みんなのシネマレビュー
やましんの巻さんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

◆検索ウィンドウ◆

◆ログイン◆
メールアドレス
パスワード

◆ログイン登録関連◆
●ログインID登録画面
●パスワード変更画面

◆ヘルプ◆
●ヘルプ(FAQ)

◆通常ランキング◆
●平均点ベストランキング
●平均点ワーストランキング
●投稿数ランキング
●マニアックランキング

◆各種ページ◆
●TOPページ
●映画大辞典メニュー
●アカデミー賞メニュー
●新作レビュー一覧
●公開予定作品一覧
●新規 作品要望一覧照会
●変更 作品要望一覧照会
●人物要望一覧照会
●同一人物要望一覧照会
●関連作品要望一覧照会
●カスタマイズ画面
●レビュワー名簿
●お気に入り画面
Google

Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 731
性別
自己紹介 奥さんと長男との3人家族。ただの映画好きオヤジです。

好きな映画はジョン・フォードのすべての映画です。

どうぞよろしくお願いします。


…………………………………………………


人生いろいろ、映画もいろいろ。みんなちがって、みんないい。


…………………………………………………

投稿関連 表示切替メニュー
レビュー表示レビュー表示(評価分)
その他レビュー表示作品用コメント関連表示人物用コメント関連表示あらすじ関連表示
コメントなし】/【コメント有り】
統計メニュー
製作国別レビュー統計年代別レビュー統計
要望関連 表示切替メニュー
作品新規登録 / 変更 要望表示人物新規登録 / 変更 要望表示
要望済関連 表示切替メニュー
作品新規登録 要望済表示人物新規登録 要望済表示
予約関連 表示切替メニュー
予約データ 表示

評価順1234567891011121314

181.  テルミン ひとつの電子楽器に、20世紀の歴史と、ひと組の男女の数奇な運命が隠されているなんて、どんなドラマよりドラマチックだなあ。それをひとつひとつ解きあかし、全編をこの不思議な楽器の音色が響きわたる、ドキュメンタリーとしちゃ相当な傑作です。旧ソ連の科学者がアメリカに渡って1世紀近くを生き延び、残された助手で密かに彼を愛していた女性が、テルミン奏者としてこれまた生き続けただなんて。しかも、遂に再会を果たすまでを描いたなんて、スゴすぎる! …それにしても、ビーチボーイズのブライアン・ウイルソンって、やっぱりちょっとアブナイ?9点(2003-08-12 17:39:30)(良:1票)

182.  ローカル・ヒーロー/夢に生きた男 そう、まさに見る者をしみじみと幸福感に包んでくれる至福の1本ですよね。主人公の俗物青年が小さな村の人々のなかで暮らすうちに、いつしか「人生にとって最も大切なもの」に気づいていく…と言う展開自体はありがちなれど、不思議なユーモアと詩情が入り交じった語り口に、クスクス、ホロリ。ビル・フォーサイスという監督は、本物の才人じゃないかな。ちなみに、マイケル・J・フォックスの『ドク・ハリウッド』はこの映画の影響ありありですよ(出来は…だけど)10点(2003-07-14 17:53:12)(良:1票)

183.  回路 黒沢清監督作品では、正直最高傑作とは言えないかもしれない。けれど、もっとも野心的な作品であることは間違いないと思う。とにかく、常に予測のつかないそのドラマツルギーとオフビート感は、やはり誰が何と言おうと凄い! と感嘆の念を禁じ得ません。恐怖の質が、心理や生理に訴えるありがちなもんじゃなく、見る側の想像力や意識裡に刷り込んでくるあたりに、彼の”天才”を感じます。出来ることなら、黒沢カントクに10倍くらいの予算を与えて、もう一度心おきなく本作をリメイクさせてあげたいっす!10点(2003-05-21 14:45:04)(良:1票)

184.  ミクロの決死圏 SF映画史上の傑作であることは、今さら小生ごときが申すまでもありますまい。映画の冒頭、旅客機がヌーッと現れて、その横にタイプ文字でタイトルが打ち込まれる部分から、カッコ良すぎ! 個人的には、ラクェル・ウェルチの身体に血小板(?)が張り付くボンデ-ジ(笑)姿と、それをばりばりはがす男たちのシーンが、何痔見てもイヤラシクて大好き。片時もダレず、ムダのないファンタスティックな冒険譚として、さすがリチャード・フライシャー監督ならではだと、あらためて敬意を表したいと思います。10点(2003-06-06 15:16:17)(良:1票)

185.  光る女 別に、「オレはこの映画を分かってるんだ」みたいな、鼻持ちならないスノッブを気取るつもりはない。けれど、冒頭のゴミ捨て場での秋吉満ちる登場シーンから始まるこの壮大な”映像オペラ”に、ぼくはわけも分からないまま全身全霊で魅了され、すっかり恋してしまったのは本当だ。この映画の世界では、誰もが力の限り喜び、泣き、叫び、怒り、愛し、憎みあっている。そんな、すべてに過剰で非現実的な世界(というより、「舞台」そのもの)を、異様なまでの長回しで執拗に捉え続ける映像は、まさにエモーション(心の振幅、揺さぶられ)そのものとなって、見る者にガツンガツンとぶつかってくるかのようだ。…そう、この映画は、ぼくたち観客に文字通り”格闘(!)”を迫っている。力まかせにぶつかってくるストロングスタイルの本作を、真正面から受け止めようとする者だけが、あのラスト、ユートピア的田園風景の中で清々しく歌う満ちると武藤を祝福してやれるんだろう。…逃げちゃいけない!10点(2003-11-14 18:32:38)(良:1票)

186.  風の季節 《ネタバレ》 この映画、中学生の時に名画座(…って、もう“死語”だけど)で見ました。なつかしいなぁ。 フランスの片田舎で、歳のはなれた学者の夫や子どもたちと暮らす妻。そこへ夫の助手としてひとりの青年が現れ、彼女に恋をしてしまう。“あなたはまだじゅうぶん若くて魅力的です”と告げられ、揺れる女ごころ。…ああ、実に「おフランス」な展開ザマス! 確かに、お話としては実にありがちな「年上の人妻と青年のロマンスもの」なんだけどね。でもこの映画、登場人物たちの心理を、風で揺れる木立や波立つ草原、沈みゆく夕陽などの自然描写によって語らせるあたりが心憎いんだな。決して科白などコトバに頼らずとも、南フランスの豊かな自然と、何度も奏でられるモーツァルト交響曲第21番の甘美な一節があれば、かくも繊細な陰影に富んだ心理のあやを描きうる。…ドラマというより、これは一編の“詩(ポエジー)”に他なりませぬ。 結局、肉体的に結ばれないまま、年上の女は元の平穏な生活に戻る。でも二人が別離を迎える前日の夜、映画はこんなシーンを用意する。夜更けの散歩から帰り、それぞれの部屋で床につくふたり。女が服を脱ぎ、青年も服を脱ぐ。そしてベッドのシーツを女がめくれば、青年もシーツをめくり上げる。ベッドに身を横たえる女。青年もベッドに横になる。女の眼差し。青年の眼差し。…と、それぞれを交互に映し出すことで、あたかもふたりが同じベッドで眠ろうしているかのよう錯覚を観客に与えるんである。…まだ中房だった小生にも、このシーンは深く印象的だった。単に小手先の編集トリックを弄したんじゃなく、彼らが少なくとも意識の内において「貫通(!)」したことを、この短いカットバックは鮮やかに描いてみせたのだった(そしてその、何とエロチックだったこと!)。 『美徳のよろめき』とは、たぶん三島由紀夫の小説の題名だったと思うけど、フランスの映画や小説において人妻が“よろめく”のは、間違いなく「美徳」だ。そしてこの映画は、スタンダールの『赤と黒』にはじまる「人妻の不倫の美」の系譜の、慎ましくも美しい継承なのだと思う。(主演の人妻を演じたのが、マリー・デュボワ。彼女の名前も、フランス文学にその名を残すヒロインの名を芸名にしたものだ。う~ん、隅々までさり気なく凝ってますね。さすが、元『カイエ・デュ・シネマ』誌編集長のバルクローズ監督!)8点(2004-09-29 19:59:26)(良:1票) 《改行有》

187.  チャーリーズ・エンジェル フルスロットル CGまみれのムチャクチャご都合主義な展開は、ほとんど往年のギャグ・アニメみたい。作品的にはお世辞にも完成度が高いとは言えないけれど、いやー、3人の”エンジェル”を演じぇる(…ハハ、親父だねえ)女優たちの何と楽しそうなこと! 彼女たちを悪役のデミ・ムーアと闘わせるというアイデアだけで、もうカネ払ってもオツリがくるってもんだ。それに、いろんな映画のおバカなパロディが次々と登場するものの、そこには作り手のピュアな愛情が感じられるし。このMcGって監督、ほんと映画狂なのね。特に『雨に唄えば』がお気に入りのご様子。うん、いい趣味してんじゃん。少なくとも『マトリックス』のウォシャウスキー兄弟みたいな単なるオタクじゃない分、好感度大!7点(2003-07-15 14:29:51)(良:1票)

188.  ウォーターワールド う~ん、何なんだこの評判の悪さ…。別にアメリカでも大コケしたワケじゃなく、ちゃんと1億ドル以上の興行収益をあげてるんですけど。ただ、製作費が膨大だったんで、ちっとも儲けにならなかったということらしいんスけどね。…って、やっぱりアカンか。ただ、陸地が海に沈んだ未来世界を、セットや小道具に至まで、ここまで説得力豊かに描き出したディテールへのこだわりは十分”センス・オブ・ワンダー”たり得ている。それに、デニス・ホッパー演じる水上バイクの悪党集団”スモーカー”ときたら、1960年代にホッパー自身が出演していた暴走族映画(『続・地獄の天使』とかね)のセルフパロディになっている…といった、「遊び」の要素もふんだん。どうも、ケヴィン・コスナー主演作ゆえに叩かれている本作ですが、意外なほどアクションをうまくこなす彼を含め、決してバカにしたもんじゃない快作だとぼくは思っています。8点(2003-11-14 12:34:45)(良:1票)

189.  ルートヴィヒ(1972) 初公開時、滅茶苦茶な再編集短縮版と知らずに見てガッカリし、その後、4時間の「完全版」を見たもののやっぱり納得いかなかった…。美術も、カメラも、役者も、すべてに超一流であることは認めるものの、物語の叙述ばかりに追われた豪華絢爛たる紙芝居のような印象。見終わった後の空虚感は、ちょっと忘れられるもんじゃない。それが、ヘルム-ト.バ-ガ-扮するあの”狂王”の生涯の不毛ぶりと妙にシンクロするあたり、狙ってたのか…とも思わされるけれど。やっぱりこの映画におけるヴィスコンティは、衰弱している。残念だけど。5点(2003-06-11 14:06:30)(良:1票)

190.  ローラーガールズ・ダイアリー 《ネタバレ》 映画のはじまり近く、主人公がはじめてローラーガールズたちに出会い魅了される場面。ローラースケートでさっそうと現れるその姿を主人公が見つめる、そのまなざしひとつで映画(=物語)が動き出すことが予感され、その高揚感に思わず涙腺がゆるんでしまう。 そして間もなく、彼女はローラーゲーム・チームのオーディションを受けようと、ひとりバスに乗り込む。車窓からはバイト先の店が望め、働く親友の娘や、いつもからかって憂さ晴らしをしている新米店長の姿が見える。主人公は手を振るが、当然ながら気づかれない・・・。この場面の繊細な作り込み方に、今度は本気で泣かされてしまった次第。 田舎町で満たされない日々をおくっていた少女が、自分の進むべき道を見出して新たな世界へと旅だっていく。そんな「ありふれた物語」を監督デビュー作に選んだドリュー・バリモア。しかし主人公が、愛すべき荒くれ女たちとともにケチャップやパイまみれの大乱闘を繰りひろげ、誰もいない夜のプール内で恋人と戯れあい、ファイトむき出しのライバルチーム・キャプテンと渡り合うなかで、ついに母親と真に向かい合えたこと。たぶん、そこにドリューにとって本作を撮るべき“切実”なモチーフがあった。 監督としてのドリュー・バリモアが撮ろうとしたのは、ひとりの少女の成長物語であり、家族との葛藤と和解劇だった。主人公がチームと家族、この2つの「ファミリー」とのきずなを深めていく姿に、同じく名優一族の家と映画界という2つの「ファミリー」のなかで育ってきたドリュー自身を重ねても、あながち穿ちすぎじゃあるまい。むしろ不幸なものだった自身の10代を、この映画によってあらためて肯定的に「生き直す」こと・・・   けれども作品は、そんなメロドラマ的感傷とも無縁のまま、ある時は西部劇&スラップスティック喜劇のように、ある時はエスター・ウィリアムスの優雅な水中レビュー映画のように、ある時はハワード・ホークス監督の『レッドライン7000』のように、ある時は“スモール・タウンもの”と呼ばれる田舎町を舞台にした一連の映画のように、つまりは「アメリカ映画」そのものとして、あっけらかんと現前している。それを実現した監督ドリュー・バリモアの繊細さと大胆さ・・・。そう、これが本物の「才能」というものだ。[映画館(字幕)] 10点(2010-08-24 16:30:50)(良:1票) 《改行有》

191.  ダーク・シャドウ(2012) 《ネタバレ》 大江健三郎は、死を目前にした人間には独特の破壊的な想像力がある、というようなことを書いていた。それを、こう言い換えてみようか。「イジメられっ子にも、やはり独特の破壊的な想像力がある」のだと。・・・ティム・バートンの映画を見るたび、ぼくはそう思わずにはいられない。 バートン作品の世界は、肉体的・精神的な「フリークス」の饗宴だ。彼らは常に社会の秩序やら道徳(モラル)やらを嘲笑し、破壊しようとする。そしてバートンは、そういった「フリークス」の狂騒的な大暴れこそを嬉々として想像=創造することにかけて、文字通り独創的だったのだ。彼は、明らかに彼ら怪物やら怪人たちへと自分を一体化しつつ、社会への徹底した敵意というか〈悪意〉を爆発させる。そう、バートンにとって、彼ら“異形の者たち”こそ社会から迫害され排斥され追いやられる「弱者」であり、“イジメられっ子”に他ならない。そしてバートンは、そんな彼らのそれこそ必死の反撃を、バーレスクな「“負”の祝祭空間」としてヴィジュアル化してみせる。しかも、それを見事に上質な「エンターテインメント」に仕立て上げるところに、彼の本領があるのだった。 それがいつしか(というか、『マーズ・アタック!』以降の)その作品からは、ウエルメイドな画作りだけが前面化して、何より〈悪意〉が蒸発されていく。それとともに、彼の「フリークス」もすっかり“毒気”を失ってしまったかのようだ。だが、この最新作でバートンは、いかにも「ソープオペラ(TVの昼メロ)」の原作らしい醜悪な欲望むき出しの群像劇を得て、彼らを徹底的に茶化すことで社会そのものへの〈悪意〉を取り戻したかのようなのだ。相手に詫び(笑)を入れながら血を吸いまくるJ・デップの吸血鬼や、自己中心的すぎる(そして、演じるエヴァ・グリーンが素晴らしすぎる!)魔女を含めて、観客は本作の誰ひとりにも共感や感情移入できまい。だが、この自己の欲望にひたすら忠実な面々こそ、バートンの〈悪意〉による社会の、私やアナタの「鏡像」に他ならないのだ。しかしその、何と不愉快すれすれの「面白さ」であることか!  なるほど、ここには「フリークス」ゆえの悲哀を湛えた、あのバートンらしいペーソスはないかもしれない。が、久々に“ふっきれた”バートン作品は、やっぱりタダ者じゃないことも確かなのだ。[映画館(字幕)] 9点(2012-06-05 19:20:15)(良:1票) 《改行有》

192.  萌の朱雀 この映画の完成前に監督の女の子(まだ、そんな感じだった…)に会う機会があって、「もう、私がすることって、役者さんたちにこう演じてくださいって指示をあたえることだけなんです…」と、実質的に監督としての権限が与えられていないってことを認めていました。それが、カンヌで賞をとったとたんに、あの増長ぶり。キミ、やっぱりアカンと思うよ、それって。これで映画が良ければ文句はないものの、こんな程度の「家庭の崩壊劇」を映画に仕立ててみせるには、もっと人間や風景を凝視する視線の”強度”が必要なのでは。結論、映画賞なんてロクなもんじゃねえ!4点(2003-06-06 16:47:33)(良:1票)

193.  最高の恋人 今やすっかり文芸大作路線の「巨匠」になっちゃったアンソニー・ミンゲラ監督にも、こんないい味出してる小品を撮ってた時期があったんだなあ…(しみじみ)。愛すべきダメ男のマット・ディロンも、いつもながらべっぴんさんのアナベラ・シオラも、よくぞこんな助演で出たなあと感心させられるウイリアム・ハートも、みんないい。下町情緒の醸し方も、実に魅力的だし。う~ん、チャーミングな映画であります。8点(2003-07-23 18:05:33)(良:1票)

194.  アバウト・シュミット 今年(2003年)公開された映画の中でも、今のところ1、2を争う秀作。生きることの切なさ、やるせなさ、愛しさが、実にひょうひょうと描かれていて、まだ若い監督のくせにもはや名人芸のごとき巧さ。ジャック・ニコルソンはこれまでのキャリアでも最高の名演です。まだまだ脂ぎった彼が、ほとんど笠智衆(!)のように見えてくるなんざ、ビックラこいちまっただ。作品自体も、ほとんど日本映画のような撮り方で、この監督は今後とも要チェックと断言しておこう。 《追記》やはり2003年度公作品では、ぼくのベスト作品になりました。冒頭、主人公シュミット氏の会社がある高層ビルを映すカット割りは、まさしく小津安二郎作品そのもの。それも、単なるモノマネや青臭いオマージュなんかじゃなく、はっきりと自分の「スタイル」にしているところがスゴイです。一見地味だけど、これは本物の“滋味”あふれる秀作だ。10点(2003-07-16 16:03:15)(良:1票)

195.  6デイズ/7ナイツ とっくにコメントしているつもりだったのに、漏れていたようであらためて…。ぼく的にはぜんっぜん悪くない、むしろ近年のハリソン・フォード作品じゃ上出来の部類なんじゃないかと思いますね。ここまで二枚目半に徹したハリソン君はチャーミングだったし、アン・ヘッシュは、睡眠薬でラリッた場面が超ラブリーだったし。これはあくまでアクション映画や冒険映画じゃなく、ロマンチック・コメディであって、そう考えると、あの悪党たちのマヌケぶりも、ヘッシュのボーイフレンドが島のオンナにメロメロになるあたりも、ひとつの”セオリー(お約束)”として納得できませんか? …まあ、映画の見方はそれぞれですが、ぼくは断固この映画の味方です! 《追記》TV放映でまたもレビュ-数が増えたものの、悪評だらけ! TV版は見ていませんが、何だかあまりにクヤシイので、点数上げますっ!! 何度でも繰り返すけれど、無人島に犬猿の仲なカップルが流れ着くと言った、往年のコメディ映画のパターンを踏襲しながら、ここまでファニーで「おとなのおとぎ話」風にまとめた映画のセンスを、ぼくは高く高く買う。誰が何と言っても、買いまくるっ! ハリソン、コメディセンスあるやんけ! アン・ヘッシュ、米国版“プッツン”女優なれど、めちゃイケてるやんけ!9点(2003-10-14 11:55:03)(笑:1票)

196.  初春狸御殿 すでに『祇園囃子』と『赤線地帯』という溝口健二晩年の傑作で、すれっからしの現代っ娘ぶりを見せつけてくれた若尾文子が、なんと純情可憐なおぼこ娘と、ちょいとわがままだけど根はやっぱり純な姫君の二役を演じるなんて! しかも、どちらもその正体はタヌキ!! …まさに、見ているこちらが“化かされた(笑)”思いであります。でも、この奇天烈な「和製ミュージカル・コメディ(!)」の魅力の大半は、彼女の見事なカマトト演技と、市川雷蔵のこれまた呆れたくらいのバカ殿…もとい若殿ぶりにあること。さらにふたりを囲む芸達者な名優たちが、思う存分の怪演ぶりを見せてくれることにあるのは間違いないところでありませう。こ~んなにクダラナイ(失礼!)内容に、これだけの役者やスタッフが揃っているってことにも、「日本映画の黄金時代」だけに許された“贅沢さ”や“矜持”が感じられる。…やはりぼくたち映画ファンは、生まれる時代を間違えたのかもしれないなぁ。あと、これは余談だけど、映画の中に出て来るメス河童たちって…トップレス!? だったら、まさに小島功のマンガそのまんまやん♪ とっても気になります。艶っぽいです。いいねぇ~(笑)。7点(2004-05-14 21:12:26)(笑:1票)

197.  攻撃 何か日本じゃ評価の高い映画ではあるけど…ちょっとあまりに図式的に過ぎやしないか? アルドリッチのハッタリ満点なタッチは楽しめるけど、善悪はっきりし過ぎの軍隊批判映画って、かえってペラペラな印象を与えるんじゃないかねえ。50年代のアルドリッチ作品じゃ、やはり『キッスで殺せ』のワケ分かんないモノ凄さがベストでしょう。 《追記》↑での、【鱗歌】さんのレビューに、小生の見方の浅はかさを思い知らされた気がします。…確かにその通りですね。ただ、アルドリッチ監督の映画においていつもぼくが圧倒されるのは、時として類型的にすぎる登場人物たちが、「物語」や「主題」といったものをただ円滑に語るためだけの“道具”としてあるのじゃなく、むしろ人間の「欲望」だの「狂気」だのといった[本質]こそを浮き彫りにするための手段としてある…という点にだったんです。その時、彼なり彼女なりは、ドラマの中の人物という立場を超えて、人間の「心の闇(ダークサイド)」そのものを具現化した存在となっている。が、そんな「闇」を凝視しながらも、一方で、そんな人間を決して否定せず、むしろ「闇」を抱えているからこそ「光(=崇高さ)」を求めずにはいないのだ…と断言する。抽象的な言い回しで申し訳ないのですが、まさにそういった部分が、ぼくにとっての「アルドリッチ作品」なんです。しかし、この『攻撃』は、そんな「理想的」アルドリッチ作品に見えて、どうしても山本薩夫(!)監督作品のような、単なる類型性や教条主義ばかりが眼について仕方がないという…。いずれにしろ、ぼくはこの映画をもう一度あらためて見直さなければなりませんね。6点(2003-09-16 16:09:55)(良:1票)

198.  血のバケツ 《ネタバレ》 “壁の中の黒猫”にはじまって、死体を彫刻の材料にするという『肉の蝋人形』の趣向をひとひねりし、当時の流行だったビートニクの芸術家かぶれを皮肉るという、まさに安直というか、適当にデッチ上げられた感はまぬがれない(実際、使い回しのセットを用いて、しかも撮影期間はたったの5日!)。けれど、芸術家たちのたまり場となっているカフェの、さり気なく飾られた絵画やオブジェはシロウト眼にもそれっぽく、意外にも“良い趣味”をしているのだ。 プロデューサーとしてのロジャー・コーマンはとにかく“ケチ”で有名らしい。が、少なくとも自分の監督作においては、どんなに低予算であろうと美術や小道具だけは周到に作り込まれている。どうやら監督としてのコーマンは、どんなストーリーや演技よりも、その「背景」こそ重要なのだと考えている。後はそこに人物を置くだけで、ストーリーは勝手に動き出す・・・と。実際この映画でも、少し頭の弱い主人公がいかに芸術家にあこがれ、偶然の事故からとはいえ“殺人彫刻(!)”にのめり込んでいったかを、彼が働く前述のカフェと、住まいである貧しいアパートの部屋の2ヵ所のセットだけで、きわめて説得的に浮かび上がらせているのだ。 加えて、殺人現場では直接的な描写を避け、次の場面で“彫刻”という形で「死体」を見せるという絶妙のソフィスティケーション! しかもこれが、ブラックな笑いに結びつくあたりも心憎いじゃないか。主人公の異常さにではなく、むしろ人間らしい“弱さ”に注目するこのスリラー・コメディは、初期作品の頃からロジャー・コーマンが実はいかに優れた「演出家」であるかを雄弁に語るものだと思う。 ・・・しかし、すべての発端となった、あの“ナイフが刺さった猫”の彫刻。何だか妙にカワイイです(笑)[DVD(字幕)] 9点(2010-05-26 17:52:48)(良:1票) 《改行有》

199.  ダーティハリー2 あきらかに主人公のハリー・キャラハンよりも、法の網をかいくぐる悪党をブチ殺して回る”必殺仕置き人”の白バイ警官グループの方にこそ肩入れしているあたり、さすが「武闘派右翼(?)」ジョン・ミリアスの脚本。もう1人、マイケル・チミノも脚本としてクレジットされているけど、たぶん、いつもながらに皮肉なユーモアたっぷりなハリーの台詞とかのリライト程度だったんじゃないかな。それくらい、この作品にはミリアス臭がプンプンする。もっとも、『1』ではあくまで法や警察という枠からハミ出してまで悪を倒す一匹狼ぶりゆえに「ダーティ」だったハリーが、今回は、はからずも”体制側”に立ってしまうあたりのパラドックスが、ちょっと不満かな。ドン・シーゲルの圧倒的な迫力あるタッチには比べるべくもないけど、TVの演出家だったテッド・ポスト監督も健闘。もちろん、現場じゃイーストウッドが仕切っていたんだろうけどね。7点(2003-10-31 16:24:36)(良:1票)

200.  世紀の怪物/タランチュラの襲撃 実は、クモがこの世で最も恐ろしいんです。だから、最初の方で、研究所のモニターか何かにクモの大きなシルエットが映し出されたときには卒倒しそうになりました…。じゃ、何でそこまでして見たのかって? だって、若き日のイーストウッドが出演していると聞いたもんだから…。でもそのイーストウッドが、ラスト近くでようやく登場したと思ったら、ずっと酸素ボンベみたいなもので顔を覆ったままだなんて(あのパイロットが彼だと知ったのは、呆然と見終わってからだった)。…今までに最も苦痛を伴った映画鑑賞を、どうもありがとう(涙)。とにかく、本物のタランチュラを合成した本作は、世の”アラクノフォビア(クモ恐怖症)”にとって永遠の「No1ホラー」のひとつでありましょう。 《追記》その後、“最恐のクモ映画”の座を『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』に譲ることになったものの(いい歳して、マジでチビリそうになった…)、今思い返してもなかなかのSFホラーだったんじゃないかなぁ。「巨大クモが砂漠に現れ、街を襲う寸前にジェット戦闘機のナパーム弾に焼き殺される」とひと言で要約できる単純なストーリーを、フラッシュバックによる過去のシーンと現在を巧みに組み合わせた語り口が、見事にサスペンスを持続させていたっけ。二度と見たくない、でも見直してみたい1本であります。7点(2003-11-27 16:16:59)(笑:1票)


Copyright(C) 1997-2024 JTNEWS