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1. ザ・インタープリター
《ネタバレ》 バスの爆発くらいしか派手なシーンもなく、あっと驚くようなラストや仕掛けもない。もちろんショーンペンとニコールキッドマンが恋に落ちるような話でもない。
そのような一見地味な映画であるが、脚本が練りに練りこまれており後半以降は素晴らしい作品に仕上がっている。
その理由としては、大統領暗殺計画を舞台としたサスペンスではあるが、それに留まらず、様々な視点が織り込まれていると感じる。
まずはその大統領と社会的背景。
その国に関する複雑な関係と大統領自身の過去や二人の政敵がストーリーをより一層面白くさせている。
そしてショーンペンとニコールキッドマンの二人の関係。
妻を失ったショーンペンと暗い過去を持つニコールキッドマンの哀しみを知る二人の関係は絶妙だった。当初はペンはキッドマンに対して疑いの眼をもっていたため対岸にいるような遠く離れた平行的な二人の関係であったが、徐々に近づいていき、結びついていく様は見事である。
そして憎しみに対する「復讐」と「許し」をテーマに掲げていると思う。
復讐(映画で言う「溺死」)をすることによって、哀しみを一生背負うのか。許す(「溺れさせずに助ける」)ことによって、人生の新たな一歩を歩むのか。このテーマはこの映画にとって必要不可欠なテーマである。
そして「暴力と言論」。
暴力によって物事を解決しようとした過去と言論を信じて通訳の道を進んだ現在。ラストのあれが彼女の信念になったのかは分からないが、言論の重要性が語られたラストは見事な展開だった。
表面的にしか映画を見ない人には多少退屈な映画に感じるかもしれないが、よくよく見るとこれだけ色々なものが詰まっている。映画が好きな人には面白いと感じる映画ではないだろうか。
結構色々な映画に出ているが、シドニーポラック自身も、ショーンペンの上司役にて登場。それだけでもちょっと嬉しい感じがする。[映画館(字幕)] 8点(2005-05-21 23:27:59)《改行有》
2. 最後の戦い
何スカ?…このサイレント映画って感じで見てたら、徐々に引き込まれまくりました。
色々と単純なメッセージも込められており、序盤を乗りきればかなりの良作と感じられるのではないでしょうか。
映画のジャンルは全く異なるけど、マーティンスコセッシの「ドアをノックするのは誰?」同様、巨匠(ベッソンが巨匠かどうかは人によって分かれるかもしれんが)といわれる人のデビュー作はかなりスタイリッシュで人とは異なる世界観を演出できるのだなと改めて感じられた。
ちなみに、空から魚が降ってくる怪現象は結構実際にも世界で報告されていると聞いている。竜巻とかの影響というのが通説らしい。[DVD(字幕)] 7点(2006-05-03 00:45:52)《改行有》
3. 裁かるゝジャンヌ
《ネタバレ》 クローズアップの連続と計算されたかのような見事なカットにより、「臨場感」が一層醸し出されている。まるで、あの場所に迷い込んだかのような錯覚に陥るほどだ。
おそらく監督としては、観客が「ジャンヌ」と一体化できるようにすることを狙ったのではないか。観客は、ジャンヌの苦しみを共有し、信念を貫くことの困難さを感じ、ジャンヌの「受難」を疑似体験する。すさまじい詰問のために、一度は信念が揺らいでしまうが、再び自己の信念に向き合うという「意思の強さ」に美しさを感じるだろう。
また、サイレンス映画としたことも「効果」という面からは成功だろう。映画において、ジャンヌや大司教などが「何かを言っている」ことが描き出される。彼らが何かを言う際の「表情」がすでに何かを語っているようにみえる。我々は、彼らが語る「表情」から何かを読み取ろうとするだろう。そして、少し間を置いて、その「回答」ともいうべき「字幕」が出されるという流れになる。普通の映画ならば、セリフを喋るのと同時に、セリフを聞くことになるので、「なんというセリフをしゃべるのか」という予測を行うことはない。しかし、本作では、「表情」からセリフを読み取ろうという「予測」行為のために、観客はよりディープに、この世界に入り込めるのではないか。
個人的に気になったのは、ジャンヌや他の登場人物の「視線」である。カメラを向いているような視線は一切見当たらない。なぜこのような手法を取ったのだろうか?ジャンヌと同一化できるような狙いが感じられると先ほど書いたが、それとは別の第三者的な客観的な感覚にも陥ることができる。登場人物のクローズアップした表情はみられるが、彼らは決してこちらを見ることはない。メチャクチャな見方だとは思うが、個人的には、このカメラの視線はどことなく「神」的な視線のようにも感じられた。[ビデオ(字幕)] 5点(2006-09-24 00:11:16)《改行有》
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