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プロフィール |
コメント数 |
2162 |
性別 |
男性 |
年齢 |
57歳 |
自己紹介 |
実は自分のPC無いので仕事先でこっそりレビューしてます
評価:8点以上は特別な映画で 全て10点付けてもいいくらい 映画を観て損をしたと思ったことはないので 酷評しているものもそれなりに楽しんで観たものです
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●今週のレビュー 「」
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1. 小さな恋のメロディ
舞台はイギリスなんだけど日本にも通じる子供たちの風景が描かれる。男の子は男の子同士で空き地に集まりなにやら良からぬ遊びに好じ、女の子は女の子同士で憧れのスターの切り抜きなんかを持ち寄りおしゃべり。少なくとも私の小学生時代の風景そのもの。けして男の子と女の子はいっしょに遊ばないし、ましてや二人でデートなんてありえないわけです。でも心のどこかで憧れはあったかもしれない。ひやかされるのが怖いだけで。小学生ともなればもう純粋さで満ちた存在ではないのです。この映画は純粋すぎる男の子と女の子が純粋な憧れを現実にしてくれる。純粋さに気合が入っているのでひやかしていたクラスメイトも応援するようになる。子供の頃のノスタルジーというよりもかつてあっただろう純粋さに対するノスタルジー。どおってことない映画かもしれないけど確実に琴線に触れる映画。[ビデオ(字幕)] 6点(2006-08-09 10:40:31)
2. チャーリーとチョコレート工場
オープニングは『シザーハンズ』を彷彿させ、チョコレート工場の模型に『ビートルジュース』を感じる。ビジュアル的には最近薄れつつあるバートン特有の画が復活している。しかし、例えば『ビートルジュース』の模型は大人が作っている、つまり子供の心を持った大人が。対して今作は子供が作っている。しかもとっても大人な子供が。例えば『シザーハンズ』でエドワードは結局、社会と折り合うことができなかったのに対し、大人になりきれない大人のウォンカ氏は最後に一歩大人に成長する。『バットマン』然り『エド・ウッド』然り、常に子供の心を持った大人たちの孤独が画面を被い、しかしそのひしひしと伝わる孤独はストーリーとは別のところで描かれていた。ウォンカ氏の孤独をストーリーの軸に持ってきたこの『チャーリーとチョコレート工場』はやはり初期のバートン作品とは似て非なるものととらざるおえない。もともとバートンファンというわけではないので、初期作品に思い入れがあるわけではありませんが、バートンらしさというのが、けして結末が描かれない背景としての孤独であったと思う私にとっては、なんともすっきりさせすぎるこの作品に魅力を感じないのです。ウンパルンパのミュージカルシーンは「バカだねぇ」的面白さがあって良かったが、どうせなら『マーズアタック』ばりに「バカだねぇ」を極めてほしかった気もする。[映画館(字幕)] 5点(2005-10-17 17:57:01)
3. 父の祈りを
《ネタバレ》 実話ってのは難しい。無くてもいいようなエピソードも実話なんだから入れなきゃならん。そうこうしてるうちに話が長くなる。かといって削らなきゃ商品として成り立たない。そのせいなのかどうか知らないがIRAと英国の泥沼の関係は誰もが当然知っているものとして話は進む。英国におけるアイルランド人に対する根の深い差別がこの事件の根底にあることもあまり言及されていない。だから民族対立を鑑みない、単なる警察の怠慢が原因の冤罪のようにも見えてしまいかねない。もちろんこの映画が描くのは民族対立の歴史ではなく、あくまで父の息子への強い想いとその想いを息子がどう受け止めてゆくのかというお話ではあるのだろう。でもそれにしちゃ、息子が捕まるまでのエピソードとか長くないか?けっきょく冤罪事件のスキャンダラス性に父と息子のお話は負けてないか?やっぱり実話ってのは難しい。[DVD(字幕)] 4点(2008-10-03 17:53:48)(良:1票)
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