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【製作国 : フランス 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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61.  裁かるゝジャンヌ 《ネタバレ》 クローズアップの連続と計算されたかのような見事なカットにより、「臨場感」が一層醸し出されている。まるで、あの場所に迷い込んだかのような錯覚に陥るほどだ。 おそらく監督としては、観客が「ジャンヌ」と一体化できるようにすることを狙ったのではないか。観客は、ジャンヌの苦しみを共有し、信念を貫くことの困難さを感じ、ジャンヌの「受難」を疑似体験する。すさまじい詰問のために、一度は信念が揺らいでしまうが、再び自己の信念に向き合うという「意思の強さ」に美しさを感じるだろう。 また、サイレンス映画としたことも「効果」という面からは成功だろう。映画において、ジャンヌや大司教などが「何かを言っている」ことが描き出される。彼らが何かを言う際の「表情」がすでに何かを語っているようにみえる。我々は、彼らが語る「表情」から何かを読み取ろうとするだろう。そして、少し間を置いて、その「回答」ともいうべき「字幕」が出されるという流れになる。普通の映画ならば、セリフを喋るのと同時に、セリフを聞くことになるので、「なんというセリフをしゃべるのか」という予測を行うことはない。しかし、本作では、「表情」からセリフを読み取ろうという「予測」行為のために、観客はよりディープに、この世界に入り込めるのではないか。 個人的に気になったのは、ジャンヌや他の登場人物の「視線」である。カメラを向いているような視線は一切見当たらない。なぜこのような手法を取ったのだろうか?ジャンヌと同一化できるような狙いが感じられると先ほど書いたが、それとは別の第三者的な客観的な感覚にも陥ることができる。登場人物のクローズアップした表情はみられるが、彼らは決してこちらを見ることはない。メチャクチャな見方だとは思うが、個人的には、このカメラの視線はどことなく「神」的な視線のようにも感じられた。[ビデオ(字幕)] 5点(2006-09-24 00:11:16)《改行有》

62.  プライドと偏見 《ネタバレ》 嫌な奴だと思っていたが、実はシャイなだけで、実は誰も知らなかったけど良い奴でしたというだけのストーリー。 「誤解」や「関係修復」など、エリザベスとダーシーの関係をもっと中心に描けばよかったのだが、姉の恋愛、妹の恋愛、いとこの恋愛なども同様に近い比重で描くので、ややこしくなり、登場人物のいかなるキャラクターにも感情移入しにくくなっている。 誰と誰が上手くいこうとあまり自分の感情が動くことはなかったのが残念だ。 同じ原作者である「いつか晴れた日に」では姉妹ともに上手くいって本当に良かったなとマジで感じられたので、同じ原作者であっても、この両作には何らかの“違い”が存在するのだろう。 好きな人には好きなんだろうと感じさせる内容であるが、個人的にはあまり好きな部類ではなかった。 また、ストーリーに起伏やイベントがなく、何もかも突然すぎるところがあるのも問題だ。 ただ、美しい風景が上手く描かれていたり、カメラワークの面白さは評価できる。 演出もそれなりには努力しているのが分かる。 エリザベスとダーシーの二人の手が触れた瞬間のエリザベスのクローズアップした表情、エリザベスがブランコで一人でグルグルしているときの表情、三人で話しているときの沈黙の時間、そして朝日の中にいる二人といったように、観客に対して、「この場面で何かを感じてほしい」という狙いが分かりやすい演出手法を取っているのが特徴になっていると思う。 演技については、キーラとベネット夫妻を演じたブレッシンとサザーランドは説明がなくても、バックグラウンドやキャラクターの性格が感じられるよい演技をしていたが、他の役者はあまりパッとせず特筆すべき者はいなかったと思われる。[DVD(字幕)] 5点(2006-07-09 17:12:13)(良:2票) 《改行有》

63.  アンジェラ(2005) 《ネタバレ》 母国フランスでは大コケ・駄作扱いされていた本作だけど、まったく駄作というわけではなく悪くはなかった。しかし良くも悪くもない中途半端な映画という印象を受けた。 映画自体は、説教くさいテーマであったが「嘘をいわずに真実をいえ」「人に愛されるような人間になり、なおかつ自分自身も愛せ」「自分に自信をもて」などそれなりのテーマを描きつつ、ラブストーリー的な要素や「別れの辛さ」なんてものも描かれている。しかし、これらのテーマなどが上手く演出されてはいないという気がする。特に、アンジェラの過去がなく苦悩するところや、アンジェラがアンドレのことを本当に好きになり始めて困惑してはやく空に帰りたがるという、肝心の「終盤」をかっ飛ばすほどに雑に演出しすぎている。ここは繊細に演出すべきだろう。 また、アンジェラが天使であることがあまり活かされているとは思えない。途中で正体も明かしてしまっているため更に面白さがなくなっている。天使とはっきりと描くのではなく、ラストは「果たして、アンジェラとは、夢だったのか、幻だったのか、天使だったのか、それとも生身の人間だったのか…」というような余韻を感じたかった。「グランブルー」「ニキータ」「レオン」で感じた「二人の別れ」の「前向きな切なさ」のようなものを演出できる人ではなかったか、リュックベッソンという監督は。お決まりのハリウッドエンディングを良しとする人だっただろうか。 むしろアンジェラは生身の人間の方が面白いのではないか。傷ついた男女が同じ時間、同じ橋で自殺未遂を図るという奇妙な出会いから、お互いがお互いの心の傷を癒していくというストーリーの方がよりベターな気がする。 また、この映画は「最後の戦い」でみせた白黒映画であり、「グランブルー」のような美しい風景をみせており、レオンでの名ゼリフ「「OK」は言うな。(個人的には使って欲しくなかった)」やフィフスエレメントで描いた「愛してる」と言い出せないシーンなど、リュックベッソンの集大成のような映画になっている。しかし逆の見方をすると、前作から6年経ったベッソンの成長のなさ、才能の限界や、監督能力の減退を見せつけられたような気もする。 この内容なら思いきって「最後の戦い」のように全くセリフをつけず、演出と俳優の演技だけでみせつけ、終盤の「ジュテーム」のみをセリフにするとか思いきった演出がみたかったところだ。[映画館(字幕)] 5点(2006-05-15 22:58:58)(良:2票) 《改行有》

64.  グッドナイト&グッドラック 《ネタバレ》 この映画の主題である「赤狩り」は、エリアカザン監督のアカデミー賞名誉賞受賞の際にも問題(「赤狩り時代」に仲間を売ったとされ、表彰時にブーイングが浴びせられた)になったが、今なおハリウッドに影を落とす問題である。この映画を通して、その歴史の一端を学ぶことができる点では評価できるかもしれない。 しかし、確かに歴史的に非常に価値ある映像はみせてもらったとは思うが、どうにも物足りなさも覚えた。 この映画では「赤狩り」の首謀者であるマッカーシー上院議員を糾弾するという趣旨は全くないため、比較的客観的・中立的な立場から描かれていると思われる。 そのためか、いまいちエド・マローの内面やその葛藤、苦悩をうかがいしることができなかった。 また、この映画を通して、「表現の自由」とは、「報道の自由」とは、「思想の自由」とは、「国家による思想の弾圧に対するメディアの在り方や我々自身の対応」とは、など色々と考えられるテーマが散りばめられていると思うが、あまりそれらを考える手がかりにはならなかったと思う。 一言でいいあらわせば、映画をみたというより、歴史の勉強をしたというのが正直な感想であった。[映画館(字幕)] 5点(2006-05-02 21:30:13)《改行有》

65.  メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬 《ネタバレ》 深そうなテーマ(暴力や人種差別など)をちりばめつつも、なかなか本質が捉えにくい映画になっていると思う。 それにしても、宣伝文句の感動のラストというのはいかがなものかと思うが、なかなかシュールなラストになっているのには驚いた。 その辺にごろごろしている普通の観慣れた作品に飽きた人には勧められる一風変わった映画なのかもしれないけど、あまり一般の人には勧められない映画かな。 <以下ネタバレ>①バリーペッパーの役をもうちょい小悪役にした方が話がすんなり入るのではないかなと思う。メルキアデス殺した行為には殺意はなく単なる事故であり、嫁とショッピングを楽しむ余裕もないほど、追い詰められひどく罪悪感を感じている者に対して余りありすぎる報復ではないか。むしろ嫁との浮気を妬んで殺したとかの方が良かったのではないか。 ②ジョーンズとメルキアデスとの関係がフラッシュバックのように挿入されているが、二人の関係の強固さがイマイチ伺いしれないのではないか。なぜジョーンズが法を犯してまで、メルキアデスとの約束にこだわるのか、自分にはよく伝わってこなかった。ジョーンズの動機がわからないために感情移入ができるはずもない。もっとメルキアデスがどういう人間であるかを観客に知らせた方がよかったのではないか。 ③メルキアデスがなぜジョーンズにあのようなことを真面目に言ったのだろうか。自分が死んだら自分の身を故郷に戻してほしいという想いがあったのかもしれないが、生前の彼の真面目な行動とあの言葉がどうにも結びついてこない。 ④3度の埋葬というタイトルだが、それぞれに確かに意味があるのかもしれないが、タイトルになるほどのインパクトが1、2度にあったのだろうか。[映画館(字幕)] 5点(2006-03-19 00:52:56)(良:2票) 《改行有》

66.  アザーズ 「シックスセンス」はネタが分かった条件で見ても様々な発見や、想いが通じ合えた際の母子の関係には深く感動させられるが、この映画は一度でも見てネタが分かってしまえば、大したことのない映画でしかなかった。 これほど中身のない脚本をラストまで引っ張り続けられる演出は誉められると思うが、もう少し中身を充実させることはできたはずだろう。 まず、本来生きているもの(ニコールにとっての幽霊的なもの)の出番が少なすぎると思う。ビクターと子ども達の会話やピアノシーンとラスト以外に登場させなかったのには恐らく演出家のこだわりがあったとは思う。確かに「はっきりさせないことによる怖さ」を狙っているのだろうが、それにしても勿体付け過ぎている。この映画を二度みるとそれがより感じられる。中盤の山場に一つ大きな仕掛けを用意しても良かったのではないか。中盤の山場にアンに霊能者を憑依させるのではちょいと弱いだろう。 そして、父親の存在。父親はグレイスの子ども殺しとの関係から重要なキーパーソンと考えられる。しかし、どことなく中途半端なイメージを受ける。 グレイスは夫が「戦争を口実にして、自分たちを捨てた」と思っていて、夫が戦争に行ったきり戻らず、その結果、精神的に追い詰められて子ども達を殺すことになったのだから、もっと重要な使い方をすべきだろう。 グレイスの誤解を解いたり、子ども達に対してグレイスが悪くなかったことを証明する必要があったはずだ。言葉による説明は特になく、キスシーン等の雰囲気でだいたいは分かるが、帰り際に「すまなかった」の一言では、彼の存在は個人的には勿体無いと思う。 使用人の使い方も若干甘いのではないか。特に三人いる必要性が感じられない。あれならミルズ一人でも問題ないだろう。もっとタトル、リディアにもストーリーを振らせても良かっただろうと思う。 この映画で唯一良かったのがグレイスを演じたニコールキッドマン。母親としての愛情の深さや夫がいないにもかかわらず一人で頑張り続ける強さを感じる。子ども達に厳しく接するのにも彼女なりの愛情を感じさせる。事件を起こす原因であったと思われる神経質な性格も醸し出している。[DVD(字幕)] 5点(2005-04-10 19:10:41)《改行有》

67.  セントラル・ステーション ブラジルの苦しい現実は随所に垣間見れたが、何かに感動するような部分はなかったというのが感想。 でも、好きな人には好きな映画なんでしょうね。 あのおばちゃんと少年の心の変化というか成長が上手く伝われば良かったんですが。 二人にとってお互いがかけがえのない存在になっていくようなシーンがもっとあれば良かったんだけど。 お金もなくなりどうしようもない時にジョズエが代書を提案して、儲けたお金で写真を取り、ホテルのベッドでたわいもない会話をするような所は二人の関係がぐっと近づいた気はした。 おばちゃんもかつては捨て去っていた手紙を道中ではちゃんと出していたような気持ちの変化は感じ取れた。 果たしておやっさんの手紙には本当にジョズエのことが書かれていたんだろうかとか、おやっさんはどこに行ったのか(いつからいなくなったのか忘れたけどジョズエ母の訃報を聞いていなくなったのかと思ったが)とか、そういうあやふやにしている部分は逆に良く思われた。5点(2004-10-17 02:05:29)《改行有》

68.  スイミング・プール 《ネタバレ》 この映画は、全てランプリングの頭の中のネタであり実際の娘は最後に出てきた歯の矯正をしたブサイクな女の子というオチなんだが、ちょっとこのオチはさすがにない方がいいと思う。 「マルホランドドライブ」なんかは妄想である必要があったんだが、どうも本作には妄想という必要がないと思われる。 ランプリングのサニエを見つめる複雑な感情が入り混じったなんともいえない視線や、「何も行動できないイギリスのおばさん」と言われたランプリングがジジイに執ったあの大胆な行動、社長とのやり取り、幻の作品等、全てが妄想と知ったら残念な気がします。 自分の中では、ラストを頭から消去して全て現実にあった物語とすることに決めました。5点(2004-06-25 15:18:16)(良:1票) 《改行有》

69.  白いカラス テーマもいい、演技もいい。 でも全く物足りなく感じるのがこの映画の特徴。 さして大きなドラマがあるわけでもないし、悲劇というわけでもない。 「人間の心の傷」という極めて深く抽象的なテーマを映画化するのにはもうちょっと脚本をどうにかするか、演出家の力量が問われることになるだろう。 アカデミー賞監督には失礼な話だが、他の人がとればもっと良かったような気がしてちょっと惜しい気がした。 どんなに頑張っても秘密がなくなるわけでもないし、傷が癒えるわけでもない、孤独になりたくてもどんなに絶望しても、人はどうしても誰か他人に寄り添って生きていくしかない。 人間は一人では生きてはいけない、そういう人間の複雑な感情、心の裏側を演出するってのは本当に難しいんだろうな。 告白後の若かりしのシルクと年老いたシルクの対比は良かった。 帰りの電車で目も合わせず微妙な距離を置いて帰った若い二人と言葉は無くても安心して寄り添って帰る車の二人。 相手の傷を理解し癒せるのは本当に心の傷を知っている人ではないと無理なんだろうか。5点(2004-06-25 14:24:02)《改行有》

70.  まぼろし 言いたいこと、やりたいことは強く切なく伝わるんだけど、あまりにも映像がつまらない気がした。最愛の人をなくした喪失感を描いた映画は数多くあるが、経験不足からかどれもピンと来ない。 頭では理解はしているものの、心のどこかで夫が生きているかもしれないと思うランプリングはとても良かった、特に警察署であそこまで客観的事実を告げられても、夫の死を否定する所とか。 旦那の母親とのやり取りも重みがある、母と妻どちらの愛が勝っているか競っている感じ。 ラストも凄くいいけど、やはり深くはまれずにただのまぼろしだろと思ってしまった。5点(2004-05-10 23:30:56)《改行有》

71.  ブンミおじさんの森 《ネタバレ》 さすがに全く理解できなかった。 普通の映画とは異なるため常人には製作できないという点は認めるが、本作のような映画ははっきりいって苦手である。 本作においては、この世、あの世、現世、前世といったものを超越しているようだ。 “死”というものは終わりではなくて、“自然”に帰るようなものなのかもしれない。 ハリウッド映画では作ることができない、タイ映画だからこそ作れる境地か。 唐突に挿入されている、現世に絶望しているような王女が何もかも捨て去り、自然(川)と一体化していくシーンも象徴的となっている。 本作を見れば、現世の苦痛といったものが軽減されるかもしれない。 それにしても、点数は付けにくい映画。 見る人によっては満点なのかもしれないが、自分のような若輩者には高い点数はまだ付けられない。 自然を眺めて、その中に美しさを見出せる人には向いているかもしれないが、残念ながら自分は都会に毒されてしまったか。[映画館(字幕)] 4点(2011-05-03 12:18:48)《改行有》

72.  グリーン・ゾーン 《ネタバレ》 好きな人にはたまらない作品かもしれないが、個人的には全く合わなかったと正直に白状したい。あまりに合わなすぎて、完全に飽きてしまった。ブレるカメラ、早すぎてよく分からない映像、ムダに多いセリフに辟易して、「もう好きにやってよ」と集中力を切れた状態で鑑賞していたので、評価は低くせざるを得ない。一方では、臨場感があり、迫力があり、リアルな世界が繰り広げられており、興奮できる映像ともジャッジできるが、他方では、暗い画面の中で人影がうごめいているだけの訳の分からない映像ともいえる。自分には完全に後者でしかなく、見る者を選ぶ映画といえるか。ここまで合わないとは思わなかったが、エンターテイメント性の有無がポイントなのだろうか。本作は非常に政治的なメッセージが強い作品でもある。「大量破壊兵器はどこにあるのか」ということは、当時にはかなり話題となり、問題となったテーマであることを記憶している。製作当時にはまだ良かったのかもしれないが、今となってそれを論じても大した意味はないのではないか。「大量破壊兵器は実は存在しなかった」という事実を明らかにしたくらいでは、いまさら誰も驚かないだろう。たとえ、大量破壊兵器が見つかったからといって、イラク戦争が完全に正当化されるわけでもない。もっとも、本作においても「大量破壊兵器はどこにあるのか」ということ自体は大きな論点にはなっていないような気がした。本作においては、捏造された資料に基づいて戦争に踏み切り、その戦争によって多くの者が苦しめられたという事実、本来役割を果たさなくてはならないマスコミによって、情報操作されたという事実をポイントにしていると思う。また、「戦争後の統治の在り方」についても一石を投じている。 アメリカ人ではなくて、イラク人によってイラクのことを決定しなくてはいけなかったということは素晴らしいまとめ方だとは思う。イラク問題がここまでコジれている要因の一端を教えてくれている。ジャーナリスト出身であるグリーングラス監督が、今なお問題になっていることについて、非常にマジメかつ真剣に取り組んでいる姿勢は評価したいが、スター俳優によるアクション・サスペンスを堪能したいという欲求にはマッチしていないと言わざるを得ない。政治的な作品とエンターテイメント性ある作品との両立は難しいが、自分にはどっちつかずで、意義を見出せない映画としか思えなかった。[映画館(字幕)] 4点(2010-05-17 22:37:17)(良:2票) 《改行有》

73.  バーン・アフター・リーディング 《ネタバレ》 他のコーエン作品のレビューでも同じ事を書いているが、面白い設定の割には、あまり面白さを感じさせない不思議な作品になっている。騒々しさだけは伝わってくるが、基本的にはあまり中身がないためと思われる。徹底的に自己中心的でアホな連中を登場させたり、徹底的なブラックさでグロく攻めてくれれば、多少は評価できるが、評価できる部分が見当たらない。本作のラストにおいて自己評価しているが、「何の教訓も得られない作品」としか言いようがない。コーエン兄弟はアカデミー賞を受賞したので、あえて“中身がない作品”を作ろうとしたのだろうか。 この手の作品は、“単純な複雑さ”が求められるものだ。本作は、単純なことを回りくどく描いているだけのような気がする。 Aの行動をBが疑い、Bのその行動をCが疑い、Cのその行動をDが疑い、Dのその行動をAが疑うようなものが“単純な複雑さ”といえるケースになるだろう。 「全身美容整形手術費用をフランシス・マクドーマンドが欲しい」という基礎となる根っこがあり、「マルコヴィッチから金をふんだくる」というところまでは悪くはないが、そこから話が上手く転がっていない。CIAやロシアといった面白いファクターもあるのに、有効利用されていない。マルコヴィッチは、マクドーマンドのことをギャングかロシアのスパイと勘違いして、動揺して金を準備して、そのマルコヴィッチの不審な行動を、妻のスウィントンは離婚のための資産隠しと誤解するというように上手く転がせないものか。“データ”も“金”というアイテムも上手く活かせていないので、面白くなりようがない。 それ以外にも、執筆者であるマルコヴィッチは気づいていないが、ブラッド・ピットが手に知れたネタが実は重要機密が書かれており、CIAとロシアをも巻き込んだ騒動になるという王道ネタにすれば、まだ面白くなったのではないか。 オチに関しても、上手くオチているようには思えない。 「実はAが○○だった」というどんでん返しもなく、バタバタした挙句に訳の分からない拍子抜けのオチで逃げてしまった感が強い。CIAがマクドーマンドの主張を飲む理由も分からず、最低な“オチ”といえる。「実はマルコヴィッチはロシアのスパイであり、マクドーマンドの行動がロシアの利益に合致した」でも、「実はブラッド・ピットが○○○でいなかった」でもいいので、“オチ”をマジメに考えて欲しかった。[映画館(字幕)] 4点(2009-05-06 21:37:31)(良:1票) 《改行有》

74.  新学期 操行ゼロ 《ネタバレ》 平均点を下げてしまってまことに申し訳がない。 本作が多数の映画監督に影響を与えた映画史に刻まれるべき作品というのは分かるけれども、一本の映画として評価した場合、自分としては点数を低くつけざるを得ない。 ただ、面白かったのは、この作品はすべて子ども目線で描かれているのではないかと感じたこと。実際は、校長先生はあのようなロートレック風の小男ではないのではないか。子どもの目線から見れば、あまり子どもと直接関わらなく、お偉いさんにはえらい腰の低い校長先生はただの小さなおっさんに見えたのかもしれない。逆に、あれこれと規則にうるさい教頭先生は、看守のような冷酷な姿に映ったのだろう。ラストにおいてもその方向性は顕著に描かれている。屋上から様々なものを投げつけて、彼らの革命は成功する。彼らにとって、物をぶつける対象は、実際は生身の人間であっても、ただの的(まと)に過ぎないと感じたのだろう。本作では、その気持ちをそのまま人形を使って描いているのには、驚きとともに斬新さが窺える。 これらを踏まえると、本作で描かれていることは全て現実と空想が入り混じった世界なのではないかとも感じた。子ども達は、電車の中やトイレの中でタバコを吸っているが、あれもただの願望や空想、「やってられないよ」という気分を表したのではないかとも思う。 髪の長いタバールも校長先生に対して、「クソ野郎」と罵りたかった気持ちが強く感じたが、実際にあのように叫ぶことができたのかどうかはよく分からない。 スローモーションで描かれる枕の羽が舞い散る革命の序章も、彼らにとっては、あの場面ではあのような美しい姿に記憶されたのだろう(実際はあのような立派なものではなかったのではないか)。子どもの目線からは、圧制に苦しみ、自由を求めて蜂起する民衆の革命の姿に重ねあわすことができたのだろう。 また、自分の母親が豆オバサンと馬鹿にされることに対して落ち込む少年を観て、「オマエラもうやめろよ」と周りに注意する姿が描かれたり、悪戯をして三人が立たされているときに、腹痛を発症させて我慢できなくなっているときに、「オマエ行ってこいよ」と背中を押してやる姿も描かれており、仲間としての絆もしっかりと感じられるようになっている。[ビデオ(字幕)] 4点(2006-11-14 23:38:02)《改行有》

75.  モディリアーニ 真実の愛 《ネタバレ》 自分は専門家ではないので詳細には分からないが、モディリアーニが酒と麻薬に溺れ、病気で若くして死んだことと、ジャンヌが二日後に後を追ったこと、ユダヤ系で家族が破産したこと、個展がすぐに中止になったような小エピソードは事実だろうが、あとは恐らくほとんどがフィクションと思ってよいだろう(サロンやサロンで発表された全ての絵も)。 本作の印象としては、悪いとは感じなかったが、特別よいとも感じられなかった。というのも、モディリアーニの人生と、モディとジャンヌの愛を、「深く」は描くことはできていなかったように感じる。「魂がみえたら君の瞳を描こう」というモディリアーニの内心にまで本作は迫ってはいなかった。 フィクションなのだから、エコールドパリの画家たちの生き様をもっと生き生きとかつ、破滅的に大胆に構築してもよかったのではないか。酒屋で半殺しの目にあうといった、間違った脚色に進んでしまったようだ(さらに、ルノワールにあのような自己の作品を否定するようなセリフを吐かせるのはちょっと聞き捨てならない)。 モディリアーニとジャンヌの「愛」に足りなかったものは、金とか、成功とか、そんな単純なものではない気がする。画家というのは、自分の頭では駄目だと分かっていても破滅的な生き方しかできない、普通の生活や、普通の人間の尺度には納まらない人種である。本作では、結婚や書類といったものにこだわり、モディリアーニを小さくまとめてしまった気がする。 また、映画の中で、力点を「モディリアーニVSピカソ」に置いてしまったことに多少問題があるかもしれない。「モディリアーニとジャンヌ」という関係を凌駕する関係を描いてしまっては、焦点がぼやけてしまうだろう。 彼らの「ライバル」と一言で済まされない関係、お互いがお互いを認め合い、畏怖し、高めあう関係はしっかりと描かれていた。彼らは「成功」したかどうかを抜きにすれば、似たもの同士であり、同時期に生きたお互いにとってかけがえのない存在、真のアーティスト同士とは感じられた。 劇中で登場した「ガキ(モディリアーニの分身)」のメリットが本作ではほとんど感じられない。こんな空想上の存在をスクリーンに登場させるならば、それ相応の役割を担うべきだろう。[DVD(字幕)] 4点(2006-10-15 00:01:27)《改行有》

76.  コレリ大尉のマンドリン テーマは深そうだけど、映画自体は正直言って全くつまらないものに仕上っている。 全体としてみると散漫かつ説明不足ではないだろうか。このテーマならば、もっとペネロペとニコラスの関係は深めに描かないといけないと思う。この内容では親父さんの言う「恋と愛」の違いを具現化したものにはなっていないのではないか。もっと「音楽」を絡めて二人の関係が「愛」に高まるまでを描くべきだろう。 この映画を観る限り最終的には、むしろニコラスの関係が「恋」で、クリスチャンベールの関係を「愛」として描いてもよかったのかもしれない。それだけペネロペとニコラスの二人の関係は希薄なものと感じたし、ベールには真実の愛に気づいたという流れと感じた。 また、ベール自身や、ドイツ人大尉とニコラス、かばって死んだ軍人とニコラスとの関係があまり見えてこないので、やはり物足りないと感じた。 しかしながら、戦争の中で「音楽」や「愛」を描いており、あの陽気な世界には「争い」とは真逆の想いが感じられる。充分「反戦」に対する気持ちが伝わってくるが、やはりこれでは何もかも描き方が不充分すぎると思う。 映画自体は全く異なるが、「パールハーバー」と似たり寄ったりといっても言いすぎではないだろう。むしろ、あちらはアクションが優れているので、まだ見れる気もする。[DVD(字幕)] 4点(2006-01-10 00:02:20)《改行有》

77.  ドミノ(2005) 《ネタバレ》 アメリカでは完全に黙殺されてしまった本作だが、トニースコット監督は才能があり、もっと評価されてもよい監督の一人だと思っており、自分は密かに注目していた。公開前に亡くなってしまったが実在した女バウンティハンターの生涯を描くというのも面白そうな題材だ。また、キーラナイトレーも今後主演女優として一本立ちできるかどうか重要な作品となった。 本作での(無駄に)凝った映像、(無駄に切り刻んだ)ストーリーの組み立て方などは個人的には彼の演出は評価したい。 しかし、実在した人物を描いた映画としては、全く評価できる部分はない、ひどいものであった。 いったいどういうつもりなのかは分からないが、アフガンとか、病気の少女(あのボスは30万ドルもないの)とか、後半の展開は「ひょっとしてそれはギャグでやっているのか」というストーリー。タランティーノやトニーの過去の作品に類似するストーリーにはただただ唖然とするばかりであった。 なぜ実在の人間を題材としながら、このような捏造されたでっち上げたストーリーを描いてしまうのか理解に苦しむ。この内容ならば「based on true story(たぶん)」とするよりも「inspired」程度に留めて、登場人物も別名でやるべきだろう。ドミノという冠が付いているがために、あまり本人と離れした映画にもできずどっちつかずの訳の分からない映画になってしまっている。実在の人物を描くという足枷が本作をダメなものとしてしまっているのではないか。この内容ならば当然アメリカから黙殺されてもやむを得ないだろう。 さらに付け加えると、本作はドミノという人物が全く描けていない。彼女が何を思い、何に苦しんで、何を得たのかというものが全く見えない。マザーに向かって「Ilove you」と言ってもなんだか全くわからない。「そういう映画だったっけ?」と自問したくなる。実在の女性を描くのならば、シャーリズセロン主演の「モンスター」ような映画にするつもりはなかったのだろうか。ないとすれば、架空の女バウンティハンターの映画を作ればよいのであってアプローチを間違えているとしかいいようがない。 また、キーラのイメージビデオとして見ればどうかと思ったが、主役の割には焦点がぼやけまくってこれも上手くいっていない。キーラ自身は頑張っていたが、この役には合っていないようだ。無理をして貧乳をさらすよりも自分にあった役を選ぶべきではなかったか。[映画館(字幕)] 4点(2005-11-05 23:52:15)《改行有》

78.  ヴェラ・ドレイク 《ネタバレ》 本作は2004年のアカデミー賞監督賞、主演女優賞、脚本賞にノミネートされた映画である。 確かに冒頭の数分を観ただけでも分かるマイクリーの素晴らしい演出に、イメルダ・スタウントンも迫真の素晴らしい演技をしていた。脇の役者も皆よい演技をしていた。 劇場では感動して泣いていた人も見られ、決して悪い映画ではないと思うが、あえて点数についてはちょっと低めにしたい。 個人的にマイクリーに対して深い思い入れはないのだが、彼の監督作「秘密と嘘」「人生は、時々晴れ」は点数云々とは別にして、本当に素晴らしい映画だと思った。 「家族」「夫婦」などをテーマにし、そのテーマを深く見つめた結果のいわゆる「落としどころ」という感じの‘告白’が観るものの胸を打つというのが彼の映画の特徴ではないだろうか。 この映画にも確かに落としどころはあるようにも見えるが、あまり心には響かない。というよりも響く前に終わってしまったというのが正直な感想である。 映画のポイントがピンぼけになっているとしか思えなかった。 ヴェラの行為は確かに人助けではあるが、脱法行為である。その彼女の長年の秘密は家族である息子、娘、夫でさえも知ることはなかった。その秘密を知ったときに、家族がヴェラに対する気持ちがどのように変化していくのかについてポイントをもっと絞った方が良かったのではないか。 夫や息子が物分かりが良すぎるのが問題だ。怒りや不信などがあってこそ、はじめてヴェラを本当に許せるようになれるのではないか。本作でも、もちろん夫は内面では怒り、息子も「恥だ」と母を蔑んだが、心の動きを描くに際して、比重や扱いが軽すぎやしないだろうか。 なぜヴェラがそのような行為をするのかという彼女の気持ちに対して、家族は真摯に向き合っていないのも本作に入り込めない理由になっている。 また、堕胎行為に対する是非、例えば法廷にて彼女が救った女性などを証人にたてて情状酌量などを訴えるということ、をあえてぼかした創りになっているが、これについて描くべきか否かは正直悩むところであるが、家族の心の変化にポイントをきちんと置いていないのでやや疑問かなと感じる。 彼女の行為に対して、どのように心を整理すればよいのかを‘家族’と同様に考えるためにも、堕胎の是非も描いてもよかった気がする。 この映画のセリフにあったように「白か黒か」で映画を観る人には向いていないと思う。[映画館(字幕)] 4点(2005-08-06 23:26:06)《改行有》

79.  ハプニング 《ネタバレ》 「なぜ起きたのか」「なぜ収まったのか」という説明は必要ない、「自然ってよく分からないね」という説明で十分だ。特別なオチや、どんでん返しも必要ない。 しかしながら、「何を伝えたかったか」は必要である。 「環境破壊」「自然の驚異」「地球温暖化」「人口増加」「ミツバチの必要性(=生態系)」といった面から、本作を眺めても何も感じられない。 「夫婦の絆の強さ」「壊れかけの夫婦の再生」「子ども(世界の将来)を守り抜く責務」といった面から、本作を眺めても何も感じられない。 何もかも中途半端な描き方しかできていない。 ただ単に、「植物が放出する毒素によって、人々が自殺する姿をショッキングに描いた」というだけの映画でしかない。 脅威となる存在がモンスターやゾンビなどの可視的ではなく、“風”から逃げるという点はユニークであり、珍しいパニックムービーを作りたかったのかもしれないが、その観点からも演出が足りなさすぎる。 本作を見る限りでは、脅威となる存在はやはり目に見えないと面白くないという結論になってしまった。 また、本作のラストがあまりにも酷い。酷いという言い方は語弊があるかもしれない。 本作の設定を踏まえて「一番批判を浴びないラストを考えろ」と言われたら、このようなラストになるだろう。過度な批判は浴びないだろうが、あまりにも安直であり、捻りもなく、冒険のないラストである。シャマラン監督は良くも悪くも記憶に残る監督だったはずではないか。野球選手に例えれば、三振を恐れずにホームランを狙って大振りするような選手だ。その大振りが、時には我々に驚きを与えたり、期待の大きさから、逆に落胆させたりもする。しかし、本作は三振しないように短くバットをもって、ボールに当てただけのような気がする。 毒にも薬にもならないような作品を作ることは、自分自身を貶めるだけではないか。 今度三振したらもうプレイすることができないという状況に追いつめられているのは分かるが、長い目で考えれば自分のスタイルを捨てて平凡なプレイヤーになるべきではない。 ジョーイというキャラクターを自分自身で演じているが、過去の作品に比べて、存在感のあるキャラクターではないのも批判を恐れて自分のスタイルを捨てた証しではないか。 「シックスセンス」から「レディインザウォーター」まで、彼の作品をそれなりに評価してきたが、本作は評価できない。[映画館(字幕)] 3点(2008-07-30 09:37:54)(良:4票) 《改行有》

80.  アトランティス(1991) 恐らくコンセプトは海洋の神秘を探るというものではないから、「ディープブルー」と比較して特段目新しい映像は見当たらなかった気がする。 また、本作では色々なテーマ毎に分かれており、この手法は眠くなりがちな映像をそれなりに引きたててはいたが、もっとテーマに合う画像は海にあるのではないかとも思った。 イマイチ趣味の世界から抜けきれていない感がしており、やや不満が残った。 強いていえば、マナティが良かったかな。ちなみに、DVDにはどこかの教授らしき人が静止画像に特徴やコメントを載せている特典がついているので、それはなかなか面白い。[DVD(字幕)] 3点(2006-05-04 22:15:21)《改行有》

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