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【製作国 : フランス 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順1
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1.  女の都 《ネタバレ》 巨根博士の家に着くまでの前半部分は、フェリーニ映画の中でも最高にエネルギッシュかつ完成度の高い映像世界だ。まるでカフカか安部公房の世界を大胆に映像化したかのようだった。そしてそれ以降は、甘い生活以後のフェリーニ特有のぐだついた映像が続く。つまり幻想を滑らかに接続することに失敗している。しかしそれでも映画前半の幻想数珠繋ぎともいうべき魅惑の映像に抗うことは難しかった。フェリーニの甘くほろ苦いノスタルジーが、ただのハリボテであると、記憶の中の遊園地に過ぎないと、自分を律しながらも、どうしようもない引力を彼の作品たちに感じてしまうのだ。[DVD(字幕)] 7点(2013-01-17 17:31:40)

2.  アンティゴネ 《ネタバレ》  本作はストローブ=ユイレ(以下SH)の作品群の中でも「エンペドクレスの死」と並び彼らの最高傑作と呼ぶに相応しい。SH作品の特徴ともいうべきものが本作では密度・強度ともに最高潮に達している。まず本作のロケーションはシチリア島の古代円形劇場のみである。カメラがこの劇場から外に出ることはない。しかしこの要素が退屈を誘うことはありえない。アンティゴネの物語にこのロケ地は最適である。過去現在未来を全て内包しているような空と大地がここにはあるから。霞がかった雲のない青空、点在する褪せた色彩の草木、乾いた風と、それに吹かれ続けてきた岩肌。舞台は整い、あとは古代ギリシアの衣装を着けた役者たちが劇を演じるだけだ。その衣装が、深く折り重なった襞が、風にはためき、時が止まる。女の歌うような暗誦、男たちの恐ろしい合唱、国王の役者じみた台詞、そしてそれらを貫くアンティゴネの力強い横顔。徹底されたミニマルな演出は、最大限の豊穣さを引き出すことを証明した。[DVD(字幕)] 8点(2013-01-17 17:15:44)

3.  たぶん悪魔が 《ネタバレ》 ブレッソンの追究した映画像が、荒削りな印象の強い彼の他作品群に対して、本作においてはあまりにも精緻に彫刻されている。その冷たく強固な彫刻は、映画の一つの完成形というに相応しい。五人の若い男女が、現代社会の諸問題と己の錯綜する感情を憂いながら、自堕落とも言える生活をこなしていく。そのような若者たちの美しい運動性と滑稽な思想が、この冷徹な映画のフレームの奥に潜む熱情のうねりとなる。本作の主人公は熱情的な若者から一歩(いや、半歩か)進んだ形で、逃れられない虚無の影に支配される。虚無とはあらゆる事象の終着点かのように思える。そしてまたこの主人公も絶対的な終末の権化であるようだ。しかし虚無とは単なる終末ではないのだ。虚無とは円環の終点であり、また始点でもある。主人公が自殺(厳密には他殺)する虚ろな静謐さをたたえるラストシーン、この美しさと滑稽さが、運動と思想が、円環をもう一回りするためのエネルギーとなる。この渾身のラストシーンを含め、贅肉を徹底的に切除し、鉄の骨組みを想起させる構造が、私の内的世界をなぞるように構築されていく。その冷たくくすぐったい快感が、私をブレッソン映画の中毒者にしてしまう。ブレッソンの映画が好きという方で、もし本作を見逃している人がいたならば、是非一度観賞してください。ブレッソン映画に求めるものの全てが、本作では凝縮した形で得ることができます。[DVD(字幕)] 8点(2012-12-30 16:16:11)

4.  アメリカ 《ネタバレ》 カフカとストローブ=ユイレ(以下SH)の親和性は非常に高い。SHのショットがカフカの小説世界を心地よく立体化してくれる。カフカ特有のもどかしさや、はたまた根拠のない楽天的感情さえもSHは映像にして見せてくれた。画面作りとしてはいつもの彼らの映画と同じだ。つまり練りに練ったであろう構図と人物の印象的な配置を長いフィックスショットで見せるというスタイルに変わりはない。しかしこの映画には彼らの他作品にはあまり感じられなかったリズムがあるように思う。それはカフカの紡ぐ文章のリズムに呼応するようにして生みだされたものではないだろうか。いずれにしろ126分という短くはない時間、私の視線は画面に吸い寄せられ続けた。ラスト、車窓を流れる景色を延々と捉えるシーンで私の心は主人公カールと同化した。絶望も希望も流れ去って、ただ生活だけが眼前に横たわっていた。[DVD(字幕)] 6点(2012-12-30 15:38:52)

5.  黄金の馬車 《ネタバレ》 この映画の持つ重厚かつ繊細な絵画的色彩は、凡百の映画監督では到底表現しえないものだ。枯れた樹木のような深い色合いの中に、青く透き通った宝石の輝きを感じさせてくれるのだ。そんなノスタルジックな画面の中で、劇内劇内劇ともいうべき三重構造の世界が展開されていく。力強く女の人生を謳歌していくように見える主人公カミーラだったが、現実と芝居の境界がもはや存在しないと気付き、甘ったるく空虚な感情に支配されてしまう。そしてカミーラは決心(あるいは逃避)し三人の男に別れを告げ、ノスタルジックな劇を完遂する。現実と芝居という二元的世界に、もう一つの次元を足すことによって単なる人生の悲哀に過ぎなかった物語に、生きることの真理を垣間見せることに成功している。[DVD(字幕)] 7点(2012-12-26 23:34:44)

6.  熱狂はエル・パオに達す 《ネタバレ》 内容はメロドラマに近いが、過剰な展開・映像美・音楽は存在せず、非常に淡々とした印象を残す。本作ではシュルレアリスムは影を潜め、一応真面目に政治の腐敗を描いてはいるのだが、それでもどこか滑稽で不可思議なブニュエル特有のテイストがある。そして何より私が評価したいのは、本作でも「欲望のあいまいな対象」や「昼顔」に通じるエロスを感じられるという点だ。ブニュエルのそれは芸術の皮をかぶったような偽善的なものではなく、男の欲望が剥き出しにされた背徳のエロスなのだ。この要素が淡白な作品に艶を与え、上等な映画に仕立てている。ブニュエルの映画は男のための映画だといつも思う。女性の方がこういったエロスをどう評価するのか知りたいものだ。[DVD(字幕)] 5点(2012-12-26 23:02:28)(良:1票)

7.  バルタザールどこへ行く 《ネタバレ》 ブレッソンの映画は、映像が身体に染み入るように流れてくる。それはカットのリズムと劇的さの排除によるところが大きい。この「バルタザールどこへ行く」においてもその二つの要素がもちろん基底にはあるが徹底はされてない印象だ。素晴らしくリズミカルなシークエンスもあれば、もたついた鈍い足取りの場面もある。乾いた物音だけが響く心地よい静寂もあれば、べとつくように甘いシューベルトの音楽が流れもする。しかし驚くほどに高精細なモノクロ画面や、光量の高い画面作りなどブレッソン映画のなかでも特筆すべき点もある。高精細なのにどこか靄がかかったように幻想的な画面なのだ。特にヴィアゼムスキー演じるマリーの横顔を捉えた素晴らしく美しいショットには眼が釘付けになった。このショットはストローブ=ユイレの絵作りにも影響を与えたのではないか、とひそかに推測している。[DVD(字幕)] 6点(2012-12-26 23:02:07)

8.  白夜(1971) 《ネタバレ》  この映画を思い出すとき、私は暖かな情感に包まれる。それは本作の持つポップな色彩と、男女の幼い恋がどこかノスタルジックな感傷をもたらすせいだろう。ブレッソンの演出はいつも通りで、スマートな画面とリズミカルなカッティングが申し分なく楽しめる。特にヒロインと下宿人の彼との回想のシークエンスは、ドアの開閉の応酬とヒロインの一挙手一投足(そして裸体)に魅了され、ブレッソン映画が凝縮されていると感じた。あざとい音楽の演出と、黒色が潰れてしまっている夜のシーンが残念ではあったが、それでも本作は、鑑賞から一ヶ月以上経った今でも映画のワンシーンが突拍子もなく頭をよぎったりするほどに、私の内的世界に小さいながらも確固とした領土を得ている。衝撃はないが、長く愛していける本作のような映画には中々出会えない。  主人公はこの青い恋劇を通して愛というものを学んでいく。ヒロインがもたらしてくれた愛情への感謝。「君がくれた幸せに祝福あれ」この台詞に尽きる。[映画館(字幕)] 7点(2012-12-20 02:11:07)《改行有》

9.  雲から抵抗へ 《ネタバレ》  ストローブ=ユイレはセザンヌの眼を持っている。風景を受信する感光板に徹すること。風景から湧き上がる匂い、風、色彩の蒸気を捉えること。彼らのカメラは虚心であろうと耐え忍ぶようにして固定される。風景に意味を持たせてはならない。意味とは制約である。風景の持つ無限に等しい情報を制限してはならない。そうして丹念に写し取られた風景に人物を配置させる。そのフレーミングはフォードやブレッソンの影響を感じさせるが、彼らのそれはさらに鋭く美しい。そして配置した人物に良質なテクストを朗読させる。本作においてはパヴェーゼの「レウコとの対話」と「月とかがり火」という二つの傑作である(映画鑑賞の前後に是非一読してほしい)。このようにして構築された映画が面白くないはずがない。ラストに流れるバッハの「音楽の捧げもの」からのトリオソナタ第三楽章というチョイスも素晴らしい。  しかし、彼らの創作理念に一つ大きな疑念がある。それは登場人物や物語を、高尚と低俗という二項対立の図式に当て嵌めてしまう傾向があるという芸術家としては致命的な問題のことだ。この映画の最後を飾る落日のショット。唯一感光板に徹することを放棄したショットに思えてしまうのだ。  とはいえ草木の放散する青々とした陰影を見事に捉えた映像美と、原作の言語世界に強靭なショット群によって形を与え、情報を与え、確固たる映像世界を築き上げた腕前は他に類を見ないものだ。ストローブ=ユイレの中でもトップクラスの出来映えである本作は紀伊国屋からDVDが出されている。傑作中篇「あの彼らの出会い」も同時収録だからお得だ![DVD(字幕)] 7点(2012-12-08 15:35:46)《改行有》

10.   《ネタバレ》 アントニオーニの危うい哲学(鋭い視点と足りない探求)がフィルムに美しい幾何学模様を描いた彼の最高傑作。これ以降、彼は観念に引きづられる格好で完成度の低い(それでも大いに魅力的な)作品達を残していくことになる。無機物と有機体の対等性、存在と非存在の境界の消失といった彼の根底を流れる思想と、彼の愛をめぐる普遍体験が最良の形で映画の枠内に収められた本作は、映画史における到達点の一つといえる。特に、平面と直線により構成された都市空間をジャンヌ・モローが放浪する前半部分は、全てのショットが完璧と言いたくなるほどだ。物質も生命も同じ法則によって貫かれているのだ、と感じさせてくれる映像空間の構築により、愛の普遍劇に観点の多様性と豊穣な味わいを与えている。後半、張り詰めたセンスによって支えられていた映像がやや緩みだすが、至高のラストシークエンスが所々にあいた空隙を埋めるピースとなり、この作品に傑出した完成度を纏わせている。ゴルフ場に愛の枯れた夫婦が二人。遠景では木立が水墨画のようにたゆたう。愛を含む一切の感情がこの広大な空白に飲み込まれ色褪せていく。起死回生を狙う夫の悪あがきだけが画面の片隅でうごめいている。モローとマストロヤンニの演技、ガスリーニの演奏も素晴らしい。同じ題材でこの映画を超えることは不可能とさえ思えてしまう、アントニオーニの内的世界が見事に結実した大傑作。[DVD(字幕)] 9点(2012-12-08 15:01:09)

11.  軽蔑(1963) 《ネタバレ》 まずモラヴィアの書いた原作小説がある。これは男女間の混沌とした感情を確かな筆致で描出した素晴らしい小説であったが、芸術観・人間観において驕りを見せる主人公をモラヴィアは否定するどころか擁護した、という重大な欠点がある。そしてその欠点を見事に解決したのがゴダールである。映画監督役にラングを起用することにより、主人公より上の境地に達している人物を配置でき、主人公の横暴さを包み込む役目を果たさせたのだ。ラングの「非論理が論理に反するのは論理的である」「死は結末となりえない」などといった台詞は主人公を、より上位の次元から絶えず牽制した。主人公の滑稽さを認めたゴダールはやはり信頼に値する映画監督だ。さらに、凄まじいまでの魅力を放つバルドー(その肉体、笑顔、瞳……!)や、愛の幕引きという軽石のように空虚な絶望を画面に定着させることに貢献した色彩と音楽には、手放しの賞賛を送りたい。そしてなによりゴダールの映像表現力だ。小説ではなく映画でなければならない、という必然性を感じさせるシーンの数々に思わず顔がほころぶ。映画の終盤、カミーユという魔性ともいえる女が死ぬ。「愛ある笑顔よ」と優しく笑うカミーユ。その直後「本当はもう愛してないの。もう無理なのよ」とカプリの断崖を思わせる拒絶を見せるカミーユ。しかしカミーユは魔性の女ではなく、自立した意識体系を持つ一人の人間にすぎない。それを理解できなかったのがピッコリ演じるポールである。最後に一言、ランボーの「永遠」はこの映画のラストにこそ挿入してほしかった![DVD(字幕)] 8点(2012-12-06 22:08:59)(良:1票)

12.  ロゼッタ 《ネタバレ》 ドキュメンタリー風に映画を撮る監督は数多くいるが、これほどの透明感、つまりは現実の質感をもった映像を生み出す監督はダルデンヌ兄弟をおいて他にない。強いていえばハネケの90年代までの映画があるくらいだ。そしてその透明映画の旗手であるダルデンヌ兄弟の最高傑作がこの「ロゼッタ」である。幸の薄い少女が主役の映画では決まって美少女がそれを演じる。ぱっと思い付くところで散り行く花のリリアン、少女ムシェットなどなど。しかし美少女とそうでない少女とでは同じ悲劇でも救いの道の数が違うのではないか。美少女に悲劇はありえないとは言わないが、はかなくも美しいその姿は否が応でもみなの同情をひき、そしてその観客の暖かな眼差しがそのまま救いの道になってしまうという自己矛盾を孕んだ悲劇になってしまうのではないだろうか。ロゼッタの容姿はといえば、力強くも美しい眼や凛々しい眉など決して不細工とは言えないが、ごつごつした輪郭に男っぽい無骨な表情、がっしりした体格など従来のヒロインのように繊細な美少女とは無縁といえる。この無骨なヒロインは食べていくのがやっとの貧困と唯一の家族である堕落した母親とに挟まれて生活をしている。こういった極限状態だからこそ、生活とは労働であるという自明の事実が際立ち、その鋭利な現実を観るものの喉元に突き立ててくる。職がなければ労働はないし、労働がなければ生活はないのだ。そんな切実さの中をロゼッタは必死に生きる。その姿はともすれば醜悪ともとられかねない。しかしそれゆえに胸を揺する泥臭い感動を呼び、この少女の幸福を心から願わずにいられなくさせる。ラストシーンで少女は涙を見せる。鋼鉄のトンネルを一人で駆け抜けきる少女などいるわけがない。[DVD(字幕)] 8点(2012-12-03 12:36:19)

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