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性別 男性

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【製作国 : イギリス 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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41.  バンク・ジョブ 《ネタバレ》 「追いつめられて」「13デイズ」のロナルド・ドナルドソン監督作品だけあり、緊張感ある作品に仕上がっている点が特徴だ。 また、本作の内容が実話かどうかは実際には定かではないが、リアリティのある内容に対して、「実話かも・・・」と錯覚してしまうほどのリアリティを醸し出しているのも特徴だ。 個人的に、上手いと感じさせる部分は、いくつかの対立軸を浮き彫りさせて、緊張感を高めている手法だ。 『「王女の写真」を巡る、MI5(又はMI6)と黒人ギャングとの関係』 『「汚職台帳」を巡る、売春関係者・汚職警官と警察との関係』 『「銀行強盗」を巡る、警察とMI5(又はMI6)との関係』 そして『「主人公」を巡る彼の妻と彼を愛する女性との関係』 これらの張り巡らされた関係の中に、突如放り込まれた主人公たちの困惑・焦りが見事に描かれている。 描き方によっては、「社会派映画」に仕上げることもでき、もっと複雑で緻密な玄人好みの映画に仕上げることもできたが、エンターテイメントを重視した軽めの仕上がりを選択したように感じられる。 この「エンターテイメント」と「緊張感」と「リアリティ」とのバランスが絶妙であり、なかなか好感がもてるものとなっている。 潜入していた女性の描き方を含めて、物足りなさを覚える部分はかなり多いかもしれないが、おかげでかなり見易くなっているのではないか。 70年代の古臭い事件をマジメに演出してもそれが正解というわけではないだろう。 ただ、車の中古屋のオヤジが、銃を持った殺し屋とレンガで立ち向かうというのはちょっとマイナスか。 アクション映画ではないのだから、あまりリアリティのないストーリーを展開させても仕方がない。 あそこは絶体絶命の危機に主人公に陥らせておき、最後の最後に「警察」に登場させればよかったと思われる。 ステイサムが殺し屋達を倒しても、倒さなくても結果は変わらない展開なのだから、なぜあんな展開にしたのかはやや真意が図りかねる。 オチの付け方に関しても、イマイチすっきりとはしないものだったが、実話の未解決事件なのだから、仕方がないところだろう。 偉い人と銀行強盗側との取引が既に成立しており、たとえ逮捕したとしても裁判で喋られてしまうのは困るという配慮があったものとは推測できる。[映画館(字幕)] 7点(2008-11-24 22:50:45)(良:1票) 《改行有》

42.  僕らのミライへ逆回転 《ネタバレ》 本作は「ハリウッド超大作」を自分たちでセルフリメイクするという内容になっているが、セルフリメイクした作品をしっかりと流してくれるわけではない(インターネットでは鑑賞できるらしい)。 セルフリメイクしたパロディ作品で観客を笑わせるという趣旨の映画ではないので、“爆笑”できると期待すると、肩透かしを食らいそうだ。 セルフリメイクした作品同様に、本作の中身もかなり粗い内容になっている。 “粗い脚本”“粗い演技”“粗い設定”という短所があるものの、本作を見ているとそんなことはどうでもよくなってくる。 本当に大切なものは、“完璧なディテール”や“完全なリアリティ”などではなく、“映画への愛情”ということを気づかせてくれる味わい深い映画に仕上がっている。 町の人々が参加して自由な発想やアイディアで映画を製作していく様や、完成した作品を皆で笑い合って楽しむ様を見ていると、“映画の原点への回帰”“古きよき時代を懐かしむような想い”を込めているのが分かる。 CGなどの技術に溺れたハリウッド大作に警鐘を鳴らしているかのようだ。 数多くの作品がリメイクされたが、リメイクされる作品に関するチョイスも何かしらの意味があるのかもしれないと感じた。 「ラッシュアワー2」は見たことはないのでなんとも言えないが、「ゴーストバスターズ」「ロボコップ」といった80年代の作品が映画にとってのターニングポイントということなのだろう。 見ていないので分からないが、ワイヤーやCGを用いない最後のアクション作品が「ラッシュアワー2」という趣旨なのだろうか。 そういえば、いつのまにか本作に描かれるような町の個性的なレンタルショップはなくなってしまい、画一的なビジネス優先の大手レンタルチェーンに取って代わってしまった。 現在のレンタル事業は、インターネットで予約してDVDが配達される形態も目立ってきている。 我々は確かに利便を得ているのかもしれないが、その代わりに何か大切なココロを失ってしまっているのかもしれない。 映画を通しての人々の触れ合いのようなものが無くなっているとしみじみと感じられた。[映画館(字幕)] 6点(2008-11-01 23:31:49)《改行有》

43.  ホット・ファズ/俺たちスーパーポリスメン! 《ネタバレ》 「ショーン・オブ・ザ・デッド」が全く合わなかったので、これも絶対に合わないだろうと半信半疑で鑑賞したにも関わらず、十分すぎるほど楽しむことができた。 上空に向かって銃を撃つところは最高だ。 声を出して笑った。 イギリス人のユーモアはマジメすぎるのが欠点と思っていたが、このマジメさがいい効果を発揮したように思われる。 きちんと伏線を打って、ほとんど回収した律儀さは立派。 白鳥、金色のオジさん、ファシストなどの使い方が非常に上手い。 見ている最中は、ひょっとしたら終盤で作風を変えてくるかと思ったが、まさかここまでヤルとは想像以上だった。 ただ、狙ったのかも知れないが、序盤・中盤の演出などがやや単調か。 終盤の作風がガラッと変わるので、逆算して考えたら、序盤・中盤にはまだまだ工夫の余地はありそうだ。 また、中盤までの住民や他の警官と主人公との温度差の演出がやや物足りないか。 温度差の違いをもっと笑いにできたはずだ。 明らかに殺人事件が起きているのに、誰も気付かないという展開を押し出してもよかったか。 「ショーン・オブ・ザ・デッド」はそれほど好きではないが、「ショーン・オブ・ザ・デッド」を見ていると、二人のコンビにさらに味わいを感じて、本作を倍以上楽しむことができるだろう。 ラストの墓場のシーンも「ショーン・オブ・ザ・デッド」を見ていると、感じ方が違うはずだ。[映画館(字幕)] 8点(2008-09-02 20:23:34)《改行有》

44.  ショーン・オブ・ザ・デッド 高評価されている作品のため、期待していたが、全然合わなかった。 一言でいえば、あまりにも真面目すぎるのではないか。 この程度の中途半端なゾンビ映画をみても面白くもなく、もっとパロディや笑いを前面に押し出した方がいいと感じた。 ハリウッドのゾンビ映画と比較しても、大きくは差がなく、それほど個性的には思えない。 面白いのはクイーンの曲に合わせて殴るくらい。 ああいうノリが全体的には足りないのではないか。 [DVD(字幕)] 4点(2008-09-02 20:22:45)《改行有》

45.  イースタン・プロミス 《ネタバレ》 男の理想ともいえる世界が構築されている。 男性ならば、この世界に酔うことができるはずだ。 善と悪の世界の狭間に生きる男の、美しくも不器用な生き様に引き込まれるだろう。 悪の世界にどっぷりと浸っているために、もう善の世界に引き返すことの出来ない辛さを抱えるとともに、悪の世界の汚れた美しさの魅力にも惹かれてしまっている。 ヴィゴだけではなく、ワッツも危険なものに手を出さざるを得ない状況に陥っている。 男性におススメの映画だが、本作に描かれているのは性別を問わない美学かもしれない。 絶対的に悪でもなければ、絶対的に善でもない。 好きな女に好きといえなければ、放っておくこともできない。 好かれた男に応えるわけでもなければ、放っておくこともできない。 組織にハメられたと知りながら、認められたことを喜ばずにもいられない。 何もかもニュートラルな状態が本作の魅力かもしれない。 ニュートラルにすることによって、優しさと残忍さを併せ持つ男の相反する二面性のようなものがきちんと描かれていたと思う。 ナオミとのラストのキスシーンで善の世界を捨て切れていない感情を表し、ラストのレストランでのシーンで悪の世界も捨て切れない感情を表している。 この二つのシーンが、非常に良い対比となっているのではないか。 また、ヴィゴとナオミとヴァンサンの隠れ三角関係がいいスパイスとなっている。 ヴァンサンのナオミに対する攻撃的な姿勢がいい伏線となっているのかもしれない。 父親に対して頭が上がらないはずなのに、ヴィゴをハメた父親と喧嘩するということは、ヴィゴに対して相当ホレ込んでいたのだろう。 ヴィゴとナオミも良かったが、ヴァンサンもなかなかいい仕事をした。 好きな男がゲイかどうかを調べるために、彼にヤラせて、その最中をずっと見続けるというところに彼の倒錯した感情が上手く表れている。 注目のサウナでのバトルシーンはバトルに夢中になって、さすがにあっちには全然目がいかなかった。[映画館(字幕)] 8点(2008-07-04 23:25:49)(良:1票) 《改行有》

46.  イグジステンズ 《ネタバレ》 クローネンバーグ監督の「ビデオドローム」を見ている人ならば、この世界観をより理解できるだろう。 「ビデオドローム」の世界を別の角度から、分かりやすく描いたような仕上がりとなっており、クローネンバーグ監督の入門編ともいえる作品かもしれない。 本作を見てもダメならば、「ビデオドローム」は見ない方がいい。 クローネンバーグ監督作品を自分はあまり多くは見ていないが、この独特の世界観には上手くハマることはできた。 「ビデオドローム」同様に、現実の世界と虚構の世界との区別がつかなくなることに対するクローネンバーグ流の警鐘ともいえる作品となっている。 虚構の世界において、主人公がゲーム感覚の人殺しをヒロインに諌めておきながら、現実の世界において、主人公が躊躇なく人殺しをしてしまうところに、クローネンバーグ流の強烈な皮肉を感じる。 虚構の世界において、ゲーム感覚の人殺しの問題点に気づくということ自体もひとつの虚構ということなのだろう。 虚構の世界で感じた善の意識など、しょせんはまがい物であり偽善でしかない、現実の世界において何一つ影響を与えないということかもしれない。 ただ、一方で虚構の世界におけるゲーム感覚の人殺しは、現実の世界において影響を与えたり、問題となっている。 善の感覚は現実に影響しないが、悪の感覚は現実に影響するというのは、矛盾しているようで矛盾していないのかもしれない。 思った以上に、本作は哲学的にはなかなか深いのかもしれない。[DVD(字幕)] 7点(2008-07-04 23:13:05)《改行有》

47.  アイリス(米英合作映画) 《ネタバレ》 「ジョン」と「アイリス」を演じた4名の役者の素晴らしい演技の共演が見事である。 特に、ジュディ・デンチの演技は恐ろしいほど完璧だ。 同年のハル・ベリーはなかなか強敵ではあったが、このような演技にこそ、アカデミー賞を送るべきだろう。 演技だけでなく、映画としてもなかなか奥深いものがある。 ジョンからは、アイリスと分かり合いたくても、分かり合えない辛い気持ちが伝わってくる。 一緒に寝ている呆けた妻に向かって、何もしていないのにボロクソにけなすシーンなど本当に素晴らしい。 ただ単に献身的に介護するだけでなく、このような感情を露(あらわ)にするシーンがあるからこそ、彼の愛情の深さを知ることができる。 二人の出会いのときから、アイリスの死によって二人を分かつまで、あの二人は完全には分かり合えなかったのかもしれない。 しかし、「分かり合えなくても、一緒にいるだけでよいのではないか」ということが本作から伝わってくる。 本当の「愛」とはこういうものなのではないか。 アイリスもアイリスなりに、ジョンの愛情を受け入れようとしているのがきちんと現れていると思う。 ラスト間際の、車から飛び降りたジュディ・デンチの「I LOVE YOU」というセリフだけでなく、若い時代に出来上がった小説を見てもらおうとする際のケイト・ウインスレットの演技もかなりの出来だ。 また、若者の時代から老人の時代になり、アイリスが病気になることに伴い、二人の関係で変わってしまったもの、変わらないものも味わい深く感じることができる。 派手さは全くないが、いい映画とはこういう映画をいうのではないか。[DVD(字幕)] 7点(2008-06-08 00:38:56)(良:1票) 《改行有》

48.  つぐない 《ネタバレ》 素材自体は悪くないが、ココロに訴えてくるものがまるでない。 したがって、評価は下げたい。 素材はいいので、一流の演出家ならば、もっと泣ける作品に仕上げることはできたはずだ。 何を描きたいのかが明確になっておらず、散漫としているのが残念である。 本作のメインに当たる部分は、何よりも“虚構”の世界ではないだろうか。 「つぐない」の本当の意味を考えると、ここにもっと光を当てないと何も意味はなさないと思う。 もし、自分が脚本家ならば、現実の世界よりも、虚構の世界をメインに組み立てたい。 ロビーが浜辺で眠りについた後は、「ロビーがイギリスに戻り、セシーリアの元に帰ってきて、彼らが再開するシーン」を感動的に描きたいところだ。 「わたしの元に帰ってきて」というのがセシーリアの一番の願いだったからだ。 そして、「彼らが海辺の家で幸せに暮らしているところをブライオニーが訪れ、贖罪を求めた後に、二人に許されるというシーン」をきちんと描きたい。 しかしながら、許された後に、ブライオニーが老人となった“現実”の世界に戻ってしまい、実際の真相・顛末を語るというのが普通に考えられる筋書きではないか。 “現実”の世界よりも、“虚構”の世界こそメインにならなくてはいけない作品だ。 今まで見てきた世界が現実の世界ではなく、ブライオニーの考えた創作の世界だと知れば、観客は驚きを隠せないだろう。 そして、「つぐない」の本当の意味を知るはずだ。 イアン・マキューアンの原作は読んでいないが、そういう趣旨を込めた作品だと思う。 本作では微妙な感じで終わってしまったが、個人的には、“虚構”の世界なのだから、ブライオニーは二人に許されてもよいのではないかと思う。 彼女はつぐなったのわけだから、それは報われてもよいはずだ。 死を目の前にして、二人に許されれば、彼女もきっと安らかに眠れるのではないか。 ただ、“浜辺での長回し”や“窓際で二人がキスをする部分を映しながら、ブライオニーが立ち去る部分を描く”など、映像的な部分においては見応えがあった。 ジョー・ライト監督の前作「プライドと偏見」においても、美しい背景を上手く利用する才能は際立っており、その点だけは評価できる。[映画館(字幕)] 5点(2008-04-14 00:32:51)《改行有》

49.  ライラの冒険/黄金の羅針盤 《ネタバレ》 原作未読、前知識は「ダイモン」だけという状態で鑑賞したが、だいたいのストーリーは理解できるようにはなっている。 しかし、三部作の第一作ということもあり、謎だらけで終わっている。 「ダスト」を含めてストーリーは謎だらけだが、面白みはまったくなく、「この続きを早く観たい」という内容にはなっていない。 単にストーリーを流すことだけにチカラを入れており、ドラマや盛り上がりに欠ける内容となっている。この監督(脚本も兼)には、ファンタジーを撮る才能はあまりなかったのではないか。 ロールプレイングゲームや「七人の侍」で面白いのは、仲間がパーティーにどんどん加わるところだ。本作も「気球使い」「よろいグマ」などが加わるが、そのリクルートにまったく面白みがない。 「魔女」が仲間になるのは恐らく今後明かされると思うが、「気球使い」を仲間にするためのエピソードがないと「なんでこの人たち一緒に必死で戦っているの?」と思ってしまうだろう。 「よろいグマ」エピソードもかなり馬鹿馬鹿しいものとなっており、彼らの絆の深さを感じるものにはなっていないのは致命的だ。 ライラとよろいグマの絆は本作のかなり重要なものとなるはずなのに、浅く終わっているのが本作の大きな問題だ。「よろいグマの王様」エピソード以外には、ライラの勇敢さ、強さ、弱さといった魅力を感じられない。 また、ファンタジー作品で重要なのは、敵がいかに強いかという点にある。 ラスボスが強ければ強いほど盛り上がるものだ。ラストの合戦を見て、興奮したという人はあまりいないのではないか。その理由は、敵が大したことないからだ。 クマが暴れ、魔女が弓矢を放ち、気球から銃を乱射する、そんな一方的なバトルを見ていてもまるで意味はない。 肝心なのはいかに不利な状況から逆転するかという点である。味方が追い詰められれば、それだけ面白みが高まる。 「よろい熊」の不利な状況もあまり大きな不利にはなっておらず地味すぎる。 本作の盛り上がりどころというのは、最後の合戦ではなく、よろいグマ同士のバトルと考えることも出来るが、あのバトルもクマ同士が殴り合っているだけで面白くはないだろう。 大金が投じられているため、リスクを犯さず、冒険していない映画となっている。 本作を見ても、ドキドキしたり、興奮したりはできないだろう。[映画館(字幕)] 4点(2008-02-24 01:49:57)(良:1票) 《改行有》

50.  28週後... 《ネタバレ》 ハリウッド大作にありがちな妥協がみられず、製作者の思い通りに映像化できたのではないか。ある意味では“本物志向”のゾンビ映画に仕上がっており、映像的には、かなり見応えがあるものとなっている。 毒ガスの扱い・ヘリコプターのプロペラや、神出鬼没のカーライルなどは必ずしもリアルとは言いがたいが、映画である以上目をつぶれるレベルだ。 映像面では見応えはあったが、ドラマに関しては、少々弱いとは思う。 キーワードとしては、「見放す」ということが全編を通して描かれていたのではないか。「夫は妻を見放す」(冒頭のキスと中盤のキスがリンクしているが、中盤のキスが悲惨な結果を招くのが面白い仕掛け)「アメリカ軍は民衆を見放す」。 どちらもやむを得ないケースであり、自己や他の民衆を守るための措置だ。 しかし、本作は「果たしてそれでいいのか」という問いかけをしているとも思う。 「兵士や科学者は姉弟を見放したか」「姉は弟を見放したか」「弟は姉を見放したか」を描くことによって、答えをきちんと描いているが、この答えに対するドラマに盛り上がりがやや感じられない。 特に、姉と弟の関係は、工夫次第では何らかの感動を与える仕掛けともなったはずだ。 「どんなことがあっても離れたりしない」と誓いあった割には、あっさり過ぎないだろうか。大きなクライマックスの引き金になるものだと期待していた。 父は母を見捨てたから悲惨な結果を招いたのだから、姉が弟を見捨てなかったことで何らかの“希望”が生まれてもよかった。 あまりリアリティのない“ミラクル”を描くと、全体の世界観を損なうかもしれないが、姉と弟の関係に対しては何かしらの工夫をしてもらいたかったところだ。 ラストの意味は、初見でははっきりとは分からなかった。 キャリアがヨーロッパ本土に辿り着いたことで、被害が本土に拡大したという見方が素直な見方だと思うが、ひょっとしたら、弟の血液からワクチンを作り出し、予防接種しておけば、噛まれたり、血液や唾液を飲み込んだりしてもゾンビ化しないで済むようになったのかもしれないという見方はできないだろうか。 前作同様に“絶望”というよりも、“希望”と考えたいものだ。 そうでなければ、姉と弟の絆や、姉弟を守ろうとした兵士や科学者の役割・行動が逆に悲惨な結果を生んだということになってしまう。さすがにそこまで悲惨ではないだろう。[映画館(字幕)] 7点(2008-02-03 00:03:32)(良:4票) 《改行有》

51.  ティム・バートンのコープスブライド 《ネタバレ》 ティム・バートン監督の映画を評するには、月並みの表現であるが、本作の独特の世界観は素晴らしすぎると言わざるを得ない。 どの映画も素晴らしいが、本作が一番ティム・バートンの好みが色濃く出たような気がする。 「ひ弱な男」「横暴な男」「女性」「死体」「目が飛び出る」、ティム・バートン作品に欠かせないキーワードだ。 彼の頭の中で作られた世界を実写で描くのは相当難しく、本作のようなアニメだからこそ可能な世界が繰り広げられている。 また、死んだように暗く、陰湿な「生者の世界」(雨も効果的)と、明るく活気に溢れて賑やかな「死者の世界」の対比が実に見事だ。 ひどいセキをしていたメイヒューが死んでしまったとたん、若干性格が明るくなっているのが面白い。 この二つの「生者の世界」と「死者の世界」が融合して、最後には「生者の世界」にも活気が戻るという構図になっている。 短い上映時間ながらも、「ラブストーリー」「4角関係」「男の決意・成長」「男を巡るヒロインたちのやり取り」「花嫁を巡る感動」「美しいエンディング」と様々な要素が描き込まれている良作だ。 金銭目当ての男の描き方には、ラストだけではなく途中にも強引な展開があるが、目をつぶれる範囲だろう。 それにしても、ティム・バートン監督は骸骨のイヌが実に上手く表現できている。 「フランケンウィニー」でも描かれていたが、ティム・バートン監督は相当のイヌ好きではないか。[DVD(字幕)] 7点(2008-01-21 21:35:56)《改行有》

52.  スウィーニー・トッド/フリート街の悪魔の理髪師 《ネタバレ》 面白いとは思うが、期待感があまりにも高すぎたためか、やや不満なところもあった。強引なストーリー展開はミュージカルなので許されるが、ストーリーの膨らみがやや物足りず、さらに感情面に訴えてくる点が少ないような気がした。バートンが意識したのは、ストーリー展開ではなく、ミュージカルそのものだったからだろう。ストーリーを楽しむというよりも、ミュージカルとして視覚的・聴覚的に楽しませることを念頭において製作したものと思われる。 それにしても、バートンの世界観はさすがだ。どっぷりと彼の世界観に浸ることができた。陰湿極まりないが、どこかユーモアがある見事な世界だ。グロいけれども、これは品のあるグロさだ。グロさを極めたものだけが、到達できるグロさだろう。 デュエット構成のミュージカルは見応え・聞き応え十分だ。 メチャクチャ上手いというわけではないが、編集の上手さで盛り上がりのあるデュエットを堪能することができるのは、映画ならではのものか。 ストーリーとして面白いのは、トッドが妻の顔も娘の顔も分からなかったことだろう。 15年間の牢獄の中で、記憶から消えつつあったのは妻や娘の顔であり、克明に記憶に刻まれたのは、判事の顔や役人の顔だったのではないか。 彼は“復讐”に溺れていただけということがよく分かる。 「恋に恋する」という状況があるが、あれに近いものがあったのではないか。 なんのために復讐するのかが、トッドには分からなくなっていたのかもしれない。 復讐することでしか、自分自身をサルベージ(救う)できなかったようだ。 ラベットが「顔を覚えているのか?」と聞いたときに、トッドがつまりながら「髪は黄金色で・・・」と答えていたのが印象的だ。 欲を言えば、もっとトッドの悲哀を感じさせて欲しかったところだ。 “復讐”いう名の魔物に取り憑かれた男の哀しさを十二分には感じることはできなかった。そういった感情をミュージカルで表現せざるを得ないため、通常の映画のようには上手くはいかなかったのかもしれない。 ラストのクダリも少々物足りないのではないか。観客には妻の正体が分かっているために“復讐”に囚われた男の末路の悲劇に深みや衝撃があまりない。 ラストのオチはあれでやむを得ないだろう。贖罪を求めて、自分の死を受け入れるかのように自分の首を少々上げるトッドの姿には、さすがに悲哀は感じられるものとなっている。[映画館(字幕)] 7点(2008-01-19 23:37:35)《改行有》

53.  アース 《ネタバレ》 渡辺謙版を見たかったのが、時間の都合上パトリック・スチュアート版を鑑賞することにした。ナレーションの意味は分からないが、落ち着いた語りに多少の抑揚をつけており、全体のイメージに即した好感触のものであった。 しかし、内容的には満足のいくものではない。圧倒される映像や驚かされる映像も期待よりも少ないと感じた。46億年の歳月を刻み込んだ“地球”の美しい造形などはほんの少ししかなかったのではないか。可愛らしい動物の姿を追うのが、まさか“地球”というテーマを描いた映画ではあるまい。ユーモラスな動きで観客の笑いを誘うのも大事なことだが、“地球”というテーマの本質部分とズレているのではないか。「ホッキョクグマのナヌーとゆかいな仲間たち」という映画ならば別によいが。 「ライオンVSゾウ」等の衝撃的な映像も確かに見られるが、もっと残酷的なところまで映してもよかったのではないか。そうしないと“自然の過酷さ”“何億年と繰り返されている自然の摂理”といった本質的なものが伝わらない。子どもも鑑賞するので、配慮したようだが、自然はそれほどヌルいものではないと気付くきっかけとなるはずだ。直接的に残酷なシーンは描けないにしろ、残骸程度は描いて、間接的に自然の残酷さを醸し出してもよかった。 「ディープ・ブルー」でも同様の手法を取っていたが、ラストでとって付けたようなナレーションは止めていただきたいものだ。内容が伴っていればよいが、あのナレーションを聞いても「地球のことをもっと考えよう」「地球の温暖化を止めよう」とは思えない。絶滅寸前のホッキョクグマを人間に見立てたところまではよかったが、地球の危機的な状況や、地球の悲鳴が聞こえるような映像を付け加えて欲しかったところだ。 「誰もが魅了される美しい地球」をきちんと描いた後に、「美しい自然が汚されて、自然が失われていく地球」を描けば、いい対比となり、いいメッセージとなったのではないか。「ディープブルー」でも述べたが、根気よく映像を撮り続ける職人ではあるが、クリエイターというわけではないようだ。悪く言えば、北極から南極へ南下しながら、映像を単に切り張っただけともいえる。しかも、あまり意味のない映像が切り張られているところがあるのが残念だ。 美しい圧倒的な映像で観客を魅了できれば、それだけでも十分メッセージになったはずだが、そこまでのレベルではないと思う。[映画館(字幕)] 4点(2008-01-17 23:30:35)《改行有》

54.  コックと泥棒、その妻と愛人 ピーター・グリーナウェイ監督作品は初見。恥ずかしながら、今まで名前すら聞いたことがなかった。この度「レンブラント」の生涯を描いた新作が公開されると聞いて、監督のことを知り、監督の代表作である本作を見ることにした。本作については何の情報も持ち得てなく、タイトルからコメディ的な軽いものを想像していたが、見事に裏切られることとなった。 確かに、この才能は凄いと思う。 同じようなものを作れと言われても誰も真似できないだろうし、独特の世界観を構築できる能力は賞賛されるべきだ。 リアルの世界でもなければ、虚構の作り物のような世界でもない、白でも黒でもないグレイともいえる別次元の世界が存在している。 また、部屋のイメージの印象を濃くする「黒に近い青」「赤」「白」の色彩感覚に優れており、横に流れていく撮影方法も特殊であり、その撮影方法を取ることで色彩効果をより高めている。 現在「エルメス」のデザイナーでもあるジャン=ポール・ゴルチエが手掛ける衣装も素晴らしく、本作の世界観を深めている。 彼が手掛けた「フィフス・エレメント」よりもゴルチエらしさが発揮されているのではないか。 しかし、「面白いか」と問われた場合、「イエス」とは言いがたい作品だ。 エロ・グロには自分には一応耐性があるので、まったく苦には感じなかったが、“何か”を感じ取ることができなかった。 監督が想いを込めたと思われる人間の本能である“食”に対する美醜を上手く感じ取れなかった。醜さの中に潜む“美しさ”、美しさの中に潜む“醜さ”が自分にはピンとこない。 映画の“良し悪し”という判断というよりも、監督の感性に共感できるか、できないかの差なのではないか。 ピカソの絵を見て、素晴らしいと評価できる者がいる一方、子どもが描いたような絵だと酷評する者がいるようなものだ。 面白さは理解できず、この世界にどっぷりとハマり込むことができなかったものの、監督の才能を理解し、美しくも醜い世界観を構築したことを評価して、5点としたい。 本来ならば、0点か、10点かという作品なのかもしれないが。 マイケル・ガンボン、ヘレン・ミレンの演技に圧倒されたことも低評価できない理由だ。この二人の役柄を彼らほど上手く演じられる者はそうそうおるまい。 特にガンボンが凄い。彼のイヤラシイ演技がなければ、本作の評価は高まることはなかっただろう。[DVD(字幕)] 5点(2008-01-12 00:51:33)《改行有》

55.  クライング・ゲーム 《ネタバレ》 事前情報を全く知らずに鑑賞したため、かなり驚かされることとなった。 ファーガスがジョディ(ウィテカー)に「(ディルと)結婚しているのか?」と問い掛けたときのジョディの返答から、確かに違和感を覚えたが…。 鑑賞中は「写真よりも実物は意外と大したことないなぁ」と思っていたが、その直感は間違いではなかったようだ。 だが、単なる驚きを与えるばかりではなく、「性を越えた恋愛」、「人間の性(さが)」などをきちんと描いた傑作だ。 ジョディはファーガスが「カエル」だと分かっていたのだろう。 だからこそ、ファーガスにディルを託したのではないか。 ディルはまさに「サソリ」だ。 「カエル」がいなければ、人生という名の川を渡れない。 もし、ディルの秘密が分かったとしても、ファーガスは自分の背中からディルを振り落とすような真似はしないと、ジョディは分かっていたのではないか。 ファーガスは「カエル」だが、ただの「カエル」ではない。 「サソリ」に刺されても、「サソリ」とともに川の底に沈むのではなく、「サソリ」も生かして、自分も生きようとする「カエル」だ。 この「サソリ」と「カエル」のカップルは、肉体的には結び合えないかもしれないが、感情面においては、強く結び合っているのが、よく分かるラストだ。 誘拐した側と誘拐された側ですら、分かり合えたのであるから、ファーガスにとってはディルと分かり合うことなど難しいことではない。 それこそがファーガスの性(さが)だろう。 一番分かり合えなかったのが、自分の同志というのが、皮肉な結果となっている。 それにしても、フォレスト・ウィテカーが凄い。 「ラストキングオブスコットランド」でアカデミー賞主演男優賞を獲得できたのは伊達ではないようだ。 「ラストキングオブスコットランド」の演技よりも、本作の方がインパクトがあり、非常に印象に残る素晴らしい演技だった。[DVD(字幕)] 8点(2008-01-10 21:35:27)《改行有》

56.  時計じかけのオレンジ 《ネタバレ》 数年前本作を始めて観たとき、たぶん内容を理解することもできず、ストーリーもよく分かってなかったと思うけど、映像の力に圧倒されたことを今でも覚えている。あのときの興奮は忘れないし、あのとき得られた興奮を超える興奮を与えてくれる映画は少ないだろう。 久々に再見してみると、確かに映像の圧倒的な力は衰えることはないが、本作で伝えたかったことが自分の中で上手くまとまらない。自分にはまだまだ本作を吸収できるほどの土台が備わっていないのではないかとも感じた。上手くまとめることはできないけど、おそらく本作で伝えたかったことは、刑務所に来ていた神父の言葉で語られていると思う。 「選択」するということが、人間が「人間」足り得るということを本作で言いたいのではないか。人間の本質は紛れもなく暴力とセックスである。人間の歴史は暴力によって築きあげられてきたのは否定できない。普通の人であっても誰でも暴力を振るうことはあり得る。本作でもアレックスや彼のドルーグだけではなく、警察、保護監察官も暴力を振るっており、ホームレスの集団や作家や猫館婦人でさえも暴力を振るっている。だからといって、国の力で強制的な手段によって、本能までをも否定しようとするのならば、出来上がったものはもはや「人」ではなく、「機械」なのではないか。 たしかに強制的な手段によって暴力を排除することを否定しているが、だからといって暴力を肯定しているわけでもない。 そういった本能に対して、人間は良心の呵責、道徳心、倫理観、罪悪感というフィルターを通して、行動を選択しているわけである。本能に対して選択できる能力を有するから、「人間」は「機械」でも「動物」でもないのである。 この映画は、「暴力」の在り方を通して、「人間とは何か」「暴力のない世界を実現するとは」ということを問題提起しようとしているようにも感じる。 国家によって洗脳するのではなく、人々が自己の行動に対して適正な選択を可能とする良心を涵養することが必要なのではないか。[DVD(字幕)] 9点(2006-12-31 00:30:34)(良:1票) 《改行有》

57.  未来世紀ブラジル 《ネタバレ》 やはりテリーギリアム監督は苦手な監督だと再認識させられる一本。 独特の世界観を体現できる監督という点では評価できるかもしれないが、シリアスでもなければ、コメディというわけでもない世界。この捉えどころのなさ、生ぬるさが肌に合わない。 しかし、将来の官僚主義を、実にシニカルでアイロニカルな眼で鋭くみつめている点はさすがだとは思う。ギリアム監督は、公務員でもやっていたのかと思うほど実に的確に描かれている。徹底的な書類第一主義、「役所はミスしない」という傲慢さ、ミスをしたとしても責任の所在の不明瞭さ、これらによって引き起こされる「責任感」「人間性」「感情」の喪失が感じられる。優しい家庭人のジョンが、誤認逮捕したバトルを拷問死させてしまっても、少しも悪びれもなく「書類に書いてあったから」と言い放っているところが、実に上手いと思うところだ。 また、テロリスト撲滅という名目のために、国民を情報管理、情報操作している姿は、9.11以後のアメリカの姿そのものではないだろうか。本作においては、爆発はするもののテロリストの姿が全くみえないことも、映画内の爆発は政府による自作自演であることをギリアムは暗に示しているようにもみえる。タトルはただのモグリの配管工だし、ジルは政府のミスを告発しようとしているに過ぎない。彼らはテロリストではなく、政府にとってたんに都合の悪い者である。「罪」をでっち上げて彼らを逮捕しようとする姿は、戦前の思想統制までも思い起こさせる。 また、巨大な官僚主義に対して、「夢」を信じて一人むやみに立ち向かってしまうサムラウリーの姿には、ギリアム監督の「夢」である「ドンキホーテ」的な要素も感じられる。 そして、その戦いが決して報われることがないのも実にギリアムらしくアイロニカルなところだ。巨大な官僚主義には結局は勝つことができない。勝てるとすれば、それは「夢」の世界でしかないという皮肉が実に上手い。 誉める点は実に多いのだけれども、どうしても好きになれないのが本作の欠点だ。安っぽさ、不真面目感がそう感じさせるのだろうか。また、どのキャラクターも感情移入しにくい点にも多少問題があるのかもしれない。[DVD(字幕)] 6点(2006-12-31 00:09:06)《改行有》

58.  007/カジノ・ロワイヤル(2006) 《ネタバレ》 この映画で号泣するとは思わなかった。悲しすぎるボンドの原点をポールハギスが詳細丁寧に描き込んだ。終盤まで残るボンドの「甘さ」が消えて、誰も何も信じない冷酷で非情な諜報員になる過程が実に見事だ。 ラストの「あの裏切り女は死んだ」というクレイグのセリフはしっかりと聞き取れなかったが、「ビッチ」という言葉も聞こえてきた。愛した女性をこう呼ばざるを得なかった悲痛がクレイグの全身から伝わってくる。 ピアースを非難するつもりは全くないが、本作を描くためにはクレイグでなくてはならなかっただろう。ピアースは既に「完全体」のボンドゆえ、この「不完全体」のボンドを描くためには、新しくかつ内面の演技ができる俳優である必要があった。 クレイグのボンドは、本当に荒々しく、しかも甘さが目立つ。 Mの言うことは聞かず、大使館で監視カメラに映るという失態も犯す、毒を盛られたり、大事なゲームにも敗退する。「裏」を読み込めずに、感情に流されて、職を辞すると言い出す始末だ。 ポーカーに敗れた後に「マティーニはシェイクか、それともステアか」と聞かれ、「どっちでもいい」と怒鳴った挙句に、ナイフを手にするシーンは、人間的にも諜報部員的にも未熟さや余裕のなさが窺われる。 だが、これらの経験が、我々が知る「ボンド」を形作ったかと思うと、なかなか面白い。 ラストにおいてホワイトを殺さなかったのも秀逸だ。ホワイトを殺せば、ただの「私怨」を果たしたに過ぎない。まだヴェスパーに未練があることが分かる。 「組織」のために生け捕りにすることで女王陛下のための完全な諜報員が誕生したことがよく分かる。決め台詞のタイミングも完璧だった。 ヴェスパーの人間像もしっかりと描きこまれている。首飾りをキーアイテムにして内面を描いている。恋人を裏切ることも、本気で愛してしまったボンドも裏切ることもできない。そのような苦しみが随所に感じられる。シャワー室で震える姿の意味も後から考えればより深まるようになっている。 演出面においてもキレがあったと思う。肝心のポーカー対決も見応えはあり、拷問シーンもなかなかのものだった(クレイグのユーモアも垣間見れるよいシーン)。 冒頭の追いかけっこにおいても、視覚的に観客を楽しませるのと同時に、圧倒的身体能力の差にある者に対して、ボンドの機転や大胆さや度胸でその差を埋めていっているのがよく分かるシーンでもある。[映画館(字幕)] 10点(2006-12-11 21:17:55)(良:5票) 《改行有》

59.  007/ダイ・アナザー・デイ 《ネタバレ》 (過去のシリーズのネタバレも含みます)10作目の「私を愛したスパイ」がそうであったように、20作目の本作は過去の作品の大量オマージュで構成されている。過去の作品に新しいネタをふんだんに取り込み、シリーズが好きな人はより楽しめるように、知らない人でも十分楽しめるようになっている。 ボンドが溺れそうになっているジンクスを必死で救い出そうとするシーンはかなり良い。前作「ワールドイズノットイナフ」で愛した女性を殺してしまったことの罪滅ぼし的な意味があると思う。 初めて観る人にはイカルスという人工衛星に違和感を感じるかもしれないが、この荒唐無稽さがボンドシリーズの歴史でもある。 「ダイヤモンドは永遠に」という作品では、ダイヤモンドで作った衛星で世界各地を破壊し脅すというストーリーになっており、ダイヤモンドと人工衛星という組み合わせは本作にもっとも近いものだ。「ムーンレイカー」や「私を愛したスパイ」では全人類を滅亡させるストーリーなのだから本作はまだマシな方だ。 オマージュや過去のアイテムは各所に現れている。大量にありすぎて書ききれないので個人的に好きだったオマージュを取り上げると、まずはジンクスの登場シーンだ。1作目「ドクターノウ」のハニーライダー(アーシュラアンドレス)の有名なシーンを意識したものになっている。ちゃんと腰にナイフを携帯しているところもファン泣かせになっている。 本作のラスト付近で人間が飛行機からどんどん放り出されるが、これは3作目「ゴールドフィンガー」を意識したものだろう。 4作目「サンダーボール」で使ったアイテムも登場。空中を飛べる装置がQの部屋(過去の多数のアイテム)においてあるばかりか、口に挟めば数分間息ができるというアイテムを使って、ボンドはグスタフの氷の屋敷に潜入している。 「トゥモローネバーダイ」で明かされたボンドの習慣でもある「枕の下に銃を隠している」というネタも大いに活かされ、逆に利用されるのは面白い。 ラストの飛行機でのフロストとジンクスが意味も無く薄着なのも本シリーズならではの流れ(特に「ダイヤモンド」「黄金銃」「ワールド」)を汲んだものだ。 また、キューバで鳥類学者にボンドが扮したと思うが、これはなかなか深いネタだ。フレミングの家にたまたまあった鳥類図鑑の作者がジェームズボンドであり、この名前をフレミングが拝借したというのは有名な話だ。[DVD(字幕)] 7点(2006-12-11 21:08:25)(良:2票) 《改行有》

60.  007/ワールド・イズ・ノット・イナフ 《ネタバレ》 ドラマ性や人間性を重視しようとした意欲作。しかし、アクションとドラマのバランスを失し、ものの見事に中途半端な作品に仕上がった。 やや貫禄はついたがボンドも中途半端、Mの誘拐も中途半端、心の痛みを感じないエレクトラも頑張ったが中途半端、エレクトラを本気で愛していたレナード(肉体的な痛みを感じない)も中途半端、ドクタークリスマスはギャグだろう。彼女の魅力を最大限に引き立てる服装を考えての結果だと思うが、核物理学者にあんな服装をさせるというセンスを疑う。 本作の最大の見所というのは、ボンドがエレクトラを撃つということだろう。ボンドが女性(しかも愛した女性)を正面から銃で撃つのは始めてではないか。番外編の「ネバーセイネバーアゲイン」で危機一髪のところでファティマを特殊アイテムで撃ち殺したくらいしか記憶にない。「サンダーボール」のフィオナに対しては敵からの射撃の盾にしただけだし、「ゴールデンアイ」のオナトップに対しては、未必の故意によるものだが飛行機事故を利用したものだ。ボンド史に刻まれるであろうこの一大イベントがあのような結果に終わったのは残念でならない。あの場面ではエレクトラを殺しても、殺さなくても状況は変わらない(むしろ、殺さない方がレナードと交渉できたかもしれない)。このシチュエーションでただ撃ち殺すという行為の代償は、彼に「冷酷さ」「非情さ」のイメージを与えるものだ。製作者の意図はそこに尽きるのだろう。 しかし、これは単なる殺しであって、あまり効果的ではない。自分にはなぜこのシチュエーションでMを使わないのかという疑問しか沸かない。エレクトラがMを盾にして、「銃を置かないと殺す」と脅せば、彼女を殺す大義がうまれる。エレクトラを撃つことにやや躊躇するボンドにMが撃つように諭せば、Mの役割や彼女誘拐の意義も生じるだろう。自分の魅力を使ってなんとか寝返させようとする理想主義のボンドと、現実主義のM、戻れないところまで来てしまったが葛藤するエレクトラの三者の演技を光らせる絶好の機会だったが、製作陣はあまり深みを描くことを放棄したようだ。 二作目の「ロシアより愛をこめて」以来17本に登場し、作品にユーモアとファンタジーさを添えたQは本シリーズで不可欠な素晴らしい存在感を示していた。我々に二つの言葉(弱みをみせるなと逃げ道を残しておけ)を残して見事な去り方をされたと思う。[DVD(字幕)] 4点(2006-12-01 23:38:07)《改行有》

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