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【製作国 : 日本 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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61.  七人の侍 《ネタバレ》 我々が知る“映画”の次元を超えている。昔の映画は現代の映画に比べて、技術・演技・製作資金の面ではるかに劣っており、現代の映画の方が優れていると思っていたが、自分の間違いだと気付かされた。本作以上に素晴らしい作品は、現代の映画にも存在しないといっても過言ではない。セリフの聞き取りにくさはあるが、「字幕付」でカバーすればよい。 恐ろしいほどのリアリティを感じさせる映画だ。自分があの場所にいるかのような錯覚に陥らされる演出・撮影・演技には脱帽だ。3時間を超える映画であるが、これほど短く感じた3時間映画はないだろう。 撮影方法に関しても、あまりの素晴らしさに感嘆させられるシーンが多数見られた。カメラワークの巧みさや、面白いカットにも注目できる。 ストーリーとしても、単なる合戦モノに留まらず、「百姓」の表と裏を炙り出している点が秀逸だ。彼らは、単なる助けられるべき「可哀相な存在」というわけではなく、「談合を行うしたたかさ」「心の奥に秘める憎悪」「侍に対する不信感と信頼感」「自己の村を守った誇り」「百姓であることの喜び」などを描きこんでいる。決して「可哀相な存在」などではなく、どんなに踏みつけられても“生きようとする”強い存在だ。 主役は「7人の侍」かもしれないが、真の主役と勝利者は「百姓」ということが分かる仕組みになっている。 ラストのセリフは軽く口にしていたが、重みのある言葉だ。確かに、侍の戦には勝ち負けがないのかもしれない。形式的には勝ったとしても、ボロボロに傷つき、大切な者を失ってしまっては勝ったとはいえない。争いというものは、結局のところ負け戦でしかないというのが深みのある言葉だ。 また、各キャラクターがそれぞれ本当に存在しているかのような精彩を放っているのが素晴らしい。彼らの性格がそれぞれきちんと描かれているだけではなく、彼らのバックグラウンド、思想、生き様までをも感じ取れるようになっている。さらに、それぞれがそれぞれのことをどのように思っているかも分かるようになっている。 演技においても、志村、三船の存在感は異常に高い。他の俳優もかなりのレベルだが、彼らはずば抜けている。現在の日本の俳優に彼らのような演技ができる人がいないのは寂しいことだ。 リメイクしたいという話をよく聞くが、「完璧なもの」をどうして作り直す必要があるのかが分からない。[DVD(字幕)] 10点(2008-01-05 17:26:23)(良:2票) 《改行有》

62.   《ネタバレ》 鬼も逃げ出すという「羅生門」で“人間の愚かさ”を描いたように、本作もシェイクスピアの悲劇「リア王」をベースに神や仏も泣き出すという“人間の愚かさ”を描き切っている。 しかし、ここには「羅生門」のような“希望”はない。あるのは残酷なまでの“醜さ”だけだ。 舞台は架空の戦国時代であるが、現代にも通じる“乱”れた世界に対する“嘆き”が込められた作品であり、製作者の黒澤のメッセージや深い想いが感じられる作品だ。 また、「影武者」でも描かれていたが“破滅”に対する美意識も高い。 長く暗く陰惨な映画ゆえに一般的に好まれない映画ではあるが、個人的には、評価の高い「羅生門」よりも、評価がそれほど芳しくない本作の方を好む。 仏の絵が地面に置き去りにされて、悲しげにこちらを見つめており、盲目の青年が崖の上に取り残されているというラストのカットも秀逸だ。 ここで終われば完璧だと思った瞬間に、きちんと幕を閉じたのはさすがだ。 「果たして仏は我々を見守っているのだろうか」「この“乱”れた世で生きるということは、盲目状態で崖の上を歩くようなものなのではないか」と黒澤は言いたかったのかもしれない。 素晴らしい作品であると感じるが、何点かは不満な点もある。 ①「三の城襲撃について」 襲撃に至るまでの展開がやや早すぎるように思われる。 次郎が秀虎を体よく追い返すまでは理解できたが、肝心の襲撃に至るまでをもう少し分かりやすく構築した方がよかった気がする。 あれでは、単なる「謀反」のようにしか感じられなかった。 ただ、演出は素晴らしい。 呆然とする秀虎の背後をびゅんびゅんと火矢が飛び交うような現実離れしたリアリティのない演出ではあるが、あそこまで思い切った演出をするのは難しいものだ。 ②「ピーター演じる狂阿彌について」 彼なりに健闘していたように思えるが、本作の裏の主役でもある大切な存在こそが「狂阿彌」である。本作の成否が彼に掛かっているといっても過言ではない。 この世の“表裏”を見聞した彼の言動こそが、本作のキーとなるはずだ。 道化である彼が一見狂っているようにみえるが、“乱”れた世で一番まともだったのが、彼だったというオチに持っていきたかったところだ。 少々感情を表に出しすぎているところがある。ストレートではない悲哀を感じさせるキャラクターに仕上げることができれば、より傑作に近づいた気がする。[DVD(字幕)] 7点(2008-01-05 17:15:21)(良:2票) 《改行有》

63.  羅生門(1950) 《ネタバレ》 88分という短い時間に、見事に“人間”が描き込まれている。 本作の事件の顛末の“真実”自体には驚くべきものはないのかもしれない。 描きたいテーマは、人間はある“真実”を歪曲し、都合のいい解釈を行い、自己を美化し正当化し、または自分に言い訳をするものだということだ。 “真実”はたった一つしかないのかもしれないが、関わった人間の数だけその“真実”というものは存在するのかもしれない。 この現象こそ、古今東西を問わないひとつの“真実”だ。 我々が知る歴史や事件というものも、恐らく一方向から見た歪曲化された“真実”も含まれているのかもしれないと感じさせる映画だ。 また、鬼でさえも逃げ出す人間の恐ろしさ、自分を守ることしかできない人間の愚かさ・弱さを描き切っているが、そんな汚れた弱い人間に対して、ひとつの“希望”をラストの赤ん坊に託したのだろう。 自分だけを守る弱さだけではなく、他人をも守る強さをも人間は抱えているということを黒澤はメッセージとして残したかったのではないか。 ストーリーや哲学性だけではなく、森林での撮影技術が素晴らしすぎる作品でもある。 この点に対しても注目してもらいたい。 ひとつ残念なことは、本作には字幕機能が付いていなかったことだ。 テーマは劣化することはないが、音質の劣化だけは防ぐことができない。[DVD(邦画)] 7点(2008-01-05 16:57:47)《改行有》

64.  影武者 《ネタバレ》 長すぎるシーンが多数あり、つまらない映画とジャッジされても仕方のない映画ではあるが、見事な作品でもある。 死んでいるはずの“武田信玄”という男をきちんと描き込めていると思う。 “武田信玄”という男は死んでおり、実際には描かれていないのに関わらず、本作によって“武田信玄”という男がどういう人間かを知ることができる。 描いていないのに描き込まれている、これを凄いと言わず、なんと言おうか。 「死せる孔明 生ける仲達を走らす」という三国志の有名な言葉があるが、まさにそれを描いている。 また、“影武者”の悲哀も見事に描きこまれている点も素晴らしい。 光を失った影の生き様、決して光にはなれない影の生き様が見事に光を放っている。 実際の息子勝頼よりも、赤の他人の影武者がより“武田信玄”という男を分かっていたのではないか。 勝頼自身はある意味で父“武田信玄”を理解しており、あえて父親という亡霊から逃れるために、父親とは真逆の戦法・生き方を選んだのかもしれないが…。 影武者が偽者だと分かるシークエンスがやや物足りないという欠点や、金と労力の無駄遣いとしか思えない長篠の戦い(迫力はさすがにもの凄いけど)が蛇足といえば蛇足であり、また史実と異なるらしいものではあるが、そういった欠点を補って余りある作品だ。[DVD(字幕)] 8点(2008-01-05 16:43:29)《改行有》

65.  東京物語 《ネタバレ》 世間的に評価されている名作という理由だけで高得点はつけたくないが、本作はお世辞抜きにして、素晴らしい作品であると感じた。 この歳になるまで、小津作品は一度も観たことなく、ようやく本作を鑑賞したのだが、鑑賞中、なぜか終始鳥肌が立つような感じで、悲しくはないけど涙が出そうになることが何度もあった。とても不思議な作品である。 第一印象として、非常に「緊張感」のある映画だと感じた。美しい「日本の心」と、失われていく「日本の心」が終始静かにぶつかり合い、せめぎ合い、衝突しながら、それが一本の筋となって、映画の根底を流れていく。だから、特殊な緊張感が生じるのだろう。 子ども達に会えることを楽しみにわざわざ尾道から出てきたものの、子どもたちから邪魔にされながら、決して直接文句も言わずに、逆に「幸せな方かもしれんなあ」と語り合う老夫婦。 子どもたちは、絶対いいはずだと熱海へ送り出し、厄介払いをして、母親が亡くなったら、「(死ぬ順番が父と母が)逆だったらよかったのに」と語り合う。 まさに「親の心子知らず」という言葉がぴったりだ。「あんな立派に育てられたのは誰のおかげだ」と問い詰めたくもなるが、自分には幸一もしげも否定できないと思う。 父母と子どもというのは、ある意味においては、一番近いようにみえて、一番遠い関係でもある。血が繋がっていれば、紀子のように自分の真の気持ちを素直に吐露できないものである。 そして、幸一もしげも最初はああではなかっただろう。しかし、父や母がいる故郷を離れ、東京へ出て、結婚し、子どもを持ち自分の生活というものが次第に形作られていくと、徐々に人間はみな変わっていってしまうのだろう。紀子や京子ですら、再婚や結婚をしたら恐らく変わっていってしまうのではないか。これはもう良い、悪いというよりも、人間としてやむを得ないことなのだろう。 大きな家に一人取り残された周吉の後ろ姿がとても小さく感じられる。彼の後ろ姿によって、人間が変わっていってしまうことのもの悲しさと、郷愁の余韻が残る。 本作を観て、親子の関係を少し改めてみないといけないなと感じられた。小津監督も失われつつある「日本の心」を描きつつ、そうした現状に対して少し考えさせて、いくらかの歯止めをしたいという趣旨を込めたのではないだろうか。[DVD(邦画)] 8点(2006-12-31 00:22:01)(良:2票) 《改行有》

66.  逃亡者 木島丈一郎<TVM> 《ネタバレ》 「踊る」シリーズは鑑賞していたが、フジテレビの金儲けの道具になっていったスピンオフにはあまり興味を持てず、「真下」や「室井」を鑑賞していなかった。最近、たまたま集中的に放送していたので、まず本作を鑑賞してみたところ、「真下」を観ていないためか、木島という人物にハマルことができず、まったく面白いとは感じなかった。 突っ込む気すら起きない脚本は置いておいて、第一の問題は、逃亡者という設定にも関わらず、緊張感・緊迫感はゼロに近いことではないか。低予算・短期間で作成された感がありありと伺え、ラストのアクションに至ってはコントと思いながら観るしかないお粗末な内容と感じた。評価も高く、楽しめる人には楽しめるかもしれないが、個人的には悪いところばかりが目立ってしまった作品。 しかしながら、本作のコンセプト自体はそれほど悪くはないと思う。強面の刑事らしからぬ刑事と孤独の少年のロードムービー。似ても似つかぬこの二人が、実はどことなく共通する部分も次第に見えつつある。全く心を開かなかった少年が、不思議な旅を通じて、刑事と心を通わせていき、少年は成長していき、何か大切なものを学んでいく。 強面の刑事も隠れた内面の熱い部分や優しい部分も徐々に明らかになっていくというのも、この手の王道的な流れであり、ちゃんとこのように感じさせてくれるのならば、特に問題はなかったが、あまりそのようには十分に感じられなかった。 また、気になったのは、本当の黒幕は稲垣管理官なのかということ。裏金問題では、彼はただの傀儡にすぎず、実は裏で操っている人物がいるのではないかと思っていた。 上司の命令で架空出張などで裏金を作り、捜査に必要な情報を得るために、裏社会へ裏金を流していく、もちろん稲垣たちの懐に入る金は一切ない。 警察が組織ぐるみで裏社会と癒着しているのが表にでれば大問題である。裏金が明白になり、裏社会との癒着が表に出そうになったため、中間管理職である稲垣に全ての罪を着せて、トカゲの尻尾きりをしたようにも見えた。稲垣という者も実は、警察組織の犠牲者になった一人という扱いにしたかったのかどうかはよく分からない。 警察組織の意思決定の在り方や、現場を知らないエリートたちの犠牲者になった者が、青島たちで、警察にとって必要な裏社会とのパイプ役という警察組織の犠牲になったのが、稲垣という扱いにすればよかったのではないか。[ビデオ(邦画)] 2点(2006-12-31 00:20:04)《改行有》

67.  DEATH NOTE デスノート the Last name 《ネタバレ》 原作は未読。 あまり深く考えずに、ストーリーを単純に追えばなかなか面白い作品になっていると思う。 しかし、よくよく考えると、本作のラストの展開は少々強引ではないだろうか(原作は1ページも読んだことがないので的外れな意見かもしれないが)。 特に、エルが自分の名前をノートに書くという動機や必然性が乏しいのではないかと思われる。西山冴子のノートをエルたちは手にいれ、海砂のノートもエルはすり替えたわけだから、あとは海砂に偽のノートを本部に持って来させて、それをこっそりとライトに渡させ、偽のノートにエルの名前を書かせた後に、死んだふりをすれば、本作と同様の効果は得られるはずだ(本部でのライトの行動は一挙手一投足監視カメラを使用すれば、なんら問題ないはず)。 偽のノートに記された名前は殺人未遂の証拠になり得る。 実際、ライトはすり替えたノートに自分の父の名前を書いていることからも、ライトは海砂のノートを疑ってはいない。 それにも関わらず、ワタリにあえて海砂を連れて来させているのは、理解に苦しむところだ。海砂を自由に泳がせないとエルの名前をライトに伝えることは困難さが増す。ライトがレムを使うというアイディア自体は面白いが、単にレムのストーリーを作りために、わざわざ逆算して色々なストーリーを構成するから、少々綻びが生じてしまう気がした。 ルールをよく理解していないのかもしれないが、リュークはすり替えられても海砂に何も言わないのだな(すり替えられてもリュークは所有者の海砂に張り付くのだろうか)。リュークは単なる暇つぶしのために人間界で遊んでいると思われるから余計なことは言わないだろうが、エルは海砂のノートをすり替える際のリュークのリスクをあまり計算していないようにもみえる。 また、原作を知らないのでよく分からないが、ライトという男はもっと慎重な人間ではないのか。映画なのでやむを得ないところがあると思うが、単に自滅していったに過ぎないライトの姿には、あまり同情や哀れみなどを感じられなかったな。 前後作合わせて制作費20億円と伝えられているが、いったいどこに費用が掛かるのかという内容であった。これほどローリスクハイリターンな商売もないので、この内容ならば費用はもっと抑えるべきだろう。[映画館(邦画)] 7点(2006-12-31 00:17:59)(良:1票) 《改行有》

68.  DEATH NOTE デスノート(2006) 《ネタバレ》 原作は全く未読。未読のため比較対象がなく、それなりに楽しめたというのが第一印象。 犯罪のない理想の世界を作るという目的から徐々に逸脱して、罪のない者や愛する者でさえもゲーム感覚で犠牲にしていく姿が描かれており、彼の精神が転落していく様がエモーショナルに分かりやすく描かれている。 演出としては、原作を知らない大人や子どもにも分かるようにしたためか、だいぶ精度は欠いている(人前でノートに名前を書いたり)が、ストーリーはまとまりよく、なかなかスムーズに流れており好感をもてた。説明不足であったり、キャラクターの感情面の描写が圧倒的に足りないが、本作の内容ならば、この程度で十分だ。 あまり細かいことは気にせず観たが、それでも気になった点としては、ポテトチップスの件(くだり)だ。映画では、その日たまたま遅くまで勉強したいためにポテチを手に取ったかのように描いているが、その日に新たな凶悪事件が発生したり、凶悪犯の氏名がニュースで明らかになるということは、確率的に低いと思われる。したがって、妹のセリフを「またポテチ食べるの。太るよぉ」と、毎晩食しているかのように描いたほうがより自然になる。なお、監視カメラに気づいた際に、室内でリュークと会話できないため、コンビニに行ってリンゴを手にしていたと思うが、その際にライトにポテチを買わせた方が演出としては良かった。 ただ、ここまで手を込んだことをしなくても、警視庁のデータベースから適当に名前と顔が分かる者(場合によれば無実の者でもよい)に「心臓マヒ。○月○日○時に○○銀行に立て篭もって、2時間後に投降し、その1時間後に死亡する。」とでも記しておけば、新たな事件が起きた後、当該者を心臓マヒで殺すことができ、自己の潔白を明らかにできたかもしれない。こんなことを言い出せば、そもそも映画にならないので、深く突っ込むべきではないが。 評価したいのはテレビ放送に踏み切ったことだ。劇場公開から4ヶ月後にDVD化もされていない時点で、テレビ放送するというのは、なかなかお目にかかることがない斬新な手法だ。最高の宣伝が期待できるだけでなく、高視聴率によってスポンサーに対しても評価されるだろうし、後編への期待値をさらに高めることができる。ジブリ以外に大した切り札のない日本テレビが一石三鳥ともいえる作戦を企てるとはおもえなかった。[地上波(邦画)] 7点(2006-12-31 00:15:28)《改行有》

69.  タイヨウのうた 《ネタバレ》 主人公の死という悲劇的な話ながらも、ラストにおいてはとても前向きで明るい映画に仕上がっているのが印象的だ。確かに、彼女の歌からも後ろ向きなメッセージは感じられなかった。死を前にしても、彼女の前向きな姿勢や生き方が周囲を変えたのだろう。 自分の病気をネタにして藤代に変な顔をさせれば、残された藤代には、悲しさは消えることはないが、苦しさよりも楽しさが残る(ラストの藤代の笑顔もそんな雰囲気が出ていた)。「自分の努力は全て無駄で、娘にやりたいことをやらせなかった」という後悔にさいなまれた父親が「もう全部脱いじゃえ」という言葉に対する薫の返事には、父親の想像を超えた彼女の「強さ」「成長」が感じられるとともに、父親の行為が間違っていないことを、薫は父親に示したものだ。残された父親たちからは「後悔」は消えていたのは清々しい。 また、恋愛映画としても押さえるところはきちんと押さえられている。 薫は藤代の無邪気で無垢で正直なところに惹かれていたということは描かれていたし、藤代は薫の歌を聞き、彼女の魅力や、大きさ、大胆さに魅了されていった点がきちんと感じられた。 二人の出会い時の、二人の微妙な距離感や、盛り上がらない会話も大きな効果を果たしている。二人の距離感が徐々に縮まり、バイクに後ろに乗った薫が頭を藤代の背中に預けた時には彼らの距離感がなくなったのがよく分かるようになっている。 そして、好きな人のために藤代ができたことも実によい展開になっている。 たまたまストリートライブを聞いたメジャー関係者がメジャーデビューさせるといったようなリアリティを欠く、荒唐無稽なものではなく、お金さえ払えば誰でもCDを創れるというネットの情報を基に、好きなサーフィンを一時あきらめ、清掃のバイトを行うというものである。その気になれば、誰でも可能な「現実」がここには描かれている。藤代の清掃シーンを比較的丁寧に時間を掛けて描いたことは、とても好感がもてるものであった。このような地味なシーンはカットされがちだが、こういったシーンはとても味わい深いシーンと思う。 病気が進行してギターを弾けなくなった薫は歌をあきらめようとしたかもしれないが、藤代の姿をみて、自分のできる範囲で頑張り、彼の期待に応えたいという気持ちが現れている。「歌を歌う」という薫の言葉を聞いて、思わず藤代が涙を流すのも自然なものだった。[DVD(邦画)] 7点(2006-12-31 00:11:40)(良:1票) 《改行有》

70.  トゥモロー・ワールド 《ネタバレ》 10点をつけざるを得ない超絶神映画。 常人のセンスを遥かに越えた監督と撮影監督の手腕と想像力には脱帽せざるを得ない。 普通の映画とはまさに一線を画すモンスター映画だ。 本作を有楽町「日劇1」という1000人程度のキャパの映画館で観れたことは、自分にとって誠に貴重な体験となった。 映画の中の世界を、まさに「体験」したと言っても言い過ぎではないだろう。 終盤の8分長回しが話題になっているが、凄いのはその8分だけではなく、冒頭からずば抜けている。この映画のカメラの動きを考えながら観ていたら、武者震いが止らなくなった。あまりに凄すぎて圧倒されっぱなしで、観ている自分は終始半笑い状態だった。 まばたき一つするのが惜しいほどだ。少しでも油断したら「やべぇ、今どうやって撮ったんだ」と後悔してしまう。 監督に負けず劣らずクライブオーエンもよい演技をしている。 子どもが産まれなくなった世界で、アイロニカルながらもとても情熱的な男を演じきった。 ジュリアンが死んで木陰で泣き崩れる姿、ジャスパーが死んでミリアムに「触るな」と怒鳴る姿、怒鳴った後にキーに「大丈夫だ」という姿、ラストの船の上で「ゲップさせてやれ」とアドバイスを送って(自分の過去の経験が活きているのだろう)、「本当に良かった」とつぶやいて息を引き取る姿、どれも素晴らしいものだ。 そして何よりも本作の世界がクライブオーエンが知り得た情報のみで成り立っているのも面白いところだ。 情報不足・説明不足という批判を承知で、あえてそういうモノ作りを試みている。 「子どもが産まれなくなった理由」や「ヒューマンプロジェクトとはどういう組織か」などはあえて描かなくてもよい。むしろ本作ではこれらについても十分過ぎるほど情報が与えられていると思う。 ストーリーがないという批判を受けるかもしれないが、ストーリーも十分すぎるほど描かれていると思う。これ以上描いたら「蛇足」になってしまうかもしれない。 ストーリーにおいても、映像においても、メッセージ(子どもを観て皆戦いを止め、道を開けるシーンは映画史に刻まれてもよい)においても文句の付け所のない完璧な映画と思う。 映画の見方・作り方、映画に真摯に向き合う姿、映画の面白さを教えてくれた本作には感謝したい。[映画館(字幕)] 10点(2006-12-08 22:46:53)(良:3票) 《改行有》

71.  ゆれる 《ネタバレ》 この映画を観て正直面白かったとは思わないが、「いい映画とはこういう映画なんだな」とは思った。観終った後の余韻に浸れる感じがよい。しばらくの間、頭の中で様々なことがぐるぐるとかけ巡る感じがした。 特に、観終った直後から「あの後、稔はバスに乗っただろうか。それとも乗らなかっただろうか。」ということをしばらくずっと考えていた。 意見は別れるとは思うが、恐らく稔はバスに乗って、猛の元を去ったのではないかと思う。 稔はこの事件を通じて猛に対して兄弟の関係を問いたかったはずだ。稔は「智恵子が付けた爪の傷跡(無罪を立証する物証)」というカード(信頼)を猛に委ねて、猛に対して執拗に兄弟の関係をぐらぐらとゆらしてみた。その激しい揺れに耐えかねて、そのカードを切らずに猛は稔を裏切ってしまった。 しかし、ラストでようやく稔は「兄」の存在の大きさに気づかされる。「今、自分がこうしているのも兄のおかげだ」と。 稔と猛の兄弟は、兄弟という関係に初めて真剣に向かい合って、ラストには真の意味で昔のような兄弟に戻れたと思う。それは猛の叫びと、稔の笑顔が証明している。 確かに兄弟という関係には戻れたと思うが、以前のような生活には戻れないはずだ。 やはり、弟の裏切りには、責めを負わせる必要があるだろう。兄は、なにもかも奪ってしまった弟から、はじめてなにかを奪われる責めを弟に負わせたはずだ。稔は猛から「兄」という存在を奪ったのではないか。だから、自分は最後にバスに乗ったと思う。 また、稔自身もリスクだけを背負ったわけではない。もし弟がカードを切らなかったとしてもよかったと思ったはずだ。この事件がなければ、田舎町でしがないガソリンスタンドを経営し、ボケた父親とともに一生つまらない人生を送っただろう。いっそのこと有罪になることで、彼なりに「つまらない人生からの逃亡」を謀ったのではないか。 そういう点からももうあの家には戻らないだろう。 猛がカードを切って無罪となれば、猛に対して語ったようにガソリンスタンドを改修して、田舎町で人生を送るつもりだったのだろう。弟からの信頼があれば、つまらない人生に対しても意義を見出せると思ったのではないか。[映画館(邦画)] 8点(2006-09-02 02:48:59)(良:3票) 《改行有》

72.  ゲド戦記 「命の大切さ」をテーマに掲げているように感じたが、一切心に訴えてくるものがなく、全くと言っていいほど共感を得ることはできなかった。今の時代に必要なテーマで、本作を観る子ども達にも考えてもらいたいものだけに残念だ。 ジブリの映画は好きな作品も、嫌いな作品もあるけど、これまでは独特の世界観、スケールの大きさなどにはどの作品にも驚嘆せざるを得なかった。 しかし、本作のスケールの小ささにはただただ呆れるばかりだ。4~5人程度の何を考えているか分からないキャラクター同士が、何か小さくてつまらないことに悩んだり、ただの私怨で争っているようにしかみえない。 この映画を観て、後からどんなストーリーだったっけ?と思い出そうとしても、思い出せないような映画では致命的な欠陥だ。こんな映画を世に出すようでは、「世界がおかしくなっている」のではなく、「ジブリの均衡がおかしくなっている」のではないか。 あまりこの監督さんのことはよく分からないので批判すべきではないけど、世に多くの才能豊かなクリエイターがいるにも関わらず、偉大な父親の息子だからという理由だけで映画作りが任されてよいはずがない。とにかく本作をみて映画の内容よりも話題性だけで集客しようとするジブリの方針に対して不信感を抱いた。「大切なものは何か」というようなセリフもあったかと思うが、映画にとって「大切なもの」を本気で考えて欲しい。この映画は、本作の失敗だけではなく偉大な父の過去の作品やジブリ自体までも本当に殺してしまう作品だ。宮崎監督が息子の起用に反対したのもなんとなく分かる気がする。 映画のストーリーもさることながら、アニメ作品の肝心の「絵」の粗さも目立つ。水しぶきを浴びても水が感じられない絵、たまに動いているけど雲も基本的に動くことなくただそこにあるだけ、あらゆるところでスピード感も何も感じられない。そして喜怒哀楽の4種類くらいの単調な表情。 最初は観客が気にもしないディテールにこだわる昨今のアニメ作りに対する反抗かと思ったけど、最後には度を越えた手抜き作品としかみえなかった。 手嶌葵も歌こそは良かったが、基本的に棒読みで聞くに耐えない。作品の傷口に一層塩を塗りこむ起用で不可解としかいいようがない。[映画館(邦画)] 2点(2006-07-29 22:21:03)(良:4票) 《改行有》

73.  TRICK トリック 劇場版2 《ネタバレ》 「TRICK」については、それほど深くは思い入れはないけど、00年の深夜帯で始まったドラマの1と02年の2、ゴールデンに進出した03年の3、劇場版、去年の秋の新作スペシャルもリアルタイムで一回見ている程度。 「劇場版」になっても、ドラマ版とノリがあまり変わらないところがこの映画の長所でもあり、短所(モノ足りなさ)でもあるかな。 今回の「完結か…編」でも、いつもと特別変わることなく、あまり大した事ないトリックを山田がいつものようになんとか暴きながら、ペテン氏がお決まりのラストを迎え、山田と上田の二人の掛け合いでいつものように終わりました。「完結か…編」ということで何か特殊なことを期待すると肩透かしを食らいます。 しかし、ストーリーはいつもよりも大した事ないものの、「劇場版」ということで「小ネタ」がいつもより充実していた気がするので、鑑賞時間分はたっぷり「TRICK」ワールドを楽しめる内容となっていると思います(個人的には山田の「貞子」と上田の「祭りか?」と上田とラーメンマンの戦いと村民と軍団の乱闘の際にも手が伸びているのには笑ったな)。 いつもの「TRICK」だけど、いつもの「TRICK」と少し違う点としては、恒例のオープニングの卵割れと、上田と山田のキスシーンには多少驚かされました。 山田と上田だけでなく脇役陣として矢部刑事にはもっと活躍してもらいたかったけど、この出番の少なさはスケジュールの都合でしょうかね。それでも矢部らしさはそれなりに描かれていた気がします。矢部刑事にも頭髪を隠すよりももっと重要なところがあったようですね。堀北真希は特に関心はなかったけど十分自己の魅力を引き出せていた気がします。片平なぎさの白手袋はよく分からなかった。「よろしくね!」もよく分からないし、子どもにしか分からないネタもあるけど、なんか訳分からんけどなんとなく笑えるという空気感もこのシリーズの良さではないだろうか。[映画館(邦画)] 6点(2006-06-14 00:46:36)《改行有》

74.  ロスト・イン・トランスレーション ストーリーは特段大きな出来事はないけど、アメリカから日本にやってきて、知っている人も誰もいない世界で、話している言葉も生活も違う暮らしの中で一人孤独を味わう。 翻訳という会話の中に失われていく言葉があると共に、家族との会話の中にも行き違いやコミュニーケーション不足からどんどん言葉が失われていく。 孤独の中で自分自身や家族との生活に行き詰っている自分と向き合うことになる。 同じ境遇にいる人と出会い、お互いが支えあいながら、東京に来たことで、今までとは同じように見えて違う道を歩んでいくチカラを与えてくれた。 そんな成長をユーモアたっぷりの優しい視線で見せてくれた本作はやはり評価に値すると言っていいだろう。 アメリカ人から観た我々が気づかない東京、日本を描いているのも興味深い。 普段、気づかなかったけど、外国の人はこんなことを不思議がっているのかが分かる。[映画館(字幕)] 8点(2006-05-06 03:02:56)《改行有》

75.  グッドナイト&グッドラック 《ネタバレ》 この映画の主題である「赤狩り」は、エリアカザン監督のアカデミー賞名誉賞受賞の際にも問題(「赤狩り時代」に仲間を売ったとされ、表彰時にブーイングが浴びせられた)になったが、今なおハリウッドに影を落とす問題である。この映画を通して、その歴史の一端を学ぶことができる点では評価できるかもしれない。 しかし、確かに歴史的に非常に価値ある映像はみせてもらったとは思うが、どうにも物足りなさも覚えた。 この映画では「赤狩り」の首謀者であるマッカーシー上院議員を糾弾するという趣旨は全くないため、比較的客観的・中立的な立場から描かれていると思われる。 そのためか、いまいちエド・マローの内面やその葛藤、苦悩をうかがいしることができなかった。 また、この映画を通して、「表現の自由」とは、「報道の自由」とは、「思想の自由」とは、「国家による思想の弾圧に対するメディアの在り方や我々自身の対応」とは、など色々と考えられるテーマが散りばめられていると思うが、あまりそれらを考える手がかりにはならなかったと思う。 一言でいいあらわせば、映画をみたというより、歴史の勉強をしたというのが正直な感想であった。[映画館(字幕)] 5点(2006-05-04 23:36:22)《改行有》

76.  立喰師列伝 「攻殻」や「イノセンス」程度しか押井守について知らない人がこの映画を見ると、かなり面食らうのではないか。自分は正直言ってこの映画で言いたいことの1%も理解できなかったような気がする。 「イノセンス」程度にとどめておいていただければ、一般人にもなんとなく言わんとしていることが理解できようが、この映画はいささか常人をはるかにとび超えた作品になっていないだろうか。 この映画の中身とは全く関係ないが、ある事象を100の意味不明な言葉で語るよりも、1の正確な言葉で手短に語る方が人には伝わる気がするなあ、という映画とは関係ない変な感想を抱いた。 自分にとってはあまり評価できない映画であるが、この映画は押井監督以外には作れない映画であるし、他のどの監督でもみられない映像世界だと思う。そういう点においては驚嘆せざるを得ない。一般人レベルまで下げてもらえればあり難いかもしれないが、それではやはり押井的ではなくなってしまうのかもしれない。[映画館(字幕)] 2点(2006-05-02 21:19:02)《改行有》

77.  機動戦士ZガンダムIII 星の鼓動は愛 《ネタバレ》 一言でいえば、こんなものはZでもなんでもない茶番だ。 鑑賞前から恐らくハッピィーエンドで終わるであろうとは思っていたが、単に強引にハッピィーエンドにしたところで、何も感じることもないものにして良いはずがない。 そもそもオリジナルラストでカミーユの精神が崩壊するのは、シロッコが死ぬ間際に「オマエの心も連れていく」と言ったからだけではない。あれは単なる引き金に過ぎない。カミーユは戦闘の中においても、「人は誰とでも分かり合えるのではないか」という想いを抱いて戦っていたが、レコア、サラ、ロザミアといった女性たちと最後まで分かり合えることなく、戦いを止めさせることができなく死なせてしまったという苦しみ。また、戦闘の最中にカツ、ヘンケン、エマという仲間が無残に死んでいく姿や、コロニーレーザー「グリプスⅡ」の圧倒的な力にニュータイプ一人の力では戦争を終わらせることができない無力感、そしてニュータイプは単なる人殺しでしかないのではないかという苛立ちなどが、たまりにたまってカミーユの精神を崩壊させたのである。宇宙空間でヘルメットのバイザーを上げたのも既に精神に変調を来しているからであって、「一瞬気絶してました」とかいう訳の分からない理由からではない。 それにしても創りが雑すぎる。ロザミアを描くことは時間的にできないにしても、最後のシロッコとの戦いにはでてくるのは問題だし、さもなければロザミアを描けないかわりに、レコアやサラとカミーユの関係はじっくり描くべきだろう。 そもそも結構劇中では出番があったのに、なぜレコアがエウーゴから離脱し捕虜ではなくティターンズに加わって戦っているのかが普通の人では感じ取れないだろう。オリジナルではクワトロが暴走したグワダンでの脱出の際に確かクワトロをかばってレコアは怪我をしたはずであり、その辺りでのクワトロとのやり取りを上手く利用すればよかったのではないか。なぜか普通に敵に撃たれていたのには理解が苦しむ。また、バスク大佐のドゴスギアを撃ち落としたのは、レコアのパラスアテネであってヤザンではない。あれではヤザンの立ち位置が余計ややこしくなる。 エウーゴとティターンズの間でキャスティングボートを握るアクシズを巡る三者の攻防に加えて、ティターンズ内のシロッコとジャミトフ+バスクの内紛も劇中ではごちゃごちゃさせただけで上手く描けなかったのも悲しいことだ。[映画館(字幕)] 3点(2006-03-11 23:29:41)(良:3票) 《改行有》

78.  機動戦士ZガンダムII 恋人たち 《ネタバレ》 前作では、新旧入り混じった画像の違和感とストーリーの繋がりの悪さが目立っていた。一本の映画と評価すべき点はなかった。 本作では、画像については大幅に新画を取り入れ、比率的には旧画よりもウェイトを占めている印象を受けた。しかしオリジナルでカツが出撃した際のMKⅡを映画でカミーユが乗っている様に転用するという手抜きは相変わらずだ。次作ではそろそろ全て新画で統一して欲しいものだ。 画質は確かに多少改善されたが、肝心のストーリー方は非常に好ましくない。特にフォウの扱いには驚きを隠しきれない。恐らく再度の地球降下を描けないがための処理だろうが、あれではカミーユはフォウの生死を知らないままで終わることになるのではないか。フォウの死というのは、カミーユの戦いに対する気持ちを変えた最大の出来事であり、あんな中途半端な描き方では酷すぎる。 しかも主題であるはずの二人の関係も全く満足に描ききれてはいない。前半は二人の関係で終始させてもよかった。二人の屋上でのキスシーンを旧画で描くというのも「逃げたな」という印象。 カミーユとフォウの関係を描けないにもかかわらず、声優の関係からか、サラとカミーユには時間を掛け過ぎだ。二人の関係はそれなりには重要ではあるが、恋愛感情はほとんどない。サラはカツ及びシロッコとの関係が重要であり、カミーユとの関係はカットできる部分だ。 また、「恋人たち」という主題であるため、カミーユとファ、クワトロとレコア、ヘンケンとエマ、アムロとベルトーチカ、ブライトとミライの関係も描こうと努力はしているが、概ねこれらの関係の描き方は間違っていると思う。特にカミーユとファの関係はあれほどストレートではないはずだ。幼なじみということもあり、ストレートに気持ちを表せられない二人の関係が本来の姿であり、あの二人の関係の面白さでもある。オリジナルでは再会時に安堵感から抱きしめ合う姿はあるが、本作のあんな描き方ではフォウに対する気持ちは何なんだということにならないか。あれではただの女好きだぞ。 そして本来描かれるべきシロッコとレコア、ジェリドとマウアーを描かないでどうするんだと思う。 しかしストーリーはどうであれ、モビルスーツが戦う姿を大画面で見るだけで興奮するものだ。次作「星の鼓動は愛」では無駄な部分をカットして、シロッコとハマーンをきちんと描かれれば文句は付けない。[映画館(字幕)] 4点(2005-11-01 01:41:28)(良:2票) 《改行有》

79.  NOTHING ナッシング この映画のキャラクターは、自分の都合の悪い記憶を消すことができるらしい。 恐らくこの映画を見た人のほとんどが思うであろうことが、自分の記憶を消せるとすれば、この映画を見たという記憶を消したいと思うに違いないだろう。それほど酷い映画だった。もっとも、内容がないので、記憶を消すまでもなく、忘却の彼方に消し去ることはできるが。 ストーリーも意味も内容もオチ(実際はエンドクレジット後に多少のオチ有り)も本当にナッシングだ。サスペンスでもなんでもない。 「CUBE」「カンパニーマン」のノリを期待すると間違いなく裏切られること間違いなしのヴィンチェンゾ・ナタリの2年前の作品。 とにかくオッサン二人が飛び跳ねたり、ゲームしたり、騒いでいるだけの90分なので、普通の映画を見たいと思っている人は間違いなく見ない方がよい。 普通ではない一風変わった映画を見たいという人にだけには、なんとか勧めることができる映画。 本来ならば色々深く考えると意味(本当に消したいもの、消したくないもの、失って気づく本当の大切さなど)がありそうなんだけど、そんなことを考えさせないようなマイナスのオーラに包まれたB級映画に仕上がっている。 オッサン二人が砂漠の中をひたすら歩くというガスヴァンサント作品の「ジェリー」には意義を見出して8点を付けた自分でも、この映画は0点でもよかったのだが、微かな友情の証を見出せたので1点を付けておく。[映画館(字幕)] 1点(2005-09-19 22:49:06)《改行有》

80.  ザ・リング 公開当時、映画館で見たときは結構怖かったような印象があったが、改めて昼間から家で見ると何一つ怖いところはない。 とにかく怖い、怖くないは別として、面白い点としては冒頭とラスト辺りが挙げられる。 冒頭の二人の女子校生のやり取りはアメリカンテイストが満載だ。そして個人的に気に入ったのは、冷蔵庫のシーン。冷蔵庫の扉によって、その背景が見えなくなっている。「リング」ではあるはずがないが、女子校生が冷蔵庫の扉を閉めたら、殺人鬼が立っているという演出はホラーとしてはよくある展開だろう。リングにこのような演出を持ちこむのは少し面白いと感じた(日本版がどのような演出をしていたのかは忘れたが)。 ラスト辺りのレイチェルが井戸に落ちるに至るシーンは、アメリカ的な強引な手法だろう。一切、論理的な流れを用いずに主人公を井戸に叩きこむやり方はある意味見事としかいいようがない。さらに、井戸の中では強引なほどに、やや感動的なアメリカ的準ハッピィ-エンドを迎えてしまう。 このように日本のホラーがアメリカ的な手法によって捻じ曲げられていく様にはハリウッドの真髄をみた。 論点は戻り、本作はまるで怖くないと思う。ゴア監督がアメリカ人かどうかは知らないが、アメリカ人監督なら「テキサスチェーンソー」のような恐ろしさしか理解できないのではないか。このような「呪い」という抽象的な観念を演出するのは日本人でもなかなか難しいと思う。はっきり言ってアメリカ人監督には無理だろう。 それにしてもラストまでに至る道中があまりにも単調過ぎる。せっかく7日間というタイムリミットが設定されているにもかかわらずまるで焦燥感が出ていない。もっとあせりなり、どうしようもならない苛立ちは必要だろう。 また、日本版についても「怖い」という印象はないのだが「親子愛」がクローズアップされていたように思われる。息子を助けようと奔走する親と娘を井戸に落した親との対比もあったろう。しかし本作ではその視点がやや足りないと感じる。レイチェルのエイダンへの愛は接し方には微妙に感じられたがこれでは弱すぎる。ホラーなのでそんな視点が要らないということであれば、更なる緊張感や緊迫感が必要だろう。なんらかの視点なりを盛りこむか、ストーリーをもっと激しく動かそうとしないといけないのではないだろうか。[DVD(字幕)] 4点(2005-06-11 21:51:13)《改行有》

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