であるか否か以前に、充分に我々に迫ってくるものを感じさせます。 そして、虚構の世界であるが故に、登場人物の死は、多かれ少なかれ、その本人の存在感を彩るものとなるのだけど、逆に言えば、映画の中で死なないことほど、むごい罰は、無いのかもしれません。 80分ばかりの短い作品ですが、濃密な世界でした。[インターネット(邦画)] 8点(2021-04-14 07:21:27)《改行有》

283.  野良猫ロック マシン・アニマル 《ネタバレ》 最初こそ多少のいざこざはあれど、「米軍脱走兵を匿い、海外へ逃がす」という目的のもと、たちまち梶芽衣子と藤竜也が共闘モードに入るもんで、この第四作、内容的にはかなりスッキリしています。ちょっと拍子抜けするくらいに。 最初に少しいざこざを交えることで、それに対する和解が、一気に親密度合いを深める、というわけですな。 仲間が集まりワイワイやってる、それを見守る各リーダー格の藤竜也と梶芽衣子が、何だか、デカイ子供たちを見守るパパとママみたいに見えてくる。 実際はそこに、LSDの取引などといったアブナイ話も絡んで、そこは本シリーズのアナーキーな持ち味でもありますが。 一方で油断ならないのが、郷鍈治率いるバイク軍団。そうか、リーダーはサイドカーに乗るものなのか。じゃあゴレンジャーのリーダーは実はキレンジャーだったのか。 彼には何やら過去があり、彼の背後には車椅子の范文雀がいて。紫色の部屋で、いつもオルガン演奏によるバッハの「フーガの技法」を聴いてるのが、なんかコワい。 やがて梶・藤と郷との抗争に発展した事態は、急転直下、すべてが徒労に終わるという虚しさに溢れた顛末を迎えることになるのですが、どこか、全てをやり切ったという清々しさみたいなものも感じないでは無く。 これまでの四作中、三作を長谷部安春が演出していて、細かいショットをチカチカとサブリミナル的に切り替える実験的な手法はここでも健在。とんでもない場所をバイクで突っ切ったりするアクションも、第一作のノリを感じさせます。 違うのは、藤竜也にヒゲが無い、ってことだけど、ヒゲが無くても、カッコいいねえ。[インターネット(邦画)] 7点(2021-04-11 22:42:46)《改行有》

284.  トラック野郎 御意見無用 シリーズ第一作からもう、全開モード。むしろ、まだ誰も何も期待してない分、自由奔放なのが第一作の強み、なのかも知れませぬ。 内容は盛り沢山、マドンナに対する一目惚れは勿論のこと、花束のエピソード、ライバルとの対決エピソード、捨て子のエピソード、ジョナサンの隠された過去の話・・・。そうそう、桃次郎とジョナサンとの喧嘩のエピソードもあって、もはや愛川キンキンが何に対して怒ってるのかもよくワカランのだけど、二人が波打ち際で水を掛け合えば、すべてが水に流され、ああ、二人ともバカだなあ、イイなあ、と思えてきます。 このおバカな主人公を演じる文太さん、一見荒削りに見えながらも、ときに絶妙の間で笑いをとってみせ、なかなかの喜劇俳優ぶり。 投入された脈絡のないエピソードが、見事なまでに、落ち着くべきところに落ち着き、サバサバしているのかと思ったら妙なところで泣き出したりするマドンナ中島ゆたかの破綻寸前のキャラクターが、彼女の抱えた苦悩の目眩ましになっていて、その苦悩が明らかになったとき、桃次郎の侠気が炸裂、怒濤の爆走クライマックスへ。  と言ってもアメリカ映画のカーアクションみたいに派手なことは出来ませんが、木の枝がトラックに激突し、泥水が(バケツでかけたように)飛び散り、気分だけは負けてません。 バカだから、カッコいい。それがこのシリーズの持ち味ですね。[インターネット(邦画)] 8点(2021-04-11 12:38:37)《改行有》

285.  黄金の犬 所持するマイクロフィルムのために悪徳政治家の手先に追われる男一匹と、家から遠く離れた北海道で飼い主からはぐれた犬一匹との、逃避行。 単に可愛いはぐれ犬を夏八木勲が拾った、みたいな感じになっちゃってるのがちょっと弱い気がして、彼が犬に惹かれたことの動機付けがもう少しあってもよさそうだけど。ただ結果的に、犬が彼を鼓舞することになる、というエピソードは準備されてませす。 彼らを狙う狂犬のような男が地井武男。主人公の犬よりも獣っぽい役どころ、確かに地井さん、目付きは鋭いのですが、顔立ちが整ってて、狂気までは感じさせず、迫力不足に思えます。こういうのは安っぽい映画ほど得意なところで、メイクで顔に傷痕のひとつでも描き込んで、迫力を補うもんです。 そして事件の真相に迫る型破りな刑事が、鶴田浩二。すぐに手錠を持ち出したりして破天荒さをアピールしますが、これこそ「人の良さそうな眼鏡のオジサン」にしか見えない悲しさ。もう少し落ち着いたキャラに変更してもよかったのでは。 で、それらの登場人物たちが日本各地を転々とする、その割には、妙に易々と互いに出会っちゃう。これを安易に「ご都合主義」とは言いたくないけど、でも、ここまで簡単に出会えちゃうと、スケール感を損なってる気がして(地井さん、アナタのことですよ!)。 しかし、銃撃戦あり、カーアクションあり、海上保安庁の協力あり、犬とアザラシの死闘(?)あり、そういった点での見せ場は多く盛り込まれて、映画を盛り上げます。銃で撃たれりゃ噴き出す血ノリの量も通常の2、3倍。森田健作など、どこからそんなに湧き出るのか、という血の量に、仕込まれた火薬の煙がまるで湯気を上げているようで、まさにこれぞ熱血漢。 あと、サービスとして、一番星桃次郎とおぼしき人物まで特別出演。チョイ役なので実現しなかったけど、もしも彼が島田陽子に出会ってたら、また例によって彼女の周りにお星サマがキラキラきらめいていたんだろうか。[インターネット(邦画)] 6点(2021-04-10 13:25:20)《改行有》

286.  ヌードの夜 《ネタバレ》 この映画、カッコいいねえ。ダサくて不器用で、カッコいい。演出にはさすがにちょっとキザなところもあるかもしれないけれど。 何でも代行屋、なんていうのがマンガ的で、その主人公を、マンガのダメキャラを体現したような竹中直人が演じてる。その彼がある事件に巻き込まれる、ハードボイルド。 彼が不器用なのは勿論のこと、ミステリアスに思われた余貴美子も不器用なら、狂犬のような椎名桔平、彼こそが最も不器用な人間かもしれない。 何が現実で何が非現実なのか、ラストに示されるのは、ある一つの答え、なのかもしれないけれど、何か掴み所のない、モヤモヤしたものが残ります。 今となってみれば、まるですべてが夢の中であったかのような。[インターネット(邦画)] 8点(2021-04-09 06:38:03)《改行有》

287.  水のないプール 《ネタバレ》 日常に倦んだ男の暴走。 暴漢に襲われた女性を助ける、シャボン玉を吹く不思議な女性と出会う、息子と昆虫採集をする。そういった脈絡のない事象の数々が、男の中で予想外の化学反応を起こす。 クロロホルムで眠らせて婦女暴行に及ぶ、という卑劣な犯行ではあるけれど、その一方的な行為の中に、代わりに家事をやってあげる、という、微妙に相手との接点を探るような不思議な行為が含まれており、被害者であるはずの女性が、これまた何故か、誰の仕業なのだろうという関心から、その行為に対する期待が生まれる時、そこには一種の安定状態が生まれる。 安定状態と言えば、男は、犯行の前に出会った二人の女性とも、当初の関係を保ち続け、決して彼女たちには手を出さない。 だったらもう、それでいいじゃないか、と我々に感じさせることを、男はまるで拒絶するかのように、モラルの対局まで、男は暴走を続ける。 最後は男は我々に向かってアカンベーをしてみせ、何も解決してないし何も終わってない、ということを、我々に突きつける。 この映画の持つ、恐るべきパワーとスピード感。恐るべし。 昔はこの作品も民放の深夜放送とかでやってたんですけどね(ボカシが心なしか強めだったような気がしたのは気のせいですかね?)。内容があまりにあんまりなので、ある事件の後で放送が差し替えられてからは、なかなか放送されなくなりました。[インターネット(邦画)] 8点(2021-04-04 22:34:30)《改行有》

288.  野良猫ロック セックス・ハンター 監督が長谷部安春に戻ると、また梶芽衣子が女性軍団引き連れてます。しかし一方では、藤竜也率いるジープ軍団と、一匹狼・安岡力也の対立があって。 藤竜也がいかにもワルそうで、いかにもカッコいい。安岡力也は何だか松田優作をイカツくした感じで、時々、松田優作そっくりに見えることもあり、やっぱりイカツいのでそっくりに見えないこともある。 ストーリーはあるのやら無いのやら、だいぶ適当な気もするのだけど、リンチやらレイプやら、暴力性はグレードアップし、梶芽衣子も火炎瓶振り回して、かなりアナーキー。クライマックスの銃撃戦に至るまでひたすら暴走気味で、まさに、野良猫は眠らない。[インターネット(邦画)] 7点(2021-04-04 21:40:18)《改行有》

289.  大怪獣バラン 『大怪獣バラン』と『大怪獣モノ』とを続けて見たもんで、どっちがどっちだったか、ごっちゃになってしまって。 って、そんなワケないですよね。一方は日本怪獣映画史の初期に位置するモノクロ作品、もう一方はカラーのおちゃらけパロディ作品。 本作、すなわち前者は、火山の噴火で現れた大怪獣とプロレスラーが闘う話です。 アレ?違う? それはさておきこの大怪獣モノ。じゃなかったバラン。カラー作品のラドンから再びモノクロに戻り、出てる役者が地味ならバランが暴れる場所も地味で、存在自体が破壊を招くようなラドンに大きく水をあけられた印象。しかし四本足の怪獣がノシノシと民家を踏みつぶす光景は、モノクロ映像ならではの迫力もあって、なかなかのもの。 さらにはオレだって空飛べるんだぜ、と器用なところも見せてくれるけれど、これはその後の展開に活かされる訳でもなく、単に怪獣をいったん退場させるための方便にしかなってないですな。 とにかく、スペクタクル性ではゴジラやラドンにかなわないんですが、映画の大半を怪獣との戦いに費やしているのが本作の特徴で、ふんだんに使用されるミニチュア撮影もクオリティが高く、当時の特殊効果技術の水準の高さ、志の高さをうかがうことができます。[インターネット(邦画)] 6点(2021-04-04 07:54:54)《改行有》

290.  文学賞殺人事件 大いなる助走 俗物たちがわんさか登場し醜態を見せつける筒井康隆ワールドに、御大ご本人も登場し、日ごろの憤懣をぶちまけるその姿は、とても演技と思えませぬ。 文学界の裏側をここまで戯画化して茶化しちゃうと、んなアホな、と誰もが真に受けずに苦笑しながら受け流すところですが、でも実はこれが実態だったりして。 佐藤浩市が得意の土下座をカマすと、その場にいる全員が慌てて土下座を始める、なんてのは、実社会の欺瞞をあぶり出すような、なかなか辛辣で秀逸な画ヅラでした。 結局はどうしようもないオハナシですが、ヘンな哀愁みたいなのもあって、最後まで引っ張られます。 ところで作中、何度も、所謂「第九」が劇伴として流れるのですが、最後のクレジットを見てると、作曲者名が「ヴェートーベン」となっておりました。 誰だよ(笑)。[インターネット(邦画)] 7点(2021-04-03 12:25:48)(良:1票) 《改行有》

291.  野良猫ロック ワイルド・ジャンボ 第一作が女性軍団大活躍、という作品だったのに対し、監督代わって第二作では、男性達の中に女性が混ざった、ゴレンジャータイプ。この時点でちょっと特色も薄れ気味、ではありますが。 しかしワイルドジャンボって、一体何でしょうね~。そんな名前の宝くじ、いかにもありそうですよね~。 という訳で、というワケじゃないけど、一攫千金のオハナシ。前半はおバカな若者たちの野放図な生態が描かれ、後半は彼らの現金強奪作戦が描かれます。 やっぱりこういう映画って、例によって、『冒険者たち』みたいな作品を狙ってるんですかねえ。似ても似つかん、とまでは言わないけど、言わないだけで心の中ではそう思ってる。 だけど、こういう全部を投げだすようなラスト、イイなあ、と思っちゃう。メチャクチャなんですけどね。 カメオ並みのわずかな出番だけど、アッコさんのパワフルな歌声は存分に味わうことができます。[インターネット(邦画)] 5点(2021-04-01 22:21:08)《改行有》

292.  極道大戦争 吸血鬼に血を吸われた人間は吸血鬼となるよう、極道に血を吸われた堅気は、極道になってしまう、という、考えようによってとても真っ当な内容の映画。 と持ち上げようと思ったけど、途中からはもう、極道映画でも吸血鬼映画でもなくなって、ナゾのキャラ達が果てしのないバトルを繰り広げる格闘映画と化す。 とことんバカバカしく、かなり寒いギャグも挿入されるけど、もうここまでくると、ちょっとやそっとの寒さは気にならなくなります。 それよりも、この小汚い街角を舞台にしたニラミ合いや激しいバトルが、見てるうちに何だか妙にカッコよく見えてきて、『用心棒』でも見てるような気分になってくる。 と、何の義理だかよくわからんけど、この映画を持ち上げておきます。[インターネット(邦画)] 7点(2021-03-30 22:36:31)《改行有》

293.  地獄(1960) こういうネタで映画を一本でっち上げようというセンス、というかセンスの無さ、というのが一番オソロシくって、全く常識が通用しそうにない、何が起きるか本気でワカラン、という映画です。実際、子供の頃テレビで怪奇映画を紹介する番組やってた時、この映画は破格の怖さでした(そう、ゴケミドロ並みに)。 100分ほどの映画のうち、最初の1時間で現世のドラマが描かれるも、面白いように人が死んでいき、気が付いたら都合よく、全員死亡。そこから後はひたすらあの世が描かれ、地獄の描写では拷問に次ぐ拷問。ちょん切られた手が一瞬動く、などはなかなかの芸の細かさです。皮剥の刑では何故か肉まで毟られ、もはや『ピラニア(新しい方)』状態。亡者どもが大勢、グルグルと彷徨う姿は、これこそが本当の死霊の盆踊りと呼ぶべき光景じゃなかろうか、と思えてきてしまう。 あの淡々とした罪状言い渡しが、曰く言い難い味があって、それとハチャメチャな映像とのギャップが、もう何とも言えません。[インターネット(邦画)] 7点(2021-03-28 21:44:04)《改行有》

294.  FAKE 《ネタバレ》 ゴーストライター騒動渦中の佐村河内氏本人の懐に飛び込んでカメラを回せばとりあえず何かが出てくるだろう、と、あまり深く考えずに撮影を始めたような感じで、正直、あまりうまく撮れているような気もせず、さらには森監督自身、ある取材では音声を録り忘れるという、取材者にあるまじきミスを犯してしまったりもするのですが、これが偶然にも、難聴者の暮らす世界を我々に想起させる、という不思議。ホントにマイク入れ忘れたのか、それともfakeなのか? あまり適当に取材してると、「下山事件」では映画は完成せず、著作も言い訳を繰り返すばかりで中途半端な幕切れ、ってなことになっちゃったのですが。 でもそれが持ち味か。本作のあちこちに監督自身も顔を出したり口を出したり、お陰で天敵(?)新垣氏の朴訥としたヒトの良さまであぶり出してしまう。 監督は佐村河内氏を信じると言い、佐村河内氏も監督を信じると言う。そこで監督が最後に佐村河内氏に問いかける。あなたは私に何か隠してませんか、と。 その問いに対する佐村河内氏の長い沈黙は、彼の、彼なりの、誠実さを表したものと言えるでしょう。一言、否定するのは容易いこと。しかし誰だって、何らかの嘘、欺瞞、隠し事を抱えて生きているはず。それに、彼は、いや我々は、向き合ってきただろうか、と。 ところで、かつて騒動の前、NHKで佐村河内氏のドキュメンタリーが放送され(その中には騒動後に思い返すと、作曲中はカメラを拒否するというアヤしげな部分があったのだけど)、大きな反響を呼び、視聴者のリクエストに応える形で、件の交響曲1番もNHKが放送することになって、私も楽しみに録画したクチ、なんですけどね。ただ、いざ聴いてみると、ちょっと期待外れというか、どうも緊張感が持たない。正直、私の中に、ベートーヴェンでもスメタナでもない現代日本の難聴者が作る曲とはどのレベルのものだろう、と値踏みするような邪念があったのも確かだし、イージーリスニングなノリに対する心の準備も無かったし、テレビに映る聴衆の感激覚めやらぬ姿を見て、これはきっと私の側に問題があるのだろう、くらいに思ってたのでした。クラシック界には新しい波が訪れているのかもしれない…… それがこんなことになってしまって。というモヤモヤ感。それに対する答えがこの作品の中にある訳ではないし、何かが正しい方向に動き始めたのかどうかもよくわからない。ついでに言うと、交響曲の作曲にあたって誰がメロディを作ったかなんて、どうでもいいこと(他のジャンルならともかく)。スピルバーグがジュラシックパークの監督と言えるのかどうかには無頓着でも、佐村河内氏が作曲家と言えるのかには神経を尖らせ、「聾唖の作曲家」で生まれたビジネスが、今度は糾弾ビジネスに生まれ変わって、モトを取ろうとする。しょうがない面もあるけど、なんか、切ない。 佐村河内さん、今からでも遅くない、音楽の勉強は、した方がいいと思う。[インターネット(邦画)] 7点(2021-03-28 16:19:35)(良:1票) 《改行有》

295.  砂の器 《ネタバレ》 これは原作を見事に映画として消化しきった例。だいたい、あの原作の「○○で殺害を企てる」なんていう設定を無くしただけでも大きな功績です(あんな殺害方法があり得るなら、私などいくつ命があっても足りん)。 とかいうのは別としても、時系列を変化させたり、複数の事象を同時並行で描いたり、(捜査会議、演奏会、回想)映画らしい構成がもたらすダイナミズムと緊張感は無類のものがあります。 前半はひたすら地道な捜査、それに並行してある人物の人となりが、描かれます。コツコツと捜査の足を伸ばし、日本各地に出没する、丹波哲郎。このロケにつぐロケがあればこそ、ついに真相を掴んだときの感慨も、ひとしおとなります。ひたすら鉄道を駆使して、津々浦々。その意味では鉄道映画の側面もあって、あまり関係なさそうな島田陽子ですら、倒れるのは踏切のそば。 映画は、尺を大きく残した段階で真相解明に移りますが、そこでギアを上げて、壮大な親子の苦難へと物語を転じます。しかしここでも、別れのシーンではしっかり、鉄道が登場したりして。 このパートでは、捜査員は語り手、聞き手に徹し、加害者の生い立ちが中心に描かれる一方、被害者の姿もそこでは生身の人間として活き活きと描かれており、映画前半の段階では被害者もまた、伝聞の中に出てくるだけのボンヤリとした存在に過ぎなかったことに気づかされます。 クライマックスで流れる「宿命」という曲、冒頭から本気モード全開で、最初からこれだけ盛り上げたら、一体どうやって音楽を締めくくるんだろう、と少し心配になってきますが、そこは映像と音の饗宴。見事に映画を、締めくくるのでした。[インターネット(邦画)] 8点(2021-03-28 12:34:55)(良:2票) 《改行有》

296.  火の鳥(1978) 子供の頃、テレビでやってたのを夢中で見たという記憶はあるのですが、細部は忘れてしまって、だけどどういう訳か一部のシーンは気味が悪いほど鮮明に脳裏に焼き付いてて。見てから経った年月と、その映像の記憶の鮮明さとが余りに釣り合わず、何か他の作品の記憶が混在してるんじゃないかと、自分でも疑わしくなるのですが、後に原作の黎明編を読んでみると、確かにそこには記憶に似たシーンが存在していて。 で、今回、この映画版を40年ぶり(?)くらいに、見てみると。 おお、鉄の矢が岩を砕くシーンも、あの残酷な目潰しのシーンも、穴の底に生えたわずかな草をむさぼるシーンも、記憶通りそこにあるじゃないか! と言いたいところですが、正直、それぞれ少しずつ、実際よりも立派なシーンへと脳内変換されてたようです。ハイ。素顔のウズメがこんな由美かおる顔だとも思ってなかったし。 たぶん、子供の頃の私には、今と違ったものが見えてたんだと思う。 しかし今みると、ムダに説明じみたセリフの多さが気になってしまいますね。脚本は谷川俊太郎さん。きっとイイ人なんだろう、とか思っちゃうのは元々の氏のイメージにもよるのですが、ちょっと原作に配慮し過ぎかな、と。こういうのは、「手塚治虫がナンボのもんじゃい」というぐらいの人がやった方がいいと思う。 ただ一人、市川崑監督だけが、手塚治虫と横溝正史との区別がついていないようですが。 何にせよ、この原作のイメージを残しつつ実写化する、という困難を、アニメとの合成という大胆な手段で乗り越え、さらにはコミックだからこそ許される誇張やギャグまで、そのノリを取り込んじゃおうという、無謀な挑戦。 一方では、奇跡と言ってよいほど原作イメージ通りの、草刈・仲代両名の存在もあって。 失敗作といえばそうだろうけど、それだけで終わらせては、ちょっと勿体ないですね。[インターネット(邦画)] 6点(2021-03-28 11:48:12)(良:1票) 《改行有》

297.  女番長 野良猫ロック アッコさんがいくら実生活で強いからと言って、アクションスターになれるかというと、そうは問屋が卸さない。だけど、持ち前の長身にダイナミックな歌声、やや素人じみた演技なんかも独特の味を出していて、梶芽衣子軍団とは一線を画した存在感を放ってます。 さらにはところ構わず繰り広げられる、バイクとクルマのチェイス。ミニミニ大作戦(オリジナルの方)を彷彿させますが、追われてるのがミニミニならぬデカデカのアッコさん、というところに、妙味を感じます(勿論代役のスタントだろうけど)。 全編にわたって繰り広げられる、サイケ調の世界。何やら昨今、80年代がイケてる、みたいな言われ方もするけれど、いやいや、本当にアブなかったのは70年代、だと思うんですけどね。[インターネット(邦画)] 6点(2021-03-27 22:28:22)《改行有》

298.  吸血鬼ゴケミドロ 《ネタバレ》 私がだいぶ小さかった頃だと思うんですが、コレ、テレビでやってて。その時、姉と二人で留守番してたのかな? 何せあの、赤い空を飛ぶ飛行機、という不気味な映像がテレビ画面に映し出された瞬間、怖がりの私はチャンネルを変えることを主張したはず、なんですけれども、すぐにこういうのを見たがる姉に押されてしまい、一体どういう神経してるんだよ、とか思ってたら。 言わんこっちゃない、額がパックリ割れて、ニョロニョロと。もう恐怖は最高潮に。 この辺りで私の記憶は途切れるのですが(笑)。 しかし実際、今見ても途轍もなく不気味な作品で、どういう発想したらこういう作品がうまれるんだか。宇宙人侵略モノでありながら実態は吸血鬼モノ、不時着した飛行機の中と外での攻防戦。しかしあのニョロニョロの存在が、そして額の割れ目が、むやみに得体が知れなく、みやみに気持ち悪い。いや、そんなに強そうには見えないので、本来なら襲われても何とかなりそうなんだけど、そうはいかない。蛇ににらまれたカエルのごとく無力に襲われる犠牲者たち、というのが、いかにも悪夢のようで。 飛行機を脱出しても、そのさらに外では……という二重構造も、うまく活かされていて、不気味さこの上なし。いやはや、また記憶が飛びそうな。[インターネット(邦画)] 8点(2021-03-27 09:55:20)《改行有》

299.  ピラニア 3D エリザベス・シューがいてクリストファー・ロイドがいて、これでマイケルJがいれば完璧なのだけどそうもいかないので、代わりにリチャード・ドレイファス。代わりが務まるのかどうかは知らんけど。 それにしても、ひたすら人間がピラニアに食われ続ける映画。豪快に、美味しそうに、ピラニアが人間を食べまくり、これだけ徹底的にやったらアッパレ。と思わんでもないけれど、人体損壊に拘りすぎて、ちょっと単調。ピラニアから逃れようと、水に浮いたステージみたいなヤツに人びとが殺到して傾いてしまい、また水中に転落する、ってのは大いに結構だけど、こういう場合は傾くだけじゃなくって、派手にひっくり返って欲しかった。 全体的に、「想定内のパニック」から脱しきれなかった、との印象も。[インターネット(字幕)] 5点(2021-03-23 23:30:47)(良:1票) 《改行有》

300.  シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 子供たちに誘われて一家総出で見に行ったんですけどね。こんなの見終わってから家族でどういう会話を交わせ、ってんですかね、もう。息子は開口一番、「長かった・・・」と非常に真っ当なコメント、それでも何がしか、彼なりに楽しんだ様子も。 私は、というと、エヴァなんて序破Qに軽く触れた程度の免疫の無さ、終盤の「崩れ具合」にそれはそれは戸惑いつつも、どこか、記憶の奥に刺さった棘に触れられたような感覚も。 前半はまだ、大きな波乱も破綻もなく、そういう感じは無かったんですけどね。シンジ君はひたすら他者を拒絶(?)するばかり。さらに、画面外の人物がセリフをしゃべる、いわゆる「オフの音声」がしばしば使用されてたりするもんで、よそよそしい雰囲気が漂っている。だけど舞台はあくまで、穏やかな農村、友人たちは一人を除いて(?)優しいし、アヤナミ(?)は他者との交流を模索する(←こうやって「?」を連発しているあたりに、エヴァ初心者の戸惑いを感じていただけたら幸いです)。 後半、物語は大きく動き始めるけれど、物語ばかりではなく、映画の構成自体が揺らぎ始めて。あんなにコワかったゲンドウ氏が、ひたすら矮小化されていき、ただの妄想炸裂オヤジと化して。肥大化し続ける妄想のイメージ。シンジと繰り広げるのは、単なる親子喧嘩に過ぎなく、それは、チャチなセットやらお茶の間やらで行われる(それともこれら自体がシンジの妄想なのか?)。 だいたい、「父親の幼少時代」を息子が知る訳が無いのだけど、、、 と、壮大な物語がただの親子喧嘩と化す中で、冒頭における農村の光景から、映画の随所に工場地帯のイメージが挿入され、ラストはリアルな地方都市の風景で締めくくられる。 何なんだろう、これは。 アニメーションの限界に挑戦するような技巧の限りを尽くして描かれる未来戦争が、セットの中の親子喧嘩という茶番にまで矮小化され、浄化として描かれるはずのラストも、結局は「今の我々の日常」でしかない、ということ。農村が徐々に失われ、工業化が進んだ、普通の日常。 いや、それすらも今や失われつつある、という危機感、あるいはオジサンたちのノスタルジーなのか。記憶の奥の棘。[映画館(邦画)] 7点(2021-03-20 05:55:03)《改行有》

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