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プロフィール |
コメント数 |
1281 |
性別 |
男性 |
自己紹介 |
【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。 【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。 【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。 5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。 また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。 |
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1. ガーンジー島の読書会の秘密
《ネタバレ》 イギリスに属するチャネル諸島のガーンジー島に関わる物語である。第二次大戦ではドイツ軍に占領されたとのことで、ノルマンディーのすぐ近くにも関わらず、連合軍が反攻に転じてからも占領されたままで大変な思いをしたらしい。
原作は読んでいないが映画で見る限り、島の読書会に関わることでなぜか住民が語りたがらない昔の事件があり、主人公がその真相を探っていくミステリー調の展開である。そこにラブストーリーが絡んで来て最後はちゃんとハッピーエンドになる。戦争関連の場面はあるがそれほど過激でもなく、安心して見られる穏やかな映画である。
ユーモラスなところもあり、序盤で出ていた前世と来世の話は、イギリス人もこういう発想をするわけかと笑った。また「あなたの心に住む人」というのも、登場人物の性格付けのためだろうが突拍子もない発言で失笑した。
ちなみにこの島は本来フランス語に近い言葉のはずで、そのことに触れた箇所が若干あったようだが(Bonne nuitに近い言葉)、この点について何らかの考え方なり立場なりがあったのかどうかはわからなかった。
物語の中心になるのは題名のとおり読書会だったらしい。一般論として、一人だけで孤立して考えるのでなく、多くの人々の考えを重ね合わせることで物事の本質が見えて来るということがあるはずで、それが文学なら読書会の場ということになるが、主人公が劇中でやっていたことを見れば、この物語自体が読書会のようなものだったとも取れる。
またラブストーリーに関しては、男連中の顔を見るだけでも結果が予想できる気はするわけだが、本当にその通りになってしまったのは出来すぎである。しかし島の読書会が作家の創造力の源泉になり、ここに住むこと自体が創作活動を支えることになったのならこの結末も正当化されなくはない。実際にフランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーがこの島に15年間滞在したことがあるとのことで、それを背景にした物語だったようである。
ちなみに聖書が「愛の書」であるのに、「裁きと悪意」しか読み取らない者がいることを嘆く台詞があったが、これは聖書限定のことではない(映画も)だろうから自戒が必要である。逆にそういうのも自分の考えをまとめるためには反面教師的に役に立つといえなくもない。
登場人物はそれぞれ個性的で、自分としては編集者の男の立場も気になったが、そのほか酒を売っていた女の実像に意外性があって面白かった。一緒の布団で寝たところではもう主人公の親友になっていたようで、養豚業の男とその養女は別にして、主人公が島に住むのを最大級に歓迎したのがこの人物だったのではないか。主演女優はあまり好みの顔ではないが人物像としては悪くなかった。[DVD(字幕)] 7点(2020-05-09 09:29:01)(良:1票) 《改行有》
2. 火星人地球大襲撃
《ネタバレ》 「原子人間」(1955)、「宇宙からの侵略生物」(1957)に続く、いわゆる“クォーターマス・シリーズ”の劇場版第3作である。前回から間が空いてしまったために今回はブライアン・ドンレヴィ氏が出ておらず、そのせいもあってかクエイタマス(クウェイタマス)教授がわりと普通の人のように見える。しかし原作・脚本は同じ人物であり、このシリーズらしい硬派でミステリー風の雰囲気は出ているものと思われる。
今回は邦題のとおり火星人の侵略を扱っているが、500万年前という設定のためそれほど荒唐無稽な印象はない。地質年代の過去を語る一方で歴史時代の記録も紐解く形にし、単なる大風呂敷でない堅実なスケール感を出している。人類の起源に関する説明の部分は普通にSF風だが、科学者は超常現象を信じないという割に透視力・念力・悪魔・ポルターガイスト・神話・呪術・魔女まで科学の領域に取り込もうとしていたのが貪欲な感じで、こういうところが主人公らしさということかも知れない。
しかし火星人の意図が何だったのかは正直よくわからなかった。自分らの品種改良の手法(優生学を背景にした民族浄化?)を地球生物にも適用して都合のいい種族を作ろうとしていたのかも知れないが、それが火星人にとってどういう役に立つのかがわからない。教授も人間なので徐々に考えを深めていく過程だったのだろうが、結局最後まで説明不足に終わっていた気もする。
また特殊撮影は明らかに貧弱だが、終盤で光る像が窓から見えているあたりは逃げ場がない感じで少し怖かった。ラストは物悲しい音楽が余韻を残す終幕だったが、これはもしかすると生涯の盟友になるかも知れなかった理解者を失った悲しみということかも知れない。全体としては力の入ったTVドラマという程度にも見えるが、こういう実直な作りのものは嫌いでない。
ちなみに問題のホッブズ通りというのが一体どの時代まで遡れるのかと思いながら見ていたが(東京なら江戸時代よりも前に遡れない)、1763年はともかく1341年の段階でも「ホッブズ通り」という言葉が出ており、その時代からすでに都市街路として存在していたことになっていた。ローマ時代の伝承も残っていたようで、最初からローマ都市ロンディニウムの城壁内だったのかも知れない。教授によれば「あの一帯は沼だった」とのことだが、そもそもロンディニウムという都市名自体が沼地に由来しているとのことである。[DVD(字幕)] 6点(2016-09-17 19:59:42)《改行有》
3. 怪獣ゴルゴ
《ネタバレ》 この映画を見てまず驚くのは、台詞のある女優がほとんどいないことである。字幕に出るのは「もう無理 走れないわ」という老婦人だけであり、ヒロイン役のいない怪獣映画など存在しうるのかという疑問を生じる。お父さんサービスのお色気場面もないので児童映画としてまことに健全ではあるが、しかし余計な要素を削ぎ落したようないわば機能主義の怪獣映画よりも、自分としてはやはり万人の娯楽を目指した和製特撮の方に共感せざるを得ない。確かに当時の怪獣映画としてはいい出来だとは思うが、そのような理由で味気なく感じられるのが基本的な難点に思われた。
一方でこの映画を見て気づくのは、都市破壊場面で瓦礫の下敷きになる者が多いことである。これが結構真に迫っていて、思わず“わっ危ない”と言いたくなる場面が多い。第二次大戦の記憶が各国でどう違うのかよくわからないが、日本の「ゴジラ」などでは米軍の空襲で火の海になる東京がイメージされているのに対し、ロンドン市民にとっては爆撃やV2号の着弾などで堅牢な建物が倒壊するイメージの方が強かったのだとすれば興味深い。まあそれは火を吐かない怪獣だからという面もあるだろうが(火を吐くなら見世物にはできない)、何にせよ逃げ惑う群衆の描写に迫力を感じる映画だった。
また、同じ監督の別映画で最後に怪獣が死んだことに関し、監督の娘が「パパは良い怪獣を死なせた」と言って泣いていたのを教訓にして、この映画はハッピーエンドにしたという話は少々涙を誘うものがある。これが後に家族愛を謳う感動作「大巨獣ガッパ」(1967)の製作にもつながった?のであり、わが国怪獣映画の発展?にも貢献したという意味で大きな意義が認められなくもない。[DVD(字幕)] 5点(2014-01-06 23:46:14)《改行有》
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