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プロフィール
コメント数 731
性別
自己紹介 奥さんと長男との3人家族。ただの映画好きオヤジです。

好きな映画はジョン・フォードのすべての映画です。

どうぞよろしくお願いします。


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人生いろいろ、映画もいろいろ。みんなちがって、みんないい。


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241.  ココニイルコト この映画、大好き。『はつ恋』の脚本でも、あの「シェ~ッ」の使い方の巧さに唸らされたものだったけど、本作でも、あのラストの「真昼の星」には「おおっ!」と感動させられましたよ、長澤カントク。どこか韓国映画『八月のクリスマス』にダブるところもあるんですが、これはこれで実によく出来た佳作。真中瞳のダウナーなヒロイン像も、堺雅人の「いいひと」っぷりも(あの大阪弁だけは、こそばゆくなったけど)、実にハマッてました。…ああ、また見たくなってきた!8点(2003-10-18 16:03:17)(良:1票)

242.  愛のコリーダ 日本による中国侵略という時代背景が、なぜこの映画の中で強調されるのか。あるいは大島渚は、男(=吉蔵)を大日本帝国の、女(=阿部定)を中国のメタファー(!)として見ていたんじゃあるまいか。男=日本は、女=中国を侵略(強姦!)し、植民地とする。だが、支配していく中で、男は女の果てしない性欲の前に疲弊し(中国の長征だ…)遂には敗北していく…。そういった性=政治的な視点が、この映画を極めてラディカルかつ崇高な”女性賛歌”に仕立て上げたのだと、小生は信じとります。…にしても、藤竜也、真冬の場面であの真っ黒に日焼けした肌にビキニパンツの跡は、アカンやろ…(苦笑)。10点(2003-05-20 11:41:59)(笑:1票)

243.  旅の重さ ひとりの女子高生が、ある夏、四国巡礼の旅に出る…と言うか、家出する。そして彼女が出会い、体験する人々とのあれこれを描いて、これがもう全編に詩と現実がせめぎあい、溶け合う、本当に「美しい」日本製ロードムービーの傑作でした。主演の高橋洋子が実に初々しく、途中の旅芸人一座とのエピソードではヌード&レズシーンまで演じてしまうのだけど、これがハッとさせられるものの少しもいやらしくない。むせ返るような緑したたる四国の夏が、画面からも感じられるようなオールロケの映像は、10代の少女が見た・感じた・記憶した心象風景をヴィヴィッドに捉えています。そこに被る吉田拓郎の音楽も、単なるBGMじゃない画面とのコラボレーションとして、見事に渡り合っている。監督の斉藤耕一は、この年、もう1本『約束』という”冬”の映画を撮っていますが、対照的なこの2本の傑作を作りあげただけでも、彼の名は永遠です。10点(2003-11-25 13:45:38)(良:1票)

244.  黄線地帯 石井輝男カントクの映画に漂う、あの一種独特の“いかがわしさ”。犯罪活劇であろうが、エロ・グロものであろうが、この人が撮るとどこか怪しく(=妖しく)、うさん臭い、英語でいう“ビザール”という語がピッタリなものになるんである。 それは、どこか「見世物」小屋風の味わいと言ったらいいだろうか。おどろおどろしい看板と口上で見物客を呼び込み、たいていはコケオドシや安っぽい出し物にすぎないのだけど、何故か惹き付けられてしまう。あの奇妙に「官能的(!)」ですらある(今やノスタルジーの対象でしかない)縁日の見世物小屋こそ、石井ワールドに最も近しいものではあるまいか。 倒産寸前の頃の新東宝で脚本・監督した本作。アラン・ドロンの『サムライ』を先取りしたかのようなニヒルでストイックな殺し屋(天知茂)が、依頼主に裏切られ、その復讐のため偶然出会ったダンサーを人質に神戸へと向かう。セットで造られた、ほとんどカスバのような無国籍的「神戸」には、これまた日本人ばなれした怪人物やら、明らかに白人女性の顏を黒く塗った「黒人女」やら、「ババァじゃないよ、マダムと呼びなっ!」と凄む安ホテルの女主人やらがゾロゾロご登場。…この、どこまでもバタ臭く、戦前のフランス映画(中でも、デュヴィヴィエの『望郷』だろう)を気どった暗黒街ドラマは、あたかも味噌汁を「ブイヤベース」だと言われて飲まされたような(?)トホホ感に満ち満ちているのだ(きっと、少し意地の悪い観客なら「失笑」の連続でありましょう。確かに、滑稽ではあるし…)。 しかしこの、すべてにチープでキッチュ(まがい物)ないかがわしい「フランス犯罪映画もどき」には、天真爛漫なコケットリーを見事に体現したダンサー役の三原葉子の素晴らしさを筆頭に、不思議な「愛嬌」にあふれている。そして、作り手たちの「本気」が確かに伝わってくる。見世物小屋で「生きた本物の人魚」を見たら、ただの水着を着たオバサンだった(笑)…という風のインチキみたいな作品だけれど、その涙ぐましい「サ-ビス精神」だけは、どんなにエライ監督の映画やそこいらの「A級」大作なんぞより持ってるぜ! という心意気がほとばしっている。 そんな作品を前に、映画ファンなら誰が愛さずにいられようか。8点(2004-06-15 17:33:47)(良:1票) 《改行有》

245.  カウボーイ&エイリアン 《ネタバレ》 アメリカでも日本でも評判は芳しからず、興行成績も今ひとつだったらしいけれど、そこまでヒドイ映画じゃないだろう・・・と、映画館で見て以来、久々に再確認。 正体不明の流れ者(ダニエル・クレイグ)が西部の小さな町に現れ、そこでハリソン・フォード演じる強権的な牧場主(『赤い河』のジョン・ウエイン!)や愛妻家の酒場の経営者兼バーテンダー(『リオ・ブラボー』!)、主人公の怪我を治療する酒飲みの牧師(『駅馬車』のトーマス・ミッチェル!)などがからみ、少年と犬も重要な役回りで登場する(とは、もちろん『シェーン』!)。 やがて彼らは、共通の敵に誘拐された愛する者たちを奪還する旅に出るのだが(『捜索者』!)、かつてなら「インディアン」と相場が決まっていた“共通の敵”が、ここでは凶悪な「異星人」だった、という次第。 他にも、記憶を失っていた主人公が、実は悪党集団のリーダーだったことがわかるあたりは『ワイルド・バンチ』(むしろ『明日に向かって撃て』か?)だし、非情な権力者に思えた牧場主が、雇っていたインディアン青年や身寄りのない男の子にみせる情愛など「古き良き西部劇」そのものの味わいだ。しかも町の保安官を演じるのは、『駅馬車』に出演したジョン・キャラダインの息子である、あのキース・キャラダインだ。 そう、この『カウボーイ&エイリアン』がめざそうとしているのは、徹底して「西部劇」そのものなのである。イーストウッドの『許されざる者』などとは違ったかたちで、かつて最もアメリカ映画らしいジャンルだった西部劇を、「娯楽大作」としてあらためて蘇らせること。その時、CGなど最新の映像技術を駆使した「SF映画」としての体裁は、西部劇の魅力を知らない現代の観客に対する、一種の“ギミック”としてあったのである(・・・あれほど高度な科学技術を持ったエイリアンたちが、どうして単純かつ凶暴で、しかも武器ではなく“素手(!)”で人間たちと戦うのか? だが、所詮アイツらはここで「黄金」に目のない『ワイルド・バンチ』のマパッチ将軍一味と、同じレベルの“悪党”でしかないのだ)。 そういった作り手たちの想いというか“心意気”を、ぼくは深い共感とともに受けとめる。ただひとつ残念だとすれば、せっかく脚本にスティーヴ・オーデカークが関わっていながら、この映画には意外にもほとんどまったく「ユーモア」がないことだろう。[DVD(字幕)] 7点(2014-10-22 12:19:30)(良:1票) 《改行有》

246.  マイケル そう言えば、『フィールド・オブ・ドリームス』の中で、「ここは天国か?」「いや、アイオワさ」という台詞があったなあ。アイオワじゃ、トラボルタみたいな天使がたばこ吸ってても全然おかしくないって感じが、とてもよく伝わってくる。…って、随分前に見たんで、主人公たちが向かう先がアイオワだったか、ちょっと自信ないのですが。でもまあ、どうであれ、この作品自体が”天使的幸福感”に包まれてるよね。うん、好きです。8点(2003-09-26 15:25:34)(良:1票)

247.  バッドボーイズ2バッド 映画を見ている最中に、つい別の映画を連想してしまうってことは、正直あまり感心した見方じゃない。それはそうなんだけど、ここまであからさまに『リーサル・ウェポン』シリーズの設定をパクり、ジャッキー・チェン『ポリス・ストーリー』のクライマックスシーンをパクり、あの映画この映画からパクりまくって、それを芸もなくただ派手につなげただけののこシロモノは、「ああ、ここはアレか」とか「ケッ、これってアレじゃん」とか連想していかないことには、とてもまともに見通せない。唯一の救いは、ウィル・スミスとマーティン・ローレンスというスターの魅力だけど…。でも、映画館は結構アツイ雰囲気で、何だか自分がスレッカラシの嫌味な映画マニアみたいな、実にイヤ~な気分にさせられたです。やれやれ。だからこの作品をはじめ、ジェリー・ブラッカイマーとマイケル・ベイ監督のコンビ作は、「映画」というより「イベント商品」として、あるいはテーマパークのアトラクションみたいなものとして接するべきなんだろうな。そう言った「商品」的価値を認めるのにやぶさかでないものの、それでもやはりこの作品には、おのれがパクッた映画に対しての敬意も愛も仁義も感じられない。許せない!3点(2003-12-02 19:17:40)(笑:1票)

248.  きんぽうげ 最初にお断りしておきますが、本作は、欧米じゃあ公開当時酷評の嵐で、その後もビデオ化すらされていない(おそらく…)完全に忘れ去られ「呪われた」作品です。確かにこれは、観客を選ぶというか、誰にも受け入れられる類の映画じゃない。愛しあいながらも素直に相手と向き合えないいとこ同士が、かれらの身近な人々を、結果的に不幸へと陥れてしまう。そういった男女4人の破滅的なラブストーリーは、あまりに自己中心的な主人公たちの姿ゆえ怒りを覚える向きがあるかも。…ただ、この映画はそういった誰をも否定しない。ただ彼らと一緒に笑い、泣き、苦悩し、祈るといった、ひとりひとりへの純粋無垢な慈愛の眼差しに満ち満ちている。時にはそのあまりのナイーブさ(この語の持つ肯定的な意味も否定的な意味も含めた上で)に、見ているこちらが照れてしまうほどの…。そんな”天使的眼差し(!)”が、この映画を、少なくともぼくのような者にとっては、稀有な、忘れ難いものにするんです。いとこのひとりを演じるジェーン・アシャーは、もう1本『早春』というこちらも強烈なインパクトのある青春映画の傑作があって、うぶな少年を狂わせる美しいファム・ファタルを演じています。どこかの映画会社で、彼女主演のこの2本をリバイバルしてくれないものでしょうか…。10点(2003-11-04 12:45:22)(良:1票)

249.  動くな、死ね、甦れ! 《ネタバレ》 何と言ったらいいのか…とにかく、とてもひと言ではコメントしようのない映画です。どうやら第2次大戦後間もない、シベリアに近いド田舎の小さな町に生きる悪ガキと、そのガールフレンドが主人公。ふたりの生きる日常が、リアルに、時にはシュールに、脈絡もなく描かれる。特に男の子の、鬱屈した心情や突拍子もない悪戯(便所をあふれさせたり、果ては機関車を脱線させてしまう!)は、実に生々しく、見ているぼくたちもいつしか彼と一緒になって「日常という名の冒険」を続けているよう(どこかの評論家が「まるでトリュフォー監督の『大人は判ってくれない』のアントワーヌ・ドワメルのようだ」と、言ってたっけ。ほんと、そんな感じです)。劇中、おそらくシベリア抑留中の日本兵が歌う”民謡”が突然聴こえてきたり、とにかくハッとしたり、おおっと唸らされたりする瞬間の連続なんです。その最たるものが、ラストシーンでしょう。まんまと大人たちを出し抜いてカネをせしめたふたりが、残忍な仕打ちを受ける。そしてその変わり果てた姿に気がふれた母親は、全裸になってほうきに跨がり、往来を駆け巡り続ける…。このあまりに残酷で、痛ましい結末は、正直トラウマになります。もう、記憶に焼き付いて消えてくれない。しかし、それ以上に、あらゆるシーンが驚くほどの詩情、「苛酷な詩(=死)の気配」に満ち満ちている。おそろしく口当たりの悪い作品であることは確かだけど、覚悟(?)してでも見る価値があると断言しておきましょう。 9点(2003-11-14 13:28:40)(良:1票)

250.  火星探検 《ネタバレ》 冒頭、月着陸を計画した博士や宇宙飛行士たちの記者会見の模様が延々と続き、これがやたら長い。いいかげん観客が焦れてくる頃、ようやくアタフタと出発(笑)。しかし航行中、燃料の計算ミスで推進力が低下したとかで、今度は紙に鉛筆(!)で受験生みたく延々と計算し直す場面が続くんである。その挙げ句、突然の加速(またも計算間違いで?)宇宙船は軌道をはずれ、失神した乗組員とともに月ではなく火星に到達。ううむ、いったい彼らはどれだけの時間気を失っていたんだ? ・・・まったく、隕石群の飛来とか、核戦争の末に退化したらしい火星人の襲撃などといった見せ場より、この映画はそういった地味な(そしていささかおマヌケな)場面にこそ焦点を当てているかのようだ。 1950年代のアメリカ映画にあって、特にこの手の「B級」(とはいえ本作、赤狩りの当事者ゆえノン・クレジットだが脚本にダルトン・トランボ! 撮影監督や音楽にも驚くべき名前がクレジットされている)SFは、宇宙人や怪物たち(とは、冷戦と「共産主義者」の暗喩的存在だ)とのヒロイックな戦いを描き、無邪気なまでに「自由主義」礼賛を謳いあげたものだった。けれど一見「おバカ映画」な本作は、そういったプリミティヴな「思想的偏向」ではなく、実のところ極めて屈折したかたちで「愛」を描こうとする。というかこれは、オザ・マッセン演じる女性科学者こそを主人公とした「女性映画」、一種の『ニノチカ』の変奏(!)として見るべき作品なのだと思う。 ロイド・ブリッジスの好意にも冷ややかだった“科学がすべて”である彼女が、いかにして「女性」としての自己を取り戻し、「愛」の言葉を口にするかーー。それを、ルビッチ作品のような諧謔とフモール(ユーモア)ではなく、これも「ドイツ的」といえなくもない生真面目さとともに、「宇宙冒険もの」というカテゴリーにしのび込ませる。しかも、彼女が「愛することの歓び」に目覚めると同時に悲劇が訪れるという、驚くべき〈運命愛〉的な結末・・・。 おいおい冗談だろ、と申すなかれ。この名もないドイツ出身監督による低予算SF映画は、間違いなくもうひとつの「別の物語」を語っている。それが「ルビッチ」という“偉大なドイツ出身監督”の作品を想起させてくれただけでも、少なくともぼくにとって、実に刺激的な映画体験をもたらしてくれたのだった。 [DVD(字幕)] 7点(2008-05-19 11:56:59)(良:1票) 《改行有》

251.  クロッシング・ガード こういう映画を本当に「美しい」というのだ。幼い娘を飲酒運転でひき殺した男が、その復讐を果たそうとする父親(ジャック・ニコルソン)に言う。「事故の直後、その子はこう言ったんだ。『私が悪かっったんです。おじさん、ごめんなさい』と。…」こういう台詞に何も感じない人間は、映画はもちろん、人生からも見放されているに違いない。『アバウト・シュミット』のジャック・ニコルソンを”準備”したのはこの映画だったことが、あらためて思い知らされる傑作。ショーン・ペンは、役者として以上に圧倒的にすぐれた「映画作家」として、アメリカ映画の偉大な精神を継承しつつある。9点(2003-09-29 15:57:41)(良:1票)

252.  OUT(2002) 勢いに乗っている監督ならではの、”熱気”を感じさせてくれます。何より主演女優それぞれに存分な芝居をさせ、それを1本の作品に束ねていくあたりの手腕こそ、平山監督の真骨頂。女たちによるハードボイルドとして、個人的には『愛を乞うひと』よりも好きだな。ただ、佐竹のキャラクターだけは、あまりに薄っぺらなのではないでしょうか。一種の”ターミネーター”に仕立てたかったにしても、もうちょっとこの悪党の背景を描き込んでほしかった。間寛平がガンバってたんで、余計に惜しいです。8点(2003-06-11 17:39:43)(良:1票)

253.  パッチギ! LOVE&PEACE 《ネタバレ》 ここでは3世代にわたっての、とある「在日」一家の生きるーーというか、“生き抜く”姿が描かれている。祖父の世代は苛酷な戦火のなかを、泥と血にまみれながら。二・三世である父母とその子供たちは、貧困と差別のなかを。そして四世となる男の子は、不治の病に対して。彼らはそれぞれの逆境を、時にのろい、時に怒り、時に嘆き傷つきながら、それでも生き抜こうとするのだ。 もちろん、彼らをそういった状況に追い込み、追いつめたのが日本という国家であり、その国民であることを、映画は真正面から描くだろう。けれど映画のなかの一家は、そんなことを告発や断罪する前に、とにかく必死に生きる、懸命に生きる。その姿を前にする時、「日本人」たちの何と卑小でみじめなことだろう・・・! そこでは藤井隆扮する「良い日本人」ですら、どこまでもひ弱で無力な存在でしかない(もっとも、彼は彼なりにーー愛ゆえに?--「意地」を通すのだけれど)。たぶん、彼らは我々にこう言うだろう。差別するなり反省するなり勝手にやってろ! と。 前作『パッチギ!』では、そういった「生」のエネルギーのほとばしりを高校生たちの群像ドラマに託しつつ、一方でそれを「在日」という言葉(=観念)に収斂させてしまうことで実に「上質」な(ということは、「映画賞の取れる」ような!)作品を撮りあげた井筒監督ら作り手たち。だが今回は、「政治」だの「歴史」だのといった観念性をブッちぎり、映画としての体裁すらブッこわしてまでも、主人公とその家族の「生」を、それだけを映像におさめようとした。そしてそれは、見事に成功したといえるだろう。何故なら、前作とうって変わってのこの「低評価」こそがその証じゃないか! だが、これでいいのだ。映画が「生きるもの」たちの姿を、その輝きこそを映し撮るものだとするなら、これこそが正真正銘の「映画」そのものなのだから。 ・・・映画の最後、難病の男の子が、自転車にはじめて乗ることに成功する。彼は助からないかもしれない。しかし、それでもやっぱり生き抜こうとしている。その姿にふたたび家族がひとつになる。 何て美しい光景だろう。[映画館(邦画)] 10点(2009-03-31 17:30:36)(良:1票) 《改行有》

254.  パトリオット 勧善懲悪という「分かりやすさ」を、こういった史実に基づく歴史映画に導入すると、どうしても作品自体が薄っぺらなものに感じられてしまう。だから当然避けなければいけなかったはずなのに、どうやら本作の作り手たちは、その愚を犯し、英国側をあまりに単純な”悪役”にしてしまった…。そのあたりが、この作品のいまひとつ評価が低い最大の理由じゃないでしょうか。ただ、そういった「歴史」的背景を重視した《叙事詩》としてではなく、監督のエメリッヒは、これをあくまで「情」の映画として、つまりは《叙情詩》として作ろうとしたんじゃないか。時代や運命に翻弄される人間たちの喜びや悲しみ、怒り、祈り、そして勇気…といった、感情こそをすくい取ろうとしたようにぼくには見えました。だから、確かに題名からして「アメリカ建国史」を謳い、戦闘シーンも大掛かりな大作ではあるけれど、これは言葉の正しい意味での「メロドラマ」なのでしょう。そして、ぼくはこのメロドラマを実に美しい、素晴らしい作品だと信じます。何故なら、作り手たちが目ざした通り、ここには豊かな感情の機微が全編にわたって息づいているから。…ローランド・エメリッヒの作る映画=おバカ映画という短絡的な見方は、そろそろやめにしませんか?8点(2003-11-21 13:47:37)(良:1票)

255.  ピースメーカー 映画の後半、マンハッタンのど真ん中で爆破させるため核弾頭を持った男を、警察の狙撃手がビルの屋上から狙う。が、男の手前で、子どもを肩車した男がさえぎって発砲できない。その旨を無線で聞いたジョージ・クルーニーとニコール・キッドマンは、同じように「早く撃て!」と叫ぶ。再び、ライフルの望遠スコープを覗く狙撃手。大写しになる子どもの笑顔…。本来が正義の側に入るはずのヒーローとヒロインが、一人の子どもの死を顧みることなく核弾頭の爆発を防ぐことのほうを選択する。つまり、彼らはここで「アメリカ」という”国家”の立場にあることを図らずもも暴露している。ここまで、シビアに「ヒーロー」の実態をさらけ出した(しかも「娯楽アクション大作」で!)アメリカ映画なんて、なかったのでは。結果、カタルシスのないほろ苦い後味が残ることとなったけれど、観客をバカにしている(というか、バカになるようしむけている?)映画ばかりが横行する昨今、こうした志の高い映画は、とても貴重だと思う。ぜひ見てください。8点(2003-06-02 13:24:19)(良:1票)

256.  恋人までの距離(ディスタンス) 旅先の列車の中で知り合った男女が、1日中とりとめのないおしゃべりを続け、別れて(?)いく。ただそれだけのストーリーなのに、見終わった後の至福感ときたら…! 多分に実験的なスタイルの作品なんだけど、それ以上にピュアな感情と、スマートな知性に溢れていて、ホントこれは小さな大傑作じゃないでしょうか。主演のふたり、イーサン・ホークもジュリー・デルピーもいい。イーサンは、ユマ・サーマンよりもデルピーの方が実生活でもパートナーがお似合いなんじゃないか…そう思わせるリアリティが、このカップルにはあったもの。10点(2003-10-18 14:07:40)(良:1票)

257.  ボビー・フィッシャーを探して 《ネタバレ》 驚き。これって相当な傑作じゃないですか! ”もう1人のボビー・フィッシャー”である心優しい天才チェス少年とその周囲の人々を、描き込むんじゃなく、その日常の一瞬一瞬をスケッチしていくような展開が、まるで美しい「詩」を読むよう。それでいて、少年の心の機微が、ヴィヴィッドに伝わってくる。ステーブン・ザイリアンって、『シンドラーのリスト』とかの脚本家だった人だよね。ぜひまた監督作品を手掛けてほしい、そう思わずにはいられない映像感覚の持ち主だ。少なくとも、今のスピルバーグなんてめじゃないよ。 《追記》最近見直す機会があったんで、あらためて思ったことを書き加えておきたい。先に“美しい「詩」を読むよう”と書いたけれど、それはこの映画が、主人公の少年の日常風景と心象風景というふたつの“風景”を、ただ丁寧に切り取っていくことから産まれたものだ。公園の木漏れ日、雨にぬれる感触、夏の日射しや秋の肌寒さ、チェス会場の空気感、何よりもチェスの駒の音…。そういった感覚的なディテールを、まるで今まで見たことも感じたこともなかったもののような新鮮さとともに見つめていく。そしてぼくたち観客も、同じくこのありふれた日常のひとコマひとコマを、つまりはこの「世界」そのものを再発見していくことの感動に満たされるのだ。こういう体験は、滅多にできるもんじゃない。ましてやアメリカ映画で、「少年の成長」だの「家族愛」だのといった〈物語〉のパターンに回収されることのない作品が創られたことが、ぼくにはうれしいことだった。…今は日本で拘束中(2004.9.2現在)だという現実のボビー・フィッシャーも、この映画を見たんだろうか。そして、どう感じたことだろう。 《追々記》最近、よくこの映画を再見しています。クライマックスの決勝戦で、勝利ではなく、むしろ「引き分け」を望む主人公の少年。それを“偽善”や“勝者の傲慢”ととる向きがあるかもしれない。けれど、その「相手を思いやること」を知っている少年の姿(しかも彼が、“勝者を義務づけられた国”の少年であることを思い起こそう)は、ぼくという観客に何か〈救い〉めいた感動を与えてくれるものです。だから感謝を込めて、9→10ということで。本当に「美しい」映画です。[映画館(字幕)] 10点(2003-09-25 14:49:56)(良:1票) 《改行有》

258.  暗殺者 この映画は小生にとって、あくまで監督リチャード・ドナーと脚本ブライアン・ヘルゲランドの初コラボレーション作品という意味で、特別な存在なのです。ウォシャウスキー兄弟? 彼らのオリジナル・シナリオがあまりに(オタク的に?)つまらない代物だったんで、ヘルゲランドがリライト役に引っ張りだされたんでしょ。ついでにいうとこの兄弟の作品は『バウンド』にしろ『マトリックス』シリーズにしろ、内輪受け狙いがミエミエでどうも好きになれない(まあ、人類総オタク化の現在じゃ、それでいいんだろうけど…)。ほとんど鈴木清順の『殺しの烙印』(!)と同じプロットのなかに、ひねったユーモアとロマンチシズムを盛り込んだ内容は、昨今のテーマパークのアトラクションじみた映画の隆盛にあって突出して「映画」そのものの味わいをかもしだしている。あの消音器付きの銃での撃ち合いシーンなんて、たまらなくシュールだったじゃないですか。ああいう奇妙な味わいこそを評価してあげなくっちゃ。皆さんがどうおっしゃろうと、小生はこの映画を断固支持しますっ!10点(2003-05-26 11:41:21)(良:1票)

259.  リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い 試写会でひと足お先に拝見。一見すると『Xメン』の亜流めいた”超人大集合”ものなれど、19世紀を代表する面々が、「大量破壊と殺戮」の20世紀を象徴する悪と対決する図式にまず感心。なかなかにインテリジェントじゃないですか。それぞれのキャラも、きちんと読者を納得させてくれるデティールが配され、満足満足(特にネモ船長はナミダものです!)。これで監督に、もうちっと19世紀的エレガンスに長けていたなら、もっと良かったんだけどね。まあ、文句なしに楽しめますから文句なし!(…って、同語反復でした)7点(2003-09-16 15:22:07)(良:1票)

260.  ロケッティア ノーテンキなおふざけ冒険ファンタジーのようで、実は海賊映画やスパイ活劇、西洋チャンバラ(?)映画など、往年のハリウッド映画へのオマージュに満ちた、実に実に愛すべき映画。特に、あの伝説の人物ハワード・ヒューズをかくも魅力的に登場させたあたりに、作り手たちの「映画愛」を感じさせてくれる。どこか宮崎駿の『天空の城ラピュタ』に通じるセンスも、なかなかだしね。昔は良かった、的な回顧趣味が鼻につく向きもあるでしょうけど、ぼくはこの映画が大好きです。《追記》うわっ、点数低い~っ! そこまでツマンナイ映画じゃない、と思うんすけどねぇ…。監督のジョー・ジョンストンは、その後撮ることになる『遠い空の向こうに』や、ロボットのデザインを担当した『アイアン・ジャイアント』にも通じる、どこかなつかしい“温もり”がその映画から感じられる。逆にそれがウザかったり、今っぽくないと思われるのかも知れないけれど、CG画面に「人間味」を与えられる彼の存在は、だからこそ現在のアメリカ映画にあってとても貴重なんじゃないか…? と、小さな抗議を込めて8→10に変更しますです。ジェニファー・コネリーだって、ほんとカワユイんだけどなぁ。[映画館(字幕)] 10点(2003-06-11 15:47:28)(良:1票)


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