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【製作国 : イタリア 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
1. テオレマ 30年以上も前、封切り時に観た。以後みなおしてない。パゾリーニを咀嚼する力なんてあるわけなかったが、不思議なことに、退屈もせず、とにかくビックリ仰天した。映画の訴求力の神秘ではある。確か、モーツァルトのレクイエムが大事なシーンで流れていて、この映画をみた仲間うちで――つまり当時若いもんの話題の映画だったわけだが――カラヤン指揮のLPが突如人気アイテムになって貸し借りされたりした。アホな高校生をそこまでビックリさせた力技に素直に敬意。今観たらどう思うかは謎。9点(2004-06-22 16:09:00)(良:1票) 2. 愛の嵐 《ネタバレ》 展開が遅くてイライラするが、思想としては深い映画。男女の閉じた2者関係である純然たる性愛は、多数の利害関係からなる社会の中に、けっして生き延びる場所を与えられない。ダーク・ボガードとシャーロット・ランプリングの性愛は、かつて収容所の中でも異物だったし、大戦後の社会でも異物になるほかない。ボガードの旧ナチ仲間にとって、ランプリングは消すしかない危険な証人なのに、しがないホテルの夜勤ポーターのボガードは、彼女を本当に愛しているんだ、なんてガッカリするような世迷い言を言う。ランプリングは、今では著名な指揮者の妻という恵まれた境遇なのに、再会したボガードに魅入られたようにつき従ってしまう。ボガードにとってもランプリングにとっても、性愛は、自分の生きている状況から自分を弾き出してしまう異常な力として出現してくる。けっして育てることの出来ない性愛、というコンセプトは、日本では、心中物という形式を与えられている。愛を讃える西洋でも、同じコンセプトが生きていることが分かる。原題の「Il Portiere Di Notte/ The Night Porter」は、「夜を運ぶ人」という意味にもなる。ボガードとランプリングが運んでいる夜は、この世に場所を持たない性愛という心の闇。で、二人は殺されるしかなかったわけ。映画として傑作とは言いかねるけれど、テーマの深さに敬意を表して8点。8点(2004-06-22 14:56:49)(良:1票) 3. ドクトル・ジバゴ(1965) 封切り時には子供だった。で、しばらく前にビデオで見て、なんとべたべたの大衆小説だったんだなあ、と或る意味感心してしまった。人と人があっちこっちでばったり出くわす、という都合のいい筋立てが大衆小説の神髄だと思うので。ジバゴはけっこうよい思いをしながら達者に世渡りできてる男だし、ラーラは依存的な感じの始末に負えない美人系だし、うむー、そんなに深い話じゃないぞ。ストーリーは「NHK朝の連ドラ+冬ソナ」の水準ではないかと。波瀾万丈の悲恋?を楽しめるヒト向き。6点(2004-06-18 15:17:49) 4. ひまわり(1970) ヘンリー・マンシーニの音楽に得体の知れない凄みがある。もちろん音楽だけでなく、ストーリーも映像も俳優の演技も、スキのない名画。そして、観終わって、これはどうしようもないよなあ、という気持ちになる。決して悲劇じゃあない。でも、日常生活ってこういうどうしようもないいきさつに満ちているんだよなあ、と、人生の酷薄さに打たれてしまう。一つだけ、配役に文句付けておくと、リュドミラ・サベーリエワ美人過ぎ。ああいう美人は、死にかけて戦場に転がってる敵軍の兵士を家まで引きずってったりしないよ。むしろ、ロシアおばさん系村娘に助けられる展開の方がしっくり来る。でもそうなると、映画としてヒットしないな。ストーリー全体がやや辛すぎるものになったりして。9点(2004-06-17 21:47:40)(笑:1票) 5. 地獄に堕ちた勇者ども 《ネタバレ》 けっこう単純に楽しめた。ヨーロッパ版大河ドラマ。 製鋼所を経営するエッシェンバッハという資本家一族が、ナチス権力との関わりの中で没落して行く経緯を描く。一族内の権力争い、血族と使用人の階級対立、母(イングリッド・チューリン)と息子(ヘルムート・バーガー)と母の愛人にして成り上がった使用人にして弱気な実力者(ダーグ・ボガード)の対立、といった、どこにでもある家族内の支配権争いが、親ナチスと反ナチスの色分け、突撃隊と親衛隊の権力の交替、といった当時の政治的な権力争いと結びついて、“濃く”描かれている。 ナチスという権力が、階級的上層部への民衆の野卑な力の浸透、という形で存在したらしいことがよく感じ取れる。その意味で、ナチスはヨーロッパの民主主義運動の鬼っ子というか。ま、或る意味、正嫡なのかも知れないが。 8点(2004-06-14 10:26:39)《改行有》
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