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プロフィール |
コメント数 |
2647 |
性別 |
男性 |
ホームページ |
https://tkl21.com |
年齢 |
44歳 |
メールアドレス |
tkl1121@gj8.so-net.ne.jp |
自己紹介 |
「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。 映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。 |
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1. 逆転のトライアングル
とどのつまり、人間社会というものは、「格差」とそれに伴う「階層」を取り払うことなんてできない、ということを本作の終着点における虚無感は物語っている。
現代社会において、全世界的に“格差の是正”が問題提起されていたり、幅広い要素での“ポリティカル・コレクトネス”がともすれば病的なまでに声高に叫ばれている昨今ではあるけれど、果たしてそこに本質的な理解と実行力が伴っているのか。
結局、聞こえの良い言葉を一種のトレンドや、免罪符のように振り回して、個々人の立場を正当化しているだけではないのか。
この映画の痛烈な批評性と、度を超えたブラックユーモアは、そういう現代社会の実態を痛々しく丸裸にしている。
俗世の象徴とも言える豪華客船に乗船した様々な“階層”に人々。彼らの中に、真に中立的で、公正な人間は存在しない。
本作の舞台となる豪華客船や無人島がこの世界の縮図を表している以上、それはすなわちこの世界に中立公正な人間は存在しないということの証明であろう。
したがって、本作を鑑賞したすべての“社会人”は、それぞれの信条や立場において、ものすごく居心地の悪さを感じることだろう。
ヨーロッパの映画(スウェーデン・フランス・イギリス・ドイツ合作)らしく、多様性に富んでいると同時に、ものすごく振り切ったブラックユーモアの連続がときに痛すぎる程に痛快で無慈悲なコメディ映画だった。
船が難破して無人島でのサバイバルが始まらなくとも、人間社会のヒエラルキーなんてものは、時代や価値観の変化によって突如として逆転するものだ。
その逆転が生じたとき、人間は己の中に確実に存在する“闇”を目の当たりにする。
それは、皆等しく業の深い人間には避けられないことなのかもしれない。
映画作品として意欲的すぎるシニカルさを称賛する反面、全体の構成としてはややバランス感に欠けている印象も拭えない。
主人公のカップルのみに焦点を当てたプロローグ的な一章目の描き方や、ヒエラルキーのあらゆる階層が“同乗”する豪華客船上を描いた二章目の作りは興味深かった。が、無人島が舞台となる三章目は、テーマに対する回答と帰着を描いているわりにはやや冗長に感じてしまい、よくあるシチュエーションでもあるので新鮮味が薄れてしまった。
ラストのオチを踏まえると、無人島パートはもっとスマートに、端的な愚かな人間たちの有様を描いてよかったように思う。
他の文化圏でリメイクされたならば、同じストリーテリングであったとしても、また別のどす黒いユーモアが新たな“闇”を浮かび上がらせるだろう。
虚しく、愚かしいことだけれど、それはそれで観てみたいなと、業深い人間に一人として思ってしまう。[インターネット(字幕)] 7点(2023-08-15 00:29:36)《改行有》
2. ビフォア・ミッドナイト
今年、35歳、結婚7年目、二児の父親。
紛れも無い「18年」という時間の中で、奇跡のように美しい“出会い”と“再会”を経て、ともに人生を歩んできた男女の様を描いた本作を観て、言うまでもなく、身につまされ、“辛辣な時間”を耐え忍んだことは確かだ。
きっと「夫婦」という生き方を経験している殆どすべての男女が、多かれ少なかれ同じような時間を経てきていると思う。
それは、世界中で、日々繰り返されている、あまりにありふれた男女の「現実」だ。
同じ監督が、同じ俳優二人と、物語内と同じ時間経過の中で映し出してきた稀有な映画シリーズの第三作目。
「ウィーンの夜明け」と「パリの夕暮れ」を経て、ついに結ばれた二人の「9年後」。
この奇跡的な三部作を観終えた人の多くは、“時の残酷さ”をひしひしと、いやひりひりと感じることだろう。
それは間違ってはいない。時間はいつだって残酷だ。
主演俳優の顔に刻まれた皺の数と、主演女優の少し垂れた乳房は、そのことをあまりに雄弁に物語っている。
ロマンティックな“夜明け”と“夕暮れ”で結ばれた二人も、時が経ち、子どもが生まれ、世界中のどこにでもいる“普通”の夫婦となった。
そこに映し出されていたのは、見紛うことなき「倦怠期」。
そして、日常の中で密かに孕み、着実に育み続けてきた双方の鬱積が、休暇中のギリシャの地で不意に弾け、二人を失望で埋め尽くしていく。
ああ、あんなにもロマンティックな時間を経てきた二人でも、こういう夫婦像にたどり着いてしまうのか……。
彼らの18年間を追ってきた観客は、彼らと同様に失望に苛まれるかもしれない。
けれど、それと同時に、18年というリアルな時間経てきたからこその「人間味」と、それに伴う人生の「価値」を感じることが出来る。
彼らの大いなる“失望”は、出会って18年、共に人生を歩み始めて9年という「時間」があったからこそ、“辿り着いた”ものだということに気づく。
泥沼の夫婦喧嘩の果てに、彼らはお互いに対して心底失望する。
じゃあ聞くが、9年前に恋が成就しなければ幸せだったのか?そもそも18年前に出会わなければ幸せだったのか?
いや、違う。
はるか昔のときめきも、結ばれ子を授かった多幸感も、セックスの恍惚も物足りなさも、互いに対しての尊敬も失望も、ぜんぶひっくるめて、もはや二人の人生であり、愛の形なのだと思える。
そして、その事実は、たとえもしこの先二人が離別してしまったとて消え去りはしない。
前二作と同様に、本作のラストシーンでも「結論」は映し出されない。
二人の間に生じた問題は何も解決されておらず、溝は最大限に広がったまま、夜は更けていく。
けれど、不思議とそこには“眩さ”を感じることができる。
その眩さの正体が一体何なのか。35歳の僕には明確に説明することができない。
ただ、この二人の18年分を見てきたけれど、この夜更け前の二人が一番好きだ。ということは断言できる。
主演のイーサン・ホークとジュリー・デルピー、そして監督のリチャード・リンクレイターの三者によって織りなされる「会話」が、益々素晴らしい。
前二作と変わらず、他愛なく自然な会話シーンのみによって映画は構成されている。
ただし、リアルな時の重なりとともに、一つ一つのやり取りが、より自然な味わい深さを携えている。
それは時に滑稽で、時に愚かしく、時に恐ろしい。
会話が互いを傷つけ、会話が溝を深めていく。
けれど、遠ざかっていく彼らをつなぎ留めたのもまた会話だった。
これが「台詞」であることが、まったくもって信じられない。
また「9年後」があるのだろうか。
物凄く気になるし、物凄く観たいけれど、いよいよこの先を見ることが怖すぎる気もする。
彼らの心持ちが幸福であれ不幸であれ、そこには“悲しみ”の予感がつきまとうように思う。
それが「時間」というものの宿命だと思うから。
その様を心して観られるように、自分自身が人間として成熟していかなければならないとも思う。
“タイムマシン”でやってきたジェシーが読んだ手紙の通りに、南ペロポネソスの夜が“最高の夜”になるであろうことは、喧嘩とセックスを繰り返す世界中の夫婦が、深く納得するところだろう。
何だかんだで、そういうことが分かるようになる人生は、やっぱり悪くない。[CS・衛星(字幕)] 10点(2016-06-26 22:21:44)《改行有》
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