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コメント数 304
性別 男性
自己紹介 つたない文章力で自分なりのレビューを心がけます。映画館で観た作品は自然と評価が高くなりがちです。

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【製作国 : 日本 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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21.  夜がまた来る 雨、夜、影、ネオン、幻想的な光、ファムファタール、退廃的で行き場のない男と女。石井隆監督独特の映像表現によるフィルムノワール。 陶酔性を備えた独特の世界観を持った映画。 その世界で描かれる、男女の情念は時代性を超え普遍的なものとして存在する。 だから生きる事に疲れた時、時代に流されず在り続ける石井隆監督の映画に、あの世界のあいつらにまた会いたくなる。[DVD(邦画)] 6点(2017-01-13 23:00:56)《改行有》

22.  ちはやふる 下の句 《ネタバレ》 個で戦おうとする千早に対して、個人戦であってもチームとして支えようとする瑞沢高校の面々。 ノートを渡すという形で思いを繋ぐ北央学園。 一人で戦うのではなくチームで戦うという事を伝えようとし、繋がりを尊重としたいというのは理解できる。 ただそのメッセージを強調すればするほど、対比として個で戦う若宮を悪としようとしすぎなのではないか。 原田と新の会話、若宮と新の会話からは説教臭さ、団体=善、個人=悪という構図をどうしても感じとってしまう。 自分がかるたを誰よりも純粋に好きであり、みんなで何かをしたいという手段がかるたであるに過ぎない、という若宮の主張も自分には理解出来る。 そしてその主張は今の日本におけるハロウィンの現状やサッカーのW杯においての騒ぎ方に対する居心地の悪さに通ずるものも感じる。 だからより一層、二元論的な決めつけに違和感を覚えた。 ただ緊張と緩和のコメディー要素、若宮の圧倒的な存在感は素晴らしく、若宮と千早の対決は動作の一つ一つが美しくも迫力がありとても見応えがあったし、二作合わせて観れば青春映画として素晴らしい作品である事は間違いないと思う。[DVD(邦画)] 5点(2017-01-07 19:15:43)《改行有》

23.  ちはやふる 上の句 《ネタバレ》 前置きとして原作も下の句も未見です。 ちはやふるという映画、少なくともこの上の句に限って言えば、この映画は千早の物語ではなく、太一と机君の物語となっている。 千早という天真爛漫で太陽のように光り輝く存在に照らされ周りを回る衛星のような存在である太一。 才能、実力では新には及ばす、かるたに対する情熱、直向きさでは千早には及ばない。そして自分の思いも千早には届いていない。 心に常に揺らぎを持ち、悪く言えば芯がない不安定な存在。 しかしだからこそ、同じ様な悩みを抱える自分と重ね合わせ感情移入をしてしまう。そして彼が魅力的に思えてしまう。 机君の心情を誰よりも早く察知し、そこに寄り添えたのは、机君と同様に彼が揺らぐ存在であったからこそだろう。 そして彼らは、それぞれが抱える負の側面(太一は卑怯者である自分、机君は他者との関係を断絶し自分の殻に籠る自分)を超える。 その自分との戦いにこそ感動し、持たざる者の私は勇気づけられる。 持っている者、主人公の視点で進む青春映画が多い中、持たざる者に焦点を当て丁寧に精神的成長を描く物語は貴重であると思う。 かるた競技中の静と動、緊張感のある間の取り方もメリハリがあり素晴らしい。 下の句には太陽である千早の物語をどう描くかを期待したい[DVD(邦画)] 7点(2017-01-06 19:24:17)《改行有》

24.  シン・ゴジラ 《ネタバレ》 アニメ的な決めゼリフ、芝居掛かった演技、大事な事を台詞で言わせてしまう脚本。 石原さとみに代表される違和感のある人物造形、舞台のような台詞回しと細かいカット割りの中でのアップの多用、それらは悪い意味で気になった。 ただそれ以上に魅力的な部分が多かった。 災害時の政府の動き、次第に波及する被害とそれに比例して事が大きくなる社会情勢は現実味があった。 攻撃を開始するまでのじれったいまでの溜めは日本という国の法制度、日本人らしさをよく表しているし、なにより緊張感を生み出している。 ゴジラの見せ方、造形も魅力的。人間の視点からゴジラを捉えながら、なめるように移動するカメラ。 見知った現実の街並みの中にいるゴジラは圧倒的な迫力と絶望感をもち、多摩川決戦で感じた高揚感は忘れられない。 そして生物としての生々しさ実在感を伝える皮膚から落ちる体液。闇夜の静寂の中から発せられた光、そして全てを破壊する光線。この一連の流れは、間の取り方も含めて圧倒的に素晴らしく、恐怖と同時に美しさ、ゴジラという一つの生物の崇高さすら感じさせる。 人類が生み出した負の側面の象徴であると同時に希望を生み出すものとしてのゴジラは初代ゴジラを彷彿とさせるし、作り手の熱い思いも感じた。 様々な災害を経験した今の日本における海外への返答であり、挑戦状。そして自らへの鼓舞。 凝固したゴジラは観光スポットになるだろう。それほど日本人、人間は良くも悪くも強かで環境に適応しやすく、たくましいはずだしそうであると信じたい。 そして人類を破壊する災厄と共存するという道を選んだ点も、震災後の現在の日本の姿とどうしても重ね合わせてしまう。[映画館(邦画)] 8点(2016-08-21 11:29:09)(良:1票) 《改行有》

25.  予告犯 《ネタバレ》 社会に負けた若者達が、社会に一矢報いる。その行動に移す事になった理由や行動の過程が過去と並行して描かれる物語終盤までは、心躍ったし引き込まれた。(過去の生田斗真と関わる人たちの悪意ある態度が極端だったのは気になったものの) 戸田恵梨香が生田斗真を追跡するシーンも「その男、凶暴につき」を思い出すような長回し、追う側の粘着性、追われる側の徒労感をよく表現していた。 ただ終盤に向かうにつれて明かされる真実が、シンブンシに免罪符を与える事に終始しすぎではないか。平たく言えば「本当は良い人」にしようとしすぎではないか。 どんどん物語が個人的な問題に収束し矮小化していくし、彼らの行動を正当化するにしては、もうあまりにも多くの犠牲が出てしまっている。 最後まで感動に頼らず、ダークヒーローとして突き通して欲しかった。 そしてその攻撃的な姿勢こそが他にはないこの映画の魅力になるのではないか。[DVD(邦画)] 5点(2016-07-19 23:03:26)(良:1票) 《改行有》

26.  ばかのハコ船 《ネタバレ》 夢はある。しかしそれに向かって、努力はしない。商才もない。人望もない。運もない。 冒頭と最後の実演販売に象徴されるように、変化もせず成長もする事はない。 あぜ道を歩く二人の姿のように、二人の人生はただただ平行線を辿る。むしろマンホールに落ち、強盗を示唆させるラストは下降線を描く人生を表す。 二人と対比されるように、着実に人生が上昇していくヴェロニカ。 夢を叶える舞台が都会ではなく田舎である点も心強く、たくましい。 田舎は夢に破れた者が帰って、安泰に暮らせるほど甘くはないし、そこでこそ叶えられる夢もある事を堂々と体現する。 若者の描写はジム・ジャームッシュの「ストレンジャー・ザン・パラダイス」に近い感覚を感じた。[DVD(邦画)] 7点(2016-07-19 17:53:18)《改行有》

27.  渇き。(2014) 気持ちが悪い映画。 記号的な悪意に溢れた若者描写、音楽の使い方、隙間も余韻も抑揚もない断続的な映像の連続と台詞回し、どれもが自分には合わない。 この映画が映像の流れで語る事はない。台詞と意図的なクローズアップでしか物語を語らず、それは全て扇動的なものとして表現される。 倫理的に正しい映画かどうかはどうでもいい。 ただこの監督がどこまでも意図的に映画に対して不誠実で、人間の悪意を声高に薄くスタイリッシュに見せようとしているその姿勢がひたすら不愉快だった。[DVD(邦画)] 3点(2016-07-13 20:46:53)《改行有》

28.  菊次郎の夏 《ネタバレ》 物語を語らない、見せない映画。 菊次郎も正男も自分の思いを語らない。菊次郎が痴漢、トラック運転手を殴る場面も、ヤクザに襲われる場面も、直接的には描かない。菊次郎も正男も、自分の母親に出会うことはない。 観ている側はいつもはぐらかされ、物語に立ち会う瞬間には出来事はすでに終わっている。 共感はできても、共有はさせてくれない。だから寂しく、切ない。夏の乾いた空気も、出会いと別れも全てが刹那的であり、儚い。 それ故に尊く、懐かしく、胸に深く残る。 北野映画を観ると、いつもそんな感覚に襲われる。[DVD(邦画)] 6点(2016-07-11 02:47:06)《改行有》

29.  ラッシュライフ 全てが意味ありげに投げっぱなしに終わる。 観客の裏をかく事に、終始徹している様に感じる。 作り手がやりたい事をやりたいだけやったという印象。 演技は脚本や演出次第で、生きも死にもするという事がよくわかってよかった。[DVD(邦画)] 2点(2016-07-09 02:29:18)《改行有》

30.  ばしゃ馬さんとビッグマウス 《ネタバレ》 馬渕にとって松尾は未来の自分であり、天童は過去の自分である。そして、その逆もまた然りの鏡像関係。 だから馬渕は松尾に叱咤激励され、天童に厳しく当たる。みんな過去の自分が憎くもあり、愛おしくもあるから。 そして夢はバトンタッチされる。シナリオの取材という名の告白を通して、過去の自分に夢を託す。 松尾は馬渕を振り、馬渕は天童を振る。 夢を諦めた者は、夢を追う者に振り向く事はない。夢に振り向いてしまったら、夢を諦められなくなってしまうから。 だから馬渕は振り向かず歩く。それは、天童(過去の自分)に対しての決別でもある。 天童の未来は、また誰かに夢を託すのか自分自身で夢を叶えるのかは分からない。 ただ言える事は、夢をひたむきに真っ直ぐ追う者は眩しく美しい。そして痛々しく、残酷でもある。[DVD(邦画)] 6点(2016-07-06 13:45:38)(良:1票) 《改行有》

31.  ディストラクション・ベイビーズ 《ネタバレ》 柳楽優弥が街にでて始めて獲物を探す場面。背中越しに構えられたカメラ、長く持続するカット、途中で止まる音楽。そして、振り向いた柳楽優弥の笑った顔が映され、獲物へと向かう。 息をもつかせぬ緊張感、全てが異様でしかない空気をセリフなしで捉える。 そして、暴力を通してしか他者とコミュニケーションをとれない男を、皮膚感覚も含めて提示する。 それからは、ひたすら暴力が続く。暴力の描写も鋭い。ロングショットの長いワンカットで捉えられるその様子は、鈍重さ、暴力の美しくない姿をしっかりと映す。 柳楽は相手を選ぶ事なく、ただ楽しさを求めて、喧嘩を繰り返す。そして戦い毎、成長する姿は悟空に近いものすら感じる。 彼にとって生きる事は、喧嘩をする事なのだろう。暴力を通して痛みを感じる事でしか、生を実感できないのだろう。ミュージシャンにリベンジを果たした後の、生に満ち溢れた眩しい太陽がそれを物語っている。 暴力の連鎖の果てで長身の男を倒し、一つの絶頂を迎える。 絶頂の後、菅田将暉と行動を共にするようになった物語中盤から一気に暴力の質が変わっていく。 秩序から無秩序へ、純から不純へ。 そしてその変化と反比例するように、柳楽の存在は小さくなり、菅田や小松菜奈の物語における存在が大きくなっていく。 菅田は自分より強い相手に喧嘩を挑まないだろう。自分より有利な状況の相手とは戦わないだろう。 小松は自己防衛の為なら何でもするだろう。そしてその二人が限りなく一般人に近い存在なのだろう。 エスカレートする暴力の中で人が死に、事故が起きる。警察に嘘をつく小松。弟に対するいじめ。柳楽よりは自分に近いであろう、普通の人々が映るたびに、柳楽の存在が恋しくなっている自分がいる事に気付く。 長い不在の後、満を持して故郷に凱旋する柳楽。 闇夜に照らされたその姿は、崇高ですらある。 負の側面だけには収まりきらない、暴力の魅惑を強烈に突きつける怪物がそこにはいた。[映画館(邦画)] 8点(2016-07-04 01:45:40)(良:1票) 《改行有》

32.  映画 みんな!エスパーだよ! 《ネタバレ》 ドラマ版は大好きな作品です。 そして今回の映画版。真剣にふざけるのと、適当にやるのは全く違う。 本当に何から何まで酷いが、一番気になったのは話しの核である嘉郎の変化。 世界を救うのが嘉郎ではなかったのか。自分を救う事が、結果として世界を救う事になるのが感動的だったのではないか。少なくとも自分はひたすら不器用ながらも熱い思いを抱き行動し続ける、彼に心を動かされた。 しかし今作にはただ受動的な彼しかいない。運命をただ待つだけ。待ってたら実はみんな運命の人でした、という落ちもさる事ながら、誰と結ばれる事もなく、最後は再び自分の世界(部屋)に閉じこもり、自分をただ慰め現実から逃避する事に耽る様には心底がっかりした。[DVD(邦画)] 1点(2016-07-02 05:06:12)《改行有》

33.  日本で一番悪い奴ら 《ネタバレ》 「凶悪」とは一転してのコメディ色が強い本作。 それもこれも映画内で綾野剛がほぼ全てのシーンに出続け、常に主人公視点で話が進むため、綾野剛の人物描写がそのまま作品の性質となるからだろう。 ただそれが一本調子、緊張感の欠如にも繋がる。 銃の取り締まりの潜入捜査から、事が次第に大きくなり、状況としては緊迫していく。 しかし、作品全体の空気が緊迫するかと思えば、どこか緊張感を欠いたまま話しは進む。 幼児性を持ち純粋な存在である綾野剛が、緊迫化に歯止めをかけているからだろうし、それは意図的なものと取れる。 それに加え、アクションで魅せるでも、殺人描写があるわけでもない為、物語はアンチカタルシスの構造を保ち続ける。 そして銃が中心の物語であるにも関わらず、終始銃が道具として機能せず役割を失ったままで終わる。 機能しない事で不在の中心であり続ける銃、アンチカタルシスな物語が、煮え切らない居心地の悪さを生み出す。 その居心地の悪さこそがこの事件の本質であり、機能しない銃は良くも悪くも古くからあった男性性の消失を象徴しているのだろう。 そしてそれがドラマではない現実ということ。 終盤の、馬が走る→人が走る→自殺という、より動的なものから究極の静的なものへのスムーズな移行。 映画の観客=一般市民に向けられた挑発ともとれる、綾野剛の逮捕場面でカメラにぶつけられるペットボトル。 そのような細かい描写も魅力的だった。[映画館(邦画)] 6点(2016-06-27 22:19:56)(良:1票) 《改行有》

34.  クリーピー 偽りの隣人 《ネタバレ》 「CURE」の萩原聖人が癒しを与える者なら、今作の香川照之は破壊、不和をもたらす者。 目的の違いはあれど、思想としては共に自分の手を染めることなく殺人を犯す。「ダークナイト」におけるジョーカーのように、人間の弱み、悪意に付け込む悪魔として描かれる。 しかし、CUREと今作では殺人という結末に向かう過程が全く異なる。萩原聖人が使う武器が話術であるのに対して、香川照之は薬物という武器を使う。その武器の違いは、そのまま作品の質の差、恐怖の種類の違い、危うい魅力の差としても現れる。 それは香川照之を偶像化したくなかったからだろうか。あるいは犯罪者を類型化したくはなかったのか。 風、霧、カーテンなどの遮蔽物、明暗を使った恐怖演出。不意を突く銃殺場面。玄関(家と外を隔て、他人と自分の間に立ちはだかる壁)を巡っての攻防戦、人間関係の描写。シーンごとの長回し。大学構内での学生の動きや視線、画面を行き交う通行人への多層的な興味の惹きつけとその積み重ねから生まれる、違和感、不穏感。それらは今まで観てきた黒沢映画そのものだった。 だが今作には、人間や社会に内在しうる悪意、脆弱性を映し出す恐怖がない。少なくとも身に迫る説得力は感じなかった。[映画館(邦画)] 7点(2016-06-26 10:38:10)(良:1票) 《改行有》

35.  ヒメアノ~ル 《ネタバレ》 今の日本に起こりうる、フィルムノワール。 ファム・ファタール的な存在である、ユカも今の日本ではありふれているリアルな女性像。恋愛経験が乏しく、人生に傷ついた男性が、幻想を抱きそうな女性。 しかしその実は強かで、ごく普通な女の子であり、勝手な妄想を抱く男達(安藤、森田)の世界への微かな望みを打ち砕く存在でもある。 その現実との地続き感が故に、この物語が生々しく、辛い。 安藤が踏み留まった線を越えてしまった森田。その対比も痛々しい。 いじめという過去が原因と決めつけるには、あまりにも短絡的に思えてしまうほどの、逃れられない負の連鎖、日本社会の閉塞感を感じる。 物語中盤におこる思わぬ視点移行は、そのまま話しに推進力を与え、ジャンルの横断にも繋がる。そして世界が持つ多面性、無常感を痛烈に提示する。 計算されたカメラアングル、カット割りによる生理的に不快な殺人描写も洗練されている。 登場人物への容赦ない追い込みは、そのまま強制的に自分の人生をも振り返らされる辛さも備えていた。[映画館(邦画)] 8点(2016-06-23 19:48:17)(良:2票) 《改行有》

36.  進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド 《ネタバレ》 演技は引き続きひどいし、大声を出す事でしか感情を表現できないのか。ハンジは演技が酷いだけでなく、雰囲気や流れを悪い意味でぶったぎる存在だったし、シキシマの所作は完全にコメディだった。 前編で魅力的だった、巨人もほとんど出てこない。 演技も含め、度々あるスローや回想などの描写は、酷さを通り越して面白かったが、自分が気になったのは壁の外の景色。 海(目的)がそんなに近くにあっては、どうしても世界の広がりを感じにくくなってしまう。それはそのまま、外の広い世界(人間の可能性、希望、自由)というテーマ、核の部分の矮小化に繋がってしまうのではないか。[DVD(邦画)] 4点(2016-06-15 21:19:50)《改行有》

37.  バクマン。 《ネタバレ》 漫画の映画化、映画の中の漫画という二つの大きな壁。 前者は、漫画の場面、台詞、設定をそのまま映画で表現してもうまくはいかない。映画は映像の連続で、漫画は絵の連続であるから、根本的な作りが違う。 決め絵の連続や台詞の多用は、映画にとっては過剰になってしまう。その漫画の主題や大切な場面をいかに映像の中で表現するかが重要であると、個人的には思う。 自分が今作で非常に重要だと感じたのは、亜豆という人物。 彼女は真城が苦しむ場面で、必ず出てきて彼を導く。彼女の登場場面では、幻想的な空間が作られる。それは、ライティングの効果であったり、テレビを通した姿であったり、白いカーテンを隔てる事であったり、漫画の中の彼女であったり。彼女は一人の女性というだけではなく、抽象化された希望の象徴であるともとれる。 それらの表現はまさしく映画的であり、主人公達の目的=物語の目的、に大きな推進力を与える。 そこには、ただ漫画を忠実に映画化するだけではない、映像表現の魅力が間違いなくある。 そして今作において、圧巻なのは映画の中の漫画表現。 漫画を描く事を文字通りアクションでみせる。そこでは、音(BGM、ペンの音)が絶妙に絡み合いグルーヴを生みだす事で、今まで見た事がない映像体験が繰り広げられる。 他にも、緊迫感と笑いが同居する連載会議、漫画家だけでないチームとしての漫画制作、漫画愛に溢れるエンディングと見所は尽きない。 漫画、そして映画、どちらにも真摯に向き合う事で、どちらも見事に共存している稀有な作品であると思う。[DVD(邦画)] 7点(2016-06-12 00:01:45)《改行有》

38.  海よりもまだ深く 《ネタバレ》 家族の変化、とりわけ父親像の変化。昔なら成り立っていた家族の形が現代では成り立たなくなっている。(それは不満はありながらも、死別するまで夫に添い遂げた樹木希林と阿部寛との別れを選んだ真木よう子の対比に象徴される) そして昔よりも、家庭を持たない個人を許容する事になった社会。 それらを、肯定も否定もすることなく、ただ今ある現実として描き続ける。 是枝監督の映画において「歩く」という行為は大きな意味を持つ。一人で歩くか、誰かと一緒に歩くか、またその時の相手との距離感、歩き方など。 それはそのまま人物の心情、状況、他者との関係性を表す。 今作においても、冒頭一人で歩いていた道を終盤息子と歩く阿部寛。それぞれのシーンのカットは同じアングルから捉えられる。遊具を見るショットも反復して映される。しかし、阿部寛の思いや視点は最初のそれとは全く変わっている。それは、子供の視点から親の視点への変化ともとれる。 食事のシーンにおいては、家族全員が椅子に座り、食卓を囲むシーンはない。ここにも家族の形の変化が見て取れる。そしてうどんを食べるシーンでは、阿部寛は真木よう子の方を向いているが、その反対はない。それは元夫婦の心の距離感、心の向きを表しているように見える。 そして自分なりの夢の形(宝くじ)を、息子に託す父親。 台風という不可逆的で否応なく巻き込まれ、いつの間にか過ぎ去っていくものを人生と置き換えるなら、嵐が過ぎ去った後は晴れるという考え方は、あまりにも都合がよすぎるのだろうか。[映画館(邦画)] 7点(2016-06-05 23:29:27)(良:3票) 《改行有》

39.  花とアリス〈劇場版〉 《ネタバレ》 ラストのバレエシーンは細かくカットを割りすぎだと思う。映像のツギハギでは、真の感動は伝わってこない。広末涼子も、あの状況でありえない行動をとるし、アリスとの対比だとしても、あの場面では単なるノイズにしかならない。 後のシーンは、時折目を引く映像はあるものの、それ以外は細かく考えてもしょうがないのかと思うくらい、雰囲気を楽しむことが、正解な映画だと思った。[DVD(邦画)] 3点(2016-06-05 12:01:59)《改行有》

40.  IAM A HERO アイアムアヒーロー 《ネタバレ》 始めての、ZQN(恋人)との遭遇場面。郵便受けを使う事で、視野が限られ、扉の向こうと遮断され安全が確保されているという空間を作り出している。それは観客と映画の関係そのものであり、その場面で、観客の視点は、英雄の視点と同一化する。 だからこそ、扉を開けZQNと英雄が対決する瞬間がより、身に迫り恐怖を感じる。 恋人を殺した後、町に出る英雄。始めは通りの向こうにいたZQNが、長回しの中で、次第に数を増やし、近づいてくる。そして、後ろで爆発が起こり走り出す英雄。この一連の流れの素晴らしさ。持続するカットの中で、ZQNの特性、多様性、現段階で社会に及ぼしている影響を、視覚的に、充実した空間密度で見事に見せていく。 そして、武器により、表現される男性性。 ゾンビ映画で語られてきた社会風刺も、日本という国に合わせた形で、表現されている。それは死後もなお、仕事に縛られる姿であったり、抑圧された欲望の表出であったり。 英雄やゾンビの個別性に代表されるが、最後は社会全体ではなく、個の視点に物語を収束させている所に、この映画の素晴らしさ、ゾンビ映画における革新性を感じた。[映画館(邦画)] 8点(2016-06-02 11:41:14)(良:1票) 《改行有》

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