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プロフィール
コメント数 1274
性別 男性
年齢 43歳
自己紹介 嫁・子供・犬と都内に住んでいます。職業は公認会計士です。
ちょっと前までは仕事がヒマで、趣味に多くの時間を使えていたのですが、最近は景気が回復しているのか驚くほど仕事が増えており、映画を見られなくなってきています。
程々に稼いで程々に遊べる生活を愛する私にとっては過酷な日々となっていますが、そんな中でも細々とレビューを続けていきたいと思います。

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【製作国 : 日本 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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101.  THE END OF EVANGELION 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に 《ネタバレ》 【2010/06/20レビューを書き直しました】前のレビューでは「大風呂敷広げ過ぎてオチが浮かばず、不快な描写でファンを煙に巻いて終わらせた」と評価していたのですが、あらためて見ると私の認識は完全に誤っていました。生理的な不快感を伴う劇中の表現は監督の逃げではなく必然性のあるものだし、結末もテレビシリーズとの整合性を保ちつつ、予定調和ではない突き抜けたもので、「エヴァらしさ」という意味では最良の終わらせ方だったと思います。。。本作はサードインパクトの様子がひたすら描かれるのみで、内容は至ってシンプル。サードインパクトの行方はシンジに委ねられ、彼は「人類の心が補完され、誰からも傷つけられない世界」か「他人から傷つけられる恐怖と、他人と触れ合う喜びが同居する世界」かの決断を迫られます。シンジは他人から傷つけられることを極度に恐れ、他人のいない世界を常に望んでいましたが、そうした恐れは人と触れ合いたいという欲求の裏返しであることに気付き(ラストでアスカの首を絞めたのは、好きであるが故に拒絶されることが怖かった為)、そしてサードインパクトを途中で終わらせ、再び他人と共に生きることにします。ひとつオトナに成長した息子を見て安心したのか、母親ユイの魂が込められたエヴァ初号機は、地球を離れ宇宙へと旅立っていきます。エヴァという永遠の寿命を持つ箱舟に乗り込み、50億年後に地球が滅んだ後にも人類が生きた痕跡を残すために。。。本作の内容はこれだけで、大して難しい話ではありません。本作を難解にしている最大の要因は、監督が描きたいことと、ファンが見たいものの齟齬にあると思います。私を含めた当時のエヴァファン達はSF的な設定や入り組んだ謎、作り込まれたアクションや美少女キャラ達には惹かれていたものの、このシリーズが重く扱っていた心のドラマには特に関心を示していませんでした。一方で監督はキャラクター達の内面を描写することに重きを置いており、キャラクターの内面に注目すればシンプルな話だったにも関わらず、入り組んだ設定に注目したためにそれがノイズとなって理解を難しくしていました。また、私を含め多くのファンが本作で裏切られたと感じたのも、自分達の見たいエヴァと監督のエヴァとが違っていたため。監督が「ファンの見たいエヴァ」を目指した新劇場版を見た今になると、本作の意図がパっと見えるようになりました。[DVD(邦画)] 7点(2010-06-21 06:30:22)

102.  新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生 《ネタバレ》 【2010/06/20レビューを書き直しました】前回のレビューではDEATH編が不要だと書いたのですが、今になって見返すと印象が変わりました。この総集編は、公開までの製作スケジュールが逼迫した監督による時間稼ぎだったという批判をしばしば受けます。私もそう思っていましたが、実際には物語のクライマックスに突入する準備として必要な情報の整理がなされています。続く「Air」「まごころを、君に」ではサードインパクトという地球規模の壮大なイベントが結末を迎えると同時に、シリーズで描かれてきた主人公達の心のドラマにもついに結論が出ます。アスカは「他人から評価されないと生きていけない」という強迫観念から解放され、レイは他人からの要求を拒否するという自我を獲得し、シンジは他人が存在する世界を受け入れます。彼らはそれぞれの抱える心の問題を乗り越え、大きく成長した姿を披露することとなるのですが、以降に控えるこのダイナミックなドラマの前提として、これまでの登場人物達の感情の推移を整理するDEATH編は必要でした。なぜなら、当時の私を含めたエヴァファン達はSF的な設定や入り組んだ謎、作り込まれたアクションや美少女キャラ達には惹かれていたものの、このシリーズが重く扱っていた心のドラマには特に関心を示していなかったからです。エヴァは多くのファンから舐めるように鑑賞され、また普段はアニメなど扱わない媒体からも取り上げられるほどの人気を獲得しましたが、監督はそれに浮かれず、ファンが付いて来ていない部分があることを冷静に認識していたようです。もしかしたら、「こいつら、俺の言ってること分かってないじゃん」という苛立ちもあったのかもしれませんが、ともかくクライマックスの理解を助けるために今一度ドラマ面を提示しなおす必要があり、そこでDEATH編を作ったように思えます。事実、DEATH編を丁寧に見てから「まごころを、君に」を鑑賞すると、意味不明と言われたクライマックスを意外なほどすんなりと理解できます。。。同時にDEATH編からは、監督がファンを信頼していることも伺えます。これはただのダイジェストではなくシリーズをバラバラに分解して再構築したものであり、ワンシーンを見ただけでどのエピソードからの出展であるかがピンとくるようなレベルの高い観客のみを想定した作りになっています。多くのファンはそのレベルに達しているはずだと監督は考えていたようです。[DVD(邦画)] 7点(2010-06-20 20:47:37)(良:1票)

103.  おくりびと 《ネタバレ》 最近の邦画にありがちなこと、①何でもセリフで説明し、表現の工夫を怠ってしまう、②結末ありきで物語が進行し、現実的にありえない極端な展開へのフォローもない、③とりあえず泣きに走れば何とかなると思っている。。。うれしいことに、本作はこのような邦画病に陥ることなく、映画らしい映画になっていました。「死」という重いテーマを丁寧に扱っているし、かと言って重苦しくなりすぎないよう笑いの要素も適度なバランスで入れてきており、監督や脚本家が映画人としての仕事をきっちりやってるなぁと感心しました。話の落とし所は予想通りでしたが、極端な泣きに走ることなく、説明過多でもなく、客を信用して作っていることが心地よかったです。象徴的なのが大悟と父親のエピソードで、普通の映画であれば、ラストのあのシーンでは父親の手紙か何かを登場させるでしょ。そして私を含め、観客は涙を絞り取られるわけです。しかし本作は、峰岸徹という役者と石ころという小道具のみで、それをやってしまった。安易に言葉には頼らなかったのです。こうした作り手の姿勢は大いに評価できます。さらに、アイドル演技の抜けない広末涼子を除いて役者も全員良かったし、本作は間違いなく「良作」の部類に入る作品だと思います。。。ここで、私の評価はあくまで「良作」止まりであり、「傑作」と呼ぶにはちょっと足りないかなという感じです。私達の死生観にも影響を与えるような鋭い視点がなかったし、結末も予定調和で、観客が思う以上のものがありませんでした。本作は映画として精巧に作られているためマイナス要素をほとんど持っていませんが、かと言って目立った加点要素も少ないかなぁという印象です。世界的な評価の高さはちょっと身の丈に合っていないような気がするのですが、外人さんにとっては、彼らが見たい美しい日本の風景が山ほど出てきたし、宗教色の薄い日本人独特の死生観を垣間見たことが面白かったのではないでしょうか。[地上波(邦画)] 6点(2010-06-05 17:35:53)(良:1票)

104.  容疑者Xの献身 「HERO」は酷評し、「踊る大捜査線THE MOVIE」はレビューする気にもなれないほど大嫌いで、フジテレビ製作の映画には不信感しか持っていないのですが、本作の出来の良さには完全にやられました。謎の提示やネタばらしのタイミングが絶妙でサスペンス映画としてレベルの高い脚本だし、淡々としながらも激情を孕んだドラマには心を千切られるような思いがします。この映画の脚本は、日本映画界にありがちな、ただ原作を映画版に手直しただけの代物とは訳が違います。「映画として成立させるにはどうすればいいのか?」という工夫が見て取れるのです。原作は石神の心理描写が克明であり、それがサスペンスやドラマを大いに盛り上げていたのですが、一方映画版では無口な石神の感情をどう表現するかが大きな問題でした。ブツブツと独り言を言わせるのはヘンだし、かと言ってすべてナレーションで説明してしまうわけにもいかない。そこで映画版は、ガリレオこと湯川との対比によって石神が抱える人生への深い絶望と「献身」の重みを表現し、さらに石神と同類である湯川に彼の感情を代弁させることで、この問題を乗り切りました。ここでポイントだったのが堤真一というキャスティングで、原作ではハゲで小太りの醜男だった石神をいわゆるイケメンの部類に入る堤に演じさせたことは大きな改変でした。しかし、原作者が佐野史郎をイメージしていた湯川を福山雅治が演じたことでその人物像が変化したことに合わせ、石神も原作に準拠するのではなく、映像版「ガリレオ」に合わせた形に変更する必要がありました。湯川が石神の代弁者となるためには彼と紙一重の人物像であることが重要であり、人を惹き付ける魅力が偶然備わっていた湯川は幸福な人生を送り、根は同じであっても魅力に欠けた石神は日陰の人生を歩んでいる(冒頭、福山雅治が「愛など下らん」とキザに言う場面は、実はかなり重要)、そのためには堤である必要があったのです。さらに、蛇足と言われている雪山の場面にも意味が感じられます。二人が顔を合わせてホンネを語りあう特殊なシチュエーションとして雪山という舞台は必然性があるし、石神は真相に気付いている湯川を殺すつもりで雪山に誘い出したにも関わらず彼の命を助け、湯川は自分が殺されるかもしれないことを知りながらこの誘いに乗った。性根でつながっている二人の特殊な関係性を描くために、この場面は必要だったと思います。[地上波(邦画)] 9点(2010-05-28 21:38:43)

105.  クリフハンガー 天敵ソ連を失って以降は迷走の続いたスタさんにとっては起死回生の作品であり、ジュラシック・パークをも超える大予算で挑んだ超大作だけあって、アクション好きにとっては大満足の作品です。しかも単純なドンパチアクションに終わらせておらず、崖を登ったり斜面を滑り落ちたりという雪山ならではアクションを中心にして見せ場を作っているのですから、他のアクション映画とはレベルの違う、かなり丁寧に作られた映画だと言えます。今回は山岳救助隊員であって戦闘のプロではないという設定を最後まで裏切ることはなく、スタさんが銃を一発たりとも撃たない、プロの傭兵と素手で格闘すると負けてしまうという辺りも新鮮です。また、CGが本格的に使えるようになる前の時代の作品だけあって、生身の人間が危険な撮影に挑んでいるという緊張感もバシバシ伝わってきます(スタさんの登場シーンはセット撮影が多いような気がしましたが…)。この辺りは、監督にレニー・ハーリンを持って来たことが功を奏しています。大予算にもまったくひるまぬ図太い根性があり、またスタッフや役者にいかなる無茶も要求する暴君ぶりも有名な監督だけあって、大変な困難を伴う撮影を妥協なくやりきっています。。。ただし、ハーリンの起用が裏目に出ている部分もあって、ドラマパートが台無しになっているのはその最たるもの。本作はアクションだけでなく、ドラマパートも実は充実しています。スタさん演じるゲイブは、敵の手から逃れた時点でさっさと下山してしまうという選択肢があったにも関わらず、親友のハルを救うためにテロリストと戦います。そのハルとは恋人の死を巡る深いわだかまりがありながら、それでもなお親友として彼の命を救おうとする熱い話でもあるのですが、ここが完全にスルー。対するテロリストは一枚岩ではなく、内部では殺し合いにつながりかねないほどの対立が発生しています。また強奪作戦の失敗からテロリスト達が猛烈に焦っているという珍しい描写も入っており、よく突っ込んだ話となっているのですが、これまた設定を活かしきれていません。演技のできる役者で脇を固めていることからも、本作をただのアクション映画には終わらせないという製作側の意思が読み取れるのですが、これらをうまく機能させられていないのが残念なところです。[DVD(字幕)] 7点(2009-12-24 08:36:42)(良:2票)

106.  パッチギ! 活き活きとした不良達が画面を席巻し、間に入る笑いのタイミングも絶妙。井筒監督はもっとも得意とするジャンルにおいて、本当に良い仕事をしています。メイキングを見ると俳優を追い込む鬼のような演出をしていますが、そのしごきの甲斐あってか俳優たちの演技も見どころとなっています。「良い俳優・良い演技を見たなぁ」と素直に思わせる邦画は久しぶりです。また細かい部分では、主要な登場人物達の髪型をすべて別々にし、服装も人物特定しやすいようにそれとなく色分けがしてあります。時代ものの映画では全員が同じような髪型・服装をするため人物の特定が難しいことがあるのですが、監督は観客が混乱しないよう、視覚的な工夫をきちんと入れてきているのです。以上、いくらお金をかけても「映画になっていない映画」が多い中、井筒監督はお金の力ではなくプロとしての腕前で「映画らしい映画」を撮ってみせる、現在の日本映画界においては稀有な存在だと評価できます。。。と非常に楽しく鑑賞していたのですが、ラスト30分で一気に冷めてしまいました。葬式に出席した主人公康介が、在日の老人から「在日朝鮮人がいかに酷い目に遭ってきたか」を聞かされる場面です。。。私が生まれ育った地域には朝鮮学校があり、学生時代には在日の店長のお店で4年間アルバイトしたし、妹の彼氏が在日朝鮮人だったこともありました。私は在日社会のすぐ近くで生きてきて、日本人と在日朝鮮人双方に対してフラットな認識を持っているつもりなのですが、その私がこの場面には強い違和感を覚えます。他のレビュワーのみなさんも指摘されている通り、事実誤認の嵐。調べればすぐにわかるようなウソを映画で堂々と主張し、ありもしないことの反省を日本人に強要するのは、ちょっとどうなのよと思います。監督は在日の人達のためにこの場面を入れたのかもしれません。しかし、このような形で必要以上の贖罪意識を押しつけることが日本人のストレスとなり、それが在日のみなさんに対する反発へつながっているという現実を私は目にしています。もちろん、監督がどんな主張をするかは自由です。日本が悪いと思うのならそれでも良いのですが、ウソやデマを言ってでも日本が悪かったことにしようとする姿勢は作り手として問題だし、それが日本人のストレスを煽っていて、かえって溝を作っているという現実もよく認識されるべきです。[DVD(邦画)] 5点(2009-09-14 01:30:35)(笑:1票) (良:2票)

107.  スパイ・ゲーム(2001) 《ネタバレ》 公開時にはブラッド・ピット主演のアクション大作として宣伝されたため誤解を受けましたが、これは硬派で知的なサスペンスです(だからこそ、アクション大作への出演を嫌がるブラピもこの企画には参加したのでしょう)。「スパイ・ゲーム」は逆説的なタイトルで、これは鮮やかに敵を倒す痛快なアクション映画ではなく、神経を擦り減らすような死と背中合わせの駆け引きを描く作品です。よって派手なアクションはほとんどなく(終盤の救出作戦すら、地味な撃ち合いで終わる)、スパイという世界が持つ極限の緊迫感や、命をかけた「ゲーム」であることから生じる痛みを作品の核としています。序盤のベトナム以外にブラピが銃を撃つ場面はなく、カーチェイスも格闘もなし、敵と顔を合わせることもなし。現地の協力者を口説き、彼らを戦場に送り込む駆け引きがひたすら描かれます。作戦が敵に漏れていたため協力者を置き去りにして逃げたり、作戦の手はずを間違えて死なせてしまったりという痛みのドラマをきちんと描いており、スパイ映画としてはジェイソン・ボーン以上に誠実に作り込まれた作品だと言えます。。。と、このように硬派な作風であり、なおかつ過去の回想と現在の救出作戦が並行して語られるという厄介な構成をとるため、作りの誠実さの代償として娯楽性という意味では問題のある脚本だと言えるのですが、これがスコットの手腕により十分面白く作られていることには驚きます。派手な見せ場は少ないものの、美しいビジュアルにかっこいい音楽、キレのある編集により、勢いのあるアクションを見たような高揚感を味わえます。脚本にあったと思われる泥臭さは調度いい具合に抑えられており、必要以上に重い作品にしていません。ラスト、作戦名を聞いて師匠の仕業だと知るブラピと、ポルシェで颯爽と退場するレッドフォード、この締めはまさに痛快でした。話の交通整理もうまいもので、ややこしい構造の作品でありながら、特に混乱することがありません。困難な企画にあって、水準レベルのアクションは寝てても撮ることができ、プラスαの工夫に頭を使う余裕のあるトニー・スコットを引っ張って来られたことは幸運でした。そこいらの監督に任せていたら、観客の頭を混乱させるだけの映画になっていたことでしょう。頭空っぽの映画ばかり撮る監督だと思っていたトニー・スコットの見方が変わった一作です。[DVD(吹替)] 9点(2009-08-14 11:45:24)(良:1票)

108.  ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 《ネタバレ》 【激しくネタバレしています】 テレビシリーズにおいては、毎回使徒を殲滅する爽快なアクションや学園ものとしての明るい面が強調されたパートに当たり、またシリーズ中最大の盛り上がりとなった最強の使徒との戦闘→初号機の覚醒もあって、かなりおいしい部分に当たるのがこの「破」です。というわけで初っ端から見せ場の連続、「序」を見てしまっているのでビジュアルへの驚きは薄くなりましたが、意表を突くような使徒のデザインや(時計の針みたいなやつまで登場)、細かいところまでこだわり抜いたアクション、音楽と渾然一体となったキレのいいカットにはやはり大興奮なのです。ハリウッド大作でもここまで見せるものは少なく、日本はやはりアニメの国なんだなぁと実感しました。本作より新劇場版はオリジナルとは異なる展開となりますが、かと言ってまったく新しいことをやるのではなく、オリジナルにあったパーツを組み替えることで意味合いを変えていくという、いかにもファンを喜ばせる遊びをやっているのはさすがです。そうして中盤まではテレビ版を踏襲した作りとしていただけに、テレビとは大きく変わったクライマックスの戦闘にはかなり驚かされました。使徒がエヴァを捕食するというテレビと逆の関係になっていたり、「覚醒」が「ビーストモード」としてエヴァのオペレーションに組み込まれていたり(しかも今回はエヴァが負ける)、極めつけは旧シリーズのクライマックスだった初号機の神格化及びサードインパクトがここで発生しており、「おいおい、もうはじまっちゃったか」とかなり意表を突かれました。さらにシンジとレイの行動原理を明確にお互いへの愛情としたため、前回の気の重くなるようなサードインパクトから一転、えらく前向きで力強い意志をもったサードインパクトとなっています。今回はシンジとレイの成長が大きな鍵となっていますが、一方でシンジをレイに持って行かれ、加持さんも心の恋人ではないアスカの冷遇ぶりはお気の毒でした。また新キャラであるマイは主要な登場人物にほとんど絡んでおらず、オリジナルに比べて微妙となったアスカ、立ち位置のはっきりしないマイ、登場のタイミングが大きく変わったカヲルが今後どのような形で話に絡んでくるのか、「Q」も見逃せない終わり方となっています。今回のように2年も空けることなく、できれば半年以内にでも見せてくれれば嬉しいんですけどね。[映画館(邦画)] 8点(2009-07-01 22:30:10)(良:2票) 《改行有》

109.  ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 キャラも話も見せ場も大きな変更はなく、新しいものは特にないのに、舐めるほどオリジナルを見ていた人間を納得させるだけの映画にしているのですから、エヴァという素材がいかに強力であるか、また新劇場版がいかに優れた娯楽作であるかがわかります。時間的にはかなり端折られているにも関わらず話の要点は外しておらず、また駆け足感もさほど感じない要約の絶妙さ、一方でエヴァの特徴である意味深なセリフや内面描写、「謎」への振りは、劇場での鑑賞でも消化できる程度の適度な密度に抑えていたりと、ストーリーテリングのレベルは相当なものだと思います。オリジナルを製作している時点において、監督たちのエヴァに対する理解は必ずしも統一されていなかったということですが(その混乱が、見る側にいくつもの解釈の余地を与える奥深さにつながっていましたが)、エンターテイメント志向の今回は話をまとめるつもりで作っているようで、極度に混乱させるような展開はなくなって見やすい作品となっています。編集は冴えに冴えており、ヤシマ作戦においてシンジがトリガーを引く瞬間に向けてドラマやアクションがきれいに収斂されており、実写でもここまで盛り上げる編集は滅多にないなぁと感心しました。そして、やっぱり凄いのがビジュアルの強化です。おおまかな流れは変わっていないものの、気の利いた追加や修正により驚くほどかっこよくなっています。最大の変更点は、シンジ、レイ以外にも使徒と戦っている人々の描写を充実させたことで、ヤシマ作戦に向け、大破した初号機を急ピッチで修理したり、シンジに陽電子砲を撃たせるため日本中のインフラが動員される描写が入ったことで、作戦の規模や重要性がより際立ちました。14才にしてこれだけのミッションを背負わされるのですから、「乗りたくない」というシンジの気持ちも理解できます。また要塞都市たる第三新東京市の防衛システムの描写が大幅に増えており、使途vs従来兵器は怪獣映画のようなひとつの見せ場となっています。細かい点では、エヴァ出撃シーンでのオペレーションをいくつか増やしており、ロボットものの重要な見せ場である「発進」が格段にかっこよくなっています。当初は必ずしも好意的には受け止められていなかった新劇場版ですが、公開されるや多くの人を振り向かせたパワーはさすがのものです。[映画館(邦画)] 8点(2009-07-01 20:26:54)

110.  墨攻 《ネタバレ》 原作未読の私にも、要約に苦労したことがよくわかる出来となっています。敵意むき出しだった王子が革離に傾注したり、革離暗殺を命じられた農民たちが革離に信頼を寄せるまでの過程がスッポリと抜けていたりと、唐突な展開が多々見られます。一方で荒っぽい要約が吉と出ている部分もあって、前半、革離が次々と知略を披露して敵を撃退する様は、矢継ぎ早な展開のおかげで彼が戦略家として際立った人物であることを強く印象付けます。アンディ・ラウは革離役に抜群にハマっており、ただ理屈を述べるだけではなく、人々を引きつけるカリスマ性も兼ね備えた人物にきちんと見えます。対するアン・ソンギもアンディ・ラウにまったく見劣りしない悪役となっています。弱小の梁国相手に負けを重ねるという下手すれば無能に見えかねない役柄であったにも関わらず、知性と人間性を併せ持った名将に見えるのですから、この役柄を脚本以上の人物にしてみせたと評価できます。後半は革離の影響力を恐れた梁王一派が粛清をはじめるという興味深い展開を迎えるものの、ここで映画はいったん失速します。基本的に本作はアンディ・ラウとアン・ソンギが引っ張っているため、ふたりが不在となるこの部分が致命的につまらないのです。脚本レベルでは人間の普遍的な残虐性や愚かさを提示しようとしたと思われるこのパートも、良い役者が不在であったり展開に深みがないため、梁王をはじめとした本作固有の登場人物がただ暴走しただけにしか見えません。王子を失った梁王の悲しみや怒り、また革離を排除せよとの命令にいったんは反対するものの、梁王への忠義からその先頭に立つこととなる将軍の葛藤など描くべきものは多くあったにも関わらず、お手軽なドラマ作りのために残虐な処刑等で不快な気持ちにさせられるのみです。しかし、アンディ・ラウとアン・ソンギが戻ってくると映画は再び息を吹き返します。どんな戦闘シーンよりも彼らのやりとりは見ごたえがありました。また、梁王によって反乱軍と見なされ、いったんは国を離れた部隊が趙軍を撃退するのですが、解放された民衆は過ちを犯した梁王を再び担いでしまうという皮肉な展開をとってみせたことには驚かされました。逸越をニアミスで殺してみせたり、民衆の愚かさにさすがに愛想尽かし孤児を連れて梁を後にする革離等、見る側に考えさせるバッドエンドは満点の締めだったと思います。[DVD(吹替)] 7点(2009-06-16 22:39:11)(良:1票)

111.  グッドナイト&グッドラック オスカー主要部門への大量ノミネート、ベルリン映画祭主演男優賞&脚本賞受賞も納得の仕上がりでした。クルーニーとグラント・ヘスロフ(トゥルーライズ等に出てた人)による脚本が非常に秀逸で、事実ベースの淡々とした物語でありながら、エンターテイメントとして十分楽しめる作品となっています。この手の作品にありがちな過剰な煽りや一方的な主張がなく、ジャーナリズムの良心というテーマ同様、本作の制作陣の姿勢も非常に良心的なものだと言えます、事実に基づいた話を取り上げる場合、必ずしも映画が望むタイミングで山場やオチが来てくれないという大きな制約があり、これに直面した多くの作品は事実とはズレのある展開・解釈を加えることで製作者が意図する物語にしようとしますが(インサイダー、ビューティフル・マインド、シンドラーのリスト等々)、本作は脚色を極力排除し、事実を追うことを最優先にしています。また、劇中声を荒げるのは記録映像におけるマッカーシー議員のみであり、論理的なセリフの淡々とした積み重ねのみでスリリングで物語が構築されています。このように映画を盛り上げるための技術を相当放棄しながらも面白い作品にしているのですから、驚異的な仕上がりと言えます。この手の作品は冗長になりがちですが、コンパクトにまとめたのが勝因でしょうか。話をあちこちに飛ばさず局内で起こることのみに集中し、登場人物や発生するイベントを無闇に水増しするようなことをしていません。仕事とプライベートの間での悩みといったお決まりもなし、ジャーナリストとして為すべきことを為すプロの姿のみが描かれます。こうした地に足のついた描写は、ニュースキャスターを父に持つクルーニーならではの強みでしょうか。[DVD(吹替)] 8点(2009-06-05 22:52:58)

112.  日本沈没(2006) 炎に囲まれ絶対絶命の少女、草彅剛は間に合わない!ああ、もうダメなのか。その瞬間、炎の中からレスキューヘリが飛来、ロープにぶら下がった柴崎コウが危機一髪で少女を救助!…この冒頭で「この映画はダメだ」と覚悟を決めました。これは恐ろしくセンスのない人たちが作った映画だなと。本作のようなシュミレーション映画には、何でもできるスーパーマンは絶対に出てきてはいけないはず。そんな人物が出てきた途端に日本沈没の危機感が大きく失われてしまうのに、ド頭でこれをやってくるのは相当なもの。最後まで見ましたが、冒頭で感じた予感は残念ながら的中しました。それなりに見せ場があるにも関わらず、2時間をここまで退屈にさせるのは凄いことです。この映画は企画意図そのものに問題があったのではないでしょうか。CGでそれなりの映像を作れるようになったし、若い客が喜ぶデカイ企画をやろう。女性ウケは大事だから、アイドルの恋愛要素は必須で。往年の作品のリメイクなら中高年の動員も見込める。そんな足し算の論理で考えられた企画のように思います。しかし出来上がった映画は、結果的に引き算の積み重ねになっているのが面白いところ。シミュレーション映画としての完成度を追えばある程度のグロテスクな展開や描写は避けられないし(惨い場面をひとつも入れずに危機感を煽ることのできる監督は日本にはいません)、恋愛要素を描ききろうとすればアクションのテンポを奪ってしまうし、年齢層の高い客層は知的好奇心を満足させる内容でなければ退屈します。しかし方向性を決めずにすべてのターゲットを狙いにいった結果、作品の質を決定する要素をすべて切ってしまっているのです。何味にするのか考えず、とりあえず喜ばれそうな食材だけ放り込んだ料理。砂糖も塩も入れてないので物凄くマズくなってます。こういう映画はよろしくないですね。あらゆる層にアピールしてとりあえず映画館に来てもらうけど、関心があるのは入場料払うまで。映画館に来たお客さんを入場料分きっちり楽しませることの努力は特にしていないという。最近では大コケする邦画も出てきていますが、それは本作などが適当な商売した結果、観客が学習した結果だと思います。1点は本作で唯一プロの仕事をしていた特撮パートに。さすがは大量破壊描写について世界随一の伝統を持つ日本特撮界だけあって、対費用効果ではハリウッドより良い仕事してます。[DVD(邦画)] 1点(2008-06-29 19:43:04)(良:2票)

113.  復活の日 《ネタバレ》 尋常ではない製作費を放り込みながら、南極ロケやら(いかにウソをつくかも作り手の才能なんだから、わざわざご当地まで行かなくても…)微妙なオールスターキャストやらにドバドバと金を使い、全体を眺めると大作感を著しく欠いた印象となっています。中盤の潜水艦戦や後半の核爆発といった派手な見せ場がスペクタクル映画としての印象を左右する要だったのに、そういった大事なポイントに限ってお茶を濁しているため、製作費とは裏腹に妙な安っぽさが漂っているのです。また、深作欣二監督がSF向きではなかったのも問題。話は間違いなく世界規模なのに、見ている間は特にスケール感がありません。世界各地で派手にロケをやってるものの観光地巡りに終わっており、全世界を感じさせるところまで行っていないのです。本来この映画は観客の知的好奇心に訴えるべき話だったのに、監督がSF的なトンチを語ることに重きを置いていなかったのが原因だったと思います。例えば「ターミネーター」という映画は夜のLAが舞台の低予算映画でしたが、登場人物から語られる話の背景により、人類規模のスケール感を持たせることに成功しています。SFはいかにトンチを披露するかがカギであり、またこの作品には素晴らしいアイデアが満載されていたというのに、それをほとんど活用できていないのはもったいない限りです。その一方で監督が力を入れていたのがドラマパートだったようですが、これが過剰で笑ってしまうほどでした。とにかく濃いこと。科学者も政治家も医者も、登場するやみんな大声で怒鳴る人ばかり。終末観を煽るための演出でしょうが、「どんだけ短気な人ばっかなんだよ」とだんだんコメディを見ている気分になりました。間寛平みたいにのたうち回る感染者、世界の終わりに過剰に動揺する渡瀬恒彦、白衣でモーターボートを操縦する多岐川裕美、「わしゃもうダメだ」と執務室で毛布にくるまる米大統領等、枚挙に暇がありません。そんな深作演出ですが、これを突っ切ってみせた終盤は非常に素晴らしかったと思います。仙人のような出立ちでひたすら南を目指す草刈正雄の壮絶さは、深作監督でなければ出せなかったと思います。あの無言から発せられるとんでもない執念と、それと表裏一体の絶望感。「あの小さな家にどうやって辿りつけたんだ?」「てか車で行きなさいよ」などというツッコミすら忘れさせるパワーに4点献上です。[DVD(字幕)] 4点(2008-06-29 05:01:44)(良:1票)

114.  GODZILLA ゴジラ(1998) よく言われることですが、日本人の描く怪獣は人間では対抗することのできない神に等しい存在で、一方ハリウッドのモンスターはやがて人間の力によって命を奪われてしまう存在。これをはじめて見た時は、ヘリや潜水艦からの攻撃、果ては歩兵の撃つ自動小銃からも逃げているゴジラの姿が印象的でした。最近公開された「クローバーフィールド」は日本の怪獣映画を参考にして作られたと言われますが、結局あれも軍隊の力でモンスターに対抗していたので、やはり怪獣の捉え方は日本独特のものだと思います。そんな特殊な文化的背景を持つ「ゴジラ」の製作ですから、エメリッヒも相当苦労したと思います。例えばゴジラの出自ひとつとってみても、不思議なことに日本人はあれが一体何者なのかということに説明を求めません。ゴジラが水爆実験によって復活した太古の恐竜という設定を知らない人は意外と多いのではないでしょうか?キングギドラの基本設定がコロコロ変わったり、最後のつがいが死んで絶滅したはずのラドンが次作に登場したり、ゴジラに息子がいたりしても何となく受け入れてきたのも、やはり「怪獣は人智の及ばない存在」という捉え方から来ているのだと思いますが、ハリウッドで映画化するとなればそれなりに納得できる説明が必要となります。批判の多い巨大イグアナという設定にしても、さすがに太古の恐竜という話を世界マーケットでそのまま押し通せるものでもないので、あれはあれで仕方のない方便だったと思います。そんな難しい映画化でしたが、前半は非常に巧く作られていて感心します。主人公が局地的な異変を辿りながらゴジラの存在に行きつく展開はこれまで製作されたどの続編よりも1954年版に忠実で、かつ退屈になりがちな序盤の前振りをここまで面白く撮っているのはさすがです。ミミズの突然変異を研究してる学者、テレビ局に勤める野心家の元カノ、愛妻家のカメラマン、保険調査員と称して事故現場に現れるフランス諜報部員と、普通ではちょっと思いつかない登場人物を配置してるのも面白く、かなりよく考えて作られた映画だと思います。ただしエメリッヒ作品毎度のことですが後半になるにつれ演出がグダグダになっていくし、ゴジラが軍隊から逃げ回るという同じような見せ場を何度も見せられたのでは飽きてくるし、せっかくの登場人物を活かしきれていないしと、明らかな問題点も指摘できるので、ここは5点という評価で。[DVD(吹替)] 5点(2008-06-22 03:51:00)(良:2票)

115.  HERO(2007) 《ネタバレ》 テレビ版が好きだったので見に行きましたが、相当な期待外れでした。映画らしいと言えばフジテレビの威光でやたら豪華なキャストを揃えているところのみで、脚本も演出も映画館で見るに値するレベルに全然及んでいません。とにかく荒さの目立つ脚本で、特にすごいのが「男魂」の扱い。「男魂」とペイントされた容疑者の車が事件の有力な証拠だということでこの車両の捜索が映画前半のメインエピソードとなるのですが、韓国まで追いかけてようやく発見したこの車両が後半の裁判で決定的な役割を果たすのかと思いきや、被告側の弁護士である松本幸四郎の一言であっけなく証拠としての採用を棄却され、後半では「男魂」の「お」の字も出てきません。普通の映画文法では、前半であれほど時間をかけて追いかけたものは後半の伏線になるはずなのですが、ここまで無意味になってしまうのはさすがにどうかと思いました。1時間ドラマ程度の内容しかない脚本の時間稼ぎのため、またゲスト出演のイ・ビョンホンを登場させるべく韓国へ舞台を移すため、車両の捜索という本筋とは無関係なエピソードをねじ込んだようにしか見えませんでした。またキムタクのキャラクターも映画版ではあざとく感じました。ラフな服装と型破りな言動で一見すると検察官としての能力はなさそうだが、実は熱い心を持って事件にあたる久利生公平。彼の人間味溢れる捜査で事件のみならずその背後にある人間ドラマも解決していくこと、またパっと見で彼を判断する連中を最後にはギャフンと言わせる痛快さがドラマの面白さでした。それはやはり1時間枠のテレビドラマで、しかも月曜9時。深く考えずに1時間でさくっと見るからこその面白さだったのだなと映画版を観て再認識しました。上映時間は倍以上になり、見ている側の集中力も格段に違う映画においてはやはり勝手は違います。どうでもいい捜査を延々見せられた末に、ラストはキムタクの演説で判決が出てしまうという適当さ。キムタクが人情話をすれば、状況の吟味や証拠の検証などもすっ飛ばしてみんな「はは~」っと納得してしまうわけですよ。それはあんまりでしょ。[映画館(字幕)] 4点(2007-10-06 19:13:02)

116.  トゥモロー・ワールド 《ネタバレ》 おもしろくなりそうなアイデアや展開がぶちこまれているわけでもない、前代未聞の斬新な見せ場があるわけでもない、しかしこの映画にはとてつもない「何か」が宿っています。絶望的で陰惨で、それでいて皮肉に溢れとてつもなく人間的という独特な世界を完璧なまでに作り上げており、映画全体が生き物のように躍動しています。ストーリーらしきストーリーなど必要ない、というよりもこの世界を味わうためにはストーリーすら蛇足と言えます。人類になぜ子供ができなくなったのか、ヒューマン・プロジェクトとは何者なのか、確かに娯楽作としておもしろくなりそうな要素を相当切り捨てています。普通の監督であれば当然描いたであろうことを一切無視し、あくまで主人公セオの目線のみで作られています。しかしそれで正解。世界の謎を解き明かすことも、未来のために戦うこともなく、行く先々で出会う人から言われるがままに動き、ただ危険から逃げることしかできない。こうしたヒロイズムの否定は、人類全体が死へと向かっている世界で何もできはしないという絶望感をさらに煽ります。これでいいのです。そしてその絶望の対極にある希望の描き方も実に秀逸。クライマックス、軍隊による殺伐とした掃討作戦が開始され、兵士達は銃を無差別に乱射し、テロリストは狂気にとりつかれたかのようにそれに応戦、一般市民はただただそれにおびえるばかり。しかしひとりの赤ん坊が人々の心にあった共通の人間性を呼び起こし、戦闘を止めてしまうのです。アクション、スリル、ドラマ性、メッセージ性、哲学性などがすべて頂点に達したかのような素晴らしいシーンで、映画史上これほどの場面は稀有だといえます。アルフォンソ・キュアロンという監督にはあまり馴染みがないのですが、自ら脚本も手がけてこの作品を作った手腕は神業的としか言いようがありません。娯楽的な要素を相当切り詰めた上に、立派な人物や印象的なセリフが出てくるわけでもないのに、ここまでおもしろくかつ含蓄のある作品を自分のセンスのみを頼りに作ってしまえるというのは恐るべき才能だなと。キューブリックですらこのレベルは作れなかっただろうほどの超絶な傑作です。映画館はガラガラでしたが(笑)、後の世では不動の傑作との評価を受けるであろう作品だと思います。[映画館(字幕)] 10点(2006-12-12 23:55:55)(良:8票)

117.  亡国のイージス 原作を読んでいない私にはさっぱり意味不明な映画でした。それも話が複雑すぎて未読者では把握が困難というのならまだしも、伏線も張らずに「この人、実は○○でした」なんてことを平然とやるなど論理的に話がつながっていないという、映画単体として成立させることを完全放棄したかのような姿勢はさすがに問題です。ジョンヒなどは背景説明の描写すら一切なく、何者かよくわからないまま登場して死んでいくという、だったら出さなきゃいいじゃないかという人物までいます。原作に仁義切ってなるべく要素を詰め込もうとした結果なのかもしれませんが、そのために映画文法なんてものもかなぐり捨ててどれだけ丁寧に見てもわからない映画にしてしまうのなら、映画化の価値を製作サイド自身が否定する態度だとも言えます。また、話だけでなく画面作りもまずく、あんなにスピード感や緊迫感に欠けるアクションは久しぶりに見ました。いそかぜ艦内を知り尽くしている仙石と、防衛庁情報局エージェントの如月を組ませたのなら、それぞれの長所を活かしながらアクションに差別化を図るのが普通なのに、どいつもこいつもダラダラと撃ち合っては走り回ってるだけ。仙石とヨンファの対決などはもっとも盛り上がるべきところなのに、ごろごろ転がりながら延々殴り合ってるだけという、いつの時代のアクションやってんだと呆れてしまいました。カットが変わるといきなり撃ち合いが終わってる、「こんなアクションもありました」みたいな感じでスローモーションでアクションを締めくくるなど、むちゃくちゃな編集にも脱力。編集の人ってわざわざハリウッドから雇ってきたのに、なんでこんなすごい仕事をしてるのか理解に苦しみました。お雇い外国人にやっつけ仕事されたか、監督の撮ってきた素材があまりにひどいんでこうせざるをえなかったのか。そんな感じで何をとってもここまでダメなのはすごいことです。沈黙の戦艦が大変な傑作に思えてきます。一流キャストをずらっと揃えたり、見せ場にもそれなりにお金をかけるなど相当気合入れて作った映画がこれでは、日本映画もお先真っ暗だなと。そのうち泣ける映画しか作られなくなるんでしょうね。シベ超や北京原人のように笑う価値すらないという、これぞ本当のダメ映画だと思います。[DVD(邦画)] 0点(2006-11-05 17:37:21)(良:2票)

118.  ローレライ なよなよの戦争映画ですね。登場人物の感性や価値観は概ね現代のものであって、まさに極限状態だった戦争末期の潜水艦乗りらしい硬派なところが感じられませんし、ローレライシステムがまんま綾並レイだってってのも脱力。人命が奪われると少女がショックを受けるというきれいごとのために、敵を撃破するというアクション本来の醍醐味が大きく奪われているのが痛い限りです。クライマックスの海戦では、敵を殺さないようにわざわざ信管を抜いて魚雷を発射するというあんまりなことまで。あそこは大艦隊と生きるか死ぬかの大戦争をやって、敵艦をボンボン沈めて盛り上がるところでしょうに。より幅広い客層に訴えるため、恐らく意識的に男臭さを排除したのでしょうが、その結果、真剣に映画を見ている層を納得させる出来は放棄しているかのようです。 以上のようにダメなとこいっぱいで普段の私なら絶対認めたくないタイプの映画なんですけど、しかししかし、なぜかすんなり楽しめたので不思議でした。映画ってのは理屈ではなく個人的な感性を刺激するものなんだなぁとあらためて思いましたね。こんなことがあるから映画は自分の目で見続けなきゃいけないんだなと。アラは山ほどあるものの、確かに演出には一本筋の通ったものを感じました。さすがは腐ってもオタクというか、戦闘シーンでの視点やカット割は実に的を射ていて燃えましたとも。絵にしか見えないVFXはさて置いても、何を映すかという根本的なビジュアルセンスには良いものを感じました。ドラマパートに入ると話のテンポが突然落ちてつまらなくなるものの、その退屈さを切り裂くように突如メインテーマが高鳴って怒涛のアクションに突入するという話の切り替え方も良かったです。静と動のうまい組み合わせですね。このカタルシスのためにあえてつまらないドラマを間に挿入したのかと思えたほどでした。そんなわけで、樋口監督に只ならぬ可能性を感じた映画でした。[DVD(字幕)] 7点(2006-03-25 15:23:41)《改行有》

119.  シベリア超特急 水野さんにとって、映画って本当に素晴らしいものであることがよくわかりました。[ビデオ(字幕)] 0点(2006-03-12 14:11:19)(良:2票)

120.  ゴジラ FINAL WARS こりゃヒデェ映画ですね。「じゃあ、ゴジラシリーズで他に面白いのがいくつある?」と聞かれれば、「そう言われれば、映画として本当によかったのは第1作とビオランテぐらいかもなぁ」なんて答えてしまいそうですが、この映画はそんな程度の問題ではありません。怪獣映画に対するリスペクトがまったくないんですから。ゴジラシリーズの最大の魅力といえば、無邪気な破壊衝動を満たしてくれることにあります。人間って生き物は、ものが破壊される映像を見るのが大好きなんですね。そしてゴジラの前では、観客は素直にその破壊を楽しむことができるんです。実はこれってすごいことですよ。ハリウッドのディザスター映画だろうがガメラだろうが、映画における大量破壊にはそれなりの理由や辻褄合わせが必要となりますが、ゴジラに関してはそれを必要としないんですから。これこそ、ゴジラが半世紀も愛され続けた最大の理由だと思います。そこにきて「ファイナル・ウォーズ」ですが、そのことがまったくわかっていません。観客はひたすら怪獣のバトルを見たいのに、ここでは人間同士のどうでもいいアクションが主体となってるわけですよ。「ファイナル・ウォーズ」とはゴジラにとっての最終戦争ではなく、人間にとっての最終戦争のことだったようです。しかもそのアクションの出来がいいのかと言えば、日曜の朝にやってる特撮ヒーローとさほど違ったレベルではないし。そこまで等身大アクションにこだわるなら、ミュータント=仮面ライダー、X星人=バルタン星人とでもして、とんでもないやけくそバトルにでもすればよかったんですよ。そして、この映画が旧作へのリスペクトを完全に欠いていることがわかるのが、幼星ゴラスから現れるのがシーボーズ似のモンスターXであることです。火の玉から現れる宇宙怪獣、さらにゴジラをも圧倒する最強怪獣といえば、もちろんそこではキングギドラを登場させるべきでしょ。ここでゴジラとキングギドラによる因縁の最終決戦がはじまれば、「これぞファイナルウォーズじゃん」と少しは納得できたかもしれません。とりあえず登場したカイザーギドラなんてダサダサだったし、キングギドラのような美しさがないので全然ダメです。まぁこの映画の唯一の価値といえば、長年顧みられることのなかったガイガンを復権させてくれたことにあります。とりあえず、ガイガンはカッコよかったです。3点はガイガンに捧げます。3点(2004-12-28 16:29:08)

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