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1. 悪童日記
《ネタバレ》 遠く離れた田舎に独り暮らす疎遠な母親(少年達にとっては祖母)の元に、双子の少年を託した母親の動向が、その後全く分からないのは、あくまで父親の提唱で双子が書き始めた日記文に拠るもので、子供の知りうる範囲の主観的記述による日常の断片が綴られている設定のものだから。一見、強欲で醜悪に映る祖母が何故そう成ってしまったか、少年達は何も知らないし、ただ、意地悪く接してくる現象としてのおばあさんを肌で認識しているに過ぎない。少年達の不潔な服を洗濯してやり、一緒のフロにも誘った女の奇態。憐憫からゴム長靴をただで二人分も呉れた、心優しいユダヤ人の店主を、その女は残忍にも、ユダヤ人狩り隊列に教えてしまう。それは少年達には許し難く、復讐されて然るべき対象に変えた。
戦争は少年達たちから親と穏やかな日常を奪い、殺伐とした弱肉強食の世界へと変えたと感じた事だろう。母恋しさや、痛み、寒さ、欠乏感に耐え、生き抜くには心身ともに強靭であらねばならぬと、お互いを打ち合うなど、常軌を逸した訓練を始める。彼等をかくも異様な心理状態に追い詰めて行ったものこそ、この映画が表現したかった本質なのだ。映画が映し出す状況は終始、陰惨なのに、達観したかの様な少年達の心境と、簡潔で乾いた虚飾のない描写は、削ぎ落とした後に残る、ミニマムの美学に通じ、美しいと感じさせた。[インターネット(字幕)] 8点(2017-05-19 23:23:23)《改行有》
2. グッドナイト・マミー(2014)
《ネタバレ》 沼に浮かぶ空気マットからルーカスの名を呼ぶエリアスの心情を思うと可哀想でならない。この映画の全てが、エリアスの主観が観ている内的世界と現実が交差した虚実混じりの世界であり、常に一緒に行動する仲の良い双子の兄弟は、強い共依存関係にあったのだろう。顔を包帯で覆い隠して病院から帰った母親に不信感を募らせるのは、母親がエリアスから父親の存在を消し去ったという、負の感情が払拭しきれていない事の表れ。
共同墓地から拾ってきて、レオと名付けた猫の死にも、母親が関与しているのではないかと疑念というより確信を抱いている様子から、母親不信と憎悪は素顔が覆い隠された事で更に疎通遮断の思いに駆られ、疎外感を募らせ、憎しみが増大したのだろう。何よりルーカスを失ったという喪失感のダメージは甚大で、現実逃避で精神が破綻するのを回避したのだろうが、既にエリアスは心に損傷を受け、深く病んでいたのだ。母親の寝顔にゴキブリを這わせ、切り裂いた母親の腹部から這い出てくる虫の幻覚シーンを観るにつけ、彼の病は重篤。惨劇に至った責任の所在は冷淡な母親にあるのは間違いなく、内向的で繊細なエリアスに、フリは出来ないと諌めるのではなく、優しくケアすべきだった。
大きな白黒写真パネルの中のピンボケな女性の全身像や、ワイヤーのトルソーマネキンにしても、実体のない曖昧で空疎なものを象徴しているし、捉えきれない人の在り様を示してもいる。湖面に沸き起こる不穏な波のざわめきは、ルーカスの死を暗示するイメージなのか、この映画の、こうした名状し難いシュールな映像感覚は惹かれるものがある。無人の町の通りを、何事かを叫びながら独り歩く男の姿も、時々映し出される月夜の映像同様、不思議感覚に満ちている。[インターネット(字幕)] 7点(2017-04-09 00:09:31)(良:1票) 《改行有》
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