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Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 1305
性別 男性
ブログのURL //www.jtnews.jp/blog/20066/
ホームページ http://w.livedoor.jp/mushokamondai/
年齢 51歳
メールアドレス gurugurian@hotmail.com
自己紹介 ♪わたしの小さい時 ママにききました

 美しい娘に なれるでしょうか

 ケ・セラ・セラ なるようになるわ

 さきのことなど わからない


 大人になってから あの人にききました

 毎日が幸福に なれるでしょうか

 ケ・セラ・セラ なるようになるさ
 
 さきのことなど わからない


 子供が出来たら そのベビーがききます

 美しい娘に なれるでしょうか

 ケ・セラ・セラ なるようになるわ
 
 さきのことなど わからない ケ・セラ・セラ~


(2010.4.16記)


現在、ダイエットちう。腹筋、割れてるでー。




力を入れると。

(2011.8.28記)


↑ホームページのリンクを「朝鮮学校無償化問題FAQ」に張り替えました。特に「パッチギ!」ファンは、見てね。




これからもよろすく。





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61.  愚か者の船 (林家こん平風に)アッシにゃあ、むつかしいコト(↓)はよく分かりませんが、面白かったすよ。群像劇って登場人物を把握するのが大変でちょっと苦手なんですけど、ストーリーが進行するに従って、各人物の背景が少しずつ明らかになる過程がとてもスリリングでやんした。しかも1933年という時代設定の中、冒頭に登場する小人症の男や、やや陰のある船医、反ユダヤ主義の好色なジャーナリスト(だっけ?)などなど、ここに書ききれない程の登場人物達が織り成す豊かな人間模様は、まるで深みのある極上ワインを味わうようでごんす(飲んだことないけど)。個人的には、海に落ちた犬を救おうとして命を落とした貧しい彫刻家のエピソードが好きっす。8点(2004-02-15 22:10:09)(良:2票)

62.  くりいむレモン いやあ、この映画の話を初めて聞いた時はビックリした。別に「くりいむレモン」の実写化というだけなら驚くにはあたらないけれど、監督が山下敦弘って・・・山下監督といえば独特の「間」を活用して、日常生活のどーしようもないしょっぱさやいたたまれなさをユーモアたっぷりに描いていた人よ?っていうかこれの前の作品はつげ義春原作よ?その人が美少女アニメ(というより、男子の自己中心的・ご都合主義的妄想系ロリコンエロアニメ。観てないけど、多分間違ってないと思う)って、これは例えば「岩井俊二が『嗚呼!花の応援団』を実写化」とか「サム・ライミが『サザエさん』を実写化」とか「井筒監督が『みゆき』を実写化(・・・あ、これはホントにあったんだった)」とか、そのくらいのギャップのある組み合わせ。これはとんでもない怪作になるか、あるいは奇跡的なケミストリーが起きるかどっちかだろう、と思っていたら・・・意外と手堅くまとまってました。一言で言うと古き良きロマンポルノのドラマ部分を丁寧に、その分露出を抑えて作った感じ。真面目に考えると、物心がつく前から一緒に住んでいた血の繋がらない兄妹が男と女として意識し合うなら、もっと強い動機付けが必要なんじゃないの?と思ったりはするのですが、所々「山下テイスト」も入ってるし、ただの妄想エロ映画にはなってないかな(あ、でも「見えそで見えない」ところはある意味エロい)。まあキンシンソーカンものとして観るのではなく、障害が立ちはだかる恋をしてしまった若い男女のお話、として観れば違和感はないと思います。ラストシーンはなかなか素敵よ。7点(2004-11-26 18:32:48)(良:2票)

63.  ドッキリ・ボーイ/窓拭き大騒動 久々に「トーチソング・トリロジー」を見直そうと、行きつけのビデオ屋へ行った。コメディーの「た」行にて発見。これを「コメディー」に分類するビデオ屋のセンスに少々疑問を感じつつ、何気なく他の作品に目をやって・・・見つけてしまった。これを。こやつを。・・・誇張ではなく、30分は悩んだ・・・いかん、いかんぞ、ぐるぐる。君は、もう、いい大人じゃないか。「わが谷は緑なりき」を借りるつもりが「案山子男」を借りてしまった誰かさんと同じ轍を踏むのか。「他人のふり見て我がふり直せ」というではないか・・・・・・が、結局レンタルしてしまった。気の利いた替え歌が思い浮かばなかったので、とりあえず憂歌団の名曲「おそうじオバチャン」を口ずさみながら速攻帰宅→再生→約九十分後・・・・・・意外と、面白い。内容はほぼ題名から想像される通りではあるし、バカバカしい作品ではあるのだが、下手なコメディーなんぞよりよっぽど笑えるし、幸せな気分にさせてくれる。公開当時はいざ知らず、現在観ると、その性描写もいやらしいというより大らか、いやむしろ朗らかといってもいいかもしれない。何より可笑しいのが全編を通して流れる「♪パパパヤ~」な感じ(ニュアンスが伝わるだろうか?)の音楽。何という能天気さ。平和さ。そして、台詞の端々から感じられる、往年の映画に対するオマージュ(ホントかよ)。さすが、なるせたろうさんオススメの映画だけの事はあるのである。6点(2004-02-17 17:04:04)(笑:1票) (良:1票)

64.  トラック野郎 天下御免 うーん、澤井信一郎が脚本をやらなくなったからかどうかは分からないけれど、ちょっと話が強引になりすぎてる感じかなあ。他にもライバル・コリーダ役が「渡る世間は鬼ばかり」で泉ピン子と赤木春恵の板ばさみになってるおっちゃんでお馴染みの杉浦直樹だし、おまけにその乗っているトラックがトラックというより「ヤッターマン」の敵メカみたいだし、由美かおるが出てるのに入浴シーンがないし、第三のマドンナ(?)のマッハ文朱が色んな意味で天地真理だし、それまで定番だったトルコ風呂でのおねーさんたちの裸のサービスカットがなくなってるし(いや別に僕が見たかったわけではなくて僕はただ世の中のオトーサンたちを代弁してるだけです)・・・とか、文句がないわけではない。のだけれど、第二のマドンナの松原智恵子がアータ、可ぁ~愛いんだコレが。まるで生まれたてのバンビちゃんのような彼女を、夫に捨てられた薄幸の人妻役に据えるとは、真にベリーナイシーなキャスティングではあーりませんか。彼女が見られただけでワタクシはもぉ満足よ。それにしても松原智恵子と由美かおる、それにこの作品には出てないけど藤(富司)純子、この三人の女優さんってホンット昔っから年取んないよなあ・・・ひょっとして八百比丘尼?<2005.5.12追記>お詫びと訂正:文中の“「渡る世間は鬼ばかり」で泉ピン子と赤木春恵の板ばさみになっているおっちゃん”は、正しくは杉浦直樹ではなく、角野卓造でした。関係者の方々にお詫び申し上げます・・・だって、似てるんだもん、イメージ的に。[映画館(字幕)] 7点(2004-10-12 17:48:21)(良:2票)

65.  永遠<とわ>の語らい <はじめに:今回はレビューというより“鑑賞体験記”に近いです>今までオリヴェイラの作品は「家路」と「クレーヴの奥方」を観てたのだけど、正直言って「撮り方はユニークだけど、どこが良いのか分かんねえ」と思ってました。だからこの作品を観る前も「何だか凄いらしい」という評判は聞いていたものの期待と不安が入り混じっていたのです。んで冒頭、母娘が遺跡を巡りながら歴史について語るくだりあたりは「ふむふむ」とか思いながら、その特徴あるカメラワークの「意味」を探ろう、とかしてたのです。ところが中盤、マルコヴィッチ演じる客船の船長が三人の女性たちと「前代未聞で異様なやり方」で語り合う場面辺りからだんだん画面に引き寄せられていって・・・この感覚、口でうまく説明するのが難しいのだけれど・・・例えば、音楽って歌詞とメロディ(主旋律)だけでなく、それぞれの楽器やリズム、ひいては音そのものが渾然一体となって「音楽」になってるじゃないですか。それと同じく映画も、台詞とストーリーや役者の演技だけでなく映像の質感とかリズムが溶け合って、んで「映画」になると思うんですよ。で、この映画は正に「映画」そのものに魅了されてく感じというか・・・何だろな、こっちが理屈をこね回して「構えてた」のをゆっくり、優しくほぐされていく感じ。こういう言い方すると何だか超常体験みたいだけど(笑)、ホントそんな感じで最後までぐいぐい引っ張られて、最後まで見せられた(魅せられた)感じ。あんまりショックなんで続けてもう一回観てしまいました。何なんだ、この映像から匂い立つ豊穣な奥深さは!この映画、一応のテーマとしては「9.11以降の世界に対するヨーロッパからの真摯な“問いかけ”」てなことだと思うのだけど、個人的には「映画」そのものについて、言葉にできない無数の“問いかけ”をされたような、何とも不思議な映画体験でした。これはもう一度オリヴェイラ作品を見直さねば。凄えよ、オリヴェイラ爺さん、二百歳まで映画を撮り続けてくれい。9点(2005-01-28 18:37:21)(良:2票)

66.  スウィングガールズ 俺は、関口さんみたいな娘が好きだ。【ぐるぐる】さん 8点・・・・・・で、本当はレビュー終わりにしたいんだけど、そうゆう訳にもいかんな。えっと、「ウォーターボーイズ」を観た時は、嘘のつき方が中途半端に思えた(つまり、あんなに簡単にシンクロできるわけないじゃん、と思ってしまった)のだけれど、今回は嘘のつき方が(つまり話の展開)が豪快だったので(一度抜けた娘たちが時間軸を無視して楽器を購入し、演奏に加わるところとか)、素直に楽しいフィクションとして楽しめた。最後の演奏シーンで、拍手が表打ちから裏打ちになるとこが、良かったな~。自分も完全に聴衆の一人になってスウィングしちゃいました。それと、やっぱり関口さんが好きだ。8点(2004-11-10 19:10:35)(笑:2票)

67.  アメリカの影 あー、オホン。えと、もしもし、スティングさん?御熱弁の所、申し訳ないんですけど、あの、も少し、そこ、詰めてくれます?あ、どもども。すんませんねぇ、ケツ、デカイもんで。はぁどっこら、しょっと、ふぃ~~~。・・・・・・ん?何でそんな目で見るんですかぁ・・・何しに来たって?んなもん、レビューしに来たに決まってるじゃあ~りませんかっ!分かってますよ、「アメリカの影」でしょう?カサヴェテスでしょう?観てますよ,ちゃんと。そりゃあ、ビデオでだけど・・・しょーがないでしょが、ウチの近くには名画座なんて気の利いたモンはないんです!え、何逆ギレしてんだって?いつになったらレビュー始めるんだって?分ぁかってますよ!僕だってこんな小芝居で終わらそうなんて思ってませんよう!・・・・・・というわけで、えー、レビュー、始めさせて頂きます。 即興演出のせいか、奔放なカメラワークのせいか、はたまたチャーリー・ミンガスのジャジーな音楽のせいか、独特の緊張感、スリル、生々しさに溢れていて、凄くセクシーな映画だと思います(せくしーっつっても別にえっちな場面とかはないけど)。そのせいであんまり古い映画って感じがしないんですよね。尚且つ、これは撮り方のせいもあるのかもしれないけれど、役者さんが、特に「まなざし」が印象的。兄ヒューの弟妹を見る時の温かなまなざし、あるいは妹レリアの一見快活だけどどこか冷ややかなまなざし。それに弟ベニーの、まるで減量中のボクサーのような、何かに餓えたようなまなざし。そうしたまなざしが、台詞よりも雄弁に人物の心中を語っていたのが印象的でした。印象的といえば、ベニーがサングラスをかけて背中を丸め、皮ジャンのポケットに手を突っ込んで街を彷徨う姿もやたら心に残ります。短くて一見地味だけど、観れば観るほど味が出てくる、そんな作品です。 8点(2004-05-29 16:07:34)(良:2票) 《改行有》

68.  陽気な踊り子 かつて、かのチャップリンは「滑稽さの裏には哀しみがあり、哀しみの根底には残酷さがある。そしてそれを乗り越えるのが、笑いなのだ」と語ったという・・・・・・嘘です、さっき考えました、スミマセン。でも自分で言うのもなんですが、ちょっとホントの名言っぽいでしょ(笑)?実はこの作品を観た後、そんな事を考えました。↓で【あまみ】さんが丁寧な解説を書いてらっしゃいますが、田舎の劇団の健気さ=哀しさとブロードウェイ(都会)の人間の残酷さが見事に対比されていて、単なる「コメディ」の枠を超えていると思います。しかもサイレントということで、細かいしぐさによる表現が秀逸!ドン(ハリー)がラブシーンのオーディションを受けるくだりでのジンジャーとの腕の攻防(?)も笑えるし、ラストの敢えてジンジャーの足だけを撮ったやり方なんかはとてもオシャレです。それにしてもキャプラのサイレント時代の作品がDVDで観られるなんて、いい時代になったもんだ。チャップリンが好きな人にもお勧めです。(9点)<2005.5.26追記>昨日もっかい観ました。最初に観た時は「普通に良い映画」だと思ってたけど、これ実は、凄い映画かも。何つうか、人間の根源的な部分をさりげなく描いてるというか、だからこそ無性にいとおしいというか切ないというか・・・。とにかくベッシー・ラヴ嬢がスカートふりふりさせながら時に怒ったり、笑ったり、泣いたりしてるのを観るだけで幸せ~な気分になれます。出来るだけ沢山の方に観て頂きたいけど(ちなみに僕は近所のツタヤで借りました。多分リクエスト出せば入れて貰えるんじゃないかな)、特に「シベ超」やエド・ウッド(本人の作品でもティム・バートン作の方でも)をこよなく愛する方々に観て頂きたい作品です。[DVD(字幕)] 10点(2004-10-29 18:58:32)(良:2票)

69.  僕のスウィング トニー・ガトリフ監督の「モンド」という作品を観た時「この監督はアウトサイダーの視点を持った人だなあ」と思ったのですが、後で母親がジプシー(「エジプトから来た人」の意。これは史実的には間違いらしく、また侮蔑的な意味合いを込められる事もあるので最近は「ロマ族」に言い換えようという動きがあるらしい。も一つちなみに、ジプシーはユダヤ人同様ヨーロッパ各地で迫害を受けてきた歴史があるだけでなく、ナチによって大量虐殺もされた。その数は一説には50万人とも言われている。でもって現在も様々な差別を受けている)であり、「ベンゴ」などジプシーに焦点を当てた作品を多く撮っているということを知り、納得。てな訳で本作もそういう作品の一つだと思うので、ビデオのパッケージからローティーンの爽やか青春モノと思って観た人は肩透かしを食らうかも。僕としては主人公マックスとジプシーの娘スウィングとの淡い恋の場面も良かったけど、ジプシーやアラブ人、そしてユダヤ人がそれぞれの民族の音楽を奏でるシーンが、監督の祈りが込められているようで印象に残りました。7点(2004-02-24 18:07:53)(良:2票)

70.  野盗風の中を走る またまたイニシャルKさん、お先に失礼します。さてこの「野盗風の中を走る」、タイトルもカッコ良いけど、中身もカッコ良くて面白いっすよ~。少し「七人の侍」に似てるところもあるけれど、少し違うのが農民たちを救う善玉が野盗であるということと、彼らが最初から農民たちを助けようと思っていたわけではないところ。最初は「俺たちもたまには善行しなくちゃな」なんつって食べ物を施してあげただけだったのに、フトした事で人心厚かった前領主の忘れ形見と勘違いされてしまって段々その気になってくるところなんかとても楽しいし、時にホロリとさせられる。野盗を演じた面々もみんな「良い面構え」でかっちょ良い(特に“はやて”役の佐藤がワイルドでイイ!)し、稲垣浩監督の快活でダイナミックな演出もビシビシ決まっております。こういう、それほど知られてなくても面白い作品が、まだまだ昔の邦画にはいっぱいあるんだと思うと、なんだか嬉しくなっちゃうよね。[CS・衛星(字幕)] 8点(2006-01-25 19:20:31)(良:2票)

71.  わが谷は緑なりき この作品に「巨匠ジョン・フォードの文芸大作」という冠をつけてしまうと何だか未見の人に近寄りがたい雰囲気を与えてしまう様で、ちょっともったいない気がします。だって、こういう言い方するとアレだけど、笑えるところも感動するところもある、普通にいい作品なんですもの。初老を迎えた男が自らの過去を回想するモノローグで始まるこの作品、描かれる内容は兄弟との離別(死別含む)や姉の不本意な結婚など悲惨なエピソードが多いのに、例えば谷に響き渡る炭鉱労働者達の歌声や、悲惨な生活にもめげない快活な家族の姿など、爽やかなシーンがとても印象的です。考えてみれば人生って楽しい事、嬉しい事よりも辛い事、悲しい事のほうが多いのかもしれない。それでも主人公はラストで「我が谷は緑だった」と呟く・・・重い!深い!9点(2004-01-19 16:30:48)(良:2票)

72.  青いうた~のど自慢 青春編~ 地方に暮らす若者たちの夢や希望、そして挫折を描いた・・・などと言うと、いかにも一昔前の古臭い青春映画のようだが、この映画の画面からはそういった懐古主義とは無縁の瑞々しさが溢れている。それを支えているのが、美しい青森の山や海の景色、そして物語の中心となる少年少女たち(彼らはテレビドラマ「3年B組金八先生(PART7)」に出演していたそう。金八ファンの方々は、是非この映画を観て欲しい)なのだが、特に冨浦智嗣君の無邪気さが、笑いと涙を誘う。全体的に小粒な小品といった佇まいで、物足りない点がないと言えば嘘になるが、クライマックスの「のど自慢」出演シーンは第一作目の井筒版「のど自慢」に劣らぬほど感動的で、ケ・セラ・セラ等の名曲の使い方も、実に心憎い。一時期の邦画は(今もか?)妙に奇をてらったり、表面的なポップさを装いつつ実は薄っぺらい作品が横行していたように思えるのだけれど、そんな中、ここまでまっすぐな「青春映画」を撮った製作者の方々に感謝![DVD(邦画)] 8点(2006-12-24 18:10:52)(良:2票)

73.  浪人街(1990) この作品は、何の予備知識もなくたまたまビデオ屋で手に取ったんですが、脚本があの笠原和夫(←なーんて書くといかにも映画通みたいですが、サラダパックさんに教えていただくまで全然知らなかったんですよね)!ということで早速観てみました。うーん期待を裏切らない作品!単なる勧善懲悪というのではなく、浪人達がそれぞれ弱さや情けなさをもっているのが笠原さんの良さなんでしょうね。ウヒャヒャ笑いが印象的な原田芳雄(最後の最後でおいしいところもってくのが、ニクい)、勝新太郎の凄みの中にあるある種の愛嬌(この人のラストはイマイチ納得がいかなかったけど)、田中邦衛の情けなーい感じ(決戦に臨む時のなんとも言えない彼の姿は必見!)、石橋蓮司の切なさと悲壮さ(個人的に一番好きなキャラ)、どれも魅力的でした。決戦のシーンはそれ程チャンバラが好きでない僕が見てもドキドキしました。この映画って、昔の同名映画のリメイクらしいですね。そっちも観てみたいなあ。 8点(2003-04-15 21:35:36)(良:2票)

74.  酔っぱらった馬の時間 こういう、美しく凛とした人間の尊厳を見せ付けられた作品に関しては、うまく言葉が出ないです。どんなに貧しく生活が悲惨であろうとも、あの家族には「気高さ」がある、と思う。8点(2004-09-05 21:27:09)(良:2票)

75.  アトミック・カフェ 確か宣伝文句が「最高のブラックコメディ」かなんかだったと思うのだけれど、僕の場合笑いのセンスがないのか、ほとんど笑えなかった。代わりに沸々と心に沸いたのが、言いようのない怒り。まるで心の中で五万人のシド・ヴィシャスがペッペと唾を吐きながら「マイ・ウェイ」を絶唱するかのようで、変な言い方だが「“良い意味で”神経を逆撫でする」作品。第二次世界大戦後、アメリカ人が原爆を「勝利・希望」の象徴として見ていたというのは予備知識として知っていた。が、例えばビキニ諸島の島民に対するアメリカの傲慢な態度(僕は安易な“言葉の言い換え”には反対だけど、これを観て「ビキニ」という女性の水着に対する呼称に反発したくなった。日本人だって、例えば女性の過激な衣装とかを「ヒロシマナガサーキ!」なんて言われたら、嫌だろ)や自国民の兵士を放射能に関する人体実験に利用(!)する姿勢、さらにはソ連が原爆の開発に成功した後のアメリカ人の狼狽ぶり、そしてそれに対する軍や政府のとてつもなくマヌケで人を馬鹿にしたプロパガンダ映像には反吐が出る思いだった、マジで。そういえば「華氏911」でマイケル・ムーアが「権力者たちはアメとムチを使って国民を思うがままにコントロールしている」と言ってたと思うが、この映画を観るとまさにアメ(物質的豊かさ)とムチ(核戦争やソ連の脅威、すなわち「物質的豊かさ」を脅かすモノに対する恐怖を植え付けること)にアメリカ人が翻弄され、そしておそらく今も翻弄されているのが良く分かる。とはいえ、それに関しては日本だって他人事ではない。日本人の場合、マスコミによって様々な恐怖(テロやら北朝鮮等の政治的なものだけでなく、例えば健康、将来の人生設計、治安などに対する不安)を煽られている部分は多分にあるので(最近みのもんたがゲッペルスに見えてくるのは僕だけか?)、単にこれを観て「アメリカってひでー国!」と思うだけではイカンと思う。やっぱしそういう恐怖や不安に対抗するには、知恵と勇気と、何事にも動じない「のんき精神」は大事だ。あと「自分だけが良ければそれで良し」じゃなくて、他人を思いやる心も大事だよなあ。キリスト教徒でもなく、「愛は地球を二十四時間」を見ると反射的に中指を立ててしまうようなヒネクレ者のワタクシではあるけど、それでも「汝の隣人を愛せよ」というメッセージをもっと真摯に受け止めにゃならん、と思う。[映画館(字幕)] 9点(2004-12-21 19:23:45)(良:2票)

76.  クロッシング・ガード ひょっとして、映画というジャンルで「テーマ」は何か、という事を語るのはナンセンスなのかもしれないのだけれど、それを承知であえて書くと、この作品のテーマ、それは「果たして、人と人は分かり合えるのか」という事ではないだろうか?作品の冒頭ではストリップの馬鹿騒ぎの中に佇むフレディ(J・ニコルソン)と、その元妻が参加する遺族の集いとが交互に映される。これは、人と人との間にある、容易には埋められない「溝」を象徴しているように思える。娘を轢き殺した犯人に対する復讐を誓うフレディは遊び仲間にも、また同じ立場である筈の元妻にも理解されない。尚且つ自分に想いを寄せるストリッパーに対しても心を完全に開くことは出来ず、一人自閉的な孤独を抱えている。一方犯人のジョンもまた、友人にその心中を理解されてはいないし、彼の出所後に出来た恋人(ロビン・ライト)は彼に寄り添いながらも、彼を罪悪感から解放することが出来ない(ただ、彼がある意味フレディより救われているのは、彼には彼を無条件で愛し、受け止める存在―両親―がいるということである)。しかし、そんな被害者・加害者の関係にある二人はラスト、「亡くなった娘を悼む」という点で分かり合えたのではないだろうか?両者の関係は一般的ではない、極端なものだが、人と人とが「分かり合う」ためには、単なる思いやり・同情だけでなく時に暴力的であるような「格闘」も必要なのかもしれない。余談だが、戦争前イラクを訪れたショーン・ペンはその理由を問われ「イラクにも自分達と同じような人間がいて、同じように子供がいるという事をこの目で確かめたかった」という意味のことを語っていたと記憶している。ショーン・ペン、有言実行の男である。9点(2004-05-06 18:37:16)(良:2票)

77.  エル・スール 前作「ミツバチのささやき」もそうだったが、ヴィクトル・エリセの作品では音も映像も決して叫ばない。ただ、慎ましげに密やかに、何かを語りかける。その声はとても静かで、こちらが少しでも気をそらすと聞き漏らしてしまいそうになるが、気味の悪い呟きではなく、まるで穏やかな老人の昔語りのように心を惹きつける―――本作に登場する父親が果たしてどのような人生を送ってきたのか、何を抱え、苦悩していたのか、作中ではっきりとは明示されない。観客は娘と同じ立場になって、失われた時間と記憶に思いを馳せる・・・・・・静かな、とても静かな作品。9点(2004-05-07 18:27:17)(良:2票)

78.  目撃(1997) この作品については、ストーリーとか整合性とか、狭義のリアリティ(本当らしさ)とかはどーでも良くて、ただただイーストウッドの一挙一動、しぐさや身のこなしを「かっちょイイなあ」とバカみたいに楽しむのが良いと思うんだ。[DVD(字幕)] 8点(2010-07-28 15:59:07)(良:2票)

79.  プラン9・フロム・アウター・スペース うーん、「グレンとグレンダ」「怪物の花嫁」は結構普通に良かったと思うのだけれど、これは凄い。STING大好きさんの仰られている通り、無茶苦茶壊れまくっている。もはやエド・ウッド作品に関していちいち細かいツッコミをするつもりはないけれど、SFとしての破綻、物語の破綻、以上に、映画として破綻している。バートンの「エド・ウッド」にも登場した整骨医の先生とベラ・ルゴシ(の生前のフィルム)を強引に「同一人物」に見せようという編集や、どう考えても繋がっていない(多分ドキュメント映像をパクった)戦場のシーンと司令官のシーン、などなど。大体「グレンとグレンダ」には「女装は悪くない」というメッセージ、「怪物の花嫁」には「本来の場所から追われた者のルサンチマン」というテーマがあったのに、この作品には全くテーマが感じられない(反戦?冗談はヨシコさんだぜ)・・・のだが、ひょっとしてこの作品、「映画(作り)」そのものが、実はテーマなのではないか、という気もしなくもない。この作品にはテーマもなければ物語もない、あるのはただ「映画を完成させねばならんのだぁ!」というエド・ウッドの根性、のみ。まるでエンジンが燃え尽き、タイヤも全てパンクしているにもかかわらず、それでも走り続けようとする車のようだ。そう考えると、これは(エド・ウッドの本意は別にして)映画のある「極限」を体現した、とってもロックンロールな作品なのかもしれない。ということで、「これはひょっとして9点なのかもしれない」と思いつつの1点です。 [DVD(字幕)] 1点(2005-04-26 18:47:25)(良:2票) 《改行有》

80.  モンド 《ネタバレ》 何処に居ても誰と居ても、自分が「よそ者(アウトサイダー・はみ出し者)」と感じてしまう種類の人間が居る。人間嫌いでも協調性が無い訳でもないにも関わらず、周囲に溶け込み、馴染む事が出来ない。彼もしくは彼女にとって「居心地の良さ」は居心地の悪いもので、むしろ「居心地の悪さ」に居心地の良さを感じてしまう。そういう人間が一般的な意味で社会の成功者(いわゆる“勝ち組”―何とも嫌な響きの言葉だ)になる事は難しい。本作の主人公モンドはそういう類の人間のファンタジックな具現化である。とある街にフラリとやって来てそのまま居着いてしまう、というシチュエイションは、あたかもミヒャエル・エンデの「モモ」の様だが、エンデの創造した、モモを温かく迎え入れる古き良き街に比べ、モンドがやって来る街はいかにも現代的だ(人々が雑踏を足早に歩いていくシーンで不協和音めいた音楽が流れるのが象徴的)。モンドに優しい態度で接するのは主に浮浪者や大道芸人、ベトナム生まれの老婦人など、マイノリティ(すなわち自己も“よそ者”である者達)だ。いわゆるマジョリティにとって、モンドの存在は目に入らないか、入ったとしても異質な、排除されるべき(もしくは“保護”の名目で収容されるべき)存在に映る。かくして、人々の優しさに触れながらも、いつも「ここではないどこか」を夢想していた少年モンドは街から消えてしまう。そして街の人々は初めて、自分が失ってしまったものに気付くのである。さしずめモンドは「時間どろぼう」が時間を盗み終えてしまった後、遅れてやって来てしまった「モモ」なのかもしれない。  8点(2004-02-19 16:26:45)(良:2票)


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