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プロフィール |
コメント数 |
296 |
性別 |
女性 |
ホームページ |
https://kawamari7.hatenadiary.com/entry/2021/09/03/221816 |
自己紹介 |
取り締まる法律が必要な(1)XX中毒。生まれた場所のせいで3歳で兆候が現れ、13歳で表彰状物の重症に、今ではより強い刺激を求め(2)X屋の中だけではなくこのサイトに出没、ネットで(3)XXXXXXがないかと探し回るのに誰も助けてくれません。KW = 「かわまり」「はてなブログ」で原子力開発関連の「プロメテウス達よ」と19世紀ヨーロッパを夢と詩で描いた「黄昏のエポック」を公開しています。 (Xの数に文字数が一致する言葉を入れてください。)
空欄の答え:(1)XX=「言語」、「活字」も可、(2)X=「本」、(3)XXXXXX=「読める外国語」、キリスト教国際病院で生まれ、宗教は仏教。 |
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1. 裸足の伯爵夫人
初期テクニカラー映画に共通な映像美が見られる作品です。でも中身はというと微妙です。のっけからシーンは語り手である劇作家兼映画監督のハリーの回想ナレーションが入る薄幸のヒロインの告別式で次のシーンはスペインのマドリッドの場末の、流しのフラメンコダンサーがギタリストを連れてやってくるようなレストランということになっていますがハリー以下ロケでスペインに滞在しているらしい映画人はタクシード、女優らしい女性はイブニングドレス着用で多編成のバンドが演奏していて結構ゴージャスでした。わたしがスペイン旅行で流しのフラメンコショーを見たのはグラナダの小高い丘陵地にある本当に場末のレストランでマドリッドの高そうなところのレストランには行ったことはありませんが、ほぼ確実にアンダルシアの場末のフラメンコの方が良いと思います。ヒロインのマリアは美しいし英語もできるので権謀術数で自分のダンスを披露する縄張りを確保したのかもしれませんがそれにしても英語が上手過ぎます。平均的スペイン人の英語力は平均的イタリア人よりもずっと下手だという印象があります。インバウンド擦れしてないのです。白亜の像が墓所に捧げられる告別式のシーンと場末(?)のレストランとの対象でマリアが尋常ならぬ人気か名声を博して亡くなったことが示唆されていて以降、鑑賞者はそのアップ・ダウンの経歴を追うように誘導されるのですが、それにしてもスペイン人(もしかしたらジプシー)という設定のマリアの英語はネイティブでハリーとテキパキとやりとりし、運命に翻弄される薄幸の美女からは程遠くアヴァ・はこの役割を知的に演じすぎたきらいがあります。「北京の55日」の中で彼女が演じたロシア貴族の外交官夫人の方がはまっていました。南フランスのリヴィエラ(カンヌやニースがある地方)などの背景は文句なしに綺麗です。[DVD(字幕)] 7点(2020-04-08 07:28:18)
2. パッション(2004)
娯楽系ならともかく宗教を題材にしたR-rated(18歳未満入場禁止)の映画なんてあってはならないし、映画館で鑑賞中に2人が死亡なんてことも、作る側にとっては不可抗力ですが、本来絶対にあってはならないことです。私は5、6歳のころから聖書に親しんで「イエス様は人間の罪を負って十字架の上で亡くなってくださった。」と観念的に理解していました。子供でもこのくらいのことは観念的に理解できるものです。それなのに、どうしてその様を如実に映像化する必要があるのでしょうか?生々しい血まみれの映像にも増して、どうして人があれほど残酷になれるのかが私には全く理解できず、シュ-ル・レアリズムの世界のようでした。リアルティーがある登場人物は良識家のローマの総督ピラトと博愛主義者のその妻、聖母マリアなどだけであとは全員、キリストを含めて人間の皮を被った異星人のようでした。これは私の理解力が未熟なせいではないと思います。「理解力が未熟であること」を根拠に映画の18歳未満鑑賞禁止が指定されるのならば、大人にとってもわけのわからないバイオレンスを扱った映画はたとえ宗教が題材であっても作るべきではありません。そもそもイエス・キリストの処刑そのものが、公正な裁判の結果での死刑などとは異なっていて全く根拠のない不条理なものなので、バイオレンスの部分の拡大描写を入れた作品として観衆に見せるべきものではないと私は個人的に思っています。「ラストまでにバイオレンスに慣れて涙が出なくなった。」と語っているキリスト教圏の批評家(Time紙)さえいます。これがメル・ギブソンが意図したことなのでしょうか。彼の製作姿勢は大いに疑問です。キリスト教徒の友人の強い薦めでこの作品を見て仏教の文化圏に生まれたことを誇りに思ったほどです。0点(2004-04-27 03:27:45)(良:2票)
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