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プロフィール |
コメント数 |
731 |
性別 |
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自己紹介 |
奥さんと長男との3人家族。ただの映画好きオヤジです。
好きな映画はジョン・フォードのすべての映画です。
どうぞよろしくお願いします。
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人生いろいろ、映画もいろいろ。みんなちがって、みんないい。
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1. 気狂いピエロ
必ずしも60年代中期までのゴダール作品に対して全面的に肯定するものじゃないけど、これはもう文句なし。ゴダールがこの1本のなかに、「映画(とは何か)」、「政治(とは何か)」、「アンナ・カリーナ(とは何者か)」という、自らのオブセッションをすべて注ぎ込み、映画とともに格闘し、苦悩し、歓喜する瞬間瞬間が、画面から鮮烈に浮かび上がってくる。これほど感動的な作品は、そうないです。いや、唯一無二かもしれない。それほどまでに、ぼくにとっても永遠の作品であります。 《追記》ハッキリ言ってゴダ-ル作品は、昔も今も普通の意味で「面白くない」です。そして映画は何も「お勉強」するために見るんじゃないのだから、もしアナタが普通の意味で「面白い」ことのみを求めているんなら、初めからゴダ-ル作品なんて見なくて結構。それこそハラたつか、カネを損したと後悔するだけでしょうから。もちろんぼくも、ただ単に「面白い」映画の存在価値を認めないワケじゃない。映画には決して安くない入場料を払った観客を楽しませる“義務”があるのだから。けれど、そういった映画を見ている間のぼくたちは、何にも考えていない。与えられた「面白さ」を、2時間なりの時間と引き換えに消費しているだけだ。そしてその後には、何も残っていない。対するにゴダ-ル作品は、そういった怠惰な姿勢をぼくたちに許さない。「さあ、どう思う。どう感じる。どう考える」と、常に見る者を刺激し、挑発する。そのへんを↑で【帰ってきたおっさん】さんもおっしゃっておられたんだと思う(11/26現在、その【帰ってきたおっさん】さんは本作のレビューを削除したまま帰ってきません…)。…たとえゴダ-ル作品を見て「何じゃこりゃあ!」と怒る向きがあったとして、その時アナタはすでにゴダールの挑発に乗せられているんです…。そしてぼくは、貴重な人生のいくばくかの時間を割くのだから、時には映画を見ている間、自分にも思いがけない「思考」が映画によって導かれることがあってもいいと思う。その時、「面白くない」ゴダ-ル作品が、何にも増してスリリングな映画体験をもたらしてくれるってことを、ぼくは信じて疑わないのです。10点(2004-11-26 12:13:51)(良:6票)
2. 去年マリエンバートで
流麗な移動撮影にしろ、端正な構図の画面設計(あの幾何学的な庭園!)や美術、華麗なココ・シャネルの衣装にしろ、一見まさに映画そのものであるように思えて、実のところこれは、すべてのカットやシーンがアラン・ロブ=グリエの脚本(=文学)の一語一句を、文字通り形象化したものにすぎないのでは…と、ぼくは見ました。それはそれでアラン・レネ自身が意図したものであるのかも知れないけれど、一方で「映画」とは決して文学の…コトバの”従属物”ではないと信じる者にとって、これは一種の映画の「敗北宣言(!)」みたいなものではないか、と。ためしに、ぜひかつて単行本として出版された脚本を読んでみてください。たぶん、映画化された本作以上にイマジネーションをかきたてられる、スリリングなものであるはずです。確かにこの映画は見事な「イメージ=(映像)」の構築品ではあるけれど、その実これは「(映画的な)イマジネーションの廃虚」であると、畏れ多くもぼくは「否!」と叫びたく思うのです。ファンの皆さんの、「何をエラソーに」とお叱りを受けるのを覚悟の上で。4点(2003-11-17 16:45:51)(良:1票)
3. 危険なめぐり逢い
物憂げな眼差しのマリア・シュナイダーが、何と言っても最大の魅力。彼女が少年の誘拐事件に巻き込まれ、被害者の男の子と少しずつ心を通いあわせていくあたりの展開が泣かせます。はすっぱな”悪女”を演じたシドニー・ロームも、ヌードにまでなっての大熱演。犯人役のヴィク・モローの凶悪な雰囲気もいい味だし。ルネ・クレマンの演出がとかく耽美的かつ詩的なムードに流されがちなところは、好みの分かれるところでしょうけれど、間違いなくマリア・シュナイダー好きにはたまらない、彼女が最も魅力的な作品として忘れられません。7点(2003-11-10 17:37:39)(良:1票)
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